二中ブログ

二中の最新情報!

【立志式の下見】060104

 2年生の先生2人と立志式の下見に行ってきました。危険個所や民家の多いところ、トイレの場所などを確認しながら立志式と同じコースを歩き、75分後に会場の湯の児海水浴場に到着しました。2人によると、とんとん峠「越」えも「鍛えてるからきつくなぁ~い」だそうです。当日は晴れると良いですね。

 

【2学期を振り返って4】060103

2年生 T.Iさん

 私は2学期に頑張った事が二つあります。一つ目は文化祭です。初めて文化会館で文化祭を行ったので、2年生の発表はとても緊張しました。ですが、みんなと力を合わせ、最高の劇にすることができました。合唱コンクールでも昼休みや放課後の練習の成果を発揮することができ、優秀賞をとれて嬉しかったです。

 二つ目は文化祭です。三日間、公共の場でのマナーやルールを守り、周囲への配慮を持ちながら楽しむことができました。また、班別自主研修では自分たちだけで考える、臨機応変に行動する力が付きました。

 三つ目は生徒会役員選挙で応援者になった事です。早朝のあいさつ運動なども大変でしたが、立候補者を支えている実感がわき、楽しみながら頑張ることができました。私は人前で演説をしたことが無いので、本番はとても緊張しましたが、最後まではきはきと応援演説をすることができました。

 最後に、私は3学期に頑張りたいことがあります。それは勉強です。来年度はいよいよ受験生です。授業もこれからもっと難しくなると思います。分からないことがあったら友達や先生に聞いたり、勉強と向き合う時間をもっと増やしたりして頑張りたいと思います。

【2学期を振り返って3】060102

1年生 Y.Sさん

 僕は2学期、小学校で味わえなかった経験を二つしました。これまでの僕は、人前に立って何かをしたり、何かを頼まれることはありませんでした。しかしそういう経験をし、楽しい二学期をおくることできました。

 まず、合唱コンクールの指揮者です。僕は歌を歌いたかったけれど、急遽指揮者となりました。最初は不安でした。僕は覚えることが苦手なので、指揮を覚えられるか心配でした。時間はかかったけど、どうにか指揮を振ることができました。緊張したけれど、挑戦して良かったと思っています。来年も挑戦してみようと思っています。

 二つ目は、生徒会選挙の応援者です。最初に頼まれた時、僕が責任者になっていいのか、とても心配でした。理由は、今までそんなことを任せられたことなかったし、僕よりももっとふさわしい人がいるんじゃないかと思ったからです。でも、立候補者と話す内に、「任せてもいい存在になったのかな」と思い、正直嬉しかったです。特に、朝早く起きて臨んだ、選挙活動は頑張りました。そして以外に楽しかったです。挨拶すると返してくれる人が多く、あいさつをすることの大切さや気持ちよさをそこで学んだ気がします。

 指揮者も応援責任者も、不安が多かったですが、やってみると意外に楽しくやりがいがありました。これからも色々なことに挑戦してみようと思いました。

【謹賀新年】060101

 明けましておめでとうございます

 本年も水俣二中をよろしくお願いいたします

今年の干支は「甲辰(きのえたつ)」です。

「甲」は「甲乙丙丁」の最初の文字で、物事の始まりととらえることができます。

「辰」は「ふるう、ととのう」という意味があり、発芽した植物がしっかりとした形になる、つまり成功ととらえることができます。

 新しいことを始めて成功する、いままで準備してきたことが形になるといった、縁起のよい「甲辰」。良い年にしましょう。

【虫の知らせ】051231

 平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れました。前日の30日は、次男を熊本市に迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、夜も遅かったため助手席の次男と「また1日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。

 31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。

 『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。実は妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言われたそうです。

 搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しましたが、丸7年間芦北町の病院に入院したままです。

 実はこの原稿を書いていた今年の11月17日の夕方、市P連の会議のため学校に残っていると、妹から「父が危ない状態にある」という連絡が入りました。病院は感染症予防のため面会が制限されています。私も体調不良が続いていたため会えずにお別れを覚悟しました。

 24日の夜、県PTA大会の反省会の終わり頃に「危機を脱した」との連絡が入り一安心しました。

 倒れた前日も今年も父のことを考えていました。虫の知らせでしょうか。