湯浦中ブログ

亀城ヶ丘だより

【潜れ!さかなクン」020405

 朝6時頃から妻と二人で湯の児の海岸でウォーキングをしています。先日は海から上がられたばかりの森下誠さんにお会いしました。森下さんは毎朝湯の児の海に潜り、タツノオトシゴやウミウシ、いろいろな海洋生物の調査・観察をされています。

 森下誠さんは、他県で17年間 ダイビングの仕事に就かれた後に帰郷し開業されました。これまでも水俣病学習の講師として、郡市の教頭会研修と前任校での総合的な学習の時間にお話を聞く機会がありました。

 会社名は 「水俣ダイビングサービス SEA HORSE」ですが、その由来についての「『水俣』を名前に入れたかった 」 、 「 調査で潜った水俣の海 の美しさと、そこで 出会ったタツノオトシゴに感動した。」というお話に故郷への 強い思いを感じました。

 「さかなクン」 とは同じ専門学校の別校舎に通っていたとのことで、しばしば一緒に潜られています。明日、5月6日(水)の夜7時半からNHK総合で「潜れ!さかなクン」という番組が放送されます。今回は「熊本・八代海」がテーマです。湯の児の海も紹介されるそうで、ぜひ観て下さいとのことでした。美術のM先生の生徒への課題ではありませんが、私が今、最もきれいだなと思う風景の一つです。(M)

【MT先生の中学時代2】020505

 最後に、恋愛感情についてですが、思春期ということで当然ながら中学3年間の中で憧れの生徒が登場してきます。その当時の津奈木中では、ネーム交換が流行っていたのを覚えています。憧れの生徒のネームをゲットするだけで大満足といった感じで学校生活を楽しんでいました。その当時のカップルがそのまま交際を続け、結婚した同級生が2組いますね。

 学習面の話にもどりますが、私には2人の息子がいます。私が先生だからと言って学習を教えたことはほとんどありません。(質問されれば答えていました。)1つだけ、息子たちにいつも言っていたことがあります。それは、「授業中は、しっかりと先生の話を聞くようにして、授業中に内容を理解するようにしなさい。」ということです。2人の子どもとも実践したようで、一応、授業中の居眠りなどは1回もなかったと言っています。

 湯浦中の皆さんもたった一度の中学生時代を文武両道の確立をめざして楽しんでほしいと思います。(MT)

 

【MT先生の中学時代1】020504

 先生方の中学時代の紹介、第2回は理科のMT先生です。津奈木町立津奈木中学校出身です。

 まず、部活動の思い出として、入学前の春休みに、柔道部のキャプテンが私と同じ地区の先輩ということで勧誘され、実際に受け身などを柔道場で経験したことがありました。しかし、柔道部には入らず、小学校の頃はソフトボール少年だったので野球部に入部しました。体調面の諸事情で2年生の途中で野球部を退部し、その後少し空白の時間がありましたが、津奈木中にはそれまでなかった男子バレーボール部を新たに作りました。その当時、湯浦中にも男子バレーボール部があったので練習試合でも湯浦中に来たことを覚えています。結局、公式戦全敗で終わりましたが、この経験が教師になってからのバレーボール部指導に役立ちました。

 次に、学習面の思い出としては、勉強をがむしゃらに頑張っていたことです。学校の先生になりたいと思い始めたのも中学校のころからだったと思います。中間、期末テストは夜遅くまで(徹夜する時もありましたが)必死に頑張っていました。私の頃は、中間、期末テストの日は午前中授業だったので、昼から家に帰って前の日の夜に寝ていない分の睡眠を取ることができました。高校では、テスト前に徹夜しても時間が足らないほど学習量が多かったのを覚えています。(MT)

 

【OM先生の中学時代2】020503

 この仕事を始めて、母校に勤める機会があった時に知ったのですが、私が中学生の頃は、母校は周りの学校から体育学校と呼ばれるくらい部活動が盛んだったそうです。確かに、中体連の優勝旗が多かったような気がします。部活だけではなく、全部活動が朝練をしていましたし、木曜日だけ掃除なしで昼休みがその分多かったです。それで何をするのかというと、先生たちとサッカーで勝負していました。校長、教頭先生も出てきて本気でサッカーをやっていました。そのおかげか、職員室は行きやすかったです。結構職員室に行っては、先生たちと雑談をしていました。

 昔はまだ厳しくなかったので、落ち葉を集めて焚火をグラウンドの隅でやっていました。学校行事で、サツマイモ栽培、茶摘み、梅ちぎりなどをやっていて、サツマイモができると、3日に1度、技術の先生がイモをふかして各学年に配っていました。小さい芋は、グラウンドの焚火場所においてあって、部活が始まる前に焚火にくべて、部活が終わると焼き芋がいい具合にできていたので、みんなで食べて帰っていました。

 今思うと、たくさんの良い経験をさせてもらっていたのだなと思います。(OM)

 

【OM先生の中学時代1】020502

先生方の中学生時代を時々紹介します。トップバッターは社会科のOM先生です。

球磨郡の上村立(うえそんりつ)上村(うえむら)中学校(現あさぎり中学校)出身

 とにかく部活第一の生活でした。

 小学校中学年くらいから、陸上競技の長距離に目覚めました。(それまで何もとりえがなかったのですが、努力すれば結果が出ることにとりつかれました。)先輩にも恵まれて、人吉球磨では強いといわれていたので、練習環境にも恵まれ、とにかく楽しくて毎日部活に行っていました。暇さえあれば、部室に集まっておしゃべりしたり陸上の雑誌を読んだりしていました。休みの日も、自然と夕方に部室に集まって、一緒に自主練したりグラウンドでサッカーをしたりして遊びました。中学校時代は家にいることがなくて、部活の先輩や友達と一緒にいることがほとんどでした。ここで、人付き合いを学んだような気がします。

 勉強もちゃんとしていました。授業も、ちゃんと受けるのが当たり前で授業中に寝るなんて考えもしなかったし、居残りもいなかったように思います。授業が終わったら、放課後はすぐ部活が当たり前だと思っていました。とてものびのびと過ごしやすい学校でした。(OM)

【家庭訪問】020501

 昨年の今日は、改元で全国が祝賀ムードに溢れていました。ずいぶん昔のことのように感じます。

 家庭訪問は大変お世話になりました。新型コロナウイルス感染症対策のため、マスクを着用し、玄関先で距離を空けてと変則的な方法で行いました。

 私が田浦中生の頃は、家庭訪問期間は午前中授業で午後は長い長い部活動でした。1・2年生の時は、家庭訪問の日に部活を抜けることができて嬉しかったことを思い出します。今の部活動の上下関係は羨ましいくらい仲良しですね。私たちの頃は、歯の治療に行くにも、上級生から「ビンタ一発打たれて」行かないといけないという訳の分からない時代でした。

 初任校は西合志南中でした。熊本市のベッドタウンのため、狭い校区に1学年7クラスの住宅が密集していました。1学期途中まで車を持っていなかったので自転車で回りましたが、一件目で大きなスイカをいただき、前かごに入れたままの家庭訪問でした。

 異動した人吉二中では畑が広がる風景の中、幹線道路へ出る道を見失い、30分ほどさまよいました。生徒に狭い道を案内され崖ぎりぎりを通ったこと、2年連続で同じ生徒が親に家庭訪問のプリントを渡しておらず、誰もいなかったこと…。スマホもカーナビもなかったころの思い出です。(H)

 

【休校中の家庭学習】020430

 芦北町教育委員会では、新型コロナウイルス感染症の一層の感染拡大防止を図るため、熊本県教育委員会の対応に準じ、休業(休校)期間を5月31日(日)まで延長することとなりました。

 芦北町立の3中学校では、5教科担当の先生が分担して、教科書を使った家庭学習の進め方の手引きを作成することにしました。毎週1回の学年別分散登校の日に見取りを行い、次の週の課題を配付する予定です。

 私も他管内に勤務している息子と歴史人物の一問一答集を作成しています。久しぶりに教科書を隅々まで読むとなかなか面白いですね。私たちが中学生の頃は、世界最古の人類はピテカントロプス・エレクトゥスと習っていましたが、新たな発見があったため、現行の教科書ではサヘラントロプス・チャデンシスです。

 現行の教科書では渋沢栄一、津田梅子は本文外のトピックに、北里柴三郎は本文に細字で記されていますが、次は本文太字になるのかな?などと想像しながら読んでいます。(H)

 

【湯浦中の歴史4】020429

最終回です。先日、新聞記事を紹介した藤井瑞希選手の記録が輝いています。

平成21年 中村和長(137人)文科省指定道徳教育実践事業

平成22年 中村和長(128人)耐震工事・生徒棟壁面塗装工事・放送設備工事完工、体育館裏駐車場完成、文科省指定道徳教育実践事業

平成23年 中村和長(122人)50周年記念寄贈品披露式典(体育館大スクリーン)

平成24年 松本弘二(112人)藤井瑞樹選手ロンドンオリンピック銀メダル受賞記念碑除幕式(11/13)

平成25年 松本弘二(118人)プール大規模改修工事、町指定ICT活用研究発表会

平成26年 松本秀一(132人)

平成27年 松本秀一(136人)屋上雨漏り防止工事、体育館天井落下防止工事

平成28年 沖村 巧(117人)熊本地震、熊本県図工・美術研究大会

平成29年 沖村 巧(110人)俳句教室

平成30年 古田利也(107人)プール床張り替え工事

平成31年(令和元年)古田利也(106人)5月1日改元、新型コロナウイルス感染症対策のため臨時休業(3/2~3/24)

 

【湯浦中の歴史3】020428

いよいよ時代は平成に入ります。空欄の年度はさらに調べて、後日「本校の教育」のコーナーにアップします。(H)

平成元年 大石正雄(299人)普通教室2階廊下結露防止工事、警備システム設置

平成2年 大石正雄(277人)結露防止工事(1・2・3階廊下、階段)、運動場南拡張部整地

平成3年 斎藤 潔(271人)渡り廊下塗装工事、結露防止工事(1・2・3階)、体育館照明増設工事、パソコン5台購入

平成4年 斎藤 潔(273人)芦北町・韓国児童生徒国際交流、パソコン教室設置工事完了

平成5年 荒川治之(295人)複式学級設置、パソコン教室冷房設備設置、町指定学力充実研究発表

平成6年 山崎望良(303人)運動場南側土盛整地工事

平成7年 山崎望良(300人)体育館ステージ内装工事完了

平成8年 山崎望良(277人)インターネット配線、貯水タンク取り換え工事

平成9年 村田晃治(295人)県指定学力向上研究推進校(フロンティアスクール)、プール改修工事

平成10年 村田晃治(293人)創立50周年記念式典、校旗寄贈・紅白モクレン植樹(実行委員会)

平成11年 村田晃治(283人)

平成12年 谷村洋征(255人)

平成13年 谷村洋征(243人)運動場北側防球ネット設置、県中学校進路指導研究会会場

平成14年 谷村洋征(230人)

平成15年 楠原眞幸(211人)県租税教育研究指定校発表会 

平成16年 楠原眞幸(208人)文部科学省長期宿泊体験(あしきた青少年の家)

平成17年 本山 嵩(197人)キャリア教育研究指定、施設アスベスト使用による学校給食休止

平成18年 本山 嵩(196人)

平成19年 本山 嵩(170人) 

平成20年 松原惠治(158人)地震緊急放送設備工事、屋内運動場落成式(3/12)

 

【白熊のはく製】020427

 湯浦中の玄関に入るとまず目に留まるのが、迫力ある「白熊の剥(はく)製」です。日付を見ると、昭和52年3月1日(前任の古田校長先生が中学1年生の時)に、北海道の東洋建設株式会社社長の木藤義夫様より寄贈されたもののようです。学校日誌を調べましたが、寄贈いただいた詳細は分かりませんでした。学校沿革誌には「白熊」ではなく「熊の剥製」とあります。まさか40年の間に白くなったということはないでしょうが、いろいろと気になります。どなたかご存じないでしょうか?(H)

【藤】020426

大野小学校HPに「バス停からの階段の藤のトンネルがきれいです。」という記事が(4/17)アップされていました。湯浦中も負けじとばかり掲示板にK先生作の藤を咲かせました。ちなみに「藤」の咲く様子は「稲」が豊かに実っている姿と似通っています。当時、臣下で最も高い位にあった中臣鎌足が天智天皇からいただいた「藤原」の名字は、日本の代表的作物である「稲」を表しているそうです。(H)

【信頼と信用】020425

 臨時休業により子どもたちだけで情報端末を使う機会や時間が増えているかと思います。

以前、バイトテロと称される不適切な動画による事件が相次いで発生したことを記憶されている方も多いかと思います。仲間内だけの悪ふざけが、他者によって全世界に発信され、自分のみならず家族まで特定され全世界にさらされる。就職の際に、過去にアップした発言や画像がすべて調べられる。本人は匿名のつもりでも、どの手段よりも確実に本人が特定できるのがネットの特性です。

 SNSで知り合った人に実際会ったことがある人の割合は29%。約3人に1人ですから、自分の子どもは関係ないというレベルではありません。わが子も巻き込む、巻き込まれる可能性があると疑ってかかることが、子どもの安全を担保することになります。

 買い与えた者として、責任と覚悟は必要です。自動車はそれぞれが好き勝手に運転すると事故につながります。人の命を奪うこともあります。だからルールがあり免許が必要です。SNSも命を奪うことにつながることがあります。免許にあたるのは家庭のルールです。

 免許を取って安全運転をしていても事故は発生します。誤解がないように聞いていただきたいのですが、SNSに関しては子どもを「信頼」はしても「信用」はしないことが大事です。それが、子どもの命を守ることにつながります。(H)

 

【登校日】020423

 今日は久しぶりの登校日、生憎の曇り空です。湯浦中の朝は、国旗・校旗の掲揚から始まります。靴箱もぴしゃり。かかとが揃い、きれいに並んでいます。心の中は晴れ晴れとしています。(H)

【明日は登校日】020422

 明日は登校日です。8時15分まで登校、10時00分(当初の予定を短縮しました)には全員下校する予定で、給食はありません。マスク着用、今日の分までの学習課題(各教科担当より指示ずみ)、筆記用具、明るい笑顔を忘れないようにしましょう。

 昨年度末に本校から佐敷中に異動したH先生(数学科)から「湯浦中のホームページを毎日楽しみにチェックしています!」といったうれしいメールが入りました。異動された先生方にも湯浦中生の頑張りを伝えられるHPにしていきたいと思います。

 私自身も、過去に勤務した田浦中・佐敷中・水俣二中と校区の湯浦小・内野小、頻繁に更新されている大野小のHPを登録して毎朝チェックしています。他校の取り組みがとても参考になります。(H)

【縄跳び】020421

休校中の運動不足解消のため、生徒全員分の跳び縄を学校で購入しました。23日(木)の登校日に全生徒に貸し出します。びゃんびゃん跳んで健康維持に努めましょう。(H)

※撮影の後、ちょっと跳んでみました。さすが、O先生は余裕でした。動画を「湯チューブ」にアップする予定はございません。

【湯浦中の歴史2】020421

正面玄関で出迎える白熊のはく製の記録がありました。古田校長先生が中1の3月に寄贈されたはずですが、まったく記憶にないとのこと。ちなみに、私が隣の田浦中で過ごしたのは昭和53年度~55年度です。(H)

昭和39年 山本長夫(743人)文部省指定産業教育発表

昭和40年 山本長夫(683人)完全給食開始

昭和41年 山本長夫(697人)体育館落成式

昭和42年 山本長夫(707人)湯浦中専用水道工事着工

昭和43年 橋口義次(642人)手洗い場新設と拡張工事

昭和44年 橋口義次(590人)岩石園完成(卒業生・PTA寄贈)

昭和45年 荒川 弘(499人)校章・校名大看板寄贈(松下博美氏)、町村合併により芦北町立湯浦中学校と改称、校長住宅完成

昭和46年 荒川 弘(500人)文部省研究指定校(教育課程)

昭和47年 荒川 弘(448人)第1校舎付近花壇造園・芝生植え付け、文科省指定中学校教育課程研究発表

昭和48年 荒川 弘(433人)創立25周年記念式典

昭和49年 角田 保(393人)プール完成

昭和50年 四宮智香志(365人)国旗掲揚柱寄贈(池田兼光氏)

昭和51年 四宮智香志(364人)県研究指定校(安全教育)、白熊はく製寄贈(木藤義夫氏)

昭和52年 四宮智香志(365人)安全教育研究発表

昭和53年 四宮智香志(368人)JOC研究委嘱

昭和54年 四宮智香志(352人)県生徒指導研究指定校委嘱、校舎移築工事開始

昭和55年 明石輝雄(343人)新校舎へ移転(5/19)

昭和56年 明石輝雄(344人)卒業制作「校歌木彫りレリーフ」寄贈

昭和57年 明石輝雄(342人)屋外トイレ完成、卒業制作「私たちの郷土校歌木彫りレリーフ」寄贈

昭和58年 吉田 扶(327人)外庭掲示板寄贈

昭和59年 吉田 扶(321人)姿見鏡4台寄贈、植樹7本寄贈、体育部室完成

昭和60年 吉田 扶(313人)ヤマモモ植樹寄贈(古道地区PTA)

昭和61年 小野田稔(306人)PTA「心を育てる教育」県P連表彰、校名大看板寄贈(PTA)、県教委指定「豊かな心と確かな学力を育てる」研究発表、

昭和62年 小野田稔(310人)学校保健統計調査実施校

昭和63年 小野田稔(308人)普通教室2階廊下結露防止工事、体育大会優勝旗寄贈(PTA)、運動場拡張埋立工事

 

【湯浦中の歴史1】020420

湯浦中の歴史を調べてみました。各学校、記録の残し方に特徴がありますが、湯浦中は工事関係の記録が中心のようです。自分の中学生時代を探して、どんなことがあったかを思い出してみてください。福岡校長先生の時代はなんと8年間に亘ります。最近の4代(松本弘二校長、松本秀一校長、沖村巧校長、古田利也校長)の合計と同じ期間です。すごいですね。(H)

昭和22年 伊藤一高(309人)法律26号より開校、湯浦村立湯浦中学校と称す。

第1回入学式挙行(入学者198名)校舎は湯浦小学校に併置し、別に内野小学校内に分室を置く。

昭和23年 福島武雄(421人)校舎新築落成式(10/15)、現在地に移転(10/30)

昭和24年 福島武雄(575人)第1回PTA総会、校歌制定

昭和25年 山本 隆(594人)第2運動場拡張・PTAより校旗贈呈

昭和26年 山本 隆(572人)町制施行 湯浦町立湯浦中学校と改称

昭和27年 山本 隆(548人)

昭和28年 岩崎守一(565人)第2校舎落成式

昭和29年 岩崎守一(626人)学校給水施設工事完工

昭和30年 岩崎守一(608人)時報用サイレン寄贈(小崎等氏他)

昭和31年 福岡邦彦(570人)

昭和32年 福岡邦彦(572人)

昭和33年 福岡邦彦(527人)16ミリ映写機購入

昭和34年 福岡邦彦(535人)

昭和35年 福岡邦彦(596人)運動場拡張工事

昭和36年 福岡邦彦(683人)電話機2台寄贈(電電公社)

昭和37年 福岡邦彦(760人)文部省指定産業教育発表(水俣二中と合同)

昭和38年 福岡邦彦(738人)正面付近フェニックス植樹寄贈(橋口亀次郎氏)、租税教育発表

 

 

 

【デマにご注意を】020419

 先月の話になりますが、3月27日(木)の夕方、臨時休校の報道を受けて、帰り道に給食の代わりのカップ麺を買いに量販店に行きました。すると、駐車場は車でいっぱいです。中に入るとみんながトイレットペーパーとボックスティッシュを手にしています。トイレットペーパー売り場もレジも人でいっぱい。何事か?と思っていると、ある保護者にお会いしました。「トイレットペーパーとティッシュがなくなるというデマがSNSで流れている。」とのことでした。ネットを見ると今回のデマの記事が大きく載っていました。熊本県の人が特に騙されているようです。

 「マスクの材料に紙が回収される」ということが根拠のない根拠だったようです。手持ちのマスクの箱を見ると素材は「本体・フィルタ部…ポリプロピレン・ポリエチレン」、「耳ひも部…ナイロン・ポリウレタン」という表示がありました。使い捨てマスクは「紙」製ではないようです。

 いや、よく読むと下の方に「外箱…紙」という表示が。なるほど、回収された紙製品は「外箱」になるのか。そんなわけはないですね。

 新型コロナウイルス感染症対策に関する詐欺のニュースもしばしば報道されます。給付金について発表があった今、これをネタにしようという輩も出てきます。情報は見極めが大切です。(H)