二中ブログ

二中の最新情報!

【研究授業】070717

 昨日の5時間目はFY先生と給食センターのH先生が研究授業を行いました。講話をお願いした大澤さん、農山さん、天野さん、森下さんや生産者・旧センターの皆さんの取組を思い浮かべながら、食について考えました。

 

【GT講話(森下さん)】070716

 8日(火)は森下誠さんに全校生徒を対象にした講話をお願いしました。森下さんは高校卒業後に愛知県の自動車部品製造会社に入られましたが、自然の中で働きたいと、海洋生物を学べる専門学校を経てダイビング店に勤め国内外の海に潜られました。帰郷されて1年間の潜水調査の後、平成21年に「水俣ダイビングサービス SEA HORSE」を開業されました。

 その後はテレビ出演や新聞等の取材、小中学校での講演を通して水俣の良さを発信する活動に取り組まれており、令和5年度の熊本県PTA研究大会芦北水俣大会では、水俣会場の講師を務められました。また、辰年にちなみ、令和5年から6年にかけてのNHK「ゆく年くる年」にもヒメタツと一緒に水中から出演されました。今日は映像を交えながら故郷水俣への思いを熱く語っていただきました。

【モス日通信⑤】070715

モス日通信⑤070711.pdf

モス日通信第5号はパスポートについて。全文は添付ファイルをご覧ください。

 現在日本には大きく分けて4種類のパスポートがあります。1つ目は一般旅券(Ordinary Passport)といわれるものです。一般旅券は2種類(紺色と赤色)の色があります。この色の違いは使用可能な年数です。5年用旅券(紺色)は申請日に18歳未満の人が取得できます。18歳以上の方も選択可能ですが、容姿の変化が著しい未成年者に推奨されます。10年用旅券(赤色)は申請日に18歳以上の人が取得できます。最も一般的なパスポートです。用途としては、国の用務ではない、個人的な旅行や留学、仕事など、一般の海外渡航に利用されます。今回偽造防止のため顔写真ページがプラスチックに変更されました。

 2つ目は公用旅券(Official Passport)といわれるもので緑色の表紙をしています。用途としては、国会議員、公務員などが公務で外国に渡航する場合に発給されます。今回私はこのパスポートでモスクワ日本人学校に赴任しております。モスクワにいる日本にルーツを持つ子供たちの教育を行いながら、日本へ様々なことを発信していくことが大きな役割だと思っています。

【上級学校説明会】070714

 明日15日(火)から3年生の三者面談です。11日(金)には3年生と保護者を対象にして国立熊本高等専門学校、八代高等学校、八代白百合学園高等学校、秀岳館高等学校、芦北高等学校、出水中央高等学校、水俣高等学校、自衛隊熊本地方協力本部水俣地域事務所から来校いただき、上級学校説明会を行いました。とある高校の説明を聞いて「〇〇高校に行こうかなぁ。」と話していた生徒もいたそうです。

 水俣高校の説明には二中卒業生と湯浦中校長の時の生徒も来ました。驚きました。嬉しくなりました。中学生の時の担任にすぐ報告しました。

 自衛隊の説明には教師生活最後の担任の生徒である二中卒業生のNKさんが来ました。さらに驚きました。会うのは成人式以来です。さらに嬉しくなりました。彼はボーイスカウトをしていてボランティア活動に興味を持っていたこともありますが、小学生の頃に父親と宝川内地区の被災現場で救助や復興に当たる自衛隊の皆さんを見て、自衛隊を志したそうです。成人式後の同窓会では、挨拶・整理整頓・時間厳守といった自衛隊で学んだことについて話してくれましたが、10年たってさらに成長した姿に感動しました。

 説明会の頃、突然雨が降りました。曇りの天気予報を信じ、外に出してきた洗濯物も全く気にならなくなりました。心が晴れの日になりました。

【田浦水害(後編)】070713

  

 当時の記録を読むと、田浦では11日から14日にかけて1時間雨量65mm、2時間雨量120mmと短時間に集中して降り、田浦川等、吉尾川等が氾濫して大きな被害が発生したとあります。ちなみに、雨量は令和2年7月豪雨の方が多かったそうです。

  私は水俣にいたため、田浦水害のまさにその時の怖さは体験していません。聞くところによると、小学校の運動場横の土手が決壊し、大量の水が流れ込み運動場が見る見るプールのようになったそうです。低学年だった私の弟たちは怖くて泣きだしたそうです。

  ある先生は当時保育園入園前だったそうですが、庭に水がどんどん入ってきた記憶があるそうです。お母さんは小学校からの電話連絡を受け、膝上まで水につかりながら、宮坂医院前の三差路に張ってあったロープを伝って、低学年のお姉さんを学校まで迎えに行かれたそうです。

  私の父は学校からの電話を受け「学校が一番安全だけん、学校に残してください。」と言ったそうです。家庭も学校も判断が難しい状況だったと思います。

  「天災は忘れた頃来る」物理学者で俳人の寺田寅彦氏がしばしば語ったという言葉があります。災害は語り伝えないと風化していきます。隣町の出来事で、二中生に直接の被害はなかったため、令和2年7月豪雨の記憶はほとんどの子どもたちには残っていません。7月12日と7月3日を「絶対はない」「想定外のことを想像する」と言うことを肝に銘じる日、生徒に記憶を伝える日にしています。