学校生活

2017年8月の記事一覧

オーストラリアのクーマとの交流歓迎レセプション

 8月17日(木)16時00分より、鹿本市民センターにて、オーストラリアの姉妹都市クーマのモナロ高校より来られた方々の歓迎レセプションが行われました。市長歓迎の言葉や代表生徒あいさつなどの後、琴やバイオリンの演奏、そして、交流会と続きました。

 少し緊張した表情の生徒もいましたが、すぐに笑顔になり簡単な会話や身振り手振りでのコミュニケーションをとっていました。楽しいひとときとなりました。



長崎 72回目の原爆の日

平和への誓い

   原爆が投下された1945年8月9日、私は16歳。爆心地から3・6キロ離れた長崎県疎開事務所に学徒動員されていました。11時2分、白い閃光(せんこう)と爆発音を感じ慌てて机の下にもぐり込みました。
   夕方、帰宅命令が出て、私は学友と2人、金比羅山を越えて帰ろうと山の中腹まできたところ、山上から逃げてくる多くのけが人に「山の向こうは一面火の海だから…」と制止され、翌朝、電車の線路に沿って歩き始めました。    
   長崎駅の駅舎は焼け落ち、見慣れた町並みは消えてなくなり、別世界に迷い込んだようでした。
   ようやく辿(たど)りついた山王神社近くの親せきの家は倒壊していました。
   その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。    
   あの時、私が無理をしてでも家に帰っていれば、せめて最期に声をかけられたのではないかと、今でも悔やまれてなりません。
   そのあと大学病院へ向かい、さらに丘を越えると眼下に浦上天主堂が炎上していました。
   涙があふれ出るとともに怒りを覚え、「ああ、世界が終わる」と思いました。
   ここ平和公園の横を流れる川には折り重なって死体が浮いていました。
   私は、三ツ山に疎開していた両親に姉の死を報告し、8月12日、母と弟と3人で材木を井桁に組み、姉の遺体を荼毘(だび)に付しました。
   その日は晴天でした。
   頭上から真夏の太陽が照りつけ、顔の正面からは熱気と臭気がせまり目がくらみそうでした。
   母は少し離れた場所で地面を見つめたまま、ただ祈り続けていました。
 たった一発の原子爆弾は7万4千人の尊い命を奪い、7万5千人を傷つけました。
   あの日、爆心地周辺から運よく逃げ延びた人々の中には、助かった喜びも束(つか)の間、得体(えたい)のしれない病魔に襲われ多くが帰らぬ人となりました。なんと恐ろしいことでしょう。

   中略

 私は1979年、原爆で生き残った有志6人で原爆写真の収集を始め、これまでに様々な人たちが撮影した4千枚を超える写真を収集検証してきました。
   原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力をつくすことを亡くなられた御霊の前に誓います。

卒業生の話を聞く会

8月8日(火)10時00分より、3年生はランチルームにて「卒業生の話を聞く会」を行いました。高校生や社会人となられた身近な先輩から直接話を聞くことができ、自分の進路や将来について見つめることができました。

 先輩からは、高校生になって、たくさんの人との出会いがあり、それが刺激となり充実した高校生活を送っていること、また、社会人の先輩からは、仕事をする上で一番大切なのはやはり「あいさつ」であることなど、貴重なお話やアドバイスをいただきました。

 3年生は、進路選択において、さらには社会的自立に向けて、今何をすべきかがはっきりしてきたことと思います。

 鹿北中の卒業生のみなさん、ありがとうございました。


広島 72回目の原爆の日

平成29年度「平和への誓い」

原子爆弾が投下される前の広島には、
美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常があったのです。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、
広島の街は、焼け野原となりました。
広島の街を失ったのです。
多くの命、多くの夢を失ったのです。
当時小学生だった語り部の方は、
「亡くなった母と姉を見ても、涙が出なかった」と語ります。
感情までも奪われた人がいたのです。
大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。

しかし、今、広島は人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。
草や木であふれ、緑いっぱいの街になりました。
平和都市として、世界中の人に関心をもたれる街となりました。

あのまま、人々があきらめてしまっていたら、
復興への強い思いや願いを捨てていたら、
苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、
今の広島はありません。

平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所、広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。

未来の人に、戦争の体験は不要です。
しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。

一人一人の命の重みを知ること、互いを認め合うこと、
まっすぐ、世界の人々に届く言葉で、
あきらめず、粘り強く伝えていきます。

広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

広見の星空まつり・岳間の夏まつり

8月5日(土)の夜は、広見の星空まつりと岳間の夏まつりが行われました。

広見の星空まつりには、本校吹奏楽部が出演し、演奏とともに進行を自分たちで行うなど「さすが中学生!」と感心させられました。演奏後は、吹奏楽部OB・OGからの励ましの言葉や演奏に対するアドバイスをもらい、とても有意義な時間となりました。まつりは、小学生なども参加できる楽しい企画があり、また出店もあり、地域の方々の笑顔があふれ歓声が響いていました。

 岳間の夏まつりは、台風の影響で体育館で行なわれましたが、地域の方々がたくさん来られていて、いろいろなお話を聞かせていただき、地元ならではの温かさがあふれていました。まつり最後の抽選会は、たくさんの賞品があり、当たるたびに歓声が聞こえました。中学生もたくさん賞品が当たりました。卒業生とも会えて近況を知ることができ、頑張っていることが伝わってきてうれしかったです。

 広見の星空まつりも、岳間の夏まつりも、ふるさとの良さがあふれ、何となく懐かしさを感じさせてくれるすばらしいまつりでした。

広見の星空まつり



岳間の夏まつり