令和8年度生徒会スローガン
令和8年度年間行事予定.pdf ※変更になる場合があります。
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令和7年度の最終週です。午前中は水俣二小の卒業証書授与式に参列してきました。森校長からは「これから進む道は楽な道ばかりではない。1年間言い続けてきたように、自分の頭で考え、判断し、より良い選択をすることが大切である」こと。市長からは「未来は与えられるものではなく、自ら切り拓くものである」こと。PTA会長からは「人との出会いは財産である」ことが伝えられました。
二小卒業生の内、52人が二中に入学します。成人まであと6年。風格ある二中生を目指して、認め、褒め、励まし、鍛え、伸ばします。
中学校は今日が今年度最後の給食です。メニューは「麦ごはん・牛乳・魚そうめん汁・梅おかか和え・うま(馬)かコロッケ」でした。給食センターの皆さん、特に昨年度から二中の食育に関わり、研究発表会にも協力いただいたH先生、おいしくて栄養のある給食をありがとうございました。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…
2・3年生の顧問は数学科の長船健二先生でした。バレー経験はありませんでしたが、数学科らしく角度、統計、確率などの用語で指導をされていました。
大会前の練習は高3の先輩にずいぶんお世話になりました。一度、前述の上級生から熱くなったアスファルトの上で手押し車をさせられ、ほぼ全員が火傷するという理不尽な指導を受けたことがあります。その最中に高3の先輩登場。先輩が神の使いに見えました。2年生の先輩がその後どうなったかは想像の通りです。
3年時の中体連大会会場は準決勝で大野中学校に敗れました。当時は中学校数が多かったので、大会は水俣市と葦北郡が別でした。3年生の時の県中体連大会ではソフト部が優勝、柔道部が準優勝。郡陸上総合優勝、郡駅伝優勝。女子バレーの全日本ジュニア選手や3人のプロ野球選手を輩出するなどスポーツが強い学校で、体育の授業でも随分鍛えられていたため、高校の体育はとても楽に感じました。(とりあえず完)
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
柔道部入部を逃げ続け、最後の手段で5月頃にバレー部に入りました。練習はプール横の外コート。フライングレシーブで体育服は黄土色、血だらけです。胸のあたりに裏からタオルを縫い付けるのがケガ防止策です。
2年生の先輩方の指導はかなりハードでした。山にランニングに行くとワラビ採り(売って先輩の小遣いになります)に行かされ、収穫量が少ないとビンタ、多くても時間がかかりすぎたとビンタ、1年生は普段入れないのに、部室が散らかっているとビンタ、歯医者に行くのはビンタされてから。はたして練習に行っているのかビンタされに行っているのか。「殴ったね! 親父にもぶたれたことないのに!」です。
時には世の中で一番苦手なクモを持って追いかけてきたり…、これでまだ半分くらいです。筋トレも1年生だけ気が遠くなるような時間や回数が単位、友達は200mグラウンド一周フライングレシーブというのもありました。非科学的特訓で体と心を随分鍛えられました。昭和です。嫌な思い出は、された方は40年以上も前の事でも覚えているという話です。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
中学生になって最初の中間テストの朝は、いつものように友達と体育館でバスケットボールをして遊んでいました。ギリギリに教室に帰ると担任の太田先生から「テストの朝は勉強せんばいかんとぞ。」と随分叱られました。小学生の頃は試験範囲も狭く、問題も簡単だったのでなめていました。感覚は小学7年生です。当然良い結果が出るはずもありません。気合を入れなおして、なんとかなったのは2学期半ば過ぎでした。
得意な教科は社会・国語・美術・技術。当時、男子は技術、女子は家庭科。体育も男女別でした。得意教科はすべて今の仕事に活かされています。
3年生の1学期中間テストまで、上位30名が廊下に貼りだされていました。勉強もゲームと同じです。遊び感覚になると熱中できます。数人の友達とテスト前1週間はほとんど寝ないというばかなことをやっていました。そして、人生唯一の遅刻をしてしまいました。
今日は「春分の日」自然をたたえ、生物をいつくしむ日です。天文観測による春分が起こる春分日が選定されて休日とされますが、通常は3月20日から21日ごろのいずれか1日(計算では令和9年・13年・17年が21日、他は20日)となるようです。昼が長くなって「昼と夜の長さが等しくなる日」と言いますが、実際は昼の方が少し長いようです。
春分の日と秋分の日を中日とした7日間がお彼岸です。お墓参りや仏壇の掃除、お供えなどの供養を行い、自分自身の日頃の行いを振り返り、見つめ直す期間です。彼岸のお供えといえば「おはぎ(ぼたもち)」、私もおはぎを食べながら行いを振り返ることにします。
バスケット部の練習を水俣高校の先輩たちが見に来てくれました。二中愛にあふれています。みんな毎日の練習で鍛えられてがっしりです。私の身長を越えている先輩もいました。しかし、ここに集うと顔は中学生に戻ります。いいですね。
中学生時代の顧問、モスクワ日本人学校のY先生にメッセージ動画を送りました。こちらは練習不足でした。
うん?集合写真の後ろに影が…。
RKKの朝の情報番組「THE TIME」、二中の甲冑博士Tくんの登場は明日19日(木)朝6時15分前後の予定です!
運動場ではサッカー、バレーボール。教室では先生と勉強、作文、語り合い。1年生それぞれの昼休み。あと2週間で先輩になります。
土日に秋山幸二杯中学生野球大会が開かれ、水俣市4校合同チームが優勝しました。大会MVPには4試合中2試合で勝負を決めるヒットを放った、二中のMくんが選ばれ、SBホークスの元監督であった秋山幸二さんのサイン入りボールが授与されました。
土曜日に開かれた郡市新人バドミントン大会でも上位入賞選手が複数出ました。新年度に向けて部活動も活気づいています。
12日、1年生は熊本地方気象台の皆様による「知識」「考える」「行動する」3つの力をつけることを目的にした、防災についての出前講座を行いました。平成28(2016)年当時、1年生はまだ保育園児と幼く、水俣は熊本地震の被害もほぼない地域でしたので実感を伴うところまでは難しかったかもしれません。ところが、昨夜は震度4の地震が発生。私も繰り返す揺れを警戒して1時過ぎまでは起きていました。1年生も、今回の学びを自分事として捉えたのではないでしょうか。
「天災は忘れた頃にやってくる」寺田寅彦
今朝、アジサイの水遣りに行くと、生徒会長が運動場を走っていました。帰る時に私に「水遣りありがとうございます。」とお礼を言って帰りました。さすがです。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
1年時に2名の転出者がいたため、2年生から135名の3クラスになりました。(その当時の1学級の上限は45人でした。現在は40人です。)担任の林田洋文先生がよく使われる「すこぶる」は田浦弁では聞いたことがありません。どんな意味かと辞書で調べました。社会は競衛先生。特徴的な黒板の文字をみんなで真似していました。中学生は影響を受けやすいものです。現在水俣一中勤務のM先生は、授業に位置づけられた必修クラブで競先生の中国語クラブに入っており、そこで習った中国語の歌を良く歌っていました。
理科の大崎先生の授業では、三角定規2つを組み合わせて「力の分解」をすることができない者が、あーでもない、こーでもないと踊るという「定規踊り」を教わりました。
水素を集めて火をつける実験では、指示のあった試験管ではなく、先生に隠れてビーカーに集めて爆発させた強者もいました。当然、厳しい厳しい指導が待ち受けていました。彼は酸化カルシウムと水の反応実験でもやってくれました。興味の高さプラス若気の至り。その後、理系に進んだと聞いています。
とにかく学習内容以外のことだけが記憶されるのが世の常です。私も生徒に会うと「授業中にガンダムを見せてもらった。」と言われます。ガンダムダブルオーを「世界紛争」の授業の導入に使っただけですが、たぶん授業の内容は忘れられています。生徒の記憶に残っているのは「ガンダムを観た!」です。
休みの日は5回連続で昔話です。私が過ごした昭和の田浦中はこんな時代でした。1年2組担任のM先生が通っていた平成終わりの田浦中とはずいぶん違うはずです。
遠い昔、遙か彼方の田浦で…。
入学式は昭和53年4月10日(月)、新入生は137人でした。
男子は校則で丸刈り。入学直前に刈るのは恥ずかしいということで、ほとんどが小5の夏休みには丸刈りにしていました。田浦中学校の校則改正(長髪可)は平成7年からです。
小学生にとって中学校は未知の世界。田浦小・小田浦小・海浦小・井牟田小の4校から知らない生徒が集まるし、先輩との上下関係は厳しいし、すぐに体育館や部室の裏に呼ばれるらしいとのウワサ(事実)があるし、今のように小中のなめらかな連結を図る取組もなく。私自身も長男で中学校の情報は全くなく、緊張感は今の6年生の比ではありませんでした。
担任は柔道部顧問の太田先生、私は中学入学時の身長が172㎝と大きかったので、帰りの会後に教室を出る時、毎回のように「柔道部に入らんか。」と勧誘されました。県トップの実力がある柔道部です。どう逃げるかが私のチャレンジでした。
担任の太田先生は球磨教育事務所の管理主事をされていたので、私が人吉三中勤務の時の学校訪問等で大変お世話になりました。同級生は「太田先生から良く怒られた。」と言いますが、大人になってから指導を受けたのは私くらいです。
2年生は走り幅跳びの授業です。目指すは男子走り幅跳びの世界記録、マイク・パウエルの8m95cm(1991年)です。助走前にみんなから手拍子をもらい気合が入ります。友達からは「二中のブログに載るぞ~。」と声援が飛びます。踏切ばっちり!ジャ~ンプ!後ろに倒れ、着地失敗!距離は出たのに~。今日も楽しい体育の授業です。
今日は熊本県立高校の合格者発表日です。インターネットによる合否照会サイトでの発表ですので、下の「合否照会の手引き」をご参照ください。なお、各高等学校のホームページでの発表はありません。
アインシュタインが授業中に9×1=9、9×2=18と黒板に計算を続けました。そして9×9=81の次に9×10=91と書くと、学生は笑いました。
アインシュタインは言いました。「9×1から9×9まで正しく解いたのに、誰もそれをほめなかった。しかし、9×10のたった一つの間違いにみんな笑った。」「間違いは挑戦の一部で、間違えないのは挑戦しない人だけだ。」
今日が新たな生活のスタートです。失敗を恐れずチャレンジしましょう。
平成23年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。震災による死者・行方不明者は1万8428人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4893戸が公式に確認されています。日本国内で自然災害により1万人を越える死者・行方不明者が出たのは、戦後初めて(明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模)です。
平成23年、当時の宮本勝彬水俣市長は、公式確認から55年を迎える水俣病の経験を踏まえて、水俣病被害者や水俣市民が差別や偏見を受け、風評被害による様々な影響があったこと、原発事故で起こっている問題は、水俣病と重なる部分が極めて多いことなど、震災による原子力発電所の事故を受け、避難者への差別や偏見をやめるよう呼び掛ける緊急メッセージを市のホームページに掲載されました。
震災後、福島県出身の水俣一中の保護者の思いがきっかけとなって、福島県と水俣市の中学生の交流事業が始まり、数年に渡って継続されました。
私は、平成25年11月に福島県で開かれた事前学習会に水俣市の教頭を代表して参加し、福島県の中学生に水俣二中の環境教育の取組について講話を行いました。前日に仙台空港に着きました。タクシーの運転手さんは「私は、今は他県からのお客さんに語ることで、やっと心を落ち着かせることができている。」と話されていました。
閖上浜に着くと、他県在住の閖上地域出身の方に出会いました。やっとここに来る決意をしたそうです。「自分が知っている風景が何もない。」と涙を流されていました。
帰熊の日は楽天イーグルス初優勝パレードでした。前日の懇親会で福島県のPTA役員さんは、スポーツが元気をくれるということを強く語られていました。
先生方のメッセージの最終回です。みんなから愛された卒業生でした。
学年主任YY先生:3年前、みなさんとともに二中に赴任しました。真新しい、少し大きめの制服を着て入学してきた姿が昨日のように思い出されます。「どんな姿で卒業していくのかな?」そんな思いでみなさんとの二中での生活がスタートしました。
3年間を共に過ごし、日々成長していく姿にいつも感心させられていました。素敵な時間を本当にありがとうございました。これからのみんなの輝く未来をこれからも応援しています。
進路指導主事MY先生:3年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。3年前、私も皆さんの入学と一緒に(2回目の)水俣二中に来ました。今年度は、よりみなさんの近くで過ごさせていただき、とても嬉しかったです。またぐんぐん成長していく姿に大きな可能性を感じさせていただいた1年間でした。
さて、サン・テグジュペリの星の王子さまの中に「本当に大切なものは目に見えないんだよ。」という言葉があり、私は小学生の時にこの言葉と出合いました。今、この歳になり、みなさんに伝えたい「目に見えない大切なもの」は「あ・愛、い・命、う・運、え・縁、お・恩」です。これからも自分や周りの方々の命や見えないものも大切に、しなやかにたくましく、感謝の思いで豊かに生きていってくれることを願っています。
副担任FT先生:どんな人にも生まれてきた理由があり、生きていく上で誰かや何かに必要とされているものです。これからの未知の人生は失敗の繰り返しだと思います。ただ、失敗には成長につながるヒントが必ずあります。失敗して諦めてしまえば失敗のまま、しかし、そこで得たものを次に生かしていけば、失敗は失敗ではなくなります。これまでの9年間はその失敗を成功に変えるための布石です。失敗を成功へと導くすべを得た今、あなたは将来を見据え、その土台にどんなものをどんな形で積み上げていきますか…。それがあなたのこれからの人生です。
これからの人生、理想からの“引き算”ではなく、現状からの“足し算”で常にポジティブな気持ちを前面に出しながら止まることなく歩み続けてください。皆さんの前途に期待します。
昨日は、二中の伝統を継承する良い卒業式でした。最後の学活も心に残りました。先生方のメッセージの2回目です。
大成1組担任OS先生:二中の先輩として、皆さんへメッセージです。これから自分で立ち、自分で選ぶ世界へ歩み始めます。道を進みだすことで、新たな世界、同じ夢を持つ仲間と出会います。楽しい日々です。
しかし迷い、不安で立ち止まってしまう壁もあります。その壁は乗り越えることで強くなります。ですがすべてを無理に越える必要はありません。大切なのは、自分を大切にすること。主役は自分。自分らしく、自分の歩幅で歩んでください。皆さんの未来がこれからも明るく輝けますように! アンパンマンは君さ。
大成2組担任MN先生:皆さんとは1年間でしたが、家庭科の授業や大成学級の祖担任として関わらせてもらいました。欲を言うと、もっと授業をしたかったですね。保育園実習や調理実習では意外な一面を見ることができました。授業以外でも、暑い中汗だくで畑を耕していたり、体育大会のパネルはもちろん美術作品のレベルの高さに驚かされたり、とても個性豊かな3年生でした。そんな3年生に出会えて感謝の気持ちでいっぱいです。これから皆さんには多くの出会いが待っています。その一つ一つの出会いを大切にしていってください。
第15回卒業証書授与式を終えました。二中生らしい服装、礼儀、返事、そして合唱。在校生に道を示す素晴らしい卒業式でした。3年生の先生方からのメッセージです。
1組担任FY先生:みなさんとは、2年前に一緒に水俣二中に来て、入学式に一緒に入場しましたね。その時の事を本当に最近のように思い出します。あれから約3年。卒業式も一緒に入場できるとは思っていませんでした。あなたたちと過ごした3年間は本当に濃厚でした。
水俣二中に入学して、初めてを一緒に共有し、共に成長してきたような気がします。3年生になり、大人になった皆さんと接していく中で、新たな一面や、良さにたくさん気づくことができました。
さて、いよいよ4月からは高校生ですね。これまで支えてくれた人に感謝することを忘れず、自分の目標に向かって進んでいってください。そして悩んだり、困ったりしたことがあったら、いつでも大人を頼ることを忘れないでください。応援しています。
2組担任HK先生:人に何かを与えられる人間になりたい、そう思って教員になり、皆さんに一つでも多くのものを残そうと今日まで頑張ってきました。しかし、思い返してみれば、逆に皆さんから多くのものを与えてもらった3年間でした。皆さんと過ごした時間は、私にとって一生の宝物です。本当にありがとうございました。
これから先、それぞれの道を歩んでいく中で、うまくいかないこともあるかもしれません。そんなときは、理想を思い描き、思い切って行動に移してみてください。行動に移してしまえば、世の中の大抵のことは何とかなりますよ。皆さんが、それぞれの道で輝けますように。
多くの皆様から卒業生に心温まるご祝詞をいただきました。ありがとうございます。ご祝詞は式場の後方に掲示しております。
7年後くらいに学校給食生活に戻る人がいてくれたら嬉しいです。昨日が3年生最後の給食、メニューは「牛乳・きなこ揚げパン・春雨タンタン麺・ツナサラダ・お祝いイチゴゼリー」でした。ちなみに、卒業生の中学校生活最初の給食のメニューは何だったでしょう?答えはHPブログ【いただきます!】050412で見ることができます。
確認ついでに過去の二中ブログ(「学校だより」のコーナーからが簡単です。)を読み返してみてください。今夜は仲間と過ごした3年間を家族で振り返り、明日の卒業式に臨みましょう。
今日の午前中は修了式と同窓会入会式、3年生練習、全体練習を行いました。入会式ではTくんが卒業生を代表して、同窓会会長の榮永德博様に誓いの言葉を述べました。
午後からは1・2年生で式場準備を行いました。3年生教室の後方には1・2組の学級目標が残っていました。達成できたかな。
管理責任者 校長 吉田 稔
運用担当者 平野 裕明