2019年7月の記事一覧
【田浦中学校生徒会歌2】010721
六百という数字が1番と4番の歌詞に登場します。昭和35年度の生徒数は673人でした。36年度から39年度にかけて、生徒数は700人台になります。歌詞の「いさを」は手柄や功績のこと。その他にも「朝な夕な」「教えをば」「ゆかしき姿」など古語の表現が生きています。当時の中学生の豊かな語彙力に感心します。(H)
川中京子さん(当時中学3年生)作詞
1 野浦の里の東に 昔の歴史にたえつつ 我ら六百若人の 学び舎 ここに花香る
2 朝な夕なに敬愛の 師の教えをば守りつつ 風紀正しく堂々と 築こう我らの生徒会
3 歴史は古き先輩の たてし いさを受け継ぎて 今日も励まん健やかに 我らの団結この力
4 桜の記章照り映えて 雄々しき姿 男の子らよ ゆかしき姿 乙女らよ ああ麗しき学舎の 我ら六百生徒会
【田浦中学校生徒会歌1】010720
過去の学校日誌で調べものをしていると、昭和35年度の冬休みに「生徒会歌」が募集されていることが分かりました。20篇の応募作品の中から、国語研究部で選出した入選作3点を3日連続で紹介します。皆さんはそれぞれ74・73・72歳になられています。
昭和35年は、今上天皇陛下誕生、ダッコちゃん流行、小林旭のズンドコ節がヒットなどの出来事がありました。(H)
竹本富士夫さん(当時中学1年生)作詞
1 朝霧晴れた遠山に 希望の光満ちあふれ いざ学舎に生きる者 若人我ら意気高く 真理の道を進もうよ
2 はるかに望む赤松の ふもとにありて学ぶ我等 郷土の前途を築く者 若人我ら意気高く 真理の道を進もうよ
3 清き姿の殿島を 希望に燃えて望む我等 苦難を越えて進む者 若人我ら意気高く 真理の道を進もうよ
【鍛える夏】010719
ちびまる子ちゃんはこう言っています。「夏休みは何日あると思ってんのさ。宿題なんていつでも出来るよ。それより今を大切にしなきゃ。」
以前は“42日間の夏休み”と言っていたものですが、今年は37日間の夏休み、「今からしようて思とったとに。」、「言われたけんやる気がなくなった。」保護者の皆さんも自分を懐かしく思い出すセリフだと思います。
が、「明日から頑張る。」を37回言うと始業式です。勉強、読書、ニュース視聴。頭を鍛える夏にしましょう。家の手伝い、社会体験、ボランティア活動。心を鍛える夏にしましょう。陸上練習、部活動、社会体育、スポーツ活動。体を鍛える夏にしましょう。3年生にとっては中学校生活最後の夏休み。進路を見据える夏にしましょう。
メリハリつけて、遊ぶときはしっかり遊びましょう。休養もたっぷりとりましょう。家の手伝いをたくさんしましょう。虫歯等の治療も済ませましょう。徹底して自分を鍛える夏にしましょう。
夏休みが終わったときに「結構鍛えてます。」と言いたいですね。(H)
【教科書】010718
明日の終業式に配付するPTA新聞、生徒会だよりの最終稿が上がってきました。学校だよりも完成しました。通知表を点検しながら1学期の頑張りを振り返っています。
昨夜はコーラスグループ「田浦オオルリ・コール」の練習に、音楽担当のK先生と行ってきました。今年も文化祭での発表をお願いしています。グループの方から「地域に回覧される学校だよりを楽しみにしています。」と言っていただきました。今月はいつもよりたくさん回覧します。
資料室で、昭和29年9月30日 文部省検定済み教科書「新しい社会(東京書籍)」を発見しました。「源頼朝」や「足利尊氏」など、現在は別の人物とされている画像が載っていること。人権問題に関する記述がほとんどないこと。今の教科書と比べながら興味深く読みました。
余談ですが、フランシスコ=ザビエルの有名な肖像画も、没後80年以上たって日本で描かれたものです。カトリック教会で、聖職者となった証しに頭頂部を剃り上げることを「トンスラ(キリストが磔になったときにかぶっていた棘の冠を模したと言われます)」と言いますが、ザビエルが籍を置いたイエズス会にはそのような習慣はなく、外国で描かれたザビエルの肖像画には髪の毛があります。
教科書の最後の項目は「対日平和条約」でした。終戦から10年。教科書は「国民生活は国民の努力もあって、いちおうは向上しつつある。」で結ばれています。(H)
【ただいま参上!】010717
ネコが人間の隣に寝るのは、「人間を守っているから。」という説があります。家の中に虫が入り込み、朝6時前、寝ている私の顔にとまったようです。「おはぎ」に守ってもらいました。私の額は傷だらけ、オロナインの出番でした。次は優しく守ってください。
エアコン工事の業者の方から「メダカを飼うのがブームだそうですね。」と聞きました。確かに、雑誌でも特集が組まれています。値段の高いものもいるようですが、田浦中のメダカは、江上トミさん(料理研究家、田浦町の名誉町民第1号)の実家である、「赤松館」の横の溝に住んでいた由緒正しき野生のメダカです。8匹からスタートし、今は「がじゃがじゃ」います。
交流授業参観で来校された小学校の青山先生から、職員玄関の横の臼にメダカが1匹いるという話を聞きました。密かに、中学校のメダカ10匹とホテイアオイを引っ越しさせました。秘密裏に進める予定でしたが、事務の今脇先生に見つかりました。忍者への道は険しいです。(H)
【妖怪】010716
最近、「妖怪人間ベム」のDVDを見ています。数年前に亀梨和也さん(ベム)、杏さん(ベラ)、鈴木福さん(ベロ)でドラマ化もされていますが、アニメが放送されたのが昭和43年から44年にかけてということで、今年が放送終了50周年にあたります。同時期には「ゲゲゲの鬼太郎」や「どろろ」も放映されており、妖怪ブームの最中でした。クモ男、人間こうもり、さそり男と怪人が続く「仮面ライダー」もかなりおどろおどろしい内容です。
3・4歳の頃のアニメのため、一つ一つの話は忘れてしまっているのですが、オープニングの実験室の様子が忘れられません。
子どもの頃、一番怖かったテレビ番組は「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の珠を持つ八犬士が登場する、NHK人形劇「新八犬伝」でした。通常はそうでもありませんが、時々登場する怨霊「玉梓(たまずさ)」の登場時の「われこそは、玉梓が怨霊」の声、造形の恐ろしさ。怖いけど見たい。母によると、後ずさりをしながら見ていたらしいです。
社会科の授業でもチャンスとばかりに怖い話を時々していました。「平将門の怨霊」、「菅原道真の祟り」、「耳なし芳一」が十八番です。もちろん指導案の過程には「脱線」のところに位置づけています。(H)
【海の日】010715
昨日、大矢野中で県中学総体の監督会議が開かれました。いよいよ対戦相手が決定しました。空手道に出場するKくんに「北斗神拳は使うなよ。」とアドバイスをしました。「爆発したらいけないので使いません。」と返されました。返し技が得意になりました。
今日は海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う「海の日」です。私たちの子どものころは、御立岬海水浴場も整備されておらず、海水浴場は「太田の浜」が主でした。旧田浦小学校の校歌には「太田の浜の白波に~」、田浦中学校校歌には「朝なぎの太田の浜に新潮光り」と一番の歌詞に読み込まれています。もっとも、在の子どもたちには川遊びが主でしたが。
では、海に関するクイズを少し。
1 海岸線が長い都道府県を順番に3つ答えなさい。
2 海がない県はいくつあるでしょう。
3 河豚と書いてフグ、川豚はカピパラ、では海豚は?
1 1位:北海道4,460km 2位:長崎県4,183km 3位:鹿児島県2,666km
以下、4位:沖縄県2,037km 5位:愛媛県1,716km
2 8つ(栃木県・群馬県・埼玉県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県・奈良県)
3 イルカ
今日の出来事に関連付けて、いろいろなことに興味を持ってくれると嬉しいです。(H)
【そうなんです。】010714
若い人にインタビューをして、答えることができないことを「常識なのに。」と笑うような番組もありますが、子どもの教科書を開いてみてください。特に「地理」、「歴史」の内容は昔と大きく変化しています。教えていないから知らないのが当たり前です。逆に、今の子どもたちに世界最古の人類を「アウストラロピテクス」と答えたら笑われます。現行の教科書では「サヘラントロプス・チャデンシス」です。
ネットにこんな記事がありました。あるテストで「インドで、小麦粉からつくられているパンはなんですか。」と言う問題。
ある生徒の解答は「そうです。」
笑い話にしてしまうのは簡単ですが、間違えさせないようにするにはどのような設問にすればよかったのでしょうか。「文末を“パンの名前を答えなさい。”」、「“なん”を漢字で“何”にする。」にするのも良いでしょう。しかし、「そもそもインドで一般的に食べられるのは“チャパティ”や“米”が主流なので、“ナン”を答えさせるのはクイズレベル。」「すべての教科書で扱っているわけではない内容を問うのは、学習の定着度を測るのに適当ではない。」などいろいろな意見が出ます。社会科担当からすると突っ込みどころ満載で、この記事事態本当なのかと考えるところです。
なかなか面白い話ですけど。(H)
【田浦水害2】010713
当時の記録を読むと、田浦町では11日から14日にかけて1時間雨量65mm、2時間雨量120mmと短時間に集中して降り、田浦川等、吉尾川等が氾濫して大きな被害が発生したとあります。
私は水俣にいたため、田浦水害のまさにその時の怖さは体験していません。聞くところによると、小学校の運動場横の土手が決壊し、大量の水が流れ込み運動場が見る見るプールのようになったそうです。低学年の子どもたちは怖くて泣きだしたそうです。
本校のO先生は当時保育園入園前だったそうですが、庭に水がどんどん入ってきた記憶があるそうです。お母さんは小学校からの電話連絡を受け、膝上まで水につかりながら、宮坂医院前の三差路に張ってあったロープを伝って、低学年のお姉さんを学校まで迎えに行かれたそうです。
私の父は学校からの電話を受け「学校が一番安全だけん、学校に残してくれ。」と言ったそうです。家庭も学校も判断が難しい状況だったと思います。
昨日のPTA講演会は、田浦水害の日に合わせ、長谷川勝さん(水俣市総務企画部危機管理防災課危機管理官地域防災マネージャー)をお招きしての防災講話を行いました。
「天災は忘れた頃来る」物理学者で俳人の寺田寅彦氏がしばしば語ったという言葉があります。災害は語り伝えないと風化していきます。田浦中では、7月12日を命を守るために「絶対はない」「想定外のことを想像する」と言うことを肝に銘じる日、防災について考える日にしています。(H)
【田浦水害1】010712
高校2年生だった昭和57年7月12日(月)の昼前のこと、「田浦中出身の生徒は集まってください。」という放送が入りました。何かと思って指定された教室に行くと、「田浦が大変な大雨になっていて、帰すことができない。水俣の友達の家に泊まるように。」との説明がありました。「いつも通り朝6時過ぎの列車に乗って駅を出たのに、水俣もそんなに降ってはいないのに。急に泊まれと言われても困るのに。」情報源もテレビ中心で限られており、私たち高校生には切迫感はありませんでした。
午前10時までの1時間の雨量は65mm、1日の雨量が328mm。不知火海の満潮とも重なって田浦川等が氾濫、肥後田浦駅周辺や小中学校周辺も家屋への浸水が続出したとのこと。テレビには駅前の被害の様子が映し出されました。
高校の隣にあった同じクラスの友達の家に、田浦中出身の3人で泊まらせてもらいました。テレビのニュースはずっと大雨関係ばかり。不安な夜を過ごしました。
翌朝、高校が借りたバスで田浦へと向かいました。国道3号線は渋滞、8時間近くかかって田浦に着きました。途中は泥道。船江付近では、甘夏ミカンの木が根が付いたままで海に浮かんでいました。色の変わった壁を見て、水の高さに驚きました。町中、泥の匂いがしました。あちこちに消毒のための石灰が巻かれていました。(H)
明日に続きます。