令和8年度生徒会スローガン
令和8年度年間行事予定.pdf ※変更になる場合があります。
「くまなびの日」を取得する場合は、7日前までに取得届を提出してください。
令和8年度生徒会スローガン
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「くまなびの日」を取得する場合は、7日前までに取得届を提出してください。
今日は2年生のPTA学年行事「立志式」を行いました。「朝6時15分に二中を出発、今月オープンした某ハンバーガーチェーン店を横目に見ながらエコパークまで徒歩で移動。7時半から潮騒広場の恋路島を望むハート型のモニュメントがある護岸で式典、記念写真撮影。」の予定でしたが、昨日正午の時点で降水確率70%、インフルエンザ流行中でもあるため濡れながらの移動は困難と判断して式典を二中体育館に変更しました。予報が当たり今朝5時に起きた時にはもう雨が降っていました。
式典では大切にしたい言葉を書いた色紙を手に、一人一人がステージ上で決意表明を行いました。
その後はスクールバスで水俣病資料館へ移動して見学と語り部講話。充実した内容の立志式を終え、また一歩成長しました。
2年生が明日行う立志式は、もともとは奈良時代に男子が成人を示す儀式として行ったもので、氏神の社前で服や髪型を大人のものに改め、冠を付けてもらう「元服式」でした。元は頭(首)、服は着用することを表しており、この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。
こうした儀式は室町時代以降に民間にも普及しましたが、年齢には決まりがなく、5〜6歳から20歳程度までと幅広かったそうです。また江戸時代からは女子の場合も男子同様に元服と称し、18〜20歳位の年齢で、または結婚と同時に行なわれるようになりました。
当時は大人になると言うことは、戦に行くことができると言うことであり、忠臣蔵で有名な大石内蔵助の息子、大石主税(ちから)は12月に元服して仇討ちに加わり、
「あふ時は かたりつくすとおもへども 別れとなれば のこる言の葉」
毎日顔を合わせていた時には、十分に語り尽くしたと思っていたけれど、いざ別れてもう二度と会うことがないと思うと、まだまだ話したいことがたくさんあったのにと、とても心残りな気持ちになる。という、辞世の句(切腹する前に詠む俳句)を残して16歳で切腹しています。まさに、元服式は覚悟を決める式であったと言えます。
現代においても、法的には13歳までは刑事責任年齢に達していないため、刑罰(保護処分までです。)は受けませんが、14歳からは刑事処分(長期で15年の懲役刑もありえます。)が可能な年齢となり、社会的責任は一層重くなります。2年生の皆さん、いつまでも子供ではないということを自覚しなさいという式です。
2年生は大切にしたい言葉を色紙に書き入れ、立志式の準備を終えました。手本はタブレットに表示して何度も練習。今どきです。
放課後は火災からの避難訓練を行いました。水俣芦北広域行政事務組合消防本部の消防年報によると火災発生件数は令和5年・6年が23件(16日に1件)、今年もすでに1件が発生しています。帰宅したら、火災の原因となるものはないか確認して取り除くまでが避難訓練です。
今日の午後は学校運営協議会を開きました。今回は学力向上の取組説明、授業参観に加え、生徒会執行部との懇談の時間を設けました。3グループに分かれてサイコロトークで場を温めた後に、生徒会執行部からは次年度の二中をどのように高めていくか、協議会の皆様からはどのような協力ができるかなどについて意見を交換しました。生徒の「湯の児の海水浴場で本当のビーチバレーボール大会をしたい。」という提案に、鹿島学校運営協議会会長(水俣市VB協会会長)は「そら協力する!」と即答されました。
明治は11月3日、大正は8月31日、昭和は4月29日、平成は12月23日、今日は天皇誕生日です。天皇誕生日にはこのような行事が行われます。
天皇の住居である皇居内の宮中での祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀。
伊勢神宮を始め、各地の神道神社での天長祭。
海上自衛隊の基地・一般港湾等に停泊している自衛艦での満艦飾。
外国駐在の日本大使館等の在外公館でのナショナルデーレセプション。(別日)
ニュース番組で放送される、天皇皇后両陛下が長和殿ベランダにお出ましになる予定時刻は、第1回が午前10時20分頃、第2回が午前11時頃、第3回が午前11時40分頃。詳しい内容は宮内庁のHPの「天皇誕生日一般参賀要領」で見ることができます。
12月のPTA表彰式の際、黄色いバスの車窓から皇居の周辺だけながめてきました。一般参賀の参入門となる二重橋が見えました。
今日は猫の日なのでおまけです。平成30年から令和2年の田浦中校長時代に書いたHPブログの猫についての話をまとめた「ねこのいるくらし」です。
今日「2月22日」は「にゃんにゃんにゃん」で「ネコの日」です。仕方ないのでネコの話を書きます。(後ほどもう1本アップします。)
夏目漱石の「吾輩は猫である」のモデルは、漱石の家に迷い込んできたトラ模様混じりのグレーがかった黒い子猫で「猫」という名前であったとか。亡くなった時は大変悲しみ、門下生に「皆さんご存じの猫が、長く病気のところ、療養の効果もなく、昨夜いつの間にか裏の納屋のヘッツイ(かまど)の上で亡くなりました。 埋葬の儀は車屋をたのみ蜜柑箱へ入れて裏の庭先で行いました。ただし私は「三四郎」を執筆中につき、御会葬にはご遠慮いたします。以上 九月十四日」という死亡通知書を出しました。
江戸時代末期の浮世絵師「歌川国芳」は、「其まま地口 猫飼好五十三疋(みゃうかいこうごじゅうさんびき)」を描いていています。この作品は日本橋から京都までの「東海道五十三次」の宿駅を「地口(じぐち)」というダジャレのようなものを使って表しています。出発点は猫が二本の鰹節をかじる絵が描かれていて、二本出汁(だし)…日本橋という具合です。
昨日、後期選抜の出願変更状況が発表されましたのでご確認ください。
昨日、長崎県の島原市立島原第三中学校の2名の先生が、水俣二中の研究発表や環境教育についての視察に来校されました。
水俣二中の研究やPTA活動についてはHPの「水俣二中の教育」「PTA」のコーナーに整理していますので、取組に関心のある他校の皆様やPTAの皆様もぜひご来校ください。
水俣高校は今年度の教育スローガンを「探究する力を育み、主体的な学びで夢(願い)を実現する生徒の育成」として探究活動に取り組まれています。今日は探究活動の校内成果発表会です。私は48のテーマから「湯の児海岸周辺の海洋生物の生態系」、「水俣の魅力を映す宿 海と夕やけ~若い世代の心をつかむには~」などの4つを選び参観しました。
明日は「Stanford-e-Minamata」の閉校式です。25名の受講生が8月2日(土)の開講式からスタンフォード大学の専任講師の先生とゲストスピーカーによるオールイングリッシュによるオンライン講座を11回受講。昨年10月にはゲイリー・ムカイ博士が来校され、グローバル人材に必要な資質を8つの要点に絞った講義が実施されました。探究活動の充実、「Stanford-e-Minamata」、「建設DX推進プロジェクト」、「Wood Connect Project(WCP)」、カヌー部の全国大会での成果などなど、水俣高校は生徒の夢(願い)を実現できる学校ですね。
また、今日の放課後は生徒会主催の集会を行いました。執行部・学級委員会がアンケートによる二中生の実態の振り返り、給食委員会がクイズ形式での給食や給食センターの取り組みの紹介を行いました。こちらも2年生にバトンタッチです。
各専門委員会の委員長も決定し、新生徒会の活動が本格化しました。通称「ぐるぐる」、30年近く続く伝統です。闘魂碑周辺の整美は執行部の役割です。来校者を迎える最初の場所です。気持ちよく入ってもらえるよう巧の技を磨きます。
水俣高校の学校運営協議会に出席してきました。今回は高校の学校評価の説明の他に生徒発表もありました。私は二中卒業生のMくんのチームの「僕らの地元が誇る海~水俣の水銀調査から~」という発表を見ました。自分たちで釣った魚の骨格筋とヒレを冷凍保存して水銀濃度を測定して検証を行いました。発表画像をモスクワのY先生に送ったところ「〇〇〇〇ですね!大人になっていますね。」という返信がありました。じゃっです。想像以上に大人になっていました。
昨日は、生徒3人とO先生で、防水シートが破れて水が抜けていた大成教室前の池の埋め戻し作業を行いました。計画では来年度に教室棟と特別教室等の間、再来年度に特別教室棟塩浜グラウンド側の壁面工事が行われる予定ですので、金魚とメダカたちは水槽で仮住まいです。
後期(一般)選抜出願者数が発表されました。競争率に一喜一憂せず、夢実現に向けて頑張りましょう。
令和8年度(2026年度)熊本県公立高等学校入学者選抜における後期(一般)選抜出願者数.pdf
3年生の日常生活。給食も残り10回。前を向いて黙って食べる時代だったねと振り返る日も来るでしょう。給食が済んだら、今日は3年生の体育館使用日です。バドミントンとバスケットボールでストレス発散です。
イシシとノシシとは?熊本県出身の原ゆたかさんが書いた『かいけつゾロリ』に登場する双子のイノシシ。ゾロリを「ゾ~ロリせんせぇ~」と尊敬している。
設定によると、難しいことを考えるとおならが出る体質で、兄のイシシは右の目と鼻の穴が大きく、メロンパンが好き。弟のノシシは左の目と鼻の穴が大きく右頬にホクロがあり、おにぎりと芋が大好物とのこと。子どもは「おなら」好き。イシシとノシシの連発に喜んでいたことと思いますが、大人になって読むと、子どもを喜ばせる工夫が随所にされていることに気づきます。本を読むきっかけになった人もいるのではないでしょうか。この機会に読み返してみると良いですね。
朝の自転車小屋周辺。何かが地面を掘り返しています。職員の観察では「イノシシではないか?」「ムジナではないか?」などの説が出て「ついに二中まで来たか。」と騒然としました。しかし足跡は見当たらず。ガサッという音にドキドキしながらイシシとノシシを探して校舎裏に回りましたが、野菜が植えられている大成農園を掘り返した跡もなし。そこで二中の「いきもの担当」O先生が掘り返した跡を写真に撮ってAIに聞くと…。
「カラスかムクドリ」という判定で一安心。人がAIに敗れた朝でした。
明治10年の今日はこんな日です。
60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。
西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。
一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難
耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安
一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない
鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。
豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。
厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。
もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。
今年はありがたいことに土曜日のバレンタインデー。学校への不要物の持ち込み指導が無くて業務時間削減に貢献。
2月頃に売り上げが落ちていたチョコレート会社の発案で、元々は男女関係なく贈るように企画した「日本型バレンタインデー」の様式ですが、文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったそうです。そこで「女性から男性に贈る」というキャッチコピーに変えると徐々に流行りだしたとのこと。
始まりはモロゾフ製菓が昭和11(1936)年2月12日に英字新聞に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を掲載したのが最初であるという説が最有力。他にも「メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹」説、「森永製菓」説、「伊勢丹」説、「ソニープラザ」説などがあるそうです。
今は「義理チョコ」、「友チョコ」、「逆チョコ」、「自己チョコ」、「強敵(友)チョコ」なども。私も某スーパー限定のマツダロードスターのトミカが入った「自己チョコ」を買いました。毎年、廃盤になったトミカで発売するため、発売日の情報が流れるや否や市場から消えたようです。この車に乗っている先生に教えたら、後日、人吉で無事に買えたとのことでした。
昨日と今日の2日間で、熊本県立高校後期選抜のオンラインによる出願を行いました。3年生の先生方と、緊張感を持って校長承認と申請を行いましたが、無事に各高校から願書受領の返信がありました。
授業参観でも見られたと思いますが、3年生の教室前には立志式で書いた決意の一文字の色紙と、年末に作成した絵馬が飾られています。後期選抜までもうひと頑張りです。あらためて見返して気持ちを高めましょう。さあ、今日も土日も勉強、勉強。
今日は今年度最後の授業参観・懇談会でした。3年生の残りの授業日は19日(内2日は入試、1日は卒業式)です。
今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。他の祝日がすべて祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」とされていることがわかります。
日本書紀によると初代の神武天皇が即位されたのが旧暦の紀元前660年1月1日と伝えられており、それを現在使っているグレゴリオ暦に換算すると2月11日になります。
この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。
その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。
二中シーサー展開催中
期間:2月6日(金)~2月13日(金)場所:職員室前
こちらは生徒と引率者による「こどもとおとなの美術展」。30分間で仕上げたとは思えない力作ぞろいです。口を開けているのがオス、口を閉じているのがメスです。バスガイドさんによると、
①清めるために塩を振りかける。
②水をかけて洗い流す。(①と②を一緒にして、海水で清めても良い。)
③シーサーの口に酒を注ぐ。(メスは口を閉じているので湿らせればよい。)
④大きく息を吸い込み、勢いよく吹きかける。
⑤大きく柏手を打つ。
この儀式でシーサーが覚醒し、守り神としての真の力を発揮するそうです。ホテルの部屋で妖(あやかし)よけに並べていたグループの皆さん、残念ながらあの時点では効果はなかったようです。
7日(土)・8日(日)水俣市内の小・中学生の絵画、工作等の作品を一堂に集めた「第23回水俣こどもの美術展」が開催されました。
当日は隣の施設で衆議院議員総選挙と水俣市長選挙が行われたため、投票と合わせて見学された方も多かったのではないでしょうか。私が見に行った時間帯は多くの祖父母や親子連れの方で賑わっていました。二中生の力作の一部を紹介します。
朝8時頃の二中の花壇です。雪がほんの少し積もっていました。おはぎは早朝から私が新聞を取りに行く隙をぬってパトロールに出動しようとしましたのでつかまえて室内に戻しました。
童謡「雪」の2番は「雪やこんこ あられやこんこ 降っても降っても まだ降りやまぬ 犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」と歌われています。
暗くて、狭くて、暖かい、こたつの中は最高の基地と化していますが、熱中症、低温やけど、脱水、コード噛みによる感電等、注意しないといけないことが結構あります。
我が家では、こたつの隅を開けておくこと、ご飯はカリカリばかりにせず水分の多いウェットタイプを多くあげています。おはぎもマールも「何でおいしい方のご飯もらえるにゃあ?」と思っているはずです。
ところで、1番は「雪やこんこ あられやこんこ 降っては降っては ずんずん積もる 山も野原も わたぼうしかぶり 枯木残らず 花が咲く」でした。歌えましたか?
6日(金)に塚田元二小校長先生が授業参観に来校されました。児童が大きく成長した姿を喜んで見て回られました。3年生に会えなかったのを残念がられ、小学生の頃の思い出話しをしていかれました。
今時の英語の授業、スピーキング(話すこと)とライティング(書くこと)のテストの事前確認です。集中しています。
2年生から「火まで修学旅行、水は代休、木は木材加工、金は3時間授業、ラッキーな1週間!」という声が聞こえてきました。今日は午後から袋中学校で「自ら学び続ける生徒の育成~生徒の問いを解決するための単元デザインの工夫を中心にして~」を主題とした研究発表会が開かれます。各中学校の先生は一部を除いて全員参加、午後は日頃の終業時刻までは自宅で自主学習です。学年閉鎖中の3年生はもちろん、1・2年生も「ラッキー、先生不在!」と安心しきって昨日オープンしたばかりの某ハンバーガーチェーンなどに出かけたりすると、来週月曜はきっとアンラッキーな1日ですね。
今日は水俣高校建築科2年生の皆さんに、技術の木材加工(マルチラック制作)の授業支援に来ていただきました。木材加工に興味を持った人はぜひ水俣高校建築科へ。
3年生のインフルエンザ罹患者増加のため、以下の対応を行います。なお、追試験の無い高校の入試を直前にした対応ですので、受験や病院受診、郡市対抗駅伝出場などを除いて、7日(土)・8日(日)も不要不急の外出をしないこと、感染症対策を徹底するようお願いします。
他学年の皆さんも体調が悪い、発熱しているなどの症状がある場合、無理して登校せずにしっかり休んでください。また、土・日もインフルエンザ等の感染症の診断が出た場合は留守電にメッセージを残してください。
HPの「保健室より」のコーナーに「出席停止早見表」を載せています。そちらもご覧ください。
≪3年生対象です≫
〇本日5日(木)は給食終了後に下校します。
〇6日(金)は学年閉鎖です。
今日は2年生も引率職員も修学旅行日曜日の分の代休です。今日はしおりの整理を済ませ、また明日からの学校生活を楽しく過ごしましょう。
学級閉鎖から復活した2年生は、先週金曜日にアルティメットの体験を行いました。審判もプレイヤーが自分たちで行い、折り合いをつけることも学ぶ競技です。
部活動顧問の大きな負担の上位にくるのが、競技経験のない種目の審判をさせられることです。全員部活方式ではなくなった世代の先生方はなおさらです。みんなが初心者だったり、セルフジャッジ方式だったりする競技であれば顧問もしやすいのにと思いました。最後は独り言です。
定番の一言「家に帰り着くまでが修学旅行」です。明日は代休です。今夜はゆっくりお休みください。
「水、塩、酒、フーッ!」で、シーサーに守り神としての魂が入るそうです。塗料が溶けないかは自己責任でお願いします。
並べて授業参観まで展示するので、木曜日はシーサーを持って登校してください。
10分ほど遅れて無事に熊本空港に到着しました。荷物を受け取ったら貸し切りバスで水俣に向かいます。たくさんのくまモンに出迎えられて、帰ってきたなと言う感じです。
追記:10℃の気温差、冷えます。17時32分に空港を出ました。宮原SAで休憩して帰校します。
そろそろ飛びます。着陸まではスマホもまたフライトモードです。隣の席のT主任は、またもや緊張モードです。
かなり疲れています。名残惜しいですが、いよいよ沖縄とお別れです。離陸予定時刻は15時25分です。
那覇国際通り商店街のHPによると「国際通り」は沖縄県の県庁所在地であり、県・市などの行政機関、民間企業が立地する業務集積地に隣接。通りには約600の店やその他の事業所が軒を連ね、デパート、レストラン、サービス、雑貨店などや、ホテル、お土産屋などの観光客を対象としたたくさんの店でにぎわっている。「人に優しい街・歩いて楽しい街」をコンセプトに掲げ、様々なイベントも行っている。とのことです。
今から2時間の班別自主行動です。生徒会長から「校長先生、20mありがとうございました。」と言われました。熊本はどこに行ってもくまモン、沖縄はどこに行ってもシーサーですね。
追記:集合時刻直前!青い紙袋を持ってダッシュ!
ホテルから徒歩移動をして、対馬丸記念館で語り部講話と資料見学を行いました。800人余りの学童を含む約1800人を乗せた学童疎開船対馬丸は、昭和19年8月22日の夜に鹿児島県悪石島付近で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け撃沈されました。学童780人を含む1484人が亡くなったこの悲劇を後世に伝えようとつくられたのが対馬丸記念館です。
修学旅行最終日です。対馬丸記念館、国際通りを経て沖縄での予定は終了です。最後の1日を学び、楽しみます。ホテルの皆様には大変お世話になりました。
先生方が起こして回るまで、ぐっすり過ぎるくらい眠って体調不良者無し。朝カレー、朝タコライスでエネルギーをチャージして1日元気に過ごします。
※昨夜は、変な妖気を感じたと言い出し、絵付けをしたシーサーを魔除けに3体並べて寝たグループがあったとか。
※カードキーと間違えて、電源カードを持って部屋を出てしまい、中に入れなくなったグループがあったとか。
班長会議で今日の反省と明日の確認をしました。10mの謎の答えは?修学旅行を裏で支える人たちに思いを馳せて、最終日も楽しみ、学びましょう。
晩ごはんです。今夜はしっかり休み、ゼロに近くなったHP(ヒットポイント)を回復して最終日に臨みます。
「スマイルホテル那覇シティリゾート」に到着しました。
首里城公園は興南アクト部の皆さんに案内していただきました。復元された首里城とその周辺の守礼門、円鑑池、龍潭、円覚寺などを含む、古都首里の自然や風土が満喫できる空間が首里城公園です。令和元年10月31日の未明に発生した火災により焼失した首里城正殿は、今年の秋ごろに再建完了予定です。
(琉球朝日放送のテレビ取材もありました。)
米軍基地に隣接する「道の駅かでな」の屋上から嘉手納基地を一望した後、学習展示室で、嘉手納町の歴史や基地との関わりについて学びました。見学中に哨戒機がタッチ&ゴーで飛び立っていきました。
伝説の獣像シーサーの絵付け体験を行いました。「獅子(しし)」の沖縄の発音だそうです。魔除けの意味を持ち、多くは屋根の上に設置されています。二中の生徒玄関にも2対いますね。先生方もチャレンジしました。才能ありです。私のシーサーは、もちろんマールです(=^ェ^=)
御菓子御殿で昼ごはん、タコライスです。ホットソースで仕上げます。ソース2本がけのチャレンジャーもいました。
沖縄の海とイルカショーを楽しみました。
「沖縄の海との出会い」をコンセプトに、イノー(沖縄の方言でサンゴ礁の縁の浅瀬)、珊瑚礁、黒潮の海、深海と様々な海の生物を紹介しています。水量7,500㎥の世界最大級の大水槽「黒潮の海」の他、総展示槽数は77槽です。
世界で初めて長期飼育に成功したジンベエザメやナンヨウマンタが人気の展示です。
沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として、昭和50年7月20日から約6か月、183日間に亘って沖縄国際海洋博覧会が開かれました。その跡地に造られたのがこの公園です。私が持っている100円記念硬貨を調べてみると、現在の取引価格は330円でした。物価上昇率を考えるとトントンです。
朝ごはんの時間です。副会長2人のメニューです。
体調不良者無し、今日は美ら海水族館でジンベエザメが待っています。生徒の目も、生き物好きのO先生の目も期待でキラッキランランに輝いています。ホテルの皆様には大変お世話になりました。では、行ってきます。
班長会議で今日の反省と明日の確認をしました。お風呂に入って、しおりを整理したらお休みなさい。
沖縄最初の晩ごはんです。おいしくて栄養のあるものばかりです。食事はバランスが大事です。(参考までに、生徒会長のメニューです。)
「ロイヤルビューホテル」美ら海に到着しました。美ら海水族館まで歩いて5分、1階は各部屋にテラスがあり喜んでいます。
カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていました。当時は450mあったと言われています。
沖縄戦などで亡くなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするために建設されたのが「平和の礎」です。建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言では「いしじ」と発音するそうで、平和創造の「いしずえ」となることを期待して建設されました。国籍や軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んでいます。
沖縄戦の体験と平和の尊さを伝えるため、ひめゆり同窓会によって設立された平和祈念資料館です。ひめゆりの塔の横で説明聞き、冥福をお祈りした後、証言映像や当時の写真、壕の実物大模型などが展示された資料館をじっくり見学しました。見学態度も真面目で、添乗員さんやガイドさんからも褒められています。
第二次世界大戦末期に「伊原第三外科壕」に学徒隊として従軍していた「ひめゆり学徒隊」にちなみ「ひめゆりの塔」と名付けられています。生徒は二中の「闘魂碑」のような背の高いものを想像していたようですが、約90㎝の塔です。
「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉だそうです。
下の写真は「伊原第三外科壕」です。ここは、アメリカ軍の攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が亡くなるという、ひめゆり学徒隊の中で最も多くの犠牲者が出た壕です。
糸満市でお昼ご飯。メニューは沖縄そば、スパムの入った炒飯、餃子、ぜんざいです。子どもたちも満足です。
追記:食後の後片付けもきちんとできました。
那覇空港に到着しました。漁場を表す「魚場(なは)」が「那覇(なは)」の語源だそうです。気温は熊本の5月・10月頃と同じ。薄雲りですが暖かいですね。
もうしばらくしたら鹿児島空港を離陸します。着陸まではスマホもフライトモードです。
追記:飛行機からの画像です。着陸後にアップしました。揺れることもなく、安心安全な空の旅でした。
鹿児島空港に到着して、搭乗手続きを済ませました。この後、写真の飛行機に乗ります。T学年主任は苦手とする飛行機移動を前に緊張しています。
2月は逃げる。今年度も残り2ヶ月。月の始めは3日間の沖縄修学旅行からです。貸し切りバスが水俣を出発しました。鹿児島空港に8時到着、9時15分に離陸予定です。ブログは各見学地終了時刻頃にアップします。
明日から3日間の沖縄修学旅行です。ブログを随時処方しますので、朝食・昼食・おやつ・夕食・夜食を摂った後、または子どもに会えなくて寂しいという症状が出た時にご覧ください。上級生の保護者によると即効性があるそうです。
1日(日)
5:50二中集合(保護者の車は運動場)
6:10二中発
9:20鹿児島空港発
10:55那覇空港着
11:50糸満市(昼食)
12:50ひめゆりの塔・平和祈念資料館
14:00平和祈念公園・平和の礎(いしじ)
15:15旧海軍司令部壕
17:50ホテル着
2日(月)
8:30沖縄海洋博記念公園(美ら海水族館)
12:10恩納付(昼食)
13:25琉球村(シーサー絵付け体験)
14:50道の駅かでな(展望室・学習展示室)
16:20首里城公園(興南中学校のアクト部と交流)
※水俣では放送されませんが、沖縄のテレビ局の取材があるとか。
18:20ホテル着
3日(火)
9:00対馬丸記念館
10:50国際通り(班別自主活動)
15:25那覇空港発
16:50熊本空港着
19:10二中着(保護者の車は運動場)
4日(水)2年生振替休業日
HPで修学旅行を振り返る。疲れを取りつつ、学習に励む。しおりの記入を済ませる。
〇インフルエンザが全国的に流行しています。二中も今回はB型ばかり、高熱と腹痛に襲われています。修学旅行先での感染予防のための準備物もしっかり整えましょう。
〇修学旅行の朝は午前5時45分登校、午前5時50分集合です。冷えますので、早く到着された場合はグラウンドに駐車し、車内で待機ください。見送りの場合もグラウンドに駐車してください。
〇ペンケースにペン型のハサミを入れたままにしていて空港で没収されたことがよくありました。機内持ち込み禁止の物がないか再度確認してください。
〇「広報みなまた」2月号に、PTA全国表彰の市長表敬訪問の記事が掲載されました。PTA会長の家宝が増えました。
※モバイルバッテリー・スマホ・デジカメ・ゲーム端末・タブレット端末などの修学旅行への携行は厳禁です。資料をお読みください。
(国土交通省)航空機内でのモバイルバッテリーの取り扱いについて.pdf
2年生は修学旅行の事前確認と出発式を行いました。「国際通りでは古着屋を回りたい。」という声も聞こえてきました。ウキウキ、ワクワク、ドキドキの3日間のはじまりです。健康管理に努め、落ち着いた明日を過ごしましょう。
前日に学校に荷物を持ってこさせて忘れ物はないか、名前を書いているかの点検を行っていた過保護な時代もありましたが、ずっとずっと昔の話です。帰宅したら荷物を確認、再確認。「Su~」や「WA~」などを持っていく(持たせる)などは決してなさらぬように。
修学旅行期間の天気予報は
1日(日)那覇市「曇り」降水確率40%・最低気温15℃・最高18℃、
2日(月)美ら海水族館「曇り」降水確率40%・最低気温14℃・最高17℃、
3日(火)国際通り「晴れのち曇り」降水確率20%・最低気温14℃・最高18℃です。
水俣の今日の最低気温は3℃、最高気温は8℃でした。湯浦中に異動したM先生の生活経験によると「長ズボンとTシャツの上からトレーナーで過ごしていました。しかし、風の強さで体感温度が変わり、風速1mで体感は-1℃くらいの感覚でした。」とのことです。あっ、過保護な情報でした。
2月2日(月)は熊本県立高校の前期(特色)選抜が実施されます。多い人は10回近くの練習を重ね、今日の校長面接が最後です。「本校を希望した理由は何ですか?」「中学校生活で一番頑張った事は何ですか?」「自己アピールをしてください。」などの質問にしっかり考え、的確に回答することができていました。本番もきっとばっちりです。
二中HPのリンク「県立高校入試」から入試に関する通知など多くの最新情報を見ることができます。次年度以降の方針も発表されています。1・2年生のうちから、いや小学生のうちからぜひお読みください。
昨日は芦北・水俣学校保健会研修会が開かれ、一般社団法人子ども大学理事長・ふるさと元気子ども食堂代表の宮津航一さんを講師に「こうのとりのゆりかごから始まる第二の人生」と題した講演がありました。
宮津さんは熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」にあずけられた(開設初日1人目)生い立ちを2022年に公表し、当事者活動(講演など)に取り組まれています。「こうのとりのゆりかご」への思い、なぜ生い立ちを公表したのか、「家族」とは、これからの展望などたくさんの思いを話されました。航一さんの思いは、テレビで特集を組まれた際の動画などがYoutubeにもアップされています。
里親の宮津美光さんは航一さんに「“家族”とは、血がつながっているということではなくて“最後まで味方”でいることだ。何があっても“最後まで味方”でいるのが“家族”だ。」と語られたそうです。
学校給食週間最初の昨日の給食は豚汁と焼き鮭がおかずでした。何と、前日夜のわが家の晩ごはんと全く同じでした。
1月24日から1月30日までの1週間は「学校給食週間」です。日本の学校給食は明治22年に始まって以来、各地に広がっていきましたが、戦争の影響などによって中断されました。戦後の昭和21年12月24日に、東京都内の小学校でLARA(アジア救済公認団体)からの給食用物資の贈呈式が行われ、翌年1月から学校給食が再開されました。
学校給食による教育効果を促進する観点から、昭和25年度からは冬季休業と重ならない1月24日から1月30日までの1週間を「学校給食週間」としました。
昨日は水俣市でも学校給食フォーラムが開かれ、九州ルーテル学院栄養士の永野智子先生による「分子栄養学で大人も子どもも元気になろう!~子どもの問題を分子栄養学の視点で考える~」と題した講演がありました。
2年生のインフルエンザ罹患者増加のため、以下の対応を行います。他学年の皆さんも体調が悪い、発熱しているなどの症状がある場合、無理して登校せずにしっかり休んでください。また、不要不急の外出を控えること、感染症対策を徹底することをよろしくお願いします。
HPの「保健室より」のコーナーに「出席停止早見表」を載せています。そちらもご覧ください。
≪2年生対象です≫
〇本日26日(月)は給食終了後に下校します。
〇27日(火)・28日(水)は学年閉鎖です。
23日(金)に、高岡水俣市長様をはじめ、蓑田教育長、二中校区の市議会議員の皆様や各校のPTA役員の皆様など、多くのご来賓の方にご臨席いただき、全国PTA年次表彰の祝賀会を開きました。今回の表彰は、水俣市P連を代表していただいたという思いです。
祝賀会は厳粛に行うものか、二中らしく行うものか実行委員で検討した結果、「二中らしく」行うこととしました。参加いただいた皆様には市P連総会といい、ビーチボールバレー大会といい、毎度毎度、大目に見ていただきありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
私は妹、弟、弟の4人きょうだいなのですが、下の弟とは10歳離れています。子どもの頃、私と妹が「甘やかしすぎ。」と言うと、母から「すったれは親と過ごす時間が短かけん、甘やかさんば。」と返されました。なるほどと納得させられましたが、母も子どもの頃、大岩の祖母に同じことを言ったようです。受け売りでした。
私の長男は小さい頃、唐突に「お母さんは、俺には『〇〇〇』って言うけど、〇〇〇(弟)には『〇〇ちゃん』て言うよね。」
確かにその通り。子どもはちょっとした差に気づいています。普段はとても仲が良いのですが、やきもちや不満が弟に向かうことがあります。時折「こなして」いたようです。
ある日、押入れを開けると、壁にたどたどしい字で「おにいちゃんのバカ」と書かれていました。面と向かって言えない弟のささやかな抵抗です。わが家の家族遺産に登録しています。
トミカを集めています。何台持っているかは恐ろしくて数えたことがありません。孫たちへの遺産にします。
田浦中校長の頃、私に「こいつ、中学生なのにトミカを集めているんですよ。」と言う発言をした生徒がいました。そこでとっさに「俺も集めているよ。大人になっても続けられる良い趣味だよ」と返しました。実はその時チョロQは結構持っていたのですが、トミカは数台でした。集めていると言い切った手前、集めることにしました。今は私の趣味の上位に入ります。先生方の愛車と同じ物を見つけたときはプレゼントし、趣味への理解を図っています。
言うまでもないことかも知れませんがトミカ(Tomica)はタカラトミーが製造しているミニカーで昨年が55周年、累計販売台数は10億台を超えています。子どもの頃遊んでいた、今でも集めている、放置していた物を親が踏みつけて怒られた、といった経験をされた方も多いのではないでしょうか。トミカで育った子どもは車好きになり、プラレールで育った子どもは鉄ちゃんになっていくということもよく言われます。
トミカはドアミラーがついていない、とがった部分は先端を丸めてあるなど随所に小さな子どもが安全に遊べる配慮がしてある。パッケージの横幅がすべて同じ。サスペンションやドアの開閉など触って楽しい等の特徴があります。また、「共遊玩具(一般市場向けに造られ販売されている、目または耳の不自由な子どもたちにも楽しく遊べるおもちゃ)」にも認定されているそうです。
今日の3年生の福祉体験学習は「まちあるき体験」です。車椅子と目隠し、それぞれに介添えをつけて水俣市内の道路や商業施設を回りました。もう少し進むと、私の家族の転倒骨折現場です。ちょっとの段差もあぶないあぶない。
今日の午後から新入生・保護者説明会を開きました。まず、生徒会執行部から学校生活について、各担当職員から学習・部活動・約束事・自転車通学・情報モラルなどの説明を行いました。その後、新入生はリズムジャンプ体験、保護者は後半の説明を行いました。次は4月3日(金)の新入生登校日にお会いしましょう。
※二中についてさらに知りたい方はHPをご覧ください。
※ご不明の点や相談事がございましたら教頭までご連絡ください。個別の内容は直接、全体に関わることは小学校を通じて、小学校卒業式後はHPの「PTA」のコーナーに回答します。
今回のモス日通信はモスクワの気候について書かれています。日本も最強寒波の報道がされていますが、モスクワは最強寒波が通常運転ですね。
1月中旬になり、モスクワの気温は-10~―20℃程度です。熊本に住んでいると体験したことない寒さです。私も毎朝、仕事着の上にスノーウェアーを着て出勤しています。—10℃にもなると、雪が乾燥しさらさらした質感になります。雪の上を歩いても溶けることがなく、「きゅっ、きゅっ」と音が鳴ります。また、路面が凍結しているため、大変滑りやすくなっています。スニーカーでは到底歩けないほどの路面状態のため、スノーブーツが欠かせません。モスクワで生活していて、生まれて初めてスノーブーツが心から欲しいと感じました。ダウンコートもモスクワでは-60℃対応が売ってあります。その土地その土地で必要なものが違うため、日本では必要ない商品がモスクワでは必需品であることを感じています。
また、モスクワは冬が長いため、街中には多くのイルミネーションがあります。イルミネーションの数とスケールには圧倒されました。(ロシアの人も冬を楽しむためかなと感じています。)ロシアはエネルギー大国のため、日本のイルミネーションとは比べ物にならないほどのスケールです。街中いたるところにクリスマスツリーやモニュメントが設置され、とても綺麗です。
今日は朝から公立高校前期選抜の願書提出、昼休みは面接練習、放課後は私立高校推薦・特待等入試の合格発表と進路関係の行事が続きました。昼休みの面接練習では、とある生徒が「最近読んだ本は?」の質問に「最近本だ読んは…〇〇です。」と回答していました。本番はリラックスしていきましょう。
クイズ、私は誰でしょう。漢字で答えましょう。入試問題に出ると良いですね。
①1850年にギリシャで生まれ、アイルランドで育ちました。
②約3年間、熊本の第五高等中学校の英語・ラテン語の先生として教壇に立ちました。
③1896年に日本国籍を取得しました。
④著作に「怪談」「知られぬ日本の面影」「骨董」等があります。
⑤ドラマ「ばけばけ」のモデルです。
⑥熊本では鶴屋百貨店横の写真の家に住んでいました。
1年生がアルティメットの授業に入りました。ボールと違いディスクに浮遊感があるため、キャッチのタイミングが難しいようですが、それがまた楽しさにつながっているようです。球技が苦手な生徒も楽しんでゲームができています。
越年で最終回です。この賞が日本で特に話題になったのは、1997年の「たまごっち」からだったと記憶しています。受賞者の人口比は日本とイギリスが多いそうです。
2016(知覚賞)前かがみになって股の間から後ろ方向にものを見ると、実際より小さく見える「股のぞき効果」を実験で示した研究。
2017(生物学賞)雄と雌で生殖器の形状が逆転している昆虫(トリカヘチャタテ)の存在を明らかにした。
2018(医学教育賞)自ら内視鏡を操作し、座って自分の大腸検査をした論文「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試してわかった教訓」に対して
2019(化学賞)典型的な5歳の子供が、1日に分泌する唾液量の測定の研究
2020(音響学賞)ヘリウムガスを使うとワニのうなり声も高くなる(ドナルドダック効果)ことを発見した。
2021(動力学)歩行者同士が時には、衝突することがある理由を明らかにする実験を実施した。
2022(工学)つまみを回すときの直径と指の本数との関係を明らかにした。
2023(栄養学)電気刺激を施した箸やストローを用いた味覚の変化について。
2024(生理学)お尻から呼吸する能力があることを発見したことについて。
2025(生物学)ウシにシマウマのような縞模様を描くことでアブに刺されるのを避けられるかを検証した。
大きな出来事があったときの新聞を保存するようにしています。写真は阪神・淡路大震災の翌日、平成7年1月18日の新聞です。1面のトップは『死者1456名』『阪神で直下型大地震』『震度6・M7.2』、開くと横倒しになった阪神高速道路の高架の写真。被害の凄まじさが記録されています。
平成23年3月9日に発生した三陸沖地震は、2日後に東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の前震と考えられていることを思うと、中央の「三陸沖、東海も懸念」が目に留まります。
午前5時46分頃発生、出勤前に見た朝早くのニュースでは、「地震があったんだなぁ」というレベルの理解でしたが、時間がたつにつれ、どんどん被害状況が分かってきました。これまでみた事の無い未曽有の災害に驚愕しました。大学の先生のご両親もこの時の災害で亡くなられたとのことでした。正月に帰省して、また来年会おうという話をされたばかりだったそうです。関西方面に住む親戚も危うい状況でしたが無事でした。生死を分けたのは、前日夜のたまたまの行動でした。
『天災は忘れられたる頃来る』は、寺田寅彦氏(科学者で随筆家、熊本第五高等学校在学時代は夏目漱石の生徒)が、しばしば口にした言葉です。今日は「防災とボランティアの日」です。
今日はとても暖かい日です。たくさんの生徒が外で楽しい昼休みを過ごしています。声まではお届けできないのが残念です。3年生は昼休み、放課後と先生方を予約して面接の練習です。AIとは?ICTとは?工業系の学校の面接では専門用語についての質問も。志望動機は?中学校生活で頑張った事は?どんな高校生になりたいですか?いろいろな質問にしっかり自分の考えを述べることができていました。
2月12日(木)は今年度最後の授業参観です。ぜひご参加ください。3年生の入試シーズンです、感染症対策はそれぞれでよろしくお願いします。
①授業参観 14:15~15:05
1-1英語・1-2家庭科・2-1国語・2-2音楽・3-1数学・3-2国語・大成1自立活動・大成2数学
②学年・学級懇談会 15:10~15:50
3年生の学年・学級懇談会は実施しません。
日本教育公務員弘済会熊本支部から1月1日付広報紙への原稿依頼がありました。以下の内容で寄稿しました。広報紙は熊本県の各学校の先生方に配付されています。
水俣市立水俣第二中学校は平成23年4月1日の水俣市中学校再編成により、旧水俣第二中学校と旧水俣第三中学校の大部分を校区として開校しました。現在は両校の伝統を融合させ、教師・保護者と生徒が両輪となって、教育理念である「風格ある二中生」、学校教育目標「自立心にあふれ、夢を実現する生徒」の具現化に取り組んでいます。PTA活動も盛んで、九州PTA長崎大会での提言、熊日PTA新聞コンクール小中学校の部優秀賞、全国PTA年次表彰など、教師・保護者と生徒とが生き生きと過ごせる学校です。
本校は平成8・9年度に熊本県教育委員会の「環境教育」の研究指定を受け、それを機に地域ゴミ分別収集への参加など、水俣の歴史を踏まえ地域との絆を大切にした研究と実践を進めました。その成果は環境大臣表彰や教科書への掲載、多くのテレビ取材などにつながり、平成22年度には日本の環境首都に選ばれた水俣市にあって「環境教育の二中」として名を馳せ、スクールプライドの醸成につながりました。
また、令和6・7年度は「学校体育」の研究指定を受け、「自ら考え行動し、自他共に高め合う生徒の育成」を目指して研究を進め、「様々な“あい”が育まれる」教育実践に取り組みました。環境教育と合わせ、水俣二中生の健全育成のための大きな2本の柱となっています。
3年生は総合的な学習の時間で福祉体験学習に取り組んでいます。今日は車椅子体験と目隠しをしての歩行体験を行いました。車椅子はマーカーにぶつかりぶつかり、目隠し体験はおそるおそるの歩行でした。水俣市の福祉に関する課題と取組について学び、自分たちはどう関わっていくかという意識を高めて二中を卒業していきます。
熊本県内で最も歴史のある駅伝大会「熊日三太郎駅伝競走大会」が11日に開催され、二中生も7名が選手・サポート役として参加しました。冷たい雨の降る水俣市役所をスタート、芦北町役場田浦支所をゴールとする10区間40.2kmでタスキをつなぎました。途中は小雪の中の大会でしたが、水俣Aチームが10連覇を果たしました。2区Mくんの活躍は熊日新聞に写真入りで紹介されていました。また、同じ日の午後に、都道府県対対抗女子駅伝競走大会の8区を走ったTさんからアンカーへタスキをつなぐ場面も写真で大きく紹介されていました。また、1面の最初に二中生2人の写真が並んでいます。
平成22( 2010)年の今日は大雪でした。最後に担任をした生徒たちと、朝から雪合戦をした画像を見つけました。
今日は「成人の日」、大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます日です。かつては、元服の儀が小正月に行われていたことから1月15日に固定されていましたが、ハッピーマンデー制度により平成11(2000)年から1月の第2月曜日に変更になりました。
令和4年4月からは18歳成人。成人の日の前後に「二十歳の集い」を開いている自治体も多く、水俣市でも昨日「二十歳の集い」が開かれました。今年も「小・中・高でお世話になった先生方からのメッセージ動画」の場面が一番盛り上がったことでしょう。私用で参列できませんでしたので「広報みなまた」を楽しみに待っています。
成人すると保護者の同意なしに契約などができるようになり、未成年者取消権が認められなくなります。余談ですが、私が大学生の時にパソコン購入詐欺があり、その時は20歳が契約取消の分かれ目でした。これが18歳からになったということ。しっかり勉強しておきましょう。
今日は昼前から父の四十九日法要です。18年前に学級通信に書いた父の話です。若い頃であればクマ出没の話にワクワクして行きかねなかったと思います。
~実家には猟犬がたくさんいる。裏庭には随分行っていないので数えたことがない。
冬はイノシシ猟の季節。私の父の血が騒ぐ。猟をしたいからという理由で、高校を1週間で退学した父。普段はあっちが痛いこっちが痛いと言っては仕事をサボるのに(職業は庭師です)猟にだけは皆勤賞、病気もいつの間にやら自然治癒、山道を毎日10㎞近く歩き回って平気な顔をしている。(痛いなんてこぼしたら母から何と言われるかよくわかっている。)
猟期は全く仕事に行かず、家にはあちこちにあふれるアゴの骨・切り取った尻尾・猪や鳥の剥製、冷凍庫の中はシシの肉だらけ。妻子の苦情をものともせず、わが道を行く70年。働かないことで実害を受けていた子どもの頃は、とにかく猟に行くことが嫌だったのだが。最近は息子も年をとって、「しかたないな」と笑い飛ばす余裕もできた。しかし、いまだに本人には妻子に迷惑をかけているという自覚がない。野生のじいさんは今日もわが道を行く。~
写真は昭和30(1955)年頃、左端が祖父、中央が父です。イノシシは仕留めたのを立てています。今は猟師が減って、害獣による農作物被害に大変困っているそうです。昨年末に話題になりましたが、テレビで見る熊猟師の皆さんの年齢もかなり高いですね。
1年生 HKさん
私が3学期に頑張りたいことは三つあります。一つ目は自分からのあいさつです。私は普段、自分からあいさつをしようと心がけていますが、時々、先にあいさつをされてから返すことがあります。自分からのあいさつを欠かさないようにしたいです。
二つ目は班活動での意見の伝え方です。私は班活動ではしっかり人の意見を聞き、自分の意見も言うことを心がけています。しかし、自分の意見を上手く伝えることができないこともありました。話す前に考えを整理して、相手に分かるように伝えることができるようになりたいです。
三つ目はテスト勉強に頑張ることです。私はワークや教科書を使って何度も復習をするように心掛けていますが、苦手な教科は後回しにしてしまうことがあります。これからは苦手教科もしっかり勉強できるように、余裕をもって取り組もうと思います。そして、次の学年に向けての準備の学期でもある3学期は、やるべきことにしっかり取り組み、新1年生のお手本となるような2年生になるための準備をしたいと思います。
3年生 YIくん
私が2学期に頑張った事は二つあります。一つ目は駅伝です。私は日々のきつい練習を頑張り、今年の郡市大会でBチームのアンカーを任されました。駅伝の練習や大会に参加できたことで悔しさや喜びをたくさん知ることができました。
二つ目は3年間の音楽部の臨時部員としての活動です。たくさんの行事に参加し、昨年と今年はコンクールで結果を出し、3年間頑張り続けたことで自分に自信を持つことができました。
この経験を踏まえて、私が3学期に頑張りたいことが二つあります。一つ目は高校進学の準備です。私は運動が好きだったけど、小6から中2まで体調を崩し、激しい運動ができなくなったため、運動部活動ができませんでした。けれども中3になって体調が戻り陸上の練習を再開することができました。あらためて走ることが好きだと感じました。高校では部活動をしたいと考えているので勉強と両立させなければなりません。苦手教科はそのままにせず、友だちや先生に聞き、何度も繰り返すことが大事だと考えました。
二つ目は残り少ない中学校生活を楽しく過ごすことです。同じ学年のみんなと一緒に過ごすのはあと2ヶ月しかありません。3月8日には卒業式があり、それぞれの進路に向かうため、一日一日をこれまで以上に高め合い、楽しく大切に過ごしたいと思っています。そして、背中を押してくれた家族や先生に恩返しのできる高校生活を送っていきたいです。駅伝や音楽部での経験から、目標を叶えていくためには何事にも精一杯取り組むことの大切さを学びました。今、自分にできることを精一杯頑張り卒業できるよう、残りの中学校生活を充実させたいです。
生徒会新役員の任命式を行いました。会長のあいさつは「馬車馬のように頑張る」でした。
3学期始業式式辞の抜粋です。
3年生の皆さん。さすがに今年の冬休みは進路決定を前に、ゲームや動画視聴三昧で、おうちの方から何を言われても「馬耳東風」というようなことはなかったでしょう。
保育園や幼稚園、小学校、中学校、長い人とは10年以上の付き合いがあった「竹馬の友」との別れの時が迫っています。数年後は「生き馬の目を抜く」社会に出ていく皆さんです。「人間万事塞翁が馬」良かったり悪かったり波を繰り返しながらの人生です。その波が下に振れた時にあなたを支えてくれる一人が、今、隣にいる仲間たちです。残りの40日間、人との関りを大切にして、再会したときに中学校生活を楽しく語れる関係を築きましょう。
1・2年生の皆さん。助走期間である3学期を次の学年の『ゼロ学期』と位置づけ、次年度への準備を進めましょう。その際「馬の耳に念仏」とせず、先輩や先生、お家の方等のいろいろな意見を素直に聞いてよいものはどんどん取り入れましょう。「老いたる馬は道を忘れず」きっと参考になるはずです。短い3学期ですが、一人一人が「名馬に癖あり」といわれるような個性を磨き、入学式の日から新入生に驚きと感動を与える上級生になりましょう。
水俣二中を巣立つ3年生の皆さんには後輩に何を残すか、後を引き継ぐ1・2年生の皆さんは先輩から何を学び取るか。それぞれ一点に絞った3学期、ゼロ学期を送ってほしいと願っています。そして次年度は「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」というように色々な事に挑戦しましょう。できない理由を探さずに挑戦すれば「瓢箪から駒」思いがけない結果が待っていることでしょう。
3年生の田上莉子さんが、1月11日(日)に「たけびしスタジアム京都」をスタート・フィニッシュとする「皇后杯 第44回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会」に出場します。
田上さんは11月15日の中学生選考レースで激戦を制し1位となり代表選手に選ばれました。その後、12月7日の練習会、26日~29日の強化合宿、そして1月5日の結団式を終え、今日は高岡水俣市長を表敬訪問して大会への決意を語りました。明日8日は京都へ出発します。大会は12時30分スタート、テレビ中継されます。(写真は陸上競技部のメンバーと横断幕の前で)
今日、明日の2日間、生徒会新執行部のリーダー研修を行います。研修の最初は恒例の校長講話からですが、教頭の頃から担当しているので今回が14回目の講話です。自分たちがやって楽しい生徒会活動にすることが一番です。
学習指導要領では生徒会活動について、目標を「生徒会活動を通して、望ましい人間関係を形成し、集団や社会の一員としてよりよい学校生活づくりに参画し、協力して諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度を育てる。」こと、内容を「学校の全生徒をもって組織する生徒会において、学校生活の充実と向上を図る活動を行うこと。」として
(1)生徒会の計画や運営
(2)異年齢集団による交流
(3)生徒の諸活動についての連絡調整
(4)学校行事への協力
(5)ボランティア活動などの社会参加 の5つを挙げています。
今日は仕事始めです。あいにくの雨でした。学校宛ての年賀状とメールチェック、後は丸一日進路事務です。間違いがなくて当たり前とされる仕事です。3年部の先生方も正月気分は疾うに捨て、集中して業務に取り組んでいます。
毎年、元日は朝5時前に家を出て、妻と二人で1時間ほど歩いて八幡神社にお参りに行っているのですが、昨年11月のとある事情により今年は車でのお参りとなりました。
私は同窓会の日に実家近くの神社に参拝しました。毎年願いは一つ、賽銭箱に100円を入れて「水俣二中のかわいい3年生全員が希望の進路に進むことができますように。」と祈ると、どこからか威厳のある声が…。
神「そなたの願い叶えてやろう。」
H「その声は神様でしょうか!」
神「そうじゃ。だが、条件がある。」
H「まさか、私の命ばかりはご勘弁を。」
神「そうではない。あと10円足りんぞ。」
駐車場にヒマラヤザクラがあるのはご存じでしょうか。これは、平成10年度生徒会会長の榮永さんが、大学の先生から環境水俣市民賞受賞の記念に頂いた3本(1本は二中、1本は吉井元市長、1本は不明)のうちの1本を植樹したものです。
苗木を植えてから27年が経ちましたが、すくすく育ちました。ヒマラヤザクラは大きなものでは30m程度に育つそうです。11月から12月に咲く二中のシンボルの一つです。花のない季節、蜂もたくさん寄ってきていました。
昨年末、榮永德博さん(お父さん)が当時のいきさつについて熊日新聞の取材を受け、12月25日に掲載されました。どなたか、あと1本の行方はご存じないでしょうか?
昨日は田浦中学校の還暦同窓会に参加しました。前回の同窓会は田浦中の校長の時でしたので、挨拶が回ってきて困りましたが、今回は参加するだけですので気楽です。挨拶は生徒会長だった、現水俣消防署長のKくんでした。全国に散らばっている同級生の参加集約など、幹事の皆さんは大変なご苦労をおかけしました。
同級生の3分の1にあたる約40名が集まりました。同じ職業の同級生とは度々会う機会があるのですが、当時は田浦小・小田浦小・海浦小・井牟田小の4校から集まる中学校でしたので、一度も同じクラスになったことが無かったり、一度も話したことがなかったりした同級生もいます。卒業アルバムで予習をして参加しました。私の席は、小学生の頃の話で盛り上がりました。
40年前の成人式の後の第1回から始まり、今回が最後の同窓会です。中学3年生が言う「最後」と違い、いよいよこれからは本当の最後の連続です。最後の重みが違います。
今年の11月18日には水俣高校の還暦同窓会を開く予定です。そちらも楽しみです。
(田浦中の同窓生から飛行機から撮影した富士山の写真をもらいました。)
「馬」の入ったことわざです。いくつ分かりますか?始業式の校長式辞で10個ほど使います。ところで、もともとは「警戒しなさい」という意味だったのはどれでしょう?
①馬耳東風
②竹馬の友
③生き馬の目を抜く
④人間万事塞翁(さいおう)が馬
⑤馬の耳に念仏
⑥老いたる馬は道を忘れず
⑦名馬に癖あり
⑧馬には乗ってみよ、人には添うてみよ
⑨瓢箪から駒
⑩鞍上(あんじょう)人なく、鞍下(あんか)馬なし
⑪牛も千里、馬も千里
⑫天高く馬肥ゆる秋
⑬敢えて後れたるに非ず、馬進まざればなり
⑭夕立ちは馬の背を分ける
⑮内で掃除せぬ馬は外で毛を振る
趙充国 将軍(前漢)の言葉「雲浄くして妖星落ち 秋高くして塞馬肥ゆ」が由来。秋になると匈奴の馬が大きく強く育ち、その馬で攻め込んでくるから警戒せよ。正解は⑫です。
明けましておめでとうございます。今年も水俣二中をよろしくお願いします。
今年の干支は丙午(ひのえうま)です。「丙」は陽の「火」を表し、太陽のような明るさや情熱、強い意志の象徴です。「午」も「火」に属し、行動力やスピード、エネルギーを意味します。この二つを組み合わせた丙午には、「情熱と行動力で突き進む、道を切り拓く」といった意味があります。二中もそんな年にしていきましょう。
余談ですが、丙午生まれの女性は「気性が激しく夫の命を縮める」などの迷信があります。江戸時代に恋人に会いたい一心で放火事件を起こして火刑にされたといわれる「八百屋お七」は丙午生まれとされています。前回の丙午にあたる昭和41年生まれは、私の一つ下の学年なので丙午の話はよく聞かされていました。この迷信を信じる人が多かったのでしょう、出生数は40年、42年生まれよりも約50万人も少なくなっています。
迷信、迷信。私の命が縮まる気配は少しもございません。
※門松はF先生作です。
親鸞聖人が9歳で仏門に入る決心をし、夜に天台座主の慈円僧正を訪ねたとき、「時刻も随分遅いし、疲れているでしょうから、明日の朝に得度の式をしましょう。」と言われたそうです。その時、幼い親鸞聖人が、返事として「明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたそうです。
平成28年12月30日、大学生の次男を迎えに行った帰りに実家に寄ろうと考えていたのですが、夜も遅くなったため「正月には会うから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。
31日の朝、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。すぐに救急車を呼ぶように伝えました。脳出血でした。「夜半に嵐」が吹きました。
搬送された水俣医療センターでは最初は1週間と告げられました。令和7年11月24日の朝に息を引き取るまで、意思疎通もできないまま、ほぼ9年間に亘り芦北町の病院に入院していました。
コロナ禍以降、家族でも面会が制限された時期です。孫たちが結婚してひ孫ができたことも、私が校長になったことも知りません。母はどんな状態でも生きていてほしいという思いでしたが、食事を口から摂ることもできなくなり、何度も危ない日を繰り返し、辛い9年間だったと思います。
親と過ごせる残りの日数の目安は、1年で親と過ごす日数×(平均寿命-親の年齢)だそうです。息子たちと過ごす時間を計算すると、月に1回+盆正月で2回、8時間ずつ会うとして(8時間×14回)×(84歳-60歳)=112×24=2688時間=112日ということになります。288ヶ月の内の4か月ほど。少ないですね。「明日ありと思う心の」ですよ。
一中のH先生も読んでいると思いますので意識して書きます。
今夜、最後に担任をした平成19年度の二中1年1組の生徒たちと会う予定です。上級学校説明会に来ていた自衛隊のNくんの計らいです。
入学式直前、ルンルンで教室に入ると待っていたのは42歳の大男。第一印象は「ヤバい」だったそうです。失礼な。最初の集合写真はみんな表情が固まっていました。
学級づくりにはとにかく力を入れました。毎日、何らかの人間関係づくりの活動をしていました。B4版の学級通信も全部で52号、毎週休まず発行して子どもたちの姿を保護者に伝えました。使う写真は笑顔があるものに限定しました。
みんなで考えた学級目標は「一致団結 男女仲良く 毎日楽しい1年1組」、クラスを閉じる時にはみんなが目標を達成できたと答えました。前年の3年生と合わせ、私の担任としての集大成です。(知っている範囲で並ぶのは湯浦中Y先生のクラスかな。)
二中勤務6年目でしたので、せめて2年生まで担任をして異動と思っていましたが、翌年から教務主任を任されることになりました。ショックでしたが、そのことで8年目も二中に残り、卒業まで見届けることができました。来年もこの形で行こうと思った瞬間に、担任生活は終わらされます。仕事ですから、希望は言えても自分で決めることができるものではありません。担任の先生方、一年一年を最後だと思って楽しんでください。
異動することが決まって、旧1年1組の保護者の皆さんに送別会を開いていただきました。「次の学校では担任として頑張りたい。」と話したところ、ある保護者から「もう担任はしないでください。」と言われました。「?」でしたが、「担任だとそのクラスしか楽しくならない。先生が校長先生になればきっと学校全体が楽しくなる。」ということでした。今の仕事の原点です。
次期生徒会会長 NAくん
皆さんこんにちは。長かったような短かったような2学期も今日で終わりです。冬休みに入りますが、長期休みでも二中生の自覚を持って落ち着いた行動をしましょう。
冬休みが明け、3学期が始まれば執行部や委員長などのメンバーも変わり、新生徒会としての活動が行われていきます。その中で頑張りたいことが二つあります。一つ目は公約の実現です。生徒会役員改選の演説では、校則の改正や行事の活性化などを公約として掲げました。3学期からは、それらのことを実現するために、具体的な取り組みを始めていきたいと思います。二中が活気づくために、まず自分が進んで行動したいです。
二つ目は、スローガン作成です。新年度からの生徒会活動の根幹となるものなので、しっかり周りと話し合ってよいものに仕上げたいと思います。3学期からは、生徒会長になるのでより良い学校をつくるために力を尽くしていきます。
3年 HYさん
私が2学期に頑張った事は二つあります。一つ目は受験に向けての学習です。中学3年生として本格的に受検を意識し、毎日の勉強に取り組みました。特に苦手教科である数学と理科の克服に力を入れました。問題を解いて終わりにするのではなく、解きなおしをしたり、なぜ間違えたかを考えたりしました。また、分からかないことをそのままにせず、教科書やノートを見直すなど、基礎から復讐することを心がけました。その結果、以前よりも問題が解けるようになり、少しずつですが自信が持てるようになりました。さらに検定の取得にも挑戦し、勉強の計画を立てて取り組む力を身に付けることができたと思います。
二つ目は合唱コンクールです。最初の練習ではパート毎で声がばらばらで揃わなかったりとうま く行かないことが多く、本番が少し不安でした。しかし、文化祭が近づくにつれ声が揃うようになっていき、歌声も大きくなりました。本番ではこれまでの努力が実り、クラスの団結力を感じられる合唱ができたと思います。この体験を通して、改めて仲間と協力することの大切さを学びました。
3学期はいよいよ受験本番です。2学期に身に付けた学習習慣を大切にし、最後まであきらめず努力を続けていきたいです。また、体調管理にも気を配り、万全の状態で受験に臨めるよう心掛けたいです。そして、自分を信じて悔いの無い受験にしたいと思います。
2年 YWくん
僕が2学期に頑張ったことは三つあります。一つ目は委員会活動です。給食委員会の仕事を1回も忘れずにすることができました。特にコンテナ当番のときになるべくはやくコンテナの場所に行き、準備することを意識しました。
二つ目は文化祭です。劇の小道具作りと道具出しの役割や、本番の机や椅子などの配置をしまし た。僕は演技や小道具を作るのが苦手ですが、道具の配置はうまくいき、劇の手伝いができたので良かったです。
三つ目は柔道です。週に6回の練習を頑張っています。最近は勝てるようになってきたのでさらに練習を頑張っていきたいです。
これから頑張りたいことが三つあります。一つ目は勉強です。来年は受験生になるので、希望する高校に行けるように冬休みから勉強を頑張ろうと思います。
二つ目は提出物です。宿題がほぼ毎日出せていないので、まずは冬休みの宿題の期限を守って出せるようにします。
三つ目は授業態度です。僕は授業中に居眠りをしてしまうことがあります。3学期からは睡眠時間を確保するようにします。3年生に向けてしっかり準備をし、今の3年生を越えられるようにしたいです。
私が2学期に頑張った事は二つあります。一つ目は文化祭です。グループ発表ではみんなとシナリオを考え、少し変更したところもあったけれど、発表に向けてたくさん練習を繰り返し、本番でとても良い発表をすることができました。合唱では伴奏者となり、練習では間違えて止まってしまったこともあったけど、たくさん練習をした事で、本番では一度も間違えることなく弾くことができました。
二つ目はあいさつです。1学期は相手にされてから返すことが多かったけど、2学期は自分からあいさつをすることができました。
頑張りが足りなかったところも二つあります。一つ目は部活動で、できないからと理由を付けて新しいことに挑戦しなかったり、休んだりしたことがたくさんありました。3学期は挑戦すること、部活動を休まないことに取り組みたいです。
二つ目はテスト勉強の取組です。苦手な教科を後回しにしたり、先延ばししたりしたことがあったので、3学期は自分のやり方を見つけ、計画的に勉強に取り組みたいです。
昨日付の熊本日日新聞に、水俣二中のヒマラヤザクラの記事が掲載されました。ブログでは1月4日に紹介します。
HPアクセス数が昨日、100万回に到達しました。閲覧ありがとうございます。人間ドックで指摘を受けた箇所も治った気分です。よければ「学校だより」「PTA」「アクセス」などブログ以外のコーナーも覗いてみてください。私の最終回まであと96回です。
平成27年6月1日~令和5年3月31日418493回(7年10ヶ月間418493回・146回/1日・通算ブログアップ回数933回)
6年3月31日514058回(年間95565回・261回/1日・ブログアップ457回)
7年3月31日735542回(年間221484回・607回/1日・ブログアップ454回)
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