校長ブログ「秘密の部屋」

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【そぎゃんこた言わんちゃよか】020210

 田浦中学校の武道場の壁には「田浦中スピリッツ ~あきらめない 最後まで あきらめない~」の黄色い看板が掛けてあります。平成27年度卒業生が記念品として贈ってくれた物です。生徒は毎日、その看板を見ながら登校しています。

 設置に来られた業者の方と面識がありました。2つ上の先輩、竹林公一さんでした。私の背が高かったからでしょう、40年ほど前の中学入学後に、全く面識のなかった竹林先輩から「男子バスケット部ば作るけん入れ。」と誘われていました。創部には至らず、私は5月頃にバレー部に入りました。バイタリティーがあり、かつ、自分より人のことを先に考える方です。高校でも生徒会長をされたと聞きました。お会いしたのは竹林さんの中学校卒業式以来でした。

 それ以降、いろいろなお願いを快く引き受けていただきました。いつも、田浦中のことを気にかけていただいていました。平成30年度卒業生から贈られた、入学式と卒業式の立て看板も竹林さんが作られました。

 来年、田浦中は「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の研究発表会を行います。昨年11月頃にお会いしたとき、発表会に関する看板や幟旗の制作も引き受けていただいていました。

 ところで、2・1年生の体育服のゼッケンには名字がきれいに印刷されています。後輩のためにと竹林さんが自身でゼッケンを購入し、名前を印刷し寄贈された物です。

「紹介しますね。」と言ったところ。「恥ずかしか。たいしたこっじゃなかけん、そぎゃんこた言わんちゃよか。」、「毎年作ってやっで。」とのお返事でした。保護者には地域の方からと伝えてきました。ありがとうございました。田浦中はたくさんの先輩方に支えられています。(H)

 

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【レンガ積み(イソップ寓話)】020209

 旅人が、とても辛そうな顔をしてレンガを積んでいる一人の男に出会いました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、

「見ればわかるだろう。暑い日も寒い日も、風の強い日も、来る日も来る日も、朝から晩までレンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり。」「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、楽に儲けている奴らがいっぱいいるというのに。」と答えました。

 隣を見ると、先ほどの男のようには、辛そうには見えない表情でレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると、

「大きな壁を作っているんだ。これが俺の仕事でね。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。」と答えました。

 さらに隣を見ると、活き活きと楽しそうにレンガを積んでいる男がいました。「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねると。

「歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ。」「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみから救われるんだ。何て素晴らしいことだろう。」と答えました。

 旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けました。(H)

 

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【アラクノフォビア】020208

 クモが苦手だ。姿、形、ワサワサと移動する格好、死んで裏返った時の足の付け根が特に嫌だ。書きながらも気分が悪くなる。子どもの時、天井から体のすぐそばに大きなクモが落ちてきて…。腰が抜けた。

 生徒と保育園のボランティアに行って、窓掃除の時に隠れていたクモを直接触ってしまった…。腹部の柔らかい感触がいつまでもとれなかった。

 クモより足が多いゲジゲジも、ムカデも平気、ゴキブリも平気、海岸で見かけるフナムシの集団も平気。ヘビもトカゲも平気。クモだけが弱点。「人間がまだ人間ではなかった昔、昔、クモは命を奪う敵だった。その頃の記憶が残っている。」という話を読んだことがある。トンでも科学だが、私には説得力がある。

 中学生時代、瓶に詰めたクモを持った先輩から追いかけ回されたこともあった。夜のクモ(コブ)は夜コブ(喜ぶ)といって縁起が良いと聞かされても、それはそれ、友達になろうとは思わない。

 それでもなぜかクモの本を数冊持っている。テレビで特集があると録画してしまう。クモの映画のDVDも持っている。子どもの頃に数匹のクモを虫かごで飼ったこともある。子どものすることは矛盾だらけだが怖いもの見たさは人の習性。 

『クモのはなし』という本の中に、クモの食べ方という話があった。国によっては動きの遅いクモは重要なタンパク源となっている。串に刺して、足をもいで、焼いて…。ジャガイモを生で食べたような味がするそうである。

 本校M先生の大学・大学院での研究テーマは「ハエトリグモ」である。恐ろしい男だ。あぁ、書きながらめまいが…。(H)     ※アラクノフォビア:クモ恐怖症

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【最後の~】020207

 「最後の運動会、最後の中体連夏季大会、最後の文化祭、義務教育最後の1年間。今年は全てに『最後の』がつきます。」3年生がよく言う言葉です。今日、中学校生活最後の定期テストが終わりました。今回の「最後の」ばかりは名残惜しくないようです。

 体育大会、文化祭、合唱コンクールで涙を見せた3年生も、とうとう最後のテストが終わってしまったと泣いている者は誰一人いないようです。

 すでに私立高校の推薦入試等で1月下旬には進路が内定した生徒も少なからずいます。公立高校前期選抜受検者は来週の結果待ちでそわそわして勉強が手につきません。残りの多くの生徒も3月10日・11日の高校入試の範囲の学習に気持ちが向いています。採点者からは「最後の定期テストなのに気合いの入り方が足りない。」という声もちらほら。 

 このテストが大事なのに終わったと先生たちは皆、泣いています。

 3年生と先生、両方の気持ちがよく分かります。毎年、毎年、わたしたちもそぎゃんでした。

 私から3年生へのアドバイスを一つ。「なんさま濁るけんいかん。最後(サイゴ)から点点ばとってかっ伸ばしてみろ。残り1ヶ月ばそぎゃんなるごつせろ。」

 あ~いた久しぶりにち~った良かこつば言うた。最後は最高。(H)

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【一生分】020206

 子どもは小さいころに一生分の親孝行をするといいます。

 私が人吉二中に勤務していた27歳の時に長男が、30歳の時に次男が生まれました。8ヶ月くらいで保育園に通わせることになりましたが、二中の近くに保育園がありましたので、送り迎えは主に私の役目でした。また、妻は土・日勤務の仕事でしたので、金曜日の部活動が終わった後、私が息子たちを田浦に預けに行き、土・日は田浦から部活に通い、日曜の午後に迎えに行くという生活でした。流行の言葉で言うならブラック部活です。

 人吉三中に異動してから、妻の転勤が急に決まりました。最初は妻と2人の息子は水俣に引っ越しました。私は単身赴任の予定だったのですが、毎晩9時頃に当時5歳の長男から「おとうさん、なんでかえってきないの。」の電話。「わかった、今から帰るよ。」と水俣に向かう生活が続きました。帰宅した頃には、5歳と2歳の息子は熟睡していました。

 そこで、私も5月から水俣に引っ越し、片道70分の道を通うことにしました。毎朝5時半に出発する私を長男は早起きをして必ず見送ってくれていました。

 二生分、三生分の親孝行をしてもらいました。

 中学生になると「あーいた、いっちょん言うこつばきかん、はがいかよ。」となることもあるでしょう。もう親孝行は済んどるけんしょんなかっです。(H)

 

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【困ったものだ】020205

 ※10年以上前に学級通信に書いた話です。

 男の子は難しい・・・らしい。

 言うことを聞かない、口答えをする、プリントを見せない、勉強をしない、マンガ本ばかり読んでいる、朝グズグズしている、お母さんをなめている・・・・。

 よくもこんなに気に入らないことがあるものだ。

 で、最後は「お父さん、何か言ってよ!」となる。「自分で怒れ。」と言うが、「怒っても聞かない。」と返される。妻も反抗期。

 子どもが中学生になったら「男の子の教育に母親が、女の子の教育に父親が口を出すのは間違い」という話を聞いた。同姓の親が先輩としてアドバイスをすることが大切だそうだ。

 「男の子はわからない。」というが、こちらは一度通ってきた道、やることなすこと昔の自分を見ているようでおかしくてたまらない。口答えも子どもなりの理屈が通っていて愉快、愉快。

 「何か言ってよ!」妻のさらなる要求。このくらいのことでと思いつつも、ここは老後の良好な人間関係を重視。

 2人の息子も慣れたもの、「お母さんの許容範囲は超えているが、お父さんを(命に関わること、いじめに関わること、約束を守らないこと)を超えなければ大丈夫だ。」と知っている。本人だけが困ることについては、徹底して困らせるのも一つの手段ではと考える。

 しかし、子どもたちは一向に困ったという気配がない・・・困ったものだ。(H) 

※成人した成長した今は違いますよ。たぶん。今は私が反抗期。

 

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【新入生説明会】020204

 私が小学6年生だった頃(昭和52年度)は、中学校に行ったら丸刈り(慣れるために小5の夏休みに丸刈りにするのが一般的でした)にせんばん。部活に入らんばいかん。昨日まで〇〇ちゃんと呼んでいたのに「〇〇先輩」て言わんばん。授業ごとに先生が変わらす。体育の先生もたいぎゃな鍛わす。先生たちはジャージじゃなか、背広ば着とらす。中学校は鉄筋コンクリートやけん冷たか。(当時、田浦小は木造校舎最後の年でした。)

 など、どうでもよいことにもドキドキして中学校入学を迎えました。入学式では、中3の先輩方がすごく大人に見えて圧倒されました。 今、中学生に聞くと、合同遠足など小中交流の効果もあって、入学前は少しドキドキしたけど、先輩は優しいし、先生たちもおもしろいと言います。

 毎朝のランニングに休まず参加している先輩たちがいます。部活動の時間になると復活する先輩たちがいます。職員と生徒会は車の両輪、田浦中PRIDEを高める生徒会活動に一生懸命頑張っている先輩たちがいます。進路決定に向けて一所懸命勉強している先輩たちがいます。

 私たちの中学時代との違いは、大人に用意された線路の上を走るのではなく、自分で道を切り拓きながら先に進んでいる生徒が多くなったことです。

田浦中学校は自分で自分を鍛える学校です。成功体験も大事ですが、チャレンジしたけどうまくいかなかったという経験も大事です。手本となる先輩がたくさんいる学校です。そのきっかけを与え、励まし、声を掛け、支える先生たちがたくさんいる学校です。中学校卒業後の一人一人の自立を目指す学校です。皆さんの入学を楽しみに待っています。(H)

 

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【オーズ】020203

 今日は節分です。節分はもともと、立春・立夏・立秋・立冬という4つの季節の始まりの前日ですが、江戸時代以降に節分と言えば立春の前日を指すようになったようです。

 常駐している家庭もあるかもしれませんが、今日は鬼がやってくる日です。魔の芽が出ないように炒った『摩滅(豆・まめ)』を鬼に投げつけて追い払う「鬼は外、福は内」の声は聞こえるでしょうか。豆をまくのはその家の主人の役割、年女・年男・厄年の人がまくのも縁起が良いそうです。サザエさんでは、波平さんかマスオさんが鬼の役をしているとばかり思っていたら、両方ともそこにいて、実は鬼は泥棒だったというのが定番ですね。

 過去には昼休みに教室を豆だらけにしたクラスもありました。この時期給食に出る節分の豆を先生にばれないように食べたふりをして袋だけ食缶に捨て、豆はティッシュに包んで隠し持っておく。なかなか創意工夫が働きます。参考にはしないでください。

 鬼がいるのは鬼門とされる丑寅(うしとら)の方角。鬼が「牛の角」と「虎のパンツ」を履いているのはそんな理由です。また、鬼を倒せるのは、逆方向(裏鬼門)にあたる未申(ひつじさる)の方角の「サル!トリ!イヌ!」コンボが最強。桃太郎の仲間には必然性があるということです。

 今日は公立高校の前期選抜(特色選抜)が実施されました。結果は12日(水)です。「福は~内。」(H)

 

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【立志式】020202

 今日、2年生のPTA行事「立志式」が行われました。御立岬公園まで歩き、そこで一人一人が決意発表、また学校へ戻ってそれぞれの保護者に向けての手紙渡しを行い、式が終わった後は祝いの膳のぜんざいをいただき行事を終えました。

 立志式は、武士社会で数え12~16歳の立春の日に行われていた元服式がもとになっています。この日を境に、髪型、衣服を大人のものに替えて、社会から一人前の大人として認められました。

 西郷隆盛が尊敬した幕末の志士『橋本左内』は15歳の時記した『啓発録』に、「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がない。これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。どうしてこんなに駄目なんだろう。そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした。」そして

〇稚心を去る 〇気を振う 〇志を立てる 〇学問に勉める 〇交友を択ぶ 

ことが大切だということを記しています。

 2年生は立志式の取組を通して、どんな自分になりたいかを考えてきました。今日を具体的な目標、期限を決め動き出す日にしましょう。「知ることと行うことを一つにする」、将来を見据えた行動の変化が楽しみです。(H)

 

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【February】020201

 今日から「逃げる」2月です。今年は4年に一度の閏年、オリンピックイヤーです。社会科ではアメリカ大統領選挙の年といった教え方もします。

 オリンピックが4年に1回なのはなぜでしょう。「太陰暦を使っていた古代ギリシャ人にとって8年という周期が大切で、最初、古代オリンピックは8年に一度開催されていたが、のちに4年に1回になった」と言う説、「金星を司るギリシャ神話の女神アテナを祝福するために、金星と地球が同じ位置で一直線上に並ぶ4年に1回の周期に合わせた」と言う説等があるそうです。古代オリンピックでは4年を単位とする周期を「オリンピアード」と呼び、その1年目の年に大会を開いていたそうですが、その事例に倣い、近代オリンピックの父クーベルタン男爵が1896年の第1回大会を起点にしたそうです。

 詳しくは書きませんが、2月が他の月のように30日や31日ではないのは、もともとの暦が3月始まりで、2月が最後の月だったからだそうです。暦が変更された時に、31日の月を2つ減らせば良かったのでしょうが、最後の月だった2月は宗教的な行事が多かったため、混乱を避けるために28日のままにしたようです。

 ちなみに英語のDecember(12月)は、もともと「10番目の月」意味。3月から数えると「10番目の月」は12月です。(H)

 

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【ポケモン言えるかな】020131

 来週の3日(月)は公立高校の前期選抜が実施されます。今日の事前指導も緊張感がありました。受験票の保管場所は神棚や仏壇が定番のようです。受検生の皆様は、合格に向けて八百万の神々様、仏様、ご先祖様を総動員。「おらに元気を分けてくれ~!」状態のことと思います。

 熊日新聞に、「時間配分に気を付け、自分に勝つつもりで頑張る。支えてくれた家族の気持ちに応えたい。」本校卒業生Oさんの今年のセンター試験開始前の会場でのコメントが載っていました。皆さんも入試に臨むにあたり心に携えてほしい言葉です。

 以前、「受験票を制服のポケットに入れて大事に保管していたものの、違反服だったため、当日は弟の制服を借りていき、ポケットに受験票がなくて大慌てした。」という生徒がいました。「集合場所を高校の正門としていたのに、中学校の正門で待っていた。」という失敗もありました。「学校に上履きを忘れたため、自宅のもふもふした動物スリッパで行った。」という強者もいました。何が起こるか分かりません。確認、再確認、再々確認。念には念を。

 ずっと前に教えた生徒に「昨日は勉強したか?」と聞くと、彼は自信を持って「はい、頑張りました!ポケモンを151匹覚えました!」「ピカチュウ、カイリュウ、ヤドラン、ピジョン、コダック、コラッタ、ズバット、ギャロップ…♪」と歌い始めました。

 どうやら何をどうすれば良いかわからなくなってしまったようです。よくあることです。付き合うために私も覚えました。たまにはぼーっとすることも大事です。(H)

 

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【全国いじめ問題子供サミット2】020130

「自分の学校、地域に帰って、どのように生かしていきますか。」

○相手の良いことを貼って、一つの物をつくる。イイコト流星群をもっと発展させる。

○何気ない日常会話の重要性

○クラス、学校の枠に囚われず、他校との関わりを増やして情報を交換する。

○いじめを自分事として捉える。

「他の参加者の発表を聞いて参考になったことは何ですか。」

○今日のグッジョブ!

○傍観者が行動する

○劇などを通して具体例を示す。

○団結しすぎず、集団意識に囚われないこと。

○クラスの中での他人をつくらない。

○相手の立場に立って考える想像力をつける。

 文部科学省の行動での発表、全国から147名の児童生徒の参加、130名近くの引率者、文科省関係者や報道機関も入り、最後は文部科学大臣のあいさつ。ポスターセッションではさすがに緊張の面持ちでしたが、グループ協議では自分の意見を言うことができたとのこと。学びの多いサミットでした。「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の取組にどんな形で反映させるか、執行部の取組が楽しみです。(H)

 

 

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【全国いじめ問題子供サミット1】020129

 25日(土)、文部科学省で「全国いじめ問題子供サミット」が開かれ、生徒会前会長のKさんと、現会長のIさんが参加し、ポスターセッションとグループ協議で「私たちが考える『令和の時代のいじめ対策』」について考えました。サミットに参加しての、2人のメモを紹介します。(H)

「本サミットを通して学んだことは何ですか。」

○個性を認め、人それぞれの価値観や考え方が違うということを全ての人が理解しなければいけない。「いじめの定義」で共通認識を持つことが大切である。

○クラスや学年内で素を出せる、自分らしくいられる(嫌なことは嫌とはっきり言える)環境や雰囲気づくりが大事。

○傍観者が被害者と加害者の架け橋になる。

○いじめにつながりそうな些細な「いじり」や「悪ふざけ」を周りの人が注意する。

○傍観者の数が圧倒的に多いから、傍観者が変わればいじめをなくしたり、未然に防ぐことができる。

○いじめに対しての考え方や感じ方は様々。

○自分の気持ちを伝えることが大切。

 

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【7×7】020128

 駐車場から家に近づくと黒ネコ「おはぎ」の声が聞こえてきます。ドアの内側でカギが開くのを待っています。開いたドアの隙間から50㎝ほど外に出て、地面に数回ゴロゴロすると家に戻ってきます。不思議なルーティーンです。その後は「ニャアニャア」と私の後をついて回ります。「ご飯をくれ。」と言っているようです。6年間で随分ネコ語が分かるようになってきました。東京オリンピック・パラリンピックでは通訳ができそうです。

 カリカリを入れると「これじゃない。」という顔をします。ウェットタイプを少しだけあげます。遅れて息子が帰って来ると、「まだご飯をもらっていない。」という顔をしてニャアニャアついて回ります。ご飯のパッケージが2つ開いていることがあります。騙しのテクニックでニャカデミー賞の主演にゃん優賞を狙っているようです。

 ところで、ネコ科のトラやライオンは「ガオー」となき、ネコと骨格が似ている犬は「ワン」となくのに、家ネコはなぜ「ニャア」となくのでしょう。

 一説によると、人が赤ちゃんを可愛がっているのを見て、赤ちゃんの泣き声に似せたのだそうです。「お腹がすいた。」とか、「撫でてくれ。」とか、どうやったら要求が通るのかを考えた末、「何でも言うことを聞いてもらっている赤ちゃん真似をしよう!」と考えたのだそうです。どのネコがそう証言したのでしょう?あくまでも仮説の一つです。

 今日は「ふわり」の四十九日、明るいうちに帰宅してお参りに行きます。(H)

 

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【ザケル!】020127

 先日、某部活動の大会の応援に行ってきました。駐車スペースをやっと見つけたもののすでに試合が始まっており、2階席も上がれない構造だったため外から覗いて応援。第1セットを取った後のコートチェンジ間にやっとフロアに入り応援しました。1回戦は2-0で勝利、2回戦は強豪と対戦しましたが、目標の得点を2セットとも上回ることができました。大健闘でした。

 しかし、試合前に大騒動が…。開会式前にある選手が「ユニフォームがない!」。選手は6人ギリギリなので予備も無い。慌てて自宅にいたお父さんに会場まで持ってきてもらい、何とか間に合ったとのことでした。保護者の許可を得て書いています。

 私の次男も小学生の頃…。人吉市で開催される学年別大会の前夜に「水着は、帽子は、ゴーグルは…。」繰り返しく言うと「分かってる。」の一言。

 翌朝、妻が出発前に「大丈夫ね。」と聞くと、強い口調で「大丈夫!」

 40分かけて人吉のプールに到着。8時過ぎにプールが開き、練習をしようと大きなスイミングバッグを開けると…。水着がない。

 バッグから出てきたのはアニメにもなった「金色のガッシュ!!」の大量のコミックス。レースの待ち時間の準備だけ完璧!

 水俣まで水着を取りに往復していると間に合わない…。「金色のガッシュ!!」の第1話の台詞「ふザケルな!」がぴったりでした。さすがに口から電撃は出ませんでした。(H)

 

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【読書】020126

 読書量の増加が田浦中の課題の一つです。田浦小の毎月の一人あたり読書数は2.1冊、田浦中は1.4冊。年間で9冊の差があります。中学生になって勉強や部活動で読書の時間がなかなかとれないと言いますが、情報機器やゲーム機器を使う時間を読書にどう振り向けるかが肝要です。

 灰谷健次郎氏の『太陽の子』の中に、「本は買って読め。家は借りて住め。」という一節があります。小学6年生の頃は学校と旧役場の図書館にあった推理小説を中心に毎日3冊は読むのが習慣で、教室の後方に貼られたグラフが伸びていくのが楽しみでした。ただ、推理ドラマの犯人が早く予想できてしまうのが残念です。

 高校生の頃は日本史と世界史の教科書に登場する本は一通り読みましたが、高校3年の通知表の所見には、「すごい読書量だが、入試を前に本を読んでいる場合ではない。」文系なので、もっと英語に時間を使えというありがたいアドバイスだということは分かります。しかし、その時の貯金が今の仕事に効いています。大学生の頃は「岩波文庫」をかなり集めていました。カビが生え、最近大量に処分しました。しくじりました。加えて今は、情報誌やネットニュース、HPもかなり読みます。

 ふと気づくと、商品パッケージ裏の成分表示やテレビに次々と表示される文字も隅々まで読んでいます。間違いなく文字中毒です。(H)

 

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【セブン・新マン(帰マン・ジャック)】020125

 少し前の話になりますが、1月2日、「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」等の特撮作品を手がけられた、シナリオライターの上原正三さんが亡くなられました。私はブログの最終回のタイトルもすでに決めているくらいセブン好きです。セブンと新マンから作品をいくつか紹介します。物語の内容と怪獣の姿が浮かんだ方は仲間です。(H)

ウルトラセブン

9 アンドロイド0指令(チブル星人・ゼロワン)…知能指数50,000 

17 地底GO! GO! GO! (ユートム)…モロボシ・ダンのモデルとなった勇敢な地球人、薩摩次郎が登場します。

31 悪魔の住む花(ダリー)…少女役は松坂慶子さんです。 

43 第四惑星の悪夢(ロボット長官他)…未来観のある話です。

45 円盤が来た(ペロリンガ星人)…イソップ寓話のようです。

46 ダン対セブンの決闘(にせウルトラセブン・サロメ星人・アギラ)…「どっちがセブンだ?」偽物くらいすぐに気づけ。

47 あなたはだぁれ?(フック星人)…密かに地球が侵略されています。

帰ってきたウルトラマン

33 怪獣使いと少年(ムルチ・メイツ星人)…道徳の授業に使ったことがあります。

37 ウルトラマン夕陽に死す(ナックル星人・ブラックキング他)…大人の事情とは言え、衝撃の内容。

38 ウルトラの星 光る時(初代ウルトラマン・ウルトラセブン)…前話の後編、ラストの郷秀樹には子供心に「オイオイ」でした。

51 ウルトラ5つの誓い(ゼットン2代目・バット星人)…これで良いのか5つの誓い?天気の良い日は布団を干します。

 

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【平成28年の今日】020124

 「なぁ~ん、そぎゃんな降らんよ。」前日の天気予報は大雪。台風や大雨は信じるのに、大雪に関してはバイアスがかかっているようです。人吉勤務の頃、吹雪の中の帰宅で大変な思いをしています。津奈木太郎は越えられません。もしもの時の対応のために前日から田浦に泊まりました。

 24日(日)の天気予報は見事的中、大岩出身の母は子どもの頃にはかまくらを作ったこともあるとのことでしたが、「こぎゃん降ったとはいつね。」と聞くと、「田浦に嫁いできた頃。」との答え。50年ぶりの大雪でした。実家に車を置き、施設管理と連絡のため歩いて学校まで行きました。

 雪の中、最初は駐車場に大の字になって跡を写真に撮ったり、先生方にラインで実況報告を行ったりとまだ雪を楽しむ余裕がありました。昼頃は駐車場の雪を定規で測ると24㎝!夕方には30㎝!とつけみにゃー降り方でした。午後には奄美大島で115年ぶり、久米島で39年ぶり、沖縄本島の名護市では観測史上初の初雪を観測しました。

 25日(月)は臨時休校。雪は降りやみましたが、タイヤチェーンをつけていない車が3号線をふさぎ、全く動くことができない状態。委員会の指示で先生たちには休みをとってもらいました。田浦にいるのは松本校長と私の2人。生徒には今日、私立高校一般入試の受験票を渡す予定でしたが難しく、対象の家庭に私が電話を掛け、その後、担任のN先生は列車を乗り継ぎ出勤、学年主任のS先生と2人で個別対応をしました。

 また、午後には生徒玄関の水道管が破裂、水を止める栓は降り積もった雪の下。業者による応急処置をするもそれから1週間の断水。時間断水の地域もありました。

 26日(火)も臨時休校。入試は無事に実施されました。大雪はやおいかんです(H)

 

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【受験は団体戦】310123

 今日、明日が私立高校合格者発表の第1弾です。受験日から今日まで、学級には独特の雰囲気がありました。受験生はドキドキの朝を迎えることと思います。放課後に私が一人一人に結果を渡します。先輩たちに聞くと、控え室で待っているときが一番緊張したそうです。

 良い結果が出たら、家族へ感謝の気持ちを伝えること。高校ですることが決まっている人は、走ったり、体を鍛えたり、勉強したり。期待に応える準備を怠らないこと。これから受験する友達を支えること。後輩を育てること。他に何ができるでしょうか。間違っても「スマホを使いこなす練習」などではないと信じています。合格内定者の過ごし方次第では、後味の悪い中学校生活最後の学期になってしまいます。入試は団体戦です。

 また、明日の正午には公立高校前期選抜の願書受付が締め切られます。夕方のニュースや夕刊、明日の朝刊、熊本県教育委員会のHPには出願状況が掲載されます。(H)

 

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【啄木鳥】020122

 今日は多くの私立高校で推薦・特待等の入試が行われています。昨日まで作文や面接の練習を重ね、自信を持って今日の入試に臨んだことと思います。ドアをノックして部屋に入る習慣は生徒の日常生活の中でそう多くはありません。面接練習はその場面からスタートします。

 ところで皆さんはノックは何回しますか。昔読んだ本には、「日本人は農耕民族なので、畑を耕すときの『イチ、ニ』のリズムが染みついておりほとんどの人がノックは2回する。欧米人は狩猟民族なので、弓に矢をセットし、引いて、放つ『イチ、二、サン』のリズムが染みついておりほとんどの人がノックは3回する。」とまことしやかに書かれていました。学級でノックをさせると、ほとんどの生徒が2回ノックをするので、その後にこの話をすると大半の生徒が「なるほど。」と信用しますが、もちろん眉唾物です。

「世界的なマナーでは、2回のノックは、トイレ用。3回のノックは、家族・友達・恋人など、親しい相手。4回以上のノックは、初めて訪れた場所や礼儀が必要な相手。」等と書かれたものもありました。これも根拠がないそうです。

 私の感覚としてはドアを4回もノックされると「礼儀が必要な相手と思ってくれたんだね。」ではなく、「あーいた、せからしか。啄木鳥(キツツキ)か。」と言いそうです。校長室のドアはノックをしなくてもよいようにこれからも開けたままにしておきます。(H)

 

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【普段が大事】020121

 主な私立高校の推薦・特待等入試が明日、公立高校の前期選抜(特色選抜)までは10日余りです。3年担任は2学期末には調査書を書き上げ、年末に職員全員で点検を行いました。

 校長決裁まで、校内の出願システムに沿って2名の先生がペアを組み、4段階の点検を行います。私と教頭先生で5段階目の点検が終わった後、職印を押します。先生方には「〇〇先生たちが点検した後だから間違いないだろう。」と決して思わず、「誰にでも間違いはあるはずだ。見逃しはあるはずだ。」という視点で点検するよう念押ししています。

 担任は生徒の「悪かこと」はすぐ忘れ、「ちょっとした良かこと」に大喜びし、一生涯記憶にとどめる特技をもっています。調査書には気持ちを込めた言葉がたくさんたくさん書かれています。検定、部活動の成績、生徒会活動、余すところなく書かれています。ルーペ無しでは「文字が小さすぎて読めない!」ことが悩みです。 

 今月は私立高校推薦・特待等入試、公立高校前期選抜に向けて作文・面接指導のまっただ中です。なぜその高校に行きたいのか、どんなことに頑張ってきたか、どんな問いに何と答えるか、中学校3年間の生活をまとめ、十分に練習してきました。服装、ドアの開け閉め、礼儀、姿勢、言葉遣い、受け答えの仕方、一つ一つの問いにしっかり考え答えを出すこと等々、習慣化していればどうと言うことはないものです。(H)

 

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【令和2年度版あいうえお作文】020120

 今年も生徒会執行部の13人は、『こんな田浦中にしたい』をテーマに、名字を使ったあいうえお作文をつくりました。今後の活躍が楽しみです。(H)

会長:いつもポジティブにみんなで 乗り越えられる キラッキラに輝く田浦中

副会長:力一杯 ハイスピードで行動できる 楽観的に考える田浦中

副会長:大きな声であいさつ 思いやりの心を持つ キラッキラの笑顔田浦中

議長:真剣に 一生懸命取り組む やる気のある学校

書記:みんなが主役で 役目を持ち 斬新な発想で キラキラ輝く田浦中

書記:もりもり元気 とても優しい 無理矢理押しつけない らんらん楽しい学校生活

学級委員長:しっかり発言 らんらん元気で もっともっと上へ 友だち思いの田浦中

放送委員長:優しさであふれ 男女関係なく仲が良い田浦中

環境委員長:毎日笑顔が輝き 気持ちの良い 目標を持って行動でき 友達・先生と素敵な学校を築いていく田浦中

給食委員長:たくさん気づき行動し けじめをつけて 発表を自らでき 楽せずチャレンジする田浦中

文化図書委員長:まずは礼儀 次に協力と笑顔を忘れずに OKになったら前に進むと… 完全に素晴らしい田浦中

保健委員長:仲間を信頼し合い 頑張りを認め合い のびのびと発言できる学校

体育委員長:生き生きとした姿 決断力がある 団結力がある田浦中

 

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【公約実現執行部】020119

『現状維持は停滞』水俣二中で生徒会を担当するにあたり、村田校長先生から指針を示していただいたことを懐かしく思い出します。生徒会リーダー研修では私も同じ言葉を使わせていただいています。ただ、人と時間には限りがあります。生徒会活動の働き方改革も必要です。旧執行部には各委員会の再編成や活動の重なりをなくし隙間を埋めることなど、スクラップ&ビルドで生徒会活動を再構築してほしいことを伝えていました。

 前執行部はK会長の公約である「いいコト流星群」(黄色い画用紙でつくった星型のカードに友達の頑張りを記入し、夜空に見立てた職員室前の廊下の濃紺の広用紙に貼っていく)と、「プロフィールブック」(全校生徒のプロフィールを書いた冊子をつくり、ソーシャルスキルトレーニングの集会に活用)の取り組みを1年間続けることができました。進捗状況確認のため、毎月活動の評価を行ったことが確実な継続につながったようです。生徒会スローガン「田浦中PRIDE」もよく練られており、生徒に定着させることができました。令和元年度K執行部は名付けるなら公約実現執行部でした。新執行部の活躍にも期待しています。(H)

 

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【スカイウォーカーの夜明け】020118

 年末に息子2人と「スターウォーズEP9 スカイウォーカーの夜明け」を観てきました。スターウォーズは映画館で観る(次男はEP2から)のが恒例行事でしたが、いよいよ今回のEP9で最後です。

 もともと好きな映画ではありましたが、知識は人並みでした。人吉二中で同勤した、高校の先輩の平川先生が大のスターウォーズファンで、その時にEP4~6の基礎知識を研修レベル?でたたき込まれ、文化祭の昼休みに2人でトークショーを行えるレベルまで上達しました。困ったものです。

 EP6(1983年)から16年振りに公開されたEP1(1999年)の時はものすごい盛り上がりで、ペプシコーラがキャンペーンを行っていましたので、おまけのペットボトルキャップもかなり集めました。当時はおまけの袋を触っただけで中身を当てる、他では役に立たないテクニックも身につけていました。

 ライトセーバーやフィギュアもいくつか持っていましたが、子どもたちにはダース・モールのダブル=ブレード(両刃)のライトセーバーが人気でした。

 新作映画の紹介や映画泥棒の映像が終わり、いよいよA long time ago in a galaxy far, far away…(遠い昔、遙か彼方の銀河系で)のオープニング。独特の高揚感がありました。映画の中身について語るのは無粋なのでやめておきますが、これで息子たちとの楽しみが一つ終わったなぁという感想でした。帰りの車の中は評論会でした。

 2022年から新たな3部作が公開されるそうです。「嫌な予感がする。」(H)

 

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【天災は忘れられたる頃来る】020117

 『天災は忘れられたる頃来る』防災科学を語るときに、寺田寅彦氏(科学者で随筆家、熊本第五高等学校在学時代は夏目漱石の生徒)が、しばしば口にした言葉です。

色あせた平成7年の明日の新聞が手元にあります。1面のトップは『死者1456名』『阪神で直下型大地震』、『震度6・M7.2』、開くと横倒しになった阪神高速道路の高架の写真。被害の凄まじさが記録されています。

 午前5時46分頃地震発生。出勤前に見た6時のニュースでは、「地震があったんだなぁ」というレベルの理解でした。インターネットがまだまだ普及していない時代です、授業から帰ってきて職員室のテレビで被害状況を知りました。関西方面に住む親戚は無事でしたが、すぐには連絡がつかず不安でした。

 数年後、修学旅行の引率で完成したばかりの「人と防災未来センター」に行きました。水俣市PTAの福島交流事業で宮城県と福島県を訪問する機会も与えていただきました。地震の被害を後世に伝える取り組みが、その後の震災に生かされています。

 熊本地震の余震の時は田浦中の職員室にいました。学びは重ねていたつもりでしたが人ごとでした。「まさか」、「ありえない」ことでした。

 今日はテレビでも特集が組まれています。自分事として見たいと思います。(H)

 

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【サポート終了】020116

 新任教師として初めて西合志南中学校にあいさつに行った日、定年退職される校長先生が、「先生たちも大変ね、これからは昔のごつはいかんでね。パソコンちゅうやつも入ってくる。自分は今年退職で良かった、しきらんとやった。」と言う話をされました。昭和63年(1988年)のことです。

 当時、学校にパソコンは1台。印刷用紙も両脇に紙送りの穴の空いたものでした。パソコンが得意な技術のT先生が、通知表の所見をワープロで打ち、切って貼って渡したときは、ベテランのみならず少し上の先輩の先生からも「何ねこれは、手書きじゃないと愛がなか。」と言われたものでした。当時は入試の調査書も40人分×一人平均3校を手書きでしたので大変でした。今は筆記具を使って文字を書くことがほとんどなく、たまに手書きをすると腕が上がらなくなります。

 14日に「Windows7」のサポートが終わりました。学校にはこれまでワープロソフト「一太郎」で作られた文書が大量に蓄積されています。2学期に校務用パソコンも交換が済んで、「一太郎」はビューアのみ。新たな文書はすべて「Word」か「Excel」で作ることになりましたが、ベテランの先生を中心に恨み節も聞こえます。今日もどこからか「何で勝手に文字サイズのふと(大きく)なっと!」と言う声が聞こえてきました。

 「一太郎」は文字がきれいに揃うという美しさがあったのに…。「Word」は、ぴしゃ~っと揃いません。文字により微妙にずれます。それが許せない性格です。「どぎゃんかならんや。」と独り言を言いながらブログを書いています。(H)

 

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【テントウムシ小僧】020115

 今日は人権教育の田浦・湯浦ブロック別研修会が開かれ、1年担任のH先生と3年担任のS先生が授業を公開しました。

 さて、私が4~5才の頃だと思いますが、テントウムシをみつけるとなぜか指でつぶしていました。虫眼鏡で光を集めてアリをねらってまわったりもしました。殻の砕ける音のために鶏に投げ込んだカタツムリも数知れません。ひどい子どもです。

 ある日のこと、テレビで「テントウムシはアブラムシをたべる益虫」という番組を見ました。保育園児の頃のことなのに、「しまった。」「とても悪いことをしていた。」と思った瞬間を鮮明に覚えています。認めたくない若さ故の過ちです。

 子どもは元来、残酷な面を持っているものです。しかし大抵の子どもはたくさんの大切な命を犠牲にして育ちながら、ある日突然、そうした行為の残酷さに自分自身で気づくそうです。

 子どもたちは大切なものを失ったり、遊びのなかでケガをしたり、嫌な思いをしたりしながら、命の大切さや、痛みを体験的に学んでいきます。大切なのは人の思いを感じとることだと思います。

 今日の授業での子どもたちの表情から、何かを感じ取ってくれたように思いました。次の段階は知行合一です。これがまた難しい。(H)

 

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【知行合一】020114

 平成25年のホームページ開設から平成30年9月11日までの65ヶ月で閲覧者数は40,773回(1日平均20回)、それから17ヶ月後の今朝100,434回に達しました。ありがとうございます。3月1日早朝には、高校を卒業する皆さんへの祝詞(学校から・旧3年部から)と中学3年生の時の出来事をまとめたブログをアップします。卒業生の皆さん、ぜひご覧ください。

田浦中の『学校だより』のタイトルにもしている知行合一(ちこうごういつ)は、陽明学(孔子の生きた『春秋戦国』時代から1900年ほど後の『明』の時代に王陽明がおこした学問)の命題の一つで、簡単には「知識は行動と一致してこそ意味がある、本当の知識は実践をともなわなければならない」というような意味です。

 学校の論語階段に掲示している為政第二の「子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之」

 孔子に、弁が立つ弟子の子貢が、「君子とはどんな人ですか?」と問うと、「普段からあなたが話していることを先に実行しなさい、その後から言葉が出てくる(まずすることをして、言いたいことがあればその後で言う)ような人が君子です。」と答えた。という故事がもとになっています。

 王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、知っている以上は必ず行いにあらわれると説きました。この考えは、江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹が有名で、1837年に大阪で乱を起こした大塩平八郎も私塾「洗心洞」で門弟に陽明学を教えた陽明学者でした。

 吉田松陰の私塾「松下村塾」にも「知行合一」の掛け軸がありました。松陰の生涯と塾生の明治維新での活躍はご存じのとおりです。(H)

 

 

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【布団のおぶか】020113

 冬場に実家に帰ると、母から重い布団を着せられる。「寒はなかけんいらん。」、「おぶか、動かれん。」と言っても容赦ない。親の『煩悩』のなせる業なので、まずは素直に聞く。

 ご飯(米)の量も多い。「そぎゃんな食わん。」と言っても容赦ない。これも『煩悩』のなせる業なので、まずは素直に聞く。

 大雨や台風の時は「逃げんでよかっか。」電話がかかってくる。「俺はもう54歳ばい、あんたどんが逃げんば。」と言っても容赦ない。これまた『煩悩』のなせる業。親にとって子はいつまでも子ども。毎回、同じ会話の繰り返し。

 とは言うものの、私も成人した息子が高熱を出したりすると、ちょっと熊本市まで見舞いに行ってしまう。妻からは「もう子どもじゃなかっやっで。」と言われるが仕方ない。「親馬鹿やっでしょんなか。」、「生きとるけんでくっとやっで、でくっことはせんば。」と返している。これも『煩悩』のなせる業。

 中学生の時、修学旅行で松下村塾に行った。そこには『知行合一』の掛け軸があった。吉田松陰が処刑される(安政の大獄)前に詠んだ辞世の句を知り心に沁みた。

「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」

 子が親を思う心よりも、親が子を思いやる気持ち(親心)のほうがはるかに強い、その息子が処刑されることを聞いて、親はどう思うだろう。

 布団の重さは親の思いの重さ。分かっとるけどもう54歳(H)

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【第70回熊日三太郎駅伝競走大会】020112

 今日、県内で最も歴史のある駅伝大会「熊日三太郎駅伝競走大会」が開催され、水俣市文化会館と芦北町役場田浦支所を結ぶ10区間、39.7kmでタスキをつなぎました。      

 昨年度から町でチームを編成しての参加、中学生チームは芦北Aが6位、芦北Bが4位、芦北Cが2位という成績、田浦中選手では6区のCくんが区間賞を取りました。

 芦北町の代表として出場した皆さん、部活動と重複しての練習と大会、本当にご苦労様でした。3年生で大会に協力してくれたKHさん、IHさん、KMさんありがとう。高校・一般チームの選手として出場した卒業生の皆さん、頑張りを誇りに思います。

 意外に思われるかも知れませんが、体育的な才能は遺伝しない(諸説あります)そうです。ただ、体型については遺伝的要素が強いし、スポーツ好きの親は、子どもに小さい頃からスポーツ的な遊びをさせる傾向にあるので、自然とスポーツに親しむ習慣ができ、体育的な才能が遺伝したように見えるそうです。 

 私自身、小さな頃は親と運動をして遊んだ記憶もないし、足も遅く、運動がとにかく苦手でしたが、6年生の頃に体格に筋力が追い付いてきて、高跳びの授業でとても良い記録が出て、室村先生に褒められ、だまされました。中高ではバレーボールの試合に行くたびに、色々な学校の監督から声をかけていただき、まただまされました。

 何事も嫌だと思えばとことん嫌になっていきますが、好きだと思えばとことん好きになっていくものです。きっかけは人がつくってくれることも多いのではないでしょうか。

 今は応援団の皆さんも、来年度に向けてくまモン監督にちょっとだまされてみませんか。(H)

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【義経伝説】020111

 2学期の終わり「今年も『おくのほそ道』の授業の時、奥州藤原氏についての話をしてもらえますか。」国語科H先生からの一言。本校の職員はなかなか厳しい要求をしてきます。「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

 今年の3年生は義経伝説に興味がある生徒がいつになく多く、知識も豊富とのこと。負けられないので、複数の本やインターネット等で情報を比較しプレゼンテーションを作りました。定説、新説、都市伝説、作家の創作、読んでいるとどんどん時間が過ぎます。

  松尾芭蕉は忍者だった。年齢から考えると1日に歩いた距離がおかしい。行った場所も幕府に目をつけられているところが多い。どうも怪しい。何といっても芭蕉は忍者の里『伊賀上野』出身だ。

 義経は幼いころ過ごした鞍馬山で天狗に鍛えられ、凄い武士になった。

 義経は生き延びて中国に渡り、騎馬民族を従えチンギス=ハンと呼ばれるようになった。鎌倉幕府に恨みを持っていたので、孫のフビライ=ハンに日本を攻撃させたのが『元寇』だ。

 胡散臭いけど楽しい情報も沢山あります。でも紹介するときっと興味を引くだろう…。資料を否定的に読み取る力をつけさせることも大切です。授業の時は『諸説あります。』魔法の言葉です。(H)

 

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【ワンチーム】020110

 12日(日)は熊日三太郎駅伝競走大会です。大会を前に昨年度の卒業生Nさんの作文を再掲します。選手の皆さん、補助員の皆さん、沿道で応援する田浦中生の皆さん、田浦中はワンチームです。

『私がこの2学期に一番頑張ったと思うことは駅伝練習です。私は小さい頃から運動が苦手でした。でも、2年生の時、早朝ランニングに参加し、駅伝の練習を始めました。駅伝の練習はとてもきつく、つらかったです。何度もやめたいと思いました。でも、練習はきつい事だけではなく楽しいこともあったし、途中でやめるのは嫌でした。

 今年の県大会の後Y先生に「最後までよく頑張った。」と褒められました。この時私は、やめなくてよかった、続けて良かったと思いました。私はこれから先、つらいこと、苦しいことがあってもあきらめずやり切ろうと思いました。

 私が最後まで頑張れたのは、一緒に頑張ってきたメンバーがいてくれたからです。きついときは声を掛け、走っている時は応援してくれました。やめたいと思ったときに相談したこともありました。私一人だけだったらこんなに続けられなかったと思います。友達の大切さを改めて感じました。

 今年の県大会でメンバーに入れないと分かっていたけど、やっぱり悔しかったです。でも、みんなと一緒に練習できたことは大切な思い出です。

 今日で朝ランも終わります。約2年間、Y先生と駅伝のメンバーの人たちと一緒にした朝ランと駅伝が私の中学校生活の中で一番の思い出です。

 3学期はいよいよ高校受検があります。今、3年生は志望校合格を目指して頑張っています。私は特に英語と理科が苦手なので、その2教科を中心に頑張っています。苦手を克服して受験に臨みたいです。

 3年生のみなさん、卒業まで学校に来る日は、今日を入れて43日です。中学校卒業後はみんなばらばらになってしまいます。この44人で一緒にいられるのは43日です。

 入試に行く人もいるので、みんなが登校するのは43日ありません。一日一日を楽しく笑顔で過ごせるように44人で一緒に過ごせる日を大切にしていきましょう。44人で中学校での思い出をもっとつくり、みんな揃って、笑顔でこの田浦中を卒業しましょう。』

 

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【あとがこわい】020109

 全国各地でインターネットを利用した児童ポルノ禁止法違反事件等の被害者となる子どもたちが後を絶ちません。「自画撮り被害」も増加傾向にあります。田浦中は「ここ2年間の生徒指導上の重大案件は、蜂を追い出そうとしてホウキでガラスを割ったこと。」だと笑い話にしているくらい安定していますが、それ以前は生徒間のトラブルに何らかの形でSNSが関わっていました。

 福島県警のホームページを見ると、~スマホの約束6か条~「あとがこわい」による被害防止が訴えられています。田浦中では校舎内に掲示するとともに、終業式の生徒指導主事からの講話の中で注意喚起を行っています。「あ」は?、「と」は?の問いかけに、1学期の終業式の時はぼそぼそっとした声が聞こえた程度だったのですが、2学期の終業式では多くの生徒が声に出すことができていました。知識のみに終わらないよう、徹底を図りたいと思います。

スマートフォンを利用して

「あ」会わないで!(知らない人と)

「と」撮らないで!(自分の裸を)

「が」画像を送らないで!

「こ」個人情報を載せないで!

「わ」悪口を書き込まないで!

「い」いじめないで!(ネットを使って)

詳しくは福島県警のHPをご覧ください。待受画像もダウンロードできます。(H)

 

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【始業式】020108

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。」とはよく言ったものです。1月もすでに7日が過ぎ、今日は始業式です。突発的な仕事に対応できるよう、冬休みは左手でこたつの中の「おはぎ」をなでなでしながら大量の原稿を書きました。「早し良し 丁度良し危うし 遅し悪し」とは言え、生まれて初めて目薬を使い切りそうです。

 田浦中生のみなさん、明けましておめでとうございます。少しはゆっくり過ごすことができたでしょうか。家族や親戚の方、たくさんの大人と話ができたでしょうか。

 3年生の皆さん、中学校生活最後の学期が始まりました。卒業式まで今日を入れて67日、そのうち登校日数は46日、実際は入試等でもっと少ない人もいるでしょう。

「出会いは偶然、別れは必然」という言葉があります。ほとんどの人にとって、保育園・幼稚園・小学校・中学校と一緒に過ごした仲間との、初めての別れの時が迫っています。一日一日を大切に過ごしてください。

 1・2年生の皆さん。これまで学校を牽引してきた3年生が卒業します。クラス替えはありません。3学期を次の学年の『ゼロ学期』と位置づけ、次年度への準備をできる限り進めてください。参考になるのは先輩の姿です。余裕ある4月を迎えることができるようにしましょう。

 田浦中生の皆さんには、後輩に何を残し、先輩から何を学び取るか。この一点に絞った3学期・ゼロ学期にしてほしいと願っています。(H)

 

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【七草粥もよかばってんカレーもね】020107

 子どもの頃の正月はほとんどおせち、最後は『煮しめ』だけが残っていてい記憶がありましたが、年齢を重ね、煮染めの良さが分かるようになってきました。

 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ春の七草。今日はお正月に弱った胃を休める七草粥を食べる日ですが、皆さんのご家庭はいかがでしょう。  

 我が家はカレーです。今から40年以上前、「おせちもいいけどカレーもね」というキャンディーズのCMがありました。子どもの頃に刷り込まれたレトルトカレーのCMはインパクトがあり、今でも「そろそろカレーにするか。」と思ってしまいます。

 カレーのジャガイモは、個人で辛みを調節するために入れてあり、カレーが辛いと感じた時は、ジャガイモをつぶして混ぜ込むと良いそうです。

 ところで、カレーや肉じゃがをつくる時、『男爵イモ』が良いか、『メイクイーン』が良いか、買い物に行って悩まれる方もいるのではないでしょうか。一般には形が崩れにくい『メイクイーン』はカレー向き、煮崩れする『男爵イモ』は肉じゃが向きだそうです。

 分かっていても、お店に行くと組み合わせを忘れることがあります。社会科の重要語句を記憶する時も、自分なりの関連付けをすることで忘れないようにするのですが、ここでも同じ。『肉』『男爵』、『カレー』『メイクイーン』と関連付けて覚えています。

 最近は家族が少なくなったこと、食べ過ぎを防止することなどの理由でレトルトで済ませることが多くなりました…。(H)

 

 

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【熊本城かるた】020106

 今日は仕事始め。三太郎駅伝大会の練習、部活動、進路事務と初日からフル回転です。

 昨年末に県教育委員会より「熊本城かるた」をいただきました。2019年の熊本城復興支援キャンペーンの一環として、熊本県内の小中学生を対象に「熊本城かるた絵コンテスト」が開催されました。その入賞作品から絵札が選ばれており、芦北水俣郡市関係では久木野小学校の児童の作品が「ら」の絵札になっています。かるたの一部を「た・の・う・ら・ち・ゅ・(う)・が・っ・こ・(う)」で紹介します。(H)

「た」戦う工夫 矢狭間(やはざま) 銃眼(じゅうがん) 石落とし

「の」野面(のづら)積み 上手に積んだね 石工さん

「う」宇土櫓(うとやぐら) 築城当時の 姿を残す

「ら」ライトアップ 夜もきれいな 熊本城

「ち」茶の道を 細川三斎 広めたよ

「ゆ」由緒正しく 文武秀でた 細川家 ・ 「う」

「が」加藤清正 お城づくりの 名人だ

「つ」積み方で 時代がわかる 二様(によう)の石垣

「こ」広大だ 肥後の領地は 五十四万石 ・ 「う」

 

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【ザオリク】020105

 今日はちょっと出かけていますが、今年は喪中で年始の親戚の集まりもなく、年賀状もなく、「ふわり」はおらず、本を読んだり、書き物をしたり、ビデオをみたり、落ち着いた正月でした。時間に余裕があったので、すこ~し長めにゲームもしました。

 大学4年生の頃に教育実習で実家に帰ったところ、2番目の弟が『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』のソフトを買っていました。ゲームはするためにある。土曜の夜から日曜にかけて一晩中戦いを続けました。   

 自動保存がされない初期のゲームです。途中、復活の呪文を間違え、使った時間が無駄になることを繰り返しました。生徒がゲームに時間を取られてしまうのは良くわかります。今日も戦いに熱チューしている生徒もいるかと思いますが、ほどほどが大事です。

 ドラクエの使えたら嬉しい呪文

寝坊した:ルーラ(過去に行ったことのある場所に瞬時に移動することができる。)

授業中に指名された:マホステ(受けた呪文を無効化する)

授業中に眠くなった:ザメハ(眠りを覚ます)

部活の試合中:スクルト(守備力を上げる)・バイシオン(攻撃力を上げる)

疲れた:ベホマズン(HPを完全回復する。)

 たぶん学校がすでにかけられている呪文はパルプンテ(発動するまで何が起こるかわからない)。私が使えるようになりたいのはもちろんザオリク(HP満タンで生き返らせる)です。(H)

 

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【酢味噌】020104

 先月末、職員で食事をする機会がありキビナゴの刺身が出されました。醤油で食べるようになっていましたが、

 S先生「これ、黄色いので食べますよね。」

 参加者全員、衝撃「黄色いの?」

 K先生「そら、酢味噌やろ。」、「名前ば知らんとね?」、「ブロッコリーにもかけるやろ。」※カリフラワーではないかという異論がありました。

 S先生の辞書には「酢味噌」という言葉がなかったようです。

 畳みかけるようにベテランのK先生、U先生「花くじらは食うたこつなかつね。」※塩漬の尾羽毛(おばけ)を薄く切って熱湯をかけ、冷水でさらしたもの。「おばくじら」、白く透明な外見から「花くじら」とも言う。びらんびらんしとるやつです。

 すべてのヤング「えー知らんです。」

 食べ物で2チームに分かれました。時代の移り変わりを感じます。

 お店の人に聞くと、好みがあるので醤油を出しているとのこと、お願いしたら酢味噌を持ってきてくれました。S先生は「これです。」という反応。「酢味噌」という単語と使い方を会得しました。

 S先生は料理はほとんどしないそうですが、せっかく田浦中に勤務しているので、味噌大さじ2、酢大さじ1、砂糖大さじ1、好みで辛子を少量入れて、「ひともじのぐるぐる」にチャレンジしてみましょう。(H)

 

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【初詣】020103

 子どもが成長して家を離れると、家族が揃うのもお盆と正月くらいになってきました。28日は長男と2人で次男を迎えに行きました。帰りに男3人でスターウォーズを観るのが目的です。次男は31日の朝には仕事のため戻って行きました。いよいよ元日に全員揃うのも難しくなりそうです。

 次男は、帰ってきても友達と過ごしてほぼ不在。たまにしか帰ってこないのにと、私も妻も少し不満です。そういえば、私の父も、私が田浦中に勤務するようになったと喜んだのに「近こぅなったのに、いっちょん帰ってこん。」とこぼしていたようです。倒れた後にその話を聞きました。

 今年の初詣は神様からの昨年の指摘を思い出し、賽銭箱に消費税込み110円を入れ、「田浦中のかわいい3年生22名全員が高校に合格しますように。」とお祈りすると…。

神様「今年もよく来たな。」、「そなたの願い叶えてやろう。」

H「神様、お待ちしておりました!」、「今年は消費税も入れました。」

神様「それくらい当たり前じゃ。」、「だが、まだまだ修行が足りんな。」

H「えっ、金額が少ないと言うことですか?」、「まさか、かわいいのところですか!」

神様「あせるでない。」、「キャッシュレス払いならポイントがついてお得じゃぞ。」

 

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【継続は力なり・夢】020102

 日本には言霊(ことだま)という考えがあります。古代においては「言」と「事」は同じ概念と考えられていました。ですから、声に出した「言」葉は現実の「事」象に対して何らかの影響を与えると信じられており、良い「言」葉を発すると良い「事」が起こり、不吉な「言」葉を発すると凶「事」がおこるとされていました。自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられていました。つまり言葉は、自分がどんな心を持っているかを外に現すものと言えます。

 田浦中に入ると、生徒玄関の体育館通路側にある岩坂俊一第8代校長が寄贈された「継続は力なり」の碑と、壁に掛けられた叶貞夫第15代校長が寄贈された「夢」の看板が目にとまります。2人の校長先生が生徒に向けて常に語りかけられていた言葉です。

 田浦中の先生方がこの2つの言葉をあげて生徒を諭している場面をしばしば見かけます。私は「継続は力なり」の碑がt建てられた時の生徒ですので、校長先生から直接思いを聞いています。今の先生方がその思いをつないでくれてとても嬉しく思います。

 新年を迎えました。良い言葉で自分の意志をはっきりと声に出してみましょう。(H)

 

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【明けましておめでとうございます】020101

 田浦チュー生徒の皆さん、昨夜は年越しの番組をネズにミて疲れている人はいませんか?令和2年の夜明けです。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 3年生の皆さん、卒業まで3か月を切り、登校するのもたったの46回です。皆さんの事ですから入試を控え「袋の鼠」とならないよう、今日も努力することでしょう。受験は団体戦です。仲間と声を掛け合えば大丈夫、トムに追いかけられるジェリーのような「窮鼠猫を噛む」勢いで、進路決定に向かって一心不乱に頑張ってください。

 1・2年生の皆さん、文化祭の発表で見せた成長ぶりには感心しました。修学旅行での笑顔には仲間とのつながりを感じました。しかし「鼠が塩をひく」と言います。3学期は次の学年のゼロ学期という意識を持って、自分や学級の課題克服に挑戦しましょう。最上級生として、チュー堅学年として更なるステップアップを期待しています。

 生徒会執行部の皆さん、年末のリーダー研修では瞳が輝いていました。11月には「子どもたちによるいじめ防止推進事業」の発表が控えています。「鼠壁を忘る、壁鼠を忘れず」と言います。皆さんの力でいじめのない学校を創りましょう。誰一人として「鼠に引かれる」ことがない、ワクワクする学校を創りましょう。

 私も「時に遇えば鼠も虎になる」ことのないように、みんなと一緒に大冒険、がんがんガンバります。(H)

※このブログはmouseコンピューターのパソコンで書いています。

 

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【明日ありと】011231

 今日は12月14日、招福餅つきの日です。私にとっての招きたい福は、残された「おはぎ」が元気で長生きしてくれることです。「ねこのいるくらし」を文章にし、写真を整理し、待ち受け画面に設定し、だんだん心が平穏になっていきます。午後から長男と「ふわり」のお墓の周りに花を植え整備をしました。喜んでくれていると思います。「おはぎ」は今まで以上に甘やかされ、撫で回され、写真を撮られ。「急に何でにゃ?」という表情です。

 今年、義父の初盆の際に次のような法話がありました。

 親鸞聖人が9歳で仏門にはいる決心をし、夜に天台座主の慈円僧正を訪ねたとき、「時刻も随分遅いし、疲れているでしょうから、明日の朝に得度の式をしましょう。」と言われたそうです。その時、幼い親鸞聖人が、返事として「明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたそうです。

 平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れてから丸3年が経ちました。前日の30日、私は次男を熊本市のアパートまでに迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、随分遅くなったため、「どうせ元日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。

 翌31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。

 『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言ったようです。

 搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しました。それから3年、芦北町の病院に入院中です。

 虫の知らせでしょうか、30日はいつになく実家に帰った方が良いような気がしていました。「明日ありと」思ってしまった自分の判断を後悔しました。

 以降、母のところには用はなくとも「生きとっか~い。」と息子なりの愛のある言葉を掛けながら行くようにしています。

 今年の28日も帰省した息子と顔を見せに行きました…。(H) 

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【猫のいた暮らし5/5】011230

未読の方は【猫のいるくらし1/5】から順にお読みください。

 12月11日(水)、昨夜も妻のふとんに潜り込み、朝はカリカリを食べたらファンヒーターの上がベストポジション。今日も「ふわり」は相変わらずです。修学旅行は班別自主活動の日。いつものように「おはぎ、ふわり行ってきます。」と声を掛け、出勤しました。昨日と同じが一番幸せです。

 仕事を終え帰宅「おはぎ」も「ふわり」も帰宅するや否や「ご飯をくれにゃ。」とついて回ります。私はご飯をくれる人、撫でてくれる人というポジションのようです。

 夜8時半頃、「ふわり」は外に出る息子がドアを開けようとした瞬間をねらって脱走しようとしますが、あえなく確保され家の中に連れ戻されました。今夜は妻も帰宅が遅くなる日、一人と2匹でしばらく過ごします。

 息子が外出し10分も経たない頃、突然、「ふわり」が叫ぶような鳴き声をあげ苦しみ出しました。目がまん丸になり、口が開き。抱きかかえたまま動物病院に電話を掛けましたがつながらず、「ふわり」は1~2分の内に息を引き取りました。あまりのことに、呆然として涙も出ませんでした。

 何が起こったのか、頭の中が真っ白なまま、家族4人にメールを入れました。みんな冗談で、続けて変な格好で寝っ転がっている画像が送られてくるかと思ったそうです。

 長男、妻が帰宅し、ぐったりとなった息をしない「ふわり」を抱きかかえて声を掛けました。自分が保護した猫です、次男は電話の先で泣きじゃくっていました。

 しばらく経ち、汚したところをお湯で洗い、ドライヤーで乾かし、ブラッシングをし、3人で言葉を掛けながらお別れの準備をしました。暖かいところが好きな「ふわり」を寒いところに置くのは忍びなかったけれども、遺体が痛まないように保冷剤と一緒に安置しました。ふとんの「ふわり」のいつもの場所は空けておきました。「ふわり」のことを思い出して眠れませんでした。「ふわり」のいる暮らしが突然終わるとは、納得できませんでした。

 12日(木)、いつもの風景がありません。冷たくなった「ふわり」を撫で、声を掛け仕事に出ました。仕事が終わってからすぐに、「ふわり」大好きなカリカリを買って帰宅しました。いつものよりもずっと高級なカリカリです。長男も仕事を終えすぐに帰宅し、義母と3人で埋葬しました。最後にもう一度ブラシングし、息子と2人で抱きかかえた後、土をかけました。申し訳なかったけれども、その後、修学旅行の出迎えには行く力がありませんでした。

 あまりにも突然で、「ふわり」自身も今頃「ここはどこにゃ?」と不思議がっているかもしれません。たぶん、妖怪「ふわにゃん」となって近くにいるはずです。

 家族のスマホはやんちゃな「ふわり」の画像で一杯です。たった5年半でしたが、楽しい時間をくれた「ふわり」には心から感謝しています。

 最後の夜は、私は修学旅行で京都にいる予定でした。きっと「ふわり」が引き留めたのでしょう。家族である「ふわり」が天国に行くときに、ひとりぼっちにさせなかったことが心の救いです。(H)

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【猫のいる暮らし4/5】011229

「ふわり」のことを話します。「ふわり」は世界で一番素晴らしい猫です。(もちろん「おはぎ」もです。)野良だった子猫時代頃から人懐っこく、網戸を引っ掻いて、家の中に入れてくれと言うような要求もしていました。

 家では常に「ヘソ天(ヘソを天井に向けて寝る、警戒心の全くない姿。野生では一番の弱点である腹をさらけ出すことはほとんどない。)」状態です。撫でられるのが好きで、12月初めの休みの日は1時間くらい撫でさせられました。もちろん、おなかを撫でられるのも平気です。

 のどを撫でると、ゴロゴロ音が心地よい。人間を癒やす効果もあるそうです。仕事の疲れを毎日癒やしてくれています。「ふわり」が元気でいてくれるだけで満足です。

 立っていると足にがんがんぶつかってくる当たり屋。自分の物だと匂いを付けているとも、撫でてなどの要求をしているとも言われます。自分から当たってきたくせに損害賠償を要求するワルニャン。カリカリをあげたり撫でたりしています。

 寝ようとすると、「おはぎ」はふとんの足下の方に乗り、「ふわり」は妻のふとんの中に入ってきます。ご飯をあげているのは私なのに、妻の方が好きなようです。なんだか納得いきません。飼い猫のオスは特に「赤ちゃんモード」になりやすく、親といるような安心した気分だそうです。

 時に「親モード」で、無防備で寝ているでっかいネコを守っている気分にもなるそうです。お風呂に入っていると、ドアの外で待ち構えているのも「こいつは体が濡れるのに水に入って大丈夫かにゃあ」と心配しているからだそうです。トイレにも侵入し、マットで寝っ転がって守ってくれます。「ニャルソック」の皆様、警備をよろしくお願いします。

 ご飯はカリカリが大好き。「ふわちゃん、ご飯。」と呼ぶと走ってきますが、それがちゅーるだと去って行く珍しい猫です。イラッとしたときはカリカリを一口食べ、床をガリガリするのがルーティーンです。

 近所に、我が家では「シロ」と呼んでいる「おどっぱす」のネコがいます。「白」は自然界では目立ち、敵から狙われやすいので、警戒心が強く気の荒い性格が多いそうです。「黒」は目立たないので、穏やかな性格が多いそうです。「おはぎ」と「ふわり」は、いつも「シロ」から虐められています。どうも「シロ」は我が家を縄張りだと思っているようです。

 ある日、帰宅すると急に「おはぎ」と「ふわり」の激しいうなり声が聞こえ始めました。姿は見えません。声を掛けながら探すと、シロが逃げていきました。「ふわり」は隠れていました。ははぁ。私が帰宅して、急に強気になったな。座椅子を見るとびっしょり・・・。「ふわり」がスプレーをしたようです。今日でニャルソックを引退します。

 来年春にはまた夫婦2人と猫2匹の暮らしが始まります。先日、息子と「おはぎ」と「ふわり」は何歳になったかなぁ。という話を何気なくしました。あとどのくらい一緒に暮らせるかなぁ。

「おはぎ」と「ふわり」が長生きしてくれるのが家族にとって一番の願いです。今日も全力で甘やかします。(H)

 

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【猫のいる暮らし3/5】011228

 昨年6月の人権集会でこんな話をしました。

 私の座右の銘は「知行合一」と、子どもの頃から母に言い聞かされた「人にはようせんば(人には良く接しないといけない)」の2つです。迷ったときは、必ずこの言葉に従って行動するようにしています。

 17日(日)、夕方5時過ぎに帰宅する庭先にかなり弱った状態の茶トラの子猫がいました。とても人を警戒している様子でした。親猫の姿も見当たりません。野良猫の厳しさです、育たない子どもと判断されたときに親から捨てられることもあるそうです。

 こんな時に「命を絶えさせてはならない」と思いませんか。「何とかできないか」と心が動きませんか。この、心が動くということが大事だと思います。「助けるべきだと知っているのに、助けないのはあり得ない。」当然、環境が違いますから保護できる家とできない家があります。野生では育たなくとも、人の力なら育てることができます。家族に聞いても同意見になることは分かっています。私は保護することにしました。

 夜にネコミルクを買いに行き、寝るところを整えました。朝方は、長男の布団に入ってきたそうです。ガリガリにやせ細っていましたが、ご飯も食べ、18日(月)の夜は歩き回れるようになって一安心しました。膝の上に乗ってきたりもしました。撫でるとかわいいゴロゴロが聞こえます。明日は病院に連れて行くことができます。名前は「きなこ」と付けました。先住の「おはぎ」と「ふわり」が受け入れてくれるかなと、3匹との楽しい生活をみんなで想像していました。帰ってきたときに驚かせようと、熊本に住む次男にはあえて連絡をしないことにしました。

 19日(火)の朝早くは歩き回っていたのに容態が急変、不安なまま出張に向かう新幹線の中で、妻からのメールを受け取りました。8時に天国に召されました。出張から帰り、「こむぎ」の墓参りに行きました。

 一所懸命に動いても、結果どうにもならないこともあります。無関心を装い、見ない振りをした方が自分自身には楽だったかもしれません。いじめの問題でも同じようなことが言えないでしょうか。今は体が動かなくとも心は動かしてほしい。次は体が動きます。

 猫も一度きりの記憶を「思い出」として持っているそうです。

家族3人で、「きなこ」に最後の一日を幸せに過ごさせることができて良かったという話しをしました。

 命はとても大切です。(H)

 

 

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【猫のいる暮らし2/5】011227

 人と同じように、それぞれの猫に個性があります。隣の人と自分が全く同じだったらつまらない。違うからこそ面白い。「みんなちがってみんないい。」

「おはぎ」は凜々しい猫に成長しました。特にウ○チの時は、黒豹かと見間違う凜々しさです。名前を呼ぶと近くに寄ってきます。ご飯もカリカリはあまり好きではなく、餌入れに入れると寄ってきますが、「これじゃないでしょ。」という顔をして見つめ、柔らかいご飯を要求します。ちゅーるが大好物です。一度、いなくなったと思ったら、ひどい黄疸が出て弱った状態で発見、病院に通ったことがありましたが、今は至って元気です。

「こむぎ」はだんだん食べては寝る、大きなぐうたら猫に成長しました。予防注射など、病院に連れて行こうとすると察知して、その時だけは素早く逃げます。「ここちゃん」が好きで、いつもあとをついて回っていました。家を出てから数年になります。

「ふわり」はとにかく人懐っこい猫です。家の中では完全にリラックス、ヘソ天で寝ている姿が基本です。書き切れないのでまた紹介します。

「ここちゃん」は唯一の雌猫です。小柄でおとなしく、きょうだいの「ふわり」とはいつもべったり、よく2匹で抱きついて寝ていました。あまり人慣れしない猫でした。一度、大ケガをして帰ってきました。何日も病院に通い傷は治ったのですが、その後、家を出たまま帰ってきていません。

「こむぎ」も「ここちゃん」も家を出たあと、道路の隅も含め探し回りました。発見していないのが家族にとっては少し楽なところです。

「出会いは偶然、別れは必然」と言います。猫の寿命を考えると「猫と暮らす」と言うことは、いつかは「猫と別れる」と言うことなのですが、普段はそんなことは頭から消えています。必ず明日が来るものと思っています。

 時が経ち心の整理がつきました。写真を見ても今は楽しい思い出ばかりです。突然「ご飯くれにゃ。」と帰ってこないかなとちょっと期待しています。

 この頃は、長男も大学を卒業し帰ってきていましたので、3人と2匹の暮らしでした。複数の猫と暮らしている家庭の例に漏れず、帰宅したらまず、「おはぎ」、「ふわり」と声を掛け、みんないるかを確認するのがお約束です。(H)

 

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【猫のいる暮らし1/5】011226

 「猫のいる暮らし」と題して5日間連載します。毎朝9時更新です。猫好きの方も犬好きの方も、一緒に暮らしている、いままで暮らした猫や犬、他の動物のことを思いながら毎日読んでいただくとありがたいです。

 勝手に家の中に入ってくるし、引っ掻くし。呼んでも来ないし。実家でも猫を飼っていた頃があったそうですが、あまり記憶として残っていません。

 6年前に猫と暮らすようになり、猫について完全に私の中でリフレーミングがされました。身の回りは猫グッズだらけです。特に黒猫と白黒のハチワレの猫グッズがたくさんあります。長男からも「お父さんは、猫はそんなに好きじゃない。と言っていたのにね。」と言われます。記憶にございません。

 長男が大学3年生の頃、猫を引き取って良いかという電話を掛けてきました。実は、我が家では猫を飼う予定はありませんでしたが、高校生の頃に田浦から高校に通っていた長男が、八代に住むいとこが拾ってきた、生まれたばかりの子猫を数日で亡くしたという経験をしていたため、飼いたいという気持ちが分かり認めることにしました。

 仕事を終えて長男のアパートに行くと真っ黒な子猫がいました。その姿から「おはぎ」と名付け、その日のうちに水俣に連れ帰り一緒に暮らし始めました。

  半年ほど経った頃でしょうか。シャム猫とタヌキが混ざったような白と茶色のとても汚れた子猫が迷い込んできました。ノミだらけで捨て猫のようです。「おはぎ」で猫と暮らすハードルが下がったので、お風呂に入れきれいにして、病院に連れて行き、「こむぎ」と名付けて暮らし始めました。

 猫が寄りつきやすい環境になったのでしょうか。同じ頃、白黒の模様の野良猫が家に遊びに来るようになりました。牛みたいな模様だったので、我が家では「うしちゃん」と呼んでいました。しばらくして、小柄な八チワレの野良猫も見かけるようになりました。「うしちゃん」に似ていたので、「こうしちゃん」と呼びました。

 次男が高3の5月頃、家を訪ねてくる「こうしちゃん」のおなかが大きくなっていることに気づきました。次男が箱を用意し、その中で3匹の赤ちゃんを産みました。野良猫ですが放置はできないので、子育てができるようなスペースを作り、長毛のハチワレを「ふわり」、短毛のハチワレを「こうしちゃん」にそっくりな子猫なので「こうしのこ」から「ここちゃん」、黒猫を「くろちゃん」ととりあえず呼ぶようにしました。

 しばらくすると走り回れるまで成長しており、人が近づくと警戒してダッシュで逃げていました。その中で、「ふわり」は自分から足下に寄ってくる人懐っこい性格でした。

 ある日、次男が「こうし」と3匹の中で一番小さい「くろちゃん」が亡くなっていることに気づきました。泣きながら一人で埋葬したそうです。すでに家には「おはぎ」と「こむぎ」の2匹がいるため無理かと思いましたが、我が家を選んで寄ってきたのだと思い、残された「ふわり」と「ここちゃん」も一緒に暮らすことにしました。

 「ふわり」は前からいたような顔で生活を始めましたが、「ここちゃん」は警戒して馴染むまで時間がかかりました。3人と4匹の暮らしが始まりました。(H)

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【生徒会リーダー研修】011225

 「生徒会リーダー研修会をするのですが、校長講話をお願いします。」担当、M先生の一言。本校の職員はなかなか厳しい要求をしてきます。「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

 私からは「田浦中の良さを伸ばそう発信しよう」、「現状維持は停滞」、「当番活動ばかりじゃつまらない」という話と、F中のN先生から紹介された、幻冬舎の「はぁって言うゲーム」をしました。お題の一言を声と表情だけで表現するコミュニケーションゲームです。なかなかの盛り上がりでした。

 その後は生徒会担当のM先生、K先生による研修。積み残した課題を3学期にどう解決し、次年度につなぐかを考えました。

 互いを再発見する取組、人間関係の結び直しが単学級の学校ではよくある課題です。「先生、そう言うけど○○ちゃんは保育園の時にね…。」そんな昔のことは忘れましょう。職員と生徒が両輪となって学校の課題を解決する空気が今の田浦中にはあります。牽引するのは今日集まった生徒会リーダーですが、田浦中の全員が主役です。

 さて、今月のホームページの平均閲覧数は300件弱と11月までから倍増しています。残り97話、猫の話は明日からの5日間を最後に封印するので、新学期に困らないよう冬休みはネタ探しや書きだめをします。紅白やお正月番組、箱根駅伝の合間に読んでいただくと嬉しいです。(H)

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【とても嬉しかった】011224

 20日(金)に、1年間の生徒会活動を振り返り、次年度につなげるための総括生徒総会を行いました。最後はK前会長以下、全役員・委員長が後輩への思いを伝えるあいさつをして終わりました。執行部のリーダーシップにより、田浦中PRIDEあふれる生徒会活動を行うことができました。いよいよ新執行部へバトンタッチです。

 今日は終業式。3年生に「1・2学期で心に残った出来事は?」というアンケートとってみたところ、上位にきたのが

 体育大会:雨で順延になったけれども、初めての地方団による対決で競技も地域の皆さんの応援も盛り上がった。終了後の片付けの時に土砂降りに見舞われたことも強烈に印象に残りました。

 合唱コンクール:指揮者のTくんは演奏前から号泣。3年生が一つになって金賞を勝ち取りました。郡音楽会でも素晴らしい歌声を披露しました。

 郡市駅伝大会:男子が13年ぶりの優勝・女子が2年連続準優勝で、田浦中としては初の男女揃っての県大会出場を果たしました。

 坂本先生のこと:誕生日サプライズ成功、号泣した。(その他にも3回号泣)、研究授業が多かった。たくさんの生徒が書いていたのが、3年担任が坂本先生だったのでとても嬉しかった。

 担任は良かねぇと羨ましい限りです。楽しい生活も残り3ヶ月です。(H)

 

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【クリスマス2001】011223

 平成13年。長男は8歳、次男は5歳になりました。

父「サンタさんはいると思う?」

子「いるよ。」

 思いがけない答え。ほう、小学生になっても信じているか。嬉しいな。

子「セント=ニコラウスだよね。」「プレゼントをくれるのはお父さんで、サンタさんはセント=ニコラウス(サンタクロースのモデルになったギリシア人の司教)。」

 またもや思いがけない答え。そう言うことか。であれば話が早い。イブが近づいているのに、今年は次男が何を欲しがっているのかわからない。私が何度聞いても「サンタさんにお願いした。」と繰り返すばかり。言動を観察しても分からない。このままでは「サンタさんはいない。」と言いかねない。

 長男に「何とか聞き出して欲しい。」と言うと、「俺も何回も聞いているけど、サンタさんにお願いしたと言って教えてくれない。」とのこと。妻、じいちゃん、ばあちゃん、本当に誰にも言っていない。今までになかったこと。

 イブ直前、長男が走って私のところへ。「わかった!〇〇だった!」

 さすが、頼るべきは長男でした。「兄ちゃんと一緒にサンタさんにお願いしよう。」と言って聞き出したそうです。

 ところで、あんなに苦労して聞き出したのにそれが何だったのか今では思い出せません。グローブだったような、違うような。(H)

 

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