校長ブログ「秘密の部屋」

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【そうなんです。】010714

 若い人にインタビューをして、答えることができないことを「常識なのに。」と笑うような番組もありますが、子どもの教科書を開いてみてください。特に「地理」、「歴史」の内容は昔と大きく変化しています。教えていないから知らないのが当たり前です。逆に、今の子どもたちに世界最古の人類を「アウストラロピテクス」と答えたら笑われます。現行の教科書では「サヘラントロプス・チャデンシス」です。

 ネットにこんな記事がありました。あるテストで「インドで、小麦粉からつくられているパンはなんですか。」と言う問題。

 ある生徒の解答は「そうです。」

 笑い話にしてしまうのは簡単ですが、間違えさせないようにするにはどのような設問にすればよかったのでしょうか。「文末を“パンの名前を答えなさい。”」、「“なん”を漢字で“何”にする。」にするのも良いでしょう。しかし、「そもそもインドで一般的に食べられるのは“チャパティ”や“米”が主流なので、“ナン”を答えさせるのはクイズレベル。」「すべての教科書で扱っているわけではない内容を問うのは、学習の定着度を測るのに適当ではない。」などいろいろな意見が出ます。社会科担当からすると突っ込みどころ満載で、この記事事態本当なのかと考えるところです。

 なかなか面白い話ですけど。(H)

 

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【田浦水害2】010713

 当時の記録を読むと、田浦町では11日から14日にかけて1時間雨量65mm、2時間雨量120mmと短時間に集中して降り、田浦川等、吉尾川等が氾濫して大きな被害が発生したとあります。

 私は水俣にいたため、田浦水害のまさにその時の怖さは体験していません。聞くところによると、小学校の運動場横の土手が決壊し、大量の水が流れ込み運動場が見る見るプールのようになったそうです。低学年の子どもたちは怖くて泣きだしたそうです。

 本校のO先生は当時保育園入園前だったそうですが、庭に水がどんどん入ってきた記憶があるそうです。お母さんは小学校からの電話連絡を受け、膝上まで水につかりながら、宮坂医院前の三差路に張ってあったロープを伝って、低学年のお姉さんを学校まで迎えに行かれたそうです。

 私の父は学校からの電話を受け「学校が一番安全だけん、学校に残してくれ。」と言ったそうです。家庭も学校も判断が難しい状況だったと思います。

 昨日のPTA講演会は、田浦水害の日に合わせ、長谷川勝さん(水俣市総務企画部危機管理防災課危機管理官地域防災マネージャー)をお招きしての防災講話を行いました。

 「天災は忘れた頃来る」物理学者で俳人の寺田寅彦氏がしばしば語ったという言葉があります。災害は語り伝えないと風化していきます。田浦中では、7月12日を命を守るために「絶対はない」「想定外のことを想像する」と言うことを肝に銘じる日、防災について考える日にしています。(H)

 

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【田浦水害1】010712

 高校2年生だった昭和57年7月12日(月)の昼前のこと、「田浦中出身の生徒は集まってください。」という放送が入りました。何かと思って指定された教室に行くと、「田浦が大変な大雨になっていて、帰すことができない。水俣の友達の家に泊まるように。」との説明がありました。「いつも通り朝6時過ぎの列車に乗って駅を出たのに、水俣もそんなに降ってはいないのに。急に泊まれと言われても困るのに。」情報源もテレビ中心で限られており、私たち高校生には切迫感はありませんでした。

 午前10時までの1時間の雨量は65mm、1日の雨量が328mm。不知火海の満潮とも重なって田浦川等が氾濫、肥後田浦駅周辺や小中学校周辺も家屋への浸水が続出したとのこと。テレビには駅前の被害の様子が映し出されました。

 高校の隣にあった同じクラスの友達の家に、田浦中出身の3人で泊まらせてもらいました。テレビのニュースはずっと大雨関係ばかり。不安な夜を過ごしました。

 翌朝、高校が借りたバスで田浦へと向かいました。国道3号線は渋滞、8時間近くかかって田浦に着きました。途中は泥道。船江付近では、甘夏ミカンの木が根が付いたままで海に浮かんでいました。色の変わった壁を見て、水の高さに驚きました。町中、泥の匂いがしました。あちこちに消毒のための石灰が巻かれていました。(H)

明日に続きます。

 

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【われらの幸】010711

 今日、ある研修会で田浦中の教育について発表する機会をいただきました。ここでの助言をもとに修正を行い、8月に熊本市で、10月に群馬県前橋市で発表する予定です。

 原稿の序文は田浦と学校の紹介から始まります。多くの学校がそうだと思いますが、校歌に田浦の風景が読み込まれています。そこで、校歌を使って紹介することとしました。    

1 朝なぎの 太田の浜に新潮光り 殿島の緑  眼にしむ 

  ああ若き日の 純潔のシンボル 溌剌と生命かがやく

  田浦 田浦中学校 ここに学ぶ われらの幸

2 南風匂う 山の斜面を黄に染めて 甘夏のみかん豊けし

  ああ若き日の 友愛のシンボル 果てしなく夢はひろがる

  田浦 田浦中学校 ここに育つ われらの幸

3 夕映えの 南の空に吹き上ぐる 工場の高き煙よ

  ああ若き日の 希望のシンボル たくましく闘魂もゆる

  田浦 田浦中学校 ここに鍛う われらの幸

4 由緒ある 野坂の浦よ牧山よ ふるさとに薫る伝統

  ああ若き日の 理想のシンボル 限りなく歓びあふる

  田浦 田浦中学校 ここに生きるわれらの幸

 原稿を書きながら、校歌を大事にすると言うことは、故郷を大事にすることだと感じました。(H)

 

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【大きさと形】010710

 今日は、とある先生の誕生日です。毎日のお仕事の潤いと輝きに、3年生からメッセージを贈りました。田浦中時代の生徒もあと9ヶ月で卒業です。もうあの時の1年生ではありません。とても、とても成長しました。

 年齢を分母、1年間を分子とすると、1年間がどんどん短く感じるようになります。15分の1の3年生の皆さんには充実した1日1日を過ごして欲しいと願っています。

 田浦小・中は、毎月1週間ずつ相互の授業参観を行っています。昨日、1年生は生活科の授業で、ペットボトルの水に朝顔の花を絞って、色水を作っていました。私のところに次々に近寄り、水色、青、紫、いろいろな色水を見せてくれました。ペットボトルをしっかり振るときれいに混ざると教えてくれました。

 2年生は小さいプールで、5年生は大きいプールで水泳の授業。昨日の水は冷たかったようです。3年生は算数の余りのある割り算、4・5年生は国語の授業でした。

 1年生から最初に声を掛けられたのは「前の校長先生ですか?」でした。田浦小のA先生によると、「新入生説明会で会って、大きさと形でざっくりと覚えていた。」ようです。惜しい!それは内野小のT校長先生です。(H)

 

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