二中ブログ

2024年7月の記事一覧

【渚の交番HIMETATSU】060711

 15日(日)の海の日にオープンする「渚の交番HIMETATSU」に、一足早く行ってきました。

 渚の交番プロジェクトは、全国15カ所に拠点があり、湯の児は16カ所目となります。湯の児住民対象に7日(日)の海開きの日に見学会が開かれました。「海辺の様々な活動、活動に係る人そして情報を横断するような拠点を整備するプロジェクトです。これにより、地域の海辺をフィールドに活動している団体だけに限らず、地域の様々な団体や活動を横断的に連携させ、点ではなく面で海辺の安全と安心を向上させ、誰でもアクセスできる楽しい海創りに取り組んでいます。」とのことです。

 「渚の交番HIMETATSU」は、⽔俣の海を通して「海を体験してほしい」「⼭からつながる豊かな海でたくさん遊んでほしい」「⽔俣の海で思い出をつくってほしい」「次の世代へ美しい海を残してほしい」といった強い願いから、蘇った海、歴史ある海を感じてもらえる様々なプログラムを作成してあるそうです。(7日に撮影しました)

 

【渋沢栄一】060710

 最後に1万円札の渋沢栄一の紹介です。来年度から使われる教科書の展示会があったので調べてみたところ、本文中やトピックなど歴史の教科書での取り扱いは様々でした。

 渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市血洗島にあった畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を家業とした家に生まれました。

 栄一は、一橋慶喜(15代将軍徳川慶喜)に仕えて、一橋家の家政の改善などに実力を発揮、27歳の時には慶喜の弟である徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学、欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情を知りました。

 明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立しました。その後、明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。

 1873(明治6)年に大蔵省を辞して、「第一国立銀行」の総監役として活躍、そこを拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に富岡製糸場、東京海上火災等、約500もの企業に関わったそうです。

【学校運営協議会】060709

第1回学校運営協議会を水俣第二小学校と合同で行いました。今年度から小中連携して、9年間で子どもを育てることに、(昨日の二中・二小)より力を入れたいと考えます。

 全体会では両校長からの学校経営説明のあとに質疑応答。ここではSNSの利用に関する質問がありました。小中連携してペアレンタルコントロール(子どもが利用するIT機器を保護者が管理するための機能。子どものWebサイトの閲覧制限や利用時間の制限、子供にとって不適切なサイトや動画の閲覧制限、アプリのダウンロード制限といったアプリの利用制限を保護者の端末で設定することもできる。)に取り組むことを確認しました。小中分科会でも有意義な意見交換ができました。次回は両校それぞれで開催予定です。

【県総体選手激励式】060708

 芦北水俣郡市代表として県中学総合体育大会に出場する権利を勝ち取った、軟式野球、男女バスケットボール、サッカー、空手道の代表選手の皆さん、県大会からはじまる陸上競技、水泳の皆さん、いよいよ県大会です。

  今日から大会まで、体調管理が重要です。休みの日の過ごし方も大事です。心も体も充実した状態で臨むのが、敗れたライバルへの最低限のマナーです。

  マイナスをプラスにしても、残り期間ではゼロにするのが精一杯です。同じ努力をするのなら、現在プラスのプレーをさらに伸ばしましょう。

  「緊張せずにいこう」と「リラックスしていこう」はほぼ同じ意味ですが、「リラックスしていこう!」と口に出すと、「リラックス」という言葉が頭に残ってリラックスできるそうです。言葉もプラスに言い換えましょう。

 「あの時こうしていれば。」と思うくらいなら、チャレンジしましょう。迷ったら強気です。

  靴を並べる。道具を並べる。大きな声で挨拶をする。きびきびと動く。普段の姿がプレーに出ます。大会までの残り数日間、心を整えましょう。

 最後に、これまで一緒に頑張ってきた仲間、お世話になった先生方、そして保護者の皆さん、大会の運営にかかわっていただく方々、水俣二中の仲間、皆さんに敗れた郡市のライバル。一人一人の顔を思い浮かべ、感謝の気持ちでプレーしましょう。会場でもナイス二中!です。

  特にサッカー部の皆さん、HK先生と一緒に戦っているという気持ちを強く持ちましょう。嬉しい報告を届けましょう。

【七夕】060707

 日本には神様を迎えるために水辺に設けた機屋に入り、棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機で神様に捧げる神御衣(かんみそ)を織りあげる女性「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説がありました。それが、中国の織姫と結びついて七夕「しちせき」を「たなばた」と読むようになったとか。

 短冊を飾るようになったのは、江戸時代に書道の上達を願うようになったのが始まりのようです。今は神龍(シェンロン)に祈るようにどんな願いでも書いていますが、学問や芸事の上達に関係することが趣旨に近いかも知れません。ちなみに、飾りには陰の気が集まるので、前日に飾り、当日のうちに片付けるのが本来の習わしだそうです。

 おり姫星(こと座のベガ)と、ひこ星(わし座のアルタイル)の距離は15光年。2人は光の速さで15年かかる距離に住んでいます。「来年また会いましょう。」と言って別れた中学3年生の15歳の2人が次に会えるのは、自宅に着いたらすぐに折り返して15年後の30歳の時ですね。

 今年は昨年のブログの加筆再掲でした。来年の七夕は令和7年7月7日なので気合入れて書きます。

【市P連BBバレー大会】060706

 室温30度を超える暑さの中、それを超える熱気で市P連のビーチボールバレー大会が開かれました。二中Aチームは決勝トーナメント進出は惜しくも逃しましたが、フレンドリートーナメントの部の決勝で二小Aチームに勝利し、優勝しました。会場をお貸しいただきました水俣高校様、ありがとうございました。また、決勝トーナメント優勝と副賞のトイレ掃除もおめでとうございます。

【PTA定例役員会】060706

 2日(月)の夜に7月のPTA定例役員会を開きました。最後にPTA新聞用の集合写真撮影、さらにナイスコールで締めました。今年度もPTA活動を楽しみます。まずは今日の市P連のビーチボールバレー大会を頑張ります。

【津田梅子】060705

 今日は新5000円札の肖像画に描かれた津田梅子の紹介です。この前、社会科の先生たちの間で、「女性で最初に1万円札に描かれるのは誰だろう?」という話になりました。政治家ではなく文化人から選ばれるようになっているので「緒方貞子さん、美空ひばりさん、与謝野晶子さん」などが挙がりました。「芦田愛菜さん」にも一票入りました。

 津田梅子は1864年に江戸で生まれました。6歳の時「岩倉使節団」の一員となって日本を離れます。留学生43名のうち女性は5人、梅子は最年少でした。今で言うなら年長さん。私が梅子のじーちゃんなら毎日泣き続けます。

 使節団を離れた梅子は、ワシントンへ移り、ランマン夫妻の家で暮らすことになります。ほとんど英語を話せない状態で日本を出ましたが、夫妻の元で現地の暮らしになじんでいきます。小学校を卒業後、女学校に進み、フランス語をはじめとする他言語や物理学、天文学などを学びました

 17歳の夏に帰国したときには、日本語を忘れており、タクシーの運転手に行先を説明するのに、梅子が英語で同乗の外国の人に話し、その人が日本語に訳をして運転手に伝えるという不思議な状況だったそうです。

 梅子は日本とアメリカとの間で女性の地位に大きな差があることから女子教育の重要性を改めて感じ、後に奨学金制度や「女子英学塾(現在の津田塾大学)」を創設し、日本の女性の地位向上に尽力しました。

 さて、最初に1万円札に描かれる女性は誰だと思いますか。

【半導体情報学科】060704

 昨日、校内研修に高木校長先生をはじめ水俣高校の4名の先生方が来校されて、職員向けの学校説明会をおこないました。特に来年度の学科改編により誕生する「半導体情報学科」について詳しい説明がありました。他の学科も、外部団体と連携しながら特色ある水俣高校づくりが進んでいきます。リンクリストから「水俣高校」にお進みください。

【最初の定期テスト】060703

 1年生にとって最初の定期テストが音楽からスタートしました。ICT機器を活用した聞き取りの問題に取り組んでいます。今どきです。

 私は中学1年生の最初のテストの日の朝、いつものようにともだちと体育館でバスケをして遊んでいて、担任の先生から「中学校のテストは勉強して受けんばいかんとぞ!」とずいぶん叱られました。小学生の感覚でした。懐かしい思い出です。