校長ブログ「秘密の部屋」

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威風堂々

水俣二中で同勤した「は〇どん(仮名)」は鹿児島県出身の男だ。体もでかい。年を重ねたらきっと「せごどん」に進化する。

奥さんも鹿児島出身。「家に帰ったら座るだけで、ご飯が出てきます。」「家事は一切しません。」「私も妻もそんな風に育てられてきました。」と堂々と言う。鹿児島県民へのあらぬ誤解を生む。

生徒には愛情をもって接する熱い男だ。影響された女子生徒が、学級行事への取り組み方について「は〇どん」と全く同じ口調で友達を怒っているのには驚いた。

長女が生まれた時、「『〇子』先生の『子』の字をもらって『〇子』にしました。」という調子の良さと、「普通は名前の上の方をもらうだろう。」という声にもめげない逞しさも持ち合わせている。さすがとしか言いようがない。

彼にも弱いものがある。黒くて、つややかで、かさかさと移動し、突然飛び上がり、生命力の強い、多くの家庭で飼っている例のヤツだ。廊下で見かけると、新任のT先生に言う。「初任研だ。退治してこい。」すべて初任者研修の一環で片づける。これも「そんな風に育てられました。」ということか。鹿児島県民へのあらぬ誤解を生む。

最近は「子どもを風呂に入れます。」「車の運転もします。」と堂々と言う。少しすることが増えた。徐々に、徐々に奥さんにそんな風に育てられていく。

あらぬ誤解が少しは解けた。(H)

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余裕たい

校長はスポークスマン。会う人、会う人に「『芦北町立田浦中学校』のホームページを読んでください。」と呼び掛けています。お知り合いの方にも勧めていただくと嬉しいです。

「ブログを毎日更新されている校長先生がいるのですが、校長先生も書かれますか。」本校の職員はなかなか厳しい要求をしてきます。
 「余裕たい。」たいていの事にはそう返事をするようにしています。

「毎日更新」が「時々更新」に訂正されている!と気づいたときに大切なのは、温かい心です。

土・日はできるだけくだらない話にしようと思っています。タイトルや内容に、一部の人にだけ気付いてもらえる暗号を入れることもあります。

 一昨日、コンピューターの保守にいらした方に「校長ブログ『秘密の部屋』を毎日更新しています。見てください。」と話したところ、「ハッリ―ポッターですね。」と返されました。
 正解です。気づいていただきちょっと嬉しくなりました。(H)

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ボクかりんとう

ハロウィンが終わり、校長室前の『コップのフチ子』のディスプレイを片付けました。次は12月のクリスマスバージョンです。出番待ちのフィギュアは事務室に保管しているのですが、すでに事務室は子供たちの手にかかり、正月の『招き猫』が飾られていました。

ところで、ハロウィンは、もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す、古代ケルト人が起源の祭り。私がハロウィンを知ったのは、子どもの頃に見たスヌーピーのアニメでした。子どもたちが家々を廻り、いろいろなお菓子をもらうのですが、チャーリー・ブラウンだけはどこの家からも「かりんとう」しかもらえないというオチ。「ボクかりんとう」繰り返されるチャーリーのセリフが耳に残っています。

この時期は毎年のように「ハロウィンで大騒ぎして散らかす大人、翌朝片づける子供たち」のニュースを見ます。とても残念な気持ちになります。子どもの頃は「大人のくせにおかしい!」と怒っていたはずなんですけどね。(H)

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やくそくまもれたモン

 今日、県立美術館から学芸員をお招きして、スクールミュージアムを開催しました。武道場に浜田知明(ちめい)氏の『初年兵哀歌』を中心にした16点と原版、マルク・シャガール氏の版画集『サーカス』から16点が展示されました。

説明によると、今年7月に100歳で亡くなられた浜田氏は、御船町出身の日本を代表する版画家です。戦争でのつらい体験や平和を願う思いを版画に表現しています。

また、ロシアで生まれたシャガール氏は、子どもの頃の思い出をもとに、さまざまなサーカスの場面に、亡くなった妻との思い出や、遠い故郷の風景など、自身の思い出を織り交ぜながら、版画に美しく表現しています。

途中、武道館に入って驚きました。あまりの静かさに誰もいないのかと思ったら3年1組の授業中でした。熊本県立美術館のやくそく「さわらないモン はしらないモン さわがないモン」がきちんと守られていました。(H)

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KT

朝夕、各学級から合唱コンクールに向けての歌声が聞こえてきます。学校に勤務して良かったと感じる贅沢な季節です。

ベテランの先生方に話を聞いてみると、いわゆる学級経営がうまくいったと感じるクラスの共通点に『大きな声で歌えるクラス』を挙げる方が多く見受けられます。

上手、下手に関わりなく、恥ずかしがらずに歌で自分を表現できるクラスには、普段から学級の中に友達の失敗やうまくいかなかったことを励ます空気、多様な考えを受け入れる空気、友達の頑張りや活躍を自分の事のように称賛できる空気があります。
 空気は誰かがつくってくれるものではありません。
空気を『読む』は消極的な関り。空気を『つくる』友達への積極的な関りを期待しています。(H)

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