湯浦中ブログ

亀城ヶ丘だより

【宿題】040826

 金曜日です。夏休みも残り3日となりました。ちびまる子ちゃんは「夏休みは何日あると思ってんのさ。宿題なんていつでも出来るよ。それより今を大切にしなきゃ。」と言っていますが、宿題点検日に各担任に聞いてみたところ、まるちゃんの考えに同意した生徒は合計で15人程度のようです。

 宿題は適量になるよう各教科で調整をしており、保護者の皆さんが中学生だった頃よりかなり少なくなっています。昔は涼しい時間に起きて勉強する、涼しい場所(図書館)を捜すという努力もセットでした。人吉勤務の頃はまだエアコンもなく、ぬるい風が回る扇風機と、水の入ったバケツを教室に持ち込ませて宿題をさせたりもしていました。創意工夫を削いでいるかもしれません。

所ジョージさんは、夏休みについてこんなことを言っています。

「少年少女に言っておこう。夏休みは、夏休みの宿題があるから充実するんだよ。宿題を溜めて、『あー、早くやんなきゃな。宿題やんなきゃな。あー、月末に溜まってくな。』っていうのがあるんで、遊びが充実するんだから。夏休みをいくらでも遊んでいいですよってなったら、退屈でしょうがないよ。」

 月曜日に皆さんに会うのを楽しみにしています。

【視力低下】040821

 最近視力の低下を感じます。光を集める力も弱くなるらしく、部屋が暗く感じて電灯のスイッチを入れたのに、実はすでに点いていて、逆に消してしまったということもよくあります。

 昔はCMの「かすみ目」を何だ?と思っていましたが、これがそうかとよくわかります。

 昨夜、いつものようにバリカンで髪を切りました。暗い室内、遅い時間、小さな文字と条件はそろいました。アタッチメントの3ミリをいつもの6ミリと見誤りました。職員や生徒には、「新学期が始まるので気合を入れないと!」と言う事にしました。

【会場練習】040819

 今日は水俣市のエコパークで、陸上競技大会の会場練習を行いました。400mの競技場は普段よりも走りやすそうでした。

【中学3年生の頃4】040809

【J先生】部活動にあこがれの先輩がいて、その先輩が強豪校に進学したので自分もそこに進学したいと思いひたすら練習していました。とにかく部活のことしか考えていませんでした。

【K先生】中学2年の最後にバスケット同好会を立ち上げ、あることに励んでいました。勉強は嫌いで、覚えるのがとても苦手でした。でも、受検生なので深夜まで勉強に取り組みました。

【L先生】部活で結果を残したかったので、3年生最初の3か月、必死に練習に取り組みました。県中体連大会には出場できませんでしたが、一緒に頑張った仲間と充実した毎日を過ごせました。その後は高校生の試合や稽古の見学にも行きました。幸せなことに高校から声を掛けてもらう機会もありました。

【中学3年生の頃3】040808

【G先生】最高学年として何かできることはないかなと思っていました。いろいろな場面で人前に出ることが多くなり、今の職業につながっていったと思います。部活を引退してからは受検のことが気になり始め、クラスで問題集などを印刷して配ったりしていました。

【H先生】中体連大会までは優勝目指して練習に励んでいました。そして、練習のし過ぎで大会の1週間前に腰を痛め、部活は終わりました。大会後は勉強もしましたが、家が甘夏ミカン農家だったので、休みの日には手伝いをすることも多かったですね。昔の田浦の子どもはみんなそんなものでした。

【I先生】反抗期が落ち着きました。進路が不安でしたので勉強を始めました。友だちといつも遊んでいました。部活(サッカー)と駅伝は一所懸命頑張りました。

【中学3年生の頃2】040807

【D先生】学年の人数が300人もいる学校だったので、点数が1点下がるだけでも何番も順位が下がるため、ミスをしないように何回も見直していました。友だちとの思い出も多く、その時の友達とは今も続いています。

【E先生】中学3年生の頃は、最後の学校行事に対して意識が高いクラスだったので、体育大会・文化祭に向けて頑張った思い出があります。授業の記憶はありません。数学は苦手でした。

【F先生】最上級生になったんだなぁという気持ちの中にも、1年後の高校入試をいかに乗り切るかについて一所懸命に考えましたね。1・2年生の復習から始めて、機会あるごとに校外模試を受けながら自分の力を確認していました。とにかく残り1年間の中学校生活を有意義に過ごせるように考えていました。