令和8年度生徒会スローガン
令和8年度 年間行事予定(R8.9.4変更).pdf ※変更になる場合があります。
学校だより 第6号.pdf NEW
「くまなびの日」を取得する場合は、7日前までに取得届を提出してください。
令和8年度生徒会スローガン
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休みの日は5回連続で昔話です。私が過ごした昭和の田浦中はこんな時代でした。1年2組担任のM先生が通っていた平成終わりの田浦中とはずいぶん違うはずです。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
入学式は昭和53年4月10日(月)、新入生は137人でした。
男子は校則で丸刈り。入学直前に刈るのは恥ずかしいということで、ほとんどが小5の夏休みには丸刈りにしていました。田浦中学校の校則改正(長髪可)は平成7年からです。
小学生にとって中学校は未知の世界。田浦小・小田浦小・海浦小・井牟田小の4校から知らない生徒が集まるし、先輩との上下関係は厳しいし、すぐに体育館や部室の裏に呼ばれるらしいとのウワサ(事実)があるし、今のように小中のなめらかな連結を図る取組もなく。私自身も長男で中学校の情報は全くなく、緊張感は今の6年生の比ではありませんでした。
担任は柔道部顧問の太田先生、私は中学入学時の身長が172㎝と大きかったので、帰りの会後に教室を出る時、毎回のように「柔道部に入らんか。」と勧誘されました。県トップの実力がある柔道部です。どう逃げるかが私のチャレンジでした。
担任の太田先生は球磨教育事務所の管理主事をされていたので、私が人吉三中勤務の時の学校訪問等で大変お世話になりました。同級生は「太田先生から良く怒られた。」と言いますが、大人になってから指導を受けたのは私くらいです。
2年生は走り幅跳びの授業です。目指すは男子走り幅跳びの世界記録、マイク・パウエルの8m95cm(1991年)です。助走前にみんなから手拍子をもらい気合が入ります。友達からは「二中のブログに載るぞ~。」と声援が飛びます。踏切ばっちり!ジャ~ンプ!後ろに倒れ、着地失敗!距離は出たのに~。今日も楽しい体育の授業です。
今日は熊本県立高校の合格者発表日です。インターネットによる合否照会サイトでの発表ですので、下の「合否照会の手引き」をご参照ください。なお、各高等学校のホームページでの発表はありません。
アインシュタインが授業中に9×1=9、9×2=18と黒板に計算を続けました。そして9×9=81の次に9×10=91と書くと、学生は笑いました。
アインシュタインは言いました。「9×1から9×9まで正しく解いたのに、誰もそれをほめなかった。しかし、9×10のたった一つの間違いにみんな笑った。」「間違いは挑戦の一部で、間違えないのは挑戦しない人だけだ。」
今日が新たな生活のスタートです。失敗を恐れずチャレンジしましょう。
平成23年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。震災による死者・行方不明者は1万8428人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4893戸が公式に確認されています。日本国内で自然災害により1万人を越える死者・行方不明者が出たのは、戦後初めて(明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模)です。
平成23年、当時の宮本勝彬水俣市長は、公式確認から55年を迎える水俣病の経験を踏まえて、水俣病被害者や水俣市民が差別や偏見を受け、風評被害による様々な影響があったこと、原発事故で起こっている問題は、水俣病と重なる部分が極めて多いことなど、震災による原子力発電所の事故を受け、避難者への差別や偏見をやめるよう呼び掛ける緊急メッセージを市のホームページに掲載されました。
震災後、福島県出身の水俣一中の保護者の思いがきっかけとなって、福島県と水俣市の中学生の交流事業が始まり、数年に渡って継続されました。
私は、平成25年11月に福島県で開かれた事前学習会に水俣市の教頭を代表して参加し、福島県の中学生に水俣二中の環境教育の取組について講話を行いました。前日に仙台空港に着きました。タクシーの運転手さんは「私は、今は他県からのお客さんに語ることで、やっと心を落ち着かせることができている。」と話されていました。
閖上浜に着くと、他県在住の閖上地域出身の方に出会いました。やっとここに来る決意をしたそうです。「自分が知っている風景が何もない。」と涙を流されていました。
帰熊の日は楽天イーグルス初優勝パレードでした。前日の懇親会で福島県のPTA役員さんは、スポーツが元気をくれるということを強く語られていました。
先生方のメッセージの最終回です。みんなから愛された卒業生でした。
学年主任YY先生:3年前、みなさんとともに二中に赴任しました。真新しい、少し大きめの制服を着て入学してきた姿が昨日のように思い出されます。「どんな姿で卒業していくのかな?」そんな思いでみなさんとの二中での生活がスタートしました。
3年間を共に過ごし、日々成長していく姿にいつも感心させられていました。素敵な時間を本当にありがとうございました。これからのみんなの輝く未来をこれからも応援しています。
進路指導主事MY先生:3年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。3年前、私も皆さんの入学と一緒に(2回目の)水俣二中に来ました。今年度は、よりみなさんの近くで過ごさせていただき、とても嬉しかったです。またぐんぐん成長していく姿に大きな可能性を感じさせていただいた1年間でした。
さて、サン・テグジュペリの星の王子さまの中に「本当に大切なものは目に見えないんだよ。」という言葉があり、私は小学生の時にこの言葉と出合いました。今、この歳になり、みなさんに伝えたい「目に見えない大切なもの」は「あ・愛、い・命、う・運、え・縁、お・恩」です。これからも自分や周りの方々の命や見えないものも大切に、しなやかにたくましく、感謝の思いで豊かに生きていってくれることを願っています。
副担任FT先生:どんな人にも生まれてきた理由があり、生きていく上で誰かや何かに必要とされているものです。これからの未知の人生は失敗の繰り返しだと思います。ただ、失敗には成長につながるヒントが必ずあります。失敗して諦めてしまえば失敗のまま、しかし、そこで得たものを次に生かしていけば、失敗は失敗ではなくなります。これまでの9年間はその失敗を成功に変えるための布石です。失敗を成功へと導くすべを得た今、あなたは将来を見据え、その土台にどんなものをどんな形で積み上げていきますか…。それがあなたのこれからの人生です。
これからの人生、理想からの“引き算”ではなく、現状からの“足し算”で常にポジティブな気持ちを前面に出しながら止まることなく歩み続けてください。皆さんの前途に期待します。
昨日は、二中の伝統を継承する良い卒業式でした。最後の学活も心に残りました。先生方のメッセージの2回目です。
大成1組担任OS先生:二中の先輩として、皆さんへメッセージです。これから自分で立ち、自分で選ぶ世界へ歩み始めます。道を進みだすことで、新たな世界、同じ夢を持つ仲間と出会います。楽しい日々です。
しかし迷い、不安で立ち止まってしまう壁もあります。その壁は乗り越えることで強くなります。ですがすべてを無理に越える必要はありません。大切なのは、自分を大切にすること。主役は自分。自分らしく、自分の歩幅で歩んでください。皆さんの未来がこれからも明るく輝けますように! アンパンマンは君さ。
大成2組担任MN先生:皆さんとは1年間でしたが、家庭科の授業や大成学級の祖担任として関わらせてもらいました。欲を言うと、もっと授業をしたかったですね。保育園実習や調理実習では意外な一面を見ることができました。授業以外でも、暑い中汗だくで畑を耕していたり、体育大会のパネルはもちろん美術作品のレベルの高さに驚かされたり、とても個性豊かな3年生でした。そんな3年生に出会えて感謝の気持ちでいっぱいです。これから皆さんには多くの出会いが待っています。その一つ一つの出会いを大切にしていってください。
第15回卒業証書授与式を終えました。二中生らしい服装、礼儀、返事、そして合唱。在校生に道を示す素晴らしい卒業式でした。3年生の先生方からのメッセージです。
1組担任FY先生:みなさんとは、2年前に一緒に水俣二中に来て、入学式に一緒に入場しましたね。その時の事を本当に最近のように思い出します。あれから約3年。卒業式も一緒に入場できるとは思っていませんでした。あなたたちと過ごした3年間は本当に濃厚でした。
水俣二中に入学して、初めてを一緒に共有し、共に成長してきたような気がします。3年生になり、大人になった皆さんと接していく中で、新たな一面や、良さにたくさん気づくことができました。
さて、いよいよ4月からは高校生ですね。これまで支えてくれた人に感謝することを忘れず、自分の目標に向かって進んでいってください。そして悩んだり、困ったりしたことがあったら、いつでも大人を頼ることを忘れないでください。応援しています。
2組担任HK先生:人に何かを与えられる人間になりたい、そう思って教員になり、皆さんに一つでも多くのものを残そうと今日まで頑張ってきました。しかし、思い返してみれば、逆に皆さんから多くのものを与えてもらった3年間でした。皆さんと過ごした時間は、私にとって一生の宝物です。本当にありがとうございました。
これから先、それぞれの道を歩んでいく中で、うまくいかないこともあるかもしれません。そんなときは、理想を思い描き、思い切って行動に移してみてください。行動に移してしまえば、世の中の大抵のことは何とかなりますよ。皆さんが、それぞれの道で輝けますように。
多くの皆様から卒業生に心温まるご祝詞をいただきました。ありがとうございます。ご祝詞は式場の後方に掲示しております。
7年後くらいに学校給食生活に戻る人がいてくれたら嬉しいです。昨日が3年生最後の給食、メニューは「牛乳・きなこ揚げパン・春雨タンタン麺・ツナサラダ・お祝いイチゴゼリー」でした。ちなみに、卒業生の中学校生活最初の給食のメニューは何だったでしょう?答えはHPブログ【いただきます!】050412で見ることができます。
確認ついでに過去の二中ブログ(「学校だより」のコーナーからが簡単です。)を読み返してみてください。今夜は仲間と過ごした3年間を家族で振り返り、明日の卒業式に臨みましょう。
今日の午前中は修了式と同窓会入会式、3年生練習、全体練習を行いました。入会式ではTくんが卒業生を代表して、同窓会会長の榮永德博様に誓いの言葉を述べました。
午後からは1・2年生で式場準備を行いました。3年生教室の後方には1・2組の学級目標が残っていました。達成できたかな。
昼12時に後期選抜が終わりました。Mくんが「終わりました~。」と報告にやってきました。社会科の出来には自信があるそうです。
明日は同窓会入会式、修了式、卒業式練習を行います。
クラスで「小さいころは何になりたかった?」と聞くと「アンパンマン」、「プリキュア」「仮面ライダー」などの答えが返ってきます。
小学生のころは?と聞くと「ケーキ屋さん」「消防士」「警察官」などなど多彩です。
では今は?一番多い答えは「まだわかりません。」です。
卒業式を前に、NBAのスーパースターであったマジックジョンソン氏がアフリカ系アメリカ人の子どもたちへ宛てた手紙の一部を紹介します。
~卒業式を夢へ向かっての努力を始める日にしてほしい。「君には無理だよ。」と言う人のことを、聞いてはいけない。もし、自分で何かを成し遂げたかったら…。できなかったとき、他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。
~中略~
君の夢が何であれ、その夢に向かってあがいていくんだ。なぜなら君は幸せになるために生まれてきたのだから。~
※入学式後の学級写真
今日は後期選抜1日目、国語・理科・英語の学力検査が行われました。県立高校の前期選抜や私立の推薦・専願などで進路が内定している3年生は今日明日の2日間、学校の隅々の掃除、卒業文集の製本に頑張ります。私も草刈りに励みます。
今日の3・4時間目は卒業式の練習を行いました。1組最初のIさんと2組最後のYさんは、他の卒業生とは証書授与の動きが異なります。緊張感を持って練習に臨んでいました。写真は唱歌の練習です。
明日から後期選抜です。帰宅して準備を済ませたら、国・数・英のポイントを振り返り、夕食・入浴・早寝・早起き・朝ごはん、体調万全で入試に臨みましょう。
38年間で経験した、受験生の「しまった!」例です。
①高校正門集合だったが、中学校の正門で待っていた。
②弟の制服を借りていったため、ポケットに入れていた受験票を忘れた。
③上履きを中学校に忘れ、自宅の動物の顔が付いたスリッパで受検した。
④時計を忘れて、検査の残り時間が分からなかった。
⑤会場に分度器を持ち込んで預かられた。
⑥「合格祈願」と書かれた金色の鉛筆を預かられた。
準備は念には念を。なお、時計とは言ってもスマートウォッチは持ち込み禁止です。
3年生は中学校生活最後の週に入りました。3日(火)が入試事前指導、4日(水)・5日(木)が入試、6日(金)が同窓会入会式・修了式、8日(日)が卒業式。昨年より入試後の登校が1日少なく、登校日は多い人で6日です。友達との関りを大切にして一日一日を過ごしましょう。
3年間を数字に直すと…。心臓が動いた回数は約1億1千万回、眠っていた時間は約1年間。保健室前の掲示「見えない3年間」が楽しく仕上がっています。話を聞いてもらった人も多いと思います。掲示作成者のO養護教諭が生徒や先生、周りの人を笑顔にした日数は在職2年間で730日でした。
※桜の枚数を数えてみてください。何かと関係があるそうです。
26日のこと。まずは氏名書きをお願いした湯浦中のY先生の書にしばし見とれて確認作業開始。卒業証書と卒業台帳を照らし合わせ、間違いやすい感じは「たつさき」「だいさき」、「さむらいにくち」「つちにくち」と声に出し、自動車学校のように指差し確認です。「〇〇くんの誕生日は私(M先生)とF先生と一緒ですね。」楽しい発見もあります。
時間を掛けて点検完了。証書番号、名前、誕生日に間違いなし。さすが魔法使いのY先生。ありがとうございました。
今日の午前中は熊本県立水俣高等学校の卒業証書授与式に参列してきました。先日、お父さんから教育学部への進路決定の連絡を頂いた、湯浦中校長時代の生徒にも会えました。別の高校出身の生徒も教育学部への進路が決定したという事で、湯浦中3年時の担任はとても喜んでいました。二中生の皆さん、ぜひ学校の先生になることを進路目標の一つにしてください。一緒に仕事をしましょう。
髙木校長先生からは式辞の中でスティーブ・ジョブズ氏(Appleの共同創業者の一人)のスタンフォード大学の卒業式でのスピーチから「先を読んで点と点をつなぐことはできない。後から振り返って点と点をつなぐことができる。点と点がいつかつながると信じることで、自分の心に従う自信が生まれ、大きな違いをもたらす。」という言葉が贈られました。前述の生徒も、中学3年時の担任との出会いが一つの点になったのではないかと思います。
卒業生の皆様のご活躍を二中職員一同、心よりお祈り申し上げます。
今年は修学旅行中で節分について触れていませんでした。今年度、水俣二中は給食センターの栄養士の先生の協力を仰ぎながら食育にも力を入れました。今更ですが食育の一環で鬼退治のアイテム、「魔を滅っする」豆に関する問題です。
問1:豆のしぼり汁を型に流し込んで(箱に納めて)作る食べ物は何でしょう?
問2:豆を発酵させて(腐らせて)作る食べ物は何でしょう。
このような聞き方をされると少し混乱します。豆腐が納豆で、納豆が豆腐?名前が入れ替わったのでは?などと考えてしまいます。
豆腐は中国から伝わった食べ物、腐は柔らかい食べ物と言うような意味で、豆を加工して柔らかくしたものが「豆腐」。納豆は日本でつくられた食べ物で、豆を納所に置いて発酵させてつくったものが「納豆」だそうです。
ちなみに、3月の給食の豆製品使用回数は「11/14」です。2月も今日で終わりです。今月も休みなく書けました。残り31日、ねばります。
今日は2年生のPTA学年行事「立志式」を行いました。「朝6時15分に二中を出発、今月オープンした某ハンバーガーチェーン店を横目に見ながらエコパークまで徒歩で移動。7時半から潮騒広場の恋路島を望むハート型のモニュメントがある護岸で式典、記念写真撮影。」の予定でしたが、昨日正午の時点で降水確率70%、インフルエンザ流行中でもあるため濡れながらの移動は困難と判断して式典を二中体育館に変更しました。予報が当たり今朝5時に起きた時にはもう雨が降っていました。
式典では大切にしたい言葉を書いた色紙を手に、一人一人がステージ上で決意表明を行いました。
その後はスクールバスで水俣病資料館へ移動して見学と語り部講話。充実した内容の立志式を終え、また一歩成長しました。
2年生が明日行う立志式は、もともとは奈良時代に男子が成人を示す儀式として行ったもので、氏神の社前で服や髪型を大人のものに改め、冠を付けてもらう「元服式」でした。元は頭(首)、服は着用することを表しており、この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。
こうした儀式は室町時代以降に民間にも普及しましたが、年齢には決まりがなく、5〜6歳から20歳程度までと幅広かったそうです。また江戸時代からは女子の場合も男子同様に元服と称し、18〜20歳位の年齢で、または結婚と同時に行なわれるようになりました。
当時は大人になると言うことは、戦に行くことができると言うことであり、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の息子、大石主税(ちから)は12月に元服して仇討ちに加わり、
「あふ時は かたりつくすとおもへども 別れとなれば のこる言の葉」
毎日顔を合わせていた時には、十分に語り尽くしたと思っていたけれど、いざ別れてもう二度と会うことがないと思うと、まだまだ話したいことがたくさんあったのにと、とても心残りな気持ちになる。という、辞世の句(切腹する前に詠む俳句)を残して16歳で切腹しています。まさに、元服式は覚悟を決める式であったと言えます。
現代においても、法的には13歳までは刑事責任年齢に達していないため、刑罰(保護処分までです。)は受けませんが、14歳からは刑事処分(長期で15年の懲役刑もありえます。)が可能な年齢となり、社会的責任は一層重くなります。2年生の皆さん、いつまでも子供ではないということを自覚しなさいという式です。
2年生は大切にしたい言葉を色紙に書き入れ、立志式の準備を終えました。手本はタブレットに表示して何度も練習。今どきです。
放課後は火災からの避難訓練を行いました。水俣芦北広域行政事務組合消防本部の消防年報によると火災発生件数は令和5年・6年が23件(16日に1件)、今年もすでに1件が発生しています。帰宅したら、火災の原因となるものはないか確認して取り除くまでが避難訓練です。
今日の午後は学校運営協議会を開きました。今回は学力向上の取組説明、授業参観に加え、生徒会執行部との懇談の時間を設けました。3グループに分かれてサイコロトークで場を温めた後に、生徒会執行部からは次年度の二中をどのように高めていくか、協議会の皆様からはどのような協力ができるかなどについて意見を交換しました。生徒の「湯の児の海水浴場で本当のビーチバレーボール大会をしたい。」という提案に、鹿島学校運営協議会会長(水俣市VB協会会長)は「そら協力する!」と即答されました。
明治は11月3日、大正は8月31日、昭和は4月29日、平成は12月23日、今日は天皇誕生日です。天皇誕生日にはこのような行事が行われます。
天皇の住居である皇居内の宮中での祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀。
伊勢神宮を始め、各地の神道神社での天長祭。
海上自衛隊の基地・一般港湾等に停泊している自衛艦での満艦飾。
外国駐在の日本大使館等の在外公館でのナショナルデーレセプション。(別日)
ニュース番組で放送される、天皇皇后両陛下が長和殿ベランダにお出ましになる予定時刻は、第1回が午前10時20分頃、第2回が午前11時頃、第3回が午前11時40分頃。詳しい内容は宮内庁のHPの「天皇誕生日一般参賀要領」で見ることができます。
12月のPTA表彰式の際、黄色いバスの車窓から皇居の周辺だけながめてきました。一般参賀の参入門となる二重橋が見えました。
今日は猫の日なのでおまけです。平成30年から令和2年の田浦中校長時代に書いたHPブログの猫についての話をまとめた「ねこのいるくらし」です。
今日「2月22日」は「にゃんにゃんにゃん」で「ネコの日」です。仕方ないのでネコの話を書きます。(後ほどもう1本アップします。)
夏目漱石の「吾輩は猫である」のモデルは、漱石の家に迷い込んできたトラ模様混じりのグレーがかった黒い子猫で「猫」という名前であったとか。亡くなった時は大変悲しみ、門下生に「皆さんご存じの猫が、長く病気のところ、療養の効果もなく、昨夜いつの間にか裏の納屋のヘッツイ(かまど)の上で亡くなりました。 埋葬の儀は車屋をたのみ蜜柑箱へ入れて裏の庭先で行いました。ただし私は「三四郎」を執筆中につき、御会葬にはご遠慮いたします。以上 九月十四日」という死亡通知書を出しました。
江戸時代末期の浮世絵師「歌川国芳」は、「其まま地口 猫飼好五十三疋(みゃうかいこうごじゅうさんびき)」を描いていています。この作品は日本橋から京都までの「東海道五十三次」の宿駅を「地口(じぐち)」というダジャレのようなものを使って表しています。出発点は猫が二本の鰹節をかじる絵が描かれていて、二本出汁(だし)…日本橋という具合です。
昨日、後期選抜の出願変更状況が発表されましたのでご確認ください。
昨日、長崎県の島原市立島原第三中学校の2名の先生が、水俣二中の研究発表や環境教育についての視察に来校されました。
水俣二中の研究やPTA活動についてはHPの「水俣二中の教育」「PTA」のコーナーに整理していますので、取組に関心のある他校の皆様やPTAの皆様もぜひご来校ください。
水俣高校は今年度の教育スローガンを「探究する力を育み、主体的な学びで夢(願い)を実現する生徒の育成」として探究活動に取り組まれています。今日は探究活動の校内成果発表会です。私は48のテーマから「湯の児海岸周辺の海洋生物の生態系」、「水俣の魅力を映す宿 海と夕やけ~若い世代の心をつかむには~」などの4つを選び参観しました。
明日は「Stanford-e-Minamata」の閉校式です。25名の受講生が8月2日(土)の開講式からスタンフォード大学の専任講師の先生とゲストスピーカーによるオールイングリッシュによるオンライン講座を11回受講。昨年10月にはゲイリー・ムカイ博士が来校され、グローバル人材に必要な資質を8つの要点に絞った講義が実施されました。探究活動の充実、「Stanford-e-Minamata」、「建設DX推進プロジェクト」、「Wood Connect Project(WCP)」、カヌー部の全国大会での成果などなど、水俣高校は生徒の夢(願い)を実現できる学校ですね。
また、今日の放課後は生徒会主催の集会を行いました。執行部・学級委員会がアンケートによる二中生の実態の振り返り、給食委員会がクイズ形式での給食や給食センターの取り組みの紹介を行いました。こちらも2年生にバトンタッチです。
各専門委員会の委員長も決定し、新生徒会の活動が本格化しました。通称「ぐるぐる」、30年近く続く伝統です。闘魂碑周辺の整美は執行部の役割です。来校者を迎える最初の場所です。気持ちよく入ってもらえるよう巧の技を磨きます。
水俣高校の学校運営協議会に出席してきました。今回は高校の学校評価の説明の他に生徒発表もありました。私は二中卒業生のMくんのチームの「僕らの地元が誇る海~水俣の水銀調査から~」という発表を見ました。自分たちで釣った魚の骨格筋とヒレを冷凍保存して水銀濃度を測定して検証を行いました。発表画像をモスクワのY先生に送ったところ「〇〇〇〇ですね!大人になっていますね。」という返信がありました。じゃっです。想像以上に大人になっていました。
昨日は、生徒3人とO先生で、防水シートが破れて水が抜けていた大成教室前の池の埋め戻し作業を行いました。計画では来年度に教室棟と特別教室等の間、再来年度に特別教室棟塩浜グラウンド側の壁面工事が行われる予定ですので、金魚とメダカたちは水槽で仮住まいです。
後期(一般)選抜出願者数が発表されました。競争率に一喜一憂せず、夢実現に向けて頑張りましょう。
令和8年度(2026年度)熊本県公立高等学校入学者選抜における後期(一般)選抜出願者数.pdf
3年生の日常生活。給食も残り10回。前を向いて黙って食べる時代だったねと振り返る日も来るでしょう。給食が済んだら、今日は3年生の体育館使用日です。バドミントンとバスケットボールでストレス発散です。
イシシとノシシとは?熊本県出身の原ゆたかさんが書いた『かいけつゾロリ』に登場する双子のイノシシ。ゾロリを「ゾ~ロリせんせぇ~」と尊敬している。
設定によると、難しいことを考えるとおならが出る体質で、兄のイシシは右の目と鼻の穴が大きく、メロンパンが好き。弟のノシシは左の目と鼻の穴が大きく右頬にホクロがあり、おにぎりと芋が大好物とのこと。子どもは「おなら」好き。イシシとノシシの連発に喜んでいたことと思いますが、大人になって読むと、子どもを喜ばせる工夫が随所にされていることに気づきます。本を読むきっかけになった人もいるのではないでしょうか。この機会に読み返してみると良いですね。
朝の自転車小屋周辺。何かが地面を掘り返しています。職員の観察では「イノシシではないか?」「ムジナではないか?」などの説が出て「ついに二中まで来たか。」と騒然としました。しかし足跡は見当たらず。ガサッという音にドキドキしながらイシシとノシシを探して校舎裏に回りましたが、野菜が植えられている大成農園を掘り返した跡もなし。そこで二中の「いきもの担当」O先生が掘り返した跡を写真に撮ってAIに聞くと…。
「カラスかムクドリ」という判定で一安心。人がAIに敗れた朝でした。
明治10年の今日はこんな日です。
60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。
西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。
一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難
耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安
一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない
鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。
豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。
厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。
もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。
今年はありがたいことに土曜日のバレンタインデー。学校への不要物の持ち込み指導が無くて業務時間削減に貢献。
2月頃に売り上げが落ちていたチョコレート会社の発案で、元々は男女関係なく贈るように企画した「日本型バレンタインデー」の様式ですが、文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったそうです。そこで「女性から男性に贈る」というキャッチコピーに変えると徐々に流行りだしたとのこと。
始まりはモロゾフ製菓が昭和11(1936)年2月12日に英字新聞に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を掲載したのが最初であるという説が最有力。他にも「メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹」説、「森永製菓」説、「伊勢丹」説、「ソニープラザ」説などがあるそうです。
今は「義理チョコ」、「友チョコ」、「逆チョコ」、「自己チョコ」、「強敵(友)チョコ」なども。私も某スーパー限定のマツダロードスターのトミカが入った「自己チョコ」を買いました。毎年、廃盤になったトミカで発売するため、発売日の情報が流れるや否や市場から消えたようです。この車に乗っている先生に教えたら、後日、人吉で無事に買えたとのことでした。
昨日と今日の2日間で、熊本県立高校後期選抜のオンラインによる出願を行いました。3年生の先生方と、緊張感を持って校長承認と申請を行いましたが、無事に各高校から願書受領の返信がありました。
授業参観でも見られたと思いますが、3年生の教室前には立志式で書いた決意の一文字の色紙と、年末に作成した絵馬が飾られています。後期選抜までもうひと頑張りです。あらためて見返して気持ちを高めましょう。さあ、今日も土日も勉強、勉強。
今日は今年度最後の授業参観・懇談会でした。3年生の残りの授業日は19日(内2日は入試、1日は卒業式)です。
今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。他の祝日がすべて祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」とされていることがわかります。
日本書紀によると初代の神武天皇が即位されたのが旧暦の紀元前660年1月1日と伝えられており、それを現在使っているグレゴリオ暦に換算すると2月11日になります。
この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。
その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。
二中シーサー展開催中
期間:2月6日(金)~2月13日(金)場所:職員室前
こちらは生徒と引率者による「こどもとおとなの美術展」。30分間で仕上げたとは思えない力作ぞろいです。口を開けているのがオス、口を閉じているのがメスです。バスガイドさんによると、
①清めるために塩を振りかける。
②水をかけて洗い流す。(①と②を一緒にして、海水で清めても良い。)
③シーサーの口に酒を注ぐ。(メスは口を閉じているので湿らせればよい。)
④大きく息を吸い込み、勢いよく吹きかける。
⑤大きく柏手を打つ。
この儀式でシーサーが覚醒し、守り神としての真の力を発揮するそうです。ホテルの部屋で妖(あやかし)よけに並べていたグループの皆さん、残念ながらあの時点では効果はなかったようです。
7日(土)・8日(日)水俣市内の小・中学生の絵画、工作等の作品を一堂に集めた「第23回水俣こどもの美術展」が開催されました。
当日は隣の施設で衆議院議員総選挙と水俣市長選挙が行われたため、投票と合わせて見学された方も多かったのではないでしょうか。私が見に行った時間帯は多くの祖父母や親子連れの方で賑わっていました。二中生の力作の一部を紹介します。
朝8時頃の二中の花壇です。雪がほんの少し積もっていました。おはぎは早朝から私が新聞を取りに行く隙をぬってパトロールに出動しようとしましたのでつかまえて室内に戻しました。
童謡「雪」の2番は「雪やこんこ あられやこんこ 降っても降っても まだ降りやまぬ 犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」と歌われています。
暗くて、狭くて、暖かい、こたつの中は最高の基地と化していますが、熱中症、低温やけど、脱水、コード噛みによる感電等、注意しないといけないことが結構あります。
我が家では、こたつの隅を開けておくこと、ご飯はカリカリばかりにせず水分の多いウェットタイプを多くあげています。おはぎもマールも「何でおいしい方のご飯もらえるにゃあ?」と思っているはずです。
ところで、1番は「雪やこんこ あられやこんこ 降っては降っては ずんずん積もる 山も野原も わたぼうしかぶり 枯木残らず 花が咲く」でした。歌えましたか?
6日(金)に塚田元二小校長先生が授業参観に来校されました。児童が大きく成長した姿を喜んで見て回られました。3年生に会えなかったのを残念がられ、小学生の頃の思い出話しをしていかれました。
今時の英語の授業、スピーキング(話すこと)とライティング(書くこと)のテストの事前確認です。集中しています。
2年生から「火まで修学旅行、水は代休、木は木材加工、金は3時間授業、ラッキーな1週間!」という声が聞こえてきました。今日は午後から袋中学校で「自ら学び続ける生徒の育成~生徒の問いを解決するための単元デザインの工夫を中心にして~」を主題とした研究発表会が開かれます。各中学校の先生は一部を除いて全員参加、午後は日頃の終業時刻までは自宅で自主学習です。学年閉鎖中の3年生はもちろん、1・2年生も「ラッキー、先生不在!」と安心しきって昨日オープンしたばかりの某ハンバーガーチェーンなどに出かけたりすると、来週月曜はきっとアンラッキーな1日ですね。
今日は水俣高校建築科2年生の皆さんに、技術の木材加工(マルチラック制作)の授業支援に来ていただきました。木材加工に興味を持った人はぜひ水俣高校建築科へ。
3年生のインフルエンザ罹患者増加のため、以下の対応を行います。なお、追試験の無い高校の入試を直前にした対応ですので、受験や病院受診、郡市対抗駅伝出場などを除いて、7日(土)・8日(日)も不要不急の外出をしないこと、感染症対策を徹底するようお願いします。
他学年の皆さんも体調が悪い、発熱しているなどの症状がある場合、無理して登校せずにしっかり休んでください。また、土・日もインフルエンザ等の感染症の診断が出た場合は留守電にメッセージを残してください。
HPの「保健室より」のコーナーに「出席停止早見表」を載せています。そちらもご覧ください。
≪3年生対象です≫
〇本日5日(木)は給食終了後に下校します。
〇6日(金)は学年閉鎖です。
今日は2年生も引率職員も修学旅行日曜日の分の代休です。今日はしおりの整理を済ませ、また明日からの学校生活を楽しく過ごしましょう。
学級閉鎖から復活した2年生は、先週金曜日にアルティメットの体験を行いました。審判もプレイヤーが自分たちで行い、折り合いをつけることも学ぶ競技です。
部活動顧問の大きな負担の上位にくるのが、競技経験のない種目の審判をさせられることです。全員部活方式ではなくなった世代の先生方はなおさらです。みんなが初心者だったり、セルフジャッジ方式だったりする競技であれば顧問もしやすいのにと思いました。最後は独り言です。
定番の一言「家に帰り着くまでが修学旅行」です。明日は代休です。今夜はゆっくりお休みください。
「水、塩、酒、フーッ!」で、シーサーに守り神としての魂が入るそうです。塗料が溶けないかは自己責任でお願いします。
並べて授業参観まで展示するので、木曜日はシーサーを持って登校してください。
10分ほど遅れて無事に熊本空港に到着しました。荷物を受け取ったら貸し切りバスで水俣に向かいます。たくさんのくまモンに出迎えられて、帰ってきたなと言う感じです。
追記:10℃の気温差、冷えます。17時32分に空港を出ました。宮原SAで休憩して帰校します。
そろそろ飛びます。着陸まではスマホもまたフライトモードです。隣の席のT主任は、またもや緊張モードです。
かなり疲れています。名残惜しいですが、いよいよ沖縄とお別れです。離陸予定時刻は15時25分です。
那覇国際通り商店街のHPによると「国際通り」は沖縄県の県庁所在地であり、県・市などの行政機関、民間企業が立地する業務集積地に隣接。通りには約600の店やその他の事業所が軒を連ね、デパート、レストラン、サービス、雑貨店などや、ホテル、お土産屋などの観光客を対象としたたくさんの店でにぎわっている。「人に優しい街・歩いて楽しい街」をコンセプトに掲げ、様々なイベントも行っている。とのことです。
今から2時間の班別自主行動です。生徒会長から「校長先生、20mありがとうございました。」と言われました。熊本はどこに行ってもくまモン、沖縄はどこに行ってもシーサーですね。
追記:集合時刻直前!青い紙袋を持ってダッシュ!
ホテルから徒歩移動をして、対馬丸記念館で語り部講話と資料見学を行いました。800人余りの学童を含む約1800人を乗せた学童疎開船対馬丸は、昭和19年8月22日の夜に鹿児島県悪石島付近で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け撃沈されました。学童780人を含む1484人が亡くなったこの悲劇を後世に伝えようとつくられたのが対馬丸記念館です。
修学旅行最終日です。対馬丸記念館、国際通りを経て沖縄での予定は終了です。最後の1日を学び、楽しみます。ホテルの皆様には大変お世話になりました。
先生方が起こして回るまで、ぐっすり過ぎるくらい眠って体調不良者無し。朝カレー、朝タコライスでエネルギーをチャージして1日元気に過ごします。
※昨夜は、変な妖気を感じたと言い出し、絵付けをしたシーサーを魔除けに3体並べて寝たグループがあったとか。
※カードキーと間違えて、電源カードを持って部屋を出てしまい、中に入れなくなったグループがあったとか。
班長会議で今日の反省と明日の確認をしました。10mの謎の答えは?修学旅行を裏で支える人たちに思いを馳せて、最終日も楽しみ、学びましょう。
晩ごはんです。今夜はしっかり休み、ゼロに近くなったHP(ヒットポイント)を回復して最終日に臨みます。
「スマイルホテル那覇シティリゾート」に到着しました。
首里城公園は興南アクト部の皆さんに案内していただきました。復元された首里城とその周辺の守礼門、円鑑池、龍潭、円覚寺などを含む、古都首里の自然や風土が満喫できる空間が首里城公園です。令和元年10月31日の未明に発生した火災により焼失した首里城正殿は、今年の秋ごろに再建完了予定です。
(琉球朝日放送のテレビ取材もありました。)
米軍基地に隣接する「道の駅かでな」の屋上から嘉手納基地を一望した後、学習展示室で、嘉手納町の歴史や基地との関わりについて学びました。見学中に哨戒機がタッチ&ゴーで飛び立っていきました。
伝説の獣像シーサーの絵付け体験を行いました。「獅子(しし)」の沖縄の発音だそうです。魔除けの意味を持ち、多くは屋根の上に設置されています。二中の生徒玄関にも2対いますね。先生方もチャレンジしました。才能ありです。私のシーサーは、もちろんマールです(=^ェ^=)
御菓子御殿で昼ごはん、タコライスです。ホットソースで仕上げます。ソース2本がけのチャレンジャーもいました。
沖縄の海とイルカショーを楽しみました。
「沖縄の海との出会い」をコンセプトに、イノー(沖縄の方言でサンゴ礁の縁の浅瀬)、珊瑚礁、黒潮の海、深海と様々な海の生物を紹介しています。水量7,500㎥の世界最大級の大水槽「黒潮の海」の他、総展示槽数は77槽です。
世界で初めて長期飼育に成功したジンベエザメやナンヨウマンタが人気の展示です。
沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として、昭和50年7月20日から約6か月、183日間に亘って沖縄国際海洋博覧会が開かれました。その跡地に造られたのがこの公園です。私が持っている100円記念硬貨を調べてみると、現在の取引価格は330円でした。物価上昇率を考えるとトントンです。
朝ごはんの時間です。副会長2人のメニューです。
体調不良者無し、今日は美ら海水族館でジンベエザメが待っています。生徒の目も、生き物好きのO先生の目も期待でキラッキランランに輝いています。ホテルの皆様には大変お世話になりました。では、行ってきます。
班長会議で今日の反省と明日の確認をしました。お風呂に入って、しおりを整理したらお休みなさい。
沖縄最初の晩ごはんです。おいしくて栄養のあるものばかりです。食事はバランスが大事です。(参考までに、生徒会長のメニューです。)
「ロイヤルビューホテル」美ら海に到着しました。美ら海水族館まで歩いて5分、1階は各部屋にテラスがあり喜んでいます。
カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていました。当時は450mあったと言われています。
沖縄戦などで亡くなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするために建設されたのが「平和の礎」です。建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言では「いしじ」と発音するそうで、平和創造の「いしずえ」となることを期待して建設されました。国籍や軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んでいます。
沖縄戦の体験と平和の尊さを伝えるため、ひめゆり同窓会によって設立された平和祈念資料館です。ひめゆりの塔の横で説明聞き、冥福をお祈りした後、証言映像や当時の写真、壕の実物大模型などが展示された資料館をじっくり見学しました。見学態度も真面目で、添乗員さんやガイドさんからも褒められています。
第二次世界大戦末期に「伊原第三外科壕」に学徒隊として従軍していた「ひめゆり学徒隊」にちなみ「ひめゆりの塔」と名付けられています。生徒は二中の「闘魂碑」のような背の高いものを想像していたようですが、約90㎝の塔です。
「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉だそうです。
下の写真は「伊原第三外科壕」です。ここは、アメリカ軍の攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が亡くなるという、ひめゆり学徒隊の中で最も多くの犠牲者が出た壕です。
糸満市でお昼ご飯。メニューは沖縄そば、スパムの入った炒飯、餃子、ぜんざいです。子どもたちも満足です。
追記:食後の後片付けもきちんとできました。
那覇空港に到着しました。漁場を表す「魚場(なは)」が「那覇(なは)」の語源だそうです。気温は熊本の5月・10月頃と同じ。薄雲りですが暖かいですね。
もうしばらくしたら鹿児島空港を離陸します。着陸まではスマホもフライトモードです。
追記:飛行機からの画像です。着陸後にアップしました。揺れることもなく、安心安全な空の旅でした。
鹿児島空港に到着して、搭乗手続きを済ませました。この後、写真の飛行機に乗ります。T学年主任は苦手とする飛行機移動を前に緊張しています。
2月は逃げる。今年度も残り2ヶ月。月の始めは3日間の沖縄修学旅行からです。貸し切りバスが水俣を出発しました。鹿児島空港に8時到着、9時15分に離陸予定です。ブログは各見学地終了時刻頃にアップします。
明日から3日間の沖縄修学旅行です。ブログを随時処方しますので、朝食・昼食・おやつ・夕食・夜食を摂った後、または子どもに会えなくて寂しいという症状が出た時にご覧ください。上級生の保護者によると即効性があるそうです。
1日(日)
5:50二中集合(保護者の車は運動場)
6:10二中発
9:20鹿児島空港発
10:55那覇空港着
11:50糸満市(昼食)
12:50ひめゆりの塔・平和祈念資料館
14:00平和祈念公園・平和の礎(いしじ)
15:15旧海軍司令部壕
17:50ホテル着
2日(月)
8:30沖縄海洋博記念公園(美ら海水族館)
12:10恩納付(昼食)
13:25琉球村(シーサー絵付け体験)
14:50道の駅かでな(展望室・学習展示室)
16:20首里城公園(興南中学校のアクト部と交流)
※水俣では放送されませんが、沖縄のテレビ局の取材があるとか。
18:20ホテル着
3日(火)
9:00対馬丸記念館
10:50国際通り(班別自主活動)
15:25那覇空港発
16:50熊本空港着
19:10二中着(保護者の車は運動場)
4日(水)2年生振替休業日
HPで修学旅行を振り返る。疲れを取りつつ、学習に励む。しおりの記入を済ませる。
〇インフルエンザが全国的に流行しています。二中も今回はB型ばかり、高熱と腹痛に襲われています。修学旅行先での感染予防のための準備物もしっかり整えましょう。
〇修学旅行の朝は午前5時45分登校、午前5時50分集合です。冷えますので、早く到着された場合はグラウンドに駐車し、車内で待機ください。見送りの場合もグラウンドに駐車してください。
〇ペンケースにペン型のハサミを入れたままにしていて空港で没収されたことがよくありました。機内持ち込み禁止の物がないか再度確認してください。
〇「広報みなまた」2月号に、PTA全国表彰の市長表敬訪問の記事が掲載されました。PTA会長の家宝が増えました。
※モバイルバッテリー・スマホ・デジカメ・ゲーム端末・タブレット端末などの修学旅行への携行は厳禁です。資料をお読みください。
(国土交通省)航空機内でのモバイルバッテリーの取り扱いについて.pdf
2年生は修学旅行の事前確認と出発式を行いました。「国際通りでは古着屋を回りたい。」という声も聞こえてきました。ウキウキ、ワクワク、ドキドキの3日間のはじまりです。健康管理に努め、落ち着いた明日を過ごしましょう。
前日に学校に荷物を持ってこさせて忘れ物はないか、名前を書いているかの点検を行っていた過保護な時代もありましたが、ずっとずっと昔の話です。帰宅したら荷物を確認、再確認。「Su~」や「WA~」などを持っていく(持たせる)などは決してなさらぬように。
修学旅行期間の天気予報は
1日(日)那覇市「曇り」降水確率40%・最低気温15℃・最高18℃、
2日(月)美ら海水族館「曇り」降水確率40%・最低気温14℃・最高17℃、
3日(火)国際通り「晴れのち曇り」降水確率20%・最低気温14℃・最高18℃です。
水俣の今日の最低気温は3℃、最高気温は8℃でした。湯浦中に異動したM先生の生活経験によると「長ズボンとTシャツの上からトレーナーで過ごしていました。しかし、風の強さで体感温度が変わり、風速1mで体感は-1℃くらいの感覚でした。」とのことです。あっ、過保護な情報でした。
2月2日(月)は熊本県立高校の前期(特色)選抜が実施されます。多い人は10回近くの練習を重ね、今日の校長面接が最後です。「本校を希望した理由は何ですか?」「中学校生活で一番頑張った事は何ですか?」「自己アピールをしてください。」などの質問にしっかり考え、的確に回答することができていました。本番もきっとばっちりです。
二中HPのリンク「県立高校入試」から入試に関する通知など多くの最新情報を見ることができます。次年度以降の方針も発表されています。1・2年生のうちから、いや小学生のうちからぜひお読みください。
昨日は芦北・水俣学校保健会研修会が開かれ、一般社団法人子ども大学理事長・ふるさと元気子ども食堂代表の宮津航一さんを講師に「こうのとりのゆりかごから始まる第二の人生」と題した講演がありました。
宮津さんは熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」にあずけられた(開設初日1人目)生い立ちを2022年に公表し、当事者活動(講演など)に取り組まれています。「こうのとりのゆりかご」への思い、なぜ生い立ちを公表したのか、「家族」とは、これからの展望などたくさんの思いを話されました。航一さんの思いは、テレビで特集を組まれた際の動画などがYoutubeにもアップされています。
里親の宮津美光さんは航一さんに「“家族”とは、血がつながっているということではなくて“最後まで味方”でいることだ。何があっても“最後まで味方”でいるのが“家族”だ。」と語られたそうです。
学校給食週間最初の昨日の給食は豚汁と焼き鮭がおかずでした。何と、前日夜のわが家の晩ごはんと全く同じでした。
1月24日から1月30日までの1週間は「学校給食週間」です。日本の学校給食は明治22年に始まって以来、各地に広がっていきましたが、戦争の影響などによって中断されました。戦後の昭和21年12月24日に、東京都内の小学校でLARA(アジア救済公認団体)からの給食用物資の贈呈式が行われ、翌年1月から学校給食が再開されました。
学校給食による教育効果を促進する観点から、昭和25年度からは冬季休業と重ならない1月24日から1月30日までの1週間を「学校給食週間」としました。
昨日は水俣市でも学校給食フォーラムが開かれ、九州ルーテル学院栄養士の永野智子先生による「分子栄養学で大人も子どもも元気になろう!~子どもの問題を分子栄養学の視点で考える~」と題した講演がありました。
2年生のインフルエンザ罹患者増加のため、以下の対応を行います。他学年の皆さんも体調が悪い、発熱しているなどの症状がある場合、無理して登校せずにしっかり休んでください。また、不要不急の外出を控えること、感染症対策を徹底することをよろしくお願いします。
HPの「保健室より」のコーナーに「出席停止早見表」を載せています。そちらもご覧ください。
≪2年生対象です≫
〇本日26日(月)は給食終了後に下校します。
〇27日(火)・28日(水)は学年閉鎖です。
23日(金)に、高岡水俣市長様をはじめ、蓑田教育長、二中校区の市議会議員の皆様や各校のPTA役員の皆様など、多くのご来賓の方にご臨席いただき、全国PTA年次表彰の祝賀会を開きました。今回の表彰は、水俣市P連を代表していただいたという思いです。
祝賀会は厳粛に行うものか、二中らしく行うものか実行委員で検討した結果、「二中らしく」行うこととしました。参加いただいた皆様には市P連総会といい、ビーチボールバレー大会といい、毎度毎度、大目に見ていただきありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
私は妹、弟、弟の4人きょうだいなのですが、下の弟とは10歳離れています。子どもの頃、私と妹が「甘やかしすぎ。」と言うと、母から「すったれは親と過ごす時間が短かけん、甘やかさんば。」と返されました。なるほどと納得させられましたが、母も子どもの頃、大岩の祖母に同じことを言ったようです。受け売りでした。
私の長男は小さい頃、唐突に「お母さんは、俺には『〇〇〇』って言うけど、〇〇〇(弟)には『〇〇ちゃん』て言うよね。」
確かにその通り。子どもはちょっとした差に気づいています。普段はとても仲が良いのですが、やきもちや不満が弟に向かうことがあります。時折「こなして」いたようです。
ある日、押入れを開けると、壁にたどたどしい字で「おにいちゃんのバカ」と書かれていました。面と向かって言えない弟のささやかな抵抗です。わが家の家族遺産に登録しています。
トミカを集めています。何台持っているかは恐ろしくて数えたことがありません。孫たちへの遺産にします。
田浦中校長の頃、私に「こいつ、中学生なのにトミカを集めているんですよ。」と言う発言をした生徒がいました。そこでとっさに「俺も集めているよ。大人になっても続けられる良い趣味だよ」と返しました。実はその時チョロQは結構持っていたのですが、トミカは数台でした。集めていると言い切った手前、集めることにしました。今は私の趣味の上位に入ります。先生方の愛車と同じ物を見つけたときはプレゼントし、趣味への理解を図っています。
言うまでもないことかも知れませんがトミカ(Tomica)はタカラトミーが製造しているミニカーで昨年が55周年、累計販売台数は10億台を超えています。子どもの頃遊んでいた、今でも集めている、放置していた物を親が踏みつけて怒られた、といった経験をされた方も多いのではないでしょうか。トミカで育った子どもは車好きになり、プラレールで育った子どもは鉄ちゃんになっていくということもよく言われます。
トミカはドアミラーがついていない、とがった部分は先端を丸めてあるなど随所に小さな子どもが安全に遊べる配慮がしてある。パッケージの横幅がすべて同じ。サスペンションやドアの開閉など触って楽しい等の特徴があります。また、「共遊玩具(一般市場向けに造られ販売されている、目または耳の不自由な子どもたちにも楽しく遊べるおもちゃ)」にも認定されているそうです。
今日の3年生の福祉体験学習は「まちあるき体験」です。車椅子と目隠し、それぞれに介添えをつけて水俣市内の道路や商業施設を回りました。もう少し進むと、私の家族の転倒骨折現場です。ちょっとの段差もあぶないあぶない。
今日の午後から新入生・保護者説明会を開きました。まず、生徒会執行部から学校生活について、各担当職員から学習・部活動・約束事・自転車通学・情報モラルなどの説明を行いました。その後、新入生はリズムジャンプ体験、保護者は後半の説明を行いました。次は4月3日(金)の新入生登校日にお会いしましょう。
※二中についてさらに知りたい方はHPをご覧ください。
※ご不明の点や相談事がございましたら教頭までご連絡ください。個別の内容は直接、全体に関わることは小学校を通じて、小学校卒業式後はHPの「PTA」のコーナーに回答します。
今回のモス日通信はモスクワの気候について書かれています。日本も最強寒波の報道がされていますが、モスクワは最強寒波が通常運転ですね。
1月中旬になり、モスクワの気温は-10~―20℃程度です。熊本に住んでいると体験したことない寒さです。私も毎朝、仕事着の上にスノーウェアーを着て出勤しています。—10℃にもなると、雪が乾燥しさらさらした質感になります。雪の上を歩いても溶けることがなく、「きゅっ、きゅっ」と音が鳴ります。また、路面が凍結しているため、大変滑りやすくなっています。スニーカーでは到底歩けないほどの路面状態のため、スノーブーツが欠かせません。モスクワで生活していて、生まれて初めてスノーブーツが心から欲しいと感じました。ダウンコートもモスクワでは-60℃対応が売ってあります。その土地その土地で必要なものが違うため、日本では必要ない商品がモスクワでは必需品であることを感じています。
また、モスクワは冬が長いため、街中には多くのイルミネーションがあります。イルミネーションの数とスケールには圧倒されました。(ロシアの人も冬を楽しむためかなと感じています。)ロシアはエネルギー大国のため、日本のイルミネーションとは比べ物にならないほどのスケールです。街中いたるところにクリスマスツリーやモニュメントが設置され、とても綺麗です。
今日は朝から公立高校前期選抜の願書提出、昼休みは面接練習、放課後は私立高校推薦・特待等入試の合格発表と進路関係の行事が続きました。昼休みの面接練習では、とある生徒が「最近読んだ本は?」の質問に「最近本だ読んは…〇〇です。」と回答していました。本番はリラックスしていきましょう。
クイズ、私は誰でしょう。漢字で答えましょう。入試問題に出ると良いですね。
①1850年にギリシャで生まれ、アイルランドで育ちました。
②約3年間、熊本の第五高等中学校の英語・ラテン語の先生として教壇に立ちました。
③1896年に日本国籍を取得しました。
④著作に「怪談」「知られぬ日本の面影」「骨董」等があります。
⑤ドラマ「ばけばけ」のモデルです。
⑥熊本では鶴屋百貨店横の写真の家に住んでいました。
1年生がアルティメットの授業に入りました。ボールと違いディスクに浮遊感があるため、キャッチのタイミングが難しいようですが、それがまた楽しさにつながっているようです。球技が苦手な生徒も楽しんでゲームができています。
越年で最終回です。この賞が日本で特に話題になったのは、1997年の「たまごっち」からだったと記憶しています。受賞者の人口比は日本とイギリスが多いそうです。
2016(知覚賞)前かがみになって股の間から後ろ方向にものを見ると、実際より小さく見える「股のぞき効果」を実験で示した研究。
2017(生物学賞)雄と雌で生殖器の形状が逆転している昆虫(トリカヘチャタテ)の存在を明らかにした。
2018(医学教育賞)自ら内視鏡を操作し、座って自分の大腸検査をした論文「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試してわかった教訓」に対して
2019(化学賞)典型的な5歳の子供が、1日に分泌する唾液量の測定の研究
2020(音響学賞)ヘリウムガスを使うとワニのうなり声も高くなる(ドナルドダック効果)ことを発見した。
2021(動力学)歩行者同士が時には、衝突することがある理由を明らかにする実験を実施した。
2022(工学)つまみを回すときの直径と指の本数との関係を明らかにした。
2023(栄養学)電気刺激を施した箸やストローを用いた味覚の変化について。
2024(生理学)お尻から呼吸する能力があることを発見したことについて。
2025(生物学)ウシにシマウマのような縞模様を描くことでアブに刺されるのを避けられるかを検証した。
大きな出来事があったときの新聞を保存するようにしています。写真は阪神・淡路大震災の翌日、平成7年1月18日の新聞です。1面のトップは『死者1456名』『阪神で直下型大地震』『震度6・M7.2』、開くと横倒しになった阪神高速道路の高架の写真。被害の凄まじさが記録されています。
平成23年3月9日に発生した三陸沖地震は、2日後に東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の前震と考えられていることを思うと、中央の「三陸沖、東海も懸念」が目に留まります。
午前5時46分頃発生、出勤前に見た朝早くのニュースでは、「地震があったんだなぁ」というレベルの理解でしたが、時間がたつにつれ、どんどん被害状況が分かってきました。これまでみた事の無い未曽有の災害に驚愕しました。大学の先生のご両親もこの時の災害で亡くなられたとのことでした。正月に帰省して、また来年会おうという話をされたばかりだったそうです。関西方面に住む親戚も危うい状況でしたが無事でした。生死を分けたのは、前日夜のたまたまの行動でした。
『天災は忘れられたる頃来る』は、寺田寅彦氏(科学者で随筆家、熊本第五高等学校在学時代は夏目漱石の生徒)が、しばしば口にした言葉です。今日は「防災とボランティアの日」です。
今日はとても暖かい日です。たくさんの生徒が外で楽しい昼休みを過ごしています。声まではお届けできないのが残念です。3年生は昼休み、放課後と先生方を予約して面接の練習です。AIとは?ICTとは?工業系の学校の面接では専門用語についての質問も。志望動機は?中学校生活で頑張った事は?どんな高校生になりたいですか?いろいろな質問にしっかり自分の考えを述べることができていました。
2月12日(木)は今年度最後の授業参観です。ぜひご参加ください。3年生の入試シーズンです、感染症対策はそれぞれでよろしくお願いします。
①授業参観 14:15~15:05
1-1英語・1-2家庭科・2-1国語・2-2音楽・3-1数学・3-2国語・大成1自立活動・大成2数学
②学年・学級懇談会 15:10~15:50
3年生の学年・学級懇談会は実施しません。
日本教育公務員弘済会熊本支部から1月1日付広報紙への原稿依頼がありました。以下の内容で寄稿しました。広報紙は熊本県の各学校の先生方に配付されています。
水俣市立水俣第二中学校は平成23年4月1日の水俣市中学校再編成により、旧水俣第二中学校と旧水俣第三中学校の大部分を校区として開校しました。現在は両校の伝統を融合させ、教師・保護者と生徒が両輪となって、教育理念である「風格ある二中生」、学校教育目標「自立心にあふれ、夢を実現する生徒」の具現化に取り組んでいます。PTA活動も盛んで、九州PTA長崎大会での提言、熊日PTA新聞コンクール小中学校の部優秀賞、全国PTA年次表彰など、教師・保護者と生徒とが生き生きと過ごせる学校です。
本校は平成8・9年度に熊本県教育委員会の「環境教育」の研究指定を受け、それを機に地域ゴミ分別収集への参加など、水俣の歴史を踏まえ地域との絆を大切にした研究と実践を進めました。その成果は環境大臣表彰や教科書への掲載、多くのテレビ取材などにつながり、平成22年度には日本の環境首都に選ばれた水俣市にあって「環境教育の二中」として名を馳せ、スクールプライドの醸成につながりました。
また、令和6・7年度は「学校体育」の研究指定を受け、「自ら考え行動し、自他共に高め合う生徒の育成」を目指して研究を進め、「様々な“あい”が育まれる」教育実践に取り組みました。環境教育と合わせ、水俣二中生の健全育成のための大きな2本の柱となっています。
3年生は総合的な学習の時間で福祉体験学習に取り組んでいます。今日は車椅子体験と目隠しをしての歩行体験を行いました。車椅子はマーカーにぶつかりぶつかり、目隠し体験はおそるおそるの歩行でした。水俣市の福祉に関する課題と取組について学び、自分たちはどう関わっていくかという意識を高めて二中を卒業していきます。
熊本県内で最も歴史のある駅伝大会「熊日三太郎駅伝競走大会」が11日に開催され、二中生も7名が選手・サポート役として参加しました。冷たい雨の降る水俣市役所をスタート、芦北町役場田浦支所をゴールとする10区間40.2kmでタスキをつなぎました。途中は小雪の中の大会でしたが、水俣Aチームが10連覇を果たしました。2区Mくんの活躍は熊日新聞に写真入りで紹介されていました。また、同じ日の午後に、都道府県対対抗女子駅伝競走大会の8区を走ったTさんからアンカーへタスキをつなぐ場面も写真で大きく紹介されていました。また、1面の最初に二中生2人の写真が並んでいます。
平成22( 2010)年の今日は大雪でした。最後に担任をした生徒たちと、朝から雪合戦をした画像を見つけました。
今日は「成人の日」、大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます日です。かつては、元服の儀が小正月に行われていたことから1月15日に固定されていましたが、ハッピーマンデー制度により平成11(2000)年から1月の第2月曜日に変更になりました。
令和4年4月からは18歳成人。成人の日の前後に「二十歳の集い」を開いている自治体も多く、水俣市でも昨日「二十歳の集い」が開かれました。今年も「小・中・高でお世話になった先生方からのメッセージ動画」の場面が一番盛り上がったことでしょう。私用で参列できませんでしたので「広報みなまた」を楽しみに待っています。
成人すると保護者の同意なしに契約などができるようになり、未成年者取消権が認められなくなります。余談ですが、私が大学生の時にパソコン購入詐欺があり、その時は20歳が契約取消の分かれ目でした。これが18歳からになったということ。しっかり勉強しておきましょう。
今日は昼前から父の四十九日法要です。18年前に学級通信に書いた父の話です。若い頃であればクマ出没の話にワクワクして行きかねなかったと思います。
~実家には猟犬がたくさんいる。裏庭には随分行っていないので数えたことがない。
冬はイノシシ猟の季節。私の父の血が騒ぐ。猟をしたいからという理由で、高校を1週間で退学した父。普段はあっちが痛いこっちが痛いと言っては仕事をサボるのに(職業は庭師です)猟にだけは皆勤賞、病気もいつの間にやら自然治癒、山道を毎日10㎞近く歩き回って平気な顔をしている。(痛いなんてこぼしたら母から何と言われるかよくわかっている。)
猟期は全く仕事に行かず、家にはあちこちにあふれるアゴの骨・切り取った尻尾・猪や鳥の剥製、冷凍庫の中はシシの肉だらけ。妻子の苦情をものともせず、わが道を行く70年。働かないことで実害を受けていた子どもの頃は、とにかく猟に行くことが嫌だったのだが。最近は息子も年をとって、「しかたないな」と笑い飛ばす余裕もできた。しかし、いまだに本人には妻子に迷惑をかけているという自覚がない。野生のじいさんは今日もわが道を行く。~
写真は昭和30(1955)年頃、左端が祖父、中央が父です。イノシシは仕留めたのを立てています。今は猟師が減って、害獣による農作物被害に大変困っているそうです。昨年末に話題になりましたが、テレビで見る熊猟師の皆さんの年齢もかなり高いですね。
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