二中ブログ

二中の最新情報!

【耐雪梅花麗】060215

  明治10年2月15日、60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。

 人吉二中で担任をした生徒の家は、西南戦争の時の官軍の宿舎だったそうで、衣類などが残されていました。林鹿寺境内にある両軍戦死者を供養するための慰霊碑の筆は勝海舟です。

  西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。

一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難

耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安

  一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない

  鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。

  豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。

  厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。

  もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。

  元広島カープの黒田投手は高校生の時に授業で習ったこの漢詩の『耐雪梅花麗』を座右の銘にしているそうです。

【ファンレター】060214

 英語の授業で「英文でファンレターを書く」ことに取り組んでいます。中には返事やカードなどを送り返してくれる有名人もいます。2年生のHMくんのところには、とあるプロサッカー選手からカードが送られてきました。嬉しくてサッカーの練習にも気合が入りました。

 

【進路講話】060213

 2年生に向けて進路講話を行いました。私からは敢えて厳しい話だけをしましたが、みんな集中して聞くことができました。感想にはたくさんの人が入試に向けて気持ちが高まった事を書いてくれていました。2年生は個々はもちろん、集団としての表情が良いですね。

 来年度以降は推薦入試や前期選抜受検者の面接時の入室の仕方、返事の仕方、礼の仕方、話し方等、小中学校の9年間で身に付けておくべきことについては学校では指導をしないことを伝えています。あいさつは毎年1050時間の授業×2回行っています。朝の会や帰りの会、部活動を入れるともっと増えます。これだけ時間を使ってきたのに面接前に練習するのは滑稽ですらあります。

 相手の聞きたいことをきちんととらえ、短い時間で自分の考えをまとめて伝える訓練は、日々の授業が一番です。文章にまとめるのは、日々のやりとり帳や、行事の感想。一つ一つを丁寧にやるだけで力が付きます。授業中は内容と関係のないことをしゃべらない、人の意見を傾聴する、自分の考えと比較する、整理して述べる。文章にまとめると言ったことに真剣に取り組みましょう。

  子どもたちはよく「中身を見てください。」と言いますが、5分程度で初対面の人に自分の良さを伝えるのは困難なことです。が、中学校生活で頑張ってきたことがあるんだなという事は、熱の入った話し方や表情で伝わります。

 残り1年間をどのように過ごしたかで、自分の人生が変わります。

 最後にもう一つ。当日、歯が痛くなり実力を出せない人もいます。今度の春休み中に歯医者に行っておくのは絶対です。

 

【卒業式まで1ヶ月】060212

 卒業式まで1ヶ月となりました。登校日数は20日です。私が最後に3年生の担任をした平成18年度。卒業式前の学級通信にこんなことを書いていました。

 小さいころ何になりたかった?とクラスで聞いたところ「アンパンマン」、「セーラームーン」「〇〇レンジャー」などの答えが返ってきた。
 小学生のころは?と聞くと「ケーキ屋さん」「消防士」「警察官」などなど多彩。

 では今は? 一番多い答えは「まだわかりません。」

ここに有名な作文がある。 
「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は3歳の時から練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中、360日は激しい練習をやっています。だから、1週間中で友達と遊べる時間は5、6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。そして、その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です。僕が自信のあるのは投手か打撃です。
 去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そしてほとんどの投手を見てきましたが自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームラン3本を打ちました。そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得のいく成績でした。そして僕たちは1年間負け知らずで野球ができました。だから、この調子でこれからもがんばります。
 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。」愛知県西春日井郡とよなり小学校6年3組 鈴木一郎 

 作文の中に夢への揺るぎない自信と感謝の心がみえる。
 元ジャイアンツの桑田さんは18歳の頃、「清原と違い自分は天才ではない、自分にあるのは努力をする才能」と言い切った。そして今年、若い頃からの夢であるメジャーへの挑戦。 イチローさんの場合も桑田さんの場合も、夢への自信を支えているのは日々の努力。 
 最後にNBAのスーパースター、マジックジョンソン選手がアフリカ系アメリカ人の子どもたちへ宛てた手紙の一部を紹介する。
 卒業式を夢へ向かっての努力を始める日にしてほしい。
 「君には無理だよ。と言う人のことを、聞いてはいけない。もし、自分で何かを成し遂げたかったら………。
できなかったとき、他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。
 ~中略~
君の夢が何であれ その夢に向かってあがいていくんだ。なぜなら 君は幸せになるために 生まれてきたのだから。

【建国記念の日】060211

 「国民の祝日」(祝日)については、国民の祝日に関する法律(祝日法)の第 1 条に「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である。」と定義されています。今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。
 祝日法を読むと、他の祝日がすべて祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」とされていることがわかります。どうやってこの日が決められたのでしょう。
 日本書紀によると初代の神武天皇が旧暦の紀元前660 年1 月1 日に即位されたと伝えられており、それをグレゴリオ暦に換算すると2月11日になります。
 この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。
 その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。

 「建国記念の日」には「の」があり、5月3日の「憲法記念日」や2月23日の「天皇誕生日」には「の」がない。さて、この違いは何でしょう?