二中ブログ

二中の最新情報!

【それぞれの昼休み】080318

 RKKの朝の情報番組「THE TIME」、二中の甲冑博士Tくんの登場は明日19日(木)朝6時15分前後の予定です!

 運動場ではサッカー、バレーボール。教室では先生と勉強、作文、語り合い。1年生それぞれの昼休み。あと2週間で先輩になります。

【秋山杯優勝】080317

 土日に秋山幸二杯中学生野球大会が開かれ、水俣市4校合同チームが優勝しました。大会MVPには4試合中2試合で勝負を決めるヒットを放った、二中のMくんが選ばれ、SBホークスの元監督であった秋山幸二さんのサイン入りボールが授与されました。

 土曜日に開かれた郡市新人バドミントン大会でも上位入賞選手が複数出ました。新年度に向けて部活動も活気づいています。

【防災教室】080316

 12日、1年生は熊本地方気象台の皆様による「知識」「考える」「行動する」3つの力をつけることを目的にした、防災についての出前講座を行いました。平成28(2016)年当時、1年生はまだ保育園児と幼く、水俣は熊本地震の被害もほぼない地域でしたので実感を伴うところまでは難しかったかもしれません。ところが、昨夜は震度4の地震が発生。私も繰り返す揺れを警戒して1時過ぎまでは起きていました。1年生も、今回の学びを自分事として捉えたのではないでしょうか。

「天災は忘れた頃にやってくる」寺田寅彦

【EP2:授業】070315 

 今朝、アジサイの水遣りに行くと、生徒会長が運動場を走っていました。帰る時に私に「水遣りありがとうございます。」とお礼を言って帰りました。さすがです。

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 1年時に2名の転出者がいたため、2年生から135名の3クラスになりました。(その当時の1学級の上限は45人でした。現在は40人です。)担任の林田洋文先生がよく使われる「すこぶる」は田浦弁では聞いたことがありません。どんな意味かと辞書で調べました。社会は競衛先生。特徴的な黒板の文字をみんなで真似していました。中学生は影響を受けやすいものです。現在水俣一中勤務のM先生は、授業に位置づけられた必修クラブで競先生の中国語クラブに入っており、そこで習った中国語の歌を良く歌っていました。

 理科の大崎先生の授業では、三角定規2つを組み合わせて「力の分解」をすることができない者が、あーでもない、こーでもないと踊るという「定規踊り」を教わりました。

 水素を集めて火をつける実験では、指示のあった試験管ではなく、先生に隠れてビーカーに集めて爆発させた強者もいました。当然、厳しい厳しい指導が待ち受けていました。彼は酸化カルシウムと水の反応実験でもやってくれました。興味の高さプラス若気の至り。その後、理系に進んだと聞いています。

 とにかく学習内容以外のことだけが記憶されるのが世の常です。私も生徒に会うと「授業中にガンダムを見せてもらった。」と言われます。ガンダムダブルオーを「世界紛争」の授業の導入に使っただけですが、たぶん授業の内容は忘れられています。生徒の記憶に残っているのは「ガンダムを観た!」です。

【EP1:中学校入学】070314

 休みの日は5回連続で昔話です。私が過ごした昭和の田浦中はこんな時代でした。1年2組担任のM先生が通っていた平成終わりの田浦中とはずいぶん違うはずです。

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 入学式は昭和53年4月10日(月)、新入生は137人でした。

 男子は校則で丸刈り。入学直前に刈るのは恥ずかしいということで、ほとんどが小5の夏休みには丸刈りにしていました。田浦中学校の校則改正(長髪可)は平成7年からです。

 小学生にとって中学校は未知の世界。田浦小・小田浦小・海浦小・井牟田小の4校から知らない生徒が集まるし、先輩との上下関係は厳しいし、すぐに体育館や部室の裏に呼ばれるらしいとのウワサ(事実)があるし、今のように小中のなめらかな連結を図る取組もなく。私自身も長男で中学校の情報は全くなく、緊張感は今の6年生の比ではありませんでした。   

 担任は柔道部顧問の太田先生、私は中学入学時の身長が172㎝と大きかったので、帰りの会後に教室を出る時、毎回のように「柔道部に入らんか。」と勧誘されました。県トップの実力がある柔道部です。どう逃げるかが私のチャレンジでした。

 担任の太田先生は球磨教育事務所の管理主事をされていたので、私が人吉三中勤務の時の学校訪問等で大変お世話になりました。同級生は「太田先生から良く怒られた。」と言いますが、大人になってから指導を受けたのは私くらいです。