校長ブログ「秘密の部屋」

2019年7月の記事一覧

【残り3分の2】010731

 暑い日が続いています。特別教室にエアコンが設置されましたが、20年物の校長室のエアコンも新しくなりました。クールエコスタイルが推奨されているとはいえ、ネクタイ・上着着用で来校されるお客様もいらっしゃいます。大変助かります。

 早いもので、今日で今年度の3分の1が終わります。3年生は県総体で部活動を引退し、新チームでの活動が始まっています。今は郡市陸上に向けての練習に取り組んでいますが、3週間余りで2学期が始まり、郡市陸上、文化祭、郡市駅伝、生徒会役員選挙。あっという間に中学校生活は終わりに近づきます。

 人吉二中でお世話になったO教頭先生が、退任式で「出逢いは偶然、別れは必然」という言葉を残していかれたことを思い出します。言い尽くされた言葉ですが、長くは保育園・幼稚園前から一緒に過ごした仲間との時間を大切にしてほしいところです。皆が同窓会に行きたいと思うような関係づくりには、楽しい時間ときつい時間を共有することです。(H)

 

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【探し物】010730

 日曜の夕方。バッグに入れたはずのカード入れがない。昨夜は使ったので確かにあった。朝から息子がカード入れを見た、私もそこにいたと言っているが、よくよく考えるとバッグに入れたと言う記憶がない。WAONもSuicaもnanacoも鶴屋友の会もその中だ。プリペイドカードだけなのが幸いだ。最悪、被害額は中に入っている分だけで済む。

 朝からの記憶を振り返る。「あった」から「ない」までの時間、車を降りたのは宇土の体育館で卓球の応援をしていた時のみ。ポケットにはスマホと小銭入れだけ入れたので、カード入れは車から出していない。これは自信がある。いや、本当にそうか?

 車から降りるときにドアの周辺に落とした?バッグは後部座席に置いていたのでそれはないはずだ。応援を終えて車に乗る時、ドアの周辺には何もなかった。いや、本当にそうか?

 昨日、葬儀に行くとき数珠をドアの横に落としていった私だ。信用はできない。入れるところ、置くところを決めようと何度思ったことか。つい最近も車のカギを捜したはずだ。スマホは探し物の常連だ。

 カバンの中も車の中も探したけれど見つからないのに、夕方、次男が後部座席で発見。年に数回探し物をしては、反省する。ほーら、今も車のカギは掛けずに机の上に置きっぱなし。なかなか治りませんが、自覚が第一歩。(H)

 

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【資源ごみの分別】010729

 今日は私が住んでいる水俣市22区の分別収集の日です。今月はリサイクル当番なので、夕方は分別のステーションに立ちます。

 水俣環境クリーンセンターでは、最初は「燃えるもの」と「燃えないもの」に分けていたのですが、平成5年の3月に燃えないゴミの中に黒い袋に入れられた中身の残った小型プロパンガスボンベが入っており、そのまま破砕処理施設に運び込まれて、作業中に爆発、機械は破壊され、屋根も破壊されるという大事故が起きました。人身事故にはなりませんでしたが、何千万円もの費用が修理にかかり、このような危険なものを出してしまう市民にも責任があるのではないかという意見が出たそうです。

 20種類の分別は、モデルの7地区からスタートし、全地域で実施されるようになりました。2種類から20種類へ、大変なご苦労があったかと思います。平成13年からは生ゴミの分別が始まり24種類、今年度からは22種類に分別しています。

 私の息子たちも生まれた時から分別が当たり前なので、子どもの頃は「コンビニなど、ゴミ箱が燃えるゴミ、ペットボトル、カンの3つしかないと困る。」と言っていました。

 私がいた頃は、水俣二中は「生徒会長と環境委員長は同格」という言い方もされ、環境教育先進校として多くの視察や取材に対応していました。(H)

 

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【県中学総体最終日】010728

 県中学総体の応援ありがとうございました。本日、田浦中生の出場種目が終了しました。私も卓球の応援に行くことができました。芦北水俣からは女子ソフトテニス団体、相撲個人、空手、新体操、バドミントン個人などが九州大会へ進むようです。詳しくは明日の新聞で確認したいと思います。

 バドミントン会場、卓球会場などには冷房が入っていました。ここ数年、熱中症対策は当たり前の時代です。快適な環境で試合ができました。風の影響がないように体育館を締め切って行っていた両競技は、数年前まで選手も応援団も最悪の環境でした。

 各部でも練習中は水分補給の時間を確実に設定するようにしています。「水を飲むな」の私たちの中学時代、こそっと水を飲む工夫をずいぶんしましたが、敵(先輩たち)もさるもの、「唾を吐いてみろ。」と言われ、真っ白くなかったら後が大変でした。高校では夏休みの練習は大きなバケツに氷水が用意してあり、飲むのが当たり前でしたので驚きました。髪も「頭を守るものなのに、なんで丸刈りにするのか?」というのが高校のK監督の感覚でしたので、私たちも気が楽でした。(H)

 

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【縁家】010727

 昨日、伯母が亡くなりました。通夜と葬儀にはたくさんの皆様にご臨席いただきました。ありがとうございました。私の祖母はM家から嫁に来て、伯母がまたM家に嫁に行くという関係でした。喪主のMさんの挨拶にもありましたが、兄弟姉妹すべてが近くにおり、賑やかに過ごしていました。

 病床にありながらも、一番下の弟である入院中の私の父のことをいつも心配していました。弟はいくつになっても弟です。

 私の母も、互いに行き来しての「お茶飲み」をとても楽しみにしていました。私自身54歳になりましたので、私にとっての伯父さん、伯母さんも、ひいじいちゃん、ひいばあちゃんです。いとこもずいぶん年を取りました。小さな子どもたちを見ると、世代の移り変わりを感じます。

 久しぶり、もしくは初めて会う親戚も沢山いました。話をしていると、意外な方と「やうち」、「えんか」や「ひっぱりこっぱり」があることがわかり驚きでした。(H)

 

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【熱中症対策】010726

 学校帰りに、私が保育園児の頃のK先生にお会いしました。「熊工、優勝した!うれしい!」お婿さんと、お孫さんの母校の甲子園大会出場を喜んでいらっしゃいました。おめでとうございます。

 特別教室のエアコン工事がいよいよ終わりに近づきました。今月末には設置が完了し、検査が行われます。学校で勉強や宿題に取り組んでいる生徒もいます。サッカー部は練習が終わった後、毎日4時間学習に取り組んでいます。来週には宿題が終わってしまうとのことでした。涼しいエアコンと熱いY先生の力です。

 設置作業をされている方が近くを通られる時に「ブーン」という音が聞こえます。何かと思って見ると、作業服についているファンの回る音でした。熱中症対策で、服の中に風を送る装置がついていました。今朝、新聞の広告を見ていると、その服が販売されていました。気になりましたが、補正予算申請は否決されると思います。

 テレビでは服につけるクーラー、路面温度を下げる塗装などオリンピックに向けての暑さ対策グッズが話題になっていました。家ではメダカの水槽の温度が上がらないよう日陰を作りました。ネコたちは一番涼しいところを陣取って寝ています。(H)

 

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【カウントダウン】010725

 昨日と今日の2日間、県中学総体のバドミントン競技が開催されました。午前中に休みを入れて応援に行ってきました。田浦中は団体戦がベスト8、個人戦ダブルスMMペアがベスト8という結果でした。応援ありがとうございました。

 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会までいよいよ1年。金・銀・銅のメダルが発表され、昨日から金融機関で記念貨幣百円クラッド貨幣の引換えが始まりました。デザインは空手・スケートボード・スポーツクライミング・ウエイトリフティング・サーフィン・ゴールボールの6種類。早速引き換えに行ってきました。

 100円の記念硬貨は100円で交換できますが、1000円銀貨は9500円程度。もちろん持っていませんので造幣局のHPで調べると、発行済みのものも含めたデザインは水泳、車いすテニス、陸上競技、バドミントン、野球・ソフトボール、体操、卓球と日本ではメジャーな競技が選ばれています。10000円金貨は120000円程度、デザインは流鏑馬、野見宿禰像とギリシャの女神像。造幣局は商売上手です。金メダルと同じ、私には縁のない話です。(H)

 

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【やあやあ我こそは】010724

 保健室の前に恐ろしい掲示物が並んでいます。ペットボトルの画像の裏に紙コップが貼り付けてあり、その中にはどれくらいの量の砂糖が使ってあるか分かるようにスティックシュガーが入れてあります。終業式で生徒にはぜひ見るように伝えましたが、職員に与えたショックの方が大きいようです。懇親会でノンアルコールの先生はジュース類を避けるようになりました。最初のうちは。のど元過ぎないように互いに声掛けをしたいと思います。

 数人で食事をとっていると、そこで働いている方が、「中学生の時、MY先生(現教頭)に社会を、MY先生(現研究主任)に理科を習いました。」と話しかけてこられました。2人が前回田浦中に勤務した7年~9年前の生徒でした。「MMです。」と名前も名乗ってくれました。中学3年生の時の担任はYT先生(現袋中)だったそうです。翌日、卒業アルバムで確認しました。

 以前も書きましたが、卒業生が自分から名乗ってくれるのはとても嬉しいことです。私も忘れられていることを前提に「田浦中でお世話になった昭和55年度卒業のHです。」と先に名乗っています。

   先日は、熊本市のショッピングモールで「人吉三中でお世話になりましたHです。」と声をかけてもらいました。今日は、バドミントンの県大会会場で「人吉ニ中でお世話なったIです。」と声をかけてもらいました。Iさんは続く言葉が完璧でした。「お変わり無いのですぐに分かりました。」(H)

 

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【卒業生の活躍】010723

 八代白百合学園高等学校から、学校案内のパンフレットが届きました。表紙に本校出身のUさんの写真が使われていました。今、写真部で頑張っています。

 夏の甲子園大会の予選にも、本校出身の生徒が5つの高校の選手として出場しています。試合後のインタビューに答えていた卒業生もいました。やり切った感がありました。

 芦北高校に進学したHさんは、熊本県学校農業クラブ連盟年次大会のプロジェクト発表の分野Ⅱ類で「芦北のお茶の魅力を発信!~芦北産ほうじ茶を使用した商品開発と普及活動の実践~」と題した発表を行いました。芦北高校の農業科としては初めての最優秀賞(林業科の受賞歴はあります。)に輝き、田浦中出身のNさん、湯浦中卒業生2名、津奈木中卒業生1名の5名で九州大会(8月6日~8日:沖縄県)に進むことになりました。後輩に伝える場を設定したいと考えています。

 それぞれが目標をもって進学していきました。卒業生の頑張りが聞こえてくるのはとても嬉しいことです。(H)

 

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【田浦中学校生徒会歌3】010722

 この作品が36年3月24日に「田浦中生徒会歌」に制定されたようです。昭和35年度2年2組作曲による楽譜も残っていました。応募作品に校正が入り、リズムが整えられた決定稿を紹介します。

  オオルリ・コールの皆さんに紹介したところ、作詞の三智さんは、当時の田浦中校長農中三澄先生の娘さんではないかとのことでした。

「入選作品3点には200円、応募者にはそれぞれ20円程度の物品を贈る」と記録にありました。参加賞はノートだと予想して調べたところ、当時はノート1冊が20円でした。たぶん正解です。(H)

農中三智さん(当時中学2年生)作詞 

1 山に囲まれた 海のような青空の下で 日ざしを浴びて 我らの心に太陽が希望は燃えて 進む我らの前に清らかに 泉のように湧いてくる 進もう この我らの力で我らの道を

2 あの山 この山 楽しい思い出あの時を なつかしみつつ 澄みゆく心に太陽が 希望は大きく 進め我らのこの手この足よ いばらの道も踏み分けて 進もう この我らの力で我らの道を 

3 進んだこの道 友と互いに築いたあとを じっと見つめて 進む道には太陽が 希望を目指して 進む我らのこの前のこの道の 理想の山は遠いけどみんなで さあ進もうよ この我らの力で我らの道を

 

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【田浦中学校生徒会歌2】010721

 六百という数字が1番と4番の歌詞に登場します。昭和35年度の生徒数は673人でした。36年度から39年度にかけて、生徒数は700人台になります。歌詞の「いさを」は手柄や功績のこと。その他にも「朝な夕な」「教えをば」「ゆかしき姿」など古語の表現が生きています。当時の中学生の豊かな語彙力に感心します。(H)

川中京子さん(当時中学3年生)作詞 

1 野浦の里の東に 昔の歴史にたえつつ 我ら六百若人の 学び舎 ここに花香る

2 朝な夕なに敬愛の 師の教えをば守りつつ 風紀正しく堂々と 築こう我らの生徒会

3 歴史は古き先輩の たてし いさを受け継ぎて 今日も励まん健やかに 我らの団結この力

4 桜の記章照り映えて 雄々しき姿 男の子らよ ゆかしき姿 乙女らよ ああ麗しき学舎の 我ら六百生徒会

 

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【田浦中学校生徒会歌1】010720

 過去の学校日誌で調べものをしていると、昭和35年度の冬休みに「生徒会歌」が募集されていることが分かりました。20篇の応募作品の中から、国語研究部で選出した入選作3点を3日連続で紹介します。皆さんはそれぞれ74・73・72歳になられています。

 昭和35年は、今上天皇陛下誕生、ダッコちゃん流行、小林旭のズンドコ節がヒットなどの出来事がありました。(H)

竹本富士夫さん(当時中学1年生)作詞

1 朝霧晴れた遠山に 希望の光満ちあふれ いざ学舎に生きる者 若人我ら意気高く 真理の道を進もうよ

2 はるかに望む赤松の ふもとにありて学ぶ我等 郷土の前途を築く者 若人我ら意気高く 真理の道を進もうよ

3 清き姿の殿島を 希望に燃えて望む我等 苦難を越えて進む者 若人我ら意気高く 真理の道を進もうよ

 

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【鍛える夏】010719

 ちびまる子ちゃんはこう言っています。「夏休みは何日あると思ってんのさ。宿題なんていつでも出来るよ。それより今を大切にしなきゃ。」

 以前は“42日間の夏休み”と言っていたものですが、今年は37日間の夏休み、「今からしようて思とったとに。」、「言われたけんやる気がなくなった。」保護者の皆さんも自分を懐かしく思い出すセリフだと思います。

 が、「明日から頑張る。」を37回言うと始業式です。勉強、読書、ニュース視聴。頭を鍛える夏にしましょう。家の手伝い、社会体験、ボランティア活動。心を鍛える夏にしましょう。陸上練習、部活動、社会体育、スポーツ活動。体を鍛える夏にしましょう。3年生にとっては中学校生活最後の夏休み。進路を見据える夏にしましょう。

 メリハリつけて、遊ぶときはしっかり遊びましょう。休養もたっぷりとりましょう。家の手伝いをたくさんしましょう。虫歯等の治療も済ませましょう。徹底して自分を鍛える夏にしましょう。

 夏休みが終わったときに「結構鍛えてます。」と言いたいですね。(H)

 

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【教科書】010718

 明日の終業式に配付するPTA新聞、生徒会だよりの最終稿が上がってきました。学校だよりも完成しました。通知表を点検しながら1学期の頑張りを振り返っています。

 昨夜はコーラスグループ「田浦オオルリ・コール」の練習に、音楽担当のK先生と行ってきました。今年も文化祭での発表をお願いしています。グループの方から「地域に回覧される学校だよりを楽しみにしています。」と言っていただきました。今月はいつもよりたくさん回覧します。

 資料室で、昭和29年9月30日 文部省検定済み教科書「新しい社会(東京書籍)」を発見しました。「源頼朝」や「足利尊氏」など、現在は別の人物とされている画像が載っていること。人権問題に関する記述がほとんどないこと。今の教科書と比べながら興味深く読みました。

 余談ですが、フランシスコ=ザビエルの有名な肖像画も、没後80年以上たって日本で描かれたものです。カトリック教会で、聖職者となった証しに頭頂部を剃り上げることを「トンスラ(キリストが磔になったときにかぶっていた棘の冠を模したと言われます)」と言いますが、ザビエルが籍を置いたイエズス会にはそのような習慣はなく、外国で描かれたザビエルの肖像画には髪の毛があります。

 教科書の最後の項目は「対日平和条約」でした。終戦から10年。教科書は「国民生活は国民の努力もあって、いちおうは向上しつつある。」で結ばれています。(H)

 

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【ただいま参上!】010717

 ネコが人間の隣に寝るのは、「人間を守っているから。」という説があります。家の中に虫が入り込み、朝6時前、寝ている私の顔にとまったようです。「おはぎ」に守ってもらいました。私の額は傷だらけ、オロナインの出番でした。次は優しく守ってください。

 エアコン工事の業者の方から「メダカを飼うのがブームだそうですね。」と聞きました。確かに、雑誌でも特集が組まれています。値段の高いものもいるようですが、田浦中のメダカは、江上トミさん(料理研究家、田浦町の名誉町民第1号)の実家である、「赤松館」の横の溝に住んでいた由緒正しき野生のメダカです。8匹からスタートし、今は「がじゃがじゃ」います。

 交流授業参観で来校された小学校の青山先生から、職員玄関の横の臼にメダカが1匹いるという話を聞きました。密かに、中学校のメダカ10匹とホテイアオイを引っ越しさせました。秘密裏に進める予定でしたが、事務の今脇先生に見つかりました。忍者への道は険しいです。(H)

 

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【妖怪】010716

 最近、「妖怪人間ベム」のDVDを見ています。数年前に亀梨和也さん(ベム)、杏さん(ベラ)、鈴木福さん(ベロ)でドラマ化もされていますが、アニメが放送されたのが昭和43年から44年にかけてということで、今年が放送終了50周年にあたります。同時期には「ゲゲゲの鬼太郎」や「どろろ」も放映されており、妖怪ブームの最中でした。クモ男、人間こうもり、さそり男と怪人が続く「仮面ライダー」もかなりおどろおどろしい内容です。

 3・4歳の頃のアニメのため、一つ一つの話は忘れてしまっているのですが、オープニングの実験室の様子が忘れられません。

 子どもの頃、一番怖かったテレビ番組は「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の珠を持つ八犬士が登場する、NHK人形劇「新八犬伝」でした。通常はそうでもありませんが、時々登場する怨霊「玉梓(たまずさ)」の登場時の「われこそは、玉梓が怨霊」の声、造形の恐ろしさ。怖いけど見たい。母によると、後ずさりをしながら見ていたらしいです。

 社会科の授業でもチャンスとばかりに怖い話を時々していました。「平将門の怨霊」、「菅原道真の祟り」、「耳なし芳一」が十八番です。もちろん指導案の過程には「脱線」のところに位置づけています。(H)

 

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【海の日】010715

 昨日、大矢野中で県中学総体の監督会議が開かれました。いよいよ対戦相手が決定しました。空手道に出場するKくんに「北斗神拳は使うなよ。」とアドバイスをしました。「爆発したらいけないので使いません。」と返されました。返し技が得意になりました。

 今日は海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う「海の日」です。私たちの子どものころは、御立岬海水浴場も整備されておらず、海水浴場は「太田の浜」が主でした。旧田浦小学校の校歌には「太田の浜の白波に~」、田浦中学校校歌には「朝なぎの太田の浜に新潮光り」と一番の歌詞に読み込まれています。もっとも、在の子どもたちには川遊びが主でしたが。

 では、海に関するクイズを少し。

1 海岸線が長い都道府県を順番に3つ答えなさい。

2 海がない県はいくつあるでしょう。

3 河豚と書いてフグ、川豚はカピパラ、では海豚は?

1 1位:北海道4,460km 2位:長崎県4,183km 3位:鹿児島県2,666km 

 以下、4位:沖縄県2,037km 5位:愛媛県1,716km

2 8つ(栃木県・群馬県・埼玉県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県・奈良県)

3 イルカ

 今日の出来事に関連付けて、いろいろなことに興味を持ってくれると嬉しいです。(H)

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【そうなんです。】010714

 若い人にインタビューをして、答えることができないことを「常識なのに。」と笑うような番組もありますが、子どもの教科書を開いてみてください。特に「地理」、「歴史」の内容は昔と大きく変化しています。教えていないから知らないのが当たり前です。逆に、今の子どもたちに世界最古の人類を「アウストラロピテクス」と答えたら笑われます。現行の教科書では「サヘラントロプス・チャデンシス」です。

 ネットにこんな記事がありました。あるテストで「インドで、小麦粉からつくられているパンはなんですか。」と言う問題。

 ある生徒の解答は「そうです。」

 笑い話にしてしまうのは簡単ですが、間違えさせないようにするにはどのような設問にすればよかったのでしょうか。「文末を“パンの名前を答えなさい。”」、「“なん”を漢字で“何”にする。」にするのも良いでしょう。しかし、「そもそもインドで一般的に食べられるのは“チャパティ”や“米”が主流なので、“ナン”を答えさせるのはクイズレベル。」「すべての教科書で扱っているわけではない内容を問うのは、学習の定着度を測るのに適当ではない。」などいろいろな意見が出ます。社会科担当からすると突っ込みどころ満載で、この記事事態本当なのかと考えるところです。

 なかなか面白い話ですけど。(H)

 

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【田浦水害2】010713

 当時の記録を読むと、田浦町では11日から14日にかけて1時間雨量65mm、2時間雨量120mmと短時間に集中して降り、田浦川等、吉尾川等が氾濫して大きな被害が発生したとあります。

 私は水俣にいたため、田浦水害のまさにその時の怖さは体験していません。聞くところによると、小学校の運動場横の土手が決壊し、大量の水が流れ込み運動場が見る見るプールのようになったそうです。低学年の子どもたちは怖くて泣きだしたそうです。

 本校のO先生は当時保育園入園前だったそうですが、庭に水がどんどん入ってきた記憶があるそうです。お母さんは小学校からの電話連絡を受け、膝上まで水につかりながら、宮坂医院前の三差路に張ってあったロープを伝って、低学年のお姉さんを学校まで迎えに行かれたそうです。

 私の父は学校からの電話を受け「学校が一番安全だけん、学校に残してくれ。」と言ったそうです。家庭も学校も判断が難しい状況だったと思います。

 昨日のPTA講演会は、田浦水害の日に合わせ、長谷川勝さん(水俣市総務企画部危機管理防災課危機管理官地域防災マネージャー)をお招きしての防災講話を行いました。

 「天災は忘れた頃来る」物理学者で俳人の寺田寅彦氏がしばしば語ったという言葉があります。災害は語り伝えないと風化していきます。田浦中では、7月12日を命を守るために「絶対はない」「想定外のことを想像する」と言うことを肝に銘じる日、防災について考える日にしています。(H)

 

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【田浦水害1】010712

 高校2年生だった昭和57年7月12日(月)の昼前のこと、「田浦中出身の生徒は集まってください。」という放送が入りました。何かと思って指定された教室に行くと、「田浦が大変な大雨になっていて、帰すことができない。水俣の友達の家に泊まるように。」との説明がありました。「いつも通り朝6時過ぎの列車に乗って駅を出たのに、水俣もそんなに降ってはいないのに。急に泊まれと言われても困るのに。」情報源もテレビ中心で限られており、私たち高校生には切迫感はありませんでした。

 午前10時までの1時間の雨量は65mm、1日の雨量が328mm。不知火海の満潮とも重なって田浦川等が氾濫、肥後田浦駅周辺や小中学校周辺も家屋への浸水が続出したとのこと。テレビには駅前の被害の様子が映し出されました。

 高校の隣にあった同じクラスの友達の家に、田浦中出身の3人で泊まらせてもらいました。テレビのニュースはずっと大雨関係ばかり。不安な夜を過ごしました。

 翌朝、高校が借りたバスで田浦へと向かいました。国道3号線は渋滞、8時間近くかかって田浦に着きました。途中は泥道。船江付近では、甘夏ミカンの木が根が付いたままで海に浮かんでいました。色の変わった壁を見て、水の高さに驚きました。町中、泥の匂いがしました。あちこちに消毒のための石灰が巻かれていました。(H)

明日に続きます。

 

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