二中ブログ

二中の最新情報!

【県総体結果】050724

郡市総合体育大会(団体種目)結果 

軟式野球

 1回戦 水俣市中学校 6-0 鹿本中・米野岳中

 2回戦 水俣市中学校 8-1 城西中・河内中

 今日7月24日は水前寺野球場で9:30から準決勝、14:00から決勝です!得点経過はHPで随時お知らせします。

男子バスケットボール 47-78  長嶺中

女子バスケットボール 30-101 本渡中

【ランタナ】050723

 時々、校内の樹木や草花を紹介しています。少しでも関心をもってくれると嬉しいです。花の名前をさらっと答えることができると素敵です。

 田浦中の職員玄関にも咲いており、何だろうと調べたことがありました。水俣二中の左側正門の裏にランタナが咲いています。ランタナは咲き進むたびに花色が変わる、「七変化」の花で夏の暑い陽射しにも強く、初夏から秋口まで小さな花を次々に咲かせます。繁殖力が強く育ててはいけない植物として名前が挙がることもありますが、法律で禁止されているわけではないそうです。後は調べてみましょう。

【もったいなか】050722

 6月のある日のこと。

 朝8時半、水俣市総合医療センターに到着。3ヶ月に1回は通っている行きつけの店だ。今日のめあては消化器内科。自慢ではないが2月末の人間ドックで再検査のハガキをもらった。あまり好きな内容ではなかったので放置していたら、さらに督促のハガキが届いた。敵もさるものである。

 人間ドックの結果を母からいつも聞かれるが、返事は「別に。」と決めている。「親思う心」である。上旬に腹部エコー検査、中旬に大腸内視鏡検査、下旬に造影剤を使っての腹部エコー検査と今月は3回目の検査。本当に行きつけになってしまった。出勤簿が必要だ。

 造影剤を点滴されCTに。「体が熱く感じるようになります。お漏らしをしたような感覚になることがありますが実際は違います。腕は上にあげてください。気分は悪くないですか。痛い所はないですか。吐き戻しそうな時はボタンを押してください」看護師さんの声掛け。不安になるが前の週に受けた大腸内視鏡検査と比べるとネコの甘噛み程度である。

 検査開始、点滴も別に痛くない。熱感も大したことはない。もっとも痛いのは五十肩、早く検査を終えて腕をおろしたい。

 検査後のデータ処理がおわり診察室に入る。常に余裕ある表情は変えない。結果は、大きな心配は無し。「よしっ!」と安心するが、さも当然と言う表情で、医師には気取られないように心がける。

 お酒はほぼ飲まない。タバコも吸わない。改善策は「痩せること」聞き慣れた言葉が返ってくる。「身長が184㎝なので、あと10㎏くらい減らすとかなり改善できるはずです。」それも知っている。「知っていることとできることは違う。」年齢を重ね生徒にも同じことが言えるようになった。
 昔、私の兄弟が、母に「痩せれば」と言うと笑いながら必ずこう答えていた。「せっかく肥えたとに、もったいなか。」親の言いつけは守らなければ。

【勉強はした方が良い】050721

 いよいよ夏休み。3年生の夏は三者面談、体験入学と進路選択についてしっかり考える夏です。

 熊本市内のある商業施設でエスカレーターに乗ると、私の前に女子中学生らしき2人組がいました。その前からの話の流れがあったのでしょうが、一人から「やっぱり勉強はした方がいいよ。」と言う声が聞くとは無しに聞こえてきました。続けてなぜかと言うことを語る語る。なるほど、子どもたちなりにいろいろ考えています。自分で気づいたところが良いですね。

  大きな声で「その通り!」と言いたくなりましたが、「何だちみは!」と返されそうなので止めておきました。

【県総体日程】050721

軟式野球・ソフトテニス個人戦・男女バスケットボールはトーナメント方式です。

7月22日(土)

 軟式野球 熊本県民総合運動公園野球場A 

  1回戦 9:30~ 対 鹿本中・米野岳中

 ソフトテニス 熊本県民総合運動公園メインテニスコート 

  C-4コート第4試合 2回戦から 9:00以降

 陸上 えがお健康スタジアム(熊本県民総合運動公園) 9:00~

 水泳 アクアドーム 9:30~

 新体操 熊本県立総合体育館 12:00~

 男子バスケットボール eco win 宇土アリーナ 

  1回戦D3 12:10~ 対 長嶺中(熊本市)

  2回戦C6 16:10~ 対 山鹿中VS本渡中の勝者 

 女子バスケットボール ウィングまつばせ 

  1回戦B4 13:30~ 対 本渡中(天草市)

  2回戦B6 16:10~ 対 南阿蘇中VS菊陽中の勝者

 

7月23日(日)  

 男子バスケットボール(準決勝以降) ウィングまつばせ

  準決勝9:30~  決勝12:10~

 女子バスケットボール(準決勝以降)ウィングまつばせ 

  準決勝10:50~  決勝13:30~

 水泳 アクアドーム 9:00~ 

 陸上 えがお健康スタジアム 9:00~

 軟式野球 総合運動公園野球場B

  2回戦 11:30~ 対 九州学院中VS河内中・城西中の勝者

 

7月24日(月)  

 軟式野球 水前寺野球場 

  準決勝9:30~ 決勝14:00~

  

【鍛える夏】050720

最初はクイズです。5つの質問に答えてください。

①自分のクラスの学級目標を答えてください。    

②生徒会スローガンを答えてください。

③それぞれの担任の先生の名前を漢字で書きましょう。 

④水俣二中で多い苗字ベスト3は何でしょう。

3位は7人の山下、2位は7人+1人の田中、1位は11人+1人の中村です。

いろいろなことに関心を持って、人との係わりを大切にした1学期を過ごすことができたでしょうか。 

各学年主任の先生に「1学期に感じた、それぞれの学年の良さは何ですか?」と聞いてみました。

1年生「行動にめりはりが付いてきた。間違っていることを間違っていると言える雰囲気もある。給食を頑張って食べようとしている。行事の反省やワークシート等最後までしっかり書く力がある。」

2年生「自分の考えや思いを言葉にして伝えることができるようになってきた。体育大会や普段の体育の授業を見ていても仲間の応援を良くしている。学級、学年の仲間意識が育ってきた。進路に向けて目標を立て、勉強をする人も見受けられるようになった。」

3年生「話がきちんと聞けるようになった。最高学年として積極的に動かないといけないという意識が随所に見受けられる。リーダーシップを発揮する生徒が増えてきた。」

 どの学年も成長の跡が見えました。 

さて、いよいよ夏休み。中学生活は夏休みが勝負です。さらに素晴らしい二中生を目指して計画的に

勉強、読書、ニュース視聴。頭を鍛える夏にしましょう。

家の手伝い、社会体験、ボランティア活動。心を鍛える夏にしましょう。

陸上練習、部活動、社会体育、スポーツ活動。体を鍛える夏にしましょう。

3年生はこれらに加え、受験勉強、三者面談、体験入学。未来を切り拓く夏にしましょう。

ただ、こんな考えもあります。「夏休みは何日あると思ってんのさ。宿題なんていつでも出来るよ。それより今を大切にしなきゃ。」さくらももこ    

暑い日が続きます。一番大切なのは命。体調管理に十分留意し、休むときはしっかり休み、4つの車にお世話にならないようにして、元気で新学期を迎えましょう。

【ルールからモラル・マナーへ】050719

ルールからモラル・マナーへ.pdf

 中国の秦の時代の終わり、都を制圧した劉邦は「殺すな」、「傷つけるな」、「盗むな」の3つの法を施行しました。混乱の時代、シンプルな法が効果的でした。学校に置き換えると、「殺すな」、「傷つけるな」は人を死に追いやることや一生消えない心の傷をつくることにつながる「いじめ」や「差別」、「からかい」にあたり、「盗むな」は人の物を隠したり、本人の許可なく人の物を使ったりということにあたるのではないでしょうか。

 江戸時代、会津地方では同じ町に住む6歳から9歳までの藩士の子どもたち10人前後で「什(じゅう)」という集まりをつくり、掟(「嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ。」、「卑怯な振舞をしてはなりませぬ。」、「弱い者をいぢめてはなりませぬ」など)を守った生活が1日できたかどうかという点検をして、決まりを破った者には自分たちで罰を与えていました。決まりの最後は「ならぬことはならぬものです。」で締めくくられていますが、これは「決まりは守るものである。」というような意味だそうです。将来、戦場に出ることが義務付けられた子どもたちですから、自分たちの命を守るためにも「規律」を第一義にしたということが分かります。

 さて、私たちの言動を縛るものに「ルール(破れば罰せられる決まり事)」、「マナー(礼儀作法)」、「モラル(倫理観・道徳意識)」、「タブー(宗教的禁忌)」等があります。日本は罪刑法定主義の国であり、今起こった事件を後から作った法で裁いて罰を与えることはできません。ネットの世界は日進月歩、法(ルール)が追い付かないことがあります。大切なのはマナーやモラルです。

 

【夏休みを前に】050718

二中生の皆さんへ(夏休みを前に).pdf

二中HPブログから夏休み前に読んでほしい内容を整理しました。生徒には印刷して配付します。

1 命を守る

【予防運転】050610、【自転車事故の判例】050611、【自転車ヘルメット】050714、【令和2年7月豪雨】050703、【スズメバチ】050626

2 SNS等

【考えんばんたいね】050613、【炎上回避法7箇条】050706、【ルールからモラル・マナーへ】050719

3 夢に向かって挑戦する

【夢に向かって挑戦する生徒】050410、【レンガ積み】050411、【心と気を働かせる】050627、【勉強はした方が良い】050721

夏休みも土・日を中心にぼちぼち更新しますのでよろしくお願いします。

【県中学総体結果1】050718

 15日・16日に行われました熊本県中学校総合体育大会の結果をお知らせします。

 男子バレーボール

     水俣二中 0-2 錦ケ丘中

 空手道

  形に3名出場 第1ラウンド敗退 表情も引き締まり素晴らしい演武を見せました。

【海の日】050717

 今日は海の日です。国民の祝日に関する法律では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としています。国土交通省によると、世界の国々の中で「海の日」を国民の祝日としている国は唯一日本だけだそうです。(ボリビアにもありますが、戦争により内陸国となってしまった日なので趣旨が異なります。)

 海の日は、1996年(平成8年)の始まりは7月20日でしたが、2003年(平成15年)に改正された祝日法のハッピーマンデー制度(3連休をつくる)により、7月の第3月曜日となりました。「成人の日」、「スポーツの日(旧体育の日)」、「海の日」、「敬老の日」がそれに当たります。

 今日は晴れていれば湯の児の海水浴場に行ってみます。

【ごあいさつ】050716

PTA新聞の元原稿です。新聞原稿は紙面の都合で短くなっています。

 平成14年度から教諭として8年間、平成24年度から教頭として3年間。そして今年度、3度目の勤務を命じられました。今年で12年目、教職生活の3分の1は水俣二中勤務。地域の方や以前の保護者の皆様から「お帰りなさい。」、「でしょうね。」の声をいただき嬉しく思います。毎朝、正門付近の草取りや掃除をしていますが、「以前もされていましたよね。」という声をかけていただきました。顔は何となくでも体の大きさとやっていることを記憶に残していただいていたのがありがたいです。もはや我が母校という思いで日々勤めています。

 最初の勤務の頃のこと、運動場の「風・格・の・あ・る・二・中・生」の看板の文字の順序が入れ替えられていました。二中職員への、二中生への突き付けであると思いました。皮肉が聞いています。入れ替えられた言葉は「風・格・あ・る・の・二・中・生」です。

 2度目の勤務の頃のこと、卒業生からのメッセージ「教頭先生は何をしているかよく知らないけど、私たちのために・・・。」授業にも行っていたのに、部活にも行っていたのに。教頭先生ではなく、名前を記憶されるようにならんといかんなと、個人的に突き付けられました。

 そして3度目の勤務。PTA総会や行事などの時に対面で、日々更新するホームページで、二中生の風格ある姿や二中の活動、ついでに校長が毎日何をし、何を考えているかを常に発信していきます。HPは現二中の保護者のみならず、他校の先生方など毎日たくさんの方に読んでいただきありがたいです。二中の様子が確実に伝わっています。

 学校経営の土台となっている考えは「中学校は義務教育最後の学校」だということです。成人までの前段階の貴重な3年間です。社会生活で活きる知識や技能、課題に対応する能力、学び続けようとする意欲、人や社会と関わり助け助けられる力。より良く生きる力を身に付けさせる。子どもたちへの一つ一つの働きかけは「自律と自立」をゴールにしているということを学校と保護者、地域で共有しましょう。

 二中職員のゴールは?旧三中の12代校長を務められた宮本勝彬元市長から教えていただいた「飯のタネに仕事をするのが教員、勉強や技能を教えるのが教師、生徒の心に灯を点すのが先生。」という言葉を二中の先生方にも伝えています。ゴールは「先生」の名に恥じない先生となることです。

2学期もよろしくお願いします。

【カレー評論家 】 050715

 スクールカウンセラーのO先生は複数の学校を回られているのですが、行く学校、行く学校カレーに当たるとのこと。私のスマホにはO先生から送られた各学校のカレー画像が保存されています。O先生によると、

A中学校は「ルーがサラサラで、ジャガイモがゴロゴロしている。」

B中学校は「涙が出るほど辛い」

C中学校は「キーマカレー、ひき肉で食べやすい。」

D小学校は「小学生向けで、あま~い。」

〇〇町は「クリーミーで濃厚。」もはやカレー評論家です。

 ヱスビー食品のHPによると、全日本カレー工業協同組合が公表している統計から計算すると、日本人は1年に約73回カレーを食べていることになるそうです365÷73=5なので、5日に1回食べています。1回作れば連続しますし、一人暮らしの頃はレトルトカレーが定番でしたから、さもありなんというところです。

【自転車ヘルメット】050714

 これまでも13歳未満の子どもは自転車ヘルメットの着用は努力義務とされていましたが、今年の4月1日に改正道路交通法が施行され、大人も努力義務となりました。

 愛媛県では平成27年からの高校生の自転車ヘルメット完全着用の取組が始まっています。愛媛県のHPによると、「平成26年に県立高校生の自転車による死亡事故が相次ぎ、再発防止が急務となった。平成 27 年度から、県立高校生等によるヘルメットの完全着用に取組み、自転車通学時や部活動、学校行事等におけるヘルメット着用を自転車通学の許可要件とし、7 月 1 日から、県立高校生等によるヘルメットの完全着用が始まった。それ以降、自転車と自動車の接触等による重大事案が10件起こり、中には、追突された衝撃で頭部がフロントガラスにぶつかり、フロントガラスが割れるなどの事故もあったが、いずれもヘルメットをきちんとかぶっていたために、命を守ることができた。」とのことでした。

【予防運転】050610でも書きましたが、私の次男も中学生の頃に車と正面衝突をして空中に飛ばされてボンネットに落下したのですが、ヘルメットを着用していたため大事には至りませんでした。事故の電話連絡を受けた時は覚悟をしました。その時にもし高校生になっていたらヘルメットはかぶっていなかったはずです。ぞっとします。

「ヘルメットを着けない、タスキを着けない」は次の「これくらい」につながるゲートウェイです。

【激励の言葉】050713

 芦北水俣郡市の大会を勝ち抜いた軟式野球、男女バスケットボール、ソフトテニス、水泳、空手道の代表選手の皆さん、県大会からはじまる男子バレーボール、陸上競技、新体操の皆さん、おめでとうございます。

  県大会は楽しもうという大会ではありません。各郡市の代表がプライドを掛けて戦う大会です。

  今日から大会まで、寝る前にはこれまで一番良かったプレーをイメージしましょう。「監督・コーチから褒められた。仲間が驚いた。俺って天才かも?って思った。」そんな瞬間がこれまで1度ならずあるはずです。失敗したことはすべて忘れ、良いイメージを焼き付けて大会を迎えましょう。

  試合当日は、マイナスの言葉を発しないこと。

「緊張せずにいこう」と「リラックスしていこう」はほぼ同じ意味ですが、「リラックスしていこう!」と口に出すと、「リラックス」という言葉が頭に残りリラックスできるそうです。

  納得のいくプレーをしましょう。「あの時こうしていれば。」と思うくらいなら、ミスを恐れずチャレンジしましょう。迷ったら強気です。

  靴を並べる。道具を並べる。大きな声で挨拶をする。きびきびと動く。普段の姿がプレーに出ます。大会までの残り数日間、心を整えましょう。

  最後に、これまで一緒に頑張ってきた仲間、お世話になった先生方、そして保護者の皆さん、大会の運営にかかわっていただく方々、水俣二中の仲間、皆さんに敗れた郡市のライバル。

  一人一人の顔を思い浮かべ、感謝の気持ちでプレーしましょう。みんなが応援しています。健闘を祈ります。

 

【主任児童委員さん訪問】050713

 今日の5時間目は主任児童委員の皆様が来校されました。まずは全学級の授業参観。3年生は共通テストの模擬試験の解答、数学のY先生からは、夏休みの頑張りの大切さについても話があり、生徒も気持ちが入ったようでした。

 後半は校長室で懇談会。心配事や悩み事、民生委員・児童委員、主任児童委員のはみなさんの身近な相談相手です。学校もしっかり連携していきたいと思います。

【全校集会】050712

 学校経営グランドデザイン(PDF).pdf タイトルページにパワーポイント版もあります

 体育館の予定でしたが、急遽リモートに切り替えて全校集会を行いました。「学校経営グラウンドデザインについて(校長)」、「学力向上の取組について(Y研究主任)」、「学校の決まりの見直しについて(K生徒指導主事)」について学校がどんな取組をしているかを生徒に伝え、先生と生徒が両輪となって学校教育目標の具現化を目指すことを確認しました。

【昭和57(1982)年 田浦水害(後編)】050712

  後編です。令和2年7月豪雨の雨量はこの時を超えています。今回の水害のこと、中学生の皆さんが親になったら必ず伝えてください。「とにかく早く、迷わず非難しなさい。」

 当時の記録を読むと、田浦では11日から14日にかけて1時間雨量65mm、2時間雨量120mmと短時間に集中して降り、田浦川等、吉尾川等が氾濫して大きな被害が発生したとあります。

  私は水俣にいたため、田浦水害のまさにその時の怖さは体験していません。聞くところによると、小学校の運動場横の土手が決壊し、大量の水が流れ込み運動場が見る見るプールのようになったそうです。低学年の子どもたちは怖くて泣きだしたそうです。

  田浦中のある先生は当時保育園入園前だったそうですが、庭に水がどんどん入ってきた記憶があるそうです。お母さんは小学校からの電話連絡を受け、膝上まで水につかりながら、宮坂医院前の三差路に張ってあったロープを伝って、低学年のお姉さんを学校まで迎えに行かれたそうです。

  私の父は学校からの電話を受け「学校が一番安全だけん、学校に残してください。」と言ったそうです。家庭も学校も判断が難しい状況だったと思います。

  「天災は忘れた頃来る」物理学者で俳人の寺田寅彦氏がしばしば語ったという言葉があります。災害は語り伝えないと風化していきます。今日を「絶対はない」「想定外のことを想像する」と言うことを肝に銘じる日、防災について考える日にしています。

【昭和57(1982)年 田浦水害(前編)】050711

 私が高校2年生だった昭和57年7月12日(月)の昼前のこと、「田浦中出身の生徒は集まってください。」という放送が入りました。何かと思って指定された教室に行くと、「田浦が大変な大雨になっていて、帰すことができない。水俣の友達の家に泊まるように。」との説明がありました。「いつも通り朝6時過ぎの列車に乗って駅を出たのに、水俣もそんなに降ってはいないのに。急に泊まれと言われても困るのに。」情報源も今とは違いスマホもなく、私たち高校生には切迫感はありませんでした。

 午前10時までの1時間の雨量は65mm、1日の雨量が328mm。不知火海の満潮とも重なって田浦川等が氾濫、肥後田浦駅周辺や小中学校周辺も家屋への浸水が続出したとのこと。テレビには駅前の被害の様子が映し出されました。

 高校の隣にあった同じクラスの友達の家に、田浦中出身の3人で泊まらせてもらいました。テレビのニュースはずっと大雨関係ばかり。不安な夜を過ごしました。

 翌朝、高校が借りたバスで田浦へと向かいました。国道3号線は渋滞、8時間近くかかって田浦に着きました。途中は泥道。船江付近では、甘夏ミカンの木が根が付いたままで海に浮かんでいました。色の変わった壁を見て、水の高さに驚きました。町中、泥の匂いがしました。あちこちに消毒のための石灰が撒かれていました。

【学校運営協議会】050710

 今日は令和5年度第1回の学校運営協議会の予定でした。延期になりましたのでどんな組織かということを先に紹介します。

 水俣第二中学校は学校再編成の平成23年4月に水俣市のコミュニティ・スクールの指定を受けて準備を進め、25年3月に学校運営協議会が発足しました。協議会は、保護者や地域住民の要望や意見を反映させ、特色ある学校づくりを行うという目的の下、本校の教育に関して承認と意見の申し出を行い、さらに、学校応援組織として、教職員・保護者・地域住民とともに参画するという趣旨で設置されています。

 委員は、保護者、地域住民、校区内小学校代表者(校長)、学識経験者、行政、学校代表者から選出されています。会長には学校評議員をされていた井上能智王さんが選出され、お亡くなりになるまでの10年間に亘ってその役を務められました。令和3年度からの会長は鹿島省治さんです。

 24年度は私が教頭でしたので、文部科学省で説明を受けてきました。その中で厚生労働省からも説明があり、どちらかが一方的に何かをしてあげるのではなく、学校にとってもウィン、地域にとって(特に年配の方の生きがいづくりという点からも)もウィン。ウィンウィン(両方にとって利益がある)の関係となる仕組みであると感じました。 

 令和4年度は7月と3月の2回の会議を実施、コロナ禍の中でしたが、委員さん方は来賓ではなく学校の一員という捉えですので、体育大会、文化祭、卒業式等の行事にも参加していただきました。これまでに学校運営協議会の支えにより実施した活動にはこのようなものがあります。

〇もともと、おやじの会でサラダ玉ねぎの栽培を行っていたが、JAに協力いただき、東日本大震災で被災した福島県の中学校に生徒が栽培したサラダ玉ねぎを送った。

〇民生委員に協力いただき、生徒がグループに分かれ独居老人宅を訪問した。平成18年度より毎年、3年生が認知症サポーター講座を受講していたため、そこでの学びを関連付けた。

〇平成15年度の村田晃治校長の時に始まる。各行政区長に協力いただき、ステージ発表や展示物の出品を依頼して学校と校区の合同文化祭を実施した。

〇生徒会の要望を受け、意見箱を学校に設置した。

〇体育大会で学校運営協議会長賞及び井上能智王賞の表彰を行なった。

【北里柴三郎】050709

 最後は新1000円札の肖像画に描かれる北里柴三郎です。

 柴三郎は、1853年に現在の熊本県阿蘇郡小国町北里で生まれました。家は庄屋だったそうです。

 1871年に熊本医学校(現在の熊本大学医学部)に入学。1874年には東京医学校(東京大学医学部)に入学し、在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信。予防医学を生涯の仕事にする決意をしました。

 1885年から約6年間ドイツのベルリン大学に留学。病原微生物学研究の第一人者、ローベルト・コッホに師事して研究に励み、1889年には、破傷風菌の純粋培養に成功。破傷風菌抗毒素を発見し、血清療法を確立して一躍世界的な研究者となりました。

 帰国後は福沢諭吉の財政的支援で、のちにコッホ研究所、パスツール研究所と並んで世界3大研究所の一つと称されるようになる「私立伝染病研究所」が創立、所長に就任しました。研究所からは志賀潔や野口英世などが育ちました。