校長ブログ「秘密の部屋」

【むかしむかしEP8:なんやかんや】020319

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 当時はまだ御立岬公園駅もなかったので、海浦、上田浦の友達は列車で肥後田浦駅まで行き、あとは学校まで片道1.6㎞の徒歩通学でした。自転車通学も肥後田浦駅より遠い地域に限定されていました。横居木方面はバスが出ていましたが、土曜はバスを待たずに歩いて帰る友達も多くいました。歩く、走るが日常化していました。

 体育大会は「うったちばれ(仮装行列)」が名物でした。私の学年は「ルパン三世」、「ドラえもん」、「シャネルズ(現ラッツ&スター)に扮しています。前年度は「口さけ女」ですから仮装で流行がわかります。「棒倒し」や「組み体操」は上半身裸での競技。私は大きかったので3年間土台担当でした。全国的に事故が多く発生したため、今はあまり行われていない競技です。

 文化祭は1年生の時、柔道部の同級生が髪を水色の絵の具で塗って一休さんを演じたことだけを鮮明に覚えています。2・3年生の時のことは思い出せません。

 男子の制服は一つ上の先輩までは長ランや洋ランの裏地は竜虎が流行りました。K先輩が、襟カラーが高く着丈の長い新しい制服を着てきた時のことを覚えています。先輩方のアルバムを見ると昭和54年度卒業組だけ、むち打ち治療のような高さの襟カラーを見受けます。隠しポケット、色のついた裏ボタン等の装備も満載でした。

 私たちが中3の頃は流行も廃れ、徐々にアイビーブームに入り、丈は短めでベイシティローラーズの影響か裏地はタータンチェック。カラーも徐々に低くなっていきました。(H)