2021年8月の記事一覧
【学校生活】お福分け
8月31日(火)、PTA役員会が終了して校長室に戻ってみると、机上に2本のナスがおかれていました。
付せんには、「保護者の方からいただきました。」と書かれていて、お福分けしていただいたのだとわかりました。
午後8時を過ぎていましたが、心がふっと軽くなりました。
【学校生活】鹿北小中学校合同PTA役員会
8月31日(火)の19時00分より、中学校ランチルームにて鹿北小中学校合同PTA役員会を行いました。
PTA会長様をはじめ、役員の皆さまにはご多用の中、ご出席いただきありがとうございました。
本日の役員会は、25日(土)に予定されている鹿北小中学校大運動会について、感染対策をどのように行っていくのか、また、中止や延期の判断についてなどを学校の方から提案させていただき、協議を行いました。
協議内容等は、明日(9月1日)、文書にて配付させていただく予定です。
なお、ご不明な点などがございましたら、学校までご連絡をお願いいたします。
【学校生活】中体連陸上大会に向けて
8月31日(火)の放課後、中体連陸上競技大会選手発表後、さっそく種目ごとに分かれて練習をしました。
長距離がグラウンドのトラックの外側、短距離がランチルーム側とトラックの内側。投てきがグラウンドトイレ付近、幅跳びが鉄棒周辺、オープン種目の生徒は鹿北グラウンドなどに分かれて、担当の先生がついて練習に取り組みました。
パランリンピックの陸上400メートル代表の重本沙絵さんの言葉に「限界は、自分が作り出している思い込みに過ぎない」というのがあります。
また、鹿北中の先輩が残してくれた言葉に「限界の向こう側は楽しかった」というのがあります。
一人ひとりが「もうダメだ!」や「きつい!」などと思った時に、そこからが本当の勝負なのかもしれません。
日々、try&Errorを繰り返しながら、確かな成長の足跡を残してほしいと思います。
【学校生活】中体連陸上選手発表
8月31日(火)の放課後、全校生徒が三密を回避しながら、体育館に集まりました。
そして、14日(火)に開催される山鹿市中体連陸上競技大会の選手発表を行いました。
種目ごとに名前が呼ばれると、生徒は無言で起立していきます。
ほぼ全校生徒が競技に出場することとなります。
全体での選手発表のあと、長距離、短距離など種目ごとに分かれて、練習や活動場所についての説明がありました。
いよいよ明日から9月。
コロナ禍ではありますが、日々の生活と共に、様々な取組を充実させていきたいと考えています。
【学校生活】継続は力なり ガンバレ3年生!
8月30日(月)の放課後、3階各教室では、3年生が学習に取り組んでいます。
密を避けるために、少人数に分かれての学習です。
部活動や陸上練習が中止となる中でも、3年生の学習は止まることはありません。まさに「継続は力なり」です。
ガンバレ、3年生!
【学校生活】収穫のよろこび
8月30日(月)の午前、うれしいできごとがありました。
支援学級の生徒が心を込めて育てた夏野菜が収穫のときを迎え、校長室にも届けてくれました。
なす、ピーマン、オクラ、どれも色鮮やかです。
そして、おいしそうです!
「命を育て、命をいただく」、この日々の当たり前の営みが、とても尊いものなんだと、目の前の夏野菜が教えてくれているように思えてきます。
【学校生活】新しい1週間の始まり
8月30日(月)、鹿北中の1週間は、朝のランニングから始まります。
2メートルのソーシャルディスタンスをとりながら、自分が設定したタイムで走ります。
いつものように、声を掛け合い、励まし合って走ることはできませんが、それでも、友だちが走っている姿は、モチベーションを高めてくれます。
現在、中止となっている全校生徒が参加しての市中体連陸上大会の練習も、明日、放課後から18時までの時間で再開されます。
また、鹿北中生の挑戦が始まります。
【学校生活】ようこそ先輩!
8月27日(金)の午後、なつかしい出会いありました。
平成27年度の卒業生が近況を伝えに来校してくれました。
生徒会の委員会活動や吹奏楽部で活躍した当時のことがすぐ思い出されました。
時に流れと共に成長を実感でき、うれしい出会いとなりました。
【学校生活】給食が始まりました!
8月27日(金)今日から給食が始まりました。
今日のメニューは「夏野菜カレーとフレンチサラダ」です。
初夏の頃のメニューに「夏野菜スパゲティ」がありましたが、その時に感じた「夏野菜」という響きと違って、今日の「夏野菜」には、少しさびしさを感じました。
しかし、味もボリュームも最高で、特にカボチャやナスが柔らかくて甘味がありおいしさを引き立ててくれていました。
やはり、給食はいいなあと思いました。感謝です!
【学校生活】2学期始業式
8月27日(金)の9時25分から2学期の始業式を行いました。
始業式は新型コロナウイルス感染対策のため、ZOOM配信の形で行いました。
各学年と生徒会代表の4名の生徒が2学期の抱負をランチルームから、各教室やせせらぎ教室にいる生徒に伝えました。
また、養護教諭の先生が、新型コロナウイルス感染防止対策についてわかりやすく説明してくださいました。
いつもと違う形で始まった2学期ですが、この「いつもと違う」を「学び」に変えていきたいと考えています。
このような状況だからこそ、創造力豊かにアイデアを出し合いながら、感染対策を徹底しながらも、2学期を充実させられるようチャレンジしていきます。
【学校生活】2学期が始まりました
8月27日(金)、今日から2学期が始まります。
朝、登校してくる小中学生が笑顔で挨拶してくれます。朝から元気をもらいました。
今日は山鹿市教育委員会の先生方も、鹿北小・中学校のあいさつ運動に参加してくださいました。
小中学生の登校やあいさつの様子を見られて、たくさんほめていただきました。
今日は、生徒会三役、女子ハンドボール部の生徒が、いつものようにあいさつ運動を行い、ソーシャルディスタンスを保ちながら、地域の方々にも元気よく「おはようございます」と笑顔で声をかけていました。
いいスタートとなりました。
【学校生活】午後の鹿北中
8月23日(月)いよいよ夏休み最終週に入りました。
午前中は陸上練習や部活動などでほぼ全校生徒が登校しました。学校は元気に活動する生徒の姿がありました。
生徒が下校した後の学校は一気に静かになります。
しかし、そんな静かな学校ですが、いろいろな活動が行われていました。
校舎の2階、図書室では3年生が勉強に取り組んでいました。
シーンと静まり返る中、聞こえてくるのはセミの声ばかり。集中力という言葉がぴったりの図書室です。
図書室のすぐ横、パソコン室では、英語の先生がオンライン会議中。かすかに会話の声が聞こえてきました。
2階の扉を開けてグラウンドを見ながら通路を進み理科室に行くと、1・2年生男子生徒が自由研究に取り組んでいました。
科学展に出品するとのこと。科学者のような雰囲気で活動していました。
最後に、グラウンドのトイレでは、技術の先生が汗びっしょりになりながら、1時間以上掃除をしてくださっていました。
音楽の先生が冷えたお茶の差し入れると笑顔で受け取っていました。暑い中、本当にありがとうございました。
静かな中にも、いろいろな活動が行われている鹿北中の午後でした。
【学校生活】職員作業
8月20日(金)の午後、職員作業を行いました。
作業内容は、物置と化した旧給食室内の不要物と、各教室等に置かれている大型テレビの搬出準備です。
男性陣は大型テレビ、女性陣は旧給食室に分かれて作業を行いました。
あっという間に1階階段下は物でいっぱいになっていきました。
夏休み恒例の職員作業が終わると、いよいよ2学期の始まりも近いなあと、多くの先生方が感じていることと思います。
【学校生活】英語暗唱大会に向けて
8月18日(水)、サマースクールの時間、ランチルームでは山鹿市英語暗唱大会に向けての練習を行っていました。
ALTの先生にもご指導いただき、一生懸命練習に取り組んでいました。
英語暗唱大会は、9月24日(金)に行われます。約1ヶ月後の大会に向けて、悔いなく練習してほしいと思います。
【学校生活】夏休み第Ⅲ期の学習
8月18日(水)各学年の教室では、夏休みⅡ期の宿題提出と、Ⅲ期の宿題が配付されました。
鹿北中ではお盆前をⅠ期、お盆前後をⅡ期、お盆後をⅢ期と分けて、計画的に宿題ができるようにしています。
Ⅲ期の宿題をもらった各学年の生徒は、サマースクールの時間、さっそく宿題に取りかかっていました。
過ぎてしまえば、「あっという間だったなあ!」と感じるのが夏休み。これは子どもも大人も一緒みたいです。
【学校生活】新型コロナウイルス感染対策徹底
8月18日(水)、今日は朝から全校生徒が体育館に集まり、新型コロナウイルス感染対策について、再度、気を引き締めて行っていくことを確認しました。
熊本県でも感染拡大が続いており、たいへん危機的な状況となっています。
学校でも感染対策を徹底することで、感染防止は当然として、万が一感染しても濃厚接触者を極力出さないようにする体制を整えていきます。
ぜひ、各ご家庭でも感染対策を徹底されますようお願いいたします。
【学校生活】今日は全ての活動は中止です
8月17日(火)、今日から夏休み第3期が始まることになっていましたが、先日からの大雨が続いていて、災害の危険性が高いため、すべての活動を中止としました。
山鹿は1週間の雨量が1000ミリを越えていて、河川の氾濫や土砂災害gいつ起きてもおかしくない状況となっています。
ちゅうちょなく早めの避難をお願いします。
【学校生活】76回目の終戦の日を迎えました
8月15日(日)、先の不幸な対戦が終結してから、76回目の終戦の日を迎えました。
この対戦で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、世界の恒久平和をご祈念いたします。
そして、今生きていることに感謝の気持ちをもち、自他の命を尊重していくことを固く誓います。
鹿北中上空は久しぶりに青空が見られます。
午前中のみとなりますが、半旗を掲揚し、哀悼の意を表します。
【学校生活】閉庁のお知らせ
8月12日(木)・13日(金)の2日間、山鹿市内の小・中学校は閉庁となります。
緊急に連絡を取る必要がある場合には、担任または学年主任まで連絡をお願いいたします。
何卒、ご理解・ご協力をお願いいたします。
【学校生活】ようこそ先輩!
8月10日(火)、午前、午後と卒業生が来校しました。
午前中は、高校2年の女子生徒2名。中学校時代と変わらず、笑顔で楽しそうに話をしてくれました。
部活動のことや勉強のこと、そして、中学生の時のことなど、丁度教員採用試験に向けて模擬授業を行っている時だったので、懐かしい先生との再会もありました。
午後は、今年成人式を迎えた卒業生と今年高校を卒業した卒業生の兄弟が来校しました。
兄は長崎の大学に通っていて、弟は広島の自動車工場に勤めているとのこと。それぞれの自分のやりたいことが見つかり、勉強や仕事に頑張っていることが伝わってきました。
夏休みは、こんな風に卒業生と再会できる楽しみがあります。
【学校生活】夏らしい光景
8月10日(火)朝の克己タイム終了後、3年生が中庭の花壇の水やりをしていました。
花壇にはとうもろこしが植えられていますが、ものすごい勢いで成長を続けており、今はもう生徒の身長よりかなり高くなっています。
とうもろこしの向こう側に、笑顔で水やりをする生徒の姿が見えます。
夏ならではの光景だと思いました。
【学校生活】平和への誓い ~被爆者代表~
ふるさと長崎で93回目の夏を迎えました。大好きだった長崎の夏が76年前から変わってしまいました。戦時下は貧しいながらも楽しい生活がありました。しかし、原爆はそれさえも奪い去ってしまったのです。
当時、16歳の私は、大阪第一陸軍病院大阪日本赤十字看護専門学校の学生で、大阪大空襲で病院が爆撃されたため、8月に長崎に帰郷していました。長崎では、日本赤十字社の看護婦が内外地の陸・海軍病院へ派遣され、私たち看護学生は自宅待機中でした。8月9日、私は現在の住吉町の自宅で被爆して、爆風により左半身に怪我(けが)を負いました。
被爆3日後、長崎県日赤支部より「キュウゴシットウセヨ」との電報があり、新興善救護所へ動員されました。看護学生である私は、衛生兵や先輩看護婦の見様見真似(みようみまね)で救護に当たりました。3階建ての救護所には次々と被爆者が運ばれて、2階3階はすぐにいっぱいとなりました。亡くなる人も多く、戸板に乗せ女性2人で運動場まで運び出し、大きなトラックの荷台に角材を積み重ねるように遺体を投げ入れていました。解剖室へ運ばれる遺体もあり、胸から腹にわたりウジだらけになっている遺体を前に思わず逃げだそうとしました。その時、「それでも救護員か!」という衛生兵の声で我に返り頑張りました。
不眠不休で救護に当たりながら、行方のわからない父のことが心配になり、私自身も脚の傷にウジがわき、キリで刺すように痛む中、早朝から人馬の亡きがらや、瓦礫(がれき)で道なき道を踏み越え歩き、辺りが暗くなるまで各救護所を捜しては新興善救護所へ戻ったりの繰り返しでした。1週間後、大怪我をした父を時津国民学校救護所でやっと捜すことができました。「お父さん生きていた! 私、頑張って捜したよ!」と泣いて抱きつきました。
父を捜す途中、両手でおなかから飛び出した内臓を抱えぼうぜんと立っている男性、片脚で黒焦げのまま壁に寄りかかっている人、首がちぎれた乳飲み子に最後にお乳を飲ませようとする若い母親を見ました。道ノ尾救護所では、小さい弟をおぶった男の子が「汽車の切符を買ってください」と声を掛けてきました。「どこへ行くの?」と聞くと、お父さんは亡くなり、「お母さんを捜しに諫早か大村まで行きたい」と、私より幼い兄弟がどこにいるか分からない母親を捜しているのです。救護しながら、あの幼い兄弟を思い、胸が詰まりました。
今年1月に、被爆者の悲願であった核兵器禁止条約が発効しました。核兵器廃絶への一人一人の小さな声が世界中の大きな声となり、若い世代の人たちがそれを受け継いでくれたからです。
今、私は大学から依頼を受けて「語り継ぐ被爆体験」の講演を行っています。
私たち被爆者は命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います。
2021年(令和3年)8月9日
被爆者代表 岡 信子
76回目を迎えた「長崎原爆の日」
76回目の「長崎原爆の日」
8月9日(月)76回目の「長崎原爆の日」を迎えました。
長崎市の平和公園で午前10時45分から平和祈念式典が開かれ、「長崎平和宣言」が読み上げられます。
長崎市民によってつくられた宣言は、その年の被爆地の願いや問題意識が詰まったものとなります。
長崎の高校生が「人間の鎖」
平和祈念式典に先だって近くの爆心地公園で早朝、核兵器廃絶を訴える署名を国連に届けている「高校生平和大使」らが集会を開催。
約80人が原爆落下中心地碑を囲む「人間の鎖」を作り、平和を祈リました。
高校生は原爆犠牲者の冥福を祈って碑に献花した後、新型コロナウイルスの感染防止のため手はつながず、手袋をした手に赤いリボンを持って「鎖」をつなぎ、核廃絶への結束をアピールしました。
参加者を代表して高校生平和大使の長崎県立ろう学校1年の女子生徒が、次のように平和宣言を述べました。
「1月に核兵器禁止条約が発効し、核兵器廃絶への大きな一歩になった。被爆者が高齢化する中で、私たち若者の力で平和な世界を実現していく。」
平和宣言【平和祈念式典にて】
今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。
世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。
核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山(たくさん)の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。
このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。
原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。
小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。
人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。
この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。
一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。
「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。
核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米露がさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。
地球に住むすべての皆さん。
私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人一人が当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。
核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人一人が声をあげ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。
「長崎を最後の被爆地に」
この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人一人が持ち続けるべき希望なのです。
この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。
長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。
被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。
東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。
原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意をささげ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。
2021年(令和3年)8月9日
長崎市長 田上 富久
平和祈念像
長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。
天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いが込められています。
毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言が読み上げられます。
平和の泉
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。
その痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて、平和公園の一角、平和祈念像の前方に「平和の泉」はつくられました。
直径18メートルで昭和44年に完成しました。
平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれています。
【学校生活】失敗は成功のもと
8月6日(金)の午後、理科室では科学展に向けての実験や取組が行われていました。
今日は、1・2年生の男子生徒が試行錯誤しながらも、楽しそうに活動する姿が見られました。
なかなかうまくいかなかったりと悪戦苦闘していますが、そのこと自体がすばらしい「学び」になっています。
「失敗は成功のもと」、今の頑張りは必ず大きな実を結びます
【学校生活】はるかのひまわり
8月6日(金)、今年もはるかのひまわりが開花しました。
このひまわりは、はるかのひまわり絆プロジェクトからいただいた種を植えて育てたものです。
水やりをしたり、雑草を取ったり、成長を見守りながら「いのち」について考え見つめる機会となっていました。
はるかのひまわりの開花は、いのちの輝きそのものです。
鹿北中生全員が、ひまわりの開花を喜んでいます。
【学校生活】備えあれば憂いなし
8月6日(金)、現在日本の太平洋上には3つの台風があり、その中でも9号の動きが気になるところです。
明日から、3連休となることから、各学年で分担して飛ばされそうなものを室内に移動したりしました。
「備えあれば憂いなし」です。
【学校生活】平和への誓い
8月6日(金)、76回目の「広島原爆の日」を迎えました。
午前8時15分、広島に原子爆弾が投下され、多くの犠牲者を出し、今もなお苦しみの中で生きておられる方々がいます。
私たちは、76年前の出来事を決して忘れてはなりません。
鹿北中では、今日は半旗とし弔意を表すとともに、原爆が投下された8時15分、全員で黙とうを行いました。その後、3年生代表生徒が平和への決意を発表しました。
ユネスコ憲章前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とあります。
鹿北中生一人一人の心の中に、どのように平和のとりでを築いていくのか、全校生徒とともに日々考え実践化していきます。
平和への誓い
私たちには使命があります。あの日、広島で起きた悲惨な出来事。そのことを知り、被爆者の方々の思いや願いを聞き、考え、平和の尊さや大切さを、世界中の人々や次の世代に伝えなければならないのです。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。赤く燃え、真っ黒に焼け焦げてボロボロになった広島の町。「兄が死ぬより、わしが死んだ方がよかった。」、大切な人が亡くなった悲しみと生き延びた者の苦しみには終わりがありません。
心に深く傷を負った被爆者は、それでも前を向き、「僕ら若人の力によって、きっと平和な世界を築き上げてみせる。」と決意しました。悲しみや苦しみを抱えながらも、被爆者の方々は生きることを決して諦めず、共に支え合い、広島の町の復興に向け立ち上がりました。
本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。
私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。
争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。
広島市立袋町小学校 6年 伊藤まりあ
広島市立五日市東小学校 6年 宅味義将
【学校生活】山鹿市英語暗唱大会に向けて
8月5日(木)、朝7時30分から全校体育(克己タイム)、部活動と暑い中一生懸命頑張ることができました。
部活動終了後、ランチルームでは、9月に行われる山鹿市英語暗唱大会に向けて練習に取り組んでいました。
英語の先生と共にALTの先生にもアドバイスをいただきながらの練習は真剣そのもの。
まだまだ、練習が必要ですが、練習するごとに上達していくことを実感できます。
鹿北中の代表として、練習を重ねることで自信を深めてチャレンジしてほしいと思います。
【学校生活】山鹿市校長会講演会
8月4日(水)、10時00分より、山鹿市校長会講演会がリモートで行われました。
講演をしてくださったのは、九州学院高校前野球部監督、坂井 宏安様です。
「私と高校野球~教育と育成・組織~」との演題で、熱く語ってくださり、たくさんのご示唆をいただきました。
その一部を紹介させていただきます。
九州学院野球部
・甲子園第一主義ではなく、3年間、九州学院で野球をやってよかったという野球部。
・大切にしている3つのこと(校長先生との約束)
①安全・健康が大切
怪我や体を壊したり、心が病んではいけない。心も体も健康。
②九州学院という学校
まず、学校のことをしっかりやる。学校生活を楽しく充実。
③野球
放課後はみっちり野球に取り組む。
目標と目的は違う
・目標は甲子園出場。目的は自分の心、人間性を育てる。
スローガンは「友喜力」
・親や家族、試合に出られないなかま、地域の方々など応援してくださる全ての人を喜ばせることができる人に。
まずはしつけが大切。「躾」=身を美しく
・野球で一番になりたかったら、他のことでも一番に。あいさつで一番、ルールを守ることで一番。
・ダメなものはダメ。
・「おこる」と「しかる」は違う。
・おこるは、命に関わることなどは厳しく言う
・しかるは、人をよくするため。こうしたらもっと良くなる。伸びる。
体罰は絶対ダメ。
・言葉でどうやって納得させられるか。体罰をしてしまう指導者は、そのことを勉強していない。
身近な人を大事に
・一番身近にいる親を大事に。
・毎日弁当を作ってくれる。洗濯をしてくれる。
・だからこそ、「ありがとう」、「いただきます」「ごちそうさま」「お願いします」「ありがとう」の一言が言える人に。
・ユニフォームを着る時だけしっかりしてもダメ。
監督に元気なあいさつ。
それ以上に親や担任の先生、近所の方々に元気なあいさつができる人でなければならない。
・室内で大きなあいさつをするのはダメ。場を知ること、空気を読むことが大切。
野球はキャッチボールが大事
・ボールを使ったキャッチボールは野球の基本。
しかし、言葉のキャッチボールも大切。
これができたら今度は、心のキャッチボールができる人に。
悩んでいる人、苦しんでいる人に声をかけることができる人に。
トイレ掃除
・九州学院では、キャプテンや主力選手が行う。便器は手でぞうきんを使って磨く。
・ヤクルトの村上選手も高校時代トイレ掃除を行っていた。
・トイレが汚いと練習をやめる。
・甲子園に行くなら、甲子園に行くだけの人格を磨く。
高校3年間
・3年間で何かを身につけてもらいたい。
・就職したとき、親になったときに、先生が言ったことは、こういうことだったんだと思ってもらえればよい。
・例年通りが一番よくない。
・練習も毎年違う。そのチームに合った練習。
・来てくれた生徒、送り出してくれた親がいる。監督も努力しなければならない。成長しなければならない。
・甲子園も大切だが、高校卒業後の進路保障もしっかり行う。校長先生との約束
・大学からも九州学院の生徒がほしいと言われる。選手として、学生コーチとして、部員としていろいろな状況であっても頑張ることができるのが九州学院の生徒だから。
甲子園
・抽選会。大阪城ホールに集まってのあの緊迫感がたまらない。
・開会式。甲子園を堂々と行進している生徒。ここまでよく頑張った。涙が出てくる。
・自分の試合。相手への大歓声の中での試合。その流れに乗るしかない状況の中での試合。子どもたちを育ててくれる。
・甲子園は人を育ててくくれる。また、人をダメにもするところ。
村上宗隆選手
・昭和の時代のにおいのする子。前向き、くじけない、やんちゃ。
・下級生を大事にする。
・決勝で秀岳館高校に負けたとき、村上は泣かなかった。泣きじゃくる後輩に対して、「オレたちが力がなかったから負けたんだ。お前たちはよく頑張った。
秀岳館のベンチを見ろ。来年はお前たちがあんな風に喜べ」と言った。
そして、九州学院のグラウンドに戻ってきてグラウンドで様々な思いを語り合い、みんなが帰った後、一人だけ残っていて、監督のところにきて、「先生をもう一度甲子園に連れていきたかった」と言ってわんわん泣いた。
そんな選手が村上宗隆。
・ベンチではいつも監督の横に座って、何でも吸収しようとしていた。
・小さいときからダメなものはダメと教えられてきたのだろう。
だから、注意されたときも、僕のために言ってくれていることを理解できている。これは親のしつけのたまもの。
人をみられたら情けない
・手が汚れたら洗えばよい、汗をかいたら流せば良い、人をみられたら情けない。
「はい」と言ってやれるかどうか。
「はい」と言ってやることができれば自分も爽快、人も喜ぶ。そうでないと、頼まれなくなる。「あの人は」と人をみられたら情けない。
伸びる選手
・好きでやっている。好きで練習をしている。体力があり怪我が少ない。
・がまんできる。自分のルーティーンをもっている。
・イチロー選手もずっと練習していた。毎日の小さな差が2年、3年経つと大きな差になっている。
・みんなが遊んでいる時に頑張れる子。
・10頑張るではなく、11まで頑張りきれる。やりきれる。
・きつくても、やらなければいけないと思える。
最後に
・中体連大会などで、熊本の子が頑張っていることがとてもうれしい。
【学校生活】小さな旅に出かけました
8月3日(火)の午後、休みをとって帰宅しましたが、せっかくだから寄り道をして帰りました。
最初の寄り道は、国道3号線の鹿北町芋生の信号を右折し、あぜ道を少し行った所にある釘の花の滝です。
3号線をちょっと入った所にこんな滝があることに驚かされます。人は誰もおらず、滝の音と素晴らしい景色を独り占めすることができました。
次に訪れたのは、先日学校に寄贈していただいた「熊本橋紀行」という本に掲載されていた弁天橋。
国道3号線を鹿北中方面に戻り、さらに北上し県道13号線が合流するT字路の信号機から福岡方面より、農協工場への旧道の入り口に弁天橋はあります。
橋は、中津川に架けられている単一石造アーチ橋で橋長に比べ幅が広く欄干が低い造りになっています。
明治14年(1881年)石工、橋本勘五郎によって架橋され、現在山鹿市の指定文化財となっています。
注意して行かないと通り過ぎてしまうくらいですが、橋の横から川をみると確かにアーチ型の橋がかかっていました。
小さな橋ですが橋本勘五郎がどんな思いで架橋したのか、少しの間ですが思いを巡らしてみました。
その後、岳間方面に向かう県道18号に入り、道なりに行き、ひやみずで水をいただきました。
ひやみずには先客がいて話を聞いてみると、荒尾から来たとのこと。
3週間に1回は来ていますと話してくれました。ここの水はいいですよと笑顔で話してくれました。
県道18号を途中左折して細い道を登っていきます。
すると左手に地鶏で有名な炉端焼き山ろくが見えてきました。
山の中腹にもかかわらず、県外ナンバーの車も多く、この店を目当てにかなり遠くからも訪れる人がいる超人気店です。
山ろくを過ぎて、さらにひたすら登っていくとようやく星原に到着。
岳間茶発祥の地や関所跡の石碑が出迎えてくれました。
ここからの眺めが最高でとても気持ちいいです。
年に数回は訪れるお気に入りの場所です。
時間がゆったり過ぎていく不思議な感覚とともにのんびりと景色を楽しみました。
来た道を戻り、再び県道18号へ。そして荒平峠へと向かいました。
荒平峠の手前、鮮やかな緑の田んぼがありました。
気持ちのいい風がふき、田んぼが波打ちキラキラ光っています。
こんな景色を見ながら、峠を越えて菊鹿町へ。
ほんの少しでしたが、小さな旅の気分を味わうことができました。
【学校生活】3年生の夏
8月2日(月)、今日は3年生だけがサマースクールです。
3階まで上がると暑さが増してくるのを感じます。しかし、3年生教室に入るとまるで別世界。
エアコンが効いていて快適な学習環境の中、黙々と勉強する3年生が一斉に立って元気よくあいさつをしてくれました。
そして、すぐにまた自分の勉強に取り組みます。
音楽部以外の3年生は、部活動を引退した後、すでに新たな目標に向かって歩む始めていました。
夏休み、午後の図書室に行ってみると、午前のサマースクールを終えた3年生が、静かに勉強していました。昼食を持参して、自主的に勉強を行っています。
朝8時30分から夕方五時近くまで勉強を頑張りました。
家だとなかなか集中できないけど、学校だと不思議なことに集中して学習できるとのこと。何となくその気持ちがわかります。
3年生にとって今年の夏は一味違う夏になりそうです。