二中ブログ

2025年7月の記事一覧

【海の日】070721

 今日は海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う「海の日」です。田浦に住んでいた子どものころは、御立岬海水浴場も整備されておらず、海水浴場は「太田の浜」が主でした。私が卒業した田浦小学校の旧校歌には「太田の浜の白波に~」、田浦中学校校歌には「朝なぎの太田の浜に新潮光り」と太田の浜が一番の歌詞に読み込まれています。田浦(たのうら)の語源は手浦(てのうら)、手の指のように海岸線が入り組んでいることを表しているそうです。「手(て)」は「手綱(たずな)」のように「た」とも発音します。 

 では、海に関するクイズを少し。

1 海岸線が長い都道府県を順番に5つ答えなさい。

2 海がない県はいくつあるでしょう。

3 河豚と書いてフグ、水豚はカピパラ、では海豚は?ついでに海狸は?

【答え】 

1 1位:北海道4,460km 2位:長崎県4,183km 3位:鹿児島県2,666km 4位:沖縄県2,037km 5位:愛媛県1,716km

2 8つ(栃木県・群馬県・埼玉県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県・奈良県)

3 海豚(イルカ)、海狸(ビーバー)

 祝祭日に関連付けて、いろいろなことに興味を持ってくれると嬉しいです。

【カマキリ】070720

 大成農園の野菜に虫が集まると、捕食者もやってきます。「カマキリ」の名前は「鎌で切る」から「鎌切り」となったという説と、「キリ」はヤブキリ、クサキリ、ササキリなどのキリギリスの仲間の名に含まれる「キリ」で、「鎌をつけたキリギリス」の意味という2つの説があるそうです。

 カマキリは獲物をねらうときに、胸の前でカマをそろえて静止しますが、これが祈っているように見えるということで、「おがみ虫」という方言で呼ぶ地方も多いそうです。英名は「Praying mantis」です。「pray」は「祈る」、「mantis」はギリシャ語で「預言者や占い師」を意味します。

 次の話は何ということわざになったでしょう。中国の斉の荘公が猟に行ったところ、ひかれそうになりながら、前足を振り上げ車に向かってくる虫がいた。荘公が家臣に「これは何という虫だ」と尋ねたところ、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えた。荘公は「この虫が人間なら勇士だな」と言って車を避けさせた。『韓詩外伝』

※蟷螂の斧(とうろうのおの)

 

【社会を明るくする運動】070719

 「社会を明るくする運動」の標語の入選作品が決定しました。作品は立て看板にして市内各所に掲示されます。写真は二中正門横のPTAヒマワリ園。先週末から咲き始めました。こちらは二中の「社会を明るくする運動」です。

自分から 笑顔でいれば いい気分 1年NSさん

みんなでさ 楽しく過ごす この町で 1年SAさん  

本当に 使っていいの そのサイト 1年MMさん

ねぇまって 観て見ぬふりも いじめだよ 1年FHさん

薬物で 一つの未来 くずれ散る 2年UJさん 

見つけよう いろんな人の いいところ 2年MNさん

手をつなぎ 歩けばきっと 明日がある 2年NTさん

「大丈夫?」 その一言で 救われる 3年FNさん

今どっち? 傷つける人 救う人 3年YAさん

流されず 自分で判断 良し悪しか 3年HYさん

 

【1学期終業式】070718

 各学年の先生に「どんなところが成長しましたか?」と聞いてみました。

 1年生:長距離走の朝練習に参加している生徒が多くいます。小学生の頃はついていけるかなと思っていた人も多かったようですが、先輩に刺激を受けて頑張っています。全体的にきついことの中に楽しみを見つけようという雰囲気ができてきました。
 2年生:両クラスとも男女の仲が良く、居心地の良い雰囲気があります。授業中の返事や反応が心地 よく、学ぶ姿勢ができてきています。朝自習テストの結果を見ても、地道に勉強している様子が見えるようになってきました。
 3年生:競技で勝負という本来の体育大会の姿を大切にした取組ができました。生徒会執行部と各委員会は、何をやっているかが見える活動ができています。行事や諸活動を通して3年生らしい姿に成長しています。テストや説明会、三者面談を通して進路意識が高まり、勉強しようという空気もできてきました。
 というように、どの学年も成長の跡が見えました。

 さて、中学生にとって明日から勝負の夏休み。「夏を制する者は〇〇を制する」とはよく聞く言葉です。ですが努力の結果はすぐ出るものでもありません。大事なのは継続することです。学期中より自由が利く夏休みは、自分を律し努力を継続するには良い機会です。

 勉強、読書、ニュース視聴。頭を鍛える夏にしましょう。

 家の手伝い、社会体験、ボランティア活動。心を鍛える夏にしましょう。

 駅伝練習、部活動、社会体育、スポーツ活動。体を鍛える夏にしましょう。

 最後に長期休業前のいつもの約束です。事故は夏休みの最初と最後の1週間に集中して発生します。4つの車にお世話にならないようにしましょう。

 

【研究授業】070717

 昨日の5時間目はFY先生と給食センターのH先生が研究授業を行いました。講話をお願いした大澤さん、農山さん、天野さん、森下さんや生産者・旧センターの皆さんの取組を思い浮かべながら、食について考えました。

 

【GT講話(森下さん)】070716

 8日(火)は森下誠さんに全校生徒を対象にした講話をお願いしました。森下さんは高校卒業後に愛知県の自動車部品製造会社に入られましたが、自然の中で働きたいと、海洋生物を学べる専門学校を経てダイビング店に勤め国内外の海に潜られました。帰郷されて1年間の潜水調査の後、平成21年に「水俣ダイビングサービス SEA HORSE」を開業されました。

 その後はテレビ出演や新聞等の取材、小中学校での講演を通して水俣の良さを発信する活動に取り組まれており、令和5年度の熊本県PTA研究大会芦北水俣大会では、水俣会場の講師を務められました。また、辰年にちなみ、令和5年から6年にかけてのNHK「ゆく年くる年」にもヒメタツと一緒に水中から出演されました。今日は映像を交えながら故郷水俣への思いを熱く語っていただきました。

【モス日通信⑤】070715

モス日通信⑤070711.pdf

モス日通信第5号はパスポートについて。全文は添付ファイルをご覧ください。

 現在日本には大きく分けて4種類のパスポートがあります。1つ目は一般旅券(Ordinary Passport)といわれるものです。一般旅券は2種類(紺色と赤色)の色があります。この色の違いは使用可能な年数です。5年用旅券(紺色)は申請日に18歳未満の人が取得できます。18歳以上の方も選択可能ですが、容姿の変化が著しい未成年者に推奨されます。10年用旅券(赤色)は申請日に18歳以上の人が取得できます。最も一般的なパスポートです。用途としては、国の用務ではない、個人的な旅行や留学、仕事など、一般の海外渡航に利用されます。今回偽造防止のため顔写真ページがプラスチックに変更されました。

 2つ目は公用旅券(Official Passport)といわれるもので緑色の表紙をしています。用途としては、国会議員、公務員などが公務で外国に渡航する場合に発給されます。今回私はこのパスポートでモスクワ日本人学校に赴任しております。モスクワにいる日本にルーツを持つ子供たちの教育を行いながら、日本へ様々なことを発信していくことが大きな役割だと思っています。

【上級学校説明会】070714

 明日15日(火)から3年生の三者面談です。11日(金)には3年生と保護者を対象にして国立熊本高等専門学校、八代高等学校、八代白百合学園高等学校、秀岳館高等学校、芦北高等学校、出水中央高等学校、水俣高等学校、自衛隊熊本地方協力本部水俣地域事務所から来校いただき、上級学校説明会を行いました。とある高校の説明を聞いて「〇〇高校に行こうかなぁ。」と話していた生徒もいたそうです。

 水俣高校の説明には二中卒業生と湯浦中校長の時の生徒も来ました。驚きました。嬉しくなりました。中学生の時の担任にすぐ報告しました。

 自衛隊の説明には教師生活最後の担任の生徒である二中卒業生のNKさんが来ました。さらに驚きました。会うのは成人式以来です。さらに嬉しくなりました。彼はボーイスカウトをしていてボランティア活動に興味を持っていたこともありますが、小学生の頃に父親と宝川内地区の被災現場で救助や復興に当たる自衛隊の皆さんを見て、自衛隊を志したそうです。成人式後の同窓会では、挨拶・整理整頓・時間厳守といった自衛隊で学んだことについて話してくれましたが、10年たってさらに成長した姿に感動しました。

 説明会の頃、突然雨が降りました。曇りの天気予報を信じ、外に出してきた洗濯物も全く気にならなくなりました。心が晴れの日になりました。

【田浦水害(後編)】070713

  

 当時の記録を読むと、田浦では11日から14日にかけて1時間雨量65mm、2時間雨量120mmと短時間に集中して降り、田浦川等、吉尾川等が氾濫して大きな被害が発生したとあります。ちなみに、雨量は令和2年7月豪雨の方が多かったそうです。

  私は水俣にいたため、田浦水害のまさにその時の怖さは体験していません。聞くところによると、小学校の運動場横の土手が決壊し、大量の水が流れ込み運動場が見る見るプールのようになったそうです。低学年だった私の弟たちは怖くて泣きだしたそうです。

  ある先生は当時保育園入園前だったそうですが、庭に水がどんどん入ってきた記憶があるそうです。お母さんは小学校からの電話連絡を受け、膝上まで水につかりながら、宮坂医院前の三差路に張ってあったロープを伝って、低学年のお姉さんを学校まで迎えに行かれたそうです。

  私の父は学校からの電話を受け「学校が一番安全だけん、学校に残してください。」と言ったそうです。家庭も学校も判断が難しい状況だったと思います。

  「天災は忘れた頃来る」物理学者で俳人の寺田寅彦氏がしばしば語ったという言葉があります。災害は語り伝えないと風化していきます。隣町の出来事で、二中生に直接の被害はなかったため、令和2年7月豪雨の記憶はほとんどの子どもたちには残っていません。7月12日と7月3日を「絶対はない」「想定外のことを想像する」と言うことを肝に銘じる日、生徒に記憶を伝える日にしています。
 
 

【田浦水害(前編)】070712

 二中の皆さんに話をするのも今年度が最後ですので、災害に関することは繰り返し伝えておきたいと思います。

 私が高校2年生だった昭和57年7月12日(月)の昼前のこと、「田浦中出身の生徒は集まってください。」という放送が入りました。何かと思って指定された教室に行くと、「田浦が大変な大雨になっていて、帰すことができない。水俣の友達の家に泊まるように。」との説明がありました。「いつも通り朝6時過ぎの列車に乗って駅を出たのに、水俣もそんなに降ってはいないのに。急に泊まれと言われても困るのに。」情報源も今とは違いスマホもなく、私たち高校生には切迫感はありませんでした。

 午前10時までの1時間の雨量は65mm、1日の雨量が328mm。不知火海の満潮とも重なって田浦川等が氾濫、肥後田浦駅周辺や小中学校周辺も家屋への浸水が続出したとのこと。テレビには駅前の被害の様子が映し出されました。

 八の字坂の線路側にあった同じクラスの友達の家(今村商店)に、田浦中出身の3人で泊まらせてもらいました。テレビのニュースはずっと大雨関係ばかり。不安な夜を過ごしました。

 翌朝、高校が借りたバスで田浦へと向かいました。国道3号線は渋滞、8時間近くかかって田浦に着きました。途中は泥道。船江付近では、甘夏ミカンの木が根が付いたままで海に浮かんでいました。色の変わった壁を見て、水の高さに驚きました。町中、泥の匂いがしました。あちこちに消毒のための石灰が巻かれていました。