令和7年度生徒会スローガン
水俣二中学校経営グランドデザイン(PCで見てね).pptx パワーポイントです
050401:418493→060331:514058(95565)→070331:735542(221484)
令和7年度生徒会スローガン
水俣二中学校経営グランドデザイン(PCで見てね).pptx パワーポイントです
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モスクワ日本人学校に赴任したYS先生から、4月4日に文部科学省で研修を終えた後、21時45分に羽田空港を離陸、イスタンブール空港(トルコ)経由でモスクワに到着して住居の手続きまで終えたとの連絡がありました。いよいよ3年間のモスクワ生活が始まります。日本とモスクワの時差は6時間、皆さんが昼休み前の13時は、YS先生は出勤準備中の朝7時です。
教育公務員弘済会の塚田様(水俣二小元校長)が、初任者の2人に記念品を届けに来校されました。塚田様は初任者のM先生が田浦小の低学年の時の教頭、再度赴任されF先生が中学年の時の校長でした。成長した二人と再会し、にこにこ笑顔で写真撮影をして次の学校に向かわれました。
3日(木)にPTA新旧5役会を開きました。「つながる」をテーマにした新スローガン案、重点項目案、年間活動計画案、一家庭一役、PTA総会などについて協議を行いました。次の役員会は4月17日(木)、PTA総会は4月25日(金)です。
今日は新入生登校日です。中学校の制服に身を包んだ新入生がやってきました。入学式の流れの確認、入場、氏名点呼の練習などを行いました。写真は入場練習の様子です。
今日は令和7年度第1回の職員会議を行いました。自己紹介の後、生徒が気になるあのことをはじめ、朝自習や掃除、読書活動の充実など昨年度からの改善策についても話し合いました。職員室の席替えも終わりました。(中の様子は秘密です。)午後も会議、明日は会議と新入生登校日。新学期の準備が続きます。
昨日の昼休みはもちろん野球の練習です。M先生は小学3年生から野球をしていたそうで「高校では女子は硬式野球部に入れなかったのでマネージャーをしました。大学では野球部でした。」とのこと。エースKS先生に画像を送ると「美しいフォームです。」との返信がありました。
昨日の水俣市の受け入れ式後、湯出小に着任したY教頭先生が「人吉二中に勤務されていたH先生ですよね。」と、あいさつに来られました。30年振りでY教頭先生は縦に、私は横に大きく成長しています。すぐに分からず申し訳ありませんでした。学校に帰ってから平成5年度の卒業アルバムで確認し、夜には当時の担任であったN校長先生にも電話しました。昔のことをいろいろ思い出しました。「中学生だったY君と一緒に、大ベテランのK先生から怒られた。」と笑っていました。N校長先生の初任の頃の思い出です。
朝から、以前も勤務されていたT先生が新任の先生方を案内して教室を回っています。ただいま印刷室の使い方の説明中です。チューリップも咲き始めました。入学式までもつと良いな。
今日はエイプリルフール(April Fools' Day)、「罪のないいたずらや嘘で人を笑わせてもよい日」です。この日の「嘘」は、ライ(lie=嘘)はマイナスイメージが強すぎて使われず、ジョーク(joke=冗談)、トリック(trick=いたずら)、プランク(prank=悪ふざけ)という単語で表現されるそうです。
各企業のSNSでは過去に、グリコ「カラメルとプリンの比率が逆になった “ンチップンリプ” が新発売」、明治「エッセルスーパーカップ、超ニラ味発売」などのネタも。今日も楽しみです。
以降は事実です。4月1日は新年度の始まり、初任者・昇任者と水俣市に転入される先生方の辞令交付式が開かれます。国語初任のM先生は田浦中教頭の時の、事務初任のF先生は湯浦中校長の時の生徒です。二中教頭の時のO先生と合わせ、3人の元生徒を配置いただきました。区切りの年に嬉しい限りです。最後の力を振り絞って育てます。
校長室には、今年在籍されるM先生、T先生の歴代校長の肖像写真があります。F先生と合わせ3名の元校長を配置いただきました。区切りの年に嬉しい限りです。最後の力の振り絞り方を学びます。
20時13分、最後のお二人が退勤されました。2年間の勤務でした。お疲れ様でした。明日から新年度のスタートです。
今年度も昨年と同じ内容でブログを終えます。
イチロー選手が2004年にシーズン最多安打記録を残したときの言葉「小さいことを積み重ねる事が、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」
パナソニックホールディングスを一代で築き上げ「経営の神様」とよばれた松下幸之助の言葉「大きな夢も大事だが、もっと大事なことは、足元の、些細と思われるようなこと、平凡と思われるようなことを、しっかりとやり遂げていく、おろそかにしないということも考えておかないといけない。難しいことはできるが、平凡なことはできないということはない。平凡なこと、些細なこと、それを積み重ね積み重ねて、そのうえに自分の知恵と経験を加えていく、それではじめて、成功をすることができる。成功は小さい努力の積み重ねやね。」
全国統一を成し遂げた豊臣秀吉が足軽だった頃の言葉。他の足軽たちが口々に、「殿様になりたい」、「百万石(300億円くらい)の国をとりたい(肥後藩で52万石)」と夢を語る中、秀吉が「今より百石(300万円くらい)多くもらえる身分になりたい」と言うと、皆は「なんて夢の小さいやつだ。」と一斉に笑い出した。
秀吉は、その時こう言った。「おぬしらは所詮かなえられない望みを言い合っているにすぎない。俺の目標は頑張れば必手に入るものだ。空頼みではなく手の届く望みなのだ。」
さあ明日からまた「自立心にあふれ、夢を実現する二中生」へのちょっとずつの積み重ねを大切にして過ごしましょう。
明日で令和6年度が終わります。今日は日曜日ですが片付け作業で学校に来る先生がいるかもしれません。明日の16時40分をもって二中での勤務終了です。
私は以前、二中に8年間連続で勤務していました。社会科担当ということもあり、資料室に授業用の書籍や模型などの資料を大量に置いていました。最後の2年間は教務でしたので、この時期は担任からあがってくる生徒の書類や成績の点検、次年度の年間計画等の作成で自分のことまで手が回りません。先生方も忙しく、私の仕事もどんどん押していきます。やっと片付けに入ったのが31日の昼前からでした。今ならデジタル化されている資料も多いのですが、当時は実物が主です。ためにためた資料を整理し、軽トラに運び込み、学校を出たのが夜中の12時ちょっと前。当時のM教頭先生に見送っていただきました。
教頭になって以降は1年での異動もあり得るため、毎年2月中頃には次年度の準備と片付けを終えることにしました。早いことは良いことです。春休みは式典での挨拶やPTA新聞、残り366回のブログなど次年度の原稿を少しずつ書き貯めています。
先生たちの春休み。年度末の大量の事務整理に追われる毎日、切り替えは昼休みの運動です。剣道部出身のO先生もノックや守備にチャレンジしています。竹刀の振りですが確実にミートしています。さすがです。みんな生徒の昼休みと同じくらい声が出ていて良い感じです。
二中には野球部出身者が4人、Y高校野球部マネージャーが1人。4月に赴任されるM先生も、米野岳中に異動したK先生の一つ上のマネージャーだったとか。一中、三中、湯浦中の野球部監督を務めた津奈木中の校長先生も教諭として赴任します。野球が一大勢力です。ちなみに、長距離走の朝練も始めました。目指しているのは箱根駅伝か甲子園か。
26日、二中に赴任される先生方が来校されました。二中についての説明、研究発表に向けた校内研修の第0回(研究主任Y先生の最後の仕事です)、教科の学習内容などいろいろな情報の引継ぎを行いました。来年度からよろしくお願いします。(校長写真の右から2番目と、左端に座っている先生は同一人物です。来年度も3名の退職校長先生に支えられながら学校経営に頑張ります。)
新高2世代がY先生の見送りに来てくれました。担任冥利に尽きますね。
この度の定期異動で7名の職員が二中を去ることとなり、全校生徒で見送りました。それぞれ7年から1年の在職期間、二中生の教育に尽力していただきました。保護者の皆様にも大変お世話になりました。(すごくすごく遠くに異動するY先生にお別れを言うために、昨日は新高2世代のバスケット部員が来てくれました。)
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平・古今集・伊勢物語)
たぶん土・日のどちらかで二中の桜も開花宣言だったようです。和歌に登場する花は万葉集の頃までは「梅」、平安初期からは「桜」とか。以下四首は百人一首から桜の歌。
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(小野小町)
久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな(伊勢大輔)
高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ(大江匡房)
「さくら」の名前の由来は(諸説あります)
〇春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)から。
〇「咲く」と複数を表す「ら」を加えたもので、元来は花の密生する植物全体のこと。
〇富士の頂から種をまいて花を咲かせた「木花之開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)」から。
ついでに「世の中に たえてテストの なかりせば 中学生の心は のどけからまし」
昨日の夕方に熊本県教育委員会のHPと熊日の電子版、今朝の朝刊に掲載されましたが、この度の定期異動で7名の職員が二中を離れることとなりました。保護者の皆様には大変お世話になりました。それぞれ7年から1年の在職期間、二中生の教育に尽力していただきました。ご退職3名、水俣市内の中学校への異動2名、芦北町の中学校への異動1名、すごくものすごく遠くへの異動1名と様々ですが、それぞれのご健康と活躍を祈念いたします。
27日(木)の退任式の開式は9時です。生徒・卒業生の皆さんは服装を整えて、8時40分までに登校してください。
退任者
県教委HPと新聞に掲載あり
3年学年主任(美術)・事務主査
※初任者拠点校指導員は新聞に退職と載っていますが規定によるもので、来年度も二中所属です。
県教委HPと新聞に掲載なし
2年学年主任(数学)・大成2組担任(知的)・2年副担任(家庭科)・1年副担任(国語)・学校用務員
卒業式から2週間ほど経ちました。式辞に変えて、3年生の先生方のPTA新聞のメッセージを読みます。
大成担任MY先生「授業、昼休みのサッカー、学校行事。皆さんと過ごした時間は 私にとってかけがえのないものでした。それぞれの場所で頑張っている皆さんを応援しながら、私も頑張ります。」
1組担任FK先生「1年間のすべてがいとおしく感じます。別れがあるから出会いがある。曲がらなかったはずの角を曲がり、歩かなかったはずの道を歩いて、なかったはずの明日がある。周りの人から愛される人生を歩んでください」
2組担任FY先生「きつくても、教室に行くと元気をもらっていました。これまであなたたちを支えてくれた多くの人に感謝することを忘れないでください。これから先、あなたたちの背中を押してくれる人、励ましてくれる人が沢山いることを忘れないでください。」
副担任MÝ先生「『形として見えないけど大切なものがある。』ということが皆さんに伝えたいことの一つです。その頭文字は『あ・い・う・え・お』、漢字で『愛・命・運・縁・恩』です。」
学年主任SY先生「この1年間での成長はめざましく、体育大会での団を越えた絆に涙し、文化祭の劇のエンディングの『僕のこと』に心を揺さぶられ涙し、感動させられっぱなしの1年間でした。一方で、一つの行事が終わるごとに、皆さんとのお別れの日が近づいていることに気づき、寂しさがこみ上げてきました。あなた方は、私にとっては一人一人が自慢の息子、娘のような存在です。そして、決して忘れることのできない人たちです。」
ぜひ、PTA新聞で全文を読んでください。
それぞれ残りの1年間、残りの2年間。困難なこと、いがみ合うこと、悔しい思いをすること。人を助けること、人から助けられること、感動すること、喜び合うこと、進路決定という大きな壁に挑むこと。学校生活でしか経験できない全てのことにどう向き合ったかで卒業時の姿は変わります。「そっくりそのまま同じ中学校生活を繰り返しても構わない」と言える新2年生・新3年生でありましょう。
昨日の続きです。百聞は一見に如かず。本物に触れる経験は大事です。田中達也さん、冨田伊織さんの展示で撮影しました。「どうやって作っているのだろう?」と疑問に思った人は、明日はぜひ二中図書室へ。熊本市現代美術館は4月26日から6月30日まで「やなせたかし展~人生はよろこばせごっこ~」の予定です。土日用のブログのネタが書けそうです。
二中は読書量の少なさが課題です。担当のF先生から「新しい本を入れるので校長先生の好きな本があれば紹介してください。」との依頼がありました。そこで、熊本市現代美術館でミニチュア展を観たことがある田中達也さんの「MINIATURE LIFE」など、熊本博物館で展示を観たことがある冨田伊織さんの「透明標本」など、フィギュアも持っている柴田ケイコさんの「パンどろぼう」などを紹介しました。全部私も持っているおすすめの本です。中身をチラ見せしますので、ぜひ二中の図書室へ行って開いてみてください。(それぞれ動画もたくさんアップされています。)
学校運営協議会委員の一人として、水俣第二小学校の卒業式に参列してきました。宮﨑校長先生が送り出す最後の卒業生です。「人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくる」という言葉を贈られました。卒業生のうち52名が二中に入学してきます。
今日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」春分の日です。天文観測による春分が起こる春分日が選定されて休日とされますが、通常は3月20日から21日ごろのいずれか1日となるようです。(計算では春分日は令和9年、13年、17年が21日、他は20日になるそうです。)昼が長くなって「昼と夜の長さが等しくなる日」と言いますが、実際は昼の方が少し長いようですね。
春分の日と秋分の日を中日とした7日間がお彼岸です。お墓参りや仏壇の掃除、お供えなどの供養を行い、自分自身の日頃の行いを振り返り、見つめ直す期間です。彼岸のお供えといえば「おはぎ(ぼたもち)」、私もおはぎを食べなが自分を見つめなおすことにします。
今週は二小との連携の機会を多く持ちました。17日には1年生が総合的な学習の時間の成果を小学生の前で発表しました。短い準備期間でしたが、次年度の1年生が学習する内容について伝えることができました。
18日の午前中は6年生の授業参観、午後は第3回の学校運営協議会を開きました。二小と二中の学校評価を比較することで二小・二中校区の児童生徒の課題が見えやすくなりました。次年度は両校で9年間を通して取り組むべき課題を評価項目として、経年変化を観察し方策を立てるようなことにも取り組みたいと思います。
15日に水俣高校で令和6年度グローバル人材育成事業「Stanford e-Minamata」閉校式が開かれ、来賓として参加してきました。まず、一人一人にナタリー・モンテシノ専任講師修了証が授与され、高岡水俣市長、高木水俣高校校長のご挨拶、その後に成績優秀者2名が紹介され、英語で喜びの挨拶をしました。
ゲイリー・ムカイ教授のあいさつの中では、同大学のジャミル・ザキ博士の「認知的共感・感情的共感・思いやり型共感」について紹介され、「共感の大切さを心に留めておいてください。」と語られました。最後にナタリー専任講師から「皆さんはこのプログラムの単なる受講生でなく、問題解決者であり、変革者であり、未来のリーダーなのです。」という言葉をいただきました。
事業については水俣高校のホームページから見ることができます。
14日、水俣市の3名のALTにご協力いただいて、英語のパフォーマンステストを行いました。順番待ちもドキドキです。ジェイソン先生に「私はサッカーが好きです。サッカーを知っていますか?」と聞いたところ、「知りません。」と返され、困ってしまったKさんでした。そういえばジェイソン先生の出身国、アメリカ合衆国の四大スポーツはアメリカンフットボール(NFL)・ベースボール(MLB)・バスケットボール(NBA)・アイスホッケー(NFL)でしたね。
1 卒業式明けのある日の朝、3年生複数名が事務室にやってきました。目的は「学生服のボタンを買いに来ました。」だそうです。合格者招集、退任式、まだまだ中学校の制服を着る機会があることに気付いたようです。
2 ある席で、年度末に役職定年を迎えられる校長先生方の紹介をすることになりました。該当校の教頭先生方にお尋ねをして情報を得ました。K校長の座右の銘は「己所不欲 勿施於人」己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所(ところ)は人(ひと)に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ)」でした。論語の「顔淵」と「衛霊公」に登場する言葉です。子どもたちに伝えたいことはたいてい「論語」の中にありますね。
3 今年の卒業式で湯浦中校長時代の生徒がすべて卒業しました。同じ年に離任した先生と連名で祝詞を贈りました。卒業生は担任のY先生に「もう他のクラスの担任はしないでほしい。」と言ったそうです。そういえば前回の卒業生も同じことを言っていました。「自分たちだけの担任であってほしい」という意味ですね。よくわかります。二中の卒業生も皆同じ気持であったろうと思います。担任にはかたんですね。将来、縁あって違う場所で二中のFK先生、FY先生、MY先生が担任だったという人と出会うかもしれません。その時はどんな思い出話しで盛り上がりましょうか。
4 とある学年主任のつぶやき「朝夕、職員室に大きな声であいさつをして通る3年生の姿が無くて寂しい。」
体育館に首輪をしていないネコがいました。私が近づくと、逃げもせずに向こうからどんどん近寄ってきて撫でさせてくれました。性格もあるでしょうがノラ猫にしてはとても人懐っこいネコです。いわゆる地域ネコでしょうか。右耳を見ると「さくらねこ」かな?詳しくはHP「学校だより」のコーナーの隠しページ「二中いきものだいたい図鑑」に書きました。興味がある方はそちらへお進みください。
11日に「福島県と水俣市の中学生の交流事業」について書きましたが、当時の写真が出てきました。私が書いた学校ウォッチングの記事によると、
26年1月号では「12月21日~24日の4日間、水俣市PTA主催で福島県から40名の中学生を招き、『水俣・福島交流事業』が行われました。本校からも生徒会役員5名が22日の学習会に参加、福島と水俣の未来について意見を出し合い、自分たちにできる取組をまとめました。未来を創る子どもたちの熱気にあふれた交流会になりました。」(上段写真)
26年12月号では「 10月31日(金)から3泊4日で福島県の中学生との交流事業が行われました。市内の4つの中学校から24名、二中からは8名が参加しました。福島駅での熱烈なお出迎えでスタート。福島の中学生38名と6つの班を作り、学習のテーマを決め、3日間中身の濃い交流を行いました。その間、放射線についての学習(モニタリング施設)や、水族館、豊間中学校、Jビレッジ等を見学し、現地での学びを深めました。 最終日には班のテーマ毎に交流の成果や今後の水俣や福島のことを発表しました。目に見える復興も、そして心の復興も重要だと学びました。」(中段写真)とのことでした。
サラ玉を育てて福島県の中学校に送る活動もしていました。アレっ?見た事のある顔が。(下段写真)
11日に新旧役員引継ぎのためのPTA役員会を開きました。今年度は九州PTA長崎大会での提言や、ひまわりの栽培、スポーツイベントなどの新しい活動や3年生の餅つきなど復活した活動などに取り組みました。長崎大会の田中会長の言葉は「子どもたちと保護者両方の成長を願い、まずは、自分たちがやりたい活動をスタートとして、だれもが参加したくなる水俣第二中学校PTAとなるよう努力したい。」で結んでいます。次年度も勢いのある二中PTAでありたいと思います。
お知らせ
4月3日(木)PTA監査 18:30~ 新旧5役会 19:00~
4月17日(木)第1回PTA役員会 19:00~
4月25日(金)授業参観、学級・学年懇談会、PTA総会、部活動総会、歓送迎会
令和7年度駅伝競走大会に向けての朝練が始まりました。次世代のエースが卒業した前エースをチラ見。卒業生も参加して伝統をつなぐ後輩たちを鼓舞しています。あれっ?大人が混ざっていますね。写真をアップして気づきました。
11日、水俣高校建築科の先生と生徒の皆さんが、木工の授業支援に来てくれました。的確なアドバイスで上手に仕上げることができました。
平成23年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。震災による死者・行方不明者は 1 万 8428人、建築物の全壊・半壊は合わせて40 万4893 戸が公式に確認されています。日本国内で自然災害により1万人を越える死者・行方不明者が出たのは、戦後初めて(明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模)です。
平成23年、当時の宮本勝彬水俣市長は、公式確認から55年を迎える水俣病の経験を踏まえて、水俣病被害者や水俣市民が差別や偏見を受け、風評被害による様々な影響があったこと、原発事故で起こっている問題は、水俣病と重なる部分が極めて多いことなど、震災による原子力発電所の事故を受け、避難者への差別や偏見をやめるよう呼び掛ける緊急メッセージを市のホームページに掲載されました。
震災後、福島県出身の水俣一中の保護者の思いがきっかけとなって、福島県と水俣市の中学生の交流事業が始まり、数年に渡って継続されました。
私は、平成25年(巳年)11月に福島県で開かれた事前学習会に水俣市の教頭を代表して参加し、福島県の中学生に水俣二中の環境教育の取組についての講話を行いました。
前日に仙台空港に着きました。タクシーの運転手さんは「私は、今は他県からのお客さんに語ることで、やっと心を落ち着かせることができている。」と話されていました。
閖上浜(ゆりあげはま)に着くと地元出身の方に出会いました。今は他県に住まれていて、地震以降やっと今の故郷の姿を見にくる決意をしたそうです。「自分が知っている風景が何もない。」と涙を流されていました。
帰熊の日は楽天イーグルスの初優勝パレードがあっていました。前日の懇親会で福島県のPTA役員さん方は「スポーツが元気をくれる」ということを強く語られていました。
昨日の卒業式は大変お世話になりました。卒業生の良さと、在校生への期待にあふれる式だったと思います。
写真ではまだ真っ白ですが、学校保管用の卒業アルバムの最後のページには、先生方の今年1年を振り返っての寄せ書きを記入中です。ケースにはPTA新聞も入れています。湯浦中校長時代に思いついて始めたことで、もう一度赴任することがあったら見返してほしいという思いからです。卒業生の皆さんも、先生になって二中に来る機会があれば見ることができますので、なりたい職業に「先生」をぜひ入れてください。(将来の二中PTA役員も閲覧可です。)
今日、69名の生徒が二中を飛び立ちました。ご卒業おめでとうございます。再編14年目で証書番号1000番を通過しました。
いろいろな場面を思い出しながら総代のSさんの答辞を聞きました。最後に交わした言葉は「二中が楽しかったのは皆さんがいたから」です。ありがとう。
最後は卒業生合唱「僕のこと」。間奏の時に先生方や保護者の皆様への感謝の言葉も入り、二中生らしく式場を後にしました。
昨日、3年生の修了式と同窓会入会式を行いました。(写真は誓いの言葉を読むMさんと同窓会会長の榮永德博様)
1月のある日の放課後、校長室で受検勉強をしていたある生徒に「二中は良い学校だと言われるが、なんでだと思う?」と聞いたところ、「僕がいるからですかね?」と返ってきました。みんながそんな気持ちでいることが大事です。
修了証には「本校第3学年の課程を修了したことを証する」と書かれていますが、「終わり」ではなく「修める」という漢字を使います。これは単に中学校生活が終わったのではなく、「学問などを身につけた」、「普段の行いを正しくすることができた」、ということを意味します。明日の卒業式での皆さんの礼儀、返事、歌声が「修了」したことの証明になります。
今月の31日で、いろいろな方に支えられ、励まされ、守られ、鍛えられて過ごした15年間が終わります。
哲学者ニーチェは「今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみなさい。」と言いました。
18歳で迎える成人までの次の3年間を「人を支え、励まし、守り、鍛える側に立つ」ための準備の期間として、「もう一度そっくりそのままくり返してもかまわない」という生き方をしてほしいと願っています。
ではみなさん、最後の授業ともいわれる卒業式を最高のものにしましょう。楽しみにしています。
午後から1・2年生は卒業式の準備。外庭担当のとある1年生たちは側溝の泥をすくいあげてきれいにしていました。気持ちの良い環境で卒業生を送り出そうとの心意気を感じます。
3年生の中学生活最後の給食は「きなこ揚げパン・コロコロサラダ・水俣ちゃんぽん・お祝いクレープ・牛乳」義の5品です。「給食おじちゃんおすすめメニュー、卒業生お祝いメニュー」というタイトルがついていました。給食センターの皆様、おいしくて栄養のあるものばかりでした。9年間ありがとうございました。きなこと涙をぽろぽろさせながら食べます。
卒業式3日前。壇上で一人一人「ハイッ!」という返事の練習。担任の判定も「合格」が続きます。午後は在校生を入れての全体練習です。
3・4校時は生徒会主催の全校レクリエーション(ドッヂボール)と3年生を送る会を行いました。上級生と下級生がお互いに容赦ないスピードボールのやり取りで別れを惜しみました。
今日は熊本県立高校後期選抜の2日目です。午前中に社会と数学の検査が実施されました。鹿児島県立高校の入試は今日・明日の2日間です。
進路が内定している皆さんは昨日の入試問題にチャレンジしました。後期選抜組と同等の勉強をしておかないと入学後が大変です。さて、写真は両クラスの後方に掲示してあった学級目標です。達成できたかな。
熊本県の全小中学校のPTA会員に配付される「熊本PTA連合会新聞」と「市Pだより」に九P長崎大会での水俣二中の提言が紹介されていました。二中HPのQRコードも紹介していただきましたので、たくさんの人に水俣二中を知っていただくとありがたいです。
今日は熊本県立高校後期選抜の1日目です。午前中に国語と理科、午後から英語の学力検査が実施されました。説明会場が開かれるまで、受検生は言葉も少なく緊張した面持ちでした。国語の漢字の読み書きは「シュンカン(瞬間)」、「クらす(暮らす)」、「伴う(トモナう)」、「せきらんうん(積乱雲)」「もよう(模様)」の5問でした。正解したかな。
進路が内定しているみなさんは教室の片づけを行いました。カウントダウンの掲示も残りわずかです。
今日の給食はひな祭りメニューでした。ひなあられはさすが「くまモン県」の学校です。3月3日は「上巳(じょうし)の節句」です。旧暦の3月は新暦では4月にあたり、桃の花が咲き始める頃であること、桃は魔除けの効果を持つとされていることなどから「桃の節句」と呼ばれるようになったようです。桃の節句が「ひな祭り」と呼ばれるのは、平安時代の頃の貴族の女の子たちの人形を使った「雛遊び」が由来だとされています。
季節の変わり目に神様にお供え物をしたり邪気払いをしたりして無病息災を願う年中行事が節句です。1月7日の人日(じんじ)の節句(七草)、3月3日の上巳の節句(桃)、5月5日の端午(たんご)の節句(菖蒲)、7月7日の七夕(しちせき)の節句(笹)、9月9日の重陽(ちょうよう)の節句(菊)を五節句といいます。
3年生は中学校生活最後の1週間が始まります。在校生代表送辞、卒業生代表答辞も仕上がり、卒業証書は台帳への割印を終えて準備が整いました。明日は事前指導、火・水の2日間は熊本県立高校の後期(学力)選抜です。人事を尽くして天命を待つ。リラックスして臨みましょう。
毎年3月1日は熊本県立高校の卒業式です。私は水俣高校の卒業式に来賓として参列してきました。私も含め芦北水俣の8人の中学校長のうち、5人が旧水俣高校の卒業生です。水俣工業高校と再編され、場所も変わり「仰ぎ見る学び舎」ではありませんが、自分たちの高校生時代を懐かしみ卒業を祝ってきました。
式辞では、髙木校長先生が常に語ってこられた6つの漢字「願」「今」「挑」「風」「進」「動」、それを踏まえて、今日7つ目の漢字として「光」を贈られました。卒業生の、後輩たちの活躍を祈念します。
昨年末に、3年時の担任だった村上豊喜先生がお亡くなりになられました。専門が同じ社会科だったこともあり、私が学校に勤めるようになってからも頻繁にお電話で叱咤激励をいただきました。心に灯を点していただいた恩師です。卒業生の皆さんも高校生活の中でそんな出会いがあったのではないかと思います。
今週は1年生の両クラスで調理実習を行いました。メニューは「ハンバーグステーキ・ミネストローネ・ほうれん草のソテー」です。とてもおいしくできあがりました。それではいただきま~す。
今日は証書授与の初練習です。「名前を呼ばれたら大きな声で返事をして、演台の前に進んで、前の人と2人で礼をして、斜めに一歩出て、卒業証書を右手・左手の順で受け取って、斜めに一歩下がって、次の人と2人で礼をして。」覚えることがいっぱいです。良い返事にはみんなから拍手が湧いていました。壇上から「写真を撮るからいい顔をして~。」と呼びかけましたが、みんな緊張した顔でした。学校に来るのは今日を含めあと8日(入試を除くと6日)です。
5・6時間目は臨時生徒総会を開きました。次年度の生徒会スローガン「理想を現実に〜積極性を持ち、互いに高め合う二中〜」と各専門委員会の活動計画、生徒会規約改正が承認されました。
21日(金)、3年生は福祉体験学習で車椅子やアイマスクを使った「まちあるき体験」を行いました。普段は何の不自由もなく通っている道や施設に、いろいろな工夫がされていたり、課題があったりすることに気付きました。
今日は防災給食です。温めずに食べることができる救給カレーを食べながら、災害発生時の食事について学びました。
立志式で2年生は座右の銘から取った一文字の漢字で、決意を発表しました。
私の座右の銘は「知行合一(ちこうごういつ)」です。これは陽明学(孔子の生きた『春秋戦国』時代から1900年ほど後の『明』の時代に王陽明がおこした学問)の命題の一つで、簡単には「知識は行動と一致してこそ意味がある、本当の知識は実践をともなわなければならない」というような意味です。
論語の為政第二の「子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之」孔子に、弁が立つ弟子の子貢が、「君子とはどんな人ですか?」と問うと、「普段からあなたが話していることを先に実行しなさい、その後から言葉が出てくる(まずすることをして、言いたいことがあればその後で言う)ような人が君子です。」と答えた。という逸話がもとになっています。
王陽明は「知って行わないのは、未だ知らないことと同じである」ことを主張し、「知っている以上は必ず行いにあらわれる」と説きました。1837年に大阪で乱を起こした大塩平八郎も私塾「洗心洞」で門弟に陽明学を教えた陽明学者でした。
中学2年生の修学旅行で訪ねた松下村塾の掛け軸にその言葉があり、どんな意味かを調べました。それ以来、心に留めています。
今日は「天皇誕生日」です。明治は11月3日、大正は8月31日、昭和は4月29日、平成は12月23日でした。
二中生が使っている歴史の教科書によると、「大王(おおきみ)」に代わって「天皇(てんのう、すめらみこと)」が用いられたのは、7世紀初めの推古天皇の頃という説と、7世紀後半の天武・持統天皇の頃だという説が有力だそうです。その教科書に登場する最初の天皇は推古天皇で、おいの聖徳太子(厩戸皇子)と蘇我馬子とが協力し、大王(天皇)を中心とした政治の仕組みを作ろうとしたことが記述されています。
続いて大化の改新に関して天智天皇、壬申の乱に関して天武天皇が登場します。ちなみに在位中の天皇陛下は「元号+天皇」ではなく、「今」の「上(上様)」の意をもって、今上天皇(きんじょうてんのう)と称されます。
今日、2月22日は「ニャンニャンニャン」でネコの日です。大成教室に来客あり。今週、キジネコが校舎に入り込んでいて夜中に警備を発報させたのですが、あなたですかにゃ?
2024年にペットフード協会が行った全国犬猫飼育実態調査によると飼育数は、犬679.6万頭・猫915.5万頭だそうです。ネコはいわゆる「地域ネコ」もいますのでもっと多いかも知れません。
校長室の机上は、コースター、カップ、カップの蓋、マウスパッドなどなど、ネコのグッズであふれています。特に多いのは家で飼っている(お世話をさせていただいている)黒猫のデザインのものです。
アメリカが8月17日、イギリスが10月27日、イタリアが11月17日など色々な国に「黒猫の日」がありますが、黒猫は不吉と考えられ虐待された歴史があるため、理解を図ろうという理由で制定されたようです。あまりうれしい起源ではありません。
今でも、保護施設にいるネコの多くは黒猫。写真写りが悪い、インスタ映えしないなどと言う身勝手な理由で捨てられることが多いと聞きます。許せないことです。
黒は自然界では目立たず隠れやすい色なので、外敵に襲われることが比較的少なく、穏やかで甘えん坊が多いそうです。今夜も布団の上は「おはぎ」の寝床です。
3年生は給食準備中も質問タイムです。近づくと「国債」についての内容でした。出題されるといいなぁ。
昨日正午に熊本県立高校の出願変更が締め切られ、夕方に後期選抜の出願者数が発表されました。(詳しく知りたい方はリンクリストの「県立高校入試」へお進みください。明日までにはアップされると思います。)
出願変更締切を受け、午前中に受検校へ調査書を提出して中学校が行う受検前の手続きが完了しました。競争率に一喜一憂せず、体調を万全に整えてぎりぎりまで頑張ったら、最後はリラックスして「なんとかなれ~ッ!!」の気持ちで入試に臨みましょう。「ヤーッ!!!」
管理職になって以降、田浦中で平成27年8月の台風15号、平成28年1月の大雪、4月の熊本地震。湯浦中で令和2年7月の豪雨、9月の台風10号(と新型コロナウィルス感染症)。水俣二中でも豪雨や台風、大雪など毎年多くの自然災害に対応してきましたが、その度に防災についての意識と知識、行動レベルを引き上げることの大切さを痛感させられています。
1年生は熊本地方気象台の皆様による防災についての出前講座を行いました。講座では大雨へのいろいろな場面を想定してのワークショップを行いました。「最大の」「最悪の」といった言葉が前につく自然災害が続いています。ぜひご家庭で今日の学びを共有されてください。
私立高校入試や前期選抜などで一足早く進路が内定した3年生が、朝の清掃ボランティアを始めました。自分たちですると決めたとのこと。さすが二中の良い伝統を創る令和6年度3年生です。この後「グーとパーで別れましょ♪」で2グループになり、散らばっていきました。
土曜日にこどもの美術展を見学してきました。その日は100人くらいの参観があったそうです。市内の小中学生の頑張りを見ることができる良い機会でした。二中生の作品を中心に画像を載せました。未見の方は美術展の雰囲気だけでもどうぞ。来年度はぜひ会場へお越しください。
今日は21日に行う3年生福祉体験学習「まちあるき体験」の事前学習です。水俣市中心部の地図を見て、車椅子でどう通るかなどを想像しながらグループ別にコースを決めました。当日はお声掛けをお願いします。
大学3年の頃、『新しい仮面ライダーの主役を募集します』との雑誌広告。全てのライダーの主題歌が歌え、変身ポーズをこなせる私が、ついに新しい仮面ライダー(後の仮面ライダーブラック)になる日がやって来た。
早速、実家の母に言う。「オーディションに行く!」
「ばかなこつば言うな。」母はショッカーよりも強い。
古生物学者になり、恐竜の研究をしたいと思っていた頃や、正義を実行できる職業として検察官になりたいと思っていた頃もあった。その当時は関係の本をとにかく読みあさった。
大学4年の時、出身の高校に教育実習に行かせていただいた。それからは何としてでも先生になりたいと考えるようになった。合格目指して、寝る間を削って勉強した。
教員採用選考の合格内定の通知を受け、小学校1年生から高校3年生まで担任していただいた先生方10名全員に報告の葉書を送った。すると、小2の頃担任をしていただいた金子勲子先生からの返信に…、「作文に学校の先生になりたいと書いていたのを覚えています。夢がかなってよかったね。」
そうだったのか。夢は結構叶うもの。
明治10年の今日、60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日には西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。
最近、大河ドラマを1年通して観たのは『鎌倉殿の13人』(令和4年)、その前は『西郷(せご)どん』(平成30年)と『飛ぶが如く』(平成2年)でした。『飛ぶが如く』放映の時は西合志に勤務していて、社会科の先生たちと田原坂や熊本城を巡りました。その後に異動した人吉でも、1か月余り続いた戦いの跡を巡りました。担任をした生徒の家は、西南戦争の時の官軍の宿舎だったそうで、軍服などが残されていました。人吉では西郷隆盛が宿舎としていた場所の一つである永国寺の近くに住んでいましたが、そのあたりを西郷隆盛が歩いていたかと思うと感動します。林鹿寺境内にある両軍戦死者を供養するための慰霊碑を見ると、筆は勝海舟によるものでした。
鹿児島の加治屋町出身の偉人は教科書に登場するだけでも、西郷隆盛、大久保利通、西郷従道、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛など。『翔ぶが如く』の原作者である司馬遼太郎氏は「いわば明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と述べています。改めて地域の教育力の凄さを感じました。
水俣市内の小・中学生の絵画、工作等の作品を一堂に集めた「第22回水俣こどもの美術展」が開催されます。二中からの作品は力作ぞろいです。土日はご家族皆さんでぜひもやい館へ。(写真は職員室前の作品ギャラリーの様子です。)
期日:2月15日(土)~16日(日)
時間:午前9時~午後5時
会場:もやい館3階ホール
1月31日(金)に第25回環境美化教育優良校等表彰式が開催され、その中で、過去の受賞校へのインタビュー動画が流されました。水俣二中からは私と当時の環境委員長(熊本市役所勤務Fさん)が登場しています。動画は「食品容器環境美化協会」のHPから見ることができます。
インタビューはこのような内容でした。(映像は一部です)
受賞したことによる生徒や先生、地域住民の変化、他校への波及効果は?
本校は平成8・9年度に「郷土の自然を愛し、思いやりのある生徒の育成~水俣に根ざした環境教育の実践~」を主題に、熊本県教育委員会指定の環境教育の研究を行った。その実践の一つとして平成8年度から始めたのが、地域ゴミ分別収集活動である。
これはそれぞれの生徒が住んでいる行政区の地域ゴミ分別収集活動へ参加するもので、その実践はテレビ放送や教科書への掲載、全国的な表彰、新聞への掲載も多く「環境教育の二中」として名を馳せた。
本校の先進的な取組は、新聞・テレビでの紹介、色々な表彰をとおして知れ渡り、他地域の学校からの視察なども多くあった。ただ単にゴミの分別を手伝うだけでなく、コミュニケーションを大事にした取組により、生徒と地域の方との絆が強まった。その取り組みは水俣市内の3中学校にも広がっている。
着任してから、目指す生徒の姿として「深く郷土を愛し、地域社会に貢献する二中生」、先生の姿として「環境教育の二中ブランドの発展に尽力する先生」を示した。教諭・教頭で赴任した時も、今回着任したときも「環境二中」と言うけど、まず身の回りを整える、掃除に一所懸命取り組む、花いっぱいの学校にするなど、さすが「環境二中」と言われる土台作りが大事ではないかと考えた。正門の掃除や闘魂碑周りの整備には教諭の頃から13年間取り組んでいる。
今年は環境教育担当に当時中学2年生だったO先生、1年生だったM先生を充てた。2人とも「環境二中」の思いを強く持ち取組を進めている。毎朝の正門付近の清掃にも取り組んでくれている。生徒が伝統を引き継ぐことはもちろん、指導者の立場で伝統を引き継ぐ人材が育ちとても嬉しく思う。
7日に前期選抜の結果が通知され、今日から後期選抜の願書受付が始まりました。学級には進路が決定した人とこれから受検の人がいます。内定者・合格者の姿で学級の空気が変わります。
過去には内定・合格をもらって以降、ボランティア活動に毎朝取り組んだ先輩たちがいました。自分の得意な教科の先生となって放課後学習会を始めた先輩たちがいました。「友達が合格したのは嬉しいけど、私の定員が減った。」と泣き出した生徒がいました。それぞれにいろんな思いがあります。
入試は柔道・剣道のような団体戦です。先方が勝つとムードは高まりますが、浮かれたりはしないでしょう。引き分けや負けで帰ってきてもくさらず次の選手を応援するでしょう。自分の試合が終わった後でも代表戦に選ばれることを考えて気持ちを切らさないでしょう。最後までみんなが同じ目標に向かって頑張り続けることが大事です。
日本書紀によると初代の神武天皇が即位された日と伝えられているのが旧暦の紀元前660年1月1日、それをグレゴリオ暦(現行の太陽暦)に換算すると2月11日になるそうです。今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。
この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。
その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。
昨年の今日のブログの解答です。歴史的事実として日付が確定している日を記念する日が「記念日」、日付が確定していないけれどそのことを記念する日が「記念の日」です。
昨日、今年度のHP閲覧数が20万回を越えました。すでに昨年度の2倍です。ありがとうございます。着任前の7年8ヶ月間の閲覧数418493回を超えるという目標達成が見えてきました。
今日、県立高校前期選抜の結果が通知されました。ほとんどの生徒にとって最終目標である県立高校の願書受付が始まります。小学校から水俣二中への進学は自分で選びましたが、今回は高校等から選ばれる日がやってきます。学級にも緊張感が漂います。受験票の保管場所は神棚や仏壇が定番のようです。合格に向けて神様、仏様、ご先祖様総動員です。
以前、「受験票を制服のポケットに入れて大事に保管していたものの、違反服だったため、当日は弟の制服を借りていき、ポケットに受験票がなくて大慌てした。」という生徒がいました。集合場所を高校の正門としていたのに、中学校の正門で待っていたという失敗もありました。何が起こるか分かりません。確認、再確認、再々確認。念は念を。
ずっと前に教えた生徒に「昨日(日曜日)は勉強した?」と聞くと、彼は自信を持って「はい、頑張りました!ポケモンを151匹覚えました!」「ピカチュウ、カイリュウ、ヤドラン、ピジョン、コダック、コラッタ、ズバット、ギャロップ…♪」と歌い始めました。
どうも勉強が手につかなくなってしまったようです。なにせ、初めて「選ばれる」経験をするのですから、よくあることです。家族のつかず離れずの支えが大事です。
新入生・在校生とその保護者の皆様へ第2弾、これも【考えんばんたいね】050613の加筆再掲です。
以前、有名回転ずしチェーンで、しょうゆのボトルや湯飲みをなめたり、レーンを流れる商品につばをつけたりする行為をした動画が拡散された事件がありました。その後、運営会社が迷惑行為をした男性を相手に、6700万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしたことが話題になりました。
男性は「反省の日々を送っており、自分や撮影した友人は動画を拡散しておらず、第三者に共有され、拡散されることまでは予想していなかった、客の減少は同業他社との競合によるとも考えられる。」などと言って訴えを退けるよう求めました。このケースは調停が成立し、訴訟が取り下げられましたが、取り下げられなかったなら、6700万円を貯めるには熊本県の最低賃金952円×8時間で1日も休みなく働いて8797日、24年以上かかります。税金や生活費、休みは計算していませんから実際はもっとかかるでしょう。裁判に費やす時間も随分かかります。何より、現在でもネット上には動画が残ったままで、完全になかったことにすることはできません。
これも未成年であった場合、管理責任は保護者ですから、スマホを買い与える(正確には貸し与える)時には徹底したペアレンタルコントロール(保護者による管理)が絶対です。契約は「うちの子もあり得ること」という危機感をもって、ドキドキしながらなさってください。
明日2月9日(日)は「郡市対抗熊日駅伝2025」です。混合レースに刷新されて最初の大会です。熊日新聞に選手名簿が掲載されていますが、ニ中生(と卒業生)がたくさん出場します。8時45分スタート、応援よろしくお願いします。(名前の後は中継点)
1区 女子中学1年区間 釜田沙羅さん 天草陸上競技場スタート〜天草市役所前
2区 男子中学1年区間 上田珠李さん 天草市役所前〜天草とれたて市場前
6区 男子一般・高校区間 中村天茶さん(鹿児島城西) 高戸鮮魚店前〜天草市旧松島庁舎前
8区 女子フリー区間 田上莉子さん 2号橋公園前〜さんばーる前
10区 男子中学フリー区間 野口琉太さん 岩谷入口バス停前〜三角駅前
16区 森山遥斗さん(水俣高)宇土市民会館前〜サンサンうきっ子前
18区 松本博貴さん(熊本工)御幸西交差点前〜上通アーケード前フィニッシュ
補員(ニ中生)
野口蒼斗さん、松本隼人さん、津々木大護さん、渕崎希空さん
補員(卒業生、水俣高)
秋山朝陽さん、谷川稜弥さん、井出下怜良さん
新入生・在校生とその保護者の皆様へ第1弾、【自転車事故の判例】050611の加筆再掲です。
【損害賠償額4043万円】高校生が早朝に赤信号で交差点の横断歩道を走行、出勤途中の男性が運転するオートバイと衝突しました。男性は事故から13日後に頭蓋内損傷で亡くなりました。
【損害賠償額5000万円】高校生が夜間に無灯火で、携帯電話を操作しながら歩行中の女性と衝突しました。女性は手足がしびれる重大な障害が残りました。
【損害賠償額9400万円】夜間に無灯火で自転車に乗っていた男子高校生が、パトカーの追跡から逃げるために時速40km以上で走行し、前方で待ち受けていた警官に追突、転倒した警官は2ヶ月後に死亡しました。男子高校生には、禁錮3年保護観察付き執行猶予5年の判決が下されました。
【損害賠償額9521万円】男子小学生が夜間に自転車で帰宅途中、坂道を走り降りたところで歩行中の女性と正面衝突しました。女性は頭蓋骨骨折などの損傷を負い、意識が戻らない状態となりました。保護者側は少年の運転方法は適切であったということ、保護者は少年に対しライトの点灯およびヘルメットの着用も指導していたと主張しましたが、判決では保護者の指導は十分とは言えないとのことでした。
本人には支払い能力がありませんので、もちろん保護者が支払うことになります。学校では交通ルールを守ること、ヘルメット・タスキを着用すること、ライト点灯、スピードを出し過ぎないことなどの指導をしていますが、あくまでも保護者がすべきことを代行しているだけで、判例でも事故発生の際に責任が問われるのは学校ではなく「保護者」です。しかも「いつも口を酸っぱくして言ってました。」くらいでは指導とは認められない、「本人が確実にできていること」が指導していたとなるようです。もっと厳しく指導しておけばよかったは後の祭りです。
水俣高校の前期(特色)選抜の面接でどんな質問をされたかを受検生に聞いてみました。個人面談で、全学科ほぼ同じ質問内容でした。皆さんなら何と答えますか。(質問は緊張した中の記憶によるものですので、ニュアンスが異なる場合があります。)
・志望動機
・中学校生活で頑張った事、そして身に付けた事
・高校に合格して頑張りたいことは何ですか
・グローバルリーダーになるためにはどんなことが大切か
・高校に入学して頑張りたいことを部活・生徒会・勉強の中から一つ選んで答える
・重要視する国際問題は何か
今朝はずんずん積もらず助かりました。芦北高校の前期(特色)選抜の面接でどんな質問をされたかを受検生に聞いてみました。グループ面談でした。皆さんなら何と答えますか。(質問は緊張した中の記憶によるものですので、ニュアンスが異なる場合があります。)
共通
・志望動機
・中学校生活で一番印象に残っている(興味を持った)こと
・困難を乗り越えるためにあなたならどうするか
・5年後のあなたはどうなっていると思うか
福祉科
・社会に貢献するための福祉の役割
林業科
・あなたが考える林業とは
農業科
・農業科で大事なことは
・クラスで助け合うためにどんなことをするか
緑東中、久木野小、葛渡小が雪により休校となりました。緑東中のY先生から以前、たまにはネコの話をとのリクエストがありましたので。
犬の基礎体温は約38℃~39℃くらい、全身は毛で覆われており熱を逃がしにくく、汗腺も発達していないので体温調節は呼吸でしています。舌を出してハアハア言っていますね。
猫の祖先は約13万年前に中東の砂漠などを生息地としたリビアヤマネコだと考えられています。子猫、老猫、運動嫌いであまり動かない猫は特に寒さに敏感だそうです。
童謡「雪」の2番は「雪やこんこ あられやこんこ 降っても降っても まだ降りやまぬ 犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」と歌われています。間違えやすいですが「こんこん」ではありません。1番は歌えますか?
昨日も随分冷え込みました。「マール」は基本、家から出ませんが、「おはぎ」はどんなに寒くても毎朝のパトロールを欠かしません。朝ごはんを食べた後は、かならず自宅の外回りを一周し、帰ってきたらストーブの前が指定席です。しばらくしたらこたつへ。暗くて、狭くて、暖かい、こたつの中は最高の基地と化していますが、熱中症、低温やけど、脱水、コード噛みによる感電等、注意しないといけないことが結構あります。こたつの隅を開けておくこと、水分の多いご飯をあげることを意識しています。
「雪」の1番は「雪やこんこ あられやこんこ 降っては降っては ずんずん積もる 山も野原も わたぼうしかぶり 枯木残らず 花が咲く」でした。ずんずん積もるはご勘弁を。
今のところ雪はほとんど降っていません。無事に一日が始まりました。
昨日は熊本県立高校の前期(特色)選抜が行われ、二中からも芦北高校と芦北高校の受検に挑戦しました。両校とも面接が実施されましたが、校内で何度も取り組んできたこともあり、しっかり答えることができたそうです。
服装、ドアの開け閉め、礼儀、姿勢、言葉遣い、受け答えの仕方、一つ一つの問いにしっかり考え答えを出すこと等々。毎日の学校生活や授業の中で習慣化していれば何のことはないものです。
余談ですが、数年のうちに全員が就職面接を受けるでしょう。SNSの情報を誰もが簡単に見ることができる時代、今まで何を書き込んできたか、どんな姿であったかバレバレです。その時だけ整えても見抜かれます。
この後も私立高校の一般入試や公立高校後期(学力)選抜が続きます。友達が合格を決めていくと、嬉しい反面、自分は合格できるのだろうかと不安な気持ちが高まる人も出てきます。ここからが団体戦、学級力の見せどころです。
追伸 11:38、3年生教室からレミオロメンの「粉雪(こなゆき)」の大きな歌声が階下の校長室まで聞こえてきました。外は「灰雪(はいゆき:普通の雪)」が舞い散っています。二中は今日も平和です。
大雪の予報が出ています。教頭として田浦中に勤務していた令和28年1月24日を思い出し、しっかり対応したいと思います。画像はその時の田浦中の様子です。皆様もご用心を。
「なぁ~ん、そぎゃんな降らんよ。」前日の天気予報は大雪。台風や大雨は信じるのに、大雪に関してはみんなバイアスがかかっているようです。人吉勤務の頃、吹雪の中の帰宅で大変な思いをしています。津奈木太郎は越えられません。もしもの時の対応のために前日から実家に泊まりました。
24日(日)の天気予報は見事的中、大雪です。大岩出身の母は子どもの頃にはかまくらを作ったこともあるとのことでしたが、「こぎゃん降ったとはいつね。」と聞くと、「田浦に嫁いできた頃。」との答え。50年ぶりの大雪でした。実家に車を置き、施設管理と連絡のため歩いて学校まで行きました。(7分の距離ですが)
雪の中、最初は駐車場に大の字になって跡を写真に撮ったり、先生方にラインで実況報告を行ったりとまだ雪を楽しむ余裕がありました。昼頃は駐車場の雪を定規で測ると24㎝!夕方には30㎝!とつけみにゃー降り方でした。午後には奄美大島で115年ぶり、久米島で39年ぶり、沖縄本島の名護市では観測史上初の初雪を観測しました。夕方まで学校で過ごし、校長に状況報告をして帰宅しました。
25日(月)は臨時休校。雪は降りやみましたが、タイヤチェーンをつけていない車が3号線をふさぎ、全く動くことができない状態。田浦にいるのは校長と私の2人。生徒には今日、私立高校一般入試の受験票を渡す予定でしたが難しく、対象の家庭に私が電話を掛けて対応。担任の西原先生は列車を乗り継ぎ昼頃なんとか出勤、学年主任の椎葉先生と2人で各家庭を回り受験票を渡しました。
また、午後には生徒玄関の水道管が破裂。前年まで田浦中の教頭だった新立先生に来てもらましたが水を止める栓は厚く降り積もった雪の下にあり、位置は分かりませんでした。業者による応急処置をするもそれから1週間の断水。時間断水の地域もありました。
26日(火)の私立高校入試は無事に実施されましたが、小中学校は給食の準備ができず、水も出ないため臨時休校。雪に慣れていない地域の大雪は、やおいかんです。
「牛の角」と「虎のパンツ」、鬼の定番ですが、鬼門が丑寅(うしとら)の方角であることからそのようないでたちになったようです。鬼を倒せるのは、鬼門の逆方向(裏鬼門)にあたる未申(ひつじ・さる)の方角にいる「申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)」となります。未申(ひつじ・さる)の方角なのにひつじが選ばれなかったのは、ツノが鬼のツノに通じるからとか。
鬼を追い払うために投げつけるのが『摩滅(豆・まめ)』ですが、これは魔の芽が出ないように炒ったものを使います。
今日は節分です。節分はもともと、立春・立夏・立秋・立冬という4つの季節の始まりの前日ですが、江戸時代以降に節分と言えば立春の前日を指すようになったようです。
イチローさんが日本のプロ野球とアメリカメジャーリーグの野球殿堂入りをされました。メジャーの野球殿堂入りの時の「1票足りないというのは、凄く良かったと思います。」から始まるコメントが良かったですね。渋沢栄一の「すべて世の中のことは、もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である。」という言葉が浮かびました。
イチローさんの小6の頃のとても有名な作文『ぼくの夢』、いまさらながら紹介します。
「ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるためには練習が必要です。ぼくは、3歳のときから練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが3年生の時から今では、365日中360日は激しい練習をやってます。だから1週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。そして中学、高校と活躍して、高校を卒業してからプロに入団するつもりです。そしてその球団は、中日ドラゴンズか西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です。
ぼくが自信があるのは投手か打撃です。去年の夏、ぼくたちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会NO1選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームラン3本を打ちました。そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得のいく成績でした。そしてぼくたちは、1年間負け知らずで野球が出来ました。だからこの調子でこれからも頑張ります。
そしてぼくが一流の選手になったら、お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも「夢」のひとつです。とにかく1番大きな夢は、プロ野球選手になることです。」
立志式前日、放課後の家庭科室をカシャッ!平日にも関わらず、当日の朝からご協力いただいた保護者のみなさんをカシャッ!
計画、準備、随伴、見守り。たくさんの人に関わっていただいて立志式ができました。Mさんの代表のお礼の言葉は式の中でありましたが、家に帰ってからそれぞれ「ありがとう」が言えたかな?言葉でのお礼はしてもらった人に、行動でのお礼は次の世代に返してくれると嬉しいですね。
芦北教育事務所主催の初任者研修は今回が最後です。二中のNY先生の他、芦北水俣の小中学校の初任者の先生全員が1年間の学びを振り返り発表しました。
1年生は「水俣を知ろう~体験活動を通して、地域の様子と生活について知り、様々なスタイルで発信しよう~」というテーマで総合的な学習の時間に取り組んでいます。
今日の5時間目は、W先生と給食センターのH先生が1年1組で「給食の献立には水俣で作られているものがどれだけ含まれているだろうか。」という探究課題で研究授業を行いました。
先日の朝7時前、LINEの通知が鳴りました。出勤前の連絡は生徒に何かあったか、もしくは私の父母の危篤かと焦ります。開くと某中学校で一緒に仕事をしたH先生からでした。
「朝早くから失礼いたします。昨晩〇〇時〇〇分に娘が誕生しました。夜遅くとなったため、今朝のご連絡となってしまい申し訳ございません。お気にかけていただき、ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。名前は「〇〇〇」と言います。」という内容でした。祝い事で安心しました。
中には赤ちゃんの写真と、赤ちゃんを抱いて舞い上がったHさんの最高の笑顔の画像も添付されていました。知り合いの先生に聞くと、同じように送られてきているようです。
たぶん、朝の学活で生徒に話をしたり、学級通信に載せたりすることが予想されます。もしかしたら赤ちゃんの歌を作ったりしているかもしれません。しばらくは地に足がつかない(私もそうでしたが)状態が続きそうです。
「おめでとう」と送ると「27年間努力してきましたが、イケメンにはなれなかったので、イクメンになれるよう頑張ります。」との返信がありました。何かミスがあると「〇〇高校では習いませんでした。」と母校の名前を挙げていましたが、これからは自主学習で学び続け、成人までの18年間しっかり務めを果たしましょう。
二中生の皆さんも、15・14・13年前はきっとこんな感じだったと思います。
3年生は体育館で福祉体験学習を行いました。実際に交代で車椅子に乗って使い方を学びました。コントロールに苦労したようです。
学校での作業中、スマホがジャージのポケットから滑り落ちました。スマホのガラスフィルムの強さが証明されました。フィルムには全く傷はありません。「フィルム」には。今月の校長室の花の画像を貼って心を落ち着けます。
ショックのため今日はこの辺で。禍は引き受けました。代わりに今週も楽しい二中でありますように。
昨日は二中の立志式でした。
武士にとっては、大人になると言うことは、戦に行くことができると言うことであり、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の息子、主税は12月に元服して戦いに加わり、
「あふ時は かたりつくすとおもへども 別れとなれば のこる言の葉」
毎日顔を合わせていた時には、十分に語り尽くしたと思っていたけれど、いざ別れてもう二度と会うことがないと思うと、まだまだ話したいことがたくさんあったのにと、とても心残りな気持ちになる。という、辞世の句を残して16歳で切腹しています。まさに、元服式は覚悟を決める式であったと言えます。
現代においても、14歳からは刑事処分(長期で15年の懲役刑もありえます。)が可能な年齢となり、社会的責任は一層重くなります。
浄土真宗の開祖、親鸞聖人は9歳の時、剃髪して出家し僧侶となりました。その式を頼んだお寺は、「時間も遅いし明日にしてはどうか」という言葉をかけました。
それに対して、親鸞聖人は
「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
「明日があるという心が仇になって、桜を見ることができないことがある。夜中に嵐が吹かないと言えますか?」という歌を詠まれました。
「明日すればいいだろう」と思い、その機会を逃してしまうということはよくあります。
2年生の皆さん、この立志式を決意の日、具体的な目標、期限を決め動き出す日にしましょう。夢を実現する二中生に期待し、応援しています。
今朝はとても良い天気でした。今日は二中の立志式、朝6時、真っ暗な中に二中を出発して湯の児の海水浴場へ。5㎞、約70分間の徒歩の旅です。
到着後はカップスープとおにぎりの朝ご飯、続いて漢字一文字の決意表明を行いました。
立志式は、もともとは奈良時代に男子が成人を示す儀式として行ったもので、服や髪型を大人のものに改め、冠を付けてもらう「元服式」でした。元は頭(首)、服は着用するを表しており、この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。
二中生の2年生も気持ちが少し大人に向かいました。学年委員の皆様、保護者の皆様、早朝からのご協力ありがとうございました。
今日は新入生・保護者説明会でした。生徒会執行部からの学校生活についての説明をスタートに各担当から学習、部活動、約束事、自転車通学、情報モラルなどの説明を行いました。その後、新入生はリズムジャンプを体験しました。(2年生Yさんの試技に注目しています。)
次の登校は4月4日(金)午後2時からの新入生登校日です。
3年生を対象に、熊本県立劇場に登録している演奏家が、地域の学校に授業の雰囲気で演奏会をする事業(アウトリーチ事業)が行われました。亀子政孝さん(コントラバス)、前田純美加さん(バイオリン・ピアノ)の演奏を楽しみました。
先週から校長による、入試面接の仕上げをしています。想定した質問にはすらすらと答えますが、予想外の質問をすると言葉に詰まったり、固まってしまったりという反応が少なくありません。想定の範囲を広げておくこと、想定を超えた場合でも経験をもとに応用することが大事です。
今日はパソコン室から出火したとの想定で避難訓練を行いました。消防署の方の講評に、移動は早かったが、おしゃべりが聞こえたということがありました。地震や水害については、経験から想定のレベルが引きあがっていますが、火災については大半の人が避難訓練だけが経験です。もしもの時を「想定内」にするために、今がどんな場面でどう動くべきか。訓練は本番のように、本番は訓練のように。
テレビやラジオの放送を視聴された方も多かったのではないでしょうか。天気も良く最高のコースコンディションの中、都道府県対抗男子駅伝競走大会が開催され、熊本県は12位でゴールしました。昨年度の大会であれば4位の好タイムだったそうです。
2区に一中の岩田選手、6区に二中の野口選手、アンカーの7区に旭化成の井川選手と、芦北水俣郡市から3名の選手が出場しました。野口選手は順位を2つ上げる区間12位の活躍。中学校生活の最後の大きなレースに全力を尽くしました。
廣田先生にリヤカーの修理をしていただきました。塗装をして、タイヤと板を替えて、休みの日に時間を取って修理していただきました。廣田先生にとって、二中は定年退職を迎えた思い入れのある学校とのことです。草刈りボランティアなども日頃から大変お世話になっています。私も二中勤務を終えた後はそうありたいと思います。いつもありがとうございます。大切にかつ、ガンガン使わせていただきます。
※「リヤカー」は静岡県富士市青島の望月虎一が発明。サイドカー(隣に位置する車Side + Car)にならい、リヤカー(後部に位置する車(Rear+Car)の意でつけられた和製英語だとか。外国では荷車全般を指すCartと呼ぶようです。
いよいよ明日、12時30分スタートです!本校の野口選手も6区にエントリーされました。
テレビでの放送もあります。応援よろしくお願いします。
第30回都道府県駅伝区間エントリー
1区 椙山
2区 岩田(水俣一中)
3区 鶴川
4区 一ノ瀬
5区 増永
6区 野口(水俣二中)
7区 井川
補欠
楠岡・田中・田尻
職員駐車場の角のヒマラヤザクラが満開です。これは、平成10年度生徒会会長のEさんが、環境水俣市民賞受賞の記念に植樹したものです。毎年今頃が見頃です。3年生より一足早く「サクラ咲く」です。
先日は夜の地震警報に緊張しました。ストーブを消して、上着を着て、熊本地震の経験からすぐにいろいろな対応をするようになりました。すぐに職員LINEで安否確認を行いましたが、被害の返信もなく安心しました。
今日は「防災とボランティアの日」です。きっかけとなったのは阪神・淡路大震災、平成7年(1995)年1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の大地震が発生しました。
特に震源に近い神戸市の市街地の被害は甚大で、犠牲者は6434人にも達し(翌18日の時点では1456人)、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。東日本大震災を経験した今、当時の新聞を今読み返すと「三陸沖、東海も懸念」が特に目に留まります。
ここ100年ということで、新聞の地図には載っていませんが、寛永2(1625)年6月17日には、推定でマグニチュード5.0~6.0の大地震が熊本を襲っています。そのことを熊本の人たちがほとんど知らなかったことが大きな課題でした。歴史はいつまでも語りつなぐことが大事です。
整美環境委員会による朝の清掃ボランティアの様子です。寒い中ご苦労様。お地蔵様の周りもきれいになりました。
今日の3年生の美術は螺鈿蒔絵という教材を使ってのティッシュボックスの作成です。両クラスとも集中し、無言で取り組んでいます。聞こえるのは作業の音だけです。正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶にも負けない出来です。
12日(日)、昭和21(1946)年に始まった県内で最も歴史のある駅伝大会である「第75回熊日三太郎駅伝競走大会」が水俣市役所スタート、芦北町役場田浦支所をゴールとする10区間、40.2kmのコースで開かれました。二中からも多くの選手が参加、水俣市Aチームのアンカーとして二中のTRさんが優勝のゴールテープを切りました。監督であるTRさんのお父さんも区間新記録の走りで、水俣市を9連覇に導きました。(写真は1区の中継所です。)
今日は、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨とした「成人の日」です。とは言っても、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによる1月15日固定の「成人の日」から、ハッピーマンデー制度により、平成11(2000)年から1月の第2月曜日に変更になり、(本来の「15日のある週でない」のは、1995年の1月17日は阪神・淡路大震災の起きた日で、「防災とボランティアの日」となったからだそうです。
現在は18歳成人。大学入試もあるため、前後に「二十歳の集い」を開いている自治体も多いようです。
昨日は水俣市の「二十歳の集い」に参列してきました。一番盛り上がっていたのは、小・中・高でお世話になった先生方からのメッセージ動画でした。参加者の反応に「やっぱり学校の先生はいいなぁ。」とつくづく思います。皆さん、ぜひ学校の先生を志してください。と、宣伝で終わります。
2学期の振り返りと3学期の目標 1年 UJさん
2学期を振り返って反省することは、2分前入室1分前着席です。休み時間に盛り上がりすぎて時計を見ずに入室や着席が遅れることが何回かありました。3学期は、これを改善できるように、周りを見ることを意識し、みんなに声を掛け、休み時間と授業で切り替えられるようにしたいです。
また、2学期頑張ったこととして駅伝があります。夏から行われていた練習では先輩方に負けないように熱心に頑張りました。試走では先輩方がペースメーカーをしてくださり、自己ベストを出すことができました。僕は、駅伝をやって良かったことが2つあります。
1つ目は、自分に自信を持つことです。最初の頃は、自分に自信がなく練習などでうまく走ることができませんでした。ですが、だんだん練習していくうちに自分に自信を持って積極的に走れるようになりました。勉強でも自分に自信を持てるようにコツコツと取り組んでいきたいです。
2つ目は、先輩達と仲を深めることができたことです。3年生とは、残り短い期間なので一日一日を大切にしていきたいです。
3学期は2学期の反省や頑張りを活かしながら過ごすことで、これまでよりも成長した姿で2年生になれるようにしたいです。
生徒会書記 1年 NAさん
皆さん、年が明け今日から3学期が始まります。冬休みが終わったばかりで気持ちが乗らないという人もいるとは思いますが3学期も頑張っていきましょう。
さて、1月からは本格的に新メンバーでの生徒会活動が始まります。僕は生徒会役員として皆さんが充実した学校生活を送れるようにしたいと思っています。
僕は3日間のリーダー研修で、生徒会役員は他の人を支配するようなボスではなく他の人を引っ張りながらも共に活動をしていくリーダーにならなければならないということを学びました。リーダーになるためには自分達が熱心に活動する姿を見せ、皆さんから信頼してもらわないといけません。だから自分達が進んで活動を熱心に取り組みます。
しかし、自分達が頑張るだけでは充実した学校生活は実現できないと思います。皆さんの力が必要です。また、ルールを守ることも必要です。充実した学校生活を送れるように、普段からルールを守り一致団結して行動できる二中生を目指していきましょう。
初めて3年生の担任をしたするFK先生から、受験生へのメッセージです。
明けましておめでとうございます。いよいよ中学校生活最終章が始まりました!皆さんが登校するのは残り38日。悔いのない充実した学校生活を送れるよう、また気持ちを新たに頑張りましょう!
何の努力もしない1日を数字の「1」としましょう。それを1年間、365日繰り返しても成長はしません。1の365乗は1のままです。10000乘しても1のままです。つまり、現状維持を繰り返している限り人間は成長しないということです。
一方、1日に0.01の努力をした人と、0.01サボってしまった人を比べてみましょう。1.01の365乘は、なんと約38になります。0.01の努力を積み重ねれば、大きな大きな成長に繋がるのです。逆に0.99を365乘すると0.03になります。最初に持っていた力はほとんどなくなってしまうということです。ちょっとひと手間を1年間やり続ければ、38倍の成長を手に入れることができます。38倍成長する2025年にしましょう!
とは言っても、努力の仕方がわからない…
そんな声も聞こえてきます。ここで始業式の日に皆さんに話したことがコツとなります。それは、「選択を変えること」です。現在の皆さんは、過去の自分自身の選択の繰り返しでできています。「勉強中にどうしてもスマホを見てしまう…」「朝どうしても起きられない…」等、人には考え方や行動、選択にそれぞれクセがあります。選択のクセを変えるためには違和感を受け入れ、意識的に行っていくことが大切です。例えば、「休憩したいけど、あと15分頑張ってみよう」「目覚まし時計を布団からちょっと遠い位置に置いて、目が覚めたらまず布団を出よう」などです。意識次第で皆さんはどこまででも成長できます。最初は失敗しても、三日坊主でも構いません。まずやってみましょう!
天皇杯第30回全国男子駅伝の選手候補である水俣二中のNさんと、水俣一中のIさんが高岡水俣市長を表敬訪問しました。
本校、Nさんは黙々と練習に取り組むばかりでなく、選手のリーダーとして郡市駅伝競走大会3連覇、県駅伝競走大会3年連続入賞の立役者となりました。
また、個人でもデッドヒートの末、県駅伝1区区間賞を勝ち取りました。二中にとっては、のちに箱根駅伝でも活躍した平成19年の倉田翔平選手以来の1区区間1位でした。
水俣市から都道府県対抗駅伝の男子選手が選ばれたのは初めての事。しかも2名選ばれるという快挙を成し遂げたのも、2人を切磋琢磨させ鍛えていただいたおかげです。Nくんは予選会でスタートから150m付近で転倒して最下位になり「終わった。」と思ったそうですが、それから歯を食いしばり3位入賞することができました。今日の表敬訪問でも「速い選手ではなく、強い選手になりたい。」と語っていました。それもクラブチーム「フィオーレAC」の田上様のご指導のおかげです。大変お世話になりました。
候補選手3名の内、走るのは2名。今年は旭化成の井川龍人選手、青山学院大の鶴川正也選手も熊本県代表としてエントリーされ、上位入賞の期待がかかります。広島を走ることになりましたら、熊本県を背負い、水俣市を背負い活躍してくれるものと期待しています。応援よろしくお願いします。
3学期が始まりました。まずは新生徒会役員の委嘱式と旧生徒会役員への感謝状贈呈式からスタートです。S会長を中心とした旧生徒会役員の皆さん。ご苦労様でした。
3年生の皆さん、中学校生活最後の学期が始まりました。3年生担任の2人は冬休みも一日中パソコンに向かい入試の出願書類を作っていました。3年部を中心にしたすべての先生で、4度の点検を重ね、朱書きの修正が入って私まで届きます。最後にみんなを合格させたいという思いがこもった、紙一枚の重みを感じながら、この文書については自分がすべての責任をとるという覚悟で校長印を押しています。皆さんも、仕事だから当たり前ではないたくさんの人の願いと重みを心に留めて最後まで努力を重ねてください。
さて、今日から卒業式まで2ヶ月。そのうち登校日数は41日、実際は入試等でもっと少ない人もいるでしょう。
「出会いは偶然、別れは必然」という言葉がありますが、ほとんどの人にとって保育園や幼稚園、小学校、中学校を一緒に過ごした仲間との、初めての別れの時が迫っています。卒業式が最後に会う日になる仲間もいるかもしれません。私も実際、中学校の卒業式以来一度も会っていない同級生がたくさいます。
朝、教室に入る時、大きな声でみんなと挨拶を交わしましょう。夕方、教室を出る時、大きな声でみんなと挨拶を交わしましょう。たくさんの同級生と話をしましょう。友達の顔を見回してください。誤解したままの別れとならないよう、人との関りを密にして一日一日を大切に過ごしましょう。
歯の痛みと腹の痛みは大人でも我慢できないと言います。土曜日の夜に、少し奥歯が痛み始めました。日曜日の夜、激痛に変わりました。鎮痛剤が切れては起きる夜でした。月曜日はもともと定期検診のため休みを取っていたので、まずは循環器科に行き血圧測定、歯の痛みのため普段より40も高くなっていました。
そのあとすぐに歯科医に移動。今年は9連休の年末年始、病院も休みだったため予約が集中しています。空いているのは5時。9時から5時は思考力ゼロ。鎮痛剤も効かない地獄の痛みの中、時計を眺めて過ごしました。
診察の結果、最近の感染を押さえる薬と胃腸薬、鎮痛剤を処方されました。腫れが引くのを見てまた後日診察です。昨夜も残りの鎮痛剤の数をにらみながらの生活です。朝6時頃に飲んだ鎮痛剤の効果がそろそろ切れ始めました。痛みが戻ってきています。この後は激痛が待っています。気合で今日のブログを書きあげたら思考力ゼロの時間に入ります。午後からは休みを取ることにしました。始業式のあいさつを早く書き上げていて良かった。「早し良し」です。
ご飯も湯豆腐とヨーグルトの生活が続いています。飽きたので今日のお昼ご飯には黄色い缶の『栄養友だち』を準備しました。
ここからが大事な話です。「受験生の皆さん、歯の治療はお早めに。」
「緊張感を持ちましょう」は「緊張しましょう」ということではありません。
3年担任をしていた時に、三者面談で「〇〇高校に合格できるでしょうか?」と聞かれることが良くありました。私の回答は「過去のデータからは合格の可能性が高い(厳しい)ですが、実際は受験してみないと分かりません。」です。なぜなら、合否を決めるのは私達ではなく高校の側だからです。面談の後、気合を入れ直して一気に伸びる生徒もいます。
試験当日、腹痛・頭痛・歯痛などで実力がでないことがあるかもしれません。
大雪で電車が動かなかったことがありました。
高校の教室には時計がないため、腕時計を忘れて、試験の残り時間が分からなかったという生徒もいました。
学校に上履きを忘れ、動物スリッパで入試会場に入った生徒がいました。
高校の正門集合を確認したのに、中学校の正門に待っていた生徒もいました。何とか入試にはギリギリ間に合いましたが、ドキドキしてしまい実力が発揮できませんでした。
数学はとてもできたのに、なぜか入試では2×3=8とやってしまい、大問10点をまるまる落としてしまった生徒がいました。
高校から「ぜひ、受けさせてください。」と言われたにもかかわらず、不合格となった生徒も少なくありません。考えると当たり前ですが「受けさせてください。」は「合格させます。」ではありません。
何度も「この生徒が欲しい」と来られたけれども、成績を確認して、あきらめて帰られたこともありました。
以前は推薦入試を受ける生徒の提出書類の中に「中学校生活で一度も生徒指導を受けたことのないこと」の証明書があった学校もありました。ここまで求められるのかと思いましたが、確かに基本的には地元の学校に進む中学校と違い、高校は入学者数の減少など存続にかかわることですね。
特に、前期選抜や推薦入試を考えている皆さんは、中学校の名前を背負って受験します。志望校が欲しがる生徒かどうか、自分を見つめ直してみましょう。特に「推薦」は、この人物については出身中学校長が責任を持ちます。という意味だということをお忘れなく。
12月27日(金)朝6時出発、2年生のYY先生とYS先生の2人が立志式の下見に行ってきました。前の週の同じ時刻には、学年委員の皆さんも下見で歩かれたそうです。途中、イノシシやムジナなどの野生動物に出くわすこともなく、立志式と同じコースを歩き湯の児海水浴場に到着しました。とんとん峠を過ぎた付近から明るくなってきたとのことです。当日も延々と上り坂が続くとんとん峠が勝負です。鍛えておきましょう。
危険個所やトイレ、立志式の場所などの確認を終え、7時20分には帰途につきました。車に乗せて帰ろうとすると、YY先生は「8時に部活の生徒が来るから。」と言い残し、走って二中に向かいました。(と、ブログを書いていると「お世話になりました。」との声、7時50分には学校に到着しました。速い!)
2年生代表 Y.Kさん
私が2学期に一番頑張ったことは合唱コンクールです。合唱の練習をはじめたときは、全然まとまりがなく、私自身も声を出すのが少し恥ずかしいと思っていました。しかし、ほかのクラスに負けたくないという思いでみんなに声かけをすることにしました。「やろう!」と言ったらついてきてくれて、嬉しかったです。
合唱コンクール当日は、1年生、2年2組が先に歌い、とても上手だったので、負けてしまうかもしれないと思ったので、私たちが歌う前にアルト全員で手をつないで「私たちならいける!」と言ってステージに上がりました。指揮者が緊張をほぐしてくれたこともあり、練習以上の合唱をすることができました。
私は一人で何かをするよりもみんなで協力してすることが好きなので、パート練習や合唱練習がとても楽しかったです。みんなで協力できたから優良賞を取ることができたのだと思います。来年は今の3年生を超えられるように頑張ります。
3学期はいよいよ3年生に上がる準備をする期間になります。3年生になるとすべての行事が「中学校最後」になります。全力で頑張れるための準備をしていきたいです。また、苦手な学習にも力を入れて、進路にも目を向けていきたいと思います。
干支にちなみ、蛇の入った故事成語を一つ。
中国の春秋戦国時代の楚国のこつ。召し使いどんに司祭者が祝いの酒ばくんなった。ばってんもろた酒は、ちのじ飲むしこはなか。一人で飲むならちょうどよかしこはある。こらやおいかんばい。召し使いたちは、みんなで酒ば分くっとにゃどぎゃんすればよかか考えた。
いっときして、一人が「みんなでじだ(地面)に蛇の絵ばきゃー(描)て、一番に蛇の絵ばよかごつきゃーたもんが飲んでしもてよかこつにすればどぎゃん」と言った。他の召し使いたちは「そらよかばい」ちゆーて、どるもこるも、じだにびっしゃがって蛇の絵ば描きだたゃ。
そん中ん一人がすぐに描いてしもて、酒瓶ば握った。ばってん、ほかんやっどんば見れば、まだだーんも絵ば描きあげちゃおらん。男はしこって、酒ば持ったまま、片手で蛇の絵に足ば描いてしもた。
2番目に描いてしもた男は、「こぎゃん蛇のおるもんか。蛇にゃ足はなかっぞ。最初に蛇ば描いたたおっ(俺)たい。」て言うて、男から酒ば取って飲みあげっしもた。
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