校長ブログ「秘密の部屋」

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【クリスマス1998】011222

 平成10年。長男は5歳、次男は2歳になりました。作戦の効果もあり、サンタさんはまだいます。保育園で後輩に「サンタさんの正体はお父さんだ!」と教えたりもしていないようです。

 クリスマスイブ。「うちには煙突がないからサンタさんが来ないかもしれない。」ことが長男の今日の悩みです。「〇〇をプレゼントしてくれるかなぁ」、「靴下に入らんよねぇ。」悩みは尽きません。大丈夫。準備は完璧です。

 ご飯を食べて、ケーキの前で写真を撮って。欧米の習慣のようにサンタさんのためにカップ1杯のミルクとクッキーも用意しました。

 夜も遅くなり、そろそろ寝たかなと思って覗くと、次男はぐっすり、長男は毛布から顔が出ていません。息苦しいだろうと毛布をめくってみると、隠れて目を開けていました。「サンタさんが来たら、パッ!て捕まゆっと!」やる気満々でした。

 しばらくすると、熟睡。チャンス到来。プレゼントを置いて、ミルクを飲んで、クッキーをかじってサンタさんが来たという証拠を残したら、サンタさんの仕事は完了です。

 明日は子どもは早起きです。先に起きて、寝たふりをしてプレゼントを開けて大騒ぎする瞬間を待ちます。その時の笑顔が子どもたちから私へのプレゼントです。(H)

 

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【クリスマス1996】011221

 クリスマスも子どもが大きくなってからは楽しみも100分の1以下。毎年、ケーキと一緒に写真を撮っていましたが、今はそれぞれ。CMで「〇ンタッ〇ーにしない。」と呼びかけられても寂しいばかりです。楽しみは猫さんたちに高級なご飯をプレゼントすることくらいです。今年は「おはぎ」にはいつもの「ちゅーる」、「ふわり」には特別な「カリカリ」にします。Y中のH先生、プレゼントを選ぶ楽しみも今のうちです。

 今日から3日連続で昨年の加筆・再掲です。

 平成8年のこと。長男は3歳、次男は0歳。子どもが少し大きくなって、やっとクリスマスの楽しみも出てきました。プレゼントは何にしようかなと考えていると。

子「サンタさんはおらんとよね、あれはお父さんだよね。」

父「え~っ。いるよ。去年も来たたい。」「何でね?」

子「おらんよ。保育園の〇〇くんが、お父さんがサンタさんの格好をしとるとばい。て言ってたもん。」

 保育園で5歳の先輩が3歳の息子にサンタさんの中の人のことを教えたらしい。5歳児にして夢がない。せめて保育園児の間はサンタさんを信じて欲しい。

 家では「サンタさんはいる」作戦を開始します。色々な手を打つが、なかなか信じません。一計を案じ、隣の本屋さんの公衆電話から家に掛ける。

母「サンタさんから電話だよ。」わざと大騒ぎをして息子に代わる。

父「サンタさんだよ、おりこうにしているかな。」もちろん声は変える。

子「サンタさんから電話だった!サンタさんがいた!」

父「ただいま~。」と帰宅すると、目がキラキラしていました。(H)

 

 

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【まずは君が落ち着け】011220

 これまで担任をした生徒の入試直前の実話をもとにしています。田浦中3年生の皆さんはどんな言葉を続けますか。

第1問:Aくんが「Bくんは、とても勉強しているのに、テレビの話題に完璧についてくる。いつ観ているんだろう。」と不思議がっていました。そこで直接聞いてみました。するとBくんは。「見たいテレビ番組は全部…。」

第2問:Cさんが「英語は難しいよね。」と言うと、Dさんは「そうでもないよ、英語の教科書は…。」

第3問:歴史の問題集を3冊ほど抱えたEくんが「この問題集も終わっていない、この問題集も終わっていない。歴史は…。」

1問目「録画して、コマーシャルは飛ばして、2倍速で観ている。」

2問目「小1から並べると全部の教科で一番薄い。たった3年分勉強すれば良い。」

3問目「アウストラロピテクスだけ詳しくなっている。」最初の方だけやって挫折して、新しい問題集を買って挫折して…。ありがちです。Eくんには「そこはあんまり出らんぞ、歴史の問題集は1冊を後ろのページからしなっせ。」と助言しました。(H)

ちなみに、最古の人類は今の教科書ではサヘラントロプスチャデンシスです。

 

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【修学旅行の思い出】011219

 2年生が修学旅行新聞を作成しています。みんなが紙面をびっしり埋めており、楽しかった様子が分かります。目標の達成度もとても高いようです。「これからの生活に生かしたいこと」には余裕を持った行動、ルールやマナーを守ること、災害への備えをすることなどが書かれていました。学びのある旅行になったようです。

 私が小学生の頃、修学旅行先は鹿児島でした。あまりにも昔のことで、宿泊先の指宿のホテルが塩湯だったこと、夕食時の「このパンツは誰のだ~。」という先生の言葉しか覚えていません。良い子でしたので、すぐに寝ました。

 卒業アルバムで確認すると、中学校は山口・広島、秋芳洞や明治維新の史跡、錦帯橋、厳島神社、原爆ドームを見学しているようです。「夢にまで見たあこがれの新幹線」の文字と団子っ鼻のひかり号が写っていました。松下村塾と吉田松陰の「親思う~」の辞世の句は強く心に残っています。歴史に興味のある子どもでした。良い子でしたので、すぐに寝ました。

 高校は奈良・京都に行きました。金閣、銀閣、竜安寺の石庭。雪のため比叡山の見学が中止になった事などを覚えています。信じられないことに進学クラスは修学旅行の翌日から県の模擬試験でした。良い子でしたので、みんなで旅館でも勉強しました。お陰様で、帰りはフェリーに泊まったらしいのですが、全く思い出せません。

 旅行から帰ったら写真の掲示がされて、欲しい写真を注文するというのも修学旅行あるあるでした。異性の写真を買っていたりすると、その後大変賑わいました。(H)

 

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【回収完了】011218

 今日は、芦北消防署と立尾電設様にご協力いただき、理科室からの出火を想定した避難訓練を行いました。私もこれまで担任をした生徒の家が火事になった経験があります。命に別状はなかったことだけが幸いでしたが、何もかも失いました。担任以外の生徒宅の火事も複数回経験しています。火事は身近なことです。しかし、どの避難訓練も事後のこと。訓練を契機に各家庭の危険箇所を点検し、未然防止に努めましょう。我が家はふわふわ浮いている「ふわり」は大丈夫ですが、「おはぎ」は心配です。脱出ルートを確保しておきます。

 今年度のブログも残り100回余り。過去の分を読み直していますが、その中に回収が済んでいない話がありました。

「私は湯ノ児に住んでいます。普段は津奈木町役場の前を通り、高速道路に乗るルートで通勤していますが、買い物の命を受けたときはトントン峠方面から帰宅します。タイミングが合えば、海に日が沈んでいく風景が広がります。空は朱色に染まり、一番好きな風景です。

 ところで、水俣市のエコパーク付近は「汐見町」という地名です。大相撲で活躍した大関「朝潮」は高知県安芸市出身です。水俣市(熊本県)と安芸市(高知県)の話にそれぞれ「しお」と読む漢字が出てきますが、「汐」と「潮」どう使い分けているのでしょう? 」

 太平洋側の地域は日が昇るので「さんずい」に「朝」、日本海側は日が沈むので「さんずい」に「夕」と書くようです。1年越しの解答でした。回収完了です。(H)

 

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【ベホマ】011217

 昨日は3ヶ月に1回の定期通院日でした。血圧が高いそうです。キリンと同じで背が高いと血圧が高いのは仕方ないと言い訳をしています。医師や看護師による測定の時はいつも緊張してしまいますが、今日はさらに高めでした。理由は見当がつきます。11日の夜から不調です。完全復活までもうしばらくかかりそうです。目の疲れも続いていますがゲームのせいではありません。発売されたばかりのガンダム目薬のシャアザクモデルを買いました。3倍早く回復しそうです。

 今朝は生徒集会でプロフィールブックを使った、他者理解のゲームを行いました。前生徒会会長Kさんの公約の一つでしたが、年間通して取り組むことができました。先週はKさんが仕上げた生徒会新聞の校正をしましたが、修正する箇所が見当たりません。U先生と、「私たちが中学生の頃の方が知識の量は多かったと思うけれど、このような文章を書いたり、レイアウトを工夫して新聞にする能力は今の子どもの方が圧倒的に高いですね。」という話をしました。執行部の仕事は確かに大変ですが、確実に力がついています。新執行部への期待が高まります。

 集会後に町校長会議に出席、忘れ物をしました。毎回のことなのに頭の片隅にもありませんでした。やはり何か弱っています。車を停めるとカーナビが「芦北地方に大雨の恐れがあります。注意してください。」とアナウンス。外は晴れており、大丈夫、大丈夫と会場へ。昼が近づいた頃、窓の外は雨。大雨ではありませんでしたがよく当たります。次からは信じます。(H)

 

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【雑記】011216

 修学旅行の復習問題を採点して、金剛力士を作った鎌倉時代の仏師は?の問いに、一番多かった解答は「空海」。清水寺本堂入り口の鉄下駄と錫杖の持ち主は?の問いに一番多かった解答は「聖徳太子」。「清水の舞台~」を使って文章を作りなさいに対し、生徒の解答は「私は清水の舞台から飛び降りた。」、「私は清水の舞台から飛び降りて宿題を出さなかった。」、「私は清水の舞台から飛び降りてテストを受ける。」などなど。

 21万6325票の中から、今年の世相を表す漢字に「令」が選ばれました。2年生もの正解者はTくん1人でした。2位は「新」、3位は「和」だそうです。

 スマホの画像フォルダを開いてみると…。気になった新聞記事、駅で撮影したおれんじ鉄道や新幹線の時刻表、ショッピングセンターでどこに停めたか忘れないための駐車場と車、出張等で泊まったホテルの外観と部屋のナンバーが入ったカギ、ほとんどメモ帳代わりです。あとは学校の花、メダカ、そして大量の猫の写真と動画。野良猫の画像も多数。 日曜は撮りためた我が家の「おはぎ」と「ふわり」の画像を整理して過ごしました。「おはぎ」は凜々しいのに、「ふわり」はおもしろ画像しかないことに今更ながら気づきました。(H)

 

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【修学旅行の復習(解答)】011215

 12日の解答です。全問正解できたかな。(H)

1 まずは、九州新幹線で①熊本県(新八代・熊本・新玉名)・②福岡県(新大牟田・筑後船小屋・久留米)・③佐賀県(新鳥栖)・②福岡県(博多)、

山陽新幹線で④山口県・⑤広島県・⑥岡山県・⑦兵庫県・⑧大阪府、

後は貸し切りバス等で1日目⑨奈良県・2日目⑩京都府・3日目⑦兵庫県

2 運慶。平成の解体修理の際に、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いて造ったことが裏付けられました。

3 鼻の穴(縦37㎝ × 横30㎝、直径120㎝)柱の穴をくぐり抜けると「無病息災」「祈願成就」のご利益があると言われています。私は通れません

4 1388頭。昭和30年から毎年調査をしています。

5 法隆寺(607年)→東大寺の大仏(開眼会は752年)→金閣(1397年)→銀閣(1490年)→二条城(1603年)

6 鹿苑寺。ちなみに銀閣は慈照寺

7 武蔵坊弁慶。鉄下駄は一足12㎏。錫杖は大が96㎏、小が17㎏です。

8 ものすごく高級な抹茶パフェが売ってあって、小遣いがすべてなくなりそうだったけど、せっかくの修学旅行なので「清水の舞台からとびおりる」つもりで買った。

9 地球は360度で24時間。1時間に15度ずれる計算になるので、京都・田浦間の5度のずれは約20分。田浦より暗くなるのが少し早く感じませんでしたか?

10 景観条例により、建物の外観や色に、京都の美しい町並みをまもるためのガイドラインが定められているから。

 

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【令和元年度招福餅つき】011214

 今日は3年生のPTA行事「招福餅つき」が行われました。民生委員の皆様にも大変お世話になりました。杵と臼を使った餅つきも、保育園や学校の行事くらいになってきたのではないでしょうか。毎年12月30日に親戚が集まって餅つきをしていた頃を懐かしく思い出します。もちろん、食べる係でしたが。

 さて、3年生にとって招きたい『福』に高校合格があります。1月の早い時期に入試を迎える生徒もおり、インフルエンザの流行を避けて、昨年度から12月に餅つきを行っています。受験は団体戦です。同じものを持ってチームとしてつながって欲しいと思い、今年も3年生全員に『頑張ればどぎゃんかなる』セットを贈りました。強く発音するのは「どぎゃんかなる」ではなく「頑張れば」の方です。

 五角形の枠に入ったダルマのスタンプは昨年、事務のH先生が年賀状より優先して彫られた物です。作品は本人に似るとも言いますが、優しい笑顔にホットさせられます。勉強に疲れたとき、先生たち全員からのメッセージで気合いを入れてください。

 裏面は卒学級目標「3-1win win ~意識は高く、姿で魅せる~」入りの集合写真。ラミネートして下敷きにしました。金色五角形の鉛筆も入れました。

 学校でできる神頼み、縁起担ぎは完了です。最後は今年の流行語大賞で締めましょう。田浦中の生徒、保護者、先生、地域は「ONE TEAM(ワンチーム)」です。(H)

 

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【HP更新】011213

 便利な世の中になったものです。私は今回の修学旅行の引率ができないため、ホームページを随時更新すること、学校だよりの号外(修学旅行版)を旅行期間の毎日発行することの2つにチャレンジすることにしました。

 修学旅行先からラインで画像を送ってもらい、学校で編集して配信することにしました

 今回、画像送信に対応できる引率者は4名中2名です。1日目は集団での動きでしたのでうまくいきました。夕方には号外を完成させHPにもアップできました。

 2日目の班別自主活動ではタイミングが合わず、出発と最終合流地点の清水寺の2回しか更新ができませんでした。夜に夕食やレクリェーションの様子をアップしました。号外は生徒が見学地で撮った写真を使って、後日発行します。

 3日目は会議のため、朝食の様子と出発風景、昼休みに「人と未来防災センター」での集合写真をアップしました。夕方、学校に戻り号外を発行しようと思っていましたが、どうしても旅行団の出迎えに行けない状況になったためあきらめ、今朝、出勤後に号外を完成させHPを更新しました。

 3日間の閲覧数は1日平均365回でした。通常が150回ほどですので、たくさんみていただき、大変ありがたいです。情報発信は即時性とサプライズ感が大事かなと思っています。(H)

 

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【修学旅行の復習】011212

修学旅行団の皆さんは、のぞみ29号の中ですね。帰ったらたくさん土産話を聞かせてください。では、修学旅行の復習問題です。修学ですから当然難問です。(H)

1 修学旅行で通過や滞在した府と県を、熊本県を含めすべて挙げてください。
2 東大寺南大門の金剛力士像制作の総指揮にあたった鎌倉時代の仏師は誰ですか。
3 東大寺の大仏のそばにある柱の穴は、大仏の何のサイズと同じ大きさですか。
4 令和元年7月調査では、奈良公園の鹿の生息数は何頭だったでしょうか。1300頭以上1400頭未満の数字で答えなさい。(誤差30頭まで正解とします。)
5 「金閣」、「銀閣」、「二条城」、「法隆寺」、「東大寺の大仏」の5つを最初に造られた年が古い順に並べてください。
6 「金閣」と呼ばれる舎利殿がある寺の名前を答えなさい。
7 清水寺の本堂の入り口に鉄下駄と錫杖(しゃくじょう:修験者が持つ杖)があります。誰の物だと伝えられていますか。
8 「清水の舞台から飛び降りる(た)」を正しく使って、文章を作りなさい。
9 京都駅は東経約135度、田浦中は東経約130度に位置します。両地点の日の出は約何分違いますか。
10 京都市内のコンビニや有名飲食チェーン店の外観が、イメージカラーではなく落ち着いた色合いになっているのはなぜですか。

※解答は15日(日)の朝にアップします。

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【京都市内班別自主活動】011211

 先日、町の校長会研修会で赤松館を見学しました。以前は父が庭の手入れをしていたのですが、私は中に入ったのは今回が初めてで、元気な頃の仕事姿を思い浮かべました。

 田浦を巡ると、あちらこちらに父が造った庭を見かけます。小さい頃に仕事場について行っていたこともあり、日本庭園にとても興味があります。高校の修学旅行の班別自主活動では、友達に竜安寺を入れてもらいました。教科書にも載っている有名な庭です。思ったよりもこぢんまりしているという印象でした。慈照寺銀閣の緑一面に見える庭の、苔の違いによる微妙な色合いの変化も心に残りました。やはり実物を見ることが大事です。父には竜安寺の解説本をお土産に買いました。

 学校に勤めるようになって修学旅行で3回。小学校免許を通信教育で取るためのスクーリングで10日間。職員旅行で1回。息子たちが中2、小5の時に「男だけの京都の旅」と称して1回(このときは大雨で、庭の補修の様子を見ることができました。)、京都に行く機会がありました。そのたびに発見があります。

 修学旅行2日目。京都市内の班別自主行動に出ています。本物に触れ(触らんごつしてね。)、貴重な時間をじっくり味わってほしいと思います。私は学校で写真が送られてくるのを楽しみに待っています。学校だより号外の準備であ~ぁ忙しい忙しい。(H)

 

 

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【体罰禁止】011210

 昭和50年度卒業生の皆さんが、令和2年5月3日(土)に還暦の同窓会を開かれるそうです。田浦中HPにも案内をアップしました。卒業から45年経ち、宛先不明で返送されたハガキも多くあるようです。対象者は誕生日が昭和35年4月2日から昭和36年4月1日生まれの皆さんです。ご親戚やご友人に対象の方がいらっしゃったら、田浦中のHPをご覧いただくようぜひお伝えください。会長は田浦小学校の百原校長先生です。他の学年も卒業学年単位での同窓会を開かれる場合は中学校にご相談ください。

 さて、今国会で「親による体罰禁止が規定された改正児童虐待防止法と、児童相談所の機能強化を盛り込んだ改正児童福祉法が成立した。」ということが報道されました。「しつけ」という名の虐待、死亡事件が頻発していることがきっかけになったようで、来年の4月から施行されるそうです。

 体罰の範囲は今後示されるそうですが、「どんなに軽いものであっても、身体に苦痛または不快感を引き起こす行為」は体罰、「子どもを保護するための行為、第三者に被害を及ぼすような行為を制止する行為」は体罰ではない。と線引きされるようです。

 各学校では、体罰防止の研修を年に何度も行い理解しているはずですが、それでも全国のどこかで体罰の報道がされています。親による体罰も同じです。根底に「躾のためには時には体罰も必要だ。」と言うような考えだったり、事件の報道時に自分事として考えなかったりする人は、常に体罰と隣り合わせです。(H)

 

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【修学旅行未来日記2】011209

 いつもより早く目覚めました。修学旅行効果です。朝食をとって、荷物を点検、準備万端です。少し曇り空です、一時雨との予報も出ていますが心の中は快晴です。

 8:00にホテルを出発、6班に分かれて京都市内班別自主活動のスタートです。伏見稲荷、鹿苑寺金閣、清水寺、二条城、三十三間堂などを見学しました。途中、走ったりもしましたが、教科書やテレビでしか見たことのない本物に出会えて感動しました。紅葉もきれいでした。

 17:00前、楽しい時間もいよいよ終わりに近づきました。時間が不足し、お昼ご飯はコンビニおにぎりで済ませてしまいました。マックに入ったグループもいました。集合時刻までに全グループがホテル到着。T主任からとても褒められました。

 夕食もしっかりとりましたが、夜になるとお腹が空きました。家族に買ったお土産を食べてしまおうかと悩みました。今日はしおりもびっしり書けました。

 いつの間にか、朝でした。昨日は随分歩いたので疲れました。今日は旅行最終日です。

 9:30に人と防災未来センターを見学、語り部の方の講話、再現ビデオに衝撃を受けました。この地震の反省が、熊本地震の時にも生かされたということを学びました。

 のぞみ29号は新神戸駅を14:18に出発、博多駅でさくら415号に乗り換えて新八代駅到着は18:08。車中ではみんな爆睡です。行きより短く感じました。バスの中で解散式を済ませ、赤松トンネルを抜けると田浦の風景が広がりました。やっぱり田浦が一番です。肥後うららに19:10到着。ケガも病気も誰一人いませんでした。家に帰り着くまでが修学旅行です。

 ここで未来日記は終わります。楽しい修学旅行になるよう祈っています。荷物を確認したら、今夜は早く寝ましょう。(H)

 

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【修学旅行未来日記1】011208

 今週の火曜日から2年生の修学旅行です。旅の様子は毎日夕方にHPで発信する予定です。引率をしないので、予想だけで楽しみます。私の未来日記によると…。

 朝5:30に道の駅たのうらに遅刻もせず全員集合。しおりを教室に忘れたという生徒もおらず、出発式の後、6:00に出発しました。

 担任K先生と養護教諭T先生は八代方面からの通勤。「この道はさっき通ったのになぁ。」というつぶやきが聞こえます。

 車の流れはスムーズで予定よりも早く新八代駅に到着。7:11発の新幹線つばめ308号に乗り込み、8:12に博多駅に到着。のぞみ14号に乗り換え8:36に出発しました。学校ではM先生の、「生徒は今頃新幹線か、中で騒いでいたらかんしんせんなぁ。」と言うダジャレが飛びますが、修学旅行団に届くはずもありません。

 「トンネルが多いなぁ。」という生徒の声。新幹線内でデラックスな弁当を食べて、11:04新大阪駅到着。芸人に会わないかとキョロキョロしながら移動、バスに乗り込み一行は法隆寺へ。

 12:50に法隆寺到着。教頭先生から「法隆寺を建てたのは誰でしょう。」というクイズが出されます。生徒は「聖徳太子」と答えますが、正解は「大工さん」。少し体感温度が下がります。

 15:20~16:30は奈良公園と東大寺を見学。金剛力士像の迫力、大仏の大きさに圧倒されました。奈良公園では妙に鹿に好かれた生徒もいました。

 ホテル「京都高台寺よ志のや」到着は18:00頃の予定です。夕食ではご飯を何杯お替りするかが競われ、県駅伝メンバーが上位を争いました。

 入浴、自由時間、班長会議を終え22:00消灯。なかなか寝付けません。先生たちが回ってくる足音が聞こえます。ドアが開き、寝たふりをしてやり過ごします。先生たちは気づかないふりをして去って行きます。(H)

 

 

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【冬瓜(とうがん)】011207

 先週、相撲甚句会の文化祭での発表の写真が載った学校だよりを持って、宮本達也さん宅を訪ねました。帰りに大きな「冬瓜」をいただきました。冬瓜は夏が旬の野菜で、冷暗所で保存すると冬までもつため、「冬瓜」とよばれるようになったようです。「夏ミカン」も春に収穫し、冷暗所で保存して糖度が増した初夏に出荷するので「夏ミカン」です。

 さて、どうやって食したものか?便利な世の中です「冬瓜」、「料理」で検索すると「鶏肉団子の冬瓜スープ」、「鶏ひき肉あんかけ」、「麻婆冬瓜」、などのメニューがどんどん出てきます。簡単そうなスープにチャレンジしてみました。

 ワタとタネをスプーンでとって、ほどよいサイズに切って、塩をちょっと入れて下ゆでをして。冷蔵庫の中にあった鍋用の肉団子、玉ねぎ、えのき、しめじなどを適当な大きさに切って、鶏ガラスープで煮込んで、味が足りなかったので、うどんスープを入れて。できばえは冬瓜がトロトロで「ずいきのこうき」でございました。

 翌日は挽肉のあんかけにしました。下ゆでしたものがまだ4分の1ほど残っています。

 水俣市の黄色い壁の家にお住まいのYさん。いつもブログ読んでいただきありがとうございます。今夜のメニューは「冬瓜の~」等いかがでしょう。(H)

 

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【飲酒・酒気帯び運転根絶】011206

 初任の頃、先輩の先生から「高くてもタクシーで帰れ、タクシー代よりこれから退職までもらう給料の方が遙かに高い。」という指導を受けました。30年前は飲酒・酒気帯び運転に対する意識が今より低い時代でしたが、良い先輩です。

 これから忘年会、新年会のシーズンです。私は日本人の平均身長より随分大きいので、酒席でも「だいぶ飲みなっとでしょう。」と勧められますが、地球からアルコールがなくなっても全く問題のないタイプです。訂正します。このシーズンだけ発売される洋酒の入ったチョコレートはなくなると困ります。

 家でも飲まないので、「お酒を最近飲んだのはいつ。」と聞かれると、前回懇親会があった日と答えることができるくらいです。

 生徒指導を担当することが多かったので、夜でも電話がかかってくればすぐに動けるように、教頭の時も校長が動けないときに代わって動けるように、生徒や職員の不測の事態に対応できるようにと言うことで、宴会以外では飲まないようにしています。

 もっと遡ると、祖父が酒飲みで、子どもの頃にあまり良い思いをしていないと言うことが一番大きな理由かと思います。

 懇親会でも量は少なく、翌日の午前中は車の運転をしません。懇親会でも飲めない時は、間違って本物を注がれるリスクを回避するため、ノンアルコールビールでも飲まないことにしています。最近は、無理矢理勧められることが少ない時代になってきたので大変助かっています。

 飲酒・酒気帯び運転は自分で防ぐことができる不祥事です。(H)

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【生徒会会長・副会長任命式】011205

 今朝の全校朝会は生徒会会長、副会長の任命式を行いました。会長Iさん、副会長Oくんの表情にはやる気が感じられました。

 前会長のKさんは、放送委員会のインタビューで1年間をこのように振り返っています。「すべての活動を行うことが簡単ではありませんでした。計画を立てていてもうまくいかなかったり、臨機応変に対応できなかったりすることがあり、大変でした。」、「生徒会長としての1年はあっという間でした。すべての活動が難しいからこそ、できたときは感動で一杯だったし、皆さんの笑顔を見ることができたときが一番嬉しかったです。また、人前でも堂々と話せる精神力もつき、自分を成長させてくれた、とても楽しくて充実した1年間でした。」、「まずは新生徒会長Iさん、副会長Oさん、就任おめでとうございます。2人を中心とした新しい田浦中学校の姿を見るのがとても楽しみです。今年を超える田浦中学校を創ってください。期待しています。」

 ここ7年間で、生徒会長はHさん(女)、Kさん(女)、Hさん(女)、Kくん(男)、Iさん(女)、Kさん(女)、新会長のIさん(女)と続きました。昨年に続き、今年も体育大会の赤青両団長は女性でした。

 昨年、1年生に私の中学時代の話をする機会がありました。子どもたちの反応の良さに、つい同級生の子どもの前で「私が中学生の頃も田浦中は女子が強かった。」と口を滑べらせてしまいました。その子どもも、お母さんを思い出しながら納得した表情でうなずいていました。間違ったことは言ってないようです。田浦中は「すべての女性が輝く社会づくり」を強力に推進する学校です。(H)

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【ずいきのこうき(後編)】011204

 やがて殿様が、「あいや、百姓仁助、ばくさく(麦作)はいかに。」と問われたが、仁助は「ばくさく」の意味が分からない。とっさに「はい、はい、ずいきのこうきでございます。」

 今度は殿様の方で「ずいきのこうき」の意味が分からない。近侍の者に、静かに「瑞気の香気と言うようだが、どんな意味か?」と、おたずねになる。家来たちも何のことか分からないので、仕方なく庄屋を差し招いて、こっそり、「ずいきのこうき」の訳を聞くと、庄屋も知らない。庄屋はそっと仁助にたずねると、仁助は声を潜めて庄屋に「ばくさくとは何のことでございましょうか?」と反問する。庄屋が「麦の作柄はどうかという意味じゃよ。」と、耳打ちして教えると、「そうでございますか。ずいきのこうきとは、ひじょうに良いできばえと言うことで。」と答えた。

 さすがの仁助。正に見事な応対ぶり。そして、殿様に答えは届いて、めでたくけりがついたという。

 それからも、いろいろな問答が交わされ、とんちの仁助も庄屋も面目を施して、褒美をいただき、殿様の御前を引き下がったが、このことから田浦では、「はい、はい、ずいきのこうきでございます。」が、はやり言葉として使われ始めたのである。

※出典は「田浦百話」、「あしきたの民話・伝説」

 

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【ずいきのこうき(前編)】011203

 田浦の古老たちが難問にぶち当たって困惑したとき、苦笑いしながら、「はい、はい、ずいきのこうきでございます。」と、とぼけた返答でお茶をにごす格好は、近頃めっきり少なくなったようだが、たまに出会うと懐かしい気分が湧いてくる。この「ずいきのこうき」については、ちょっと面白い物語がある。

  ずっとむかし、田浦に百姓頭の仁助という大変とんちに長けた男がいた。その評判が時の殿様の耳に入り、一ぺん会ってみようと、庄屋を通じてお召しの達しが来た。

 ちょうど春のこと、服装を正した庄屋につれられて、仁助もどうやら整えたこざっぱりした身なりで、御殿へまかり出た。

 殿様は、中央玉座に、両側には家来たちがずらりときら星のごとく居並ぶ中に、遙か末座に平伏した庄屋と仁助。庄屋は緊張して小心翼々、少し震えとるが、どうしたことか仁助はケロリとして平気の平左である。

 型のごとく、殿様が「その方が、田浦の仁助か、遠路のところ大義であった。さあ近うまいれ。」

 「はい、はい。」仁助は庄屋とともに進み出る。庄屋が冷や汗をかきながら小声で、「これ仁助、頭を低く下げて。」仁助は、畳のへりのところに手をついてぴったりおじぎをする。殿様が「苦しゅうない。おもて(面)を上げよ。」

 そこで仁助は、畳のおもてにてをかけて引き上げようと力む。庄屋があわてて声を落とし、「おもては、畳じゃない。つら(面)のことじゃ。目鼻のついとるのがおもてじゃ。」

「ははあ、目鼻のついとる方がおもてで、ぼのくど(盆の窪)の方が裏でございますか。」仁助は澄まして顔を上げた。(後編へ続く)

 

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