2017年2月の記事一覧
鹿北小学校学習発表会
2月19日(日)13時00分より鹿北体育館にて鹿北小学校学習発表会が行われました。1年生から6年生までそれぞれの学年の「学び」や「成長・努力」の成果を堂々と発表してくれました。また、「小学校の6年間でこんなに成長するんだ!」と驚かされました。
1年生は計算や漢字、なわとびができたことを、2年生は自分の名前に込められた親の願いや3年生なって頑張りたいことを発表してくれました。3年生は鹿北の自然、特に森林について勉強したこと体験したことを劇にして発表してくれました。4年生は鹿北の伝統芸能の一つである神楽の舞いと、代表的産業であるお茶について発表してくれました。5年生は水俣での学習を通して差別や偏見に立ち向かう生き方や命の大切さ、なかまの大切さなどを伝えてくれました。そして6年生。恒例の太鼓を披露してくれました。また、一人一人が自分の夢を堂々と語ってくれました。どの学年もすばらしい発表でした。
1・2年生は学ぶ喜びや調べる楽しさを、3・4年生は鹿北の伝統や文化、産業のすばらしさを、5年生は水俣での学習を通して自分の生き方を見つめ、6年生は将来の自分の夢をしっかりともつこと、そして夢の実現に向かって進んでいく決意を勇壮な太鼓の音に乗せて、私たちに伝えてくれました。
低学年から高学年になるにつれて自分の世界を広げていく、身近なところから地域に、社会に目を向けていく、さらに、未来を見つめ夢を抱いていく、そんな人として成長していく過程を子供たちの姿を通して見つめることができた学習発表会でした。
6年生の今の夢をかなえるために、応援するために中学校があるのだと、私も気持ちを引きしめて頑張ろうと思いました。
小学生のみなさん、先生方、保護者の皆さま、地域の皆さまありがとうございました。
読み聞かせ、ありがとうございます。
2月17日(金)8時10分より、マザーグースのみなさんに読み聞かせを行っていただきました。当初は2月上旬に行っていただく予定でしたが、インフルエンザ罹患者が多かったため、17日に変更になりました。おおはくちょうの絵本は昨年度も紹介していただいきました。とても悲しくて印象に残っています。親の愛情、家族の愛を感じさせてくれる絵本です。ホッとする時間をつくっていただきありがとうございました。
人権集会
2月16日(木)8時10分よりランチルームにて人権集会を行いました。人権作文コンテストの感謝状を生徒代表として生徒会副会長に渡し、表彰状を2年島北君に渡しました。
表彰後、島北君が人権作文を発表してくれました。自分のこと、自分の思いをしっかり伝えてくれました。島北君の発表を聞く生徒の姿もみんな真剣でした。その後、発表の感想や返しに対してたくさんの人が手をあげてくれました。
生徒会三役からは、劇を通して人権についてのメッセージを、そして、生徒会長からは今回の劇で何を伝えたいのかを発表してくれました。
短い時間でしたが、一人一人が自分も友だちも大切にしていく、他者の人権を大切にしていくことを決意できた集会となりました。
島北君の人権作文
『生きる権利と義務』
僕は人工内耳を装用しています。3才の時に「髄膜炎」になり、高熱が続いたため耳が全く聞こえなくなりました。その後、免疫不全症だということも分かり、三週間に1回は免疫を補充するために病院に行って、点滴をしなければならなくなりました。保育園の時は何も問題はなかったのですが、小学生になり勉強を始めると問題がでてきました。点滴をするには学校を休まなくてはなりません。次の日の授業はさっぱりわからず、みんなからどんどん遅れていきました。この問題を解決するために、先生方がいろいろな方法で僕を手伝ってくれました。また、入院したときは、母が先生となりベッドの上で勉強を教えてくれました。おかげで少しずつだけど、確実にその遅れを取り戻していくことができました。
そんな時、再び入院することになりました。病名は「白血病」です。この時、ほとんど入院に慣れたと思っていた僕は、あんなにつらく苦しい治療をしなければならないとは思ってもいませんでした。たくさんの治療、薬による副作用、そして家族や友達に会えない寂しさ。もう勉強どころではなく、ずっとベッドに横になっていました。そんな僕を支えてくれたのは看護師さんやお見舞いに来てくれた親戚、そして共に入院生活を耐えていた僕より幼い友達。このほかの人からも入院生活を乗り越える力をもらいました。
1年と3ヶ月が過ぎてようやく退院しました。僕は当然勉強もかなり遅れ、体力は0に等しい状態でした。「もうこの遅れを埋めることはできない…。」僕はあきらめていました。
さらにもう1つ僕の前に立ちはだかる大きな壁がありました。新しくできた鹿北小学校です。3つの小学校が入院中に統合し、全く知らない人がクラスのほとんどになりました。僕は仲間はずれになると思い、学校には行きたくありませんでした。そんな僕の背中を押して、勇気づけてくれたのは家族です。恐る恐る学校に入りました。最初は不信そうな目線を周りから感じました。「もうだれも僕を迎えてくれない。」そう思いました。しかし、自己紹介が終わると、さっきの目線はうそのように消え去りました。予想とは全く違い、全員が温かく迎えてくれたのです。この時、どんなにうれしかったかは、3年たった今でも鮮明に覚えています。また、あきらめていた勉強の遅れや、体力は鹿北小全体の支えによって取り戻すことができました。
小学校を卒業してから1年、中学生になってすぐ1回は細菌感染のため入院しましたが、先生や友達のおかげで学力や体力も低下せず、無事退院することができました。この様に僕は、たくさんの支えによって今を生きています。それが当たり前だと思っていました。しかし、それが当たり前のことではない、障がいを持つ人を、全ての人が助けてくれるわけではないことを、つい最近知りました。このことを知るきっかけになったのは、神奈川県で起こった障がい者19人が殺害された事件です。この事件を見て、とてもとても悲しい気持ちになりました。それと同時に怒りも感じました。「なぜそんなことをしたのか?」この答えは「安楽死させたい。」というものでした。この答えをみて、僕の怒りはさらに激しくなりました。人には生きる権利と義務があると僕は思います。安楽死するどうかは、その本人が決めることです。そしてその人本人も、できる限り安楽死を選ぶべきではないと強く思います。また、その人が生きることが困難ならば、周りの人は最善をつくして、その人を支えなければならないと思います。僕の気持ちとしては、今回のような事件は二度と起こしてほしくはありません。
僕はみんなと共に学び、遊び、この瞬間を生きることができるのは、数え切れないほどの多くの支えがあるおかげです。今まで出会った看護師さん、先生、共に入院生活を乗り越えた友達、家族、そして何より僕を温かく迎え、僕の周りのことに気を配ってくれる同級生、この他たくさんの支えにも感謝しながら、1日を大切に生きていきたいと思います。
そしてもっと、障がいを持つ人のことをたくさんの人に知ってもらいたいです。そのためにはまず、自分自身のことについて知り、紹介できるようにならなければなりません。7月26日に起きたような事件を、もう二度と起こさないように、命を与えられた全ての人たちの「生きる」という決してうばわれることがない「権利と義務」を守るために。
障がいを持つ人以外にも、高齢者、幼い子ども、妊婦さんなど、日常生活を送るのが困難な人を、周りの人が進んで支える、そしてそれが当たり前になる日が来ることを、願っています。