湯浦中ブログ

亀城ヶ丘だより

【重陽の節句】020909

 今日は季節の節目となる五節句の一つ、重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)です。古代中国では奇数を陽、偶数を陰と考えたので、縁起の良い奇数の中で最も大きい数字が重なる9月9日は重陽ということになります。菊酒を飲んだり、栗ご飯を食べたりして無病息災や長寿を願ったそうです。

 重陽の節句と聞くと、「雨月物語(上田秋成)」の中の「菊花の約(ちぎり)」という話を思い出します。

 出雲へ密使として旅の途中、病に倒れた宗右衛門は、左門に助けられました。それを縁に意気投合、義兄弟となった2人でしたが、宗右衛門はどうしても果たさなければならない役目がありました。「重陽の節句に戻ってくる。」と約束をして旅立った宗右衛門でしたが、役目を終え、出雲を去ろうとしたときに捉えられてしまいます。約束の日が近づきますが、牢から出してもらえるような様子はありません。

 ついにその日、準備をして待つ義弟の左門でしたが、夕方になっても義兄、宗右衛門の姿は見えません。左門の母は、家に入りまた明日待てばよいと促しますが、左門は「兄上は信義ある武士だから、決して約束を破ることはない。」と待っています。

 時間がたち、日も落ちあきらめて家に入ろうとしたときに、風に吹かれる陽炎のようにやってくる人影が…。

「雨月物語」には怪異小説9編が収められています。秋の夜長にどうでしょう。(H)

 そうそう、今日学校では緒方SCの「トキ」のフィギュアの近くに「gaga(がぁがぁ?)」と書かれているという不思議な出来事がありました。こんなことをするのは校長先生だと疑われています。何という学校だ!

 

【台風一過】020908

「台風一過」を「台風一家」と勘違いし、「台風のようにあちらこちらに迷惑をかける家族のことか。」と思ったとか、思わなかったとか。今回の台風は、家の周りのどこが危険か、避難の際に何が足りないかを確認するきっかけになりました。湯浦中の問題個所も随分見えました。

 さて、「熊本市が台風10号に備えて、ペットを同伴できる避難所を『アクアドームくまもと』に初めて設置した。」というニュースが話題になっていました。熊本市は、当初はペットの同伴は禁じる予定でしたが、「ペットが心配で避難できない」との声が多く寄せられたため、条件はあるもののペットの同伴を容認した。とのことでした。

 我が家も黒猫「おはぎ」をどうするかが大きな問題でした。避難所の駐車場で車中泊を選択された方も多かったように聞きます。

 今回は湯浦中が避難所になったため、私も学校に泊まり込みました。夕方、お腹がすいた、晩御飯にしようと校長室の時計を見るとまだ午後4時45分。早すぎるなとしばらく我慢することにしました。1時間くらいたって「それにしては外が暗い。」すっかり忘れていました。例の時計を見ていました。PTA本部役員さんにはわかる話です。(H)

 

【台風10号】020907

 甚大な被害をもたらす恐れのあった台風10号が通過しました。10時現在で湯浦中生徒・職員の被災報告は受けておりません。一安心です。湯浦中学校も6日の朝に避難所になることが決まり、私も緊急時の対応のため朝9時には出勤、台風対策を万全にして校長室で過ごしましたが眠れない一夜でした。近隣の約50名の方が図書室と空き教室に避難されました。役場職員2名は夜通し対応されました。ご苦労様でした。

 今日から湯浦中学校の先輩2名が教育実習生としてやって来ました。担当は1年1組の担任・道徳・学活と全学年の国語、2年1組の担任・道徳・学活と全学年の理科です。写真の背景が台風の備えのままです。

【私事】020906

 私事です。29日(土)は妻の祖母の17回忌法要でした。ごく限られた身内で、マスクをして行いました。叔父さん方は、あとどのくらい健康で生きるかという話題で盛り上がっています。

 平成4年、妻を湯の児にもらいに行きました。緊張して家に入りご両親の前に座り、雑談から「お嬢さんを~。」という決まり文句をいつ切り出そうかとしていたところ、いきなりばあちゃんが「結婚式はいつあげなっとですか?」の一言。みんな笑いながら「では、ください。」、「どうぞ。」となりました。ついこの前のようですが、今年は親として行くことになりました。月日のたつのは早いものです。(H)

【テントウムシ小僧】020905

 運動場の草取りをしているとたくさんのテントウムシを見かけます。思い出がよみがえります。

 4~5才の頃だと思いますが、テントウムシをみつけるとなぜか指でつぶしていました。虫眼鏡で光を集めてアリをねらってまわったりもしました。犠牲にしたカタツムリも数知れません。ひどい子どもです。

 ある日のこと、テレビで「テントウムシはアブラムシをたべる益虫」という番組を見ました。保育園児の頃のことなのに、「しまった。」、「とても悪いことをしていた。」と思った瞬間を鮮明に覚えています。認めたくない若さ故の過ちです。

 子どもは元来、残酷な面を持っているものです。しかし大抵の子どもはたくさんの大切な命を犠牲にして育ちながら、ある日突然、そうした行為の残酷さに自分自身で気づくそうです。

 子どもたちは大切なものを失ったり、遊びのなかでケガをしたり、嫌な思いをしたりしながら、命の大切さや、痛みを体験的に学んでいきます。大切なのは人の思いを感じとることだと思います。(H)