【猫のいる暮らし3/5】011228
昨年6月の人権集会でこんな話をしました。
私の座右の銘は「知行合一」と、子どもの頃から母に言い聞かされた「人にはようせんば(人には良く接しないといけない)」の2つです。迷ったときは、必ずこの言葉に従って行動するようにしています。
17日(日)、夕方5時過ぎに帰宅する庭先にかなり弱った状態の茶トラの子猫がいました。とても人を警戒している様子でした。親猫の姿も見当たりません。野良猫の厳しさです、育たない子どもと判断されたときに親から捨てられることもあるそうです。
こんな時に「命を絶えさせてはならない」と思いませんか。「何とかできないか」と心が動きませんか。この、心が動くということが大事だと思います。「助けるべきだと知っているのに、助けないのはあり得ない。」当然、環境が違いますから保護できる家とできない家があります。野生では育たなくとも、人の力なら育てることができます。家族に聞いても同意見になることは分かっています。私は保護することにしました。
夜にネコミルクを買いに行き、寝るところを整えました。朝方は、長男の布団に入ってきたそうです。ガリガリにやせ細っていましたが、ご飯も食べ、18日(月)の夜は歩き回れるようになって一安心しました。膝の上に乗ってきたりもしました。撫でるとかわいいゴロゴロが聞こえます。明日は病院に連れて行くことができます。名前は「きなこ」と付けました。先住の「おはぎ」と「ふわり」が受け入れてくれるかなと、3匹との楽しい生活をみんなで想像していました。帰ってきたときに驚かせようと、熊本に住む次男にはあえて連絡をしないことにしました。
19日(火)の朝早くは歩き回っていたのに容態が急変、不安なまま出張に向かう新幹線の中で、妻からのメールを受け取りました。8時に天国に召されました。出張から帰り、「こむぎ」の墓参りに行きました。
一所懸命に動いても、結果どうにもならないこともあります。無関心を装い、見ない振りをした方が自分自身には楽だったかもしれません。いじめの問題でも同じようなことが言えないでしょうか。今は体が動かなくとも心は動かしてほしい。次は体が動きます。
猫も一度きりの記憶を「思い出」として持っているそうです。
家族3人で、「きなこ」に最後の一日を幸せに過ごさせることができて良かったという話しをしました。
命はとても大切です。(H)