学校生活

日々の生活の中で

【学校生活】卒業生を送る会

 3月12日(金)、5・6時間目の卒業式全体練習のあと、生徒会主催の「卒業生を送る会」を体育館にて開催しました。

 卒業生一人ひとりに、在校生からのメッセージが伝えられ、手作りのメッセージカードを渡しました。

 そして、在校生が感謝の言葉をみんなで伝えた後、花は咲くを手話をつけて歌いました。

 この歌は3年生が、東日本大震災を風化させないように、また、ふるさと鹿北への思いをしっかり見つめていきたいとの趣旨から、今年度から歌い始めた歌です。

 その後、先生方からも「さくら」の熱唱!

 3年生からは、お礼の言葉と、在校生へのメッセージを広用紙4枚分の大きさに書き、たくさんの思いを伝えてくれました。

 卒業生と在校生が思いを伝え合うステキな時間となりました。

 

【学校生活】熱い思い、いただきました。鹿北の給食は最高です!

 3月11日(木)、今日の給食の御飯は、赤飯でした。

 3年生にとっては、明日で最後の給食です。卒業の日を迎える3年生のために、お祝いの意味を込めてのお赤飯。3年生の心にしっかり届きました。

 温かな心遣い、ありがとうございました。

 そして、3月12日(金)の給食には、鹿北の給食にはなくてはならない「梅ゼリー」がついていました。

 この梅ゼリーは、本校の校長先生をされて、現在は山鹿市教育委員会教育委員の先生からいただいた梅でつくられたとのことです。

 先生は、中学3年生にぜひ食べてほしいとの思いで給食室に持ってきてくださいました。

 鹿北の子どもたちは、地域の方々から期待され、愛されています。これは、とても幸せなことです。

熱い思いとともにいただきました。ありがとうございました。 

【学校生活】3.11東日本大震災から今日で10年

 3月11日(木)今日で東日本大震災から10年が経ちました。しかし、まだまだ復興の途上にあります。

 1年生は、10時00分より、カタリバオンライン特別プログラム、旧大川小から全国の子どもたちへ届ける「防災と命の授業」 ~もしもはいつもの中に~に参加しました。

 この授業には、全国から2000人以上の小中高生が参加しました。

 授業を行うのは、大川小学校で当時12歳のお子さんを亡くされた、女川第一中学校元教諭・佐藤敏郎氏。

 旧大川小では、東日本大震災で全校児童の7割に当たる74名の児童と10名の教職員が死亡・行方不明となりました。

 多くの犠牲者がでたこの学校を建て壊すのか、残していくのか、地域全体での長い議論の末に震災遺構として未来へ残していくことが決定し、この春、防災・減災に関する学びの場として、新しいスタートを迎えようとしています。

  「大川小学校はよく『あの大川小』と言われます。それは、悲惨な場所、悲しい場所という意味で。

 しかし、大川小のフェンスには、未来を拓くと今も掲示されている。

 みなさんは、『大川小をどんなところ』と聞かれたら、『未来を拓く場所』と答えてほしい。

 地震発生は、14時46分。大川小の時計は、15時37分で止まっている。

 この地震発生から津波が来るまで51分間ある。この51分で何があったのか。

 近くには歩いて1分で登れる山がある。でも避難できなかった。

 大津波警報がでていたが、校庭にとどまっていた。

 そして、最後の1分で逃げた。

 山に登れば助かった。しかし、橋の方向へ逃げて亡くなってしまった。

 なぜ、逃げられなかったのか。

 

 1分間 自分の心の中の思い、気持ちを書いてほしい。」

  「なぜ、あの時逃げることができなかったのだろう?10分間話しあってください。」
 固定概念を捨てる

 津波がここまでは来ないと思っていた

 大丈夫だと思っていた

 学校は安全と思っていた。

 パニックになってしまった

 誰も想定していなかった

 

 津波が発生することを予想していたのに、対応できなかった。

 富士山噴火、南海トラフ、予想しているが、今日は大丈夫だろうとどこかで思っている。

 自分たちは大丈夫だろうとどこかで思っている。

 あの日大事だと思ったことは、今日も大事。

 空気と同じ。みんな気づかない。なくなって始めて大切さがわかる。

 命も一緒。

 何事もない時に準備。

 山に登るスイッチを入れる。スイッチをいれやすくしておく。

 逃げる人の中に自分も入っていることを想定してほしい。

 ここは学校だった。名前のシールが今も残っている。

 道はつながっている。ここから未来を拓くことを考えてほしい。 

 「佐藤先生のお話を聞いて、大川小学校は、悲しい場所じゃない。未来を拓く場所だということが、あらためてわかりました。私が思う『未来を拓く』とは、東日本大震災などで学んだことを、日常に生かしていくことだと思います。」

 

 「佐藤先生のお話を聞いて、『もしも』は『いつも』の中にある、と言われたのが心に残りました。それは、『もしも何かが起きたら』と言うけれど、その『もしも』は、いつものように過ごしている時に起こりうると思うからです。『もしも』は『いつも』の中にある、だから僕は自分の命を一番にし、大切なものを守っていきたいです。

 

 「私は、佐藤先生の、『防災は助かるためにする。だから、避難訓練は、自分の家族や自分の命のことを考えてしてほしい。そうすれば、本気になってできる。』という言葉が心に残りました。

『もしもはいつもの中にある』と『危機的状況になってから気づいても遅い』、この2つの言葉を頭に入れて過ごしていきたいです。 

【学校生活】卒業式の会場づくり

 3月10日(水)の午後、1・2年生と先生で卒業式の会場づくりを行いました。

 今年は、卒業生のすぐ後ろを保護席、一番後ろを在校生席にしました。密にならないように、1メートルの間隔をあけました。

 みんなで協力して行ったので、思った以上に早く準備をすることができました。

 壇上の松も弓道でお世話になっている先生からお借りしました。

 松を搬入すると、卒業式の雰囲気が一気に高まりました。

【学校生活】静かな学校から応援しています

 3月9日(火)、今日の鹿北中はとても静かです。なぜなら、1・2年生は、13日(土)の卒業証書授与式の振替休業日となっていて、さらに、公立高校後期選抜が今日から行われるので、3年生の中からも受検に行っている人たちがいるからです。

 シーンと静まり返った校舎の3階まで上がると、少し賑やかな声が聞こえてきます。

 声の方に行ってみると、公立高校の受検に行かない3年生15名が3年生教室にいました。

 今日は、この15名の生徒とわずか数名の先生のみが学校に来ています。

 そして、その3年生も給食後下校です。

 時が止まったような鹿北中から、公立高校後期選抜にチャレンジしている3年生のことを思いながら過ごしています。