令和7年度生徒会スローガン
学校経営グランドデザイン(PCで見てね).pptx パワーポイントです
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令和7年度生徒会スローガン
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3月の中頃、新水俣二中の1期の卒業生が、友達の結婚式で使う動画を作成するため二中を訪ねてきました。水俣市内の思い出の場所で「モーニング娘。」の「ハッピーサマーウェディング」を踊るところを撮影して回ったそうです。友達はありがたいですね。私もまさかの力山の前でダンスに強制参加。「メッセージをください」という事だったのに…。生徒は恐ろしいですね。
彼女たちの卒業アルバムを開くと旧二中と旧三中の制服が混在しています。本来は別々の中学校を卒業するはずだった生徒が学校再編で出会ったのも縁です。
私も彼女たちが1年生の時に二中に勤務していました。次男と同学年ということもあり、小学生のころから知っている子どもたちからは「〇〇くんのお父さん」と呼ばれることもありました。縁です。
同じ週の土曜日は、令和5年度末に転出したK先生の結婚式でした。K先生は八代高校野球部のエースとして活躍、一つ上のマネージャーがM先生、二つ下の後輩がF先生という関係です。N先生もさらに上のマネージャーだったという事で、二中は八代高校野球部の同窓会です。中学校が数ある中で同じ職場になるとは、縁ですね。
高校生の頃は、恐れ多くてF先生からは話かけることもできなかったとか。平成時代の部活ですね。赴任先にK先輩がいて、いろいろな話ができるようになったことをとても喜んでいました。かわいい後輩です。最後の新郎のあいさつは、新婦へのサプライズもあり素晴らしい内容でした。さすが国語科です。次に続くF先生にプレッシャーをかけました。
いろいろな縁で二中が思い出の場所になっているのはとても嬉しいことです。
26日、赴任される9名の先生方との事務引継ぎの会を開きました。次のY校長も二中で教諭、教頭の経験があります。ドラフトがあるなら二中の第1回選択希望校長に指名して、8中学校競合で私が引き当てています。二中勤務経験のある先生がいます。二中出身の先生がいます。皆さんと会える4月を楽しみにされていました。新メンバーで二中生の新たな可能性を引き出していただけることと思います。
役職定年記念に2年がかりで挿し芽から育てたアジサイを駐車場の花壇に10本、校長室前の花壇に5本植えています。夏場は遮光ネットをしてもらえると助かります。これも引き継ぎます。
生徒・保護者の皆さん、私たち11名の見送りありがとうございました。退任する先生方からは「挑戦すること」「命を大切にすること」「本気で二中を良くしようと思うこと」「校歌を大切にすること」などの思いが伝えられました。教諭時代、教頭時代の退任式に続き、今回も私のお別れのあいさつはナイスコールにしました。ナイスコールは生徒会長が引き継ぐと約束してくれました。
本人内示以降は、生徒に気づかれないように段ボール箱に荷物をまとめる姿があちこちで見られました。毎年の風景ですが寂しくなります。校長室のシンボルの実物大ゴジラヘッドも片付いて風景が随分変わりました。校長写真を壁に掛けたら片付け完了です。
昨日の熊日で玉水小学校の受賞が掲載されていましたが、水俣二中も、くまもとスポ好き共創プロジェクト「学校チャレンジ」の最優良校に選ばれました。二中生の頑張りと、それを支える先生たちの頑張りが評価されて嬉しいです。
春休みのリーダー研修2日目です。委員会毎の年間計画の作成に頭を悩ませています。校長講話の「それってやってて楽しい活動?当番活動ばっかりはやめよう。」を頭においての検討会です。
「当番活動:学校生活の中でなくてはならない仕事。役割分担をして取り組む」「係活動:学級をよりよくしたり、より楽しくしたりするために行う活動。」
昼休みは外で遊んでリフレッシュ!午後の研修も頑張ります。
毎年恒例、卒業生の制服披露。二中の制服も混じっています。
昨日から春休みの生徒会リーダー研修が始まりました。校長講話で生徒会役員としての意識を高めた後は、専門委員会毎に「二中は生徒と先生が両輪になって前に進む学校」を具現化するための年間計画作成に入ります。
昨日夕方の熊日の電子版と、今朝の朝刊に熊本県内教職員の異動情報が掲載されました。11名が二中を離れます。それぞれ1年から5年の期間でしたが、保護者・地域の皆様には大変お世話になりました。のべ14年間に亘る二中生活を終え、私は近くの中学校で社会科を教えます。水俣大橋を渡らないように気をつけます。
4月1日から二中がライバルです。と言いつつ、直接対決以外は必ず二中を応援します。切磋琢磨し、水俣芦北の中学校を盛り上げましょう。
27日(金)の退任式の開式は9時です。退任式以降は異動準備や引っ越しのため不在の先生もいますので、会える最後の機会になるかも知れません。1・2年生、卒業生の皆さんは服装を整えて、8時40分までに登校してください。
退任者は以下の通りです。(新聞には載らない先生もいます。学校への異動先などの問い合わせはご遠慮ください。)
校長・教頭・教務主任・1年主任・1年1組担任・1年副担任・3年1組担任・3年2組担任・進路指導主事・初任者拠点校指導教員・大成1組担任
※画像は掲載していませんので調べてみてください。
この河童に羽がついたような絵は、日本を代表するヒーローの最初のデザイン画です。何かわか りますか。「ベムラー(※1)」という名称から企画がスタートして、ガルーダ(※2)の意匠を取り入れたデザインが提案されました。
これが、次のデザイン案ではレッドマンに企画が変わり、レッドマン2稿では随分、最終案に近づいてきました。宇宙人のイメージ(初期は銀色と青)が明確になってきています。
レッドマン3稿では最終案にかなり近づきました。完成したら何になるでしょう?
デザインをしたのは、彫刻家の成田亨(なりたとおる)氏。一旦はデザインを複雑化させましたが、無駄を削り、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像にも似たアルカイックスマイル(無表情の中で口角を上げ、 微笑みを浮かべた表情)をたたえたレッドマン改め、ウルトラマンのデザインが完成しました。
カラー放送が始まるため、ブルーバック合成で透き通って見えないように、色は銀色と赤になりました。この段階では口が見えています。口が動く設定でしたが、後にAタイプといわれる初期造形では口周りにしわが寄ってしまい、その後のBタイプ、Cタイプでは固定した口に変わっています。成田氏は、全体のバランスを崩すという視点から、カラータイマーを付けることには最後まで反対したそうです。シン・ウルトラマンにはありませんね。
「個性」と「表現」という言葉があります。
大きな円が1つと、中に小さな円が2つ、縦線が1本で描けるウルトラマン。大きな円が1つと、中に小さな円が2つ、斜めの線が2本で描ける仮面ライダー。
あらゆる無駄をそぎ落とし、最小限の線で分かるヒーローの「個性」。後の角がついたウルトラマン、フォームチェンジをする仮面ライダー。それは、全力で個性を磨いてきた者たちが、他と自分を差別化するための「表現」でしかありません。あくまでも「個性」を基盤として作り上げたものです。
少し自分を振り返ってみましょう。皆さんが輝かせたい「個性」は何ですか。水俣二中の学校としての個性は何ですか。ある言葉を出したときに、あなたの「名前」が、「水俣二中」が最初に連想される個性は何ですか?
服装、髪型。表現はひとまず置いて、まず磨くべきは「個性」。どこに行っても通用する自分だけの輝く「個性」を磨きましょう。
ベム(bem)※1
昆虫目玉の怪物bugeyed monsterの略語。人間と似ても似つかぬ形の宇宙人ないし怪物の総称。宇宙戦争に登場するタコ形の火星人が初期におけるその代表格。
ガルーダ(Garuda)※2
インド神話に登場する神鳥、カルラ、あるいはスパルナとも。仏教では迦楼羅(かるら)あるいは金翅鳥(こんじちょう)と呼ばれ、仏を背負い三世、宇宙、世界を飛ぶ。
令和7年度の最終週です。午前中は水俣二小の卒業証書授与式に参列してきました。森校長からは「これから進む道は楽な道ばかりではない。1年間言い続けてきたように、自分の頭で考え、判断し、より良い選択をすることが大切である」こと。市長からは「未来は与えられるものではなく、自ら切り拓くものである」こと。PTA会長からは「人との出会いは財産である」ことが伝えられました。
二小卒業生の内、52人が二中に入学します。成人まであと6年。風格ある二中生を目指して、認め、褒め、励まし、鍛え、伸ばします。
中学校は今日が今年度最後の給食です。メニューは「麦ごはん・牛乳・魚そうめん汁・梅おかか和え・うま(馬)かコロッケ」でした。給食センターの皆さん、特に昨年度から二中の食育に関わり、研究発表会にも協力いただいたH先生、おいしくて栄養のある給食をありがとうございました。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…
2・3年生の顧問は数学科の長船健二先生でした。バレー経験はありませんでしたが、数学科らしく角度、統計、確率などの用語で指導をされていました。
大会前の練習は高3の先輩にずいぶんお世話になりました。一度、前述の上級生から熱くなったアスファルトの上で手押し車をさせられ、ほぼ全員が火傷するという理不尽な指導を受けたことがあります。その最中に高3の先輩登場。先輩が神の使いに見えました。2年生の先輩がその後どうなったかは想像の通りです。
3年時の中体連大会会場は準決勝で大野中学校に敗れました。当時は中学校数が多かったので、大会は水俣市と葦北郡が別でした。3年生の時の県中体連大会ではソフト部が優勝、柔道部が準優勝。郡陸上総合優勝、郡駅伝優勝。女子バレーの全日本ジュニア選手や3人のプロ野球選手を輩出するなどスポーツが強い学校で、体育の授業でも随分鍛えられていたため、高校の体育はとても楽に感じました。(とりあえず完)
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
柔道部入部を逃げ続け、最後の手段で5月頃にバレー部に入りました。練習はプール横の外コート。フライングレシーブで体育服は黄土色、血だらけです。胸のあたりに裏からタオルを縫い付けるのがケガ防止策です。
2年生の先輩方の指導はかなりハードでした。山にランニングに行くとワラビ採り(売って先輩の小遣いになります)に行かされ、収穫量が少ないとビンタ、多くても時間がかかりすぎたとビンタ、1年生は普段入れないのに、部室が散らかっているとビンタ、歯医者に行くのはビンタされてから。はたして練習に行っているのかビンタされに行っているのか。「殴ったね! 親父にもぶたれたことないのに!」です。
時には世の中で一番苦手なクモを持って追いかけてきたり…、これでまだ半分くらいです。筋トレも1年生だけ気が遠くなるような時間や回数が単位、友達は200mグラウンド一周フライングレシーブというのもありました。非科学的特訓で体と心を随分鍛えられました。昭和です。嫌な思い出は、された方は40年以上も前の事でも覚えているという話です。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
中学生になって最初の中間テストの朝は、いつものように友達と体育館でバスケットボールをして遊んでいました。ギリギリに教室に帰ると担任の太田先生から「テストの朝は勉強せんばいかんとぞ。」と随分叱られました。小学生の頃は試験範囲も狭く、問題も簡単だったのでなめていました。感覚は小学7年生です。当然良い結果が出るはずもありません。気合を入れなおして、なんとかなったのは2学期半ば過ぎでした。
得意な教科は社会・国語・美術・技術。当時、男子は技術、女子は家庭科。体育も男女別でした。得意教科はすべて今の仕事に活かされています。
3年生の1学期中間テストまで、上位30名が廊下に貼りだされていました。勉強もゲームと同じです。遊び感覚になると熱中できます。数人の友達とテスト前1週間はほとんど寝ないというばかなことをやっていました。そして、人生唯一の遅刻をしてしまいました。
今日は「春分の日」自然をたたえ、生物をいつくしむ日です。天文観測による春分が起こる春分日が選定されて休日とされますが、通常は3月20日から21日ごろのいずれか1日(計算では令和9年・13年・17年が21日、他は20日)となるようです。昼が長くなって「昼と夜の長さが等しくなる日」と言いますが、実際は昼の方が少し長いようです。
春分の日と秋分の日を中日とした7日間がお彼岸です。お墓参りや仏壇の掃除、お供えなどの供養を行い、自分自身の日頃の行いを振り返り、見つめ直す期間です。彼岸のお供えといえば「おはぎ(ぼたもち)」、私もおはぎを食べながら行いを振り返ることにします。
バスケット部の練習を水俣高校の先輩たちが見に来てくれました。二中愛にあふれています。みんな毎日の練習で鍛えられてがっしりです。私の身長を越えている先輩もいました。しかし、ここに集うと顔は中学生に戻ります。いいですね。
中学生時代の顧問、モスクワ日本人学校のY先生にメッセージ動画を送りました。こちらは練習不足でした。
うん?集合写真の後ろに影が…。
RKKの朝の情報番組「THE TIME」、二中の甲冑博士Tくんの登場は明日19日(木)朝6時15分前後の予定です!
運動場ではサッカー、バレーボール。教室では先生と勉強、作文、語り合い。1年生それぞれの昼休み。あと2週間で先輩になります。
土日に秋山幸二杯中学生野球大会が開かれ、水俣市4校合同チームが優勝しました。大会MVPには4試合中2試合で勝負を決めるヒットを放った、二中のMくんが選ばれ、SBホークスの元監督であった秋山幸二さんのサイン入りボールが授与されました。
土曜日に開かれた郡市新人バドミントン大会でも上位入賞選手が複数出ました。新年度に向けて部活動も活気づいています。
12日、1年生は熊本地方気象台の皆様による「知識」「考える」「行動する」3つの力をつけることを目的にした、防災についての出前講座を行いました。平成28(2016)年当時、1年生はまだ保育園児と幼く、水俣は熊本地震の被害もほぼない地域でしたので実感を伴うところまでは難しかったかもしれません。ところが、昨夜は震度4の地震が発生。私も繰り返す揺れを警戒して1時過ぎまでは起きていました。1年生も、今回の学びを自分事として捉えたのではないでしょうか。
「天災は忘れた頃にやってくる」寺田寅彦
今朝、アジサイの水遣りに行くと、生徒会長が運動場を走っていました。帰る時に私に「水遣りありがとうございます。」とお礼を言って帰りました。さすがです。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
1年時に2名の転出者がいたため、2年生から135名の3クラスになりました。(その当時の1学級の上限は45人でした。現在は40人です。)担任の林田洋文先生がよく使われる「すこぶる」は田浦弁では聞いたことがありません。どんな意味かと辞書で調べました。社会は競衛先生。特徴的な黒板の文字をみんなで真似していました。中学生は影響を受けやすいものです。現在水俣一中勤務のM先生は、授業に位置づけられた必修クラブで競先生の中国語クラブに入っており、そこで習った中国語の歌を良く歌っていました。
理科の大崎先生の授業では、三角定規2つを組み合わせて「力の分解」をすることができない者が、あーでもない、こーでもないと踊るという「定規踊り」を教わりました。
水素を集めて火をつける実験では、指示のあった試験管ではなく、先生に隠れてビーカーに集めて爆発させた強者もいました。当然、厳しい厳しい指導が待ち受けていました。彼は酸化カルシウムと水の反応実験でもやってくれました。興味の高さプラス若気の至り。その後、理系に進んだと聞いています。
とにかく学習内容以外のことだけが記憶されるのが世の常です。私も生徒に会うと「授業中にガンダムを見せてもらった。」と言われます。ガンダムダブルオーを「世界紛争」の授業の導入に使っただけですが、たぶん授業の内容は忘れられています。生徒の記憶に残っているのは「ガンダムを観た!」です。
休みの日は5回連続で昔話です。私が過ごした昭和の田浦中はこんな時代でした。1年2組担任のM先生が通っていた平成終わりの田浦中とはずいぶん違うはずです。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
入学式は昭和53年4月10日(月)、新入生は137人でした。
男子は校則で丸刈り。入学直前に刈るのは恥ずかしいということで、ほとんどが小5の夏休みには丸刈りにしていました。田浦中学校の校則改正(長髪可)は平成7年からです。
小学生にとって中学校は未知の世界。田浦小・小田浦小・海浦小・井牟田小の4校から知らない生徒が集まるし、先輩との上下関係は厳しいし、すぐに体育館や部室の裏に呼ばれるらしいとのウワサ(事実)があるし、今のように小中のなめらかな連結を図る取組もなく。私自身も長男で中学校の情報は全くなく、緊張感は今の6年生の比ではありませんでした。
担任は柔道部顧問の太田先生、私は中学入学時の身長が172㎝と大きかったので、帰りの会後に教室を出る時、毎回のように「柔道部に入らんか。」と勧誘されました。県トップの実力がある柔道部です。どう逃げるかが私のチャレンジでした。
担任の太田先生は球磨教育事務所の管理主事をされていたので、私が人吉三中勤務の時の学校訪問等で大変お世話になりました。同級生は「太田先生から良く怒られた。」と言いますが、大人になってから指導を受けたのは私くらいです。
管理責任者 校長
運用担当者 情報教育担当者