湯浦中ブログ

2020年5月の記事一覧

【MT先生の中学時代1】020504

 先生方の中学時代の紹介、第2回は理科のMT先生です。津奈木町立津奈木中学校出身です。

 まず、部活動の思い出として、入学前の春休みに、柔道部のキャプテンが私と同じ地区の先輩ということで勧誘され、実際に受け身などを柔道場で経験したことがありました。しかし、柔道部には入らず、小学校の頃はソフトボール少年だったので野球部に入部しました。体調面の諸事情で2年生の途中で野球部を退部し、その後少し空白の時間がありましたが、津奈木中にはそれまでなかった男子バレーボール部を新たに作りました。その当時、湯浦中にも男子バレーボール部があったので練習試合でも湯浦中に来たことを覚えています。結局、公式戦全敗で終わりましたが、この経験が教師になってからのバレーボール部指導に役立ちました。

 次に、学習面の思い出としては、勉強をがむしゃらに頑張っていたことです。学校の先生になりたいと思い始めたのも中学校のころからだったと思います。中間、期末テストは夜遅くまで(徹夜する時もありましたが)必死に頑張っていました。私の頃は、中間、期末テストの日は午前中授業だったので、昼から家に帰って前の日の夜に寝ていない分の睡眠を取ることができました。高校では、テスト前に徹夜しても時間が足らないほど学習量が多かったのを覚えています。(MT)

 

【OM先生の中学時代2】020503

 この仕事を始めて、母校に勤める機会があった時に知ったのですが、私が中学生の頃は、母校は周りの学校から体育学校と呼ばれるくらい部活動が盛んだったそうです。確かに、中体連の優勝旗が多かったような気がします。部活だけではなく、全部活動が朝練をしていましたし、木曜日だけ掃除なしで昼休みがその分多かったです。それで何をするのかというと、先生たちとサッカーで勝負していました。校長、教頭先生も出てきて本気でサッカーをやっていました。そのおかげか、職員室は行きやすかったです。結構職員室に行っては、先生たちと雑談をしていました。

 昔はまだ厳しくなかったので、落ち葉を集めて焚火をグラウンドの隅でやっていました。学校行事で、サツマイモ栽培、茶摘み、梅ちぎりなどをやっていて、サツマイモができると、3日に1度、技術の先生がイモをふかして各学年に配っていました。小さい芋は、グラウンドの焚火場所においてあって、部活が始まる前に焚火にくべて、部活が終わると焼き芋がいい具合にできていたので、みんなで食べて帰っていました。

 今思うと、たくさんの良い経験をさせてもらっていたのだなと思います。(OM)

 

【OM先生の中学時代1】020502

先生方の中学生時代を時々紹介します。トップバッターは社会科のOM先生です。

球磨郡の上村立(うえそんりつ)上村(うえむら)中学校(現あさぎり中学校)出身

 とにかく部活第一の生活でした。

 小学校中学年くらいから、陸上競技の長距離に目覚めました。(それまで何もとりえがなかったのですが、努力すれば結果が出ることにとりつかれました。)先輩にも恵まれて、人吉球磨では強いといわれていたので、練習環境にも恵まれ、とにかく楽しくて毎日部活に行っていました。暇さえあれば、部室に集まっておしゃべりしたり陸上の雑誌を読んだりしていました。休みの日も、自然と夕方に部室に集まって、一緒に自主練したりグラウンドでサッカーをしたりして遊びました。中学校時代は家にいることがなくて、部活の先輩や友達と一緒にいることがほとんどでした。ここで、人付き合いを学んだような気がします。

 勉強もちゃんとしていました。授業も、ちゃんと受けるのが当たり前で授業中に寝るなんて考えもしなかったし、居残りもいなかったように思います。授業が終わったら、放課後はすぐ部活が当たり前だと思っていました。とてものびのびと過ごしやすい学校でした。(OM)

【家庭訪問】020501

 昨年の今日は、改元で全国が祝賀ムードに溢れていました。ずいぶん昔のことのように感じます。

 家庭訪問は大変お世話になりました。新型コロナウイルス感染症対策のため、マスクを着用し、玄関先で距離を空けてと変則的な方法で行いました。

 私が田浦中生の頃は、家庭訪問期間は午前中授業で午後は長い長い部活動でした。1・2年生の時は、家庭訪問の日に部活を抜けることができて嬉しかったことを思い出します。今の部活動の上下関係は羨ましいくらい仲良しですね。私たちの頃は、歯の治療に行くにも、上級生から「ビンタ一発打たれて」行かないといけないという訳の分からない時代でした。

 初任校は西合志南中でした。熊本市のベッドタウンのため、狭い校区に1学年7クラスの住宅が密集していました。1学期途中まで車を持っていなかったので自転車で回りましたが、一件目で大きなスイカをいただき、前かごに入れたままの家庭訪問でした。

 異動した人吉二中では畑が広がる風景の中、幹線道路へ出る道を見失い、30分ほどさまよいました。生徒に狭い道を案内され崖ぎりぎりを通ったこと、2年連続で同じ生徒が親に家庭訪問のプリントを渡しておらず、誰もいなかったこと…。スマホもカーナビもなかったころの思い出です。(H)