令和7年度生徒会スローガン
水俣二中学校経営グランドデザイン(PCで見てね).pptx パワーポイントです
050401:418493→060331:514058(95565)→070331:735542(221484)
令和7年度生徒会スローガン
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今朝はとても良い天気でした。今日は二中の立志式、朝6時、真っ暗な中に二中を出発して湯の児の海水浴場へ。5㎞、約70分間の徒歩の旅です。
到着後はカップスープとおにぎりの朝ご飯、続いて漢字一文字の決意表明を行いました。
立志式は、もともとは奈良時代に男子が成人を示す儀式として行ったもので、服や髪型を大人のものに改め、冠を付けてもらう「元服式」でした。元は頭(首)、服は着用するを表しており、この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。
二中生の2年生も気持ちが少し大人に向かいました。学年委員の皆様、保護者の皆様、早朝からのご協力ありがとうございました。
今日は新入生・保護者説明会でした。生徒会執行部からの学校生活についての説明をスタートに各担当から学習、部活動、約束事、自転車通学、情報モラルなどの説明を行いました。その後、新入生はリズムジャンプを体験しました。(2年生Yさんの試技に注目しています。)
次の登校は4月4日(金)午後2時からの新入生登校日です。
3年生を対象に、熊本県立劇場に登録している演奏家が、地域の学校に授業の雰囲気で演奏会をする事業(アウトリーチ事業)が行われました。亀子政孝さん(コントラバス)、前田純美加さん(バイオリン・ピアノ)の演奏を楽しみました。
先週から校長による、入試面接の仕上げをしています。想定した質問にはすらすらと答えますが、予想外の質問をすると言葉に詰まったり、固まってしまったりという反応が少なくありません。想定の範囲を広げておくこと、想定を超えた場合でも経験をもとに応用することが大事です。
今日はパソコン室から出火したとの想定で避難訓練を行いました。消防署の方の講評に、移動は早かったが、おしゃべりが聞こえたということがありました。地震や水害については、経験から想定のレベルが引きあがっていますが、火災については大半の人が避難訓練だけが経験です。もしもの時を「想定内」にするために、今がどんな場面でどう動くべきか。訓練は本番のように、本番は訓練のように。
テレビやラジオの放送を視聴された方も多かったのではないでしょうか。天気も良く最高のコースコンディションの中、都道府県対抗男子駅伝競走大会が開催され、熊本県は12位でゴールしました。昨年度の大会であれば4位の好タイムだったそうです。
2区に一中の岩田選手、6区に二中の野口選手、アンカーの7区に旭化成の井川選手と、芦北水俣郡市から3名の選手が出場しました。野口選手は順位を2つ上げる区間12位の活躍。中学校生活の最後の大きなレースに全力を尽くしました。
廣田先生にリヤカーの修理をしていただきました。塗装をして、タイヤと板を替えて、休みの日に時間を取って修理していただきました。廣田先生にとって、二中は定年退職を迎えた思い入れのある学校とのことです。草刈りボランティアなども日頃から大変お世話になっています。私も二中勤務を終えた後はそうありたいと思います。いつもありがとうございます。大切にかつ、ガンガン使わせていただきます。
※「リヤカー」は静岡県富士市青島の望月虎一が発明。サイドカー(隣に位置する車Side + Car)にならい、リヤカー(後部に位置する車(Rear+Car)の意でつけられた和製英語だとか。外国では荷車全般を指すCartと呼ぶようです。
いよいよ明日、12時30分スタートです!本校の野口選手も6区にエントリーされました。
テレビでの放送もあります。応援よろしくお願いします。
第30回都道府県駅伝区間エントリー
1区 椙山
2区 岩田(水俣一中)
3区 鶴川
4区 一ノ瀬
5区 増永
6区 野口(水俣二中)
7区 井川
補欠
楠岡・田中・田尻
職員駐車場の角のヒマラヤザクラが満開です。これは、平成10年度生徒会会長のEさんが、環境水俣市民賞受賞の記念に植樹したものです。毎年今頃が見頃です。3年生より一足早く「サクラ咲く」です。
先日は夜の地震警報に緊張しました。ストーブを消して、上着を着て、熊本地震の経験からすぐにいろいろな対応をするようになりました。すぐに職員LINEで安否確認を行いましたが、被害の返信もなく安心しました。
今日は「防災とボランティアの日」です。きっかけとなったのは阪神・淡路大震災、平成7年(1995)年1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の大地震が発生しました。
特に震源に近い神戸市の市街地の被害は甚大で、犠牲者は6434人にも達し(翌18日の時点では1456人)、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものでした。東日本大震災を経験した今、当時の新聞を今読み返すと「三陸沖、東海も懸念」が特に目に留まります。
ここ100年ということで、新聞の地図には載っていませんが、寛永2(1625)年6月17日には、推定でマグニチュード5.0~6.0の大地震が熊本を襲っています。そのことを熊本の人たちがほとんど知らなかったことが大きな課題でした。歴史はいつまでも語りつなぐことが大事です。
整美環境委員会による朝の清掃ボランティアの様子です。寒い中ご苦労様。お地蔵様の周りもきれいになりました。
管理責任者 校長
運用担当者 情報教育担当者