校長ブログ「秘密の部屋」

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【水俣高校SGH成果発表会】020220

 今日の午前中、水俣高校のSGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)成果発表会を参観しました。校長先生の英語での長文のあいさつ、SGH概要・取組説明のあと、ACT1として「水俣湾のDINの地理的変動と魚介類の減少対策について」、「環境発電の研究」、「Wood Connect Project」、「環境首都発!エコ・グランピング計画」の研究発表、ACT2として「スロベニア研修報告」、発表者の英語が上手だなと思って聞いていると、隣に座った水俣二中のN先生が「うちの娘です。」とのこと。二度びっくりでした。N先生のお父さん(元田浦郵便局長のYさん)も参観に来られていました。私のおなかを撫で「貫禄がついたですなぁ。」と褒めて?もらいました。

 その後にポスターセッションによる発表が行われ、私は本校出身、建築コースのHくんの「森は海の恋人~森林と海の関係~」という発表を見せてもらいました。

「世界に届け、水高生の声」というテーマを掲げ、水俣高校でしかできない教育活動は何かと言うことを生徒自身も理解し、様々な研究に取り組んでいました。今の水俣高校に通いたかったなと思いました。卒業生の一人として、彼らに将来の水俣を担う人材に育ってほしいと強く願っています。学年末テストと重なったため、田浦中からは私だけが参観しました。中学生にも見せたい内容でした。(H)

※HP閲覧数カウンターは現在110462回。111111回の瞬間を見るのが密かな楽しみです。私の予想では23日(日)頃です。

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【思い立ったが吉日】020219

 いよいよ1週間後は1年の中で最も「言い訳」を考える日「人間ドック」の日がやってきます。「どぎゃんかせんばいかん。」昨年の人間ドック直後の感想です。「思い立ったが吉日」良い言葉です。意味はわかります。私自身も生徒によく使います。

 しかし、寒い中に外を歩き回るのも病気の元です。気温の変化は血圧上昇につながります。インフルエンザが流行するシーズンですが、COVIDー19(コービッド・ナインティーン)の影響で全国的にマスク不足の状況です。不要の外出は避けるべきです。

 ここは食べて抵抗力をつけることが大事です。食品ロスが問題となる今日、食べ物を残すことは間違っています。変わったお菓子は試してみると話題作りにつながります。

 挨拶の原稿もたくさん仕上げないといけません。パソコンが友達、期限を守るのは信用の問題です。色々な情報を収集するために、帰宅したらテレビやネットニュースも見ないといけません。ゲームを完全否定しては生徒と心から通じ合うことはできません。

 タバコもアルコールも摂りません。余計な税金を払う気は毛頭ございません。ヨーグルト・牛乳は毎日摂っています。「せっかく肥えたとに、痩すっともったいなか。」母の教えは守らないといけません。

 それと、それと、う~ん…。学校には私より大きい人がいます。私はまだまだです。

 22日から三連休です。「あきらめない、最後まであきらめない」の田浦中スピリッツで少しあがきます。(H)

 

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【俺は泣く】020218

 昨日、生徒はワクワクして帰宅したようです。遠方から通勤している先生もニコニコしながら「明日、来れるかなぁ。」と言っています。平野部は5㎝、山間部は10㎝の積雪の予報でした。期待感が高まっているようです。町の防災無線でも注意喚起の放送が流れました。近い先生でも方でも北の赤松太郎、南の佐敷太郎・津奈木太郎が待っています。雪に不慣れな地域なので油断は禁物、生徒・職員には命を守ることを最優先にと伝えています。私は対応のため昨夜は田浦に泊まりました。カップ麺も準備しました。

 そして朝6時、車の屋根とフロントガラスに氷が残り、路面が凍結している程度、学校から見える高速道路も車が通っています。太陽が出る頃には氷も溶けてしまうことでしょう。職員に「路面凍結、安全運転を」のLINEを入れました。何もないのが一番です。

 昨夜は本年度最後のPTA役員会を開きました。執行部の木村会長、大浪副会長、倉本書記、溝下監査の4名が子どもの卒業により勇退されます。他、副会長の川元さんは小中連続で5年間に亘り役員をしていただきました。先輩の奥さんということで無理なお願いを聞いていただきました。木村会長は「(息子が卒業だから)俺は泣くけん、卒業式のあいさつを代わってくれ。」と新会長に懇願されましたが、提案は却下されました。(H)

 

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【耐雪梅花麗】020217

 明治10年2月15日、60年ぶりとも言われる大雪の中、薩摩軍が鹿児島から熊本方面へ出発。西南戦争が始まりました。そして17日、西郷隆盛が桐野利秋と共に加治木から人吉を経て熊本に出発しました。

 平成2年の『飛ぶが如く』放映の時は西合志に勤務していましたが、社会科の先生たちと田原坂や熊本城を巡りました。その後異動した人吉でも1か月余りの戦いの跡を巡りました。ある生徒の家は、西南戦争の時の官軍の宿舎だったそうで、衣類などが残されていました。林鹿寺境内にある両軍戦死者を供養するための慰霊碑の筆は勝海舟です。

 西郷隆盛は明治5年、アメリカへ留学する甥の市来政直(妹「琴」の三男)にこのような漢詩(五言律詩)をおくっています。

一貫唯唯諾 従来鉄石肝 貧居生傑士 勲業顕多難

耐雪梅花麗 経霜紅葉丹 如能識天意 豈敢自謀安

 一度、引き受けたと心に誓ったことは、ただひたむきに貫き通さなければならない

 鉄や石のように守ってきた胆力(事にあたって、恐れたり、尻ごみしたりしない精神力)は、いつまでも変えてはならない。

 豪傑の士は貧しい生活をしてきた人の中から現れ、高く評価される事業は多くの困難を経て成し遂げられる。

 厳しい冬の寒さや雪に耐えて梅の花は麗しく咲き、冷たい霜を経て楓の葉は真っ赤に紅葉する。

 もしこれらの天意を理解できたのなら、人は安楽な生き方を選ぶことなどどうしてできるだろうか。

 昨年度の卒業式の校長式辞の中に入れました。元広島カープの黒田投手は高校生の時に授業で習ったこの漢詩の『耐雪梅花麗』を座右の銘にしているそうです。(H)

 

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【順番】020216

 今日は昨年2月になくなった義父の一周忌法要でした。「飲む」ことが好きな義父で、娘の結婚前は義理の息子と「飲む」のが楽しみだったそうです。ところが義理の息子になったのは「飲まない」男でした。ちょっと残念だったようです。後半は義母により水で薄めた一升瓶が置かれていましたが、知っていて文句も言わず飲まれる方でした。

 私たちが人吉に住んでいた頃は、よく孫2人の顔を見に来られていました。必ず温泉に行っていました。湯の児に戻ってからは毎日、保育園の迎えや帰宅後の面倒を祖母と2人でみてもらっていました。じいちゃん・ばあちゃんに育ててもらった子どもたちです。

 退職後、何度か手術をされて、一昨年から酸素ボンベが欠かせなくなっていましたが、その日は突然やってきました。正月にスマホで撮った写真が、最後の集合写真でした。

 田浦に来てからの5年間で義父や伯母、親戚、実家の近所のおじさん・おばさんたち、卓球部の外部コーチとして頑張ってくれた同級生や中学校の先輩方などお世話になった多くの皆さん方が鬼籍に入られました。最大4匹いたネコも「おはぎ」だけになりました。

 息子たちにはよく「順番を守れ。」と言います。どんなにそうありたいと願っても、病気などで順番を守ることができなかった人もいます。自ら約束を破ることがないように。親が先、子供は後。母から言われ続けてきたことの受け売りです。(H)

 

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【笑顔条例】020215

 昨年末、朝のニュースで「毎朝、笑顔をAIでチェックしている。」という会社が紹介されました。その日のランキングもつけているそうです。笑わない男がいたら大変です。 

 1948年、アメリカ合衆国アイダホ州ポカテロ市(City of Pocatello)のジョージ・フィリップス(George Philips)市長はある条例案を提出、冗談で市議会も可決しました。施行はされていないようです。

 ポカテロ市のHPをグーグル翻訳したところ「ジョージ・フィリップスは、それが違法ポカテロに笑顔を作っていない条例を可決しました。『スマイル条例』は市職員や市民の精神を湿らせていた非常に厳しい冬、結果として、頬に舌を渡されました。」と意味が分かりません。翻訳を読みながらつい笑顔になりました。気になった方は姉妹都市の『北海道岩見沢市』のHPを検索ください。

第一条 しかめっ面、眉間にシワを寄せる、人をにらむ、怖い、不機嫌そう、落ち込んでいるといった印象を与える表情は違法である。

第二条 市民が笑う習慣を身につけるために、毎年8月9日から14日までを『笑顔週間』とする。

第三条 笑顔チェックの役所を新たに作り、笑顔がない人を逮捕する権限がある特別官を置く。

第四条 条例に違反して有罪となった人は、笑顔作りの講習を受けなければならない。

今日、わが家は今年一番の笑顔の日でした。中身は秘密です。緊張しました。(H)

 

 

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【転売ヤー】310214

 1月26日は郡市対抗女子駅伝大会でした。Y先生と一緒に本校出身のIさんを応援しました。益城インターを降り、スーパーの駐車場からY先生に「応援場所の目印はないですか。」と聞いたところ、「街路樹が続く道路で特に建物もありません、交差点から100mほど走ってください。対向車線側にいます。」とのこと。メールで送ってきたのは本当に街路樹だけの一本道でした。しばらく走るとY先生を見つけました。建物よりも目印になりました。

 帰りにスーパーに寄りました。インフルエンザの流行シーズンなので箱入りのマスクが大量に売ってありました。この時期、学校ではマスクをつけて過ごすよう呼びかけることがよくあります。私も1ヶ月分の1箱買って帰りました。

 1月30日、出張に出ました。先日購入したマスクは熊本で仕事をする息子に渡してきたので、帰りに量販店に寄りました。後はご想像の通りです。新型コロナウイルスのニュースが連日報道され、マスクが全く手に入らなくなりました。ある面、仕方のないことですが、許せないのは「転売ヤー(転売+バイヤー)」の存在です。ネットフリマでは10倍以上の価格で出品されているようです。社会科では「農産物など価格は需要と供給の関係で決まる。工業製品は『経費+利潤』が原則で、希少価値がある物はオークション等で高額で取引されることもある。」と教えますが、マスクが希少価値のある物になるとは思ってもみませんでした。人の弱みにつけ込むやり方を恥じぬ心に憤りを覚えます。

 毎月第3土曜日の「トミカの日」にトミカの新車が販売されます。同時に色違いの初回限定版を一人1台のルールで買うことができるため、おもちゃ屋さんには客が並ぶ姿が見られます。その中に乳幼児もいます。2~3歳、男児・女児関係なく限定版のランボルギーニやフェラーリに興味があるようです。その後、すぐにフリマやオークションサイトに限定版が高値で大量に出品されます。「自分はほしくなくても、ほしい人に高く売りつければ儲かるんだよ。」と、乳幼児の頃から市場原理を徹底して教えているようです。

 明日は第3土曜日ですが、何よりも大切な家族の用があるのであきらめます。余談ですが私は平成4年の今日、入籍しました。記念日は覚えやすい日に限ります。(H)

 

 

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【地域の教育力】020213

 昨日は午後から、田浦小学校のICT研究推進校研究発表会に参加してきました。これは、町内の小・中学校が順番に2年間の指定を受け研究と実践を行うもので、芦北町には機器の充実や支援体制などに多額の予算を使っていただいています。大変ありがたいことです。昨日は研究発表と3つの学級での公開授業をもとに、授業での機器の効果的な活用方法について学びました。授業者の一人、Y先生は私が水俣二中に勤務していたときの生徒なので、彼の成長を見るという楽しみもあります。

 西郷隆盛の出身地、鹿児島市加治屋町出身の偉人は隆盛以外に教科書に登場するだけでも、大久保利通、西郷従道、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛などがいます。『翔ぶが如く』の原作者である司馬遼太郎氏は「いわば明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と述べています。芦北町は「温故創新」を教育理念としていますが、これには伝統を大切にしながら最先端の学びを取り入れ時代を切り開いていった加治屋町の偉人たちと通じるものを感じます。地域の教育力あればこそです。(H)

 

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【不審者対策避難訓練】020212

 先週末に風邪を引きました。病院に行き土・日寝たら治りました。妻にはいつも「病気なっとせんと休まれんけん予防注射はせん。」と言っていますが、寝込むほど苦しむのは大概休みの日で、いつも月曜日には復活します。作戦が成功した試しがありません。

 学校では地震、津波、水害、火災、不審者などの避難訓練を行っています。今日は芦北警察署生活安全課のご協力を得て、不審者対策の避難訓練を行いました。生活安全課の話によると、一昨年は、すごく体格のよい先生が最前線で対応し、柔道の達人である前校長先生から刺股を手に鋭く睨みつけられ圧倒されたとのことで、校長室の壁紙にその跡が残っています。昨年は、最後は不審者をうまく誘導し放送室に閉じ込め、交番から警察官が到着するまでの時間確保ができましたが、最初に対応にあたった事務職員のH先生は凶器が見えたにもかかわらず、つい近寄り、模造ナイフで刺されてしまいした。侵入ルートを決めての訓練でさえ不審者役の圧力に緊張してしまったとのことです。もし本当に侵入があったら、相手はどんな状態でどんな凶器を持っているか分かりません。

 今回は生活安全課のアドバイスもあり、あらかじめ侵入ルートを決めるのではなく、職員がどう動くか、臨機応変な対応ができるかという訓練を行いました。たくさんの助言をいただきました。今日の経験を活かすことのない世の中であって欲しいものです。(H)

 

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【建国記念の日】020211

 今年から2月の祝日が2回になりました。ただ単に休みが増えたという理解で終わっては、おかっぱの5歳児から「ぼ~っと生きてんじゃねえよ。」と叱られそうです。

「国民の祝日」(祝日)については、国民の祝日に関する法律(祝日法)の第1条に「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日である。」と定義されています。

 今日は建国をしのび、国を愛する心を養う「建国記念の日」です。祝日法を読むと、他の祝日がすべて祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」とされていることがわかります。どうやってこの日が決められたのでしょう。

 日本書紀によると初代の神武天皇が旧暦の紀元前660年1月1日に即位されたと伝えられており、それをグレゴリオ暦に換算すると2月11日になります。

 この日は明治6(1873)年に、「紀元節」と定められ、翌年から祭日となりましたが、第二次世界大戦後のGHQによる国家神道の徹底的排除の動きの中で廃止されました。

 その後、「建国記念日」を制定しようという議論が国会でなされ、昭和41(1966)年に「建国記念の日」と定められ、翌年から国民の祝日として復活しました。「建国記念の日」には「の」があり、5月3日の「憲法記念日」や今年から2月23日と定められた「天皇誕生日」には「の」がない。この違いは分かりますか?

 原稿を書いたのは1月末です。どうかチコちゃんに先を越されませんように。(H)

 

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