学校生活

人権集会

2月16日(木)8時10分よりランチルームにて人権集会を行いました。人権作文コンテストの感謝状を生徒代表として生徒会副会長に渡し、表彰状を2年島北君に渡しました。

 表彰後、島北君が人権作文を発表してくれました。自分のこと、自分の思いをしっかり伝えてくれました。島北君の発表を聞く生徒の姿もみんな真剣でした。その後、発表の感想や返しに対してたくさんの人が手をあげてくれました。

 生徒会三役からは、劇を通して人権についてのメッセージを、そして、生徒会長からは今回の劇で何を伝えたいのかを発表してくれました。

 短い時間でしたが、一人一人が自分も友だちも大切にしていく、他者の人権を大切にしていくことを決意できた集会となりました。


島北君の人権作文

『生きる権利と義務』

 僕は人工内耳を装用しています。3才の時に「髄膜炎」になり、高熱が続いたため耳が全く聞こえなくなりました。その後、免疫不全症だということも分かり、三週間に1回は免疫を補充するために病院に行って、点滴をしなければならなくなりました。保育園の時は何も問題はなかったのですが、小学生になり勉強を始めると問題がでてきました。点滴をするには学校を休まなくてはなりません。次の日の授業はさっぱりわからず、みんなからどんどん遅れていきました。この問題を解決するために、先生方がいろいろな方法で僕を手伝ってくれました。また、入院したときは、母が先生となりベッドの上で勉強を教えてくれました。おかげで少しずつだけど、確実にその遅れを取り戻していくことができました。

 そんな時、再び入院することになりました。病名は「白血病」です。この時、ほとんど入院に慣れたと思っていた僕は、あんなにつらく苦しい治療をしなければならないとは思ってもいませんでした。たくさんの治療、薬による副作用、そして家族や友達に会えない寂しさ。もう勉強どころではなく、ずっとベッドに横になっていました。そんな僕を支えてくれたのは看護師さんやお見舞いに来てくれた親戚、そして共に入院生活を耐えていた僕より幼い友達。このほかの人からも入院生活を乗り越える力をもらいました。

 1年と3ヶ月が過ぎてようやく退院しました。僕は当然勉強もかなり遅れ、体力は0に等しい状態でした。「もうこの遅れを埋めることはできない…。」僕はあきらめていました。

 さらにもう1つ僕の前に立ちはだかる大きな壁がありました。新しくできた鹿北小学校です。3つの小学校が入院中に統合し、全く知らない人がクラスのほとんどになりました。僕は仲間はずれになると思い、学校には行きたくありませんでした。そんな僕の背中を押して、勇気づけてくれたのは家族です。恐る恐る学校に入りました。最初は不信そうな目線を周りから感じました。「もうだれも僕を迎えてくれない。」そう思いました。しかし、自己紹介が終わると、さっきの目線はうそのように消え去りました。予想とは全く違い、全員が温かく迎えてくれたのです。この時、どんなにうれしかったかは、3年たった今でも鮮明に覚えています。また、あきらめていた勉強の遅れや、体力は鹿北小全体の支えによって取り戻すことができました。

 小学校を卒業してから1年、中学生になってすぐ1回は細菌感染のため入院しましたが、先生や友達のおかげで学力や体力も低下せず、無事退院することができました。この様に僕は、たくさんの支えによって今を生きています。それが当たり前だと思っていました。しかし、それが当たり前のことではない、障がいを持つ人を、全ての人が助けてくれるわけではないことを、つい最近知りました。このことを知るきっかけになったのは、神奈川県で起こった障がい者19人が殺害された事件です。この事件を見て、とてもとても悲しい気持ちになりました。それと同時に怒りも感じました。「なぜそんなことをしたのか?」この答えは「安楽死させたい。」というものでした。この答えをみて、僕の怒りはさらに激しくなりました。人には生きる権利と義務があると僕は思います。安楽死するどうかは、その本人が決めることです。そしてその人本人も、できる限り安楽死を選ぶべきではないと強く思います。また、その人が生きることが困難ならば、周りの人は最善をつくして、その人を支えなければならないと思います。僕の気持ちとしては、今回のような事件は二度と起こしてほしくはありません。

 僕はみんなと共に学び、遊び、この瞬間を生きることができるのは、数え切れないほどの多くの支えがあるおかげです。今まで出会った看護師さん、先生、共に入院生活を乗り越えた友達、家族、そして何より僕を温かく迎え、僕の周りのことに気を配ってくれる同級生、この他たくさんの支えにも感謝しながら、1日を大切に生きていきたいと思います。

 そしてもっと、障がいを持つ人のことをたくさんの人に知ってもらいたいです。そのためにはまず、自分自身のことについて知り、紹介できるようにならなければなりません。7月26日に起きたような事件を、もう二度と起こさないように、命を与えられた全ての人たちの「生きる」という決してうばわれることがない「権利と義務」を守るために。

 障がいを持つ人以外にも、高齢者、幼い子ども、妊婦さんなど、日常生活を送るのが困難な人を、周りの人が進んで支える、そしてそれが当たり前になる日が来ることを、願っています。