二中ブログ

2023年7月の記事一覧

【昭和57(1982)年 田浦水害(前編)】050711

 私が高校2年生だった昭和57年7月12日(月)の昼前のこと、「田浦中出身の生徒は集まってください。」という放送が入りました。何かと思って指定された教室に行くと、「田浦が大変な大雨になっていて、帰すことができない。水俣の友達の家に泊まるように。」との説明がありました。「いつも通り朝6時過ぎの列車に乗って駅を出たのに、水俣もそんなに降ってはいないのに。急に泊まれと言われても困るのに。」情報源も今とは違いスマホもなく、私たち高校生には切迫感はありませんでした。

 午前10時までの1時間の雨量は65mm、1日の雨量が328mm。不知火海の満潮とも重なって田浦川等が氾濫、肥後田浦駅周辺や小中学校周辺も家屋への浸水が続出したとのこと。テレビには駅前の被害の様子が映し出されました。

 高校の隣にあった同じクラスの友達の家に、田浦中出身の3人で泊まらせてもらいました。テレビのニュースはずっと大雨関係ばかり。不安な夜を過ごしました。

 翌朝、高校が借りたバスで田浦へと向かいました。国道3号線は渋滞、8時間近くかかって田浦に着きました。途中は泥道。船江付近では、甘夏ミカンの木が根が付いたままで海に浮かんでいました。色の変わった壁を見て、水の高さに驚きました。町中、泥の匂いがしました。あちこちに消毒のための石灰が撒かれていました。

【学校運営協議会】050710

 今日は令和5年度第1回の学校運営協議会の予定でした。延期になりましたのでどんな組織かということを先に紹介します。

 水俣第二中学校は学校再編成の平成23年4月に水俣市のコミュニティ・スクールの指定を受けて準備を進め、25年3月に学校運営協議会が発足しました。協議会は、保護者や地域住民の要望や意見を反映させ、特色ある学校づくりを行うという目的の下、本校の教育に関して承認と意見の申し出を行い、さらに、学校応援組織として、教職員・保護者・地域住民とともに参画するという趣旨で設置されています。

 委員は、保護者、地域住民、校区内小学校代表者(校長)、学識経験者、行政、学校代表者から選出されています。会長には学校評議員をされていた井上能智王さんが選出され、お亡くなりになるまでの10年間に亘ってその役を務められました。令和3年度からの会長は鹿島省治さんです。

 24年度は私が教頭でしたので、文部科学省で説明を受けてきました。その中で厚生労働省からも説明があり、どちらかが一方的に何かをしてあげるのではなく、学校にとってもウィン、地域にとって(特に年配の方の生きがいづくりという点からも)もウィン。ウィンウィン(両方にとって利益がある)の関係となる仕組みであると感じました。 

 令和4年度は7月と3月の2回の会議を実施、コロナ禍の中でしたが、委員さん方は来賓ではなく学校の一員という捉えですので、体育大会、文化祭、卒業式等の行事にも参加していただきました。これまでに学校運営協議会の支えにより実施した活動にはこのようなものがあります。

〇もともと、おやじの会でサラダ玉ねぎの栽培を行っていたが、JAに協力いただき、東日本大震災で被災した福島県の中学校に生徒が栽培したサラダ玉ねぎを送った。

〇民生委員に協力いただき、生徒がグループに分かれ独居老人宅を訪問した。平成18年度より毎年、3年生が認知症サポーター講座を受講していたため、そこでの学びを関連付けた。

〇平成15年度の村田晃治校長の時に始まる。各行政区長に協力いただき、ステージ発表や展示物の出品を依頼して学校と校区の合同文化祭を実施した。

〇生徒会の要望を受け、意見箱を学校に設置した。

〇体育大会で学校運営協議会長賞及び井上能智王賞の表彰を行なった。

【北里柴三郎】050709

 最後は新1000円札の肖像画に描かれる北里柴三郎です。

 柴三郎は、1853年に現在の熊本県阿蘇郡小国町北里で生まれました。家は庄屋だったそうです。

 1871年に熊本医学校(現在の熊本大学医学部)に入学。1874年には東京医学校(東京大学医学部)に入学し、在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信。予防医学を生涯の仕事にする決意をしました。

 1885年から約6年間ドイツのベルリン大学に留学。病原微生物学研究の第一人者、ローベルト・コッホに師事して研究に励み、1889年には、破傷風菌の純粋培養に成功。破傷風菌抗毒素を発見し、血清療法を確立して一躍世界的な研究者となりました。

 帰国後は福沢諭吉の財政的支援で、のちにコッホ研究所、パスツール研究所と並んで世界3大研究所の一つと称されるようになる「私立伝染病研究所」が創立、所長に就任しました。研究所からは志賀潔や野口英世などが育ちました。

【速報!抽選結果】050708

 本日、熊本県総合体育大会の監督会議が開かれ、組み合わせ抽選の結果、対戦相手が決定しました。団体競技のみお知らせします。

7月15日(土)

 男子バレーボール(15日・16日) 

  ナースパワーアリーナ(熊本市総合体育館) Aコート第2試合 10:50~  対 錦ケ丘中学校(熊本市)

7月16日(日)

 空手道

  しろやまスカイドーム 9:10~ 個人形第1ラウンド開始

7月22日(土)

 新体操

  熊本県立総合体育館 12:00~

 ソフトテニス

  熊本県民総合運動公園メインテニスコート C-4コート第4試合 2回戦から

 男子バスケットボール(22日、23日はウイングまつばせ)

  eco win 宇土アリーナ Dコート第3試合 12:10~ 対 長嶺中(熊本市)

 女子バスケットボール(22日・23日)

  ウィングまつばせ Bコート第4試合 13:30~ 対 本渡中(天草市)

 野球(22日・23日・24日)

  熊本県民総合運動公園野球場A 対 鹿本中・米野岳中

 陸上(22日・23日)

  えがお健康スタジアム 9:00~

 水泳(22日・23日)

  アクアドーム 9:00~

 

 

【津田梅子】050708

 今日の話は新5000円札の肖像画に描かれる津田梅子です

 梅子は1864年に江戸で生まれました。6歳の時「岩倉使節団」の一員となって日本を離れます。留学生43名のうち女性は5人、梅子は最年少でした。今で言うなら年長さん、私が梅子のじーちゃんなら泣きます。

 使節団を離れた梅子は、ワシントンへ移り、ランマン夫妻の家で暮らすことになります。ほとんど英語を話せない状態で日本を出ましたが、夫妻の元で現地の暮らしになじんでいきます。小学校を卒業後、女学校に進み、フランス語をはじめとする他言語や物理学、天文学などを学びました

 17歳の夏に帰国したときには、日本語を忘れおり、タクシーの運転手に行先を説明するのに、梅子が英語で同乗の外国の人に話し、その人が日本語に訳をして運転手に伝えるという不思議な状況だったそうです。

 梅子は日本とアメリカとの間で女性の地位に大きな差があることから女子教育の重要性を改めて感じ、後に奨学金制度や「女子英学塾(現在の津田塾大学)」を創設し、日本の女性の地位向上に尽力しました。