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秋の田浦の
今日は写生大会でした。曇り空から晴れ、そして雨。天候の変化に伴う風景の色味や空気の匂い等の変わり際を五感で受け止め、味わうことができたのではないかと思います。良い作品に仕上がるものと期待しています。
私は中一の写生大会で阿蘇神社を描きました。近くで描いていた先輩の、神社の屋根の反り返りを強調した、下から見上げた構図に圧倒されました。小学生の頃は、正面からの構図しか描いていなかったので、強い印象が残りました。
人吉二中は、人吉城が制作場所でした。折り返して続く石段、広い城跡にそよぐ風。『夏目友人帳』にも登場する独特の空気感がありました。写生大会の様子を見えない何かが見ているような気がしました。青井阿蘇神社も会場でしたが、赤い鳥居の連続は、ずっと見つめていると引き込まれるような気持ちになりました。
水俣二中は、丸島漁港が人気の制作場所でした。海風にあおられ、画用紙を海に飛ばしてしまう生徒が出るのがお約束でした。出発前に、ある生徒のバッグが匂うので開けさせたところ、中から伸び縮みする釣り竿と、匂いの正体『撒き餌』が出てきました。釣り大会と勘違いしていたようです。
多くの生徒は高校を卒業すると田浦を離れます。秋の田浦の風景を記憶にとどめることができたでしょうか。(H)
ニャルソック1
家には、「おはぎ(黒)」と「ふわり(八割れ)」という2匹のネコがいます。
少し寒くなってきたので、息子が膝にブランケットをかけて座椅子に座っていると、「こたつだにゃあ!こたつだにゃあ!」という表情で、おはぎが潜り込んできました。しかし、すぐに「違うにゃあ!」という表情で出ていきました。しばらくすると、また「こたつだにゃあ!こたつだにゃあ!」と潜り込み、「違うにゃあ!」と出ていきました。
大変申し訳ございませんでした。早急にこたつを準備させていただきます。
夜になり寝ようとすると、おはぎは布団の上に、ふわりは枕元にいます。飼い猫のオスは特に「赤ちゃんモード」になりやすく、親といるような安心した気分だそうです。
逆に親モードに入り、無防備で寝ているでっかいネコを守っている気分にもなるそうです。お風呂に入っていると、ドアの外で待ち構えているのも「こいつは体が濡れるのに水に入って大丈夫かにゃあ」と心配しているからだそうです。
「ニャルソック」の皆様、今夜も警備よろしくお願いします。(H)
少年
私は二中勤務の8年間+3年間、朝の正門付近の掃き掃除を続けていましたが、Kくんが手伝いに来るようになりました。掃除をしながら好きな特撮や怪獣の話をして1日をスタートする日は3年間続きました。「将来は市役所に勤め、みんなの役に立ちたい。」そんな夢を語ってくれました。
良い仲間にも恵まれました。生徒会長としては、みんなを支える立場を忘れませんでした。卒業式の後、友だちと学校の掃除のために数日間登校したのには感心しました。
「昨日、パシフィックリムのカイジューをヤフオクで買いました。」夢叶って市役所に勤務するKくんは少年のままでした。(H)
困ったものだ
※10年ほど前に学級通信に書いた話です。
男の子は難しい・・・らしい。
言うことを聞かない、口答えをする、プリントを見せない、勉強をしない、マンガ本ばかり読んでいる、朝グズグズしている、お母さんをなめている・・・・。
よくもこんなに気に入らないことがあるものだ。
で、最後は「お父さん、何か言ってよ!」となる。「自分で怒れ。」と言うが、「怒っても聞かない。」と返される。妻も反抗期。
子どもが中学生になったら「男の子の教育に母親が、女の子の教育に父親が口を出すのは間違い」という話を聞いた。同姓の親が先輩としてアドバイスをすることが大切だそうだ。
「男の子はわからない。」というが、こちらは一度通ってきた道、やることなすこと昔の自分を見ているようでおかしくてたまらない。口答えも子どもなりの理屈が通っていて愉快、愉快。
「何か言ってよ!」妻のさらなる要求。このくらいのことでと思いつつも、ここは老後の良好な人間関係を重視。
2人の息子も慣れたもの、「お母さんの許容範囲は超えているが、お父さんを(命に関わること、いじめに関わること)を超えなければ大丈夫だ。」と知っている。本人だけが困ることについては、徹底して困らせるのも一つの手段ではと考える。
しかし、子どもたちは一向に困ったという気配がない・・・困ったものだ。(H)
※成長した今は違いますよ。
テントウムシ小僧
4~5才の頃だと思いますが、テントウムシを見つけると、なぜか指でつぶしていました。虫眼鏡で光を集めてアリをねらってまわったりもしました。犠牲にしたカタツムリも数知れません。ひどい子どもです。
ある日のこと、テレビで「テントウムシはアブラムシをたべる益虫」という番組を見ました。保育園児の頃のことなのに、「しまった。」「とても悪いことをしていた。」と思った瞬間を鮮明に覚えています。認めたくない若さ故の過ちです。
子どもは元来、残酷な面を持っているものです。しかし大抵の子どもはたくさんの大切な命を犠牲にして育ちながら、ある日突然、そうした行為の残酷さに自分自身で気づくそうです。
子どもたちは大切なものを失ったり、遊びのなかでケガをしたり、嫌な思いをしたりしながら、命の大切さや、痛みを体験的に学んでいきます。大切なのは人の思いを感じとることだと思います。(H)