水俣二中学校経営グランドデザイン(PCで見てね).pptx パワーポイントです
050401:418493→060331:514058(95565)→070331
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夏休みも休まず更新してきましたがそろそろネタ切れです。
私は、湯ノ児に住んでいます。夕方に散歩をすると、海に日が沈んでいく風景が広がります。空は朱色に染まり、感動的な気分になります。海岸沿いの堤防やトントン峠から見る風景がおすすめです。
ところで、水俣市のエコパーク付近は「汐見町」という地名です。
そう言えば、「朝潮」という高知県安芸市出身の大関がいました。
さて「汐(しお)」と「潮(しお)」、どう使い分けているのでしょう?漢字をよく見て考えてみましょう。
二中のH先生の名前には「汐」という漢字が入っています。何か関係があるのでしょうか?
答えは2学期の始業式で。
校長室には50種類近くの日本の天然記念物のフィギュアが置いてあります。その中に岩国のシロヘビがいます。それを見て好きだという生徒がいました。私はヘビ年生まれで、ヘビとは相性が良い。(と親に思い込まされてきた。)ヘビの(マムシですが)短い実話を2つ。ヘビの話を聞くのも嫌な方は、今回は読み飛ばしてください。
第1話:中学生の頃はとにかく腹が減る。ある日曜日、午前中の部活動が終わり帰宅すると、親はミカン山に仕事に出ていて誰もいない。私は何か食べるものはと探すが、ご飯はあるけどおかずがない。戸棚を空けるとビンに入った自家製のふりかけを発見。それを掛けて食べるが、味がほとんどしない。仕方ないけどとりあえずご飯を食べる。
夕方、帰宅した母に「戸棚のふりかけは全然味のせんやったよ。」というと、「そら、ふりかけじゃなか。マムシの粉。」
第2話:私が初任校で同勤した体育のK先生は「鬼瓦」と呼ばれるような風貌だが、世の中で一つだけ怖いものがある。それはヘビ。K先生が球磨郡の中学校に勤務していた時のこと、昔は家庭訪問に行くと最後の家でご飯を食べさせてもらうこともあった。K先生は焼酎が好きで毎日かなりの量の晩酌をする。家庭訪問先もそのことをご存じで焼酎も出された。
途中、「先生はこれは飲んだことはあんなっですか。」と出されたのは、マムシの入った一升瓶。身の毛がよだち青ざめたが、家庭訪問でせっかく出されたものを飲まないわけにはいかない。さすがである。この恐怖が一瞬でも早く終わるよう、コップに少しだけ次いでもらったマムシ焼酎を、目を閉じて一気に飲み干した。
「おっ!先生は好きなっとですね。」気を良くしたお父さんは一升瓶を振った。砕けた身が入った2杯目を今度はなみなみと次いで渡された。
おあとがよろしいようで。
テレビ番組を見ていたら、元サッカー女子日本代表の丸山桂里奈さんがゲストで出ていました。今年2月に女児を出産されて、今、生後5か月だそうです。48時間の陣痛に耐えての出産だったそうで、「スーパー難産」だった。という話をされていました。「自分の母親もだが、赤ちゃんを産んでいるお母さんたちは本当にすごいな」と思っているそうです。
また子育てについては「産休という名前がいけない。世の中に言いたい、休みじゃないから。」という話をしていました。夜中の3時頃、SNSに「授乳なうウ」とあげると、フォロワーから「私もです」という返信がたくさんあるそうです。MCから「(育休がだめなら)何が良いですか?」と聞かれ、しばらく考えて「産忙(さんぼう)」と答えていました。なるほど。
16日(水)の11時半頃に、「産忙」中の日巻先生が赤ちゃんと来校されるとのことでした。子育てについてのお話が聞けると良いですね。
毎年この時期恒例、お墓参りでしてはいけないことが紹介されています。「お墓はご先祖様そのものなので上から水をかけてはいけない。」、「墓はきれいに研磨をしてあるのでタワシでは磨かない。」、「亡くなった方は香りを楽しむのでビールやお酒などのふたは開ける。」、「お供えの花はバラでもよい。」など、いろいろな番組で情報が重なっています。
きゅうりとなすに割りばしなどを刺して作った馬と牛を模したお供え物「精霊馬(しょうりょうま)」も紹介されていました。先祖の霊に早く帰ってきてほしいので行きは「馬」、ゆっくりあの世へ戻ってほしいので帰りは「牛」だそうですが、関西から九州にかけては作らないので馴染みがありません。田浦では「柏だご」をお供えしていました。ダンゴが少ないと、あの世に持って帰る時、あの世の友だちから「お前の所は少なかねぇ。こすかねぇ。」と言われるそうです。
大学生の時、熊本市周辺出身の友達から指摘されたのが、 「ば」で打ち切る表現です。芦北方面では、「子どもは早よ寝らんば (いかんたい)」 、「きつかばってん走らんば(強ならんぞ)」のように、( ) の中 を言わ ず「ば」で打ち切る ことが多いのですが 、友達には違和感があったようです。
初任校は菊池郡の学校でしたが、生徒の言う「えじい(怖い)」がまったく何のことやら。
人吉二中に転勤した時は、相づちの表現の「じゃ」について、 「友達には“じゃ”、先輩には“じゃっです”、先生には“じゃっとです”」と使い分けている ことを生徒から教えてもらいました。
1回目の水俣二中勤務の4月、職員会議資料の帳合作業をみんなで行いました。津奈木中出身のM先生が発せられたの「こんプリントはしらっぺやった。」を聞き懐かしく思いました。
今日は「山の日」です。国民の祝日に関する法律では「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としています。
数年前にコロナ禍の中の人とあまり接触しないレジャーという事で息子夫婦に誘われてあさぎり町の白髪岳(しらがだけ)に妻と4人で登りました。その後、2人の息子と私の3人で雪が残る霧島の韓国岳(からくにだけ)に、1ケ月後に今度は妻と2人でまた韓国岳に登りました。雪景色、新緑、花の季節。それぞれ良いものです。
昨年の湯浦中の修学旅行は屋久島でトレッキングでした。生徒のほとんどが「大人になったら(今回見ることができなかった)縄文杉を見るためにまた屋久島に行きたい。」と答えていました。
強く同意します。山は良いですね。私も毎朝5時頃から湯の児の海岸道路を散歩して次の機会に備えています。
(写真は湯浦中の修学旅行で訪れた屋久島の「紀元杉」。樹高19.5m、周囲8.1m、推定樹齢3000年。ちなみに縄文杉は樹高40m、周囲30m )
「お父さん、お母さんは好き嫌いはなかろ。」と息子から聞かれたことがあります。「ありません。あってもあるとは言いません。」
私が食べないのはナマコくらいですが、ナマコは好き嫌いの範疇に入れるような食材ではありませんし、イノシシの肉は実家の冷蔵庫・冷凍庫を占領している状態でしたので、一切食べません。これは反抗なので、好き嫌いとは違います。
「親が好き嫌いがないと、子どもも好き嫌いがないらしい。」というのが会話の結論でした。妻が土・日は勤務の仕事に就いているため、早く帰った方がご飯を作るが当たり前。子どもたちのご飯もよく作っていました。
人吉に勤務していた頃は、子どもたちも小さかったので、金曜の夜に田浦に連れて行き、部活が終わった日曜の午後から迎えに行くという生活をずいぶんしていました。子どもに今日何を食べたと聞いたところ「〇〇ぎん〇ゃ〇を初めて食べた。」と答えた時には驚きました。好き嫌いなくワイルドに育ちました。
7月の終わりの「お知らせ」の加筆版です。下のマニュアルをぜひお読みください。
暑い日が続きます。昔はこんなに暑くなかったと言いますが、学校はなかなかの暑さでした。授業中は汗で腕にノートが張り付いていたことを思い出します。衣服も今のようにすぐに乾く繊維ではなく、部活の後はびしょびしょでした。
日中をエアコンのある部屋で過ごすようになり、涼しく過ごす時間と暑さの中で過ごす時間の温度差が大きいのも暑く感じる原因でしょう。住宅の密閉性が高くなったという事もあるでしょう。夜寝る時は戸や窓は開けっ放しで蚊帳を吊ってという家庭もあまり見かけなくなりました。
日本気象協会では、気温が高くなる前に徐々に暑さに体を慣らす暑熱順化についてのお知らせをしています。「5月の暑い日」、「梅雨の晴れ間」、「梅雨明け」、「お盆明け」は特に熱中症に注意が必要な時期です。来週半ばからの「お盆明けは」休みの間に暑さへの耐性が戻ってしまう事、帰省などで疲れていることが原因とのこと。用心しましょう。
1年生 E.Gさん
1学期は体育大会とテスト勉強の2つに頑張りました。
テスト勉強では英語を重点的にしました。その結果、テストでは英語がベストの点数でした。小学生の頃はテスト勉強などしたことが無かったのでとても心配していました。ですが、勉強すればするほど単語などを覚えていけました。
体育大会では団練習の声出しを頑張りました。団練習の声出しでは、最初は声を出すところも覚えられず、声を出せませんでした。ですが、たくさん練習をしているうちに覚えられました。声も出せるようになり、とても楽しくなりました。
テスト勉強や体育大会の声出しの練習からも、何事もやった分だけできるようになり、できるようになると楽しめるんだということを中学生になって知ることができました。
1学期の反省は、打ち合わせを忘れてしまったことです。僕は学級委員で、話し合いをする時の司会をしていました。その時に先生と打ち合わせをしないといけないことがあったのですが、それを忘れてしまい、僕のせいで進行が遅くなってしまいみんなに迷惑をかけました。その失敗を活かし、今は話合い活動をきちんと進められるようになりました。
2学期に頑張りたいことは、さらに自分たちで話合い活動が進められるようになることです。学級活動や学級会を学級委員を中心に行い、1-1全員で話合い活動をすることが僕は大好きです。そのため、自分たちで進められるスキルを身に付けたいと思います。
2年生 H.Mさん
私は1学期に頑張ったことが2つあります。
1つ目は体育大会です。学年種目の「台風の目」では、「自分が盛り上げるぞ」という気持ちで精一杯声を出しました。結果は負けてしまいましたが、クラスの仲が深まった瞬間だったと思います。また、昨年に引き続き応援リーダーを務めました。私の兄も応援リーダーの経験があったため、「兄には絶対負けたくない」という気持ちと、「赤団の優勝に貢献したい」という強い気持ちで臨みました。毎日の放課後の練習では、先輩方からのアドバイスをたくさんもらい、家でも演舞の自主練習をたくさんしました。その結果、本番では1つも大きなミスをすることなくやり遂げることができ、とても嬉しかったです。この経験を生かして、来年も自分が引っ張っていけるように頑張りたいです。
2つ目はサッカーです。私は社会体育のサッカークラブと部活動のサッカー部の2つのチームに所属しています。この1学期は特にドリブルの練習を頑張りました。少しずつ上達してきているので、これからも目標を持ち続けて頑張っていきます。
最後に、2学期に頑張りたいことについてです。それは、勉強と合唱コンクールです。勉強は楽な方に逃げてしまうことが多かったため、2学期は自分に厳しく、サッカーとの両立ができるように努力していきたいと思います。また、合唱コンクールでは、自分がクラスを引っ張っていき、絶対に優勝します。
2学期は1学期以上に勉強も学校行事も全力で取り組んでいけるよう頑張ります。
管理責任者 畑口益喜
運用担当者 畠山葵汐