校長ブログ「秘密の部屋」

管理者ブログ

【秘密の部屋】020331 

 子どもの頃の土曜日は「まんが日本昔ばなし」、「8時だよ全員集合」、「Gメン75」、「桃太郎侍」とチャンネルはそのままでした。昨日は志村けんさん死去のニュースに衝撃を受けました。ご冥福をお祈りいたします。

 田浦中勤務も残り数時間、教頭先生との打ち合わせを終え、校長室の片付けを済ませました。田中校長先生の横に写真(爽やかに微笑んでいるはずです。)も掛けました。後はこの原稿をアップしたら業務完了です。

 人吉二中から人吉三中へ転勤した年の4月末、妻が水俣に転勤することになりました。そこで湯の児に移り住み、なんやかんやで人吉三中まで片道70分の通勤をすることにしました。突然の転園に5歳の長男は「俺の友達は水俣にはいない。人吉にいる。」と悲しんでいました。すぐに慣れましたけど。

 人吉では人吉一中のすぐそばに住んでいました。幽霊の掛け軸で有名な永国寺付近です。長男が保育園児の頃、帰宅後に必ずしていたのは、全てのポケットをひっくり返し、ダンゴムシが入っていないかチェックすることでした。人吉一中の正門の並木からセミを大量に捕まえてきて、家の中で放したこともありました。

 妻は土・日は仕事でしたので、子どもと3人で近くの温泉に行くこともよくありました。帰りにローソンでアイスを買って帰るのが子どもたちの楽しみでした。

 4月から長男が人吉一中に赴任することが決まりました。私がお世話になった社会科のI先生も人吉二中から赴任されるという話を聞きました。縁です。またポケットにダンゴムシを入れたまま洗濯機を回したり、セミを大量に捕まえたりしたりしないか…。楽しみです。

 長男は3月に入籍したのですが、奥さんは長男が今月末まで勤務するS中に転勤が決まりました。まさかの縁です。

 3連休に2人で家を探し回りましたがなかなか見つかりませんでした。3日目にやっと見つけた家の家主さんは以前からお世話になっている方でした。これまた縁です。

 世の中はどうつながっているかわかりません。私の母の口癖は「人にはようせんば。」その時その時の縁を大切にしたいですね。私もさっそく、高校の先輩であるM湯浦郵便局長に電話を掛けました。湯浦中ではどんな縁が待っているか楽しみです。

 ではそろそろ「秘密の部屋」を閉じます。ご愛読ありがとうございました。(H)

 

 

 

 

※パーセルタングで「開け!」と言うと、「秘密の部屋」の扉は開きます…。たぶん。

 

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【振り返って】020330 

 管理職は1年目に異動しても不思議ではないので、教頭になってからは毎年2月頃から次年度準備や引き継ぎ資料の作成を行うようにしています。平成29年度は田浦中勤務3年目でしたので、まず間違いないだろうと3月中頃までには準備を終えていました。

 どこの学校に異動するのだろうと考えていたら、田中校長先生から「おめでとうございます。田浦中学校25代校長です。」という内示を受けました。驚きました。

 当時1年生だったMさんが、間違えたらいけないからと「校長先生」と呼ぶ練習を春休みにしていたことを思い出します。4月1日になり、「校長先生」という声かけが随分ありました。練習したので呼びたかったようです。反応が遅れることしばしば。先生方からは時々「教頭先生」の呼びかけ。逆に、先生方が森教頭先生への「教頭先生」には私がすばやく反応していました。

 学校経営目標は田中校長先生の思いを引き継ぎ、平成30年度は「潤いと輝きのある学校」、平成31年度(令和元年度)は表現を少し、内容は大きく前進させた「潤いと輝きにあふれる学校」としました。

 教頭の時、松本校長先生からご指導を受けた「田浦小・中の9年間で生徒を育てる。」という方針も学校経営の柱にしました。

「職員と生徒が両輪となって学校を創る」という意識が生徒会執行部に浸透したこと、学校教育目標をほぼすべての生徒が言えるようになったことが良かった点です。(H)

 

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【トミカ】020329

 生徒には知れ渡っているのですが、トミカを集めています。数年前のこと、友達に「こいつ、中学生なのにトミカを集めているんですよ。」と言う発言をした生徒がいました。そこでとっさに「俺も集めているよ。大人になっても続けられる良い趣味だよ」と返しました。実はその時チョロQは結構持っていたのですが、トミカは数台でした。集めていると言い切った手前、集めることにしました。今は私の趣味の上位に入ります。先生方の愛車と同じ物を見つけたときはプレゼントして趣味への理解を図っています。

 いまさら言うまでもないことですが、トミカ(Tomica)はタカラトミーが製造しているミニカーで累計販売台数は6億7,000万台を超え、2秒に1台売れています。子どもの頃遊んでいた、今でも集めている、放置していた物を親が踏みつけて怒られた、といった経験をされた方も多いのではないでしょうか。トミカで育った子どもは車好きになり、プラレールで育った子どもは鉄ちゃんになっていくということもよく言われます。

 今年はトミカ誕生50周年のイベントが多く計画されていますが、一番気になっているのは3社のデザイナーによる「トミカ50周年自動車メーカーコラボプロジェクト」で、特別仕様のホンダシビックTypeR、トヨタGRスープラ、日産GT-Rが販売されます。

 トミカはドアミラーがついていない、とがった部分は先端を丸めてあるなど随所に小さな子どもが安全に遊べる配慮がしてある。パッケージの横幅がすべて同じ。サスペンションやドアの開閉など触って楽しい。毎月第3土曜日の「トミカの日」に新車が2台発売され定番140種類のラインナップが入れ替わる等の特徴があります。また、「共遊玩具(一般市場向けに造られ販売されている、目または耳の不自由な子どもたちにも楽しく遊べるおもちゃ)」にも認定されているそうです。(H)

 

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【新聞発表】020328

 今朝の朝刊に教職員の人事異動が掲載されました。4名が田浦中を離れます。退任式は23日に済ませているため、それ以降は段ボール箱に荷物をまとめる姿があちこちで見られます。毎年の風景ですが寂しくなります。

 新学期に向けての片付けや掃除、備品整理などに取り組んでいる先生もたくさんいます。生徒玄関の風景が少し変わりました。みんな気づくかな。倉庫や資料室も片付きました。毎年の風景ですがわくわくします。

 古くて点かなくなっていた校長室の照明機器もLEDへの取り替え工事が終わりました。とても明るい校長室になりました。「来年はバリバリ仕事が進むぞ~!」って、テンションが上がりましたが、私はもうおらんとでした。

 昨日、赴任される先生との事務引継ぎの会を開きました。校長先生は八代から異動されます。人吉に勤務していた頃、一緒に社会科の仕事をしたことがある先生でした。美術の先生は同じ町内からの異動、社会科と保健体育は田浦中を数年前に転出して戻ってくる先生方。田浦中生の新たな可能性を引き出していただけることと思います。(H)

 

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【田浦中】020327

A・B「こんにちは~。あまなつボーイです。」

A「あ~、ありがとうございます。今、保護者の方からデコポンの皮ばもらいました。こぎゃんたどぎゃしこあったって良かけんですね。」

B「たいぎゃなありがたかですね。3年担任の卒業式のネクタイごたるオレンジ色ですね。」

B「あんたい、うちの母ちゃんが、好きな学校があっとやばってんが、学校の名前ば忘れてしもたて言うとたいね。」

A「そらどぎゃんこつね?」

B「いろいろ聞くばってん分からんとたいね。」

A「特徴ば言うてみらんね、一緒に思い出してやっけん。」

B「そっが、校長が在のもんらしかったいね。」

A「田浦中たい。そん特徴は完全に田浦中じゃろ。今年は小学校長は町のもん、中学校長は在のもん。小中学校とも田浦のもんが校長ばしとるけんね。こぎゃん地域はあんまりなかばい。」

B「ばってん、校長は標準語ばしゃべらすらしかったい。」

A「なら、田浦中じゃなかね。小田浦出身ならやばってんか、在のもんは田浦弁まっだしやっで。どぎゃんよそで暮らしてきたって、ところどころに田浦弁の出てくるはず。田浦中じゃなかねぇ。もちっと詳しゅう教えてくれんね。」

B「ここ3年ぐらい、駅伝も強なったごたっとたいね。」

A「やっぱ田浦中たい。今年は学校ができて初めて男女揃って県大会に出たけんね。」

B「そるが、たまがっごて足の速か、県トップレベルのいっぴゃおるごたっとたいね。」

A「なら田浦中じゃなかねぇ。一人一人は特別でなくても、チームの絆で毎日地道に練習ば積み重ねて勝負しとる学校やっでな。継続は力なりがキーワードたい。高校生になったっちゃ中学校に走りに来おっとのおるけんね。もちっと何か言わっさんやったね?」

B「文化祭で、1年生が田浦の昔話ば劇にしたらしかったいね。」

A「そら田浦中やがね。1年の学年主任も田浦のもんやっでね。江上トミさんの百年カレーば再現したてばい。総合的な学習の時間を口実にしてカレーば作って食う。あれは主任が食をごたっとやもんね。俺の目はごまかせんよ。」

B「それが、劇に出てきた言葉が流行語大賞にノミネートされたごたっとたいね。」

A「なら、田浦中じゃなかね。『ずいきのこうき』は鬼塚先生が新聞にも載せたばってんか、じいちゃんばあちゃんも「どぎゃん意味かい?」て聞きなるくらい流行っとらんでね、校長がHPや学校だよりに載せて流行らせようとしとる最中ばい。」

B「うちん父ちゃんに聞いたらな、そらメダカの学校やろて言うとたいね。」

A「そら絶対違うど。もうよかばい。」

A・B「ありがとうございました~。」

 

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【5年間】020326

 私は田浦中に平成27年度から令和元年度の5年間勤務しました。その間の出来事を整理してみました。前半は自然災害に見舞われましたが、お2人の校長先生の緊急時の対応に学ぶことが多くありました。私も最後はまさかの緊急時対応でした。(H)

平成27年度(114人)

 台風15号接近(8/25)プール横銀杏の木倒れる・技術室屋根破損・雨漏り箇所多数

 積雪30㎝を超える50年振りの大雪のため休校(1/25・1/26)

 武道場照明LED化完工

平成28年度(125人)

 平成28年熊本地震前震発生(4/14) 震度7、M6.5

 本震発生(4/16) M7.3 2回の地震で校舎、武道場、体育館等にひび割れ被害多数

 創立70周年記念文化祭(11/13) 葦北鉄砲隊による記念演武・平江大八隊長講演会

 同窓会役員交代(会長:田多良龍清さん→元山秀志さん)

平成29年度(101人)

 芦北水俣郡市中学校駅伝競走大会女子初優勝 体力向上優良校受賞

平成30年度(95人)

 武道場床張り替え工事完工・塀改修工事完工

 郡市駅伝女子準優勝 体力向上優良校受賞

 第32回毎日カップ「中学校体力つくり」コンテスト優良賞受賞

平成31年(令和元年)度(76人)

 5月1日改元「令和」

 熊本県教育委員会指定「子どもたちによるいじめ防止推進事業」

 郡市駅伝男子優勝・女子準優勝(初の男女揃っての県大会出場) 

 体力向上優良校受賞・日本教育公務員弘済会実践論文奨励賞

 新型コロナウイルス感染症対策のため臨時休校(3/2~3/24)

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【暗号】020325

ことしのたいにんしきがこんなかたちでおわるとはおもってもいませんでした

ろくにおもいをつたえるじかんもなくみなさんとおわかれです

なこごたるとはこぎゃんときつかいます

のこりわずかのたのうらちゅうきんむとなりましたが

ばとんたっちのひまで(しがつついたちからはらいばるです)

かのうなかぎりのおおきなこえで

たのうらちゅうせいにえーるをおくります。がんばれたのうらちゅう!

れいわがんねんどてんしゅつしゃいちどう(H)

 

 

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【お世話になりました2】020324

 私は田浦中に教頭で3年間、校長で2年間勤務しました。卒業生ということもあり、地域や保護者の皆様には大変良くしていただきました。

 平成27年、田浦中に赴任した最初の体育大会で、今は婆ちゃんになっている近所のおばさんたちから「あんたば見に来たったい。こぎゃ~んこまかったとに。」と喜んでいただきました。ありがたい言葉です。たぶん、昔からあんまりこもはなかったと思います。

 平成30年、校長最初の入学式、控え室でのあいさつの時も来賓の皆様から激励の大きな拍手をいただきました。田浦に来ることができて良かったと思うことばかりでした。  

 在任中に改元という大きな節目がありました。元号「令和」には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。田浦中がこれからも生徒・保護者・地域・職員の(「令和」の英訳である)「Beautiful Harmony(美しい調和)」のある学校であり続けますことを願い、保護者・地域・職員の思いと重なる万葉集の山上憶良の句で退任のあいさつを閉じます。(H)

 銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

 ※銀も金も玉(宝石)も、どうしてそれらより優れている子どもに及ぶだろうか。いや及びはしない。

 

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【お世話になりました1】020323 

 簡素化した修了式に引き続き、放送で退任式を行いました。4名が田浦中を離れます。

 K.T先生(社会科):2年間の勤務でした。吉井先生も中学生の時社会科を習っていました。調べ学習と発表、小テストで徹底して生徒を鍛えていただきました。発表日の直前には私のところにもアドバイスを受けに生徒がやってきていました。校長への相談ポイントを高く設定してあったようです。高圧洗浄機での校舎の清掃、ピアノ移動台や用紙棚、すのこ製作、社会体育の剣道の指導など、特技を生かした活動にも力を入れていただきました。

 Y.S先生(保健体育):3年間の勤務でした。在は天神さん付近、町は道の駅たのうら付近まで響く声。田浦中で身長・体重ともにトップ。その大きな体は情熱でできています。生徒の長距離走練習に毎朝休むことなく付き合い、田浦中生の潜在能力を引き出して3年連続体力向上優良校受賞、郡駅伝女子初優勝、3年連続県大会出場、今年度は初の男女揃っての県駅伝大会出場を支えました。卒業した後も生徒を励まし、保護者の相談にも乗る面倒見の良さで慕われていました。

 M.K先生(美術):2年間の勤務でした。日常生活の中で「きれいだ」と感じたことを見つけさせる活動を通して、生徒の美的感性を育むことに継続して取り組まれていました。故郷田浦の美しさを再発見した生徒も多かったのではないでしょうか。掲示された生徒作品を観ると、レベルがぐんぐん上がっているのを感じました。人に接するときの言葉の重さ、「言霊」についても語り掛け続けてこられました。

 H.M(校長):田浦には頻繁に帰っていますので、在の天神さん付近や阿蘇神社、御立岬公園、コンビニ、肥後うらら、ヒライ等でお会いすることがあるかも知れません。後輩の活躍をこっそりと見守っています。(H)

 

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【たりたり】020322

 不要不急の外出はしないと言うことで、3月の休日は本を読んだりロードオブザリング、勇者ヨシヒコなどのDVDを観返したり、片付けをしたり、ブログを書いたりして過ごしました。ゲームキャラクターのレベルも最大値に達しました。今更ながらキングダムも読みました。止まらなくなりました。久しぶりに秦の始皇帝について調べています。

 平日も帰宅途中に買い物をしてほぼ毎晩ご飯を作る生活でした。妻からは買ってくる物のリストがラインで送られてきます。音声入力の方法を覚えたのでやおいかんです。

 同じく早く帰宅するようになった長男は、私がご飯を作るのを近くで応援したり、黒ネコの「おはぎ」をなでたり、筋トレやランニングをしたりしていました。これまではお互い忙しかったのですが、長男が4月から家を離れる前にゆっくり話す時間がとれました。

 休み中は妻に弁当を作ってもらいましたが、申し訳けないことに朝から声を掛けてもらいながら忘れていったこと1回、洗った弁当箱を学校に忘れていったこと1回。セーフの範囲です。

 臨時休校に入る前に、田浦中のある先生が息子さんに「来週から給食がないのでスーパーカップを2種類買ってきて。」と頼まれたそうです。数分後、味の違うスーパーカップを2つ買ってきてくれたそうですが。「スーパーカップ」違いでした。

 何のことかわかります?先生が頼んだのはエースコックのスーパーカップ、息子さんが買ってきたのは明治のスーパーカップ(本名「エッセル」)でしたとさ。(H)

 

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【むかしむかしEP10:最終回】020321

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 生まれてから今日までを分母、今年1年を分子とすれば、答えはどんどん小さくなっていきます。小学校の4~6年の3年間と、中学校の3年間では圧倒的に後者が短く感じます。

 子どもの頃は阿蘇神社の秋の例大祭には桟敷が造られ、参道には出店がたくさん並んでいました。中学生の頃はまだ奉納相撲は残っていました。中学生ともなると、まわしを着けるため相撲に出るのを嫌がる人も多かったようです。そのような中、相撲に参加して随分喜ばれたことを思い出します。教頭として帰ってきたときにも地域の方からその時のことを思い出して話されました。写生大会の会場も阿蘇神社でした。絵が上手な先輩を真似しながら描きました。

 中学校卒業式は昭和56年3月18日(水)、卒業生は132名。担任は1組林田洋文先生、2組四宮真理子先生、3組矢田昭士先生でした。四宮(船崎)先生とは縁あって、平成15年度に水俣二中で同じ学年の担任をしました。 

 校歌は今以上に歌う機会が多かったはずなのに、「ああ若き日の純潔の」と「友愛の」、「ここに育つ」と「学ぶ」のところでみんな急に声が小さくなりモゴモゴしていました。これは今の田浦中生も同じのようです。途中モゴモゴする歌声を聞くたびに「後輩だなぁ。」と感じます。

 少しだけ卒業後のことを。高校でもバレーボールを続けていた3人で、総体後に男子バレー部の練習に顔を出したりしていました。益田くんや池邊くんなどが中3でした。その頃は新しくできた現在の体育館で練習をしていましたので、顧問の先生にあいさつをしてこっそり体育館に入り練習を手伝い、こっそり帰っていました。卒業したら、学校に来るのは恥ずかしいという感覚でしたので運動会や文化祭も来たことがありませんでした。再び校舎に入ったのは平成22年の田浦中の研究発表、中村直人先生の研究授業の時でした。そして、平成27年にやっと赴任することができました。

 ぐだぐだのエピソード1~10にお付き合いいただきありがとうございました。臨時休校中の書きだめも尽きましたのでこの辺で。(H) 

 

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【むかしむかしEP9:その他もろもろ】020320

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 校舎の様子も随分変わりました。夏は暖房、冬は冷房完備の古い技術室が部室棟の隅にありました。外に置いた友達の靴の中にクモが入って潰れていたことがあり、履く前の確認を欠かさないようにしました。中2の3月に新技術室が完成し、雨に濡れながらの移動もなくなりました。

 保健室は今のたのうら教室の位置にありました。オオルリ・コールに参加されている庵千沙先生が養護の先生でした。保健委員会の「目の休養タイム」で視力回復を図りました。

 生徒玄関横の階段下には購買部がありました。制服の襟章やボタンなどはそこで買っていました。今はパイプ椅子置き場です。

 今は塞いで壁に塗り込んでありますが、各階にはゴミを落とすためのダストシュートがあり、武道場のステージ側と中村医院の間にはトイレがありました。

 小学校にはプールがなかったため、水泳の授業は中学校のプールまで移動していました。小学生に合わせて水深が浅くしてあったので、授業の飛び込みで鼻をこすりました。飛び込みは背が高い者には恐怖でした。(現在、安全面から各学校のプールは飛び込み台が撤去され、授業での飛び込みの指導もありません。)

 現在体育館があるところには田浦町役場が、武道場駐車場には森林組合が、百原商店横には農協が建っていました。

 1年生の頃はプール横の給食センターが建設中だったため、弁当持参でした。おかずに煮染めが入っていませんようにと祈りました。部活終り頃には給食で残った牛乳を冷やして運動場に行く通路に置いてあり、飲んで帰っていました。今はやってはいけないことです。

 教室を回ると、窓枠に同級生や先輩の名前の落書きを見つけることができます。記念に残したのか3年教室が多いようです。これも今の生徒は、将来子どもに見られると恥ずかしいのでしないそうです。(H)

 

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【むかしむかしEP8:なんやかんや】020319

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 当時はまだ御立岬公園駅もなかったので、海浦、上田浦の友達は列車で肥後田浦駅まで行き、あとは学校まで片道1.6㎞の徒歩通学でした。自転車通学も肥後田浦駅より遠い地域に限定されていました。横居木方面はバスが出ていましたが、土曜はバスを待たずに歩いて帰る友達も多くいました。歩く、走るが日常化していました。

 体育大会は「うったちばれ(仮装行列)」が名物でした。私の学年は「ルパン三世」、「ドラえもん」、「シャネルズ(現ラッツ&スター)に扮しています。前年度は「口さけ女」ですから仮装で流行がわかります。「棒倒し」や「組み体操」は上半身裸での競技。私は大きかったので3年間土台担当でした。全国的に事故が多く発生したため、今はあまり行われていない競技です。

 文化祭は1年生の時、柔道部の同級生が髪を水色の絵の具で塗って一休さんを演じたことだけを鮮明に覚えています。2・3年生の時のことは思い出せません。

 男子の制服は一つ上の先輩までは長ランや洋ランの裏地は竜虎が流行りました。K先輩が、襟カラーが高く着丈の長い新しい制服を着てきた時のことを覚えています。先輩方のアルバムを見ると昭和54年度卒業組だけ、むち打ち治療のような高さの襟カラーを見受けます。隠しポケット、色のついた裏ボタン等の装備も満載でした。

 私たちが中3の頃は流行も廃れ、徐々にアイビーブームに入り、丈は短めでベイシティローラーズの影響か裏地はタータンチェック。カラーも徐々に低くなっていきました。(H)

 

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【むかしむかしEP7:学校生活】020318

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 中3の1学期末テストまで廊下に定期テストの順位が張り出されていました。ある教科では授業の座席は各クラスの男女の1位、男女の最下位の4人で1グループといった成績順で、定期テストごとに席替えがありました。楽しみな人も憂鬱な人もいたと思います。恐ろしい時代です。

 1年生の2学期になり、小学7年生から中学1年生に進化することができたので勉強も結構するようになりました。テスト前は、昨夜は何時まで勉強したかという競争をしていました。母が「教えきらんけん、一緒に起きとることしかでけん。」と言うので、一旦布団に入り、寝静まった頃にごそごそ起きて勉強していました。

 男子は技術科で女子は家庭科、保健体育も男女別でしたので、とても鍛えられていました。

 毎時間、体育の授業の最初にインターバル走、10分間走などコースを選んで走っていました。体育や部活動、日常生活の中で鍛える場面が多くありました。私は仕事がら行事を自分の中学生の頃と照らして考えることが多くあります。同級生に聞くと大半は覚えていないようですが、2年生2月の立志式で野球バックネット裏に「唐楓」の記念樹を植えました。出張で田浦中に来たときは、木の成長を必ず確認していました。岩坂俊一校長先生(第8代:昭和49年度~54年度)寄贈の「継続は力なり」の石碑もこの頃建ちました。校訓碑が建ったのも同時期です。(H)

 

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【今日の出来事】020317

 昨日は1・2年生の登校日でした。久しぶりに子どもたちの声が学校に響きました。臨時休業期間の体調不良者もいなかったようです。概ね規則正しい生活を送っている様子で、学習課題をすべて終えた生徒もけっこういました。毎日ランニングをして体を鍛えている生徒もいるようです。

 8時半:例年でしたら今日は合格の報告に来た3年生を激励し、持ってきた卒業アルバムにメッセージを記入するなど職員室が賑わう一日ですが、今年は県立高校の合格者が県教委の特設ホームページ上で発表されたため、学校でドキドキしながらページを開きました。みごと合格、全員の進路が決定しました。

 10時:9月に応募した日本教育公務員弘済会の教育実践論文で奨励賞を受賞し、坂井熊本支部長が来校されて表彰式を開いていただきました。論文のタイトルは「各部会の機能と連携の強化を柱とした組織的・計画的な進路指導の充実」です。

 11時:シュレッダーの修理。奥に詰まった紙くずがごっそりと取れるのは快感です。一緒に作業をしたI先生もノリノリでした。 

 13時半:学校評価委員会を開き、本年度の田浦中の教育実践と成果と課題について説明、学校関係者評価をつけていただきました。結果は後日HP上で公開します。ここでも話題は新型コロナウイルス感染症対策のことでした。

 15時:小学校の学校評価委員会に出席。参加者の意見を聞きながら、合同でできることは合同で取り組み、スケールメリットを生かせないかと考えました。(H)

 

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【令和元年度卒業式3】020316

 芦北町の学校では論語教育に取り組んでいます。田浦中の『学校だより』のタイトルは知行合一ですが、これは論語のこのような話から採ったものです。

 弁が立つ弟子の子貢が、孔子に「君子とはどんな人ですか?」と尋ねたときに、「普段からあなたが話していることを先に実行しなさい、その後から言葉が出てくるような人が君子です。(まずすることをして、言いたいことがあればその後で言いなさい。)」と答えたそうです。

 知って行わないのは、未だ知らないことと同じである。知識は行動と一致してこそ意味がある、本当の知識は実践をともなわなければならない。なかなか困難なことです。卒業生の皆さんに一生の課題として「知行合一」の言葉を贈ります。

 最後になりましたが、保護者の皆様方に心よりお慶びを申し上げます。職員一同、巣立ち行くお子様の無限の可能性に期待し、これからもその成長を見守りたいと思います。行き違いもあったかと思いますが、目指すゴールは学校も保護者も同じであることをご理解いただき、この3年間本校教育に対するご協力を賜りましたことに厚く感謝申し上げます。

 卒業生の皆さん。いよいよお別れです。皆さんはこれから凧のように大空に高く、高く舞い上がっていきます。日本にとどまらず、世界で活躍する人も出るかもしれません。しかし、太く、強い凧糸は故郷田浦に繋いでおいてください。田浦中はいつまでも皆さんの心の拠り所です。

 ところで式場の入り口の「卒業式」の立て看板を思い浮かべることはできるでしょうか。そこには赤い模様が描かれています。これは、昭和53年度卒業生の竹林公一さんが後輩への思いを込めて「未来へ続く道」を表し、デザインされたものです。皆さんの成長を見えるところ見えないところでたくさんの方が支えています。皆さんの幸多い人生を祈っています。(H)

 

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【令和元年度卒業式2】020315

 9月の郡市陸上競技大会では、選手の頑張りはもちろん、支える側に回って頑張った人がいました、応援パネルをつくり、声をからした人たちがいました。県大会でケガのためベストの跳躍ができなかった友達は悔し涙を流しました。支えてくれた保護者や仲間、指導にあたった先生たちとの絆の涙でした。

 さらに、今年度は田浦中としては初めて、男女両チームが県駅伝競走大会に出場することができました。これは郡陸上で連続優勝をしていた頃でさえもできなかった快挙でした。田浦中は葦北水俣で2番目に小さい学校です。小さくとも個々の才能で勝負できる競技はあるでしょう。しかし、学校同士が競い合う駅伝での成果は並大抵の努力では残せません。走ることが好きな者だけが集まった競技ではありません。自分の時間を犠牲にして、田浦中の「温故創新」を体現してくれた駅伝チームの皆さんに心から感謝しています。

 3年前の皆さんと、卒業した後も走り続けている先輩方から新しい田浦中の歴史が始まりました。後輩たちが伝統の襷を繋いでくれることを願っています。

 11月の文化祭では、表現力豊かな劇はもちろん、合唱コンクールで演奏の前から涙を流す指揮者の姿がありました。指揮者、伴奏者、合唱団。どの学級よりも練習をしました。結果発表の瞬間の歓声。今年1年で成し遂げたものではないことを皆が知っています。よくぞここまでたどり着きました。

 特筆すべきは生徒会活動です。会長を中心とした執行部は「イイコト流星群」、「プロフィールブック」、「カンボジアに学校を贈る運動」などの公約を確実にやり遂げ、その実行力には目を見張りました。間違いなく過去最高の執行部でした。現執行部は皆さんが目標です。執行部と、全生徒からなる生徒会の皆さんのこれまでの活躍に対し、改めて称賛の拍手を送ります。

 校長室の前を通るとき必ず立ち止まって、中にいる私に礼儀正しいあいさつをしてくれる2名の男子卒業生がいました。早起きは苦手だけど、優しさは男子で一番だという生徒がいました。田中前校長への誕生日メッセージや担任のサプライズ誕生会、心遣いもでき、良さを語っても語り尽くせないのが卒業生の皆さんでした。(H)

 

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【令和元年度卒業式1】020314

 令和最初の卒業生22名が本校を飛び立ちました。新型コロナウイルス感染症対策のため、卒業生、保護者、職員、教育委員会により式を挙行しました。マスク着用、アルコール消毒、内容の削減と卒業生には申し訳なく思いましたが、心のこもった式でした。

 5月の体育大会、予定された日は未明から大雨が降りました。私と米先生が2人で水を抜くための水路を掘っていたところ、ある3年生が、「あれは私たちがしないといけないことじゃないのか。」と友達につぶやいたそうです。昼休みになり、別の3年生が学級で声を掛け、全員がグラウンドに出てスポンジでの水抜き作業。最後の体育大会を成功させたいという強い思いを感じました。翌日は、『田浦中PRIDE ~超えろ!己の限界を~』のスローガン通りの体育大会ができました。令和最初の総合優勝は青団。閉会式の赤団団長の悔し涙が呼び水になったようです。土砂降りの中の後片付けも良い思い出です。生徒数は昨年の3年生の半分ですが、この時、頑張りの総和は上回るに違いないという確信をもちました。

 6月の郡市中体連総体では、卓球男女、バドミントンそして、剣道、空手の4競技が県大会に出場を決めました。大会は優賞チーム以外すべて敗者です。しかし、勝者だけに価値があるのではありません。全会場を回られた中体連会長から、県大会に出場することのできなかった女子バレーボール部の必死なプレー、試合終了後の爽やかな態度が今年の全競技で一番だったと声を掛けていただきました。皆さんを誇らしく思いました。ゴールを守るたった一人の3年生のサッカー部員の姿も心に残りました。(H)

 

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【心と気を働かせる】020313

 いよいよ明日は卒業式。これからは田浦中を支える立場になります。後輩への叱咤激励をよろしくお願いします。将来、もし田浦中の保護者になった時、学校から何か頼まれたら「余裕です。」その一言に期待しています。楽しかったという思いを後輩たちにも味わわせましょう。

 さて、ある日のこと、織田信長が小姓の一人を呼びつけました。小姓が居室に入ると、信長は何も言いません。間をおいて発した言葉は「下がってよい」でした。

 次の者が呼ばれました。信長は今度も何も用事を言いつけず、また「下がってよい。」と言います。同じ遣り取りが何度か繰り返された後、森蘭丸が呼ばれます。

 蘭丸も同じように「下がってよい。」と言われ、居室から出ようとしました。その時、蘭丸は出口近くに小さなゴミが落ちているのに気づいて拾います。

 信長は、蘭丸が居室から出るのをとめ、こう言います。

「人は心と気を働かせることをもって良しとするものだ。用を言いつけられなかったからといって、そのまま退出するようでは役に立たない。お前はゴミに気付いて拾った。なかなか感心である。」

 卒業したら心と気を働かることができるようになってほしいですね。

※小姓=位の高い武将等の身辺に仕え、諸々の雑用を請け負う役目の家来

 

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【大河内紙の卒業証書】020312

 昨日、公立高校後期選抜が終わりました。検査会場から出てくる受検生は一様に安堵の表情を見せていました。17日に合格者発表、その日から二次募集の受付が始まり、今年度の入試の全日程が終わります。

 今日は、例年は基本動作や歌、証書授与などの練習、会場設営などを行っていますが、今年は臨時休校前の28日に概ね済ませた後、在校生による生徒玄関での見送りを行いました。卒業生の手は夏休み前のちびまる子ちゃんのように学習用具でいっぱいでした。

 ところで、芦北町立学校の卒業証書は、芦北町の北部に位置する銅山(かなやま)地区伝統の手漉き和紙『大河内紙』でつくられています。

 『大河内紙』は江戸時代から昭和35年頃まで盛んにつくられていたそうですが、一時途絶え、子どもの頃に紙すきの技術を学んだ大河内紙保存会の皆さんが復活させました。強くて破れにくい上、防虫効果があり、障子紙や米の保存袋として重宝されてきた和紙で、焼酎『夢あしきた』の瓶のラベルにも使われています。私たちの卒業証書は既製の用紙でしたので羨ましい限りです。(H)

 

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【東日本大震災】020311

 平成23年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。震災による死者・行方不明者は1万8428人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4893戸が公式に確認されています。日本国内で自然災害により1万人を越える死者・行方不明者が出たのは、戦後初めて(明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模)です。

 平成23年、当時の宮本勝彬水俣市長は、公式確認から55年を迎える水俣病の経験を踏まえて、水俣病被害者や水俣市民が差別や偏見を受け、風評被害による様々な影響があったこと、原発事故で起こっている問題は、水俣病と重なる部分が極めて多いことなど、震災による原子力発電所の事故を受け、避難者への差別や偏見をやめるよう呼び掛ける緊急メッセージを市のホームページに掲載されました。

 震災後、福島県出身の水俣一中の保護者の思いがきっかけとなって、福島県と水俣市の中学生の交流事業が始まり、数年に亘って継続されました。

 私は、平成25年11月に福島県で開かれた事前学習会に水俣市の教頭を代表して参加し、福島県の中学生に水俣二中の環境教育の取組について講話を行いました。

 前日に仙台空港に着きました。タクシーの運転手さんは「私は、今は他県からのお客さんに語ることで、やっと心を落ち着かせることができている。」と話されていました。

 閖上浜に着くと、他県在住の閖上地域出身の方に出会いました。やっとここに来る決意をしたそうです。「自分が知っている風景が何もない。」と涙を流されていました。

 帰熊の日は楽天イーグルス初優勝パレードでした。前日の懇親会で福島県のPTA役員さんは、スポーツが元気をくれるということを強く語られていました。(H)

 

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【広がった応援の輪】020310

 8日(日)の熊日新聞を読んでいると、「心に残るいい話」に「広がった応援の輪」と題した鬼塚和子さん(本校心の教室相談員)の手記が掲載されていました。朝、お友達の庵千沙先生から「都道府県対抗男子駅伝大会に妹の孫が選手として走る。」という電話があったこと、こたつの番をしながら応援したこと、熊本県チームは7位と瑞気の香気であったこと、1本の電話から喜びが何十倍にも大きな輪となったことなどが綴られていました。

 その日は朝から夜10時頃まで33本もの「新聞を読んだよ。」という電話がかかってきたそうです。携帯と子機を近くに置いて1日過ごされたようです。私は月曜の朝に34本目の電話を掛けました。

 さて、今日と明日は公立高校の後期選抜です。私は朝から各受検校を巡回し、久しぶりに3年生数名に会いました。学校によっては保護者、職員の待機場所は自家用車の中が推奨されていました。17日の合格者発表もネット上で行うということです。

 今年の漢字の読みは「半ば」、「行為」。書きは「ムき合う」、「ムチュウ」。国語で唯一答えが最初から分かっている問題です。書けていると信じています。

 明日の社会科は、私の予想では地理は離脱に関して「EU」、時差の計算で「オリンピック」、歴史は改元で「大化の改新」、明智光秀に絡めて「戦国時代」、公民は10%の「消費税」とグレタさんで「地球環境問題」が出題されます…。たぶん。外れても責任は取りません。(H)

 

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【むかしむかしEP6:授業】020309

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 1年時に2名の転出者がいたため、2年生から135名の3クラスになりました。(その当時の1学級の上限は45人でした。現在は40人です。)担任の林田洋文先生がよく使われる「すこぶる」は田浦弁では聞いたことがありません。どんな意味かと辞書で調べました。

 社会は競衛先生。特徴的な黒板の文字をみんなで真似していました。中学生は影響を受けやすいものです。現在佐敷中勤務の松岡先生は、授業に位置づけられた必修クラブで競先生の中国語クラブに入っており、そこで習った「天安門」の歌を良く歌っていました。

 理科の大崎先生の授業では、三角定規2つを組み合わせて「力の分解」をすることができない者が、あーでもないこーでもないと踊るという「定規踊り」が印象に残っています。水素を集めて火をつける実験では、指示のあった試験管ではなく、先生に隠れてビーカーに集めて爆発させた強者もいました。当然、厳しい指導が待ち受けていました。彼は酸化カルシウムと水の反応実験でもやってくれました。興味の高さ故プラス若気の至り。その後、理系に進んだと聞いています。

 とにかく学習内容以外のことだけが記憶されるのが世の常です。私も生徒に会うと「授業中にガンダムを見せてもらった。」と言われます。ガンダムダブルオーを「世界紛争」の授業の導入に使っただけですが、たぶん授業の内容は忘れられています。生徒の記憶に残っているのは「ガンダムを観た!」です。(H)

 

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【むかしむかしEP5:中体連大会】020308

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…

 2・3年生の顧問は数学科の長船建二先生でした。先生はバレー経験はありませんでしたが、数学科らしく角度、統計、確率などの用語で指導をされていました。体育大会の綱引きでも、最も力が出る角度について説明されました。

 大会前の練習はOBの福田貴司さんにずいぶんお世話になりました。笑いながら、「スパイダーマン(当時放送されていた特撮番組)のように低く素早く動け。」と指導されたことを思い出します。一度、2年生から厳しい指導を受けている最中に練習に来られたことがありました。福田さんが神の使いに見えました。

 最後の大会の前に水俣工業高校との練習試合に連れて行ってもらいました。そして、帰りに水光社で部員全員に釜揚げうどんをおごってもらいました。初めて水俣に行った私は、福田さんから「水光社に行くぞ。」と言われ、「何の会社?」と思いました。

 他の高校にも練習試合でお世話になりました。高校生と試合をしてもセットはとれていたので、いけるんじゃないかという気持ちで中体連大会に臨みました。

 3年時の中体連大会は完成したばかりの佐敷中体育館でありました。言い訳から入ります。1週間前での練習試合でひどい腰痛になりました。本番は準決勝で大野中学校に敗れました。2週間程前の練習で、「部活をやめる。」と言った出来事があったので、私にとってはこれが最後の試合の予定でした。(その時は。)

 当時は中学校数が多かったので、大会は水俣市と葦北郡が別でした。3年生の時の県中体連大会ではソフト部が優勝、柔道部が準優勝。郡陸上総合優勝、郡駅伝優勝。田浦中は運動競技がとても強い学校でした。

 生徒数の減少に伴い、残念ながら現在はソフトボール部も柔道部もありません。サッカー部とプロ選手を輩出した野球部は他校と合同でないとチームが組めない状況です。(H)

 

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【むかしむかしEP4:部活動】020307

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 背が高かったからでしょう、入学後に全く面識のなかった3年生の竹林公一先輩から「男子バスケット部ば作るけん入れ。」と誘われていました。創部には至らず、5月頃にバレー部に入りました。顧問は1年生の時が濱田洋一先生でした。練習はプール横のコート。フライングレシーブで体育服は黄土色、血だらけです。胸のあたりに裏からタオルを縫い付けるのがケガ防止策です。

 2年生の先輩方の指導はかなりハードでした。当時、土曜日は午前中授業のため、弁当を食べて練習までの時間は、グラウンド裏の川でカエル釣りをしたり、プール横のヤマモモを取って食べたり有意義に過ごしました。山にランニングに行くとワラビを採りに行かされ、収穫量が少なくても、一生懸命とっても時間がかかりすぎたとビ○○され、1年生は普段入れないのに、部室が散らかっていると○ン○され、歯医者に行くのは○○タされてから。アムロではありませんが、まさに「殴ったね! 親父にもぶたれたことないのに!」です。

 時には世の中で一番苦手なクモを持って追いかけられたり…、これでまだ半分くらいです。筋トレの足あげ腹筋、腕立て伏せやウサギ跳びも気の遠くなるような時間や回数が単位、友達はグラウンド一周フライングレシーブというのもありました。非科学的特訓で体と心を随分鍛えられました。心の鍛えられ方がまだ足りなかったのか、2年生秋の郡新人戦では他のすべての部が優勝する中で男子バレー部だけが準優勝。

 ご本人の名誉のために、現在本校の保護者である先輩からは私は一度もたたかれたことはありません…。クモの件くらいです。(H)

 

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【むかしむかしEP3:中学校入学】020306

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 中学生男子は校則で丸刈りでした。直前に刈ると恥ずかしいということで、ほとんどが小5の夏休みには丸刈りにしていました。基本は5枚刈りです。在の島本床屋で切りました。田浦中学校の校則改正(長髪)は平成7年からです。

 入学式は昭和53年4月10日(月)、1組林田洋文先生、2組出水勇二先生、3組浜田由美子先生、4組太田篤洋先生。新入生は今の全校生徒数の倍近い137名でした。

 小学生にとって中学校は未知の世界。田浦小・小田浦小・海浦小・井牟田小の4校から知らない生徒が集まるし、先輩との上下関係は厳しいし(おちゃっかと思われると体育館や部室の裏に呼ばれるらしいとのウワサ)、今のように小中のなめらかな連結を図る取組もなく。私自身も長男で中学校の情報は全くなく、緊張感は今の6年生の比ではありませんでした。

 私の担任は柔道部顧問の太田先生、私は中学入学時に172㎝あったので、帰りの会後に教室を出る時、毎回のように「柔道部に入らんか。」と勧誘されました。

 中学生になって最初の中間テストの朝は、いつものように友達と体育館(今の武道場)でバスケットボールをして遊んでいました。ギリギリに教室に帰ると太田先生から「テストの朝は勉強せんばいかんと。」と随分怒られました。小学校は試験範囲も狭く、問題も簡単だったのでなめていました。感覚は小学7年生です。当然良い結果が出るはずもありません。身を入れて、なんとかなったのは2学期半ば過ぎでした。(H)

 

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【むかしむかしEP2:6年生】020305 

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 小学校の学校行事に「ウサギ狩り」がありました。私の父が猟銃と罠の免許を持っていたので、実は学校からの依頼で事前に山に入ってウサギを準備し、ウサギ狩り当日の朝から山に放っていました。私は今年のウサギ狩りで収穫があるかどうかを前日までに知っていたので、個人的には早起きが大変な行事くらいの感覚でした。6年生の時は家の小屋にウサギがいませんでした。今年は収穫無しだと思っていたのですが、当日タヌキが捕れました。仕込み無しでしたので本当に驚きました。

 6年生の日本シリーズ巨人VS阪急は先生と一緒に教室で試合を観ました。なんとおおらかな時代。ダイエーホークス創設以前、パリーグのチームの試合中継は日本シリーズくらいでしか観ることがないので、基本は全員がジャイアンツ応援団。野球と言えば東京読売巨人軍でしたが、この時期のハンドベースボールでは、みんなが阪急ブレーブス山田久志投手のアンダースローを真似していました。

 田浦は野球・ソフトボールの盛んな土地柄です。夏休みには地区対抗のソフトボール大会も行われ、夕方は小学校の運動場に集まって練習をしていました。

 3月、いよいよ6年間の小学校生活も終わりです。卒業式の群読の始まりは「昭和53年3月23日、喜びのこの日(代表)、僕たち(男子)、私たちの(女子)、卒業式!(全員)」。私の担当は音がかっこいいので選んだ「寒風を吹き飛ばすように!」、次の友達が「空高く舞い上がった、凧あげ大会!」と続けます。我ながらよく覚えているなと思います。

 余談ですが、高学年の頃は恐ろしく高く飛ぶ三角形のゲイラカイトが大流行しました。凧あげも今ではほとんど見かけなくなった風景です。(H)

 

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【むかしむかしEP1:小学校】020304

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 私は宮ノ後に3人の仲の良い友達(たけちゃん、よっちゃん、みきやくん)がいたので、主な遊び場は阿蘇神社周辺や近隣の山の中でした。小学生の頃は山の中に何カ所か基地を作って遊んでいました。近所には他にも同級生はいたのですが、隣の教室に入ってはいけない決まりがあったので疎遠になります。遊び相手はほとんどが同じクラスでした。

 横居木にも分校(昭和44年廃校)の近くに仲の良い平松くんがいたので、棒を持って草を払いながら、最短距離の山越えで歩いて遊びに行っていました。横居木に着いてから一緒にゴレンジャーを見た覚えがあるので、随分朝早く家を出ていたんだと思います。さすが小学生は行動力があります。

 町方面では、ひでほくんの家によく遊びに行っていました。庭のさるすべりの木からすべっこけました。ひでほくんとは保育園から大学までの18年間を同じ学校に通いました。随分会っていませんが、一番長い付き合いです。

 5・6年担任の室村一成先生には、昼休みになると一緒に運動場でもらいました。近年は、昼休みもノートチェックや生徒対応をされている先生方が多く、ゆとりのなさを感じます。よくやったのは「ピンポン」、「ひまわり」、「宝島」、「でこ」、「つなぎ鬼」、「はりつけ」など。「つなぎ鬼」流行の頃は、走るのが苦手だったので大変でした。

 当時はスーパーカーブームだったので、モーターの入った車のプラモデルも流行しました。漫画雑誌は「チャンピオン」から「ジャンプ」へ移る人が徐々に増えてきました。

 授業のことは、2年生の音楽の時に金子先生が歌った「通りゃんせ」が怖すぎて泣いた友達がいたこと、5年生の音楽の時に室村先生が教室に入るなり「ジミー・カーターがアメリカ大統領に当選した。」と言う話をされたことを覚えています。(H)

 

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【ブログ書かれますか?】020303

 「ブログを毎日更新されている校長先生がいるらしいのですが、校長先生も書かれますか。」松橋中に異動したN先生の一言。本校職員はなかなか厳しい要求をしてきます。頼まれ事は試され事、「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

 HPの閲覧数をみると開設からの5年間で40973回、1日平均22回程度でした。田浦中出身者である自分にしかできない取り組みはないかと考えていましたので、ホームページや学校だよりを使った情報発信に力を入れることにしました。

 学校だよりは令和元年度からは毎月2回以上発行、ブログは毎日更新、今日で558話を数えます。研究発表の場や、地域の方との会合、来校者に見本を配り、年賀状にも案内を入れ、芦北町立田浦中学校のHPを読んでくださいと話してきました。その成果もあり、今朝の閲覧数が113836回。今年度の1日平均閲覧数は188回。ずいきのこうきでした。最近は毎日PTA数の約3倍の閲覧があり、大変感謝しています。

 休校中なので、明日から「むかしむかし」を連載します。私は、さくらももこさんと同じ年の生まれなので、時代の空気はテレビで「ちびまる子ちゃん」を見ていただくとよくわかります。あくまでも私の視点で、同級生135人を代表した記憶ではありません。保護者の皆さんの「自分たちもそうだった。」という分かれ目は何歳くらいの方でしょうか?記憶違いも多々あるかと思いますが、昔話はそんなものと軽く流してお読みください。(H)

 

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【デマ】020302

 今のところ、今日から15日(日)まで臨時休校です。27日(木)の報道を受けて、帰り道に給食の代わりのカップ麺を買いに量販店に行きました。すると、駐車場は車でいっぱいです。中に入るとみんながトイレットペーパーとボックスティッシュを手にしています。トイレットペーパー売り場もレジも人でいっぱい。何事か?と思っていると、保護者のKさんに会いました。「トイレットペーパーとティッシュがなくなるというデマがSNSで流れている。」とのことでした。Kさんは「デマ」という認識があり、別なお買い物でしたが、ほとんどの人のカートには一人あたり制限のあるトイレットペーパーとボックスティッシュが入っていました。子どももたくさんいました。複数で買いに来たようです。自宅用ばかりでなく、買いに来ることができないじいちゃん・ばあちゃんちの分、兄弟の分となるんでしょうね。レジの横には購入制限を超えた個数を買おうとして回収された分がたまっていました。ネットを見ると「トイレットペーパー、デマ」という記事が大きく載っていました。熊本県の人が特に騙されているようです。

 デマゴーグはどこの誰でしょう、「マスクの材料に紙が回収される」ということが根拠のない根拠のようです。手持ちのマスクの箱を見ると素材は「本体・フィルタ部…ポリプロピレン・ポリエチレン」、「耳ひも部…ナイロン・ポリウレタン」という表示がありました。使い捨てマスクは「紙」製ではないようです。

 いや、よく読むと下の方に「外箱…紙」という表示が。回収された紙製品は「外箱」になるのかと大笑いです。デマです。(H)

 

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【卒業おめでとう】020301

 3月は「去る」。今日は高校3年生が学校を去る日です。平成26年度田浦中学校入学生は、県外を含め12の高校・高等専門学校に進学しました。令和5年の成人式で再会できると嬉しいですね。

 中学校卒業から3年しかたっていませんが、現在も田浦中に残っている職員は私と国語科のHA先生、MキャサリンN先生、OH先生の4名になりました。近隣の学校に異動された先生もいますので、卒業と進路の報告で顔を見せてくれると喜ばれると思います。

 平成28年度の学校の出来事をまとめました。HPの「学校生活(随時更新)」→「学校生活(平成28年度)」もあわせてご覧ください。(H)

4月:14日、平成28年熊本地震発生、震度7、M6.5 校舎中央・武道場等にヒビ

   15日、小中合同遠足を合同避難訓練に変更して実施

   16日、本震発生 M7.3 17日のPTA総会延期 

   避難所生活や車中泊を余儀なくされた生徒もいました。

5月:「勝利 私たちは負けない 私たちはあきらめない」のスローガンのもと体育大会大成功、元気をもらったとの声が地域から届く。

6月:郡市中体連大会で卓球男女・バドミントン(10連覇)・剣道男女団体が優勝

7月:太田海水浴場の「くまもとみんなの川と海づくりデー」ボランティアに39名参  

   加。(本当は県中体連大会に出場したかった。)

8月:Aくん(仮名)、陸上練習後に体調不良を訴えるも、理由は花火大会。

   ポケモントレーナー大発生、赤松館付近を徘徊。集会で注意喚起を行う。

9月:台風12号の影響で、3年生共通テスト県下一斉延期決定。

10月:震災の影響により県中体連陸上大会中止。

11月:創立70周年記念文化祭、芦北鉄砲隊による記念演武がグラウンドに響く

    阿蘇神社例大祭と福祉祭りで3年生男子が「祝いめでた」を披露

12月:上野清輝さん(ヴァイオリン)、中川大さん(ピアノ)による演奏に感動

 1月:合格祈願餅つき インフルエンザ大流行、給食大盛り状態 1年2組学級閉鎖

2月:技術の授業で自転車整備の学習(と乗り方の練習)1日で乗れるようになった!

3月:3年生担当者、I先生以外の4名異動。

   Y先生、T先生まさかの発表! I先生、N先生は早くから気づいていた。

O主任、H教頭はそのことにまったく気づかず…。娘をとられた気分になる。

 

 

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【オリンピックイヤー】020229

 今年は4年に1回の2月29日がある年。オリンピックイヤーです。

 私が観たオリンピックで、最も印象に残った場面を一つあげるとすれば、昭和63年(1988年)のソウルオリンピックのあの場面が浮かびます。

 9月24日、土曜(当時は午前中授業)の午後のこと、家に帰っていたら間に合いません、帰りの会を終えた生徒が続々に職員室に集まってきました。男子100m決勝、アメリカのカール・ルイスが勝つか、カナダのベン・ジョンソンが勝つか。世界中が注目していました。前年の世界選手権ではスーパースター、カール・ルイスを破り、ベン・ジョンソンが9秒83の世界新記録を作っています。

 しかし、テレビの前の職員も生徒も、きっとカール・ルイスが決勝に合わせて仕上げてくるだろうという雰囲気でした。

 午後1時30分、「ベン・ジョンソン、筋肉のかたまり」というアナウンサーの解説。直後に号砲、ロケットスタートで他を圧倒、自分がナンバーワンだと指を突き上げゴールするベン・ジョンソン。記録は9秒79、人類が初めて9秒8の壁を破った瞬間でした。ゴール前のカール・ルイスの信じられないといった表情が印象的でした。どよめきが起こった後、生徒がさーっと職員室から引いていきました。

 決勝の後の記者会見は更に衝撃的でした。(H)

 

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【継続は力なり内閣】020228

 卒業の式辞のヒントに、卒業生の過去の出来事を調べていたら、昨年2月18日に「いいコト流星群」と題したブログを書いていました。

「『現状維持は停滞』水俣二中で生徒会を担当するにあたり、村田校長先生から指針を示していただいたことを懐かしく思い出します。機を捉えた言葉の力は大きいですね。

田浦中の前執行部も新しいことに挑戦する姿勢がありましたが、新執行部は『いいコト流星群』という新しい取組をしています。先輩を越えようとする気持ちが良いですね。 

『いいところ探しカード』自体はありふれた取組ですが、掲示方法が素敵です。黄色い画用紙でつくった星型のカードに友達の頑張りを記入し、夜空に見立てた職員室前の廊下の濃紺の広用紙に貼っていきます。今は、ただでさえ暗い廊下が、濃紺の広用紙でさらに暗くなっています。たくさんの星がきらめく明るい夜空にしたいですね。『映える』ようになったらHPに写真を掲載します。友達の輝きをカードに書いている時、きっと自分の心も輝いているはずです。一人一人のプロフィールを書いた『プロフィールブック』の取組も実行に移すことができました。やると言ったことをどんどんやっていくエネルギーがあります。新執行部は公約実現内閣ですね。」

 取組に尻すぼみがありませんでした。振り返ると、前執行部は「継続は力なり内閣」でした。新執行部はどのような形で先輩を越えるのでしょう。楽しみです。(H)

 

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【人間ドック】020227

 戒めるために1週間前に「あきらめない、最後まであきらめない」という話を書いたはずなのに。何の準備もしないまま連休を過ごしました。今日、ついに人間ドックの朝を迎えました。昨夜8時までに夕食を済ませました。健康調査票の記入では、『牛乳・乳製品を食べている』には1日2回以上にチェックができました。タバコは吸ったことがありません。酒も飲み会以外はほとんど飲みません。朝食も必ず食べています。この辺りは楽々クリアです。

 仕事のストレスが多少あるのは当然ですが『何とかなるさ』という性格が幸いしています。帰宅すると真っ黒なセラピストが待っています。癒やしの効果は絶大です。

 『運動や食生活の生活習慣を改善してみようと思いますか。』は、当たり障りのない『改善するつもりである(概ね6カ月以内)』にチェックをしました。『改善する気がないわけではない』というチェック項目があればよいのになと毎年思います。

 芦北町文化祭で養老孟司氏の講演を聴き、「自分は健康診断には行かない。血圧が高いも低いも、正規分布からある一定の数値を出しているのであって、自分は自分の体と相談している。」という話にすぐに影響を受けました。新しい言い訳ができたので強気です。 

 でも本当は、人間ドック直後は改善しようと思っています。本当です。今日の結果にドキドキし、妻子から温かい指導・助言を受け…。明日から頑張ります。

「思い立ったが吉日」良い言葉です。私自身、生徒にもよく使います。趣旨はわかります。(H)

 

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【キツネとブドウ】020226

 昨日、「新型コロナウイルス感染症に関する熊本県教育委員会臨時休業等の基準」が示されました。詳しくは本日配付のお知らせをご覧ください。県立高校の卒業式は参加者を限定して挙行されます。学校では手洗いの徹底、睡眠や栄養をしっかりとる、不要不急の外出を控えるなど、基本的な対応の徹底を図る他、今できることは何があるかを確認し、全職員・全生徒で罹患を防ぐ取組を行っています。

 さて、公立高校後期選抜の出願状況が発表されました。県全体の全日制の競争率は0.92倍、昨年度より0.03ポイント減です。受検は団体戦、すでに内定している生徒の支えが大事です。自分には何ができるのか考えてみましょう。

 倒れそうなくらいお腹がすいたキツネがいました。食べ物を探して森を歩いていると、おいしそうに色づいた、たくさんのブドウを見つけました。キツネはブドウを食べようとして何度も跳び上がりましたが、ブドウの房は高いところにあってどうしても届きません。キツネは「あのブドウはまだ酸っぱい。」と言ってそこを去って行きました。(イソップ寓話「キツネとブドウ」より)

 ブドウは熟しています。後期選抜まで残り2週間、きっとブドウに届きます。(H)

※油断していたらHP閲覧数111111回を通過していました。予想より早く到達したようです。次は123456回を目指します。

 

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【救急車】020225

 PTA臨時総会のあいさつでもお話ししましたが、母が救急車で運ばれました。昼食に帰ってきていた甥が対応できたので良かったです。

 義父の法事の時、100mほどの距離で息が上がっており、「少しは歩かんと弱るばい。」、「歩きおっとやばってんか。」という会話を交わしたばかりでした。なるほど原因は極度の貧血だったようです。出張中のため情報が入らず心配しましたが、出張・総会と続いたため、あいさつ後に病院に向かいました。

 夕方には帰宅できました。土曜はまだめまいがすると言うことで、トイレまで甥と2人で運びました。「ちったやせんば。スケボーばこうてきて乗せようか?」など、笑いながら話ができるようになってよかったです。

 母からは「人にはようせんば。」と「(親と子の命の)順番は守らんば。」と言う話を良く聞かされてきました。まだ親孝行も十分にはできていません。油断しないようにしたいと思います。

 さて、不要不急の外出はしないと言うことで、連休中に卒業式の式辞原稿の第1稿を上げました。順は逆ですがこれから3年生の修了式、PTA新聞原稿に入ります。書き上げれば1・2年生修了式、生徒会リーダー研修の原稿と続きます。いよいよネタが尽きてきました。ブログも残り35話。今日、公立高校後期選抜の出願状況が発表されますが、明日のネタに残しておきます。(H)

 

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【スタート地点】020224

 私は背が高いと言われることが多いのですが、世界で平均身長が一番高いオランダの男性の平均身長は184cm、女性は171cm。私は平均より少し低いくらいです。

 食事をとるための道具は大きく分けると箸で食べる、ナイフやフォーク、スプーンで食べる、手で食べるの3つあります。割合は箸30%、ナイフやフォーク30%、手40%。私たちにとって当たり前だと思っていることが、当たり前ではない。よくある話です。

 田浦中では当たり前だったことが、外に出ると少数派。違うのは自分だけという立場に置かれることがあります。しかし、「違う」ということは、1+1=5といったテストの解答のように「間違っている」「おかしい」ということなのでしょうか。

 ヒトの遺伝子の情報は印刷して本にすると26万2000ページほどになるそうですが、一人一人違うのは500ページほど。99.9%は同じである。国語の教科書3年分の中の1ページだけ「違う」と言うレベル。「違い」はそれぞれの「個性」に当たる部分、0.1%の「違い」を取り除くと、工業生産品になってします。

 生徒は小学3年生の時に金子みすゞさんの『わたしと小鳥とすずと』を勉強しています。

 わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、

 とべる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、

 あの鳴るすずはわたしのように たくさんのうたは知らないよ。

 すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。

 「自分を大切にするように、人も大切にする心」、「相手の良さに気付き、素直に認めることができる心」、人権を大切にする「潤いと輝きにあふれる」田浦中学校のスタート地点は「みんなちがって、みんないい」です。(H)

 

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【天皇誕生日】020223

 明治の時代は11月3日、大正は8月31日、昭和は4月29日、平成は12月23日、今日が令和最初の天皇誕生日です。存命中である上皇の誕生日も祝日にすることが、今上天皇との間で「二重権威」を生ずるとの懸念を払拭するため、令和元年12月23日は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の附則で平日とされたそうです。生徒もカレンダーを見て気づいたようでした。天皇誕生日には例年はこのような行事が行われます。

 天皇の住居である皇居内の宮中での祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀。

 伊勢神宮を始め、各地の神道神社での天長祭。

 海上自衛隊の基地・一般港湾等に停泊している自衛艦での満艦飾が行われる。

 外国駐在の日本大使館等の在外公館でのナショナルデーレセプション。(別日)

 今年は国内で新型コロナウイルスの感染が広がりつつあり、感染拡大を防ぐ必要があるということから大勢の人が集まる一般参賀は中止するとの発表が2月17日にありました。東京マラソンもエリート選手のみの大会になるようですね。(H)

 

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【ネコの日】020222

 今日、2月22日は「ニャンニャンニャン」でネコの日です。ちなみに、9月29日は「来る福」で招き猫の日、11月1日は「ワンワンワン」で犬の日だそうです。

 ネコの日は世界各国で制定されており、ロシアが3月1日、イタリアが2月17日、アメリカが10月29日、国際動物福祉基金(通称IFAW)が定めた『世界ネコの日(International Cat Day、World Cat Day)』は8月8日。その日にした理由は不明ですが、イエネコから野生のヤマネコまで、ネコの保護について考える日とされています。

 アメリカが8月17日、イギリスが10月27日、イタリアが11月17日など色々な国に「黒猫の日」がありますが、黒猫は不吉と考えられ虐待された歴史があるため、理解を図ろうという理由で制定されたようであまりうれしいことではありません。今でも、保護施設にいるネコの多くは黒猫。写真写りが悪い、インスタ映えしないなどと言う身勝手な理由で捨てられることが多いと聞きます。許せないことです。

 黒は自然界では隠れやすい色なので、外敵に襲われることが比較的少なく、穏やかで甘えん坊が多いそうです。うちの「おはぎ」も甘えるのが仕事です。今日も「いい仕事してますねぇ~。」

 黒猫を飼いだすと、見分けがつくようになります。黒猫はどの子もかなりそっくりなのに、うちの子が一番かわいいと思ってしまいます。世の中には黒猫グッズがやけに多いことにも気づきます。そして、身の回りが黒猫だらけになっていきます。昨年のクリスマスには妻に「おはぎ」にそっくりな黒猫と、「ふわり」のようなハチワレ猫のぬいぐるみを買いました。確かに魔法が使えるようです。(H)

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【PTA臨時総会】020221

 PTA臨時総会にご参加の皆様、大変ご心配をおかけしました。母は夕方には自宅に戻れそうです。近所の方も「救急車の止まったばってんせっちゃんな大丈夫かい。」と心配して来られました。いつものようによくしゃべっています。大丈夫のようです。

 今日の授業参観は全学年で熊本県道徳教育用郷土資料『熊本の心』を使った道徳の授業(1年:熊本スピリッツ(小泉八雲)』・2年:『名弓肥後三郎(松永重児)』・3年:『生きた 臥た 書いた(淵上毛氈)』)を公開しました。※『熊本の心』は熊本放送広報テレビ番組がYouTubeにもアップされています。ぜひご覧ください。

 授業参観に引き続き行った臨時PTA総会では、今年度の田浦中の教育の成果と課題について報告を行いました。また、推薦委員長から次年度の役員案が報告され、会員の過半数の賛成により承認されました。新役員の皆様には大変お世話になります。

 3年生は卒業式を含む登校日数が15日となりました。開校時の19人に次ぐ22人という少ない3年生でしたが、有り余る個性と、まとまりを発揮した集団でした。田浦中の生徒は、ほとんどが同じ集団で9年間を過ごしてきました。中学校の卒業式が最初の別れの時です。何十年も会えない友達もいるかも知れません。残り15日間を、思い出を刻み付ける時間にしてほしいと願っています。(H)

 

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【水俣高校SGH成果発表会】020220

 今日の午前中、水俣高校のSGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)成果発表会を参観しました。校長先生の英語での長文のあいさつ、SGH概要・取組説明のあと、ACT1として「水俣湾のDINの地理的変動と魚介類の減少対策について」、「環境発電の研究」、「Wood Connect Project」、「環境首都発!エコ・グランピング計画」の研究発表、ACT2として「スロベニア研修報告」、発表者の英語が上手だなと思って聞いていると、隣に座った水俣二中のN先生が「うちの娘です。」とのこと。二度びっくりでした。N先生のお父さん(元田浦郵便局長のYさん)も参観に来られていました。私のおなかを撫で「貫禄がついたですなぁ。」と褒めて?もらいました。

 その後にポスターセッションによる発表が行われ、私は本校出身、建築コースのHくんの「森は海の恋人~森林と海の関係~」という発表を見せてもらいました。

「世界に届け、水高生の声」というテーマを掲げ、水俣高校でしかできない教育活動は何かと言うことを生徒自身も理解し、様々な研究に取り組んでいました。今の水俣高校に通いたかったなと思いました。卒業生の一人として、彼らに将来の水俣を担う人材に育ってほしいと強く願っています。学年末テストと重なったため、田浦中からは私だけが参観しました。中学生にも見せたい内容でした。(H)

※HP閲覧数カウンターは現在110462回。111111回の瞬間を見るのが密かな楽しみです。私の予想では23日(日)頃です。

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【思い立ったが吉日】020219

 いよいよ1週間後は1年の中で最も「言い訳」を考える日「人間ドック」の日がやってきます。「どぎゃんかせんばいかん。」昨年の人間ドック直後の感想です。「思い立ったが吉日」良い言葉です。意味はわかります。私自身も生徒によく使います。

 しかし、寒い中に外を歩き回るのも病気の元です。気温の変化は血圧上昇につながります。インフルエンザが流行するシーズンですが、COVIDー19(コービッド・ナインティーン)の影響で全国的にマスク不足の状況です。不要の外出は避けるべきです。

 ここは食べて抵抗力をつけることが大事です。食品ロスが問題となる今日、食べ物を残すことは間違っています。変わったお菓子は試してみると話題作りにつながります。

 挨拶の原稿もたくさん仕上げないといけません。パソコンが友達、期限を守るのは信用の問題です。色々な情報を収集するために、帰宅したらテレビやネットニュースも見ないといけません。ゲームを完全否定しては生徒と心から通じ合うことはできません。

 タバコもアルコールも摂りません。余計な税金を払う気は毛頭ございません。ヨーグルト・牛乳は毎日摂っています。「せっかく肥えたとに、痩すっともったいなか。」母の教えは守らないといけません。

 それと、それと、う~ん…。学校には私より大きい人がいます。私はまだまだです。

 22日から三連休です。「あきらめない、最後まであきらめない」の田浦中スピリッツで少しあがきます。(H)

 

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【俺は泣く】020218

 昨日、生徒はワクワクして帰宅したようです。遠方から通勤している先生もニコニコしながら「明日、来れるかなぁ。」と言っています。平野部は5㎝、山間部は10㎝の積雪の予報でした。期待感が高まっているようです。町の防災無線でも注意喚起の放送が流れました。近い先生でも方でも北の赤松太郎、南の佐敷太郎・津奈木太郎が待っています。雪に不慣れな地域なので油断は禁物、生徒・職員には命を守ることを最優先にと伝えています。私は対応のため昨夜は田浦に泊まりました。カップ麺も準備しました。

 そして朝6時、車の屋根とフロントガラスに氷が残り、路面が凍結している程度、学校から見える高速道路も車が通っています。太陽が出る頃には氷も溶けてしまうことでしょう。職員に「路面凍結、安全運転を」のLINEを入れました。何もないのが一番です。

 昨夜は本年度最後のPTA役員会を開きました。執行部の木村会長、大浪副会長、倉本書記、溝下監査の4名が子どもの卒業により勇退されます。他、副会長の川元さんは小中連続で5年間に亘り役員をしていただきました。先輩の奥さんということで無理なお願いを聞いていただきました。木村会長は「(息子が卒業だから)俺は泣くけん、卒業式のあいさつを代わってくれ。」と新会長に懇願されましたが、提案は却下されました。(H)

 

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【耐雪梅花麗】020217

 明治10年2月15日、60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。

 平成2年の『飛ぶが如く』放映の時は西合志に勤務していましたが、社会科の先生たちと田原坂や熊本城を巡りました。その後異動した人吉でも1か月余りの戦いの跡を巡りました。ある生徒の家は、西南戦争の時の官軍の宿舎だったそうで、衣類などが残されていました。林鹿寺境内にある両軍戦死者を供養するための慰霊碑の筆は勝海舟です。

 西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。

一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難

耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安

 一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない

 鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。

 豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。

 厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。

 もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。

 昨年度の卒業式の校長式辞の中に入れました。元広島カープの黒田投手は高校生の時に授業で習ったこの漢詩の『耐雪梅花麗』を座右の銘にしているそうです。(H)

 

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【順番】020216

 今日は昨年2月になくなった義父の一周忌法要でした。「飲む」ことが好きな義父で、娘の結婚前は義理の息子と「飲む」のが楽しみだったそうです。ところが義理の息子になったのは「飲まない」男でした。ちょっと残念だったようです。後半は義母により水で薄めた一升瓶が置かれていましたが、知っていて文句も言わず飲まれる方でした。

 私たちが人吉に住んでいた頃は、よく孫2人の顔を見に来られていました。必ず温泉に行っていました。湯の児に戻ってからは毎日、保育園の迎えや帰宅後の面倒を祖母と2人でみてもらっていました。じいちゃん・ばあちゃんに育ててもらった子どもたちです。

 退職後、何度か手術をされて、一昨年から酸素ボンベが欠かせなくなっていましたが、その日は突然やってきました。正月にスマホで撮った写真が、最後の集合写真でした。

 田浦に来てからの5年間で義父や伯母、親戚、実家の近所のおじさん・おばさんたち、卓球部の外部コーチとして頑張ってくれた同級生や中学校の先輩方などお世話になった多くの皆さん方が鬼籍に入られました。最大4匹いたネコも「おはぎ」だけになりました。

 息子たちにはよく「順番を守れ。」と言います。どんなにそうありたいと願っても、病気などで順番を守ることができなかった人もいます。自ら約束を破ることがないように。親が先、子供は後。母から言われ続けてきたことの受け売りです。(H)

 

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【笑顔条例】020215

 昨年末、朝のニュースで「毎朝、笑顔をAIでチェックしている。」という会社が紹介されました。その日のランキングもつけているそうです。笑わない男がいたら大変です。 

 1948年、アメリカ合衆国アイダホ州ポカテロ市(City of Pocatello)のジョージ・フィリップス(George Philips)市長はある条例案を提出、冗談で市議会も可決しました。施行はされていないようです。

 ポカテロ市のHPをグーグル翻訳したところ「ジョージ・フィリップスは、それが違法ポカテロに笑顔を作っていない条例を可決しました。『スマイル条例』は市職員や市民の精神を湿らせていた非常に厳しい冬、結果として、頬に舌を渡されました。」と意味が分かりません。翻訳を読みながらつい笑顔になりました。気になった方は姉妹都市の『北海道岩見沢市』のHPを検索ください。

第一条 しかめっ面、眉間にシワを寄せる、人をにらむ、怖い、不機嫌そう、落ち込んでいるといった印象を与える表情は違法である。

第二条 市民が笑う習慣を身につけるために、毎年8月9日から14日までを『笑顔週間』とする。

第三条 笑顔チェックの役所を新たに作り、笑顔がない人を逮捕する権限がある特別官を置く。

第四条 条例に違反して有罪となった人は、笑顔作りの講習を受けなければならない。

今日、わが家は今年一番の笑顔の日でした。中身は秘密です。緊張しました。(H)

 

 

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【転売ヤー】310214

 1月26日は郡市対抗女子駅伝大会でした。Y先生と一緒に本校出身のIさんを応援しました。益城インターを降り、スーパーの駐車場からY先生に「応援場所の目印はないですか。」と聞いたところ、「街路樹が続く道路で特に建物もありません、交差点から100mほど走ってください。対向車線側にいます。」とのこと。メールで送ってきたのは本当に街路樹だけの一本道でした。しばらく走るとY先生を見つけました。建物よりも目印になりました。

 帰りにスーパーに寄りました。インフルエンザの流行シーズンなので箱入りのマスクが大量に売ってありました。この時期、学校ではマスクをつけて過ごすよう呼びかけることがよくあります。私も1ヶ月分の1箱買って帰りました。

 1月30日、出張に出ました。先日購入したマスクは熊本で仕事をする息子に渡してきたので、帰りに量販店に寄りました。後はご想像の通りです。新型コロナウイルスのニュースが連日報道され、マスクが全く手に入らなくなりました。ある面、仕方のないことですが、許せないのは「転売ヤー(転売+バイヤー)」の存在です。ネットフリマでは10倍以上の価格で出品されているようです。社会科では「農産物など価格は需要と供給の関係で決まる。工業製品は『経費+利潤』が原則で、希少価値がある物はオークション等で高額で取引されることもある。」と教えますが、マスクが希少価値のある物になるとは思ってもみませんでした。人の弱みにつけ込むやり方を恥じぬ心に憤りを覚えます。

 毎月第3土曜日の「トミカの日」にトミカの新車が販売されます。同時に色違いの初回限定版を一人1台のルールで買うことができるため、おもちゃ屋さんには客が並ぶ姿が見られます。その中に乳幼児もいます。2~3歳、男児・女児関係なく限定版のランボルギーニやフェラーリに興味があるようです。その後、すぐにフリマやオークションサイトに限定版が高値で大量に出品されます。「自分はほしくなくても、ほしい人に高く売りつければ儲かるんだよ。」と、乳幼児の頃から市場原理を徹底して教えているようです。

 明日は第3土曜日ですが、何よりも大切な家族の用があるのであきらめます。余談ですが私は平成4年の今日、入籍しました。記念日は覚えやすい日に限ります。(H)

 

 

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【地域の教育力】020213

 昨日は午後から、田浦小学校のICT研究推進校研究発表会に参加してきました。これは、町内の小・中学校が順番に2年間の指定を受け研究と実践を行うもので、芦北町には機器の充実や支援体制などに多額の予算を使っていただいています。大変ありがたいことです。昨日は研究発表と3つの学級での公開授業をもとに、授業での機器の効果的な活用方法について学びました。授業者の一人、Y先生は私が水俣二中に勤務していたときの生徒なので、彼の成長を見るという楽しみもあります。

 西郷隆盛の出身地、鹿児島市加治屋町出身の偉人は隆盛以外に教科書に登場するだけでも、大久保利通、西郷従道、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛などがいます。『翔ぶが如く』の原作者である司馬遼太郎氏は「いわば明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と述べています。芦北町は「温故創新」を教育理念としていますが、これには伝統を大切にしながら最先端の学びを取り入れ時代を切り開いていった加治屋町の偉人たちと通じるものを感じます。地域の教育力あればこそです。(H)

 

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【不審者対策避難訓練】020212

 先週末に風邪を引きました。病院に行き土・日寝たら治りました。妻にはいつも「病気なっとせんと休まれんけん予防注射はせん。」と言っていますが、寝込むほど苦しむのは大概休みの日で、いつも月曜日には復活します。作戦が成功した試しがありません。

 学校では地震、津波、水害、火災、不審者などの避難訓練を行っています。今日は芦北警察署生活安全課のご協力を得て、不審者対策の避難訓練を行いました。生活安全課の話によると、一昨年は、すごく体格のよい先生が最前線で対応し、柔道の達人である前校長先生から刺股を手に鋭く睨みつけられ圧倒されたとのことで、校長室の壁紙にその跡が残っています。昨年は、最後は不審者をうまく誘導し放送室に閉じ込め、交番から警察官が到着するまでの時間確保ができましたが、最初に対応にあたった事務職員のH先生は凶器が見えたにもかかわらず、つい近寄り、模造ナイフで刺されてしまいした。侵入ルートを決めての訓練でさえ不審者役の圧力に緊張してしまったとのことです。もし本当に侵入があったら、相手はどんな状態でどんな凶器を持っているか分かりません。

 今回は生活安全課のアドバイスもあり、あらかじめ侵入ルートを決めるのではなく、職員がどう動くか、臨機応変な対応ができるかという訓練を行いました。たくさんの助言をいただきました。今日の経験を活かすことのない世の中であって欲しいものです。(H)

 

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【建国記念の日】020211

 今年から2月の祝日が2回になりました。ただ単に休みが増えたという理解で終わっては、おかっぱの5歳児から「ぼ~っと生きてんじゃねえよ。」と叱られそうです。

「国民の祝日」(祝日)については、国民の祝日に関する法律(祝日法)の第1条に「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である。」と定義されています。

 今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。祝日法を読むと、他の祝日がすべて祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」とされていることがわかります。どうやってこの日が決められたのでしょう。

 日本書紀によると初代の神武天皇が旧暦の紀元前660年1月1日に即位されたと伝えられており、それをグレゴリオ暦に換算すると2月11日になります。

 この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。

 その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。「建国記念の日」には「の」があり、5月3日の「憲法記念日」や今年から2月23日と定められた「天皇誕生日」には「の」がない。この違いは分かりますか?

 原稿を書いたのは1月末です。どうかチコちゃんに先を越されませんように。(H)

 

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【そぎゃんこた言わんちゃよか】020210

 田浦中学校の武道場の壁には「田浦中スピリッツ ~あきらめない 最後まで あきらめない~」の黄色い看板が掛けてあります。平成27年度卒業生が記念品として贈ってくれた物です。生徒は毎日、その看板を見ながら登校しています。

 設置に来られた業者の方と面識がありました。2つ上の先輩、竹林公一さんでした。私の背が高かったからでしょう、40年ほど前の中学入学後に、全く面識のなかった竹林先輩から「男子バスケット部ば作るけん入れ。」と誘われていました。創部には至らず、私は5月頃にバレー部に入りました。バイタリティーがあり、かつ、自分より人のことを先に考える方です。高校でも生徒会長をされたと聞きました。お会いしたのは竹林さんの中学校卒業式以来でした。

 それ以降、いろいろなお願いを快く引き受けていただきました。いつも、田浦中のことを気にかけていただいていました。平成30年度卒業生から贈られた、入学式と卒業式の立て看板も竹林さんが作られました。

 来年、田浦中は「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の研究発表会を行います。昨年11月頃にお会いしたとき、発表会に関する看板や幟旗の制作も引き受けていただいていました。

 ところで、2・1年生の体育服のゼッケンには名字がきれいに印刷されています。後輩のためにと竹林さんが自身でゼッケンを購入し、名前を印刷し寄贈された物です。

「紹介しますね。」と言ったところ。「恥ずかしか。たいしたこっじゃなかけん、そぎゃんこた言わんちゃよか。」、「毎年作ってやっで。」とのお返事でした。保護者には地域の方からと伝えてきました。ありがとうございました。田浦中はたくさんの先輩方に支えられています。(H)

 

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【レンガ積み(イソップ寓話)】020209

 旅人が、とても辛そうな顔をしてレンガを積んでいる一人の男に出会いました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、

「見ればわかるだろう。暑い日も寒い日も、風の強い日も、来る日も来る日も、朝から晩までレンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり。」「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、楽に儲けている奴らがいっぱいいるというのに。」と答えました。

 隣を見ると、先ほどの男のようには、辛そうには見えない表情でレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、

「大きな壁を作っているんだ。これが俺の仕事でね。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。」と答えました。

 さらに隣を見ると、活き活きと楽しそうにレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると。

「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ。」「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみから救われるんだ。何て素晴らしいことだろう。」と答えました。

 旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けました。(H)

 

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【アラクノフォビア】020208

 クモが苦手だ。姿、形、ワサワサと移動する格好、死んで裏返った時の足の付け根が特に嫌だ。書きながらも気分が悪くなる。子どもの時、天井から体のすぐそばに大きなクモが落ちてきて…。腰が抜けた。

 生徒と保育園のボランティアに行って、窓掃除の時に隠れていたクモを直接触ってしまった…。腹部の柔らかい感触がいつまでもとれなかった。

 クモより足が多いゲジゲジも、ムカデも平気、ゴキブリも平気、海岸で見かけるフナムシの集団も平気。ヘビもトカゲも平気。クモだけが弱点。「人間がまだ人間ではなかった昔、昔、クモは命を奪う敵だった。その頃の記憶が残っている。」という話を読んだことがある。トンでも科学だが、私には説得力がある。

 中学生時代、瓶に詰めたクモを持った先輩から追いかけ回されたこともあった。夜のクモ(コブ)は夜コブ(喜ぶ)といって縁起が良いと聞かされても、それはそれ、友達になろうとは思わない。

 それでもなぜかクモの本を数冊持っている。テレビで特集があると録画してしまう。クモの映画のDVDも持っている。子どもの頃に数匹のクモを虫かごで飼ったこともある。子どものすることは矛盾だらけだが怖いもの見たさは人の習性。 

『クモのはなし』という本の中に、クモの食べ方という話があった。国によっては動きの遅いクモは重要なタンパク源となっている。串に刺して、足をもいで、焼いて…。ジャガイモを生で食べたような味がするそうである。

 本校M先生の大学・大学院での研究テーマは「ハエトリグモ」である。恐ろしい男だ。あぁ、書きながらめまいが…。(H)     ※アラクノフォビア:クモ恐怖症

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【最後の~】020207

 「最後の運動会、最後の中体連夏季大会、最後の文化祭、義務教育最後の1年間。今年は全てに『最後の』がつきます。」3年生がよく言う言葉です。今日、中学校生活最後の定期テストが終わりました。今回の「最後の」ばかりは名残惜しくないようです。

 体育大会、文化祭、合唱コンクールで涙を見せた3年生も、とうとう最後のテストが終わってしまったと泣いている者は誰一人いないようです。

 すでに私立高校の推薦入試等で1月下旬には進路が内定した生徒も少なからずいます。公立高校前期選抜受検者は来週の結果待ちでそわそわして勉強が手につきません。残りの多くの生徒も3月10日・11日の高校入試の範囲の学習に気持ちが向いています。採点者からは「最後の定期テストなのに気合いの入り方が足りない。」という声もちらほら。 

 このテストが大事なのに終わったと先生たちは皆、泣いています。

 3年生と先生、両方の気持ちがよく分かります。毎年、毎年、わたしたちもそぎゃんでした。

 私から3年生へのアドバイスを一つ。「なんさま濁るけんいかん。最後(サイゴ)から点点ばとってかっ伸ばしてみろ。残り1ヶ月ばそぎゃんなるごつせろ。」

 あ~いた久しぶりにち~った良かこつば言うた。最後は最高。(H)

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【一生分】020206

 子どもは小さいころに一生分の親孝行をするといいます。

 私が人吉二中に勤務していた27歳の時に長男が、30歳の時に次男が生まれました。8ヶ月くらいで保育園に通わせることになりましたが、二中の近くに保育園がありましたので、送り迎えは主に私の役目でした。また、妻は土・日勤務の仕事でしたので、金曜日の部活動が終わった後、私が息子たちを田浦に預けに行き、土・日は田浦から部活に通い、日曜の午後に迎えに行くという生活でした。流行の言葉で言うならブラック部活です。

 人吉三中に異動してから、妻の転勤が急に決まりました。最初は妻と2人の息子は水俣に引っ越しました。私は単身赴任の予定だったのですが、毎晩9時頃に当時5歳の長男から「おとうさん、なんでかえってきないの。」の電話。「わかった、今から帰るよ。」と水俣に向かう生活が続きました。帰宅した頃には、5歳と2歳の息子は熟睡していました。

 そこで、私も5月から水俣に引っ越し、片道70分の道を通うことにしました。毎朝5時半に出発する私を長男は早起きをして必ず見送ってくれていました。

 二生分、三生分の親孝行をしてもらいました。

 中学生になると「あーいた、いっちょん言うこつばきかん、はがいかよ。」となることもあるでしょう。もう親孝行は済んどるけんしょんなかっです。(H)

 

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【困ったものだ】020205

 ※10年以上前に学級通信に書いた話です。

 男の子は難しい・・・らしい。

 言うことを聞かない、口答えをする、プリントを見せない、勉強をしない、マンガ本ばかり読んでいる、朝グズグズしている、お母さんをなめている・・・・。

 よくもこんなに気に入らないことがあるものだ。

 で、最後は「お父さん、何か言ってよ!」となる。「自分で怒れ。」と言うが、「怒っても聞かない。」と返される。妻も反抗期。

 子どもが中学生になったら「男の子の教育に母親が、女の子の教育に父親が口を出すのは間違い」という話を聞いた。同姓の親が先輩としてアドバイスをすることが大切だそうだ。

 「男の子はわからない。」というが、こちらは一度通ってきた道、やることなすこと昔の自分を見ているようでおかしくてたまらない。口答えも子どもなりの理屈が通っていて愉快、愉快。

 「何か言ってよ!」妻のさらなる要求。このくらいのことでと思いつつも、ここは老後の良好な人間関係を重視。

 2人の息子も慣れたもの、「お母さんの許容範囲は超えているが、お父さんを(命に関わること、いじめに関わること、約束を守らないこと)を超えなければ大丈夫だ。」と知っている。本人だけが困ることについては、徹底して困らせるのも一つの手段ではと考える。

 しかし、子どもたちは一向に困ったという気配がない・・・困ったものだ。(H) 

※成人した成長した今は違いますよ。たぶん。今は私が反抗期。

 

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【新入生説明会】020204

 私が小学6年生だった頃(昭和52年度)は、中学校に行ったら丸刈り(慣れるために小5の夏休みに丸刈りにするのが一般的でした)にせんばん。部活に入らんばいかん。昨日まで〇〇ちゃんと呼んでいたのに「〇〇先輩」て言わんばん。授業ごとに先生が変わらす。体育の先生もたいぎゃな鍛わす。先生たちはジャージじゃなか、背広ば着とらす。中学校は鉄筋コンクリートやけん冷たか。(当時、田浦小は木造校舎最後の年でした。)

 など、どうでもよいことにもドキドキして中学校入学を迎えました。入学式では、中3の先輩方がすごく大人に見えて圧倒されました。 今、中学生に聞くと、合同遠足など小中交流の効果もあって、入学前は少しドキドキしたけど、先輩は優しいし、先生たちもおもしろいと言います。

 毎朝のランニングに休まず参加している先輩たちがいます。部活動の時間になると復活する先輩たちがいます。職員と生徒会は車の両輪、田浦中PRIDEを高める生徒会活動に一生懸命頑張っている先輩たちがいます。進路決定に向けて一所懸命勉強している先輩たちがいます。

 私たちの中学時代との違いは、大人に用意された線路の上を走るのではなく、自分で道を切り拓きながら先に進んでいる生徒が多くなったことです。

田浦中学校は自分で自分を鍛える学校です。成功体験も大事ですが、チャレンジしたけどうまくいかなかったという経験も大事です。手本となる先輩がたくさんいる学校です。そのきっかけを与え、励まし、声を掛け、支える先生たちがたくさんいる学校です。中学校卒業後の一人一人の自立を目指す学校です。皆さんの入学を楽しみに待っています。(H)

 

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【オーズ】020203

 今日は節分です。節分はもともと、立春・立夏・立秋・立冬という4つの季節の始まりの前日ですが、江戸時代以降に節分と言えば立春の前日を指すようになったようです。

 常駐している家庭もあるかもしれませんが、今日は鬼がやってくる日です。魔の芽が出ないように炒った『摩滅(豆・まめ)』を鬼に投げつけて追い払う「鬼は外、福は内」の声は聞こえるでしょうか。豆をまくのはその家の主人の役割、年女・年男・厄年の人がまくのも縁起が良いそうです。サザエさんでは、波平さんかマスオさんが鬼の役をしているとばかり思っていたら、両方ともそこにいて、実は鬼は泥棒だったというのが定番ですね。

 過去には昼休みに教室を豆だらけにしたクラスもありました。この時期給食に出る節分の豆を先生にばれないように食べたふりをして袋だけ食缶に捨て、豆はティッシュに包んで隠し持っておく。なかなか創意工夫が働きます。参考にはしないでください。

 鬼がいるのは鬼門とされる丑寅(うしとら)の方角。鬼が「牛の角」と「虎のパンツ」を履いているのはそんな理由です。また、鬼を倒せるのは、逆方向(裏鬼門)にあたる未申(ひつじさる)の方角の「サル!トリ!イヌ!」コンボが最強。桃太郎の仲間には必然性があるということです。

 今日は公立高校の前期選抜(特色選抜)が実施されました。結果は12日(水)です。「福は~内。」(H)

 

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【立志式】020202

 今日、2年生のPTA行事「立志式」が行われました。御立岬公園まで歩き、そこで一人一人が決意発表、また学校へ戻ってそれぞれの保護者に向けての手紙渡しを行い、式が終わった後は祝いの膳のぜんざいをいただき行事を終えました。

 立志式は、武士社会で数え12~16歳の立春の日に行われていた元服式がもとになっています。この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。

 西郷隆盛が尊敬した幕末の志士『橋本左内』は15歳の時記した『啓発録』に、「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がない。これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。どうしてこんなに駄目なんだろう。そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした。」そして

〇稚心を去る 〇気を振う 〇志を立てる 〇学問に勉める 〇交友を択ぶ 

ことが大切だということを記しています。

 2年生は立志式の取組を通して、どんな自分になりたいかを考えてきました。今日を具体的な目標、期限を決め動き出す日にしましょう。「知ることと行うことを一つにする」、将来を見据えた行動の変化が楽しみです。(H)

 

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【February】020201

 今日から「逃げる」2月です。今年は4年に一度の閏年、オリンピックイヤーです。社会科ではアメリカ大統領選挙の年といった教え方もします。

 オリンピックが4年に1回なのはなぜでしょう。「太陰暦を使っていた古代ギリシャ人にとって8年という周期が大切で、最初、古代オリンピックは8年に一度開催されていたが、のちに4年に1回になった」と言う説、「金星を司るギリシャ神話の女神アテナを祝福するために、金星と地球が同じ位置で一直線上に並ぶ4年に1回の周期に合わせた」と言う説等があるそうです。古代オリンピックでは4年を単位とする周期を「オリンピアード」と呼び、その1年目の年に大会を開いていたそうですが、その事例に倣い、近代オリンピックの父クーベルタン男爵が1896年の第1回大会を起点にしたそうです。

 詳しくは書きませんが、2月が他の月のように30日や31日ではないのは、もともとの暦が3月始まりで、2月が最後の月だったからだそうです。暦が変更された時に、31日の月を2つ減らせば良かったのでしょうが、最後の月だった2月は宗教的な行事が多かったため、混乱を避けるために28日のままにしたようです。

 ちなみに英語のDecember(12月)は、もともと「10番目の月」意味。3月から数えると「10番目の月」は12月です。(H)

 

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【ポケモン言えるかな】020131

 来週の3日(月)は公立高校の前期選抜が実施されます。今日の事前指導も緊張感がありました。受験票の保管場所は神棚や仏壇が定番のようです。受検生の皆様は、合格に向けて八百万の神々様、仏様、ご先祖様を総動員。「おらに元気を分けてくれ~!」状態のことと思います。

 熊日新聞に、「時間配分に気を付け、自分に勝つつもりで頑張る。支えてくれた家族の気持ちに応えたい。」本校卒業生Oさんの今年のセンター試験開始前の会場でのコメントが載っていました。皆さんも入試に臨むにあたり心に携えてほしい言葉です。

 以前、「受験票を制服のポケットに入れて大事に保管していたものの、違反服だったため、当日は弟の制服を借りていき、ポケットに受験票がなくて大慌てした。」という生徒がいました。「集合場所を高校の正門としていたのに、中学校の正門で待っていた。」という失敗もありました。「学校に上履きを忘れたため、自宅のもふもふした動物スリッパで行った。」という強者もいました。何が起こるか分かりません。確認、再確認、再々確認。念には念を。

 ずっと前に教えた生徒に「昨日は勉強したか?」と聞くと、彼は自信を持って「はい、頑張りました!ポケモンを151匹覚えました!」「ピカチュウ、カイリュウ、ヤドラン、ピジョン、コダック、コラッタ、ズバット、ギャロップ…♪」と歌い始めました。

 どうやら何をどうすれば良いかわからなくなってしまったようです。よくあることです。付き合うために私も覚えました。たまにはぼーっとすることも大事です。(H)

 

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【全国いじめ問題子供サミット2】020130

「自分の学校、地域に帰って、どのように生かしていきますか。」

○相手の良いことを貼って、一つの物をつくる。イイコト流星群をもっと発展させる。

○何気ない日常会話の重要性

○クラス、学校の枠に囚われず、他校との関わりを増やして情報を交換する。

○いじめを自分事として捉える。

「他の参加者の発表を聞いて参考になったことは何ですか。」

○今日のグッジョブ!

○傍観者が行動する

○劇などを通して具体例を示す。

○団結しすぎず、集団意識に囚われないこと。

○クラスの中での他人をつくらない。

○相手の立場に立って考える想像力をつける。

 文部科学省の行動での発表、全国から147名の児童生徒の参加、130名近くの引率者、文科省関係者や報道機関も入り、最後は文部科学大臣のあいさつ。ポスターセッションではさすがに緊張の面持ちでしたが、グループ協議では自分の意見を言うことができたとのこと。学びの多いサミットでした。「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の取組にどんな形で反映させるか、執行部の取組が楽しみです。(H)

 

 

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【全国いじめ問題子供サミット1】020129

 25日(土)、文部科学省で「全国いじめ問題子供サミット」が開かれ、生徒会前会長のKさんと、現会長のIさんが参加し、ポスターセッションとグループ協議で「私たちが考える『令和の時代のいじめ対策』」について考えました。サミットに参加しての、2人のメモを紹介します。(H)

「本サミットを通して学んだことは何ですか。」

○個性を認め、人それぞれの価値観や考え方が違うということを全ての人が理解しなければいけない。「いじめの定義」で共通認識を持つことが大切である。

○クラスや学年内で素を出せる、自分らしくいられる(嫌なことは嫌とはっきり言える)環境や雰囲気づくりが大事。

○傍観者が被害者と加害者の架け橋になる。

○いじめにつながりそうな些細な「いじり」や「悪ふざけ」を周りの人が注意する。

○傍観者の数が圧倒的に多いから、傍観者が変わればいじめをなくしたり、未然に防ぐことができる。

○いじめに対しての考え方や感じ方は様々。

○自分の気持ちを伝えることが大切。

 

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【7×7】020128

 駐車場から家に近づくと黒ネコ「おはぎ」の声が聞こえてきます。ドアの内側でカギが開くのを待っています。開いたドアの隙間から50㎝ほど外に出て、地面に数回ゴロゴロすると家に戻ってきます。不思議なルーティーンです。その後は「ニャアニャア」と私の後をついて回ります。「ご飯をくれ。」と言っているようです。6年間で随分ネコ語が分かるようになってきました。東京オリンピック・パラリンピックでは通訳ができそうです。

 カリカリを入れると「これじゃない。」という顔をします。ウェットタイプを少しだけあげます。遅れて息子が帰って来ると、「まだご飯をもらっていない。」という顔をしてニャアニャアついて回ります。ご飯のパッケージが2つ開いていることがあります。騙しのテクニックでニャカデミー賞の主演にゃん優賞を狙っているようです。

 ところで、ネコ科のトラやライオンは「ガオー」となき、ネコと骨格が似ている犬は「ワン」となくのに、家ネコはなぜ「ニャア」となくのでしょう。

 一説によると、人が赤ちゃんを可愛がっているのを見て、赤ちゃんの泣き声に似せたのだそうです。「お腹がすいた。」とか、「撫でてくれ。」とか、どうやったら要求が通るのかを考えた末、「何でも言うことを聞いてもらっている赤ちゃん真似をしよう!」と考えたのだそうです。どのネコがそう証言したのでしょう?あくまでも仮説の一つです。

 今日は「ふわり」の四十九日、明るいうちに帰宅してお参りに行きます。(H)

 

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【ザケル!】020127

 先日、某部活動の大会の応援に行ってきました。駐車スペースをやっと見つけたもののすでに試合が始まっており、2階席も上がれない構造だったため外から覗いて応援。第1セットを取った後のコートチェンジ間にやっとフロアに入り応援しました。1回戦は2-0で勝利、2回戦は強豪と対戦しましたが、目標の得点を2セットとも上回ることができました。大健闘でした。

 しかし、試合前に大騒動が…。開会式前にある選手が「ユニフォームがない!」。選手は6人ギリギリなので予備も無い。慌てて自宅にいたお父さんに会場まで持ってきてもらい、何とか間に合ったとのことでした。保護者の許可を得て書いています。

 私の次男も小学生の頃…。人吉市で開催される学年別大会の前夜に「水着は、帽子は、ゴーグルは…。」繰り返しく言うと「分かってる。」の一言。

 翌朝、妻が出発前に「大丈夫ね。」と聞くと、強い口調で「大丈夫!」

 40分かけて人吉のプールに到着。8時過ぎにプールが開き、練習をしようと大きなスイミングバッグを開けると…。水着がない。

 バッグから出てきたのはアニメにもなった「金色のガッシュ!!」の大量のコミックス。レースの待ち時間の準備だけ完璧!

 水俣まで水着を取りに往復していると間に合わない…。「金色のガッシュ!!」の第1話の台詞「ふザケルな!」がぴったりでした。さすがに口から電撃は出ませんでした。(H)

 

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【読書】020126

 読書量の増加が田浦中の課題の一つです。田浦小の毎月の一人あたり読書数は2.1冊、田浦中は1.4冊。年間で9冊の差があります。中学生になって勉強や部活動で読書の時間がなかなかとれないと言いますが、情報機器やゲーム機器を使う時間を読書にどう振り向けるかが肝要です。

 灰谷健次郎氏の『太陽の子』の中に、「本は買って読め。家は借りて住め。」という一節があります。小学6年生の頃は学校と旧役場の図書館にあった推理小説を中心に毎日3冊は読むのが習慣で、教室の後方に貼られたグラフが伸びていくのが楽しみでした。ただ、推理ドラマの犯人が早く予想できてしまうのが残念です。

 高校生の頃は日本史と世界史の教科書に登場する本は一通り読みましたが、高校3年の通知表の所見には、「すごい読書量だが、入試を前に本を読んでいる場合ではない。」文系なので、もっと英語に時間を使えというありがたいアドバイスだということは分かります。しかし、その時の貯金が今の仕事に効いています。大学生の頃は「岩波文庫」をかなり集めていました。カビが生え、最近大量に処分しました。しくじりました。加えて今は、情報誌やネットニュース、HPもかなり読みます。

 ふと気づくと、商品パッケージ裏の成分表示やテレビに次々と表示される文字も隅々まで読んでいます。間違いなく文字中毒です。(H)

 

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【セブン・新マン(帰マン・ジャック)】020125

 少し前の話になりますが、1月2日、「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」等の特撮作品を手がけられた、シナリオライターの上原正三さんが亡くなられました。私はブログの最終回のタイトルもすでに決めているくらいセブン好きです。セブンと新マンから作品をいくつか紹介します。物語の内容と怪獣の姿が浮かんだ方は仲間です。(H)

ウルトラセブン

9 アンドロイド0指令(チブル星人・ゼロワン)…知能指数50,000 

17 地底GO! GO! GO! (ユートム)…モロボシ・ダンのモデルとなった勇敢な地球人、薩摩次郎が登場します。

31 悪魔の住む花(ダリー)…少女役は松坂慶子さんです。 

43 第四惑星の悪夢(ロボット長官他)…未来観のある話です。

45 円盤が来た(ペロリンガ星人)…イソップ寓話のようです。

46 ダン対セブンの決闘(にせウルトラセブン・サロメ星人・アギラ)…「どっちがセブンだ?」偽物くらいすぐに気づけ。

47 あなたはだぁれ?(フック星人)…密かに地球が侵略されています。

帰ってきたウルトラマン

33 怪獣使いと少年(ムルチ・メイツ星人)…道徳の授業に使ったことがあります。

37 ウルトラマン夕陽に死す(ナックル星人・ブラックキング他)…大人の事情とは言え、衝撃の内容。

38 ウルトラの星 光る時(初代ウルトラマン・ウルトラセブン)…前話の後編、ラストの郷秀樹には子供心に「オイオイ」でした。

51 ウルトラ5つの誓い(ゼットン2代目・バット星人)…これで良いのか5つの誓い?天気の良い日は布団を干します。

 

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【平成28年の今日】020124

 「なぁ~ん、そぎゃんな降らんよ。」前日の天気予報は大雪。台風や大雨は信じるのに、大雪に関してはバイアスがかかっているようです。人吉勤務の頃、吹雪の中の帰宅で大変な思いをしています。津奈木太郎は越えられません。もしもの時の対応のために前日から田浦に泊まりました。

 24日(日)の天気予報は見事的中、大岩出身の母は子どもの頃にはかまくらを作ったこともあるとのことでしたが、「こぎゃん降ったとはいつね。」と聞くと、「田浦に嫁いできた頃。」との答え。50年ぶりの大雪でした。実家に車を置き、施設管理と連絡のため歩いて学校まで行きました。

 雪の中、最初は駐車場に大の字になって跡を写真に撮ったり、先生方にラインで実況報告を行ったりとまだ雪を楽しむ余裕がありました。昼頃は駐車場の雪を定規で測ると24㎝!夕方には30㎝!とつけみにゃー降り方でした。午後には奄美大島で115年ぶり、久米島で39年ぶり、沖縄本島の名護市では観測史上初の初雪を観測しました。

 25日(月)は臨時休校。雪は降りやみましたが、タイヤチェーンをつけていない車が3号線をふさぎ、全く動くことができない状態。委員会の指示で先生たちには休みをとってもらいました。田浦にいるのは松本校長と私の2人。生徒には今日、私立高校一般入試の受験票を渡す予定でしたが難しく、対象の家庭に私が電話を掛け、その後、担任のN先生は列車を乗り継ぎ出勤、学年主任のS先生と2人で個別対応をしました。

 また、午後には生徒玄関の水道管が破裂、水を止める栓は降り積もった雪の下。業者による応急処置をするもそれから1週間の断水。時間断水の地域もありました。

 26日(火)も臨時休校。入試は無事に実施されました。大雪はやおいかんです(H)

 

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【受験は団体戦】310123

 今日、明日が私立高校合格者発表の第1弾です。受験日から今日まで、学級には独特の雰囲気がありました。受験生はドキドキの朝を迎えることと思います。放課後に私が一人一人に結果を渡します。先輩たちに聞くと、控え室で待っているときが一番緊張したそうです。

 良い結果が出たら、家族へ感謝の気持ちを伝えること。高校ですることが決まっている人は、走ったり、体を鍛えたり、勉強したり。期待に応える準備を怠らないこと。これから受験する友達を支えること。後輩を育てること。他に何ができるでしょうか。間違っても「スマホを使いこなす練習」などではないと信じています。合格内定者の過ごし方次第では、後味の悪い中学校生活最後の学期になってしまいます。入試は団体戦です。

 また、明日の正午には公立高校前期選抜の願書受付が締め切られます。夕方のニュースや夕刊、明日の朝刊、熊本県教育委員会のHPには出願状況が掲載されます。(H)

 

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【啄木鳥】020122

 今日は多くの私立高校で推薦・特待等の入試が行われています。昨日まで作文や面接の練習を重ね、自信を持って今日の入試に臨んだことと思います。ドアをノックして部屋に入る習慣は生徒の日常生活の中でそう多くはありません。面接練習はその場面からスタートします。

 ところで皆さんはノックは何回しますか。昔読んだ本には、「日本人は農耕民族なので、畑を耕すときの『イチ、ニ』のリズムが染みついておりほとんどの人がノックは2回する。欧米人は狩猟民族なので、弓に矢をセットし、引いて、放つ『イチ、二、サン』のリズムが染みついておりほとんどの人がノックは3回する。」とまことしやかに書かれていました。学級でノックをさせると、ほとんどの生徒が2回ノックをするので、その後にこの話をすると大半の生徒が「なるほど。」と信用しますが、もちろん眉唾物です。

「世界的なマナーでは、2回のノックは、トイレ用。3回のノックは、家族・友達・恋人など、親しい相手。4回以上のノックは、初めて訪れた場所や礼儀が必要な相手。」等と書かれたものもありました。これも根拠がないそうです。

 私の感覚としてはドアを4回もノックされると「礼儀が必要な相手と思ってくれたんだね。」ではなく、「あーいた、せからしか。啄木鳥(キツツキ)か。」と言いそうです。校長室のドアはノックをしなくてもよいようにこれからも開けたままにしておきます。(H)

 

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【普段が大事】020121

 主な私立高校の推薦・特待等入試が明日、公立高校の前期選抜(特色選抜)までは10日余りです。3年担任は2学期末には調査書を書き上げ、年末に職員全員で点検を行いました。

 校長決裁まで、校内の出願システムに沿って2名の先生がペアを組み、4段階の点検を行います。私と教頭先生で5段階目の点検が終わった後、職印を押します。先生方には「〇〇先生たちが点検した後だから間違いないだろう。」と決して思わず、「誰にでも間違いはあるはずだ。見逃しはあるはずだ。」という視点で点検するよう念押ししています。

 担任は生徒の「悪かこと」はすぐ忘れ、「ちょっとした良かこと」に大喜びし、一生涯記憶にとどめる特技をもっています。調査書には気持ちを込めた言葉がたくさんたくさん書かれています。検定、部活動の成績、生徒会活動、余すところなく書かれています。ルーペ無しでは「文字が小さすぎて読めない!」ことが悩みです。 

 今月は私立高校推薦・特待等入試、公立高校前期選抜に向けて作文・面接指導のまっただ中です。なぜその高校に行きたいのか、どんなことに頑張ってきたか、どんな問いに何と答えるか、中学校3年間の生活をまとめ、十分に練習してきました。服装、ドアの開け閉め、礼儀、姿勢、言葉遣い、受け答えの仕方、一つ一つの問いにしっかり考え答えを出すこと等々、習慣化していればどうと言うことはないものです。(H)

 

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【令和2年度版あいうえお作文】020120

 今年も生徒会執行部の13人は、『こんな田浦中にしたい』をテーマに、名字を使ったあいうえお作文をつくりました。今後の活躍が楽しみです。(H)

会長:いつもポジティブにみんなで 乗り越えられる キラッキラに輝く田浦中

副会長:力一杯 ハイスピードで行動できる 楽観的に考える田浦中

副会長:大きな声であいさつ 思いやりの心を持つ キラッキラの笑顔田浦中

議長:真剣に 一生懸命取り組む やる気のある学校

書記:みんなが主役で 役目を持ち 斬新な発想で キラキラ輝く田浦中

書記:もりもり元気 とても優しい 無理矢理押しつけない らんらん楽しい学校生活

学級委員長:しっかり発言 らんらん元気で もっともっと上へ 友だち思いの田浦中

放送委員長:優しさであふれ 男女関係なく仲が良い田浦中

環境委員長:毎日笑顔が輝き 気持ちの良い 目標を持って行動でき 友達・先生と素敵な学校を築いていく田浦中

給食委員長:たくさん気づき行動し けじめをつけて 発表を自らでき 楽せずチャレンジする田浦中

文化図書委員長:まずは礼儀 次に協力と笑顔を忘れずに OKになったら前に進むと… 完全に素晴らしい田浦中

保健委員長:仲間を信頼し合い 頑張りを認め合い のびのびと発言できる学校

体育委員長:生き生きとした姿 決断力がある 団結力がある田浦中

 

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【公約実現執行部】020119

『現状維持は停滞』水俣二中で生徒会を担当するにあたり、村田校長先生から指針を示していただいたことを懐かしく思い出します。生徒会リーダー研修では私も同じ言葉を使わせていただいています。ただ、人と時間には限りがあります。生徒会活動の働き方改革も必要です。旧執行部には各委員会の再編成や活動の重なりをなくし隙間を埋めることなど、スクラップ&ビルドで生徒会活動を再構築してほしいことを伝えていました。

 前執行部はK会長の公約である「いいコト流星群」(黄色い画用紙でつくった星型のカードに友達の頑張りを記入し、夜空に見立てた職員室前の廊下の濃紺の広用紙に貼っていく)と、「プロフィールブック」(全校生徒のプロフィールを書いた冊子をつくり、ソーシャルスキルトレーニングの集会に活用)の取り組みを1年間続けることができました。進捗状況確認のため、毎月活動の評価を行ったことが確実な継続につながったようです。生徒会スローガン「田浦中PRIDE」もよく練られており、生徒に定着させることができました。令和元年度K執行部は名付けるなら公約実現執行部でした。新執行部の活躍にも期待しています。(H)

 

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【スカイウォーカーの夜明け】020118

 年末に息子2人と「スターウォーズEP9 スカイウォーカーの夜明け」を観てきました。スターウォーズは映画館で観る(次男はEP2から)のが恒例行事でしたが、いよいよ今回のEP9で最後です。

 もともと好きな映画ではありましたが、知識は人並みでした。人吉二中で同勤した、高校の先輩の平川先生が大のスターウォーズファンで、その時にEP4~6の基礎知識を研修レベル?でたたき込まれ、文化祭の昼休みに2人でトークショーを行えるレベルまで上達しました。困ったものです。

 EP6(1983年)から16年振りに公開されたEP1(1999年)の時はものすごい盛り上がりで、ペプシコーラがキャンペーンを行っていましたので、おまけのペットボトルキャップもかなり集めました。当時はおまけの袋を触っただけで中身を当てる、他では役に立たないテクニックも身につけていました。

 ライトセーバーやフィギュアもいくつか持っていましたが、子どもたちにはダース・モールのダブル=ブレード(両刃)のライトセーバーが人気でした。

 新作映画の紹介や映画泥棒の映像が終わり、いよいよA long time ago in a galaxy far, far away…(遠い昔、遙か彼方の銀河系で)のオープニング。独特の高揚感がありました。映画の中身について語るのは無粋なのでやめておきますが、これで息子たちとの楽しみが一つ終わったなぁという感想でした。帰りの車の中は評論会でした。

 2022年から新たな3部作が公開されるそうです。「嫌な予感がする。」(H)

 

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【天災は忘れられたる頃来る】020117

 『天災は忘れられたる頃来る』防災科学を語るときに、寺田寅彦氏(科学者で随筆家、熊本第五高等学校在学時代は夏目漱石の生徒)が、しばしば口にした言葉です。

色あせた平成7年の明日の新聞が手元にあります。1面のトップは『死者1456名』『阪神で直下型大地震』、『震度6・M7.2』、開くと横倒しになった阪神高速道路の高架の写真。被害の凄まじさが記録されています。

 午前5時46分頃地震発生。出勤前に見た6時のニュースでは、「地震があったんだなぁ」というレベルの理解でした。インターネットがまだまだ普及していない時代です、授業から帰ってきて職員室のテレビで被害状況を知りました。関西方面に住む親戚は無事でしたが、すぐには連絡がつかず不安でした。

 数年後、修学旅行の引率で完成したばかりの「人と防災未来センター」に行きました。水俣市PTAの福島交流事業で宮城県と福島県を訪問する機会も与えていただきました。地震の被害を後世に伝える取り組みが、その後の震災に生かされています。

 熊本地震の余震の時は田浦中の職員室にいました。学びは重ねていたつもりでしたが人ごとでした。「まさか」、「ありえない」ことでした。

 今日はテレビでも特集が組まれています。自分事として見たいと思います。(H)

 

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【サポート終了】020116

 新任教師として初めて西合志南中学校にあいさつに行った日、定年退職される校長先生が、「先生たちも大変ね、これからは昔のごつはいかんでね。パソコンちゅうやつも入ってくる。自分は今年退職で良かった、しきらんとやった。」と言う話をされました。昭和63年(1988年)のことです。

 当時、学校にパソコンは1台。印刷用紙も両脇に紙送りの穴の空いたものでした。パソコンが得意な技術のT先生が、通知表の所見をワープロで打ち、切って貼って渡したときは、ベテランのみならず少し上の先輩の先生からも「何ねこれは、手書きじゃないと愛がなか。」と言われたものでした。当時は入試の調査書も40人分×一人平均3校を手書きでしたので大変でした。今は筆記具を使って文字を書くことがほとんどなく、たまに手書きをすると腕が上がらなくなります。

 14日に「Windows7」のサポートが終わりました。学校にはこれまでワープロソフト「一太郎」で作られた文書が大量に蓄積されています。2学期に校務用パソコンも交換が済んで、「一太郎」はビューアのみ。新たな文書はすべて「Word」か「Excel」で作ることになりましたが、ベテランの先生を中心に恨み節も聞こえます。今日もどこからか「何で勝手に文字サイズのふと(大きく)なっと!」と言う声が聞こえてきました。

 「一太郎」は文字がきれいに揃うという美しさがあったのに…。「Word」は、ぴしゃ~っと揃いません。文字により微妙にずれます。それが許せない性格です。「どぎゃんかならんや。」と独り言を言いながらブログを書いています。(H)

 

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【テントウムシ小僧】020115

 今日は人権教育の田浦・湯浦ブロック別研修会が開かれ、1年担任のH先生と3年担任のS先生が授業を公開しました。

 さて、私が4~5才の頃だと思いますが、テントウムシをみつけるとなぜか指でつぶしていました。虫眼鏡で光を集めてアリをねらってまわったりもしました。殻の砕ける音のために鶏に投げ込んだカタツムリも数知れません。ひどい子どもです。

 ある日のこと、テレビで「テントウムシはアブラムシをたべる益虫」という番組を見ました。保育園児の頃のことなのに、「しまった。」「とても悪いことをしていた。」と思った瞬間を鮮明に覚えています。認めたくない若さ故の過ちです。

 子どもは元来、残酷な面を持っているものです。しかし大抵の子どもはたくさんの大切な命を犠牲にして育ちながら、ある日突然、そうした行為の残酷さに自分自身で気づくそうです。

 子どもたちは大切なものを失ったり、遊びのなかでケガをしたり、嫌な思いをしたりしながら、命の大切さや、痛みを体験的に学んでいきます。大切なのは人の思いを感じとることだと思います。

 今日の授業での子どもたちの表情から、何かを感じ取ってくれたように思いました。次の段階は知行合一です。これがまた難しい。(H)

 

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【知行合一】020114

 平成25年のホームページ開設から平成30年9月11日までの65ヶ月で閲覧者数は40,773回(1日平均20回)、それから17ヶ月後の今朝100,434回に達しました。ありがとうございます。3月1日早朝には、高校を卒業する皆さんへの祝詞(学校から・旧3年部から)と中学3年生の時の出来事をまとめたブログをアップします。卒業生の皆さん、ぜひご覧ください。

田浦中の『学校だより』のタイトルにもしている知行合一(ちこうごういつ)は、陽明学(孔子の生きた『春秋戦国』時代から1900年ほど後の『明』の時代に王陽明がおこした学問)の命題の一つで、簡単には「知識は行動と一致してこそ意味がある、本当の知識は実践をともなわなければならない」というような意味です。

 学校の論語階段に掲示している為政第二の「子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之」

 孔子に、弁が立つ弟子の子貢が、「君子とはどんな人ですか?」と問うと、「普段からあなたが話していることを先に実行しなさい、その後から言葉が出てくる(まずすることをして、言いたいことがあればその後で言う)ような人が君子です。」と答えた。という故事がもとになっています。

 王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、知っている以上は必ず行いにあらわれると説きました。この考えは、江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹が有名で、1837年に大阪で乱を起こした大塩平八郎も私塾「洗心洞」で門弟に陽明学を教えた陽明学者でした。

 吉田松陰の私塾「松下村塾」にも「知行合一」の掛け軸がありました。松陰の生涯と塾生の明治維新での活躍はご存じのとおりです。(H)

 

 

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【布団のおぶか】020113

 冬場に実家に帰ると、母から重い布団を着せられる。「寒はなかけんいらん。」、「おぶか、動かれん。」と言っても容赦ない。親の『煩悩』のなせる業なので、まずは素直に聞く。

 ご飯(米)の量も多い。「そぎゃんな食わん。」と言っても容赦ない。これも『煩悩』のなせる業なので、まずは素直に聞く。

 大雨や台風の時は「逃げんでよかっか。」電話がかかってくる。「俺はもう54歳ばい、あんたどんが逃げんば。」と言っても容赦ない。これまた『煩悩』のなせる業。親にとって子はいつまでも子ども。毎回、同じ会話の繰り返し。

 とは言うものの、私も成人した息子が高熱を出したりすると、ちょっと熊本市まで見舞いに行ってしまう。妻からは「もう子どもじゃなかっやっで。」と言われるが仕方ない。「親馬鹿やっでしょんなか。」、「生きとるけんでくっとやっで、でくっことはせんば。」と返している。これも『煩悩』のなせる業。

 中学生の時、修学旅行で松下村塾に行った。そこには『知行合一』の掛け軸があった。吉田松陰が処刑される(安政の大獄)前に詠んだ辞世の句を知り心に沁みた。

「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」

 子が親を思う心よりも、親が子を思いやる気持ち(親心)のほうがはるかに強い、その息子が処刑されることを聞いて、親はどう思うだろう。

 布団の重さは親の思いの重さ。分かっとるけどもう54歳(H)

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【第70回熊日三太郎駅伝競走大会】020112

 今日、県内で最も歴史のある駅伝大会「熊日三太郎駅伝競走大会」が開催され、水俣市文化会館と芦北町役場田浦支所を結ぶ10区間、39.7kmでタスキをつなぎました。      

 昨年度から町でチームを編成しての参加、中学生チームは芦北Aが6位、芦北Bが4位、芦北Cが2位という成績、田浦中選手では6区のCくんが区間賞を取りました。

 芦北町の代表として出場した皆さん、部活動と重複しての練習と大会、本当にご苦労様でした。3年生で大会に協力してくれたKHさん、IHさん、KMさんありがとう。高校・一般チームの選手として出場した卒業生の皆さん、頑張りを誇りに思います。

 意外に思われるかも知れませんが、体育的な才能は遺伝しない(諸説あります)そうです。ただ、体型については遺伝的要素が強いし、スポーツ好きの親は、子どもに小さい頃からスポーツ的な遊びをさせる傾向にあるので、自然とスポーツに親しむ習慣ができ、体育的な才能が遺伝したように見えるそうです。 

 私自身、小さな頃は親と運動をして遊んだ記憶もないし、足も遅く、運動がとにかく苦手でしたが、6年生の頃に体格に筋力が追い付いてきて、高跳びの授業でとても良い記録が出て、室村先生に褒められ、だまされました。中高ではバレーボールの試合に行くたびに、色々な学校の監督から声をかけていただき、まただまされました。

 何事も嫌だと思えばとことん嫌になっていきますが、好きだと思えばとことん好きになっていくものです。きっかけは人がつくってくれることも多いのではないでしょうか。

 今は応援団の皆さんも、来年度に向けてくまモン監督にちょっとだまされてみませんか。(H)

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【義経伝説】020111

 2学期の終わり「今年も『おくのほそ道』の授業の時、奥州藤原氏についての話をしてもらえますか。」国語科H先生からの一言。本校の職員はなかなか厳しい要求をしてきます。「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

 今年の3年生は義経伝説に興味がある生徒がいつになく多く、知識も豊富とのこと。負けられないので、複数の本やインターネット等で情報を比較しプレゼンテーションを作りました。定説、新説、都市伝説、作家の創作、読んでいるとどんどん時間が過ぎます。

  松尾芭蕉は忍者だった。年齢から考えると1日に歩いた距離がおかしい。行った場所も幕府に目をつけられているところが多い。どうも怪しい。何といっても芭蕉は忍者の里『伊賀上野』出身だ。

 義経は幼いころ過ごした鞍馬山で天狗に鍛えられ、凄い武士になった。

 義経は生き延びて中国に渡り、騎馬民族を従えチンギス=ハンと呼ばれるようになった。鎌倉幕府に恨みを持っていたので、孫のフビライ=ハンに日本を攻撃させたのが『元寇』だ。

 胡散臭いけど楽しい情報も沢山あります。でも紹介するときっと興味を引くだろう…。資料を否定的に読み取る力をつけさせることも大切です。授業の時は『諸説あります。』魔法の言葉です。(H)

 

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【ワンチーム】020110

 12日(日)は熊日三太郎駅伝競走大会です。大会を前に昨年度の卒業生Nさんの作文を再掲します。選手の皆さん、補助員の皆さん、沿道で応援する田浦中生の皆さん、田浦中はワンチームです。

『私がこの2学期に一番頑張ったと思うことは駅伝練習です。私は小さい頃から運動が苦手でした。でも、2年生の時、早朝ランニングに参加し、駅伝の練習を始めました。駅伝の練習はとてもきつく、つらかったです。何度もやめたいと思いました。でも、練習はきつい事だけではなく楽しいこともあったし、途中でやめるのは嫌でした。

 今年の県大会の後Y先生に「最後までよく頑張った。」と褒められました。この時私は、やめなくてよかった、続けて良かったと思いました。私はこれから先、つらいこと、苦しいことがあってもあきらめずやり切ろうと思いました。

 私が最後まで頑張れたのは、一緒に頑張ってきたメンバーがいてくれたからです。きついときは声を掛け、走っている時は応援してくれました。やめたいと思ったときに相談したこともありました。私一人だけだったらこんなに続けられなかったと思います。友達の大切さを改めて感じました。

 今年の県大会でメンバーに入れないと分かっていたけど、やっぱり悔しかったです。でも、みんなと一緒に練習できたことは大切な思い出です。

 今日で朝ランも終わります。約2年間、Y先生と駅伝のメンバーの人たちと一緒にした朝ランと駅伝が私の中学校生活の中で一番の思い出です。

 3学期はいよいよ高校受検があります。今、3年生は志望校合格を目指して頑張っています。私は特に英語と理科が苦手なので、その2教科を中心に頑張っています。苦手を克服して受験に臨みたいです。

 3年生のみなさん、卒業まで学校に来る日は、今日を入れて43日です。中学校卒業後はみんなばらばらになってしまいます。この44人で一緒にいられるのは43日です。

 入試に行く人もいるので、みんなが登校するのは43日ありません。一日一日を楽しく笑顔で過ごせるように44人で一緒に過ごせる日を大切にしていきましょう。44人で中学校での思い出をもっとつくり、みんな揃って、笑顔でこの田浦中を卒業しましょう。』

 

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【あとがこわい】020109

 全国各地でインターネットを利用した児童ポルノ禁止法違反事件等の被害者となる子どもたちが後を絶ちません。「自画撮り被害」も増加傾向にあります。田浦中は「ここ2年間の生徒指導上の重大案件は、蜂を追い出そうとしてホウキでガラスを割ったこと。」だと笑い話にしているくらい安定していますが、それ以前は生徒間のトラブルに何らかの形でSNSが関わっていました。

 福島県警のホームページを見ると、~スマホの約束6か条~「あとがこわい」による被害防止が訴えられています。田浦中では校舎内に掲示するとともに、終業式の生徒指導主事からの講話の中で注意喚起を行っています。「あ」は?、「と」は?の問いかけに、1学期の終業式の時はぼそぼそっとした声が聞こえた程度だったのですが、2学期の終業式では多くの生徒が声に出すことができていました。知識のみに終わらないよう、徹底を図りたいと思います。

スマートフォンを利用して

「あ」会わないで!(知らない人と)

「と」撮らないで!(自分の裸を)

「が」画像を送らないで!

「こ」個人情報を載せないで!

「わ」悪口を書き込まないで!

「い」いじめないで!(ネットを使って)

詳しくは福島県警のHPをご覧ください。待受画像もダウンロードできます。(H)

 

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【始業式】020108

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。」とはよく言ったものです。1月もすでに7日が過ぎ、今日は始業式です。突発的な仕事に対応できるよう、冬休みは左手でこたつの中の「おはぎ」をなでなでしながら大量の原稿を書きました。「早し良し 丁度良し危うし 遅し悪し」とは言え、生まれて初めて目薬を使い切りそうです。

 田浦中生のみなさん、明けましておめでとうございます。少しはゆっくり過ごすことができたでしょうか。家族や親戚の方、たくさんの大人と話ができたでしょうか。

 3年生の皆さん、中学校生活最後の学期が始まりました。卒業式まで今日を入れて67日、そのうち登校日数は46日、実際は入試等でもっと少ない人もいるでしょう。

「出会いは偶然、別れは必然」という言葉があります。ほとんどの人にとって、保育園・幼稚園・小学校・中学校と一緒に過ごした仲間との、初めての別れの時が迫っています。一日一日を大切に過ごしてください。

 1・2年生の皆さん。これまで学校を牽引してきた3年生が卒業します。クラス替えはありません。3学期を次の学年の『ゼロ学期』と位置づけ、次年度への準備をできる限り進めてください。参考になるのは先輩の姿です。余裕ある4月を迎えることができるようにしましょう。

 田浦中生の皆さんには、後輩に何を残し、先輩から何を学び取るか。この一点に絞った3学期・ゼロ学期にしてほしいと願っています。(H)

 

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【七草粥もよかばってんカレーもね】020107

 子どもの頃の正月はほとんどおせち、最後は『煮しめ』だけが残っていてい記憶がありましたが、年齢を重ね、煮染めの良さが分かるようになってきました。

 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ春の七草。今日はお正月に弱った胃を休める七草粥を食べる日ですが、皆さんのご家庭はいかがでしょう。  

 我が家はカレーです。今から40年以上前、「おせちもいいけどカレーもね」というキャンディーズのCMがありました。子どもの頃に刷り込まれたレトルトカレーのCMはインパクトがあり、今でも「そろそろカレーにするか。」と思ってしまいます。

 カレーのジャガイモは、個人で辛みを調節するために入れてあり、カレーが辛いと感じた時は、ジャガイモをつぶして混ぜ込むと良いそうです。

 ところで、カレーや肉じゃがをつくる時、『男爵イモ』が良いか、『メイクイーン』が良いか、買い物に行って悩まれる方もいるのではないでしょうか。一般には形が崩れにくい『メイクイーン』はカレー向き、煮崩れする『男爵イモ』は肉じゃが向きだそうです。

 分かっていても、お店に行くと組み合わせを忘れることがあります。社会科の重要語句を記憶する時も、自分なりの関連付けをすることで忘れないようにするのですが、ここでも同じ。『肉』『男爵』、『カレー』『メイクイーン』と関連付けて覚えています。

 最近は家族が少なくなったこと、食べ過ぎを防止することなどの理由でレトルトで済ませることが多くなりました…。(H)

 

 

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【熊本城かるた】020106

 今日は仕事始め。三太郎駅伝大会の練習、部活動、進路事務と初日からフル回転です。

 昨年末に県教育委員会より「熊本城かるた」をいただきました。2019年の熊本城復興支援キャンペーンの一環として、熊本県内の小中学生を対象に「熊本城かるた絵コンテスト」が開催されました。その入賞作品から絵札が選ばれており、芦北水俣郡市関係では久木野小学校の児童の作品が「ら」の絵札になっています。かるたの一部を「た・の・う・ら・ち・ゅ・(う)・が・っ・こ・(う)」で紹介します。(H)

「た」戦う工夫 矢狭間(やはざま) 銃眼(じゅうがん) 石落とし

「の」野面(のづら)積み 上手に積んだね 石工さん

「う」宇土櫓(うとやぐら) 築城当時の 姿を残す

「ら」ライトアップ 夜もきれいな 熊本城

「ち」茶の道を 細川三斎 広めたよ

「ゆ」由緒正しく 文武秀でた 細川家 ・ 「う」

「が」加藤清正 お城づくりの 名人だ

「つ」積み方で 時代がわかる 二様(によう)の石垣

「こ」広大だ 肥後の領地は 五十四万石 ・ 「う」

 

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【ザオリク】020105

 今日はちょっと出かけていますが、今年は喪中で年始の親戚の集まりもなく、年賀状もなく、「ふわり」はおらず、本を読んだり、書き物をしたり、ビデオをみたり、落ち着いた正月でした。時間に余裕があったので、すこ~し長めにゲームもしました。

 大学4年生の頃に教育実習で実家に帰ったところ、2番目の弟が『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』のソフトを買っていました。ゲームはするためにある。土曜の夜から日曜にかけて一晩中戦いを続けました。   

 自動保存がされない初期のゲームです。途中、復活の呪文を間違え、使った時間が無駄になることを繰り返しました。生徒がゲームに時間を取られてしまうのは良くわかります。今日も戦いに熱チューしている生徒もいるかと思いますが、ほどほどが大事です。

 ドラクエの使えたら嬉しい呪文

寝坊した:ルーラ(過去に行ったことのある場所に瞬時に移動することができる。)

授業中に指名された:マホステ(受けた呪文を無効化する)

授業中に眠くなった:ザメハ(眠りを覚ます)

部活の試合中:スクルト(守備力を上げる)・バイシオン(攻撃力を上げる)

疲れた:ベホマズン(HPを完全回復する。)

 たぶん学校がすでにかけられている呪文はパルプンテ(発動するまで何が起こるかわからない)。私が使えるようになりたいのはもちろんザオリク(HP満タンで生き返らせる)です。(H)

 

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【酢味噌】020104

 先月末、職員で食事をする機会がありキビナゴの刺身が出されました。醤油で食べるようになっていましたが、

 S先生「これ、黄色いので食べますよね。」

 参加者全員、衝撃「黄色いの?」

 K先生「そら、酢味噌やろ。」、「名前ば知らんとね?」、「ブロッコリーにもかけるやろ。」※カリフラワーではないかという異論がありました。

 S先生の辞書には「酢味噌」という言葉がなかったようです。

 畳みかけるようにベテランのK先生、U先生「花くじらは食うたこつなかつね。」※塩漬の尾羽毛(おばけ)を薄く切って熱湯をかけ、冷水でさらしたもの。「おばくじら」、白く透明な外見から「花くじら」とも言う。びらんびらんしとるやつです。

 すべてのヤング「えー知らんです。」

 食べ物で2チームに分かれました。時代の移り変わりを感じます。

 お店の人に聞くと、好みがあるので醤油を出しているとのこと、お願いしたら酢味噌を持ってきてくれました。S先生は「これです。」という反応。「酢味噌」という単語と使い方を会得しました。

 S先生は料理はほとんどしないそうですが、せっかく田浦中に勤務しているので、味噌大さじ2、酢大さじ1、砂糖大さじ1、好みで辛子を少量入れて、「ひともじのぐるぐる」にチャレンジしてみましょう。(H)

 

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【初詣】020103

 子どもが成長して家を離れると、家族が揃うのもお盆と正月くらいになってきました。28日は長男と2人で次男を迎えに行きました。帰りに男3人でスターウォーズを観るのが目的です。次男は31日の朝には仕事のため戻って行きました。いよいよ元日に全員揃うのも難しくなりそうです。

 次男は、帰ってきても友達と過ごしてほぼ不在。たまにしか帰ってこないのにと、私も妻も少し不満です。そういえば、私の父も、私が田浦中に勤務するようになったと喜んだのに「近こぅなったのに、いっちょん帰ってこん。」とこぼしていたようです。倒れた後にその話を聞きました。

 今年の初詣は神様からの昨年の指摘を思い出し、賽銭箱に消費税込み110円を入れ、「田浦中のかわいい3年生22名全員が高校に合格しますように。」とお祈りすると…。

神様「今年もよく来たな。」、「そなたの願い叶えてやろう。」

H「神様、お待ちしておりました!」、「今年は消費税も入れました。」

神様「それくらい当たり前じゃ。」、「だが、まだまだ修行が足りんな。」

H「えっ、金額が少ないと言うことですか?」、「まさか、かわいいのところですか!」

神様「あせるでない。」、「キャッシュレス払いならポイントがついてお得じゃぞ。」

 

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【継続は力なり・夢】020102

 日本には言霊(ことだま)という考えがあります。古代においては「言」と「事」は同じ概念と考えられていました。ですから、声に出した「言」葉は現実の「事」象に対して何らかの影響を与えると信じられており、良い「言」葉を発すると良い「事」が起こり、不吉な「言」葉を発すると凶「事」がおこるとされていました。自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられていました。つまり言葉は、自分がどんな心を持っているかを外に現すものと言えます。

 田浦中に入ると、生徒玄関の体育館通路側にある岩坂俊一第8代校長が寄贈された「継続は力なり」の碑と、壁に掛けられた叶貞夫第15代校長が寄贈された「夢」の看板が目にとまります。2人の校長先生が生徒に向けて常に語りかけられていた言葉です。

 田浦中の先生方がこの2つの言葉をあげて生徒を諭している場面をしばしば見かけます。私は「継続は力なり」の碑がt建てられた時の生徒ですので、校長先生から直接思いを聞いています。今の先生方がその思いをつないでくれてとても嬉しく思います。

 新年を迎えました。良い言葉で自分の意志をはっきりと声に出してみましょう。(H)

 

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【明けましておめでとうございます】020101

 田浦チュー生徒の皆さん、昨夜は年越しの番組をネズにミて疲れている人はいませんか?令和2年の夜明けです。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 3年生の皆さん、卒業まで3か月を切り、登校するのもたったの46回です。皆さんの事ですから入試を控え「袋の鼠」とならないよう、今日も努力することでしょう。受験は団体戦です。仲間と声を掛け合えば大丈夫、トムに追いかけられるジェリーのような「窮鼠猫を噛む」勢いで、進路決定に向かって一心不乱に頑張ってください。

 1・2年生の皆さん、文化祭の発表で見せた成長ぶりには感心しました。修学旅行での笑顔には仲間とのつながりを感じました。しかし「鼠が塩をひく」と言います。3学期は次の学年のゼロ学期という意識を持って、自分や学級の課題克服に挑戦しましょう。最上級生として、チュー堅学年として更なるステップアップを期待しています。

 生徒会執行部の皆さん、年末のリーダー研修では瞳が輝いていました。11月には「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の発表が控えています。「鼠壁を忘る、壁鼠を忘れず」と言います。皆さんの力でいじめのない学校を創りましょう。誰一人として「鼠に引かれる」ことがない、ワクワクする学校を創りましょう。

 私も「時に遇えば鼠も虎になる」ことのないように、みんなと一緒に大冒険、がんがんガンバります。(H)

※このブログはmouseコンピューターのパソコンで書いています。

 

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【明日ありと】011231

 今日は12月14日、招福餅つきの日です。私にとっての招きたい福は、残された「おはぎ」が元気で長生きしてくれることです。「ねこのいるくらし」を文章にし、写真を整理し、待ち受け画面に設定し、だんだん心が平穏になっていきます。午後から長男と「ふわり」のお墓の周りに花を植え整備をしました。喜んでくれていると思います。「おはぎ」は今まで以上に甘やかされ、撫で回され、写真を撮られ。「急に何でにゃ?」という表情です。

 今年、義父の初盆の際に次のような法話がありました。

 親鸞聖人が9歳で仏門にはいる決心をし、夜に天台座主の慈円僧正を訪ねたとき、「時刻も随分遅いし、疲れているでしょうから、明日の朝に得度の式をしましょう。」と言われたそうです。その時、幼い親鸞聖人が、返事として「明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたそうです。

 平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れてから丸3年が経ちました。前日の30日、私は次男を熊本市のアパートまでに迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、随分遅くなったため、「どうせ元日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。

 翌31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。

 『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言ったようです。

 搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しました。それから3年、芦北町の病院に入院中です。

 虫の知らせでしょうか、30日はいつになく実家に帰った方が良いような気がしていました。「明日ありと」思ってしまった自分の判断を後悔しました。

 以降、母のところには用はなくとも「生きとっか~い。」と息子なりの愛のある言葉を掛けながら行くようにしています。

 今年の28日も帰省した息子と顔を見せに行きました…。(H) 

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【猫のいた暮らし5/5】011230

未読の方は【猫のいるくらし1/5】から順にお読みください。

 12月11日(水)、昨夜も妻のふとんに潜り込み、朝はカリカリを食べたらファンヒーターの上がベストポジション。今日も「ふわり」は相変わらずです。修学旅行は班別自主活動の日。いつものように「おはぎ、ふわり行ってきます。」と声を掛け、出勤しました。昨日と同じが一番幸せです。

 仕事を終え帰宅「おはぎ」も「ふわり」も帰宅するや否や「ご飯をくれにゃ。」とついて回ります。私はご飯をくれる人、撫でてくれる人というポジションのようです。

 夜8時半頃、「ふわり」は外に出る息子がドアを開けようとした瞬間をねらって脱走しようとしますが、あえなく確保され家の中に連れ戻されました。今夜は妻も帰宅が遅くなる日、一人と2匹でしばらく過ごします。

 息子が外出し10分も経たない頃、突然、「ふわり」が叫ぶような鳴き声をあげ苦しみ出しました。目がまん丸になり、口が開き。抱きかかえたまま動物病院に電話を掛けましたがつながらず、「ふわり」は1~2分の内に息を引き取りました。あまりのことに、呆然として涙も出ませんでした。

 何が起こったのか、頭の中が真っ白なまま、家族4人にメールを入れました。みんな冗談で、続けて変な格好で寝っ転がっている画像が送られてくるかと思ったそうです。

 長男、妻が帰宅し、ぐったりとなった息をしない「ふわり」を抱きかかえて声を掛けました。自分が保護した猫です、次男は電話の先で泣きじゃくっていました。

 しばらく経ち、汚したところをお湯で洗い、ドライヤーで乾かし、ブラッシングをし、3人で言葉を掛けながらお別れの準備をしました。暖かいところが好きな「ふわり」を寒いところに置くのは忍びなかったけれども、遺体が痛まないように保冷剤と一緒に安置しました。ふとんの「ふわり」のいつもの場所は空けておきました。「ふわり」のことを思い出して眠れませんでした。「ふわり」のいる暮らしが突然終わるとは、納得できませんでした。

 12日(木)、いつもの風景がありません。冷たくなった「ふわり」を撫で、声を掛け仕事に出ました。仕事が終わってからすぐに、「ふわり」大好きなカリカリを買って帰宅しました。いつものよりもずっと高級なカリカリです。長男も仕事を終えすぐに帰宅し、義母と3人で埋葬しました。最後にもう一度ブラシングし、息子と2人で抱きかかえた後、土をかけました。申し訳なかったけれども、その後、修学旅行の出迎えには行く力がありませんでした。

 あまりにも突然で、「ふわり」自身も今頃「ここはどこにゃ?」と不思議がっているかもしれません。たぶん、妖怪「ふわにゃん」となって近くにいるはずです。

 家族のスマホはやんちゃな「ふわり」の画像で一杯です。たった5年半でしたが、楽しい時間をくれた「ふわり」には心から感謝しています。

 最後の夜は、私は修学旅行で京都にいる予定でした。きっと「ふわり」が引き留めたのでしょう。家族である「ふわり」が天国に行くときに、ひとりぼっちにさせなかったことが心の救いです。(H)

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【猫のいる暮らし4/5】011229

「ふわり」のことを話します。「ふわり」は世界で一番素晴らしい猫です。(もちろん「おはぎ」もです。)野良だった子猫時代頃から人懐っこく、網戸を引っ掻いて、家の中に入れてくれと言うような要求もしていました。

 家では常に「ヘソ天(ヘソを天井に向けて寝る、警戒心の全くない姿。野生では一番の弱点である腹をさらけ出すことはほとんどない。)」状態です。撫でられるのが好きで、12月初めの休みの日は1時間くらい撫でさせられました。もちろん、おなかを撫でられるのも平気です。

 のどを撫でると、ゴロゴロ音が心地よい。人間を癒やす効果もあるそうです。仕事の疲れを毎日癒やしてくれています。「ふわり」が元気でいてくれるだけで満足です。

 立っていると足にがんがんぶつかってくる当たり屋。自分の物だと匂いを付けているとも、撫でてなどの要求をしているとも言われます。自分から当たってきたくせに損害賠償を要求するワルニャン。カリカリをあげたり撫でたりしています。

 寝ようとすると、「おはぎ」はふとんの足下の方に乗り、「ふわり」は妻のふとんの中に入ってきます。ご飯をあげているのは私なのに、妻の方が好きなようです。なんだか納得いきません。飼い猫のオスは特に「赤ちゃんモード」になりやすく、親といるような安心した気分だそうです。

 時に「親モード」で、無防備で寝ているでっかいネコを守っている気分にもなるそうです。お風呂に入っていると、ドアの外で待ち構えているのも「こいつは体が濡れるのに水に入って大丈夫かにゃあ」と心配しているからだそうです。トイレにも侵入し、マットで寝っ転がって守ってくれます。「ニャルソック」の皆様、警備をよろしくお願いします。

 ご飯はカリカリが大好き。「ふわちゃん、ご飯。」と呼ぶと走ってきますが、それがちゅーるだと去って行く珍しい猫です。イラッとしたときはカリカリを一口食べ、床をガリガリするのがルーティーンです。

 近所に、我が家では「シロ」と呼んでいる「おどっぱす」のネコがいます。「白」は自然界では目立ち、敵から狙われやすいので、警戒心が強く気の荒い性格が多いそうです。「黒」は目立たないので、穏やかな性格が多いそうです。「おはぎ」と「ふわり」は、いつも「シロ」から虐められています。どうも「シロ」は我が家を縄張りだと思っているようです。

 ある日、帰宅すると急に「おはぎ」と「ふわり」の激しいうなり声が聞こえ始めました。姿は見えません。声を掛けながら探すと、シロが逃げていきました。「ふわり」は隠れていました。ははぁ。私が帰宅して、急に強気になったな。座椅子を見るとびっしょり・・・。「ふわり」がスプレーをしたようです。今日でニャルソックを引退します。

 来年春にはまた夫婦2人と猫2匹の暮らしが始まります。先日、息子と「おはぎ」と「ふわり」は何歳になったかなぁ。という話を何気なくしました。あとどのくらい一緒に暮らせるかなぁ。

「おはぎ」と「ふわり」が長生きしてくれるのが家族にとって一番の願いです。今日も全力で甘やかします。(H)

 

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【猫のいる暮らし3/5】011228

 昨年6月の人権集会でこんな話をしました。

 私の座右の銘は「知行合一」と、子どもの頃から母に言い聞かされた「人にはようせんば(人には良く接しないといけない)」の2つです。迷ったときは、必ずこの言葉に従って行動するようにしています。

 17日(日)、夕方5時過ぎに帰宅する庭先にかなり弱った状態の茶トラの子猫がいました。とても人を警戒している様子でした。親猫の姿も見当たりません。野良猫の厳しさです、育たない子どもと判断されたときに親から捨てられることもあるそうです。

 こんな時に「命を絶えさせてはならない」と思いませんか。「何とかできないか」と心が動きませんか。この、心が動くということが大事だと思います。「助けるべきだと知っているのに、助けないのはあり得ない。」当然、環境が違いますから保護できる家とできない家があります。野生では育たなくとも、人の力なら育てることができます。家族に聞いても同意見になることは分かっています。私は保護することにしました。

 夜にネコミルクを買いに行き、寝るところを整えました。朝方は、長男の布団に入ってきたそうです。ガリガリにやせ細っていましたが、ご飯も食べ、18日(月)の夜は歩き回れるようになって一安心しました。膝の上に乗ってきたりもしました。撫でるとかわいいゴロゴロが聞こえます。明日は病院に連れて行くことができます。名前は「きなこ」と付けました。先住の「おはぎ」と「ふわり」が受け入れてくれるかなと、3匹との楽しい生活をみんなで想像していました。帰ってきたときに驚かせようと、熊本に住む次男にはあえて連絡をしないことにしました。

 19日(火)の朝早くは歩き回っていたのに容態が急変、不安なまま出張に向かう新幹線の中で、妻からのメールを受け取りました。8時に天国に召されました。出張から帰り、「こむぎ」の墓参りに行きました。

 一所懸命に動いても、結果どうにもならないこともあります。無関心を装い、見ない振りをした方が自分自身には楽だったかもしれません。いじめの問題でも同じようなことが言えないでしょうか。今は体が動かなくとも心は動かしてほしい。次は体が動きます。

 猫も一度きりの記憶を「思い出」として持っているそうです。

家族3人で、「きなこ」に最後の一日を幸せに過ごさせることができて良かったという話しをしました。

 命はとても大切です。(H)

 

 

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【猫のいる暮らし2/5】011227

 人と同じように、それぞれの猫に個性があります。隣の人と自分が全く同じだったらつまらない。違うからこそ面白い。「みんなちがってみんないい。」

「おはぎ」は凜々しい猫に成長しました。特にウ○チの時は、黒豹かと見間違う凜々しさです。名前を呼ぶと近くに寄ってきます。ご飯もカリカリはあまり好きではなく、餌入れに入れると寄ってきますが、「これじゃないでしょ。」という顔をして見つめ、柔らかいご飯を要求します。ちゅーるが大好物です。一度、いなくなったと思ったら、ひどい黄疸が出て弱った状態で発見、病院に通ったことがありましたが、今は至って元気です。

「こむぎ」はだんだん食べては寝る、大きなぐうたら猫に成長しました。予防注射など、病院に連れて行こうとすると察知して、その時だけは素早く逃げます。「ここちゃん」が好きで、いつもあとをついて回っていました。家を出てから数年になります。

「ふわり」はとにかく人懐っこい猫です。家の中では完全にリラックス、ヘソ天で寝ている姿が基本です。書き切れないのでまた紹介します。

「ここちゃん」は唯一の雌猫です。小柄でおとなしく、きょうだいの「ふわり」とはいつもべったり、よく2匹で抱きついて寝ていました。あまり人慣れしない猫でした。一度、大ケガをして帰ってきました。何日も病院に通い傷は治ったのですが、その後、家を出たまま帰ってきていません。

「こむぎ」も「ここちゃん」も家を出たあと、道路の隅も含め探し回りました。発見していないのが家族にとっては少し楽なところです。

「出会いは偶然、別れは必然」と言います。猫の寿命を考えると「猫と暮らす」と言うことは、いつかは「猫と別れる」と言うことなのですが、普段はそんなことは頭から消えています。必ず明日が来るものと思っています。

 時が経ち心の整理がつきました。写真を見ても今は楽しい思い出ばかりです。突然「ご飯くれにゃ。」と帰ってこないかなとちょっと期待しています。

 この頃は、長男も大学を卒業し帰ってきていましたので、3人と2匹の暮らしでした。複数の猫と暮らしている家庭の例に漏れず、帰宅したらまず、「おはぎ」、「ふわり」と声を掛け、みんないるかを確認するのがお約束です。(H)

 

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【猫のいる暮らし1/5】011226

 「猫のいる暮らし」と題して5日間連載します。毎朝9時更新です。猫好きの方も犬好きの方も、一緒に暮らしている、いままで暮らした猫や犬、他の動物のことを思いながら毎日読んでいただくとありがたいです。

 勝手に家の中に入ってくるし、引っ掻くし。呼んでも来ないし。実家でも猫を飼っていた頃があったそうですが、あまり記憶として残っていません。

 6年前に猫と暮らすようになり、猫について完全に私の中でリフレーミングがされました。身の回りは猫グッズだらけです。特に黒猫と白黒のハチワレの猫グッズがたくさんあります。長男からも「お父さんは、猫はそんなに好きじゃない。と言っていたのにね。」と言われます。記憶にございません。

 長男が大学3年生の頃、猫を引き取って良いかという電話を掛けてきました。実は、我が家では猫を飼う予定はありませんでしたが、高校生の頃に田浦から高校に通っていた長男が、八代に住むいとこが拾ってきた、生まれたばかりの子猫を数日で亡くしたという経験をしていたため、飼いたいという気持ちが分かり認めることにしました。

 仕事を終えて長男のアパートに行くと真っ黒な子猫がいました。その姿から「おはぎ」と名付け、その日のうちに水俣に連れ帰り一緒に暮らし始めました。

  半年ほど経った頃でしょうか。シャム猫とタヌキが混ざったような白と茶色のとても汚れた子猫が迷い込んできました。ノミだらけで捨て猫のようです。「おはぎ」で猫と暮らすハードルが下がったので、お風呂に入れきれいにして、病院に連れて行き、「こむぎ」と名付けて暮らし始めました。

 猫が寄りつきやすい環境になったのでしょうか。同じ頃、白黒の模様の野良猫が家に遊びに来るようになりました。牛みたいな模様だったので、我が家では「うしちゃん」と呼んでいました。しばらくして、小柄な八チワレの野良猫も見かけるようになりました。「うしちゃん」に似ていたので、「こうしちゃん」と呼びました。

 次男が高3の5月頃、家を訪ねてくる「こうしちゃん」のおなかが大きくなっていることに気づきました。次男が箱を用意し、その中で3匹の赤ちゃんを産みました。野良猫ですが放置はできないので、子育てができるようなスペースを作り、長毛のハチワレを「ふわり」、短毛のハチワレを「こうしちゃん」にそっくりな子猫なので「こうしのこ」から「ここちゃん」、黒猫を「くろちゃん」ととりあえず呼ぶようにしました。

 しばらくすると走り回れるまで成長しており、人が近づくと警戒してダッシュで逃げていました。その中で、「ふわり」は自分から足下に寄ってくる人懐っこい性格でした。

 ある日、次男が「こうし」と3匹の中で一番小さい「くろちゃん」が亡くなっていることに気づきました。泣きながら一人で埋葬したそうです。すでに家には「おはぎ」と「こむぎ」の2匹がいるため無理かと思いましたが、我が家を選んで寄ってきたのだと思い、残された「ふわり」と「ここちゃん」も一緒に暮らすことにしました。

 「ふわり」は前からいたような顔で生活を始めましたが、「ここちゃん」は警戒して馴染むまで時間がかかりました。3人と4匹の暮らしが始まりました。(H)

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【生徒会リーダー研修】011225

 「生徒会リーダー研修会をするのですが、校長講話をお願いします。」担当、M先生の一言。本校の職員はなかなか厳しい要求をしてきます。「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

 私からは「田浦中の良さを伸ばそう発信しよう」、「現状維持は停滞」、「当番活動ばかりじゃつまらない」という話と、F中のN先生から紹介された、幻冬舎の「はぁって言うゲーム」をしました。お題の一言を声と表情だけで表現するコミュニケーションゲームです。なかなかの盛り上がりでした。

 その後は生徒会担当のM先生、K先生による研修。積み残した課題を3学期にどう解決し、次年度につなぐかを考えました。

 互いを再発見する取組、人間関係の結び直しが単学級の学校ではよくある課題です。「先生、そう言うけど○○ちゃんは保育園の時にね…。」そんな昔のことは忘れましょう。職員と生徒が両輪となって学校の課題を解決する空気が今の田浦中にはあります。牽引するのは今日集まった生徒会リーダーですが、田浦中の全員が主役です。

 さて、今月のホームページの平均閲覧数は300件弱と11月までから倍増しています。残り97話、猫の話は明日からの5日間を最後に封印するので、新学期に困らないよう冬休みはネタ探しや書きだめをします。紅白やお正月番組、箱根駅伝の合間に読んでいただくと嬉しいです。(H)

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【とても嬉しかった】011224

 20日(金)に、1年間の生徒会活動を振り返り、次年度につなげるための総括生徒総会を行いました。最後はK前会長以下、全役員・委員長が後輩への思いを伝えるあいさつをして終わりました。執行部のリーダーシップにより、田浦中PRIDEあふれる生徒会活動を行うことができました。いよいよ新執行部へバトンタッチです。

 今日は終業式。3年生に「1・2学期で心に残った出来事は?」というアンケートとってみたところ、上位にきたのが

 体育大会:雨で順延になったけれども、初めての地方団による対決で競技も地域の皆さんの応援も盛り上がった。終了後の片付けの時に土砂降りに見舞われたことも強烈に印象に残りました。

 合唱コンクール:指揮者のTくんは演奏前から号泣。3年生が一つになって金賞を勝ち取りました。郡音楽会でも素晴らしい歌声を披露しました。

 郡市駅伝大会:男子が13年ぶりの優勝・女子が2年連続準優勝で、田浦中としては初の男女揃っての県大会出場を果たしました。

 坂本先生のこと:誕生日サプライズ成功、号泣した。(その他にも3回号泣)、研究授業が多かった。たくさんの生徒が書いていたのが、3年担任が坂本先生だったのでとても嬉しかった。

 担任は良かねぇと羨ましい限りです。楽しい生活も残り3ヶ月です。(H)

 

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【クリスマス2001】011223

 平成13年。長男は8歳、次男は5歳になりました。

父「サンタさんはいると思う?」

子「いるよ。」

 思いがけない答え。ほう、小学生になっても信じているか。嬉しいな。

子「セント=ニコラウスだよね。」「プレゼントをくれるのはお父さんで、サンタさんはセント=ニコラウス(サンタクロースのモデルになったギリシア人の司教)。」

 またもや思いがけない答え。そう言うことか。であれば話が早い。イブが近づいているのに、今年は次男が何を欲しがっているのかわからない。私が何度聞いても「サンタさんにお願いした。」と繰り返すばかり。言動を観察しても分からない。このままでは「サンタさんはいない。」と言いかねない。

 長男に「何とか聞き出して欲しい。」と言うと、「俺も何回も聞いているけど、サンタさんにお願いしたと言って教えてくれない。」とのこと。妻、じいちゃん、ばあちゃん、本当に誰にも言っていない。今までになかったこと。

 イブ直前、長男が走って私のところへ。「わかった!〇〇だった!」

 さすが、頼るべきは長男でした。「兄ちゃんと一緒にサンタさんにお願いしよう。」と言って聞き出したそうです。

 ところで、あんなに苦労して聞き出したのにそれが何だったのか今では思い出せません。グローブだったような、違うような。(H)

 

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