校長ブログ「秘密の部屋」

2019年12月の記事一覧

【明日ありと】011231

 今日は12月14日、招福餅つきの日です。私にとっての招きたい福は、残された「おはぎ」が元気で長生きしてくれることです。「ねこのいるくらし」を文章にし、写真を整理し、待ち受け画面に設定し、だんだん心が平穏になっていきます。午後から長男と「ふわり」のお墓の周りに花を植え整備をしました。喜んでくれていると思います。「おはぎ」は今まで以上に甘やかされ、撫で回され、写真を撮られ。「急に何でにゃ?」という表情です。

 今年、義父の初盆の際に次のような法話がありました。

 親鸞聖人が9歳で仏門にはいる決心をし、夜に天台座主の慈円僧正を訪ねたとき、「時刻も随分遅いし、疲れているでしょうから、明日の朝に得度の式をしましょう。」と言われたそうです。その時、幼い親鸞聖人が、返事として「明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたそうです。

 平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れてから丸3年が経ちました。前日の30日、私は次男を熊本市のアパートまでに迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、随分遅くなったため、「どうせ元日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。

 翌31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。

 『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言ったようです。

 搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しました。それから3年、芦北町の病院に入院中です。

 虫の知らせでしょうか、30日はいつになく実家に帰った方が良いような気がしていました。「明日ありと」思ってしまった自分の判断を後悔しました。

 以降、母のところには用はなくとも「生きとっか~い。」と息子なりの愛のある言葉を掛けながら行くようにしています。

 今年の28日も帰省した息子と顔を見せに行きました…。(H) 

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【猫のいた暮らし5/5】011230

未読の方は【猫のいるくらし1/5】から順にお読みください。

 12月11日(水)、昨夜も妻のふとんに潜り込み、朝はカリカリを食べたらファンヒーターの上がベストポジション。今日も「ふわり」は相変わらずです。修学旅行は班別自主活動の日。いつものように「おはぎ、ふわり行ってきます。」と声を掛け、出勤しました。昨日と同じが一番幸せです。

 仕事を終え帰宅「おはぎ」も「ふわり」も帰宅するや否や「ご飯をくれにゃ。」とついて回ります。私はご飯をくれる人、撫でてくれる人というポジションのようです。

 夜8時半頃、「ふわり」は外に出る息子がドアを開けようとした瞬間をねらって脱走しようとしますが、あえなく確保され家の中に連れ戻されました。今夜は妻も帰宅が遅くなる日、一人と2匹でしばらく過ごします。

 息子が外出し10分も経たない頃、突然、「ふわり」が叫ぶような鳴き声をあげ苦しみ出しました。目がまん丸になり、口が開き。抱きかかえたまま動物病院に電話を掛けましたがつながらず、「ふわり」は1~2分の内に息を引き取りました。あまりのことに、呆然として涙も出ませんでした。

 何が起こったのか、頭の中が真っ白なまま、家族4人にメールを入れました。みんな冗談で、続けて変な格好で寝っ転がっている画像が送られてくるかと思ったそうです。

 長男、妻が帰宅し、ぐったりとなった息をしない「ふわり」を抱きかかえて声を掛けました。自分が保護した猫です、次男は電話の先で泣きじゃくっていました。

 しばらく経ち、汚したところをお湯で洗い、ドライヤーで乾かし、ブラッシングをし、3人で言葉を掛けながらお別れの準備をしました。暖かいところが好きな「ふわり」を寒いところに置くのは忍びなかったけれども、遺体が痛まないように保冷剤と一緒に安置しました。ふとんの「ふわり」のいつもの場所は空けておきました。「ふわり」のことを思い出して眠れませんでした。「ふわり」のいる暮らしが突然終わるとは、納得できませんでした。

 12日(木)、いつもの風景がありません。冷たくなった「ふわり」を撫で、声を掛け仕事に出ました。仕事が終わってからすぐに、「ふわり」大好きなカリカリを買って帰宅しました。いつものよりもずっと高級なカリカリです。長男も仕事を終えすぐに帰宅し、義母と3人で埋葬しました。最後にもう一度ブラシングし、息子と2人で抱きかかえた後、土をかけました。申し訳なかったけれども、その後、修学旅行の出迎えには行く力がありませんでした。

 あまりにも突然で、「ふわり」自身も今頃「ここはどこにゃ?」と不思議がっているかもしれません。たぶん、妖怪「ふわにゃん」となって近くにいるはずです。

 家族のスマホはやんちゃな「ふわり」の画像で一杯です。たった5年半でしたが、楽しい時間をくれた「ふわり」には心から感謝しています。

 最後の夜は、私は修学旅行で京都にいる予定でした。きっと「ふわり」が引き留めたのでしょう。家族である「ふわり」が天国に行くときに、ひとりぼっちにさせなかったことが心の救いです。(H)

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【猫のいる暮らし4/5】011229

「ふわり」のことを話します。「ふわり」は世界で一番素晴らしい猫です。(もちろん「おはぎ」もです。)野良だった子猫時代頃から人懐っこく、網戸を引っ掻いて、家の中に入れてくれと言うような要求もしていました。

 家では常に「ヘソ天(ヘソを天井に向けて寝る、警戒心の全くない姿。野生では一番の弱点である腹をさらけ出すことはほとんどない。)」状態です。撫でられるのが好きで、12月初めの休みの日は1時間くらい撫でさせられました。もちろん、おなかを撫でられるのも平気です。

 のどを撫でると、ゴロゴロ音が心地よい。人間を癒やす効果もあるそうです。仕事の疲れを毎日癒やしてくれています。「ふわり」が元気でいてくれるだけで満足です。

 立っていると足にがんがんぶつかってくる当たり屋。自分の物だと匂いを付けているとも、撫でてなどの要求をしているとも言われます。自分から当たってきたくせに損害賠償を要求するワルニャン。カリカリをあげたり撫でたりしています。

 寝ようとすると、「おはぎ」はふとんの足下の方に乗り、「ふわり」は妻のふとんの中に入ってきます。ご飯をあげているのは私なのに、妻の方が好きなようです。なんだか納得いきません。飼い猫のオスは特に「赤ちゃんモード」になりやすく、親といるような安心した気分だそうです。

 時に「親モード」で、無防備で寝ているでっかいネコを守っている気分にもなるそうです。お風呂に入っていると、ドアの外で待ち構えているのも「こいつは体が濡れるのに水に入って大丈夫かにゃあ」と心配しているからだそうです。トイレにも侵入し、マットで寝っ転がって守ってくれます。「ニャルソック」の皆様、警備をよろしくお願いします。

 ご飯はカリカリが大好き。「ふわちゃん、ご飯。」と呼ぶと走ってきますが、それがちゅーるだと去って行く珍しい猫です。イラッとしたときはカリカリを一口食べ、床をガリガリするのがルーティーンです。

 近所に、我が家では「シロ」と呼んでいる「おどっぱす」のネコがいます。「白」は自然界では目立ち、敵から狙われやすいので、警戒心が強く気の荒い性格が多いそうです。「黒」は目立たないので、穏やかな性格が多いそうです。「おはぎ」と「ふわり」は、いつも「シロ」から虐められています。どうも「シロ」は我が家を縄張りだと思っているようです。

 ある日、帰宅すると急に「おはぎ」と「ふわり」の激しいうなり声が聞こえ始めました。姿は見えません。声を掛けながら探すと、シロが逃げていきました。「ふわり」は隠れていました。ははぁ。私が帰宅して、急に強気になったな。座椅子を見るとびっしょり・・・。「ふわり」がスプレーをしたようです。今日でニャルソックを引退します。

 来年春にはまた夫婦2人と猫2匹の暮らしが始まります。先日、息子と「おはぎ」と「ふわり」は何歳になったかなぁ。という話を何気なくしました。あとどのくらい一緒に暮らせるかなぁ。

「おはぎ」と「ふわり」が長生きしてくれるのが家族にとって一番の願いです。今日も全力で甘やかします。(H)

 

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【猫のいる暮らし3/5】011228

 昨年6月の人権集会でこんな話をしました。

 私の座右の銘は「知行合一」と、子どもの頃から母に言い聞かされた「人にはようせんば(人には良く接しないといけない)」の2つです。迷ったときは、必ずこの言葉に従って行動するようにしています。

 17日(日)、夕方5時過ぎに帰宅する庭先にかなり弱った状態の茶トラの子猫がいました。とても人を警戒している様子でした。親猫の姿も見当たりません。野良猫の厳しさです、育たない子どもと判断されたときに親から捨てられることもあるそうです。

 こんな時に「命を絶えさせてはならない」と思いませんか。「何とかできないか」と心が動きませんか。この、心が動くということが大事だと思います。「助けるべきだと知っているのに、助けないのはあり得ない。」当然、環境が違いますから保護できる家とできない家があります。野生では育たなくとも、人の力なら育てることができます。家族に聞いても同意見になることは分かっています。私は保護することにしました。

 夜にネコミルクを買いに行き、寝るところを整えました。朝方は、長男の布団に入ってきたそうです。ガリガリにやせ細っていましたが、ご飯も食べ、18日(月)の夜は歩き回れるようになって一安心しました。膝の上に乗ってきたりもしました。撫でるとかわいいゴロゴロが聞こえます。明日は病院に連れて行くことができます。名前は「きなこ」と付けました。先住の「おはぎ」と「ふわり」が受け入れてくれるかなと、3匹との楽しい生活をみんなで想像していました。帰ってきたときに驚かせようと、熊本に住む次男にはあえて連絡をしないことにしました。

 19日(火)の朝早くは歩き回っていたのに容態が急変、不安なまま出張に向かう新幹線の中で、妻からのメールを受け取りました。8時に天国に召されました。出張から帰り、「こむぎ」の墓参りに行きました。

 一所懸命に動いても、結果どうにもならないこともあります。無関心を装い、見ない振りをした方が自分自身には楽だったかもしれません。いじめの問題でも同じようなことが言えないでしょうか。今は体が動かなくとも心は動かしてほしい。次は体が動きます。

 猫も一度きりの記憶を「思い出」として持っているそうです。

家族3人で、「きなこ」に最後の一日を幸せに過ごさせることができて良かったという話しをしました。

 命はとても大切です。(H)

 

 

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【猫のいる暮らし2/5】011227

 人と同じように、それぞれの猫に個性があります。隣の人と自分が全く同じだったらつまらない。違うからこそ面白い。「みんなちがってみんないい。」

「おはぎ」は凜々しい猫に成長しました。特にウ○チの時は、黒豹かと見間違う凜々しさです。名前を呼ぶと近くに寄ってきます。ご飯もカリカリはあまり好きではなく、餌入れに入れると寄ってきますが、「これじゃないでしょ。」という顔をして見つめ、柔らかいご飯を要求します。ちゅーるが大好物です。一度、いなくなったと思ったら、ひどい黄疸が出て弱った状態で発見、病院に通ったことがありましたが、今は至って元気です。

「こむぎ」はだんだん食べては寝る、大きなぐうたら猫に成長しました。予防注射など、病院に連れて行こうとすると察知して、その時だけは素早く逃げます。「ここちゃん」が好きで、いつもあとをついて回っていました。家を出てから数年になります。

「ふわり」はとにかく人懐っこい猫です。家の中では完全にリラックス、ヘソ天で寝ている姿が基本です。書き切れないのでまた紹介します。

「ここちゃん」は唯一の雌猫です。小柄でおとなしく、きょうだいの「ふわり」とはいつもべったり、よく2匹で抱きついて寝ていました。あまり人慣れしない猫でした。一度、大ケガをして帰ってきました。何日も病院に通い傷は治ったのですが、その後、家を出たまま帰ってきていません。

「こむぎ」も「ここちゃん」も家を出たあと、道路の隅も含め探し回りました。発見していないのが家族にとっては少し楽なところです。

「出会いは偶然、別れは必然」と言います。猫の寿命を考えると「猫と暮らす」と言うことは、いつかは「猫と別れる」と言うことなのですが、普段はそんなことは頭から消えています。必ず明日が来るものと思っています。

 時が経ち心の整理がつきました。写真を見ても今は楽しい思い出ばかりです。突然「ご飯くれにゃ。」と帰ってこないかなとちょっと期待しています。

 この頃は、長男も大学を卒業し帰ってきていましたので、3人と2匹の暮らしでした。複数の猫と暮らしている家庭の例に漏れず、帰宅したらまず、「おはぎ」、「ふわり」と声を掛け、みんないるかを確認するのがお約束です。(H)

 

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【猫のいる暮らし1/5】011226

 「猫のいる暮らし」と題して5日間連載します。毎朝9時更新です。猫好きの方も犬好きの方も、一緒に暮らしている、いままで暮らした猫や犬、他の動物のことを思いながら毎日読んでいただくとありがたいです。

 勝手に家の中に入ってくるし、引っ掻くし。呼んでも来ないし。実家でも猫を飼っていた頃があったそうですが、あまり記憶として残っていません。

 6年前に猫と暮らすようになり、猫について完全に私の中でリフレーミングがされました。身の回りは猫グッズだらけです。特に黒猫と白黒のハチワレの猫グッズがたくさんあります。長男からも「お父さんは、猫はそんなに好きじゃない。と言っていたのにね。」と言われます。記憶にございません。

 長男が大学3年生の頃、猫を引き取って良いかという電話を掛けてきました。実は、我が家では猫を飼う予定はありませんでしたが、高校生の頃に田浦から高校に通っていた長男が、八代に住むいとこが拾ってきた、生まれたばかりの子猫を数日で亡くしたという経験をしていたため、飼いたいという気持ちが分かり認めることにしました。

 仕事を終えて長男のアパートに行くと真っ黒な子猫がいました。その姿から「おはぎ」と名付け、その日のうちに水俣に連れ帰り一緒に暮らし始めました。

  半年ほど経った頃でしょうか。シャム猫とタヌキが混ざったような白と茶色のとても汚れた子猫が迷い込んできました。ノミだらけで捨て猫のようです。「おはぎ」で猫と暮らすハードルが下がったので、お風呂に入れきれいにして、病院に連れて行き、「こむぎ」と名付けて暮らし始めました。

 猫が寄りつきやすい環境になったのでしょうか。同じ頃、白黒の模様の野良猫が家に遊びに来るようになりました。牛みたいな模様だったので、我が家では「うしちゃん」と呼んでいました。しばらくして、小柄な八チワレの野良猫も見かけるようになりました。「うしちゃん」に似ていたので、「こうしちゃん」と呼びました。

 次男が高3の5月頃、家を訪ねてくる「こうしちゃん」のおなかが大きくなっていることに気づきました。次男が箱を用意し、その中で3匹の赤ちゃんを産みました。野良猫ですが放置はできないので、子育てができるようなスペースを作り、長毛のハチワレを「ふわり」、短毛のハチワレを「こうしちゃん」にそっくりな子猫なので「こうしのこ」から「ここちゃん」、黒猫を「くろちゃん」ととりあえず呼ぶようにしました。

 しばらくすると走り回れるまで成長しており、人が近づくと警戒してダッシュで逃げていました。その中で、「ふわり」は自分から足下に寄ってくる人懐っこい性格でした。

 ある日、次男が「こうし」と3匹の中で一番小さい「くろちゃん」が亡くなっていることに気づきました。泣きながら一人で埋葬したそうです。すでに家には「おはぎ」と「こむぎ」の2匹がいるため無理かと思いましたが、我が家を選んで寄ってきたのだと思い、残された「ふわり」と「ここちゃん」も一緒に暮らすことにしました。

 「ふわり」は前からいたような顔で生活を始めましたが、「ここちゃん」は警戒して馴染むまで時間がかかりました。3人と4匹の暮らしが始まりました。(H)

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【生徒会リーダー研修】011225

 「生徒会リーダー研修会をするのですが、校長講話をお願いします。」担当、M先生の一言。本校の職員はなかなか厳しい要求をしてきます。「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

 私からは「田浦中の良さを伸ばそう発信しよう」、「現状維持は停滞」、「当番活動ばかりじゃつまらない」という話と、F中のN先生から紹介された、幻冬舎の「はぁって言うゲーム」をしました。お題の一言を声と表情だけで表現するコミュニケーションゲームです。なかなかの盛り上がりでした。

 その後は生徒会担当のM先生、K先生による研修。積み残した課題を3学期にどう解決し、次年度につなぐかを考えました。

 互いを再発見する取組、人間関係の結び直しが単学級の学校ではよくある課題です。「先生、そう言うけど○○ちゃんは保育園の時にね…。」そんな昔のことは忘れましょう。職員と生徒が両輪となって学校の課題を解決する空気が今の田浦中にはあります。牽引するのは今日集まった生徒会リーダーですが、田浦中の全員が主役です。

 さて、今月のホームページの平均閲覧数は300件弱と11月までから倍増しています。残り97話、猫の話は明日からの5日間を最後に封印するので、新学期に困らないよう冬休みはネタ探しや書きだめをします。紅白やお正月番組、箱根駅伝の合間に読んでいただくと嬉しいです。(H)

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【とても嬉しかった】011224

 20日(金)に、1年間の生徒会活動を振り返り、次年度につなげるための総括生徒総会を行いました。最後はK前会長以下、全役員・委員長が後輩への思いを伝えるあいさつをして終わりました。執行部のリーダーシップにより、田浦中PRIDEあふれる生徒会活動を行うことができました。いよいよ新執行部へバトンタッチです。

 今日は終業式。3年生に「1・2学期で心に残った出来事は?」というアンケートとってみたところ、上位にきたのが

 体育大会:雨で順延になったけれども、初めての地方団による対決で競技も地域の皆さんの応援も盛り上がった。終了後の片付けの時に土砂降りに見舞われたことも強烈に印象に残りました。

 合唱コンクール:指揮者のTくんは演奏前から号泣。3年生が一つになって金賞を勝ち取りました。郡音楽会でも素晴らしい歌声を披露しました。

 郡市駅伝大会:男子が13年ぶりの優勝・女子が2年連続準優勝で、田浦中としては初の男女揃っての県大会出場を果たしました。

 坂本先生のこと:誕生日サプライズ成功、号泣した。(その他にも3回号泣)、研究授業が多かった。たくさんの生徒が書いていたのが、3年担任が坂本先生だったのでとても嬉しかった。

 担任は良かねぇと羨ましい限りです。楽しい生活も残り3ヶ月です。(H)

 

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【クリスマス2001】011223

 平成13年。長男は8歳、次男は5歳になりました。

父「サンタさんはいると思う?」

子「いるよ。」

 思いがけない答え。ほう、小学生になっても信じているか。嬉しいな。

子「セント=ニコラウスだよね。」「プレゼントをくれるのはお父さんで、サンタさんはセント=ニコラウス(サンタクロースのモデルになったギリシア人の司教)。」

 またもや思いがけない答え。そう言うことか。であれば話が早い。イブが近づいているのに、今年は次男が何を欲しがっているのかわからない。私が何度聞いても「サンタさんにお願いした。」と繰り返すばかり。言動を観察しても分からない。このままでは「サンタさんはいない。」と言いかねない。

 長男に「何とか聞き出して欲しい。」と言うと、「俺も何回も聞いているけど、サンタさんにお願いしたと言って教えてくれない。」とのこと。妻、じいちゃん、ばあちゃん、本当に誰にも言っていない。今までになかったこと。

 イブ直前、長男が走って私のところへ。「わかった!〇〇だった!」

 さすが、頼るべきは長男でした。「兄ちゃんと一緒にサンタさんにお願いしよう。」と言って聞き出したそうです。

 ところで、あんなに苦労して聞き出したのにそれが何だったのか今では思い出せません。グローブだったような、違うような。(H)

 

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【クリスマス1998】011222

 平成10年。長男は5歳、次男は2歳になりました。作戦の効果もあり、サンタさんはまだいます。保育園で後輩に「サンタさんの正体はお父さんだ!」と教えたりもしていないようです。

 クリスマスイブ。「うちには煙突がないからサンタさんが来ないかもしれない。」ことが長男の今日の悩みです。「〇〇をプレゼントしてくれるかなぁ」、「靴下に入らんよねぇ。」悩みは尽きません。大丈夫。準備は完璧です。

 ご飯を食べて、ケーキの前で写真を撮って。欧米の習慣のようにサンタさんのためにカップ1杯のミルクとクッキーも用意しました。

 夜も遅くなり、そろそろ寝たかなと思って覗くと、次男はぐっすり、長男は毛布から顔が出ていません。息苦しいだろうと毛布をめくってみると、隠れて目を開けていました。「サンタさんが来たら、パッ!て捕まゆっと!」やる気満々でした。

 しばらくすると、熟睡。チャンス到来。プレゼントを置いて、ミルクを飲んで、クッキーをかじってサンタさんが来たという証拠を残したら、サンタさんの仕事は完了です。

 明日は子どもは早起きです。先に起きて、寝たふりをしてプレゼントを開けて大騒ぎする瞬間を待ちます。その時の笑顔が子どもたちから私へのプレゼントです。(H)

 

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