校長ブログ「秘密の部屋」

【むかしむかしEP10:最終回】020321

 遠い昔、遙か彼方の田浦で…。

 生まれてから今日までを分母、今年1年を分子とすれば、答えはどんどん小さくなっていきます。小学校の4~6年の3年間と、中学校の3年間では圧倒的に後者が短く感じます。

 子どもの頃は阿蘇神社の秋の例大祭には桟敷が造られ、参道には出店がたくさん並んでいました。中学生の頃はまだ奉納相撲は残っていました。中学生ともなると、まわしを着けるため相撲に出るのを嫌がる人も多かったようです。そのような中、相撲に参加して随分喜ばれたことを思い出します。教頭として帰ってきたときにも地域の方からその時のことを思い出して話されました。写生大会の会場も阿蘇神社でした。絵が上手な先輩を真似しながら描きました。

 中学校卒業式は昭和56年3月18日(水)、卒業生は132名。担任は1組林田洋文先生、2組四宮真理子先生、3組矢田昭士先生でした。四宮(船崎)先生とは縁あって、平成15年度に水俣二中で同じ学年の担任をしました。 

 校歌は今以上に歌う機会が多かったはずなのに、「ああ若き日の純潔の」と「友愛の」、「ここに育つ」と「学ぶ」のところでみんな急に声が小さくなりモゴモゴしていました。これは今の田浦中生も同じのようです。途中モゴモゴする歌声を聞くたびに「後輩だなぁ。」と感じます。

 少しだけ卒業後のことを。高校でもバレーボールを続けていた3人で、総体後に男子バレー部の練習に顔を出したりしていました。益田くんや池邊くんなどが中3でした。その頃は新しくできた現在の体育館で練習をしていましたので、顧問の先生にあいさつをしてこっそり体育館に入り練習を手伝い、こっそり帰っていました。卒業したら、学校に来るのは恥ずかしいという感覚でしたので運動会や文化祭も来たことがありませんでした。再び校舎に入ったのは平成22年の田浦中の研究発表、中村直人先生の研究授業の時でした。そして、平成27年にやっと赴任することができました。

 ぐだぐだのエピソード1~10にお付き合いいただきありがとうございました。臨時休校中の書きだめも尽きましたのでこの辺で。(H)