令和7年度生徒会スローガン
学校経営グランドデザイン(PCで見てね).pptx パワーポイントです
050401:418493→060331:514058(95565)→070331:735542(221484)
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今日のテーマは画像の「ヒマワリ」にとまっている「ミツバチ(ニホンミツバチ)」です。花粉を体にいっぱいつけて花と同化しています。私が子どもの頃は田浦の実家では、祖父が趣味で養蜂をしていました。動画共有サイトを見ると、趣味の養蜂がたくさんあがっていますが、実家の最初の群れは祖父が若い頃に、人吉から担いで田浦まで歩いて運んだそうです。地方ではまだ車が普及していない昭和の始めの話です。
ミツバチの群れは、1匹の女王蜂と約5万匹の働き蜂(雌蜂)、繁殖期には全体の1割ほどの雄蜂で構成されています。働き蜂のエサとなるのは集めてきた花の蜜や花粉で、一度に40mg(自身の体重のおよそ半分)の蜜を運びます。私が45㎏を抱えて飛ぶのと同じです。一匹のミツバチが一生で集める蜜の量はスプーン1杯(5g)程度だそうです。
スズメバチと違い、ミツバチはおとなしく人を刺すことは滅多にありませんが、子どもの頃は洗濯物についていたりした蜂に年に数回は刺されていました。慣れていた頃は蚊に刺された程度にしか感じませんでしたが、最近では刺されたところやはり痛いですね。ミツバチは刺すと針(一緒に内臓ごと)がとれてしまい、興奮物質が周りに広がります。その興奮物質によって他のミツバチから攻撃されることがあるそうです。特に巣を攻撃されたと感じた時はガンガン攻撃してきますので、巣の傍を通る時は用心しましょう。
莫斯科と書いてモスクワと読みます。時差は6時間。二中時間は午後2時半、モスクワ時間は午前8時半です。モスクワ日本人学校の吉田先生と二中の先生がオンラインで交流を行いました。吉田先生とは3月の退任式以来の会話です。モスクワでの生活の様子や、二中生の頑張る姿についてお話しすることができました。次回は冬休みを計画しています。
「モス日通信」のコーナーもぜひご覧ください。
人吉市の永国寺(曹洞宗蓬来山永国寺)は「ゆうれい寺」として知られます。今年は8月2日に「ゆうれい祭り」が開かれ、寺に伝わる幽霊の掛け軸の開帳、実行委員会による「ゆうれい屋敷」などがあり賑わいました。 私も平成3年から7年間、永国寺と道を挟んだところに住んでいましたが、祭りの日は朝から読経が聞こえていました。
お寺ができた1408年頃のこと、ある有名な武士の妾が、本妻の激しい嫉妬により球磨川に身を投げて死んでしまいました。その怨念は幽霊となって本妻を苦しめました。永国寺の裏の池に出てきた幽霊が実底超真和尚によって諭されるとともに、掛け軸に描かれた自分の今の姿を見てショックを受け、ゆうれいは望んで和尚に成仏させてもらいました。
というのが掛け軸について良く知られている話です。人吉の社会科研究会で史跡見学をして回ったときに聞いた話には続きがあって、顔をしっかり観察してください。その後…。はだけた右肩に視線を移してください。
描かれてしばらくたってから、そこに本当の顔が浮き出してきたそうです。画像検索でも良いですがレプリカを本堂に常設してありますので人吉に行かれた際はぜひ見学を。さらに、来年の幽霊祭りではぜひ本物を。
夏休みには普段できない研修の機会が沢山あります。教科ごとの研究会もその一つです。私とFK先生が所属する中学校社会科部会は、芦北町文化振興課主幹の深川裕二さんの案内のもと佐敷城跡(スカイドームを見下ろす位置にあります)や佐敷の街並みの巡検を行いました。石垣は当時の物と再建した物を石の面取りの有る無しで見分けることができるそうです。研修の成果は授業づくりに活かします。
芦北町観光協会のHPによると、「佐敷城跡は加藤清正が島津氏に備え肥薩国境防備のために築城したもので、島津・加藤両氏の戦いの場となりました。廃城時に壊された石垣などが残り、天下泰平銘鬼瓦など注目される遺物も出土するなど、近世初頭の政治・軍事を理解するうえで貴重な遺跡として、2008年に国史跡に指定されています。現在は石垣が再現され、天空にそびえる美しい城跡を見ることができます。」とのことです。
2学期以降のさらなるステップアップを目指し、1年生は夏休みにワークショップを中心にしたリーダー研修を実施しました。まずは分析シートを使った自己理解と、対話によるお互いの理解からスタートです。
管理責任者 校長
運用担当者 情報教育担当者