校長ブログ「秘密の部屋」

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【サポート終了】020116

 新任教師として初めて西合志南中学校にあいさつに行った日、定年退職される校長先生が、「先生たちも大変ね、これからは昔のごつはいかんでね。パソコンちゅうやつも入ってくる。自分は今年退職で良かった、しきらんとやった。」と言う話をされました。昭和63年(1988年)のことです。

 当時、学校にパソコンは1台。印刷用紙も両脇に紙送りの穴の空いたものでした。パソコンが得意な技術のT先生が、通知表の所見をワープロで打ち、切って貼って渡したときは、ベテランのみならず少し上の先輩の先生からも「何ねこれは、手書きじゃないと愛がなか。」と言われたものでした。当時は入試の調査書も40人分×一人平均3校を手書きでしたので大変でした。今は筆記具を使って文字を書くことがほとんどなく、たまに手書きをすると腕が上がらなくなります。

 14日に「Windows7」のサポートが終わりました。学校にはこれまでワープロソフト「一太郎」で作られた文書が大量に蓄積されています。2学期に校務用パソコンも交換が済んで、「一太郎」はビューアのみ。新たな文書はすべて「Word」か「Excel」で作ることになりましたが、ベテランの先生を中心に恨み節も聞こえます。今日もどこからか「何で勝手に文字サイズのふと(大きく)なっと!」と言う声が聞こえてきました。

 「一太郎」は文字がきれいに揃うという美しさがあったのに…。「Word」は、ぴしゃ~っと揃いません。文字により微妙にずれます。それが許せない性格です。「どぎゃんかならんや。」と独り言を言いながらブログを書いています。(H)

 

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【テントウムシ小僧】020115

 今日は人権教育の田浦・湯浦ブロック別研修会が開かれ、1年担任のH先生と3年担任のS先生が授業を公開しました。

 さて、私が4~5才の頃だと思いますが、テントウムシをみつけるとなぜか指でつぶしていました。虫眼鏡で光を集めてアリをねらってまわったりもしました。殻の砕ける音のために鶏に投げ込んだカタツムリも数知れません。ひどい子どもです。

 ある日のこと、テレビで「テントウムシはアブラムシをたべる益虫」という番組を見ました。保育園児の頃のことなのに、「しまった。」「とても悪いことをしていた。」と思った瞬間を鮮明に覚えています。認めたくない若さ故の過ちです。

 子どもは元来、残酷な面を持っているものです。しかし大抵の子どもはたくさんの大切な命を犠牲にして育ちながら、ある日突然、そうした行為の残酷さに自分自身で気づくそうです。

 子どもたちは大切なものを失ったり、遊びのなかでケガをしたり、嫌な思いをしたりしながら、命の大切さや、痛みを体験的に学んでいきます。大切なのは人の思いを感じとることだと思います。

 今日の授業での子どもたちの表情から、何かを感じ取ってくれたように思いました。次の段階は知行合一です。これがまた難しい。(H)

 

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【知行合一】020114

 平成25年のホームページ開設から平成30年9月11日までの65ヶ月で閲覧者数は40,773回(1日平均20回)、それから17ヶ月後の今朝100,434回に達しました。ありがとうございます。3月1日早朝には、高校を卒業する皆さんへの祝詞(学校から・旧3年部から)と中学3年生の時の出来事をまとめたブログをアップします。卒業生の皆さん、ぜひご覧ください。

田浦中の『学校だより』のタイトルにもしている知行合一(ちこうごういつ)は、陽明学(孔子の生きた『春秋戦国』時代から1900年ほど後の『明』の時代に王陽明がおこした学問)の命題の一つで、簡単には「知識は行動と一致してこそ意味がある、本当の知識は実践をともなわなければならない」というような意味です。

 学校の論語階段に掲示している為政第二の「子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之」

 孔子に、弁が立つ弟子の子貢が、「君子とはどんな人ですか?」と問うと、「普段からあなたが話していることを先に実行しなさい、その後から言葉が出てくる(まずすることをして、言いたいことがあればその後で言う)ような人が君子です。」と答えた。という故事がもとになっています。

 王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、知っている以上は必ず行いにあらわれると説きました。この考えは、江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹が有名で、1837年に大阪で乱を起こした大塩平八郎も私塾「洗心洞」で門弟に陽明学を教えた陽明学者でした。

 吉田松陰の私塾「松下村塾」にも「知行合一」の掛け軸がありました。松陰の生涯と塾生の明治維新での活躍はご存じのとおりです。(H)

 

 

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【布団のおぶか】020113

 冬場に実家に帰ると、母から重い布団を着せられる。「寒はなかけんいらん。」、「おぶか、動かれん。」と言っても容赦ない。親の『煩悩』のなせる業なので、まずは素直に聞く。

 ご飯(米)の量も多い。「そぎゃんな食わん。」と言っても容赦ない。これも『煩悩』のなせる業なので、まずは素直に聞く。

 大雨や台風の時は「逃げんでよかっか。」電話がかかってくる。「俺はもう54歳ばい、あんたどんが逃げんば。」と言っても容赦ない。これまた『煩悩』のなせる業。親にとって子はいつまでも子ども。毎回、同じ会話の繰り返し。

 とは言うものの、私も成人した息子が高熱を出したりすると、ちょっと熊本市まで見舞いに行ってしまう。妻からは「もう子どもじゃなかっやっで。」と言われるが仕方ない。「親馬鹿やっでしょんなか。」、「生きとるけんでくっとやっで、でくっことはせんば。」と返している。これも『煩悩』のなせる業。

 中学生の時、修学旅行で松下村塾に行った。そこには『知行合一』の掛け軸があった。吉田松陰が処刑される(安政の大獄)前に詠んだ辞世の句を知り心に沁みた。

「親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん」

 子が親を思う心よりも、親が子を思いやる気持ち(親心)のほうがはるかに強い、その息子が処刑されることを聞いて、親はどう思うだろう。

 布団の重さは親の思いの重さ。分かっとるけどもう54歳(H)

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【第70回熊日三太郎駅伝競走大会】020112

 今日、県内で最も歴史のある駅伝大会「熊日三太郎駅伝競走大会」が開催され、水俣市文化会館と芦北町役場田浦支所を結ぶ10区間、39.7kmでタスキをつなぎました。      

 昨年度から町でチームを編成しての参加、中学生チームは芦北Aが6位、芦北Bが4位、芦北Cが2位という成績、田浦中選手では6区のCくんが区間賞を取りました。

 芦北町の代表として出場した皆さん、部活動と重複しての練習と大会、本当にご苦労様でした。3年生で大会に協力してくれたKHさん、IHさん、KMさんありがとう。高校・一般チームの選手として出場した卒業生の皆さん、頑張りを誇りに思います。

 意外に思われるかも知れませんが、体育的な才能は遺伝しない(諸説あります)そうです。ただ、体型については遺伝的要素が強いし、スポーツ好きの親は、子どもに小さい頃からスポーツ的な遊びをさせる傾向にあるので、自然とスポーツに親しむ習慣ができ、体育的な才能が遺伝したように見えるそうです。 

 私自身、小さな頃は親と運動をして遊んだ記憶もないし、足も遅く、運動がとにかく苦手でしたが、6年生の頃に体格に筋力が追い付いてきて、高跳びの授業でとても良い記録が出て、室村先生に褒められ、だまされました。中高ではバレーボールの試合に行くたびに、色々な学校の監督から声をかけていただき、まただまされました。

 何事も嫌だと思えばとことん嫌になっていきますが、好きだと思えばとことん好きになっていくものです。きっかけは人がつくってくれることも多いのではないでしょうか。

 今は応援団の皆さんも、来年度に向けてくまモン監督にちょっとだまされてみませんか。(H)

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