校長ブログ「秘密の部屋」

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【修学旅行の復習】011212

修学旅行団の皆さんは、のぞみ29号の中ですね。帰ったらたくさん土産話を聞かせてください。では、修学旅行の復習問題です。修学ですから当然難問です。(H)

1 修学旅行で通過や滞在した府と県を、熊本県を含めすべて挙げてください。
2 東大寺南大門の金剛力士像制作の総指揮にあたった鎌倉時代の仏師は誰ですか。
3 東大寺の大仏のそばにある柱の穴は、大仏の何のサイズと同じ大きさですか。
4 令和元年7月調査では、奈良公園の鹿の生息数は何頭だったでしょうか。1300頭以上1400頭未満の数字で答えなさい。(誤差30頭まで正解とします。)
5 「金閣」、「銀閣」、「二条城」、「法隆寺」、「東大寺の大仏」の5つを最初に造られた年が古い順に並べてください。
6 「金閣」と呼ばれる舎利殿がある寺の名前を答えなさい。
7 清水寺の本堂の入り口に鉄下駄と錫杖(しゃくじょう:修験者が持つ杖)があります。誰の物だと伝えられていますか。
8 「清水の舞台から飛び降りる(た)」を正しく使って、文章を作りなさい。
9 京都駅は東経約135度、田浦中は東経約130度に位置します。両地点の日の出は約何分違いますか。
10 京都市内のコンビニや有名飲食チェーン店の外観が、イメージカラーではなく落ち着いた色合いになっているのはなぜですか。

※解答は15日(日)の朝にアップします。

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【京都市内班別自主活動】011211

 先日、町の校長会研修会で赤松館を見学しました。以前は父が庭の手入れをしていたのですが、私は中に入ったのは今回が初めてで、元気な頃の仕事姿を思い浮かべました。

 田浦を巡ると、あちらこちらに父が造った庭を見かけます。小さい頃に仕事場について行っていたこともあり、日本庭園にとても興味があります。高校の修学旅行の班別自主活動では、友達に竜安寺を入れてもらいました。教科書にも載っている有名な庭です。思ったよりもこぢんまりしているという印象でした。慈照寺銀閣の緑一面に見える庭の、苔の違いによる微妙な色合いの変化も心に残りました。やはり実物を見ることが大事です。父には竜安寺の解説本をお土産に買いました。

 学校に勤めるようになって修学旅行で3回。小学校免許を通信教育で取るためのスクーリングで10日間。職員旅行で1回。息子たちが中2、小5の時に「男だけの京都の旅」と称して1回(このときは大雨で、庭の補修の様子を見ることができました。)、京都に行く機会がありました。そのたびに発見があります。

 修学旅行2日目。京都市内の班別自主行動に出ています。本物に触れ(触らんごつしてね。)、貴重な時間をじっくり味わってほしいと思います。私は学校で写真が送られてくるのを楽しみに待っています。学校だより号外の準備であ~ぁ忙しい忙しい。(H)

 

 

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【体罰禁止】011210

 昭和50年度卒業生の皆さんが、令和2年5月3日(土)に還暦の同窓会を開かれるそうです。田浦中HPにも案内をアップしました。卒業から45年経ち、宛先不明で返送されたハガキも多くあるようです。対象者は誕生日が昭和35年4月2日から昭和36年4月1日生まれの皆さんです。ご親戚やご友人に対象の方がいらっしゃったら、田浦中のHPをご覧いただくようぜひお伝えください。会長は田浦小学校の百原校長先生です。他の学年も卒業学年単位での同窓会を開かれる場合は中学校にご相談ください。

 さて、今国会で「親による体罰禁止が規定された改正児童虐待防止法と、児童相談所の機能強化を盛り込んだ改正児童福祉法が成立した。」ということが報道されました。「しつけ」という名の虐待、死亡事件が頻発していることがきっかけになったようで、来年の4月から施行されるそうです。

 体罰の範囲は今後示されるそうですが、「どんなに軽いものであっても、身体に苦痛または不快感を引き起こす行為」は体罰、「子どもを保護するための行為、第三者に被害を及ぼすような行為を制止する行為」は体罰ではない。と線引きされるようです。

 各学校では、体罰防止の研修を年に何度も行い理解しているはずですが、それでも全国のどこかで体罰の報道がされています。親による体罰も同じです。根底に「躾のためには時には体罰も必要だ。」と言うような考えだったり、事件の報道時に自分事として考えなかったりする人は、常に体罰と隣り合わせです。(H)

 

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【修学旅行未来日記2】011209

 いつもより早く目覚めました。修学旅行効果です。朝食をとって、荷物を点検、準備万端です。少し曇り空です、一時雨との予報も出ていますが心の中は快晴です。

 8:00にホテルを出発、6班に分かれて京都市内班別自主活動のスタートです。伏見稲荷、鹿苑寺金閣、清水寺、二条城、三十三間堂などを見学しました。途中、走ったりもしましたが、教科書やテレビでしか見たことのない本物に出会えて感動しました。紅葉もきれいでした。

 17:00前、楽しい時間もいよいよ終わりに近づきました。時間が不足し、お昼ご飯はコンビニおにぎりで済ませてしまいました。マックに入ったグループもいました。集合時刻までに全グループがホテル到着。T主任からとても褒められました。

 夕食もしっかりとりましたが、夜になるとお腹が空きました。家族に買ったお土産を食べてしまおうかと悩みました。今日はしおりもびっしり書けました。

 いつの間にか、朝でした。昨日は随分歩いたので疲れました。今日は旅行最終日です。

 9:30に人と防災未来センターを見学、語り部の方の講話、再現ビデオに衝撃を受けました。この地震の反省が、熊本地震の時にも生かされたということを学びました。

 のぞみ29号は新神戸駅を14:18に出発、博多駅でさくら415号に乗り換えて新八代駅到着は18:08。車中ではみんな爆睡です。行きより短く感じました。バスの中で解散式を済ませ、赤松トンネルを抜けると田浦の風景が広がりました。やっぱり田浦が一番です。肥後うららに19:10到着。ケガも病気も誰一人いませんでした。家に帰り着くまでが修学旅行です。

 ここで未来日記は終わります。楽しい修学旅行になるよう祈っています。荷物を確認したら、今夜は早く寝ましょう。(H)

 

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【修学旅行未来日記1】011208

 今週の火曜日から2年生の修学旅行です。旅の様子は毎日夕方にHPで発信する予定です。引率をしないので、予想だけで楽しみます。私の未来日記によると…。

 朝5:30に道の駅たのうらに遅刻もせず全員集合。しおりを教室に忘れたという生徒もおらず、出発式の後、6:00に出発しました。

 担任K先生と養護教諭T先生は八代方面からの通勤。「この道はさっき通ったのになぁ。」というつぶやきが聞こえます。

 車の流れはスムーズで予定よりも早く新八代駅に到着。7:11発の新幹線つばめ308号に乗り込み、8:12に博多駅に到着。のぞみ14号に乗り換え8:36に出発しました。学校ではM先生の、「生徒は今頃新幹線か、中で騒いでいたらかんしんせんなぁ。」と言うダジャレが飛びますが、修学旅行団に届くはずもありません。

 「トンネルが多いなぁ。」という生徒の声。新幹線内でデラックスな弁当を食べて、11:04新大阪駅到着。芸人に会わないかとキョロキョロしながら移動、バスに乗り込み一行は法隆寺へ。

 12:50に法隆寺到着。教頭先生から「法隆寺を建てたのは誰でしょう。」というクイズが出されます。生徒は「聖徳太子」と答えますが、正解は「大工さん」。少し体感温度が下がります。

 15:20~16:30は奈良公園と東大寺を見学。金剛力士像の迫力、大仏の大きさに圧倒されました。奈良公園では妙に鹿に好かれた生徒もいました。

 ホテル「京都高台寺よ志のや」到着は18:00頃の予定です。夕食ではご飯を何杯お替りするかが競われ、県駅伝メンバーが上位を争いました。

 入浴、自由時間、班長会議を終え22:00消灯。なかなか寝付けません。先生たちが回ってくる足音が聞こえます。ドアが開き、寝たふりをしてやり過ごします。先生たちは気づかないふりをして去って行きます。(H)

 

 

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【冬瓜(とうがん)】011207

 先週、相撲甚句会の文化祭での発表の写真が載った学校だよりを持って、宮本達也さん宅を訪ねました。帰りに大きな「冬瓜」をいただきました。冬瓜は夏が旬の野菜で、冷暗所で保存すると冬までもつため、「冬瓜」とよばれるようになったようです。「夏ミカン」も春に収穫し、冷暗所で保存して糖度が増した初夏に出荷するので「夏ミカン」です。

 さて、どうやって食したものか?便利な世の中です「冬瓜」、「料理」で検索すると「鶏肉団子の冬瓜スープ」、「鶏ひき肉あんかけ」、「麻婆冬瓜」、などのメニューがどんどん出てきます。簡単そうなスープにチャレンジしてみました。

 ワタとタネをスプーンでとって、ほどよいサイズに切って、塩をちょっと入れて下ゆでをして。冷蔵庫の中にあった鍋用の肉団子、玉ねぎ、えのき、しめじなどを適当な大きさに切って、鶏ガラスープで煮込んで、味が足りなかったので、うどんスープを入れて。できばえは冬瓜がトロトロで「ずいきのこうき」でございました。

 翌日は挽肉のあんかけにしました。下ゆでしたものがまだ4分の1ほど残っています。

 水俣市の黄色い壁の家にお住まいのYさん。いつもブログ読んでいただきありがとうございます。今夜のメニューは「冬瓜の~」等いかがでしょう。(H)

 

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【飲酒・酒気帯び運転根絶】011206

 初任の頃、先輩の先生から「高くてもタクシーで帰れ、タクシー代よりこれから退職までもらう給料の方が遙かに高い。」という指導を受けました。30年前は飲酒・酒気帯び運転に対する意識が今より低い時代でしたが、良い先輩です。

 これから忘年会、新年会のシーズンです。私は日本人の平均身長より随分大きいので、酒席でも「だいぶ飲みなっとでしょう。」と勧められますが、地球からアルコールがなくなっても全く問題のないタイプです。訂正します。このシーズンだけ発売される洋酒の入ったチョコレートはなくなると困ります。

 家でも飲まないので、「お酒を最近飲んだのはいつ。」と聞かれると、前回懇親会があった日と答えることができるくらいです。

 生徒指導を担当することが多かったので、夜でも電話がかかってくればすぐに動けるように、教頭の時も校長が動けないときに代わって動けるように、生徒や職員の不測の事態に対応できるようにと言うことで、宴会以外では飲まないようにしています。

 もっと遡ると、祖父が酒飲みで、子どもの頃にあまり良い思いをしていないと言うことが一番大きな理由かと思います。

 懇親会でも量は少なく、翌日の午前中は車の運転をしません。懇親会でも飲めない時は、間違って本物を注がれるリスクを回避するため、ノンアルコールビールでも飲まないことにしています。最近は、無理矢理勧められることが少ない時代になってきたので大変助かっています。

 飲酒・酒気帯び運転は自分で防ぐことができる不祥事です。(H)

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【生徒会会長・副会長任命式】011205

 今朝の全校朝会は生徒会会長、副会長の任命式を行いました。会長Iさん、副会長Oくんの表情にはやる気が感じられました。

 前会長のKさんは、放送委員会のインタビューで1年間をこのように振り返っています。「すべての活動を行うことが簡単ではありませんでした。計画を立てていてもうまくいかなかったり、臨機応変に対応できなかったりすることがあり、大変でした。」、「生徒会長としての1年はあっという間でした。すべての活動が難しいからこそ、できたときは感動で一杯だったし、皆さんの笑顔を見ることができたときが一番嬉しかったです。また、人前でも堂々と話せる精神力もつき、自分を成長させてくれた、とても楽しくて充実した1年間でした。」、「まずは新生徒会長Iさん、副会長Oさん、就任おめでとうございます。2人を中心とした新しい田浦中学校の姿を見るのがとても楽しみです。今年を超える田浦中学校を創ってください。期待しています。」

 ここ7年間で、生徒会長はHさん(女)、Kさん(女)、Hさん(女)、Kくん(男)、Iさん(女)、Kさん(女)、新会長のIさん(女)と続きました。昨年に続き、今年も体育大会の赤青両団長は女性でした。

 昨年、1年生に私の中学時代の話をする機会がありました。子どもたちの反応の良さに、つい同級生の子どもの前で「私が中学生の頃も田浦中は女子が強かった。」と口を滑べらせてしまいました。その子どもも、お母さんを思い出しながら納得した表情でうなずいていました。間違ったことは言ってないようです。田浦中は「すべての女性が輝く社会づくり」を強力に推進する学校です。(H)

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【ずいきのこうき(後編)】011204

 やがて殿様が、「あいや、百姓仁助、ばくさく(麦作)はいかに。」と問われたが、仁助は「ばくさく」の意味が分からない。とっさに「はい、はい、ずいきのこうきでございます。」

 今度は殿様の方で「ずいきのこうき」の意味が分からない。近侍の者に、静かに「瑞気の香気と言うようだが、どんな意味か?」と、おたずねになる。家来たちも何のことか分からないので、仕方なく庄屋を差し招いて、こっそり、「ずいきのこうき」の訳を聞くと、庄屋も知らない。庄屋はそっと仁助にたずねると、仁助は声を潜めて庄屋に「ばくさくとは何のことでございましょうか?」と反問する。庄屋が「麦の作柄はどうかという意味じゃよ。」と、耳打ちして教えると、「そうでございますか。ずいきのこうきとは、ひじょうに良いできばえと言うことで。」と答えた。

 さすがの仁助。正に見事な応対ぶり。そして、殿様に答えは届いて、めでたくけりがついたという。

 それからも、いろいろな問答が交わされ、とんちの仁助も庄屋も面目を施して、褒美をいただき、殿様の御前を引き下がったが、このことから田浦では、「はい、はい、ずいきのこうきでございます。」が、はやり言葉として使われ始めたのである。

※出典は「田浦百話」、「あしきたの民話・伝説」

 

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【ずいきのこうき(前編)】011203

 田浦の古老たちが難問にぶち当たって困惑したとき、苦笑いしながら、「はい、はい、ずいきのこうきでございます。」と、とぼけた返答でお茶をにごす格好は、近頃めっきり少なくなったようだが、たまに出会うと懐かしい気分が湧いてくる。この「ずいきのこうき」については、ちょっと面白い物語がある。

  ずっとむかし、田浦に百姓頭の仁助という大変とんちに長けた男がいた。その評判が時の殿様の耳に入り、一ぺん会ってみようと、庄屋を通じてお召しの達しが来た。

 ちょうど春のこと、服装を正した庄屋につれられて、仁助もどうやら整えたこざっぱりした身なりで、御殿へまかり出た。

 殿様は、中央玉座に、両側には家来たちがずらりときら星のごとく居並ぶ中に、遙か末座に平伏した庄屋と仁助。庄屋は緊張して小心翼々、少し震えとるが、どうしたことか仁助はケロリとして平気の平左である。

 型のごとく、殿様が「その方が、田浦の仁助か、遠路のところ大義であった。さあ近うまいれ。」

 「はい、はい。」仁助は庄屋とともに進み出る。庄屋が冷や汗をかきながら小声で、「これ仁助、頭を低く下げて。」仁助は、畳のへりのところに手をついてぴったりおじぎをする。殿様が「苦しゅうない。おもて(面)を上げよ。」

 そこで仁助は、畳のおもてにてをかけて引き上げようと力む。庄屋があわてて声を落とし、「おもては、畳じゃない。つら(面)のことじゃ。目鼻のついとるのがおもてじゃ。」

「ははあ、目鼻のついとる方がおもてで、ぼのくど(盆の窪)の方が裏でございますか。」仁助は澄まして顔を上げた。(後編へ続く)

 

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