校長ブログ「秘密の部屋」

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【雲を貫け二中生】011122

 今年の県中体連大会のバドミントン会場で、人吉二中で最初に担任をした学年の生徒、Tさんから声をかけられました。今は山江中の保護者だそうです。そこから数名とつながり、先日、人吉に行く機会があると言う話をしたところ席を設けてくれました。

 その中の2人、Yさん、Sくんは、子どものスポーツクラブでずっと面識があったのに、つい最近まで同級生だと言うことを知らなかったとのこと。当時の人吉二中は7クラスあり、3つの小学校から集まっていました。教室配置から前半クラス、後半クラスという分け方をしており、接点がないまま3年間を過ごしたようです。

 当時の中学1年生も今年度で41歳。先生たちが知らない中学生時代の秘話、中学校卒業後の生活、職業について、子育てのことなど26年間のいろいろな話を聞くことができとても楽しく過ごせました。

 「先生、いつも授業中に棒を持っていましたよね。」昔は棒を持っている先生がとても多かったように思います。息子に譲りました。

 「先生とクラスで一緒にボーリングに行って生徒指導の先生から怒られました。」その後、私も生徒指導の先生から怒られているはずです。まだ25歳。「認めたくないものだな。」です。

 「3年間、先生に担任をしてもらいたかった。」Mくんのとても嬉しい一言。ブラックだ何だと言われることもありますが、こんなに充実感のある仕事はないと思っています。

 「先生が昔と変わっていなくて嬉しかった。」一番の褒め言葉です。当然、姿形のことではありません。みんなも中学生に戻っていました。
 

 次は2月にYさん、Tさんの誕生会だそうです。2人は1歳の誕生日だと言い張っています。(H)

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【演奏家派遣事業】011121

 今日は芦北町の演奏家派遣事業で、日本ギター界の第一人者である荘村清志さんが来校されました。明日は佐敷中学校と湯浦中学校で演奏会を開かれます。

 荘村さんは、現在東京音楽大学客員教授。9歳からギターを始め、1963年に来日した巨匠ナルシソ・イエペスの歓迎演奏会での演奏が氏に認められ、翌年からスペインに渡り師事。1969年に日本デビューし、実力・人気ともに日本を代表するギタリストとして活躍されています。今年がデビュー50周年に当たり、全国各地でリサイタルを開かれています。

 今日は「魔笛」、「アンダルーサ」、「アルハンブラの思い出」、「ベネズエラ風ワルツ」、「愛のロマンス(禁じられた遊び)」などを演奏されました。帰られる時、生徒の演奏を聴く態度の良さを褒めていかれたとの報告を受けました。

 残念ながら、私は出張のため演奏を聴くことができませんでした。23日(土)の13:30からしろやまスカイドームでコンサートが開かれますので、そちらに参加したいと思います。(H)

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【静かな昼休み】011120

 今日から3日間の期末テストです。授業時数確保のため3年生は5・6時間授業、1・2年生は3時間テスト、1時間授業の後、給食、掃除、下校です。3年生は、下級生の下校を羨ましそうに眺めています。今日明日は3年生だけの静かな昼休みです。

 校長室は事務室と職員室の間です。職員室はドア1枚でつながっていて話し声がよく聞こえます。今日の昼休みはテストの採点をしている先生もいますが…。

 K先生とU先生の間では年金の話が交わされています。K先生は来週、教科等研究会の社会科部会で年金の授業を行います。自分のこととしての捉えがよくできています。

 YS先生は、選挙立候補者と打ち合わせを行っています。その公約にしたのはなぜか?質問を重ねて、立候補者自身の言葉で語らせています。生徒は困った表情ですが、選挙当日は立候補者による討論会を行います。困るまで学校のことを考えて準備することが大事です。

 I先生は、昼休みに赤松館横の溝からメダカを8匹すくってきました。思いがけない大漁でした。最後の1匹は大きく満足していました。左隣の事務室からいつもの笑い声が聞こえてきます。

 M先生は、年末ジャンボ10億円の話をしています。早い時期に買うのが良いか、残り物には福があるか、芦北弁で熱弁を振るっています。平和な昼休みです。(H)

 

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【赤松館(せきしょうかん)】011119

 昨日は町校長会の研修会で保存会の松本さん、町生涯学習会深川係長(学芸員)の案内により、赤松館の見学を行いました。

 余談ですが、私の父は庭師でしたので、入院するまでは赤松館の庭の手入れを行っていました。江上トミさんの生涯が平成18年にテレビ熊本でドラマ化された時も、撮影中に手入れを行っており、主演の細川ふみえ(江上トミ)さんと榎木孝明さん(トミの夫、山田巌)からのサインをもらって喜んでいました。

 HPによると、『赤松館(せきしょうかん)は明治26年(1893年)、熊本県県南の大地主として財をなした藤崎家5代目当主藤崎彌一郎により建造されました。1,000坪の広大な敷地の周りを塀で囲み、敷地内に主屋・味噌蔵・長屋・篭部屋を建造し、周囲に池・庭園を造営した配置となっています。

 赤松館の名前の由来は赤松太郎峠です。赤松太郎峠は天険として名高い三太郎峠の一つで、赤松館の座敷から庭の木立越しに望むことができ、それを庭園の借景としていました。その赤松(あかまつ)を赤松(せきしょう)と読み替え、館の名称としました。県南の地に文化人を招く迎賓館を作ろうとしたようです。

 各所に銘木を用い、高い大工技術によって建造されている赤松館ですが、一階部分が完成し二階部分の内装に取り掛かった翌明治27年(1894年)、日清戦争が勃発。これにより赤松館の建造は中断を余儀なくされ二階部分は未完成のままの状態です。(中断後、内装がほどこされ、使用さていた部屋が一部屋だけ存在しています。)以来、藤崎家の住居として代々引き継がれ、今日に至っています。

 建物のうち米蔵については、昭和7年に現在地に移築されています。米蔵の建造自体は明治7年で、昭和6年に発生した八代・天草・芦北を襲った地震のため解体・移築したものです。

 平成12年(2000年)10月、「高い水準の大工技術を 有する近代和風建築である」として、主屋をはじめとする9件の建造物を国の登録有形文化財に登録されました。平成21年(2009年)11月、生きた文化財として一般公開を開始しました。』

子どもの頃、父たちは「せきしょかん」と発音していたので、ここに「関所」があったと思っていました。(H)

 

 

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【阿蘇神社例大祭】011118

 今日は田浦阿蘇神社の例大祭でした。御由緒にはこう記されています。

『御祭神』健磐竜命(たけいわたつのみこと) 阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)

『御由緒』健磐竜命は阿蘇外輪山を跳破ってたまっていた水を流し、現在の阿蘇谷(平野)を拓かれた神様として、熊本県においては最もご信仰の篤い神様です。この田浦阿蘇神社は、一ノ宮町宮地の阿蘇神社(肥後一ノ宮)からの御分祀であり、約500年前(推定)にこの地に御鎮座されたものと思われます。

『御神徳』五穀豊穣 商工業の発展等 子孫繁栄 田浦郷の総鎮守

 あいにくの雨天のため、会場を境内から田浦中学校武道場に移し、田浦祝いうた、田浦保育園遊戯、田浦中空手演武、各地区親子会による御神輿担ぎ、女性演舞、俵踊り、棒踊り、臼太鼓、田浦小海龍太鼓等が奉納され、最後に餅投げで例大祭を終えました。武道場での開催で、畳席があったことが好評だったそうです。

 私は午後から出張のため見ることはできませんでしたが、地域からもたくさんの見物客が集まり、大いに賑わったとのことでした。

小田浦・宮浦地域は旧小田浦小学校体育館で行事を行い、小学生の相撲大会で大変盛り上がったという話を聞きました。小学校の先生同士の対決もあったそうです。

祭りが終わると寒くなるといいます。いよいよ季節は冬です。(H)

 

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