二中ブログ

2024年12月の記事一覧

【何だろう?】061214

 「何だろう?」とりあえず撮ってみました。ありがたい。ブログのネタが尽きない二中生です。修学旅行前の一コマでした。

 修学旅行の閲覧回数は2287回でした。昨年度越えです、ありがとうございました。月曜日以降、また写真を追加しますのでご覧下さい。

 

【家に着くまでが】061213

 2年生の皆さん、引率の先生方、名鉄観光の皆様、3日間お疲れさまでした。楽しく、学びのある修学旅行でした。今回、関わっていただい旅行会社、鉄道、バス、ホテル、神社仏閣、土産店、飲食店、観光案内など多くの方々のプロの仕事と言う視点で修学旅行を振り返ると、学びが今後に活かせると思います。よければ私たちもね。

 保護者の皆様、お迎えありがとうございます。定番の言葉で締めます。家に着くまでが修学旅行です。

【旅の終わり】061213

 新大阪駅に着きました。八代の泉中学校の皆さんがお隣りでした。芦北出身のU校長先生のお話に聞き耳を立ててしまいました。2年間に1回、1年生と2年生が一緒に修学旅行に行くそうです。引率お疲れさまでした。

【3日目昼食】061213

「なら和み館」で昼食です。校歌が書かれた水俣二中用のランチョンマットが用意してありました。嬉しい気遣いです。持ち帰った生徒と先生もいました。この後、新大阪駅に向かいます。

【大仏殿】061213

 「東大寺」金堂である大仏殿は、奈良時代に創建されてから治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に再建されたものです。現在の大仏殿は東西57mですが、もともとは88mあったそうです。大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されました。中学生の時、「大仏は大きな護符(752)」と覚えました。

【金剛力士像】061213

 高さ約8.4mの東大寺南大門の金剛力士像は、鎌倉時代初頭の建仁3年(1203)に運慶や快慶ら仏師たちによってわずか69日間で造像されました。迫力に圧倒されます。

 口を開いた「阿形(あぎょう)」と、口を閉じた「吽形(うんぎょう)」の二つの像がありますが、「あ」とは全ての始まりや根源を意味し、「うん」とは全ての終わりを表しています。

【薬師寺】061213

 白鳳時代、天武天皇が皇后・鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ/のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。持統天皇が即位してから藤原京に造営、平城遷都に伴い、養老2年(718)に現在地に移されました。

 数次の火災により、創建当時から現存する建造物は東塔(国宝)のみです。東塔は「凍れる音楽」という愛称で親しまれています。

【最終日】061213

 リーガグラン京都の皆様には大変良くしていただきました。ありがとうございました。3階のロビーから続く長いエスカレーターを降りたら、バスで薬師寺に向かいます。

【3日目朝食】061213

 疲れが表情に出ています。修学旅行最終日です。今日は薬師寺、奈良公園、東大寺見学の後、奈良市内で食事をとって水俣への帰途につきます。奈良公園ではけっこう歩きます。テーブルには好きなものが並んでいました。しっかりおかわりをして充電しましょう。

HP閲覧数は672825からスタートです。

【疲れました】061212

 班長会議、ちょ〜疲れています。明日朝も5時半起床です。もう限界です。昨夜のブログと比較してみてください。自然に座り込みます。今夜はすぐ寝ます。みなさんおやすみなさい。

【2日目夕食】061212

 みんなずいぶん疲れています。O先生は21760歩、16kmでした。Y先生は24283歩、18kmでした。生徒も同じくらい歩いています。全て徒歩という班もあったように聞きました。強者です。疲れは食事と入浴、睡眠で回復します。それでも効かないときは、味方全体のHP(ヒットポイント)を回復する呪文は「ベホマズン」です。

【京都駅】061212

「京都駅」空に続くような階段のイルミネーションが綺麗です。土産物屋さんで多くの生徒を見かけます。

 特撮好きの私にとっては、1999年の映画「ガメラ3 邪心覚醒」でガメラとイリスが戦って壊された場所です。事前に映画を観て予習をしてきました。聖地巡礼になりました。

【清水寺】061212

「清水寺」今日は日本漢字能力検定協会が選ぶ「今年の漢字」の発表の日です。いい字一字(いいじいちじ・1212)」の語呂合わせだそうです。書かれているところを横から撮影しましたが、残念ながら文字は見えませんでした。清水の舞台で1時間も待ったのに。漢字は「金」だったそうですね。

 778年に賢心は夢のお告げで北へ向かい、音羽山に着きました。金色の水流を見つけた賢心がその源をたどっていくと、滝行を行い千手観音を念じ続けている行叡居士という年齢200歳になる行叡居士という修行者に会いました。彼は賢心に「あなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」といい残して去って行きました。観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み安置しました。これが清水寺の始まりだそうです。

 後に征夷大将軍となった坂上田村麻呂が清水寺を建立し、東国の平定参拝をしたといいます。

【八坂神社】061212

「祇園さん」と呼ばれ親しまれています。主祭神の素戔嗚尊(すさのをのみこと)はあらゆる災いを祓う神様として信仰されています。祇園祭の胴元としても知られます。