校長ブログ「秘密の部屋」

管理者ブログ

【全日中群馬大会1】011023

 朝7時35分の飛行機で熊本空港を出発しました。明日からの2日間、群馬県前橋市のベイシア文化ホールを主会場に全日本中学校長会研究協議会が開催されます。熊本県からは私が報告者、湯浦中の古田校長先生が司会者として協議会に参加します。

 私は水俣市に住んでいるのですが、隣り合う鹿児島県出水市に買い物などに行くこがよくあります。昨年は全日中の鳥取大会に参加、そして今日から群馬大会に参加と、動物の名前が付く4つの県をすべてクリアし、ちょっと嬉しく思っているところです。

 群馬は文字通り「馬が群れる」土地であったという意味だそうです。県名の由来となった群馬郡は、もとは「くるまのこおり」と言い、藤原京木簡では「車」の一字で表記されていましたが、奈良時代の初めに全国の郡や郷の名を二文字の好字で表記することとなり「群馬」と書くようになったそうです。

 熊本はもともとは「隈本」。 加藤清正公が、城ができたときに「隈」には畏(おそれる、かしこまる) が入っているので、勇ましい方が良いと「熊」に変えたというのは熊本県民には有名な話です。文字通り「熊が本当にいる」県ではありません。清正公がいなければ「くまモン」もいないかと思うと。

 群馬県のHPに「ぐんまがいちばん!」という、群馬の魅力を「ぐんまちゃん」が紹介する冊子がありました。ホテルでは予習をしっかりして大会に臨みます。(H)

 

0

【即位礼正殿の儀】011022

 朝からテレビを見て過ごしています。毎朝のニュースを見ている局のアナウンサー2人の服装も色使いやチーフなどに今日の日らしさを感じます。どの局でも装束や儀式の流れについて丁寧な説明がなされています。日本の歴史と文化を学ぶ良い機会です。

 テレビ台の上には18日に交換が始まった500円記念貨幣(図柄は、表面が即位礼正殿の儀で使われる「高御座(たかみくら)」、裏面が「菊花紋章と梓とハマナス」)と、先月購入したトミカの「トヨタセンチュリー」を飾ってあるのがポイントです。

 午後になり、いよいよ即位礼正殿の儀が始まりました。殿上人ではなくとも映像を通して体験できる。平安時代の人は何と思うことでしょう。この後、歴史の教科書を開いてみましょう。(H)

【追記】 翌23日は群馬県前橋市へ出張でした。上越新幹線は台風による影響のため、本数を減らして運行していました。指定席は満杯、目視で乗車率は200%。私も東京駅から高崎駅まで約50分間を立ったままでした。いつも利用されている方でしょうか「こんなに混み合ったのは初めて。」だそうです。

 私の近くに座った妙齢の女性5人グループは、昨日の即位礼正殿の儀について話をしていました。皇族の方々の装束から始まり、イギリスやオランダ王室の参列について、出席者のドレスの評価、自分の子育てと皇室の違い、長男と次男の役割の違い、天皇陛下のお人柄等、ワイドショーのコメンテーター顔負けでした。私も解説者として参加しようかと思いましたが、さすがにやめておきました。(H)

 

0

【地域理解講話】011021

 1年生は総合的な学習の時間に地域理解学習に取り組んでいます。18日(金)は「漬物工房すずめ」の尾崎吉秀さん、「道の駅たのうら」駅長の山田良介さん、「田舎工房」の濱崎智久さんをお招きし、地域理解講話を行いました。講師の皆さんからは、職業と人生観についてお話しいただきました。「田浦だからできること」は何かという視点を与えていただき、故郷の魅力を再発見して、田浦が益々好きになりました。

 いよいよ今週水曜は赤松館の「百年カレー」の再現。学年主任のYY先生は「芦北牛を手に入れた!」とニコニコしていました。他の職員からは「当時は芦北牛ブランドはなかったろ。」と指摘されましたが、気にしない気にしない。生徒の感想を紹介します。(H)

 尾崎さんの「楽と便利ほど恐ろしいものはない。」というお話が印象に残りました。僕は今まで楽をして生きていきたいと思っていましたが、苦を知ってこそ楽があるのだと強く思いました。きつくなったとき、尾崎さんのお話を思い出したいと思います。

 山田さんのお話を聞いて、田浦に対する強い思いを感じました。田浦の歴史や文化、良いところを聞くことができてとても面白かったです。田浦に住んでいるのに知らないことをたくさん学ぶことができました。

 私は、濱崎さんが黒板に書かれた「無い物ねだりより、ある物探し」という言葉が心に残りました。簡単ではないと思うけど、人の縁が広がって、また新しい発見ができるという話から、社会の中では人との関わりがとても大事だと思いました。

0

【芦北町演能会】011020

「佐敷城跡観月会」としてこれまで21回開催されていた会が、今年から「芦北町演能会」と名称を変更し開催されることになりました。これまで、田浦中でも中学生対象の能教室を開いていただきましたが、舞台での狂言と能を観覧するのは初めてです。会場のしろやまスカイドームに向かいました。

 箏演奏の後、演目の解説、火入れ式と続きました。新聞に例えると狂言は4コマ漫画、能は社説のようなもの、どちらも社会風刺だが切り口が異なるという解説がありました。

 まずは狂言「縄綯(なわない)」、主人の博奕の借金のかたとして何某(なにがし)に売られた太郎冠者は、ふてくされて仕事をしない。何某は、太郎冠者は使い物にならないので借金は金で払ってくれと言いに行くと…。

 続いて能「清経(きよつね)」、平家一門が都落ちした後、都でひっそり暮らしていた平清経の妻のもとへ、家臣の淡津三郎が「清経が、豊前国柳が浦の沖合で入水した。」という悲報をもってやって来た。形見の品に、清経の遺髪を手渡された妻は、再会の約束を果たさなかった夫を恨み悲嘆にくれ、悲しみが増すからと、遺髪を宇佐八幡宮に返納してしまう。しかし、夫への想いは募り、せめて夢で会えたらと願う妻の夢枕に、清経の霊が鎧姿で現れた…。

 昨年、能教室の時に「観月会」に行きたいと言っていたKくんもお父さんと2人で来ていました。良い夜になりました。(H)

 

0

011019水俣病犠牲者慰霊式

 

 午後から、郡市の校長先生方と「水俣病犠牲者慰霊式」に出席しました。会場は水俣湾を埋め立てた「エコパーク水俣」の親水公園にある慰霊の碑の前です。

 水俣市では昭和31年5月1日の水俣病の公式確認日にちなみ、毎年5月1日に「水俣病犠牲者慰霊式」を開催していますが、今年は新天皇即位日と重なり、慰霊式は二度と公害を起こさないというメッセージを届ける場であり、即位日に無理して行うのではなく、全員が落ち着いて祈りをささげられる日にということから、今日になったそうです。

 慰霊式には患者・遺族の皆さん方をはじめ、小泉環境大臣・蒲島熊本県知事・国や県の関係機関代表・チッソ代表や多くの水俣市民、各小中学校の児童生徒代表などが参加し、犠牲となり亡くなられた方々の慰霊と、環境破壊に対する反省と環境再生への誓いを込めて、全市民で祈りを捧げました。

 式では夫と長女を水俣病で亡くされた、認定患者の上野エイ子さんが「祈りの言葉」を捧げられました。亡くなられた胎児性水俣病患者の娘さんに対し「母ちゃんと呼ばせたかった。」という言葉が心に刺さりました。

 水俣市立水俣病資料館のHPでは、これまでの式辞と祈りの言葉を読むことができます。(H)

0