湯浦中ブログ

亀城ヶ丘だより

【口上2】021004

 平成以降、横綱に昇進できたのは10人(旭富士・曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸・朝青龍・白鳳・日馬富士・鶴竜・稀勢の里)です。現役の貴景勝、朝乃山、正代に期待がかかります。

白鵬「大関の地位を汚さぬよう、全身全霊をかけて努力します」

琴光喜「いかなる時も力戦奮闘し、相撲道に精進いたします」

日馬富士「今後も全身全霊で相撲道に精進します」

把瑠都「稽古に精進し、栄誉ある地位を汚さぬよう努力いたします」

琴奨菊「大関の地位を汚さぬよう、万里一空の境地を求めて日々努力精進します」

稀勢の里「大関の名を汚さぬよう、精進します」

鶴竜「これからも稽古に精進し、お客様に喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力します」

豪栄道「これからも大和魂を貫いてまいります」

照ノ富士「今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進いたします」

高安「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」

栃ノ心「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します」

貴景勝「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」

朝乃山「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義をまっとうし、一生懸命頑張ります」

 

【口上1】021003

 9月30日に宇土市出身の正代(時津風部屋)が大関に昇進しました。身長が私と同じで、体重が2人分。でかいですね。おばあさんの名前「正代正代(しょうだいまさよ)さん」も話題になりました。

 昇進伝達式では「大関の名に恥じぬよう、至誠一貫の精神で相撲道にまい進して参ります。」と口上を述べました。毎回「四字熟語」が話題になりますが、これまでの口上を調べてみました。(最初の「謹んでお受けいたします。」は省略)

霧島「稽古に精進し、大関の名を汚さぬよう、一生懸命頑張ります」

曙「大関の名を汚さぬよう、稽古に精進します」

貴ノ花「今後も不撓不屈の精神で相撲道に精進します」

若ノ花「今後も一意専心の気持ちを忘れず、相撲道に精進いたします」

貴ノ浪「今後は、相撲道に勇往邁進する所存です」

武蔵丸「日本の心を持って、相撲道に精進いたします」

千代大海「大関の名を汚さぬよう、相撲道に精進、努力いたします」

出島「力のもののふを目指し、精進、努力します」

武双山「大関として常に正々堂々、相撲道に徹します」

雅山「大関の名を汚さぬよう、初心を忘れず相撲道に精進、努力します」

魁皇「大関の地位をけがさぬよう、稽古に精進します」

栃東「大関の名に恥じぬよう、稽古に励み、努力精進いたします」

朝青龍「大関の名に恥じぬよう、一生懸命頑張ります」

琴欧州「大関の名に恥じぬように、稽古に精進します」

 

【郡市駅伝競走大会迫る】021002

 郡市中体連駅伝競走大会まで2週間を切りました。今年度初めての各校の代表がそろっての中体連主催の大会です。中間テストも終わり、元気な声が運動場に響き渡りました。昨日は古田前校長先生も会議のため来校、練習風景を嬉しそうに眺めていかれました。大会での活躍を楽しみにされています。

【金木犀】021001

 今日から10月です。今年度も半年が過ぎました。

 校長室のそばにある金木犀(キンモクセイ)の花が咲きました。窓を開けると室内に甘い香りが漂ってきます。中学生にはまだ早いですが、白ワインにキンモクセイの花を3年間漬け込んだ甘味が強く、香りの強い中国の混成酒が「桂花陳酒」、楊貴妃が好んだ酒という言い伝えがあります。

 尾籠な話で恐縮ですが、私たちの世代ではキンモクセイの香りから連想するものがあります。エステー化学では、キンモクセイの香りは数年前にラインナップから消え、現在は他のメーカーから1種類販売されているだけとのこと。キンモクセイにそのイメージが定着してしまったのが消えた原因だそうです。そのあとはラベンダーの香りが流行しましたが、若い人には今度はそれがイメージとして定着したため、今は石鹸の香りが主流だそうです。臭いに強い匂いで対抗するのではなく、科学的に消臭しているようです。

 きれいな話で締めなければ…。今日は十五夜、湯の児の海岸に晩御飯を持って月見。スマホではうまく撮れないのが残念です。(H)

 

 

【人にはようせんば】020930

 昨日で教育実習が終わりました。2人の姿に職員も刺激を受けました。私たち自身が学ぶ機会になりました。

 初日には台風による臨時休校であったため、T実習生のお父さんが学校まで乗せてこられました。田浦中の教頭時代にPTA研修会で一緒に宮崎に行ったTさんでした。一緒に地鶏の刺身を食べた仲です。人はどうつながっているか分かりません。

 月曜にY実習生の授業の反省会をしました。最後に「実は、私の祖母は田浦に住んでいます。」、私が「名字は何て言いなっと。」と聞くと。「庵です。」

 私の中学時代の養護の先生です。私が教頭・校長で田浦中に勤務していた時も大変お世話になりました。同級生である、息子さんの城北高校庵教頭先生にすぐに電話を掛けました。「電話かけんばんて思とったけど、本人が実習が終わるまでは黙っとくて言うたったいね。」と言うことでした。人はどうつながっているか分かりません。

 55年も生きてきましたので「やられたらやり返す!」と言いたくなる時も無いではありませんでしたが、私の母からいつも言われる「人にはようせんば。」を大切にしたいと思っています。人はどうつながっているか分かりません。(H)

 

【3年間で・・・】020929

 Y教育実習生の湯浦中卒業文集より

 わたしは、3年間でたくさんの思い出ができました。

 特に心に残っていることは、中学校最後の文化祭です。合唱コンクールでは指揮、伴奏、そしてわたしたち3年生が最優秀賞をとりました。毎日の練習の成果を本番で発揮することができ、1・2年生に先輩としてのプライドを見せることができたので良かったです。そして劇では、素晴らしい演技力で3年間の集大成と言えるものが完成しました。クラスみんなで団結することができてうれしかったです。劇の最後にわたしは、将来の夢について発表しました。とても緊張しました。しかし、文化祭という大きな舞台で自分の将来の夢を発表したことはとてもいい経験になりました。だからその夢を少しでも叶えられるように頑張りたいと思いました。最後の文化祭は、一人一人がベストを尽くし満足のいく文化祭にできたので良かったです。

 中学校での3年間はとてえも短く感じました。つらいときもあったけれど、みんなの支えで乗り越えることができたことが多くありました。わたしはこのクラスが大好きです。(徳丸先生も・・・)。高校でバラバラになっても絶対に忘れないと思います。いろいろ迷惑をかけたこともありましたが、本当に今までありがとうございました。家族、先生方、みんなに感謝です。(T)

 

【3年間の出来事】020928

 Y教育実習生の湯浦中卒業文集より

 僕の3年間で一番心に残った事は、大きく分けて2つあります。

 1つ目は部活です。僕は3年生になる前の練習中に右ひざを怪我してしまいました。しばらく練習ができなくなってしまい(合同チームを組んでいた)佐敷中の人たちとキャプテンに迷惑をかけてしまいました。中体連大会前には治ってなんとか出場することができました。しかし、1回戦で水俣に負けてしまい、とても悔しい思いをしました。2回ほど自分にあったチャンスを決めることができなかったので、怪我をした自分に公開しました。しかし、サッカーを通して佐敷中の人たちと仲良くなれたので、サッカーをして良かったと思います。

 2つ目は、学習委員長をしたことです。自分からなると決めたことですが、初めての委員会活動はとても緊張しました。1月からのスタートで、初めの2回は前委員長もいて、わからないことがあってもアドバイスなどをもらっていました。しかし、4月になると、計画などすべて自分で決めなくてはならず、最初はとても大変でした。生徒総会でも自分に質問が来るのではないかと、学習委員長として前に座っていて、とても緊張しました。

 12月の学習委員長としての最後の委員会で、新委員長のために新しい活動について決めることができて良かったです。たくさんのことが3年間あり、とても思い出に残りました。(Y)

 

 

【60000】020926

 昨夜の修学旅行説明会には多くの2年生保護者の皆様に参加いただきありがとうございました。23日の田浦中の説明会を始めに、28日には佐敷中の説明会が終わりますので、ご意見やご質問につきましては、3校分を整理し回答したいと思います。安心・安全な修学旅行となるよう準備を進めたいと思います。

昨日の朝、更新のためにHPを開くと、閲覧者カウンターが「60000」ちょうどになっていました。ありがたいことです。思わずスクリーンショットを撮りました。

 湯浦中HP開設から8年目に入る今年の4月3日が「35543」でした。それから約半年で24457回の閲覧がありました。(そのうちの300回近くは私が更新のため開いたものですが。)課題はブログのネタが浮かばないことです。(H)

 

【教育実習査定授業】020925

 今日は教育実習生2人の専門教科の査定授業でした。2時間目は理科の「電流と回路」の単元。内容は「直列回路の各点を流れる電流の大きさについての規則性を見い出す。」というもの。5時間目の国語はヘルマン=ヘッセの「少年の日の思い出」、「ぼく」が友達の「エーミール」の「クジャクヤママユ(蛾)」の標本を盗んでしまう有名な話です。上手下手ではなく、実習生の熱意を感じる授業は良いですね。

 「少年の日の思い出」は、1947年に中学1年生の国語の教科書に掲載されて以来、70年間も授業で取り扱われており、知らない方はいないのではないかと思います。「僕」が謝罪をした時の「エーミール」の言葉「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」が胸に突き刺さります。学級ではしばらくはやります。

 同世代に「中学校の国語の授業で何を覚えているか。」と聞くと、タイトルは覚えていなくとも「ガを盗んだ」話と「チャーが出てくる」話が双璧です。後者は魯迅の「故郷」ですね。(H)

 

 

【秋分の日】020922

 今日は祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ「秋分の日」。秋の彼岸の中日です。「おはぎ」がつきものですが、それはなぜでしょう。

 赤には、災難が身に降りかからないようにする力があると信じられ、赤いあずきからつくられるおはぎ(ぼたもち)を供えることが、ご先祖様の供養と結びついたようです。

 今は年中「おはぎ」と呼ぶことが多いかと思いますが、春の彼岸の頃、「牡丹の花」に見立てたのが「牡丹餅」、変化して「ぼたもち」。秋の彼岸の頃、「萩の花」に見立て、丁寧な言い方をしたのが「おはぎ」だと言います。萩の花は見たことがあるでしょうか。よければ画像検索をしてみてください。牡丹の花はともかく、萩の花とおはぎを結びつける風流さは私にはありません。

 昔、放送されていた「まんが日本昔ばなし」には、ぼたもちが登場する話がいくつかあります。久し振りに見てみました。

『首ひねり』:菊池を旅した行商人が、一軒の民家に泊りました。疲れて眠っていると、隣の部屋から「今晩は手打ちにしようか?半殺しにしようか?」という声が聞こえてきました。

『かえるになったぼたもち』:嫁と姑が、田植えの後にぼたもちをつくって食べました。腹いっぱい食べて、残りは4つ。これを翌朝独り占めして食べようと思った姑は、「嫁の顔を見たらかえるになれ。」と言って、鍋の中に隠して寝ました。

さて、2つの話の続きは…。(H)