亀城ヶ丘だより
【湯浦中の歴史3】020428
いよいよ時代は平成に入ります。空欄の年度はさらに調べて、後日「本校の教育」のコーナーにアップします。(H)
平成元年 大石正雄(299人)普通教室2階廊下結露防止工事、警備システム設置
平成2年 大石正雄(277人)結露防止工事(1・2・3階廊下、階段)、運動場南拡張部整地
平成3年 斎藤 潔(271人)渡り廊下塗装工事、結露防止工事(1・2・3階)、体育館照明増設工事、パソコン5台購入
平成4年 斎藤 潔(273人)芦北町・韓国児童生徒国際交流、パソコン教室設置工事完了
平成5年 荒川治之(295人)複式学級設置、パソコン教室冷房設備設置、町指定学力充実研究発表
平成6年 山崎望良(303人)運動場南側土盛整地工事
平成7年 山崎望良(300人)体育館ステージ内装工事完了
平成8年 山崎望良(277人)インターネット配線、貯水タンク取り換え工事
平成9年 村田晃治(295人)県指定学力向上研究推進校(フロンティアスクール)、プール改修工事
平成10年 村田晃治(293人)創立50周年記念式典、校旗寄贈・紅白モクレン植樹(実行委員会)
平成11年 村田晃治(283人)
平成12年 谷村洋征(255人)
平成13年 谷村洋征(243人)運動場北側防球ネット設置、県中学校進路指導研究会会場
平成14年 谷村洋征(230人)
平成15年 楠原眞幸(211人)県租税教育研究指定校発表会
平成16年 楠原眞幸(208人)文部科学省長期宿泊体験(あしきた青少年の家)
平成17年 本山 嵩(197人)キャリア教育研究指定、施設アスベスト使用による学校給食休止
平成18年 本山 嵩(196人)
平成19年 本山 嵩(170人)
平成20年 松原惠治(158人)地震緊急放送設備工事、屋内運動場落成式(3/12)
【白熊のはく製】020427
湯浦中の玄関に入るとまず目に留まるのが、迫力ある「白熊の剥(はく)製」です。日付を見ると、昭和52年3月1日(前任の古田校長先生が中学1年生の時)に、北海道の東洋建設株式会社社長の木藤義夫様より寄贈されたもののようです。学校日誌を調べましたが、寄贈いただいた詳細は分かりませんでした。学校沿革誌には「白熊」ではなく「熊の剥製」とあります。まさか40年の間に白くなったということはないでしょうが、いろいろと気になります。どなたかご存じないでしょうか?(H)
【藤】020426
大野小学校HPに「バス停からの階段の藤のトンネルがきれいです。」という記事が(4/17)アップされていました。湯浦中も負けじとばかり掲示板にK先生作の藤を咲かせました。ちなみに「藤」の咲く様子は「稲」が豊かに実っている姿と似通っています。当時、臣下で最も高い位にあった中臣鎌足が天智天皇からいただいた「藤原」の名字は、日本の代表的作物である「稲」を表しているそうです。(H)
【信頼と信用】020425
臨時休業により子どもたちだけで情報端末を使う機会や時間が増えているかと思います。
以前、バイトテロと称される不適切な動画による事件が相次いで発生したことを記憶されている方も多いかと思います。仲間内だけの悪ふざけが、他者によって全世界に発信され、自分のみならず家族まで特定され全世界にさらされる。就職の際に、過去にアップした発言や画像がすべて調べられる。本人は匿名のつもりでも、どの手段よりも確実に本人が特定できるのがネットの特性です。
SNSで知り合った人に実際会ったことがある人の割合は29%。約3人に1人ですから、自分の子どもは関係ないというレベルではありません。わが子も巻き込む、巻き込まれる可能性があると疑ってかかることが、子どもの安全を担保することになります。
買い与えた者として、責任と覚悟は必要です。自動車はそれぞれが好き勝手に運転すると事故につながります。人の命を奪うこともあります。だからルールがあり免許が必要です。SNSも命を奪うことにつながることがあります。免許にあたるのは家庭のルールです。
免許を取って安全運転をしていても事故は発生します。誤解がないように聞いていただきたいのですが、SNSに関しては子どもを「信頼」はしても「信用」はしないことが大事です。それが、子どもの命を守ることにつながります。(H)
【くまもと五輪物語2】020424
4月24日付熊本日日新聞11面に藤井瑞希選手と垣岩令佳選手の(下)が掲載されていました。(上)は18日のブログで紹介しています。
【登校日】020423
今日は久しぶりの登校日、生憎の曇り空です。湯浦中の朝は、国旗・校旗の掲揚から始まります。靴箱もぴしゃり。かかとが揃い、きれいに並んでいます。心の中は晴れ晴れとしています。(H)
【明日は登校日】020422
明日は登校日です。8時15分まで登校、10時00分(当初の予定を短縮しました)には全員下校する予定で、給食はありません。マスク着用、今日の分までの学習課題(各教科担当より指示ずみ)、筆記用具、明るい笑顔を忘れないようにしましょう。
昨年度末に本校から佐敷中に異動したH先生(数学科)から「湯浦中のホームページを毎日楽しみにチェックしています!」といったうれしいメールが入りました。異動された先生方にも湯浦中生の頑張りを伝えられるHPにしていきたいと思います。
私自身も、過去に勤務した田浦中・佐敷中・水俣二中と校区の湯浦小・内野小、頻繁に更新されている大野小のHPを登録して毎朝チェックしています。他校の取り組みがとても参考になります。(H)
【縄跳び】020421
休校中の運動不足解消のため、生徒全員分の跳び縄を学校で購入しました。23日(木)の登校日に全生徒に貸し出します。びゃんびゃん跳んで健康維持に努めましょう。(H)
※撮影の後、ちょっと跳んでみました。さすが、O先生は余裕でした。動画を「湯チューブ」にアップする予定はございません。
【湯浦中の歴史2】020421
正面玄関で出迎える白熊のはく製の記録がありました。古田校長先生が中1の3月に寄贈されたはずですが、まったく記憶にないとのこと。ちなみに、私が隣の田浦中で過ごしたのは昭和53年度~55年度です。(H)
昭和39年 山本長夫(743人)文部省指定産業教育発表
昭和40年 山本長夫(683人)完全給食開始
昭和41年 山本長夫(697人)体育館落成式
昭和42年 山本長夫(707人)湯浦中専用水道工事着工
昭和43年 橋口義次(642人)手洗い場新設と拡張工事
昭和44年 橋口義次(590人)岩石園完成(卒業生・PTA寄贈)
昭和45年 荒川 弘(499人)校章・校名大看板寄贈(松下博美氏)、町村合併により芦北町立湯浦中学校と改称、校長住宅完成
昭和46年 荒川 弘(500人)文部省研究指定校(教育課程)
昭和47年 荒川 弘(448人)第1校舎付近花壇造園・芝生植え付け、文科省指定中学校教育課程研究発表
昭和48年 荒川 弘(433人)創立25周年記念式典
昭和49年 角田 保(393人)プール完成
昭和50年 四宮智香志(365人)国旗掲揚柱寄贈(池田兼光氏)
昭和51年 四宮智香志(364人)県研究指定校(安全教育)、白熊はく製寄贈(木藤義夫氏)
昭和52年 四宮智香志(365人)安全教育研究発表
昭和53年 四宮智香志(368人)JOC研究委嘱
昭和54年 四宮智香志(352人)県生徒指導研究指定校委嘱、校舎移築工事開始
昭和55年 明石輝雄(343人)新校舎へ移転(5/19)
昭和56年 明石輝雄(344人)卒業制作「校歌木彫りレリーフ」寄贈
昭和57年 明石輝雄(342人)屋外トイレ完成、卒業制作「私たちの郷土校歌木彫りレリーフ」寄贈
昭和58年 吉田 扶(327人)外庭掲示板寄贈
昭和59年 吉田 扶(321人)姿見鏡4台寄贈、植樹7本寄贈、体育部室完成
昭和60年 吉田 扶(313人)ヤマモモ植樹寄贈(古道地区PTA)
昭和61年 小野田稔(306人)PTA「心を育てる教育」県P連表彰、校名大看板寄贈(PTA)、県教委指定「豊かな心と確かな学力を育てる」研究発表、
昭和62年 小野田稔(310人)学校保健統計調査実施校
昭和63年 小野田稔(308人)普通教室2階廊下結露防止工事、体育大会優勝旗寄贈(PTA)、運動場拡張埋立工事
【湯浦中の歴史1】020420
湯浦中の歴史を調べてみました。各学校、記録の残し方に特徴がありますが、湯浦中は工事関係の記録が中心のようです。自分の中学生時代を探して、どんなことがあったかを思い出してみてください。福岡校長先生の時代はなんと8年間に亘ります。最近の4代(松本弘二校長、松本秀一校長、沖村巧校長、古田利也校長)の合計と同じ期間です。すごいですね。(H)
昭和22年 伊藤一高(309人)法律26号より開校、湯浦村立湯浦中学校と称す。
第1回入学式挙行(入学者198名)校舎は湯浦小学校に併置し、別に内野小学校内に分室を置く。
昭和23年 福島武雄(421人)校舎新築落成式(10/15)、現在地に移転(10/30)
昭和24年 福島武雄(575人)第1回PTA総会、校歌制定
昭和25年 山本 隆(594人)第2運動場拡張・PTAより校旗贈呈
昭和26年 山本 隆(572人)町制施行 湯浦町立湯浦中学校と改称
昭和27年 山本 隆(548人)
昭和28年 岩崎守一(565人)第2校舎落成式
昭和29年 岩崎守一(626人)学校給水施設工事完工
昭和30年 岩崎守一(608人)時報用サイレン寄贈(小崎等氏他)
昭和31年 福岡邦彦(570人)
昭和32年 福岡邦彦(572人)
昭和33年 福岡邦彦(527人)16ミリ映写機購入
昭和34年 福岡邦彦(535人)
昭和35年 福岡邦彦(596人)運動場拡張工事
昭和36年 福岡邦彦(683人)電話機2台寄贈(電電公社)
昭和37年 福岡邦彦(760人)文部省指定産業教育発表(水俣二中と合同)
昭和38年 福岡邦彦(738人)正面付近フェニックス植樹寄贈(橋口亀次郎氏)、租税教育発表