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【明日ありと】011231
今日は12月14日、招福餅つきの日です。私にとっての招きたい福は、残された「おはぎ」が元気で長生きしてくれることです。「ねこのいるくらし」を文章にし、写真を整理し、待ち受け画面に設定し、だんだん心が平穏になっていきます。午後から長男と「ふわり」のお墓の周りに花を植え整備をしました。喜んでくれていると思います。「おはぎ」は今まで以上に甘やかされ、撫で回され、写真を撮られ。「急に何でにゃ?」という表情です。
今年、義父の初盆の際に次のような法話がありました。
親鸞聖人が9歳で仏門にはいる決心をし、夜に天台座主の慈円僧正を訪ねたとき、「時刻も随分遅いし、疲れているでしょうから、明日の朝に得度の式をしましょう。」と言われたそうです。その時、幼い親鸞聖人が、返事として「明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたそうです。
平成28年の今日、父が脳梗塞で倒れてから丸3年が経ちました。前日の30日、私は次男を熊本市のアパートまでに迎えに行っており、帰りに実家に寄ろうとも考えたのですが、随分遅くなったため、「どうせ元日には田浦に行くから、今日はそのまま水俣に帰ろう。」という話をしながら、田浦ICを通過しました。
翌31日、母から「父の様子がおかしい、反応がない。」との電話がありました。私は、すぐに救急車を呼ぶように伝えました。
『何かあったら救急車』平時はそう考えるのですが、緊急時は動転して『まずは子ども』となってしまうようです。妻の父が倒れた時も、義母が最初に電話したのは自身の息子でした。同じように「すぐに救急車!」と言ったようです。
搬送された水俣医療センターでは、明日はどうなるか分からないような状況でした。その後、最悪の事態は脱しました。それから3年、芦北町の病院に入院中です。
虫の知らせでしょうか、30日はいつになく実家に帰った方が良いような気がしていました。「明日ありと」思ってしまった自分の判断を後悔しました。
以降、母のところには用はなくとも「生きとっか~い。」と息子なりの愛のある言葉を掛けながら行くようにしています。
今年の28日も帰省した息子と顔を見せに行きました…。(H)