2018年12月の記事一覧
【虫の知らせ】301231
平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れました。前日の30日は、次男を熊本市に迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、夜も遅く、助手席の次男と「また1日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。
31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。
『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。実は妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言われたそうです。
搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しました。しかし、反応はほとんどないまま、現在も芦北町の病院に入院中です。
虫の知らせでしょうか、30日はいつになく実家に帰った方が良いような気がしていました。いつでも会えるからは過信です。(H)
【得意教科を伸ばそう】301230
田浦中3年生の皆様につきましては、益々猛勉強中の事と拝察いたします。
中・高・大で行われる試験の中で、私にとってそうテストが苦でなかったのは大学での試験でした。(入試ではなく、定期テスト等のことです。)
文系の学部なので、英語と中国語以外の試験は記憶の必要がほとんどなく、テスト問題はB4サイズの用紙に1問か2問。講義の内容をきちんと理解し、問題の趣旨に沿って自分の考えを書けば良い。中にはテキストや授業のノートを持ち込めるテストもある。時間も100分あるので、大概、裏面まで書いていました。
中学校では数学・理科は得意だったのですが、高校の数学・物理にはやられました。私がいた特進クラスは、バレーボールの国体予選に出ていた2日間の朝課外・授業・夕課外の合計6時間で、三角関数の授業が丸々終わっていました。そこから地獄に落ちました。
物理は初めて〇が一つもついていないテスト用紙が返って来ました。一瞬、わが目を疑いましたが、のび太やカツオでなくとも、本当に△(部分点)だけがあるんですね。クラスの平均も30点程度でしたが、それでも満点近い同級生もいて、理系向きではないと思い知らされました。得意な国語、世界史、日本史にさらに熱が入りました。(H)
【ゾ~ロリせんせぇ~】301229
来年の干支はイノシシ。熊本県出身の原ゆたかさんが書いた『かいけつゾロリ』のイシシとノシシの出番です。「ゾ~ロリせんせぇ~」というアニメ版のなまったしゃべり方が大好きです。
設定によると、難しいことを考えるとおならが出る体質で、兄のイシシは右の目と鼻の穴が大きく、メロンパンが好き。弟のノシシは左の目と鼻の穴が大きく右頬にホクロがあり、おにぎりと芋が大好物とのこと。子どもは「おなら」好き。イシシとノシシの連発に喜んでいたことと思いますが、大人になって読むと、子どもを喜ばせる工夫が随所にされていることに気づきます。本を読むきっかけになったひともいるのではないでしょうか。この機会に読み返してみると良いですね。
さて、ネコ年がない理由は、ネズミにだまされたからという昔話が有名ですが、お話を考えた後に干支を決めたとは思えないので、きっと後付けでしょう。干支がつくられたころの中国ではネコが身近な動物ではなかったからとも言われています。
チベットやタイ、ベトナム等ではウサギ年がなくて、ネコ年があるようです。(H)
【仕事納め】301228
子どもの頃、毎年12月28日は親戚が実家に寄り集まっての餅つきの日でした。ただし、父たち男どもは猪狩りに行って全くあてにならないので、母や伯母と、私たち子どもの仕事でした。
学校は今日が仕事納めです「働くとは傍(はた)を楽にさせること」と言いますが、田浦中は生徒、先生方、皆様のお陰で、畑(口)を楽にさせていただきました。
部活動も今日、明日は大掃除をして練習納めです。サッカーワールドカップの時に、代表チームのロッカールームの片付けが話題になりました。日本サッカー協会の田嶋幸三会長は、夏にあった県校長会研究大会の講演の中で「学校の先生方の部活動での指導のおかげ、全然不思議なことではない。」という趣旨の話をされました。田浦中の先生方の節目節目を大切にする指導をありがたく思います。この取組が世界につながっています。
仕事納めとは言え、3年担任は、冬休みの間に願書提出の下準備を終えないと、次の点検作業が遅れてしまうので、なかなかゆっくりもできません。
そのことを知っている田浦中の3年生はガンガン勉強していることと思います。と、ブログで繰り返し、繰り返しプレッシャーをかけ続けます。頑張れ3年生!勉強納めは無しだ!(H)
【MTV】301227
映画『ボヘミアン・ラプソディ』が人気を博しています。流行に流されやすい性格なので、しばらくは通勤中の音楽もクィーンにしました。
大学に入学した1984年にリリースされたのが『レディオ・ガ・ガ』、その頃は『スリラー』に代表されるような手の込んだプロモーションビデオの黎明期で洋楽全盛の時代でした。保育園から大学までの18年間を一緒の学校で過ごしたTくんのアパートで、夜遅く小林克也氏の「ベストヒットUSA」を観ていたことを思い出します。当時、ビデオデッキは30万円近くする遠い存在、放送時間に観るのが当たり前でした。
2016年(平成28年)には、デヴィッド・ボウイ、グレン・フライ(イーグルス)、プリンス、ピート・バーンズ(デッドオアアライブ)、ジョージ・マイケル(ワム)が次々とこの世を去りました。その都度、持っていたCDを放送室に密かに紛れ込ませました。(H)