学校生活

日々の生活の中で

76回目を迎えた「長崎原爆の日」

76回目の「長崎原爆の日」

 8月9日(月)76回目の「長崎原爆の日」を迎えました。

 長崎市の平和公園で午前10時45分から平和祈念式典が開かれ、「長崎平和宣言」が読み上げられます。

 長崎市民によってつくられた宣言は、その年の被爆地の願いや問題意識が詰まったものとなります。

長崎の高校生が「人間の鎖」

 平和祈念式典に先だって近くの爆心地公園で早朝、核兵器廃絶を訴える署名を国連に届けている「高校生平和大使」らが集会を開催。

 約80人が原爆落下中心地碑を囲む「人間の鎖」を作り、平和を祈リました。

 高校生は原爆犠牲者の冥福を祈って碑に献花した後、新型コロナウイルスの感染防止のため手はつながず、手袋をした手に赤いリボンを持って「鎖」をつなぎ、核廃絶への結束をアピールしました。

 参加者を代表して高校生平和大使の長崎県立ろう学校1年の女子生徒が、次のように平和宣言を述べました。

 「1月に核兵器禁止条約が発効し、核兵器廃絶への大きな一歩になった。被爆者が高齢化する中で、私たち若者の力で平和な世界を実現していく。」

平和宣言【平和祈念式典にて】

 今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。

 世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。

 核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山(たくさん)の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。

 このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。

 原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。

 小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。

 人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。

 この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。

 一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
 この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。

 日本政府と国会議員に訴えます。

 核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。

 「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。

 核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。

 国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米露がさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。

 地球に住むすべての皆さん。

 私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人一人が当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。

 核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人一人が声をあげ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。

 「長崎を最後の被爆地に」

 この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人一人が持ち続けるべき希望なのです。

 この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。

 長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。

 被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。

 原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意をささげ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。

2021年(令和3年)8月9日

  長崎市長 田上 富久

平和祈念像

 長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。

 天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いが込められています。

 毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言が読み上げられます。 

平和の泉
 原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。

 その痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて、平和公園の一角、平和祈念像の前方に「平和の泉」はつくられました。

 直径18メートルで昭和44年に完成しました。

 平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれています。

 

【学校生活】失敗は成功のもと

 8月6日(金)の午後、理科室では科学展に向けての実験や取組が行われていました。

 今日は、1・2年生の男子生徒が試行錯誤しながらも、楽しそうに活動する姿が見られました。

 なかなかうまくいかなかったりと悪戦苦闘していますが、そのこと自体がすばらしい「学び」になっています。

「失敗は成功のもと」、今の頑張りは必ず大きな実を結びます

【学校生活】はるかのひまわり

 8月6日(金)、今年もはるかのひまわりが開花しました。

 このひまわりは、はるかのひまわり絆プロジェクトからいただいた種を植えて育てたものです。

 水やりをしたり、雑草を取ったり、成長を見守りながら「いのち」について考え見つめる機会となっていました。

 はるかのひまわりの開花は、いのちの輝きそのものです。

 鹿北中生全員が、ひまわりの開花を喜んでいます。

【学校生活】備えあれば憂いなし

 8月6日(金)、現在日本の太平洋上には3つの台風があり、その中でも9号の動きが気になるところです。

 明日から、3連休となることから、各学年で分担して飛ばされそうなものを室内に移動したりしました。

 「備えあれば憂いなし」です。
 

【学校生活】平和への誓い

 8月6日(金)、76回目の「広島原爆の日」を迎えました。

 午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者を出し、今もなお苦しみの中で生きておられる方々がいます。

 私たちは、76年前の出来事を決して忘れてはなりません。

 鹿北中では、今日は半旗とし弔意を表すとともに、原爆が投下された8時15分、全員で黙とうを行いました。その後、3年生代表生徒が平和への決意を発表しました。

 ユネスコ憲章前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とあります。

 鹿北中生一人一人の心の中に、どのように平和のとりでを築いていくのか、全校生徒とともに日々考え実践化していきます。

 平和への誓い

 私たちには使命があります。あの日、広島で起きた悲惨な出来事。そのことを知り、被爆者の方々の思いや願いを聞き、考え、平和の尊さや大切さを、世界中の人々や次の世代に伝えなければならないのです。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。赤く燃え、真っ黒に焼け焦げてボロボロになった広島の町。「兄が死ぬより、わしが死んだ方がよかった。」、大切な人が亡くなった悲しみと生き延びた者の苦しみには終わりがありません。

 心に深く傷を負った被爆者は、それでも前を向き、「僕ら若人の力によって、きっと平和な世界を築き上げてみせる。」と決意しました。悲しみや苦しみを抱えながらも、被爆者の方々は生きることを決して諦めず、共に支え合い、広島の町の復興に向け立ち上がりました。

 本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。

 私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。

 争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。

 広島市立袋町小学校   6年 伊藤まりあ

 広島市立五日市東小学校 6年 宅味義将

【学校生活】山鹿市英語暗唱大会に向けて

 8月5日(木)、朝7時30分から全校体育(克己タイム)、部活動と暑い中一生懸命頑張ることができました。

 部活動終了後、ランチルームでは、9月に行われる山鹿市英語暗唱大会に向けて練習に取り組んでいました。

 英語の先生と共にALTの先生にもアドバイスをいただきながらの練習は真剣そのもの。

 まだまだ、練習が必要ですが、練習するごとに上達していくことを実感できます。

 鹿北中の代表として、練習を重ねることで自信を深めてチャレンジしてほしいと思います。

【学校生活】山鹿市校長会講演会

 8月4日(水)、10時00分より、山鹿市校長会講演会がリモートで行われました。

 講演をしてくださったのは、九州学院高校前野球部監督、坂井 宏安様です。

 「私と高校野球~教育と育成・組織~」との演題で、熱く語ってくださり、たくさんのご示唆をいただきました。

 その一部を紹介させていただきます。

九州学院野球部

・甲子園第一主義ではなく、3年間、九州学院で野球をやってよかったという野球部。

・大切にしている3つのこと(校長先生との約束)

①安全・健康が大切 

怪我や体を壊したり、心が病んではいけない。心も体も健康。

②九州学院という学校

まず、学校のことをしっかりやる。学校生活を楽しく充実。

③野球

放課後はみっちり野球に取り組む。

目標と目的は違う

・目標は甲子園出場。目的は自分の心、人間性を育てる。

スローガンは「友喜力」

・親や家族、試合に出られないなかま、地域の方々など応援してくださる全ての人を喜ばせることができる人に。

まずはしつけが大切。「躾」=身を美しく

・野球で一番になりたかったら、他のことでも一番に。あいさつで一番、ルールを守ることで一番。

・ダメなものはダメ。

・「おこる」と「しかる」は違う。

・おこるは、命に関わることなどは厳しく言う

・しかるは、人をよくするため。こうしたらもっと良くなる。伸びる。

体罰は絶対ダメ。

・言葉でどうやって納得させられるか。体罰をしてしまう指導者は、そのことを勉強していない。

身近な人を大事に

・一番身近にいる親を大事に。

・毎日弁当を作ってくれる。洗濯をしてくれる。

・だからこそ、「ありがとう」、「いただきます」「ごちそうさま」「お願いします」「ありがとう」の一言が言える人に。

・ユニフォームを着る時だけしっかりしてもダメ。

 監督に元気なあいさつ。

 それ以上に親や担任の先生、近所の方々に元気なあいさつができる人でなければならない。

・室内で大きなあいさつをするのはダメ。場を知ること、空気を読むことが大切。

野球はキャッチボールが大事

・ボールを使ったキャッチボールは野球の基本。

 しかし、言葉のキャッチボールも大切。

 これができたら今度は、心のキャッチボールができる人に。

 悩んでいる人、苦しんでいる人に声をかけることができる人に。

トイレ掃除

・九州学院では、キャプテンや主力選手が行う。便器は手でぞうきんを使って磨く。

・ヤクルトの村上選手も高校時代トイレ掃除を行っていた。

・トイレが汚いと練習をやめる。

・甲子園に行くなら、甲子園に行くだけの人格を磨く。

高校3年間

・3年間で何かを身につけてもらいたい。

・就職したとき、親になったときに、先生が言ったことは、こういうことだったんだと思ってもらえればよい。

・例年通りが一番よくない。

・練習も毎年違う。そのチームに合った練習。

・来てくれた生徒、送り出してくれた親がいる。監督も努力しなければならない。成長しなければならない。

・甲子園も大切だが、高校卒業後の進路保障もしっかり行う。校長先生との約束

・大学からも九州学院の生徒がほしいと言われる。選手として、学生コーチとして、部員としていろいろな状況であっても頑張ることができるのが九州学院の生徒だから。

甲子園

・抽選会。大阪城ホールに集まってのあの緊迫感がたまらない。

・開会式。甲子園を堂々と行進している生徒。ここまでよく頑張った。涙が出てくる。

・自分の試合。相手への大歓声の中での試合。その流れに乗るしかない状況の中での試合。子どもたちを育ててくれる。

・甲子園は人を育ててくくれる。また、人をダメにもするところ。

村上宗隆選手

・昭和の時代のにおいのする子。前向き、くじけない、やんちゃ。

・下級生を大事にする。

・決勝で秀岳館高校に負けたとき、村上は泣かなかった。泣きじゃくる後輩に対して、「オレたちが力がなかったから負けたんだ。お前たちはよく頑張った。

 秀岳館のベンチを見ろ。来年はお前たちがあんな風に喜べ」と言った。

 そして、九州学院のグラウンドに戻ってきてグラウンドで様々な思いを語り合い、みんなが帰った後、一人だけ残っていて、監督のところにきて、「先生をもう一度甲子園に連れていきたかった」と言ってわんわん泣いた。

 そんな選手が村上宗隆。

・ベンチではいつも監督の横に座って、何でも吸収しようとしていた。

・小さいときからダメなものはダメと教えられてきたのだろう。

 だから、注意されたときも、僕のために言ってくれていることを理解できている。これは親のしつけのたまもの。

人をみられたら情けない

・手が汚れたら洗えばよい、汗をかいたら流せば良い、人をみられたら情けない。

 「はい」と言ってやれるかどうか。

 「はい」と言ってやることができれば自分も爽快、人も喜ぶ。そうでないと、頼まれなくなる。「あの人は」と人をみられたら情けない。

伸びる選手

・好きでやっている。好きで練習をしている。体力があり怪我が少ない。

・がまんできる。自分のルーティーンをもっている。

・イチロー選手もずっと練習していた。毎日の小さな差が2年、3年経つと大きな差になっている。

・みんなが遊んでいる時に頑張れる子。

・10頑張るではなく、11まで頑張りきれる。やりきれる。

・きつくても、やらなければいけないと思える。

最後に

・中体連大会などで、熊本の子が頑張っていることがとてもうれしい。

【学校生活】小さな旅に出かけました

 8月3日(火)の午後、休みをとって帰宅しましたが、せっかくだから寄り道をして帰りました。

 最初の寄り道は、国道3号線の鹿北町芋生の信号を右折し、あぜ道を少し行った所にある釘の花の滝です。

 3号線をちょっと入った所にこんな滝があることに驚かされます。人は誰もおらず、滝の音と素晴らしい景色を独り占めすることができました。

 次に訪れたのは、先日学校に寄贈していただいた「熊本橋紀行」という本に掲載されていた弁天橋

 国道3号線を鹿北中方面に戻り、さらに北上し県道13号線が合流するT字路の信号機から福岡方面より、農協工場への旧道の入り口に弁天橋はあります。

 橋は、中津川に架けられている単一石造アーチ橋で橋長に比べ幅が広く欄干が低い造りになっています。

 明治14年(1881年)石工、橋本勘五郎によって架橋され、現在山鹿市の指定文化財となっています。

 注意して行かないと通り過ぎてしまうくらいですが、橋の横から川をみると確かにアーチ型の橋がかかっていました。

 小さな橋ですが橋本勘五郎がどんな思いで架橋したのか、少しの間ですが思いを巡らしてみました。

 その後、岳間方面に向かう県道18号に入り、道なりに行き、ひやみずで水をいただきました。

 ひやみずには先客がいて話を聞いてみると、荒尾から来たとのこと。

 3週間に1回は来ていますと話してくれました。ここの水はいいですよと笑顔で話してくれました。

 県道18号を途中左折して細い道を登っていきます。

 すると左手に地鶏で有名な炉端焼き山ろくが見えてきました。

 山の中腹にもかかわらず、県外ナンバーの車も多く、この店を目当てにかなり遠くからも訪れる人がいる超人気店です。

 山ろくを過ぎて、さらにひたすら登っていくとようやく星原に到着。 

 岳間茶発祥の地や関所跡の石碑が出迎えてくれました。

 ここからの眺めが最高でとても気持ちいいです。

 年に数回は訪れるお気に入りの場所です。

 時間がゆったり過ぎていく不思議な感覚とともにのんびりと景色を楽しみました。

 来た道を戻り、再び県道18号へ。そして荒平峠へと向かいました。

 荒平峠の手前、鮮やかな緑の田んぼがありました。

 気持ちのいい風がふき、田んぼが波打ちキラキラ光っています。

 こんな景色を見ながら、峠を越えて菊鹿町へ。

 ほんの少しでしたが、小さな旅の気分を味わうことができました。

【学校生活】3年生の夏

 8月2日(月)、今日は3年生だけがサマースクールです。

 3階まで上がると暑さが増してくるのを感じます。しかし、3年生教室に入るとまるで別世界。

 エアコンが効いていて快適な学習環境の中、黙々と勉強する3年生が一斉に立って元気よくあいさつをしてくれました。

 そして、すぐにまた自分の勉強に取り組みます。

 音楽部以外の3年生は、部活動を引退した後、すでに新たな目標に向かって歩む始めていました。

 夏休み、午後の図書室に行ってみると、午前のサマースクールを終えた3年生が、静かに勉強していました。昼食を持参して、自主的に勉強を行っています。

 朝8時30分から夕方五時近くまで勉強を頑張りました。

 家だとなかなか集中できないけど、学校だと不思議なことに集中して学習できるとのこと。何となくその気持ちがわかります。

 3年生にとって今年の夏は一味違う夏になりそうです。

【学校生活】暑中お見舞い(青春18切符バージョン)

 まだまだ暑い夏が続きます。

 熊本県のリスクレベルは5となり、また様々なことが制限されます。旅行に行くこともできません。

 そこで、暑中見舞いとともに、愛媛県伊予市にある海が見える駅「下灘駅」の風景(1枚は潮の香り、もう1枚は瀬戸の夕凪)をお届けします。