亀城ヶ丘だより
【3年間で・・・】020929
Y教育実習生の湯浦中卒業文集より
わたしは、3年間でたくさんの思い出ができました。
特に心に残っていることは、中学校最後の文化祭です。合唱コンクールでは指揮、伴奏、そしてわたしたち3年生が最優秀賞をとりました。毎日の練習の成果を本番で発揮することができ、1・2年生に先輩としてのプライドを見せることができたので良かったです。そして劇では、素晴らしい演技力で3年間の集大成と言えるものが完成しました。クラスみんなで団結することができてうれしかったです。劇の最後にわたしは、将来の夢について発表しました。とても緊張しました。しかし、文化祭という大きな舞台で自分の将来の夢を発表したことはとてもいい経験になりました。だからその夢を少しでも叶えられるように頑張りたいと思いました。最後の文化祭は、一人一人がベストを尽くし満足のいく文化祭にできたので良かったです。
中学校での3年間はとてえも短く感じました。つらいときもあったけれど、みんなの支えで乗り越えることができたことが多くありました。わたしはこのクラスが大好きです。(徳丸先生も・・・)。高校でバラバラになっても絶対に忘れないと思います。いろいろ迷惑をかけたこともありましたが、本当に今までありがとうございました。家族、先生方、みんなに感謝です。(T)
【3年間の出来事】020928
Y教育実習生の湯浦中卒業文集より
僕の3年間で一番心に残った事は、大きく分けて2つあります。
1つ目は部活です。僕は3年生になる前の練習中に右ひざを怪我してしまいました。しばらく練習ができなくなってしまい(合同チームを組んでいた)佐敷中の人たちとキャプテンに迷惑をかけてしまいました。中体連大会前には治ってなんとか出場することができました。しかし、1回戦で水俣に負けてしまい、とても悔しい思いをしました。2回ほど自分にあったチャンスを決めることができなかったので、怪我をした自分に公開しました。しかし、サッカーを通して佐敷中の人たちと仲良くなれたので、サッカーをして良かったと思います。
2つ目は、学習委員長をしたことです。自分からなると決めたことですが、初めての委員会活動はとても緊張しました。1月からのスタートで、初めの2回は前委員長もいて、わからないことがあってもアドバイスなどをもらっていました。しかし、4月になると、計画などすべて自分で決めなくてはならず、最初はとても大変でした。生徒総会でも自分に質問が来るのではないかと、学習委員長として前に座っていて、とても緊張しました。
12月の学習委員長としての最後の委員会で、新委員長のために新しい活動について決めることができて良かったです。たくさんのことが3年間あり、とても思い出に残りました。(Y)
【60000】020926
昨夜の修学旅行説明会には多くの2年生保護者の皆様に参加いただきありがとうございました。23日の田浦中の説明会を始めに、28日には佐敷中の説明会が終わりますので、ご意見やご質問につきましては、3校分を整理し回答したいと思います。安心・安全な修学旅行となるよう準備を進めたいと思います。
昨日の朝、更新のためにHPを開くと、閲覧者カウンターが「60000」ちょうどになっていました。ありがたいことです。思わずスクリーンショットを撮りました。
湯浦中HP開設から8年目に入る今年の4月3日が「35543」でした。それから約半年で24457回の閲覧がありました。(そのうちの300回近くは私が更新のため開いたものですが。)課題はブログのネタが浮かばないことです。(H)
【教育実習査定授業】020925
今日は教育実習生2人の専門教科の査定授業でした。2時間目は理科の「電流と回路」の単元。内容は「直列回路の各点を流れる電流の大きさについての規則性を見い出す。」というもの。5時間目の国語はヘルマン=ヘッセの「少年の日の思い出」、「ぼく」が友達の「エーミール」の「クジャクヤママユ(蛾)」の標本を盗んでしまう有名な話です。上手下手ではなく、実習生の熱意を感じる授業は良いですね。
「少年の日の思い出」は、1947年に中学1年生の国語の教科書に掲載されて以来、70年間も授業で取り扱われており、知らない方はいないのではないかと思います。「僕」が謝罪をした時の「エーミール」の言葉「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」が胸に突き刺さります。学級ではしばらくはやります。
同世代に「中学校の国語の授業で何を覚えているか。」と聞くと、タイトルは覚えていなくとも「ガを盗んだ」話と「チャーが出てくる」話が双璧です。後者は魯迅の「故郷」ですね。(H)
【秋分の日】020922
今日は祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ「秋分の日」。秋の彼岸の中日です。「おはぎ」がつきものですが、それはなぜでしょう。
赤には、災難が身に降りかからないようにする力があると信じられ、赤いあずきからつくられるおはぎ(ぼたもち)を供えることが、ご先祖様の供養と結びついたようです。
今は年中「おはぎ」と呼ぶことが多いかと思いますが、春の彼岸の頃、「牡丹の花」に見立てたのが「牡丹餅」、変化して「ぼたもち」。秋の彼岸の頃、「萩の花」に見立て、丁寧な言い方をしたのが「おはぎ」だと言います。萩の花は見たことがあるでしょうか。よければ画像検索をしてみてください。牡丹の花はともかく、萩の花とおはぎを結びつける風流さは私にはありません。
昔、放送されていた「まんが日本昔ばなし」には、ぼたもちが登場する話がいくつかあります。久し振りに見てみました。
『首ひねり』:菊池を旅した行商人が、一軒の民家に泊りました。疲れて眠っていると、隣の部屋から「今晩は手打ちにしようか?半殺しにしようか?」という声が聞こえてきました。
『かえるになったぼたもち』:嫁と姑が、田植えの後にぼたもちをつくって食べました。腹いっぱい食べて、残りは4つ。これを翌朝独り占めして食べようと思った姑は、「嫁の顔を見たらかえるになれ。」と言って、鍋の中に隠して寝ました。
さて、2つの話の続きは…。(H)