湯浦中ブログ

亀城ヶ丘だより

【駅弁タイム】021213.2

新幹線の車内では読書をして過ごしました。その後、少し早いお昼ご飯。俵むすび弁当でした。具材は梅、おかか、昆布、シャケの4種類。おかずは写真を見てのとおりです。

【修学旅行団出発】021213.1

修学旅行団は6:30にヘルシーパークを出発しました。バスの中の出発式ではNくんが行動目標を確認しました。子どもたちはまだまだ眠気が残っているようです。旅行中HPは随時更新して修学旅行の様子をお伝えします。お楽しみに。

【去年の今日】021211

 令和元年12月11日(水)、昨夜も妻のふとんに潜り込み、朝はカリカリを食べたらファンヒーターの上がベストポジション。今日も「ふわり」は相変わらずです。いつものように「おはぎ、ふわり行ってきます。」と声を掛け、出勤しました。昨日と同じが一番幸せです。クリスマスプレゼントは高級「カリカリ」です。

 仕事を終え帰宅「おはぎ」も「ふわり」も帰宅するや否や「ご飯をくれにゃ。」とついて回ります。私はご飯をくれる人、撫でてくれる人というポジションのようです。

 夜8時半頃、「ふわり」は外に出る息子がドアを開けようとした瞬間をねらって脱走しようとしますが、あえなく確保され家の中に連れ戻されました。今夜は妻も帰宅が遅くなる日、一人と2匹でしばらく過ごします。

 息子が外出し10分も経たない頃、突然、「ふわり」が叫ぶような鳴き声をあげ苦しみ出しました。目がまん丸になり、口が開き。抱きかかえたまま動物病院に電話を掛けましたがつながらず、「ふわり」は1~2分の内に息を引き取りました。

 何が起こったのか、頭の中が真っ白なまま、家族4人にメールを入れました。みんな冗談で、続けて変な格好で寝っ転がっている画像が送られてくるかと思ったそうです。

 長男、妻が相次いで帰宅し、ぐったりとなった息をしない「ふわり」を抱きかかえて声を掛けました。自分が保護した猫です、次男は電話の先で泣きじゃくっていました。

 しばらく経ち、汚したところをお湯で洗い、ドライヤーで乾かし、ブラッシングをし、3人で言葉を掛けながらお別れの準備をしました。暖かいところが好きな「ふわり」を寒いところに置くのは忍びなかったけれども、遺体が痛まないように保冷剤と一緒に安置しました。ふとんの「ふわり」のいつもの場所は空けておきました。思い出すと眠れませんでした。「ふわり」のいる暮らしが突然終わるとは、納得できませんでした。

 12日(木)、いつもの風景がありません。冷たくなった「ふわり」を撫で、声を掛け仕事に出ました。仕事が終わってからすぐに、「ふわり」大好きなカリカリを買って帰宅しました。いつものよりもずっと高級なカリカリです。長男も仕事を終えすぐに帰宅し、義母と3人で埋葬しました。最後にもう一度ブラシングし、息子と2人で抱きかかえた後、土をかけました。あまりにも突然で、「ふわり」自身も今頃「ここはどこにゃ?」と不思議がっているかもしれません。たぶん、妖怪「ふわにゃん」となって近くにいるはずです。

 家族のスマホはやんちゃな「ふわり」の画像で一杯です。たった5年半でしたが、楽しい時間をくれた「ふわり」には心から感謝しています。

 11日は修学旅行の引率でしたが、数週間前に別な業務のため教頭先生と交代することとなりました。きっと「ふわり」が引き留めたのでしょう。「ふわり」が天国に行くときに、ひとりぼっちにさせなかったことが私たちの心の救いです。(H)

 

【みんなと一緒に地域を守る消防団】021210

 ぼくの兄は、高校を卒業してから15年間消防団員です。

 7月4日の令和二年七月豪雨の時、ぼくが眠っていたら、「早く起きないと家がつかる。」といって、僕たちを起こしにきました。兄の声で起きて1階へ行ってみたら雨が玄関の先まで来ていました。

 「車を高い場所へ動かして、1階の荷物を2階へ運んで。」と、父が夜勤で居なかったけど、兄の的確な指示でぼく達を守ってくれました。

 雨で家の近くで土砂崩れが起き、その近くのアパートの住人の人達に「土砂崩れがひどくなったら危ないから早いうちに避難して。」と兄の声。

 夜が明けて雨がやんだら、近くの重機のリース屋からユンボを借りて、道にある土砂を片付けて地域の人が通れるようにしてくれました。

 兄は、平日は普通に仕事をこなし、日曜日は、災害がひどかった地域へ行き、朝から夕方まで土砂が入った家を手作業で土砂をかき出したり。なぜ、手作業なんだろうと思っていたら、兄が「重機で一気にこわしたら簡単だけど、家の人の思い出の品物をこわさないように。」と教えてくれました。

 重機に乗って土砂を片付けたり行方不明の人を探したり、毎週日曜日は消防団員としてボランティアへ出かけています。

 母は「消防団員も生身の体なんだから。」と兄の体のことを心配していました。ぼくの通学路が土砂で通れなく、親に送迎をしてもらっていました。それを見た兄が役場に連絡をいれ、2、3日後には通れるようになりました。兄の家も床下浸水で被災しているのに自分の家のことは後回しにし、地域の人のために働く兄はとても頼もしかったです。

 今回の災害を体験し、消防団員の仕事内容を知ることができました。自分のことより地域の人のために働いてくれた消防団員を尊敬し、心から感謝しています。

 湯浦中学校1年U.Y.

 

【10分の1】021209

 第20回全国中学生「防火防災に関する」作文コンクールで、1年生のUくんが全国から7点の佳作の内の一つに選ばれました。最優秀賞1名、優秀賞2名を合わせても全国入選は10点しかありません。快挙です。教室で表彰し、みんなで祝福しました。作文は明日のブログで紹介します。

 

【湯浦・田浦ブロック人権教育研修会】021208

 今日は、湯浦中学校区・田浦中学校区の先生方に来校いただき、人権教育の研修会を行いました。公開授業は1年1組。「身の回りの課題に対して問題意識を持ち、差別をなくすために自分ができる具体的な行動を考えることができる。」をめあてに、学級活動の授業を行いました。一人一人が自分のこととして一所懸命に考え、一所懸命に自分の考えを述べる。1年1組のいつもの姿に、参観された先生方(特に湯浦小学校のK先生)はとても楽しそうな顔で帰られました。

 研究会の中では「きらきらメッセージ」も流ました。再生回数がま増えるかもしれません。

【修学旅行事前テスト解答2】021206

1 法隆寺→東大寺大仏→金閣→銀閣→二条城

2 大政奉還 徳川家康と豊臣秀頼が会見を持ったのも二条城の二の丸御殿です。

3 鴬(うぐいす) 歩く者がいると音を発するため、夜間などに侵入者がいてもすぐに分かる警報装置だという説があります。

4 慈照寺(じしょうじ) 足利義政が建てました。鹿苑寺(ろくおんじ)の足利義満が建てた舎利殿(入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨を納めた建物)は金閣です。

5 武蔵坊弁慶 源義経(牛若丸)の家来として有名ですね。錫杖(しゃくじょう)は小さい方が176cm・17㎏、大きい方が260cm・96㎏、鉄下駄が30cm・12㎏です。

6 〇〇くんは、清水の舞台から飛び降りたつもりで好きな女の子に告白をした。(湯浦中の、ある先生の解答例です。)記録によると、実際に飛び降りた人は元禄7年(1694年)から元治元年(1864年)の間に未遂を含み235人で、生存率は85.4%だそうです。

7 予想が書ければ〇、2年生の的中者には校長賞を授与します。ここ5年の漢字は「令」、「災」、「北」、「金」、「安」です。

8 ロンギヌスの槍 

9 コービー・ブライアント オールスターゲームでのMVPは4回、NBAのロサンゼルス・レイカーズ一筋で活躍したシューティングガードです。                         

10 古都京都の景観を守るため、京都府景観条例で色や高さが制限されているから。二条城は消火器の色も赤ではありませんでした。  

【修学旅行事前テスト解答1】021205

1 新水俣駅・新八代駅・熊本駅・新玉名駅

2 20分 地球は360度、1日は24時間なので、360÷24=15

  15度で1時間ずれるため、湯浦・京都間の5度では計算上20分の差が出ます。

3 推古天皇 日本最初の女性天皇です。摂政・関白の違いは言えますか?

4 毎年7月に奈良の鹿愛護会で全頭調査をしています。今年は1286頭でした。(昨年は1388頭)1276~1296頭の範囲は正解とします。

5 聖武天皇 聖武遺愛の品の一部は正倉院に保管してあります。

6 鑑真  

7 運慶 金剛力士像は開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対としています。「あ」と「ん」は人生の始まりと終わりを意味しています。そこをくぐることで新しい人生が始まります。狛犬(こまいぬ)の口も確認してみてください。

8 鼻の孔 縦37cm×横30cmです。昔の日本人は小柄だったので、大人でもくぐることができたそうです。くぐれば「厄除け」「無病息災」「祈願成就」などのご利益があるそうですが、現在はコロナ禍のためくぐることができません。

9 藤原頼道 頼道と、父の道長の時代が摂関政治の全盛期です。

10 10円硬貨 正式にはどちらが表面・裏面とは決まっていないそうです。

 

【再生に向かう誇りの海】021204

 12月6日(日)、朝6時から6時30分、RKKテレビの「日本のチカラ」で「ヒメタツに魅せられて~再生に向かう誇りの海~」という番組が放送されます。

 そこに登場する森下誠さんは水俣市出身、愛知県の自動車部品製造会社に勤務された後に、海洋生物を学べる専門学校を経てダイビング店に勤められました。帰郷されて1年間の潜水調査の後、平成21年に「水俣ダイビングサービス SEA HORSE」を開業されました。

 森下さんはダイビングサービスの仕事と合わせ、テレビや新聞等の取材、小中学校での講演を通して水俣の良さを発信する活動に取り組まれています。昨年は田浦中の1年生にも講話をお願いしました。少し早い時間帯ですが、ぜひご覧ください。水俣の海の美しさに改めて気づかされます。(H)

※ 日本のチカラ ヒメタツ で検索いただくと概要を読むことができます。